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2009年8月26日、長期休養を発表。予定されていた出演をすべてキャンセルとする。理由は体力の低下と持病の[[糖尿病]]治療であると発表していたが、実際は癌により発声が困難になったためと推測される。当初、本人は事務所に引退を切り出したというが、事務所の説得で休養という形に落ち着いた。同年12月1日、[[NHKラジオ第1放送]]公開収録番組『[[話の泉#.E6.96.B0.E3.83.BB.E8.A9.B1.E3.81.AE.E6.B3.89|新・話の泉]]』に別録りのインタビューという形で出演。実際の公開収録舞台には談志の写真ボードが置かれた。その後も体調は好転せず、2010年冒頭に入院することが決定したことなどを受け、12月28日、休養期間を約3か月延長すると発表する。
 
2010年3月2日、[[三遊亭円楽 (6代目)|6代目三遊亭円楽]]襲名披露パーティーに姿を見せ、挨拶する。パーティーで同席した[[桂歌丸]]は「生きている談志さんにお会いできたことが嬉しかった」とコメントし、談志との再会を喜んだ<ref>[https://web.archive.org/web/20130703113234/http://www.news24.jp/entertainment/news/1610710.html 仮退院桂歌丸、一番の喜びは「談志が生きていたこと」] 日テレNEWS24 2010年3月2日閲覧</ref>。
 
3月31日、[[新宿末廣亭|新宿末広亭]]余一会「三派連合サミット」に飛び入りで出演後<ref>{{Cite web|和書|url=https://ameblo.jp/dengekigyuzo2006/entry-10496552266.html |title=な、なんと・・末広亭に談志登場! |accessdate=2022-3-20 |publisher=ameba blog |author=ギュウゾウ |authorlink=ギュウゾウ |date=2010-3-31 |website=ギュウゾウ新聞}}</ref>、同年[[4月13日]]には8か月ぶりに高座に復帰し『[[首提灯]]』を披露する。
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=== 死去直後の対応と反響 ===
談志死去の報は、最期まで談志の世話をしていた[[立川談吉]]<ref>高田文夫/笑芸人編 『落語ファン倶楽部 Vol. 16 談志 だいすき』 白夜書房、2012年4月、ISBN 978-4-86191-902-2。pp.81-87。</ref>を除き、一門の弟子たちを含む落語界・芸能界・知人の誰にも伝えられなかった。家族および談吉のみで通夜・告別式(密葬)を執り、11月23日に[[落合斎場]]にて荼毘に付される。
 
家族は2日の間、談志の死を一門を含む誰からも隠し通した。談志が生前に「人に知らせるな。骨は海に沈めろ」と語っており、近親者が本人の意思を守ろうとしたためであるが<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2004009/full/|title=立川談志さん、余命宣告されていた 長男長女が緊急会見|accessdate=2021年12月22日|publisher=ORICON NEWS}}</ref>、情報が正式に公表されるまでの間、関係者やマスコミなどを巻き込んだ騒動のもとにもなった。
 
23日に所属事務所である談志役場(息子・[[松岡慎太郎]]が代表を務める会社)が死の事実を[[プレスリリース]]したが、その際も弟子たちに知らせなかった。立川キウイ<ref>立川キウイのブログの [http://tatekawakiwi.jugem.jp/?day=20111122 2011年11月22日の記事]{{リンク切れ|date=2018-08-03}}および [http://tatekawakiwi.jugem.jp/?day=20111123 23日の記事]{{リンク切れ|date=2018-08-03}}参照。</ref>や[[立川談慶]]<ref>[httphttps://twitterx.com/dankeitatekawa/status/139234362418933761 立川談慶の2011年11月23日のツイート 其の壱]{{リンク切れ|date=2018-08-03}}。後にこの発言は撤回している([httphttps://twitterx.com/dankeitatekawa/status/139247485334986753 立川談慶の2011年11月23日のツイート 其の弐]{{リンク切れ|date=2018-08-03}})。</ref><ref>{{Cite web|url=https://mobile.twitter.com/yuimasakazu/status/1455674938732388356|title=もう10年ですから言っちゃいましょう|accessdate=2021-11-3|publisher=twitter|author=油井雅和(@yuimasakazu)|date=2021-11-3|quote=冒頭で談慶師匠が話してましたが10年前の11月23日、電話を入れたら驚いた様子で「ガセネタです。間違ってると思いますよ」と言われたのは実は私です}}</ref>ら弟子たちは、死の2日後にテレビニュースなどで談志の死を知ることとなる。このため、マスコミやファンの問い合わせを受けて「(自分は聞いていないので)ガセだろう」と回答してしまい、あとで訂正するはめになった弟子たちが続出した。また、この日に身内だけで結婚披露宴を開いていた孫弟子の[[立川志の春]]は、披露宴中に「ご愁傷様」「気落ちしていると思いますが」というメッセージを多数受け取り、首をひねっていたところにテレビで談志死去のニュースを知った<ref>{{Cite book|和書 |title=シン・談志が死んだ 立川流はどこへ行く 立川志の春「婚礼の日の『ご愁傷様』」 |date=2023-11-26 |publisher=小学館 |pages=152-155 |author=立川談志+落語立川流 |isbn=9784093891417}}</ref>。
 
一方、死の直後から[[Twitter]]や[[Wikipedia]]などに情報のリークがあり、落合斎場にも到着時には報道陣が集まっていた。しかし、談吉は自身のブログやTwitterで談志と無関係の話題をあえて記述し、情報が漏れないようにつとめた。火葬が始まった時点で携帯電話が鳴り出し、情報を隠し切れないと判断した遺族は関係者に連絡、談志の死去を報告している<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2021/10/18/114607/|title=立川談志とのお別れ|accessdate=2021-10-20|publisher=集英社|author=松岡ゆみこ|date=2021-10-18|website=週プレweb|work=【しあわせの基準 ー私のパパは立川談志ー 第二十八回】}}</ref><ref>{{Cite news|title=没後10年 野末陳平さんが語る談志「秘話」|newspaper=毎日新聞夕刊|date=2021-11-19|author=鈴木琢磨|authorlink=鈴木琢磨|location=東京|page=3|quote=23日、おかみさん(談志夫人)から電話が入った。(略)火葬場からだった。}}</ref>。
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23日夜に長男・松岡慎太郎と長女・[[松岡弓子]]が[[ホテルニューオータニ]]で記者会見を行い、死去に至るまでの経緯を説明した<ref name=":0" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://news.livedoor.com/article/detail/6055856/|title=「声のかぎり、落語を愛してました」 落語家・立川談志さん遺族会見 全文|accessdate=2021-10-14|publisher=Livedoor news|author=亀松太郎|editor=写真・石津大助|coauthors=丹羽一臣|work=ニコニコニュース|date=2011-11-24}}</ref><ref>{{Cite news|title=立川談志さんの死去について、記者会見する談志さんの長男松岡慎太郎さん(手前)と長女松岡弓子さん|newspaper=朝日新聞デジタル|date=2011-11-23|author=撮影:金川雄策|url=http://www.asahi.com/showbiz/gallery/20111124danshi/danshi37.html|location=東京}}</ref>。
 
死去公表直後、弟子でマスコミの囲み取材を受けたのは[[立川志の輔]]<ref name=":0" />、[[立川談笑]]<ref name=":1">{{Cite book|和書|title=波「立川談志というをのこ」|date=2012-12|publisher=新潮社|author=吉川潮×立川談笑|url=https://ebook.shinchosha.co.jp/nami/201212_08/}}</ref><ref group="注釈">談笑は[[静岡市|静岡]]の独演会の[[トップセンタービル|会場]]で取材を受けている。訃報は休憩時間に[[柳家喬太郎]]からの電話で知り、談志から禁じられていた『[[芝浜|シャブ浜]]』を演じた後、客前で号泣した。また、同じ時間帯に[[立川談春]]は至近距離の[[静岡市民文化会館|会場]]の別の会に出演していた。談春は師匠が亡くなったことは知っていたが、舞台ではおくびにも出さず取材も受けていない。終演後、二人は一緒の新幹線で東京に戻った。</ref>。談笑は24日に『[[情報プレゼンター とくダネ!|情報プレゼンター とくダネ!]]』<ref group="注釈">当時、番組レポーターでもあった。</ref>に、[[立川談四楼]]は25日に『[[ミヤネ屋|情報ライブ ミヤネ屋]]』に出演している<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20211104004418/https://kakaku.com/tv/channel=4/programID=12194/page=1663/|title=「情報ライブ ミヤネ屋」で紹介されたすべての情報 ( 1663 / 9528 ページ )|accessdate=2021-10-18|publisher=価格.com|date=2011-11-25}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=談志が死んだ|date=2012-12-15|publisher=新潮社|page=19-35|author=立川談四楼|author-link=立川談四楼|isbn=9784104247042}}</ref>。談志死去の報道を受け、行きどころのない弟子は談志行きつけの銀座のバーに集まり、故人を偲びつつ盛り上がった<ref name=":1" />。
 
談志の死去を受けて、23日、[[橘家圓蔵 (8代目)|8代目橘家圓蔵]]と[[林家木久扇]]が日本テレビのニュース番組『[[news every.]]』に生出演し、談志との想い出を語った。また、日本テレビ『[[金曜夜席]]』当時からの知己である[[桂歌丸]]、上方落語界長老の[[桂米朝 (3代目)|3代目桂米朝]]も逝去を悼むコメントを発表した<ref>[http://www.sanspo.com/geino/news/111123/gnj1111231603025-n2.htm 落語家の立川談志さんが死去] サンケイスポーツ 2011年11月23日閲覧{{リンク切れ|date=2018-08-03}}</ref>。弟弟子で当時[[落語協会]]会長の[[柳家小三治]]は「とんでもない人物だった。今でも兄弟弟子という思いは強い」と語り、兄弟子の死を悼んだ<ref>[http://www.asahi.com/showbiz/stage/rakugo/TKY201111290351.html とんでもない人だった 柳家小三治、立川談志を悼む]{{リンク切れ|date=2018-08-03}} 朝日新聞 2011年11月30日閲覧</ref>。また、談志に憧れて落語家の道を志した当時[[上方落語協会]]会長の桂三枝(現:[[桂文枝 (6代目)|6代桂文枝]])も、談志の訃報が公表された日の緊急会見で「嘘であって欲しいと思いました」と泣き崩れながら談志を偲んだ。
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* 1965年頃 - 1967年頃
** 「現代センター」
* 1967年頃 - 1971年国会([[参議院]]議員就任まで
** 「談志プロダクション」(談志自身が社長)
* 1971年国会(参議院議員就任 - 1983年([[落語協会]]脱会まで
** 「まむしプロダクション」([[毒蝮三太夫]]社長、松岡由雄マネージャー=談志の実弟)
*** 上記の談志プロダクションと同じ会社。本人が国会議員になったため、談志プロダクションが社名と社長を変更したもの。師匠[[柳家小さん (5代目)|5代目柳家小さん]]が一タレントとして所属していた
* 1983年[[落語協会]]脱会 - [[2000年]][[3月31日|3月末]]まで
** 「立川企画」(松岡由雄社長=談志の実弟)
***特に芸能プロダクションなどに所属していなかった大多数の談志の弟子の仕事の窓口にもなっていた。
*** 2011年現在、[[立川志らく]]のマネージメントを担当。
***志らくが[[ワタナベエンターテインメント]]所属後は、落語会の企画・運営が中心主要業務となっている。
* [[2000年]][[12月13日]] - 2011年11月21日
** [[有限会社]]「談志役場」(松岡慎太郎社長=談志の息子)
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*立川右近
*[[立川談生|三代目立川談生]]
*[[嵐丸|二代目立川談々]] - 本名∶'''城台 大三'''。[[1964年]][[2月17日]] - )
*立川談秋
*[[立川談之進]] - 本名:佐藤 哲也、茨城県出身。1964年 - 、1987年入門、1990年2月二ツ目昇進<ref>{{Cite book|和書|title=落語 第30号 最新東西全落語家名鑑|date=1990-11-1|year=|publisher=弘文出版|editor=井上正弘|NCID=AN10301576|page=29}}</ref>
*立川風吉
*立川風吉 - 本名∶'''山本 風吉'''、[[1984年]][[12月24日]] - )
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647行目:
 
* 『現代落語論』([[三一書房]]、1965年) ISBN 978-4380650079
* {{Cite book|和書 ja|title=立川談志のなまいき論|url={{国立国会図書館デジタルコレクション|12562309}}|url-access=registration|publisher=アド・サークル出版部|date=1972-10-15|id={{NDLJP|12562309}}}}{{Registration required}}
* 『あなたも落語家になれる 現代落語論其2』(三一書房、1985年) ISBN 978-4380852299
* {{Cite book|和書 ja|title=家元談志のオトコ対決十一番|url={{国立国会図書館デジタルコレクション|12438434}}|url-access=registration|publisher=ABC出版|date=1986-05-25|id={{NDLJP|12438434}}}}{{Registration required}}
* 『立川談志独り会』(全5巻、[[三一書房]])
* {{Cite book|和書 ja|title=談志楽屋噺|url={{国立国会図書館デジタルコレクション|12438438}}|url-access=registration|publisher=白夜書房|date=1987-02-15|id={{NDLJP|12438438}}}}{{Registration required}}
** 『談志楽屋噺』([[文春文庫]]、1990年) ISBN 978-4167522018
* 『世の中与太郎で、えじゃないか 常識にあきあきしてる人へ』([[青春出版社]]、1992年) ISBN 978-4413015783