削除された内容 追加された内容
所属を追加
タグ: 2017年版ソースエディター
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
(26人の利用者による、間の38版が非表示)
1行目:
{{混同別人|x1=弁護士の|久保利英明}}
{{Infobox 将棋棋士
|image = [[File:Kubo toshiaki shogi.jpg|250px|平成28年11月、[[姫路市]]で行われた[[人間将棋]]にて]]
7行目:
|プロ年度 = {{年月日|year=1993|month=4|day=1}}({{年数|1975|8|27|1993|4|1}}歳)
|出身地 = [[兵庫県]][[加古川市]]
|所属 = [[日本将棋連盟]]<br />(関東[-2006年3月]<br />関西[-2006年4月-])
|師匠 = [[淡路仁茂]]九段
|弟子 = [[榊菜吟]]、[[久保翔子]]
|段位 = 九段
|タイトル =
14 ⟶ 15行目:
|タイトル合計 = 7期
|優勝回数 = 6回
|作成日時 = 2020202281031
}}
 
22 ⟶ 23行目:
[[1986年]]の[[小学生将棋名人戦]]でベスト4進出(準決勝で優勝者の[[鈴木大介 (棋士)|鈴木大介]]に敗れる)。同年[[新進棋士奨励会|奨励会]]に入会。
 
[[1993年]]4月、17歳で四段に昇段(プロ入り)。その後、10年をかけて[[2003年]]に[[順位戦#A級|A級]]八段となる。[[1994年]]度には、全棋士中1位、歴代6位(当時)の勝率0.8095(34勝8敗)をマーク。[[1997年]]度には[[オールスター勝ち抜き戦]]で6連勝し、[[棋戦 (将棋)|棋戦]]初優勝<ref group="注釈">オールスター勝ち抜き戦は、5連勝以上で優勝扱いになる。</ref>。
 
定員7名・残留4名という棋界随一の難関・王将リーグ([[王将戦]]挑戦者決定リーグ)に、第49期(1999年度)に初参加。第49期では陥落するも、翌年第50期に即復帰。以降第59期(2009年度)まで陥落することなく連続残留している<ref group="注釈">この連続残留の間には、[[第55期王将戦]]リーグで2勝4敗の負け越しながらも残留するという[[谷川浩司]]以来の珍事も経験した。</ref>
 
関西奨励会出身であるが、プロ入り後しばらくは関東に所属していた。2006年4月に関西へ戻り、当時「[[囲碁・将棋ジャーナル]]」に出演した際、「もう関東へ行くことはない」と述べた。
30 ⟶ 31行目:
=== 羽生の壁 ===
[[2007年]]度まで4度タイトル挑戦者となったが、すべて[[羽生善治]]が相手であった。また、羽生にとって節目となる対局の相手が、奇しくも久保であるという巡り合わせもあった。
* 第26期([[2000年]]度)[[棋王戦 (将棋)|棋王戦]]で羽生に挑戦(タイトル戦初登場)するが、1-3で敗れる。同年度、第50回[[NHK杯テレビ将棋トーナメント|NHK杯戦]]では、決勝で羽生に敗れて準優勝。この年度は46勝、勝率0.7419を挙げ、[[将棋大賞]]の敢闘賞を受賞<ref group="注釈">この2000年度は、棋王挑戦・NHK杯準優勝に加えて、勝率が羽生に次ぐ2位(0.7419)、勝数は3位(46勝)であった。年度46勝は、歴代の最多勝記録と比較すれば1位になってもおかしくない勝数であるが、この年度は1位の羽生が史上初の68勝、2位の[[谷川浩司]]が51勝、最多勝争いのレベルが高すぎた。</ref>。
* 第49期([[2001年]]度)[[王座戦 (将棋)|王座戦]]で羽生に挑戦(2度目)するが、1勝3敗で退けられた。
* 第53回([[2003年]]度)NHK杯戦の決勝で羽生を破り優勝<ref group="注釈">この一局は羽生が先手で[[相振り飛車]]の将棋であった。</ref>。3年前のリベンジを果たすとともに、'''全棋士参加棋戦での初優勝'''を達成。羽生はそれまでNHK杯戦で決勝に進めば必ず優勝していたが、そのNHK杯決勝戦無敗記録を久保が6でストップさせた(この年度は、将棋大賞の殊勲賞を受賞)。
* 第55期王座戦([[2007年]]度)で6年ぶりにタイトル挑戦権を得たが、またしても相手は羽生(3度目)で、3連敗のストレート負け。
* 2007年12月20日、[[第66期順位戦]]A級6回戦で羽生に敗れたが、これが羽生にとって通算1000勝となった。
61 ⟶ 62行目:
2009年2月14日、第2回[[朝日杯将棋オープン戦]]では、決勝で[[阿久津主税]]に敗れ、2度目の全棋士参加棋戦優勝を逃す。
 
しかし、第34期[[棋王戦 (将棋)|棋王戦]]は、挑戦者決定トーナメントで羽生らを倒し、一度は[[木村一基]]に敗れるも敗者復活で勝ち上がって、[[佐藤康光]]棋王への挑戦権を得る。これは羽生以外の棋士と戦う初のタイトル戦となった。五番勝負は出だし2連勝の後に2連敗したが、最終第5局([[2009年]][[3月30日]])で勝ち、'''初タイトル・棋王'''を獲得。関西所属の棋士のタイトル在位は、2004年度(2005年)に[[谷川浩司]]が同じ棋王位を失って以来である。また、2008年度の49勝、73対局は、全棋士中1位の成績であった。これらの活躍により、将棋大賞の敢闘賞、最多勝利賞、最多対局賞、升田幸三賞を受賞<ref group="注釈">将棋大賞の記録4部門(勝率一位、最多勝利、最多対局、連勝)を全て受賞したのは、羽生善治・中原誠に次いで3人目。</ref>。
 
升田賞の対象となったのは、棋王戦の第2局で[[石田流]]の出だしから指した新手である(右図参照、11手目▲7五飛)。タイトル戦の舞台で初披露したことでも話題となった。ちなみに、この一局は開始から僅か三十数手で終盤に突入するという乱戦で、57手で久保の勝ちとなっている。
68 ⟶ 69行目:
第59期王将戦で羽生に挑戦。その七番勝負第2局と第3局の間に、[[第68期順位戦]]B級1組([[2010年]][[2月8日]]、対[[豊川孝弘]]戦)で9勝目を挙げ、最終局を待たずA級復帰を決めた。また、第3局と第4局の間の2010年[[2月13日]]には、第3回朝日杯オープン戦の準決勝と決勝を戦うが、決勝で羽生に敗れて2年連続準優勝。しかし、[[3月16日]] - [[3月17日|17日]]の王将戦第6局を制し、4勝2敗で王将を奪取。5度目の挑戦でついに羽生の壁を越えた。これで、関西所属棋士としては[[谷川浩司]](2004年度に[[王位戦 (将棋)|王位]]・棋王の二冠から王位失冠)以来5年半ぶりとなる'''二冠王'''となり、振り飛車党が二冠王となるのは[[大山康晴]]以来、37年ぶりである。
 
しかしながら、王将戦と並行して、前年と同じく佐藤康光と戦っていた棋王戦の防衛戦(第35期棋王戦五番勝負)では、王将戦終了の時点で1勝2敗の角番に追い込まれていた。第4局は王将奪取から僅か2日後の[[3月19日]]。これに負けると、1990年度の[[南芳一]]のケース<ref group="注釈">南は1990年度に[[米長邦雄]]から王将を奪取して二冠になったが、それから1週間足らずで棋王を羽生に奪取され、一冠に後退。</ref>よりもさらに短い‘2日間だけの二冠’という珍事になるところであったが、勝利してしのぐ。そして[[2010年]][[3月30日]]、[[大阪市]][[福島区]]・[[将棋会館|関西将棋会館]]において行われた棋王戦最終第5局で、終盤戦の長い190手の熱戦の末に佐藤に競り勝ち、1年後まで二冠に在位し続けることとなった。タイトル初防衛でもある。また、[[将棋の段級|昇段規定]]の「タイトル獲得3期」に該当したことにより同日付で九段に昇段した。この棋王戦第5局は、翌日行われた[[将棋大賞]]の選考で名局賞に選ばれ、また、2009年度の成績が高く評価され、優秀棋士賞も初受賞した。
 
第4回「[[大和証券杯ネット将棋・最強戦|ネット将棋・最強戦]]」の決勝([[2010年]][[8月22日]])で[[森内俊之]]を破り、タイトル戦以外では6年半ぶりの優勝。第60期(2010年度)王将戦では[[豊島将之]]を4勝2敗で、第36期(2010年度)棋王戦では[[渡辺明 (棋士)|渡辺明]]を3勝1敗で退け二冠を堅持。初タイトルから3年目にして通算タイトル獲得数を5期とした。また、2年連続で将棋大賞の優秀棋士賞を受賞した。
 
=== 失冠からJT日本シリーズ連覇 ===
2012年3月2日、[[第70期順位戦]]において、A級で2勝7敗となり、B級1組への降級が決まる。タイトル2冠の棋士が降級するのは、史上初<ref>[{{Cite web|和書|url=https://megalodon.jp/2012-0318-0957-33/www.asahi.com/culture/update/0303/TKY201203020795.html |title=久保二冠と丸山九段が降級へ 将棋A級順位戦] |accessdate=2022-03-17 |website=朝日新聞(2012年3月3日付、Web魚拓)デジタル |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120302172338/https://www.asahi.com/culture/update/0303/TKY201203020795.html |archivedate=2012-03-02 |date=2012-03-02}}</ref>。
 
3月9日には角番に追い込まれていた第61期王将戦で佐藤康光九段に敗れて1勝4敗となり、王将を佐藤に奪われた(これが初のタイトル失冠でもあった)<ref>[https{{Cite web|和書|url=http://megalodon.jp/2012-0318-0959-17/mainichi.jp/enta/shougi/news/20120310ddm001040025000c.html |title=将棋:第6161期王将戦 第5局 佐藤1010期ぶり返り咲き 41敗、久保の3連覇阻む] |accessdate=2022-03-17 |website=毎日新聞(2012年3月9日付、Web魚拓) |archivedate=2012-03-18 |archiveurl=https://megalodon.jp/2012-0318-0959-17/mainichi.jp/enta/shougi/news/20120310ddm001040025000c.html |date=2012-03-10}}</ref>。さらに、第37期棋王戦で第4局([[2012年]][[3月17日]])で[[郷田真隆]]九段に敗れ、1勝3敗で失冠し<ref>[{{Cite web|和書|url=https://megalodon.jp/2012-0318-1000-13/mainichi.jp/enta/shougi/news/20120318k0000m040050000c.html |title=将棋:棋王戦 挑戦者の郷田真隆九段が勝利 棋王位を獲得] |accessdate=2022-03-17 |website=毎日新聞(2012年3月 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120318132447/https://mainichi.jp/enta/shougi/news/20120318k0000m040050000c.html |archivedate=2012-03-18 |date=2012-03-17日付、Web魚拓)}}</ref>、無冠となる。2012年3月の1ヶ月だけで、A級からB級1組への降級、二冠から無冠への後退を経験する。
 
第33回[[JT将棋日本シリーズ|将棋日本シリーズ]]では、決勝(2012年[[11月18日]])で羽生善治三冠を破り、同大会3度目の決勝進出で初優勝を飾る。翌年の第34回[[JT将棋日本シリーズ|将棋日本シリーズ]]でも、決勝で羽生を破り、2連覇を達成した
翌年の第34回[[JT将棋日本シリーズ|将棋日本シリーズ]]でも、決勝で羽生を破り、2連覇を達成した。
 
=== A級順位戦プレーオフからB級1組への降級 ===
2013年1月10日、[[第71期順位戦]]B級1組11回戦で[[畠山鎮]]七段に勝利し8勝2敗となり2局残して、A級復帰するとともに、通算600勝となり[[将棋栄誉賞]]を達成する。[[第73期順位戦]]A級(2014年度)では、渡辺明、[[広瀬章人]]、久保利明、[[行方尚史]]が、共に6勝3敗で並びプレーオフへ進出できし、広瀬、渡辺明を連破したが、行方に敗れて名人への挑戦権を得られなかった。
[[第74期順位戦]]A級(2015年度)では、2勝7敗でA級からB級1組へ降級となった。
 
=== 将棋ソフト不正使用疑惑騒動 ===
2016年7月26日、竜王戦決勝トーナメントで三浦弘行が31分間離席したという誤った認識を元に、7月29日の関西月例報告会において、対局中に電子機器を使う不正を規制すべきと提言。12時に約30分間も離席したことから、不審に思い、会館内を探したが見つからず、指し手と将棋ソフトが示す指し手が 一致したと東常務理事に報告した。谷川会長にも報告した。10月10日、島常務理事の自宅会合で、7月26日の対局での疑惑について前記の誤った認識を元に説明した<ref>https://www.shogi.or.jp/news/investigative_report_1.pdf</ref>。
 
=== 王将位奪取とA級復帰 ===
89 ⟶ 92行目:
[[2017年]]2月16日、[[第75期順位戦]]B級1組で8勝3敗となり、13回戦を残しA級への復帰が決定した。
 
2017年度は、第25期[[銀河戦]]の決勝で、[[羽生善治]]に勝利し優勝。[[第76期順位戦]]A級では、最終局前時点で豊島将之と共に6勝3敗の成績トップであったが、最終局で久保と豊島がどちらも敗れたことにより、6勝4敗で並んだ6人(豊島将之、久保利明、佐藤康光、広瀬章人、羽生善治、[[稲葉陽]])による挑戦者決定プレーオフとなった。プレーオフでは豊島に敗れ、名人への挑戦権は得られなかった。[[第67期王将戦]]では、2018年3月15日に行われた七番勝負第6局で挑戦者の豊島将之を下し、4勝2敗で王将位を防衛した(連覇、通算4期)。
 
=== 二度目の王将失冠と順位戦降級 ===
2018年度[[第68期王将戦]]渡辺明の挑戦を受け、0勝4敗のストレート負けでタイトルを失冠した。
 
2019年度、[[第78期順位戦]]A級では最終成績2勝7敗のクラス10位(最下位)でとなり、B級1組へ降級する結果となった。
 
2020年度、第68期[[王座戦 (将棋)|王座戦]]で挑戦者決定トーナメントを勝ち抜く。決勝戦で渡辺明を破り、13年ぶり3度目となる挑戦権を獲得した。[[永瀬拓矢]]王座との五番勝負を挑むこととなった。結果2勝3敗のフルセットの末、敗れた退
 
[[竜王戦]]では、[[第29期竜王戦|第29期]]から[[第34期竜王戦|第34期]]まで6期連続で決勝トーナメントに進出した。6期連続での進出は歴代一位の記録である。しかし、一度も挑戦権獲得には至らなかった。
 
2022年度、[[第63期王位戦]]で王位リーグに進出したが、白組で2勝3敗で終わり陥落となった。[[第81期順位戦]]B級1組では最終成績4勝8敗となり、降級が決定し、来期は23年ぶりにB級2組で戦うことになった。
 
== 棋風 ==
104 ⟶ 112行目:
「捌いて(さばいて)勝つ」で、駒の軽い捌きを常に重視する[[棋風]]であり、「'''捌きのアーティスト'''」「カルサバ流」「カルサバ日本一」などの異名を持つ。[[大野源一]]の振り飛車を学んだ。
 
[[居飛車穴熊]]に対して後手居玉三間飛車から△9五歩や7三歩を早くに指す[[藤井システム]]調の指し方のほか、一連の先手[[ゴキゲン中飛車]]、新・[[石田流]]超急戦といった[[角交換振り飛車]]、また石田流本組みで[[棒金]]退治の▲7九銀型など、独特の戦術は久保システムとも称され<ref>{{Cite book|title=久保利明の最強振り飛車戦略: 角交換振り飛車の久保システム|url=https://books.google.co.jp/books/about/%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%88%A9%E6%98%8E%E3%81%AE%E6%9C%80%E5%BC%B7%E6%8C%AF%E3%82%8A%E9%A3%9B%E8%BB%8A%E6%88%A6%E7%95%A5.html?id=bIp_tQAACAAJ&source=kp_book_description&redir_esc=y|publisher=木本書店|date=2012-01|isbn=978-4-904808-03-0|language=ja|last=久保利明}}</ref>、そして[[石田流#早石田戦法|早石田]]を蘇らせた棋士の一人でもある。特に対棒金に見せる、桂馬を跳ねるタイミングを遅らせることで飛車の自由な動きを確保する戦術は久保流と呼ばれ、定跡化している。
 
また、[[今泉健司]]の考案した「[[2手目△3二飛]]」を発展させるなど、[[三間飛車]]へのこだわりが強い。第66期([[2016年]]度)王将戦の七番勝負第2局では、[[2手目3二飛|1手目7八飛戦法]]<ref group="注釈">[[2手目3二飛|1手目7八飛戦法]]は久保が2016年12月9日の第10回[[朝日杯将棋オープン戦|朝日杯]]でも採用している。また、2018年3月2日の[[第76期順位戦]]11回戦の初手でも使われた。</ref>を採用し話題となった。
 
メンタル面では、タイトルを取った頃から「楽しむ」、「将棋を通じて真剣勝負を楽しむ」をモットーとしている。以前は勝たねばならない、完璧に指さねばならないと自分を追い込んでいたが、プレッシャーを強く感じたり、負けた自分を許せなくなったと言う。「楽しむ」を実践してからは自然体で対局に臨めるようになり、変に肩に力が入りすぎることもなくなった<ref>『[[将棋世界]]』2010年5月号「昇級者喜びの声」</ref>。
 
「カルサバ流」と呼ばれる一方で形勢が不利になってからの「粘り」にも定評があり、タイトル戦での活躍の原動力となっている<ref>[{{Cite web|和書|title=久保棋王が二冠防衛 粘りで逆転 - 将棋 |url=http://www.asahi.com/shougi/topics/TKY201103240306.html] |website=朝日新聞デジタル |accessdate=2022-03-17 |date=2011-03-24}}</ref>。久保は「粘っているのは形勢が悪いからで、ほめられたものじゃない」と説明しながらも、泥臭く、強い人でも狂わされる将棋は好みであると述べている<ref>文藝春秋『Number』2020年9月11日号41頁</ref>。
 
== エピソード ==
* [[2007年|2006年]]12月6日未明、[[第65期順位戦]]A級(毎日新聞社主催)の[[郷田真隆]]九段との対局で、「1分将棋の郷田が、126手目を残り1分の時間内に指していなかったのではないか」という久保のクレームによって182手目の局面で対局が中断した。連絡を受けた[[中原誠]]副会長(当時)が「指し手をさかのぼってのアピールは無効」と裁定した。これを受けて対局が再開されたが、すぐに久保が投了。182手で郷田の勝ちとなった<ref>第65期A級順位戦・観戦記(毎日新聞)ほか</ref>。
* 2016年7月下旬・以降、自身の告発が発端となり[[将棋ソフト不正使用疑惑]]が起こる。
* 同年10月30日、渋谷の[[将棋会館]]で行われる[[第2期[[叡王戦]]本戦で[[豊島将之]]七段と対局する予定だったが、午後2時の開始時刻を午後7時と勘違いし、それに気付いた時には大阪の自宅におり、既に間に合わない状況であったため、既定の持ち時間1時間を経過した午後3時に不戦敗となった。同日午後6時半、[[ニコニコ生放送]]で放送された別の対局の中継冒頭に生出演し、経緯を説明したうえで謝罪した<ref>[http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/31/toshiaki-kubo-lose_n_12724058.html{{Cite web|和書|title=久保利明九段、異例の遅刻で不戦敗  相手の豊島将之七段に「良い人すぎる」の声【将棋】] |url=https://www.huffingtonpost.jp/2016/10/31/toshiaki-kubo-lose_n_12724058.html |website=ハフィントンポスト |date=2016-10-31 |accessdate=2022-03-17}}</ref>。また、将棋ファン向けとして12月18日に「叡王戦エキシビションマッチ」と題し、不戦敗と同一カードの久保・豊島戦がニコニコ生放送で中継され<ref>twitter@nico2shogi(2016年12月18日)</ref>、その対局では久保が勝利した。
 
== 人物 ==
* [[加古川市立氷丘南小学校]][[加古川市立氷丘中学校]]時代の同級生に[[日本放送協会|NHK]][[アナウンサー]]の[[高瀬耕造]]がいる。2017年、[[藤井聡太]]の29連勝達成の翌日に「[[NHKニュースおはよう日本]]」で共演した<ref>{{Cite web|和書|title=ついに共演! {{!}} おはよう日本出演者ブログ:NHK |url=http://www.nhk.or.jp/ohayou-blog/100/276879.html |website=おはよう日本出演者ブログ |accessdate=2020-07-15 |language=ja |archivedate=2017-08-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170812075837/http://www.nhk.or.jp/ohayou-blog/100/276879.html |date=2017-08-08}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=NHK高瀬アナと久保王将、小中同級生だった おはよう日本で共演/デイリースポーツ online|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2017/06/27/0010318519.shtml|website=デイリースポーツ online|accessdate=2020-07-15|language=ja}}</ref>。
* 高校入学と同時に奨励会三段リーグ入りをはたす。ライバルの[[矢倉規広]]と[[立石径]](奨励会途中退会)が将棋に専念するために高校を退学したため、このままではこの2人に差を付けられてしまうと退学を考えるも両親には反対され、師匠が両親に「高校を辞めさせてやってくれ」と直談判。1年次退学した<ref>{{Cite web|和書|title=藤井聡太二冠「高校中退」同じ道を選んだ先輩棋士たちの“その後” {{!}} Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]|url=https://smart-flash.jp/lifemoney/133315/|website=Smart FLASH[光文社週刊誌]スマフラ/スマートフラッシュ|date=2021-02-23|accessdate=2021-02-27|language=ja}}</ref>。
*[[左利き]]で、前述の鈴木大介と小学生名人戦で対局した際はともに振り飛車党・左利きという対局となった(先手の久保が四間飛車・後手の鈴木が三間飛車)。
* 若手時代は、五分刈りで前髪だけ上に跳ねさせる髪形にこだわりを持っていたが、その後は長髪にしたり、通常の長さにしたりしている。
* 2004年10月から半年間、NHK[[将棋講座 (NHK)|将棋講座]]『久保NHK杯の「さばきの極意」教えます』の講師を務めた。
* テレビ棋戦の[[銀河戦]](第12期)でアマチュア選手(当時)の[[瀬川晶司]]と対局して、防戦一方の展開の末に敗れた<ref group="注釈">久保はこの銀河戦での対局以降、将棋会館に長いこと顔を出さなかった。</ref>。その後、瀬川のプロ編入試験で、試験官の一人として対局した。久保は事前に「瀬川さんはプロになるべきだ」と発言し瀬川のプロ入り嘆願書にも署名したが、プロ編入試験では「A級棋士として連敗するわけにはいかない」と全力を持って瀬川と指し勝利。リベンジを果たした。早石田を用い[[美濃囲い]]から[[穴熊囲い]]へ組み替えるという、あまり例のない独特の戦術を用いた。
* 振り飛車党でありながら、好きな囲いは『[[玉頭位取り]]』と述べたことがある<ref group="注釈">「週刊将棋」2003年6月25日号 特集第7弾 「四間飛車には何が有効か」第3回 新A級の久保利明八段、鈴木大介八段に聞く「四間飛車の弱点を教えて下さい」のインタビューにて、「あんな綺麗な形、他にないでしょ。美し過ぎます」とコメントしている。</ref>。実際、奨励会に入会したころまでは居飛車党で、振り飛車には玉頭位取りを用いていたという。<ref>「NHK将棋講座」1995年9月号30ページ</ref>
* [[第66期順位戦]]A級の最終一斉対局・対[[三浦弘行]]戦(2008年3月3日)は、[[佐藤康光]]が負け、自身が勝った場合のみA級残留という状況で迎えた。対局は千日手指し直しとなった。指し直し局開始までの小休憩の間、モニター映像には、早めに着座して丁寧に盤を磨く久保の様子が映った。この姿を見た解説役の[[深浦康市]](順位戦で数々の辛酸をなめた)は、少し震えた声で「ぐっと来ますね」という言葉を漏らした。
* [[阪神タイガース]]のファンである<ref>[[JT将棋日本シリーズ]]の公式サイト(2003年、過去データ)に記載。</ref><ref group="注釈">NHKテキスト将棋講座「さばきはアートだ」に谷川浩司、井上慶太との甲子園で観戦したことエピソードなどを記述している</ref>。ファン歴は35年。(2020年現在)。<ref name=":0" />
* 2009年4月に制定された「加古川市民栄誉賞」の最初の受賞者となる。表彰は、第34期棋王就位式(2009年5月20日)にて行われ、表彰状は[[加古川市]]長の[[樽本庄一]]から手渡された<ref>[https://www.shogi.or.jp/news/2009/05/post_192.html{{Cite web|和書|title=久保利明棋王が「加古川市民栄誉賞」の初めての受賞者に] -|url=https://www.shogi.or.jp/news/2009/05/post_192.html |website=日本将棋連盟(2009年5月 |accessdate=2022-03-17 |language=ja |date=2009-05-22日付、同月27日閲覧)}}</ref><ref>[http{{Cite web|和書|url=https://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/0001910322.shtml |title=久保棋王に市民栄誉賞 加古川市] |accessdate=2022-03-17 |website=神戸新聞(2009年5月13日付、同月27日閲覧) |date=2009-05-25 |url-status=dead|url-status-date=2022-03-17}}</ref>。樽本は久保の加古川地区後援会会長でもある<ref>[{{Cite web|和書|title=「さばきのアーティスト」の訪問(平成21年4月10日) - 加古川市 |url=http://www.city.kakogawa.hyogo.jp/index.cfm/9,25756,34,147,html 「さばきのアーティスト」の訪問(平成21年4月|website=加古川市 |date=2009-04-10日)] |accessdate=2022-03-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090705095452/http://www.city.kakogawa.hyogo.jp/index.cfm/9,25756,34,147,html |archivedate=2009-07-05}}</ref>。加古川観光大使も務めている
* 2011年2月18-19日に豊島将之に勝った第60期王将戦第4局の対局場である地元・兵庫県加古川市の[[鶴林寺 (加古川市)|鶴林寺]]は、久保が小学校時代に写生大会で訪れ、友達と駆け回っていたところである<ref name="osho60shui">[http{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/06/03/kiji/K20110603000946750.html |title=久保利明王将・棋王3冠へ意欲!水谷豊からも祝電!(Sponichi Annex)](2011年6月|accessdate=2022-03-17日閲覧) |archivedate=2012-06-22 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120622002112/https://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/06/03/kiji/K20110603000946750.html |date=2011-06-03 |website=スポニチAnnex}}</ref>。
* 2011年6月に行われた第60期王将就位式では、[[俳優]]の[[水谷豊]]から届いた祝電が読み上げられ、出席者達から歓声が上がった<ref name="osho60shui"/>。
* コナミのアーケードゲーム「[[麻雀格闘倶楽部]]」と「[[天下一将棋会]]」のコラボ企画で、女流雀士2名と広瀬章人との麻雀特別対局で、「[[七対子]]の[[字一色]]」であがり、観客やファンを驚かせた(今までに「七対子の字一色」は、プロの麻雀対局であがった事例はない)。
* 関西に移籍後に再婚、妻と子供2人の4人暮らし。長女は女流棋士の[[久保翔子]]。大阪市在住。
* 2020年7月15日より個人Twitterを開始。<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/toshiaki_kubo|title=久保利明Twitter|accessdate=2020年7月15日|publisher=}}</ref>
 
== 弟子 ==
 
===女流棋士となった弟子===
{| class="wikitable"
|-
! 名前 !! 女流2級昇級日!!段位、主な活躍
|-
| [[榊菜吟]] || 2022年5月1日
|女流2級
|-
| [[久保翔子]] || 2022年10月1日
|女流1級
|-
|}
(2024年7月8日現在)
 
== 昇段履歴 ==
昇段規定は、''[[将棋の段級]]'' を参照。
* [[1986年]]{{0|00月00日}} : 6級 = [[新進棋士奨励会|奨励会]]入会
* [[1989年]]{{0|00月00日}} : 初段
* [[19931991年]][[4121{{0|00]]}} : 三段(第1211回奨励会三段リーグ第2位から三段リーグ参加 = プロ入り
* [[19951993年]]{{0}}[[4月1日|4月{{0}}1日]] : 四段([[順第12回奨励会三段リーグ第2戦]]C級1組昇級 = プロ入り
* [[19981995年]][[11{{0}}425{{0}}1]] : 五段(勝数規定=五段[[順位戦]]C級1組段後120勝
* [[1998年]][[11月25日]] : 六段(勝数規定=五段昇段後120勝)<ref>{{cite |和書 |url=https://dl.ndl.go.jp/pid/6047366/1/97 |title=近代将棋(1999年2月号) |page=193 |publisher=近代将棋社/国立国会図書館デジタルコレクション }}</ref>
* [[2001年]][[4月1日]] 七段(順位戦B級1組昇級)
* [[20032001年]]{{0}}4月{{0}}1日 : 七段(順位戦AB1組昇級)
* [[20102003年]]3{{0}}430{{0}}1: 八段(タイトル3期獲得順位戦A級昇級
* [[2010年]]{{0}}3月30日 : 九段(タイトル3期獲得)
 
== 主な成績 ==
=== 獲得タイトル ===
他の棋士との比較は、[[棋戦 (将棋)#タイトル獲得記録|タイトル獲得記録]]、[[将棋のタイトル在位者一覧]]を参照
* [[棋王戦 (将棋)|棋王]] 3期(2008年度 = 第34期 - 2010年度 = 第36期)
<!-- <span style="background-color: #ffcccc;">色付き</span>は現在在位。-->
* [[王将戦|王将]] 4期(2009年度 - 2010年度 = 第59期 - 第60期、2016年度 - 2017年度 = 第66期 - 第67期)
{| border="1" class="wikitable" style="text-align:center;"
: 登場回数15回 獲得合計7期
|- style="background-color: #ccf;"
|'''タイトル'''
|獲得年度
|登場
|'''獲得期数'''
|連覇
|永世称号(備考)
|-
|'''[[竜王戦|竜王]]'''
|-
|<!--登場年度メモ -->0
|<!--獲得-->-
|<!--連覇-->-
|
|-
|'''[[名人戦 (将棋)|名人]]'''
|-
|<!--登場年度メモ -->0
|<!--獲得-->-
|<!--連覇-->-
|
|-
|'''[[王位戦 (将棋)|王位]]'''
|-
|<!--登場年度メモ-->0
|<!--獲得-->-
|<!--連覇-->-
|
|-
|'''[[王座戦 (将棋)|王座]]'''
|-
|<!--登場年度メモ 01,07,20-->3回
|<!--獲得-->-
|<!--連覇-->-
|
|-
|'''[[棋王戦 (将棋)|棋王]]'''
|2008-2010
|<!--登場年度メモ 00,08-11-->5回
|<!--獲得-->'''3期'''
|<!--連覇-->3連覇
|
|-
|'''[[叡王戦|叡王]]'''
|-
|<!--登場年度メモ -->0
|<!--獲得-->-
|<!--連覇-->-
|
|-
|'''[[王将戦|王将]]'''
|2009-2010、2016-2017
|<!--登場年度メモ 07,09-11,16-18-->7回
|<!--獲得-->'''4期'''
|<!--連覇-->2連覇
|
|-
|'''[[棋聖戦 (将棋)|棋聖]]'''
|-
|<!--登場年度メモ -->0
|<!--獲得-->-
|<!--連覇-->-
|
|-
|colspan="6"|登場回数15回、獲得合計'''7期'''([[棋戦 (将棋)#タイトル獲得記録|歴代12位タイ]])
|-
|}
;登場タイトル戦
* 王座:3回(第49期{{=}}2001年度・55期、68期)
* 棋王:5回(第26期{{=}}2000年度・34-37期)
* 王将:7回(第57期{{=}}2007年度・59期-61期、66-68期)
:タイトル戦登場 合計15回
 
=== 一般棋戦優勝 ===
* [[NHK杯テレビ将棋トーナメント|NHK杯戦]] 1回(2003年度 = 第53回
* [[大和証券杯ネット将棋・最強戦|ネット将棋・最強戦]] 1回(2010年度 = 第4回
* [[JT将棋日本シリーズ|将棋日本シリーズ]] 2回(2012年度 = 第33回、2013年度 = 第34回
* [[オールスター勝ち抜き戦|勝ち抜き戦]]5連勝以上 1回(1997年度 = 第18回、6連勝)
* [[銀河戦]] 1回(2017年度=第25期
: 合計6回
 
=== 在籍クラス ===
竜王戦と順位戦のクラスは、''[[将棋棋士の在籍クラス]]'' を参照。
 
=== 将棋大賞 ===
173 ⟶ 267行目:
* 第44回(2016年度) 敢闘賞
 
=== その他表彰在籍クラス ===
{{main2|竜王戦と順位戦のクラス|将棋棋士の在籍クラス}}
* 2013年1月10日 [[将棋栄誉賞]](通算600勝達成)<ref>{{Cite web |date=2013年01月11日 |url=https://www.shogi.or.jp/news/2013/01/600_6.html |title= 久保九段、600勝(将棋栄誉賞)を達成!|publisher= 日本将棋連盟|accessdate=2020-04-04}}</ref>
{{将棋棋士年別在籍クラスA}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1993 |JJ=52|j=C2|#=54|WLJ=6-4 |RR=7|r=6|WLR=5-1}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1994 |JJ=53|j=C2|#=24|WLJ=10-0 |RR=8|r=5|WLR=6-1}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1995 |JJ=54|j=C1|#=20|WLJ=6-4 |RR=9|r=4|WLR=3-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1996 |JJ=55|j=C1|#=06|WLJ=6-4 |RR=10|r=4|WLR=4-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1997 |JJ=56|j=C1|#=09|WLJ=7-3 |RR=11|r=4|WLR=1-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1998 |JJ=57|j=C1|#=04|WLJ=6-4 |RR=12|r=4|WLR=5-0|w=1|RFT=0-1}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=1999 |JJ=58|j=C1|#=10|WLJ=8-2 |RR=13|r=3|WLR=2-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2000 |JJ=59|j=B2|#=20|WLJ=9-1 |RR=14|r=3|WLR=1-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2001 |JJ=60|j=B1|#=12|WLJ=8-4 |RR=15|r=3|WLR=2-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2002 |JJ=61|j=B1|#=04|WLJ=8-3 |RR=16|r=3|WLR=3-1|RFT=1-1}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2003 |JJ=62|j=A |#=09|WLJ=3-6 |RR=17|r=2|WLR=3-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2004 |JJ=63|j=A |#=08|WLJ=6-3 |RR=18|r=2|WLR=1-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2005 |JJ=64|j=A |#=03|WLJ=3-6 |RR=19|r=2|WLR=0-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2006 |JJ=65|j=A |#=07|WLJ=4-5 |RR=20|r=3|WLR=4-0|w=1|RFT=1-1}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2007 |JJ=66|j=A |#=07|WLJ=2-7 |RR=21|r=2|WLR=3-1|RFT=0-1 }}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2008 |JJ=67|j=B1|#=01|WLJ=6-6 |RR=22|r=1|WLR=3-1|RFT=1-1}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2009 |JJ=68|j=B1|#=05|WLJ=9-3 |RR=23|r=1|WLR=3-1|RFT=2-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2010 |JJ=69|j=A |#=10|WLJ=4-5 |RR=24|r=1|WLR=3-1|RFT=3-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2011 |JJ=70|j=A |#=08|WLJ=2-7 |RR=25|r=1|WLR=1-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2012 |JJ=71|j=B1|#=02|WLJ=10-2 |RR=26|r=1|WLR=0-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2013 |JJ=72|j=A |#=10|WLJ=4-5 |RR=27|r=2|WLR=3-1}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2014 |JJ=73|j=A |#=08|WLJ=6-3 |RR=28|r=1|WLR=1-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2015 |JJ=74|j=A |#=03|WLJ=2-7 |RR=29|r=1|WLR=3-1|RFT=1-1}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2016 |JJ=75|j=B1|#=02|WLJ=9-3 |RR=30|r=1|WLR=3-1|RFT=1-1}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2017 |JJ=76|j=A |#=09|WLJ=6-4 |RR=31|r=1|WLR=3-1|RFT=1-1}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2018 |JJ=77|j=A |#=05|WLJ=4-5 |RR=32|r=1|WLR=3-1|RFT=0-1}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2019 |JJ=78|j=A |#=06|WLJ=2-7 |RR=33|r=1|WLR=3-1|RFT=1-1}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2020 |JJ=79|j=B1|#=02|WLJ=6-6 |RR=34|r=1|WLR=3-1|RFT=0-1}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2021 |JJ=80|j=B1|#=06|WLJ=4-8 |RR=35|r=1|WLR=1-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2022 |JJ=81|j=B1|#=10|WLJ=4-8 |RR=36|r=1|WLR=1-2}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2023 |JJ=82|j=B2|#=01|WLJ=4-6 |RR=37|r=1|WLR=3-1|RFT=_-_}}
{{将棋棋士年別在籍クラス|Y=2024 |JJ=83|j=B2|#=17|WLJ= |RR=38|r=##|##=竜王 か 1組}}
{{将棋棋士年別在籍クラスZ|note=}}
 
=== その他表彰・記録 ===
* 1999年 - 通算200勝達成(1999年7月27日)<ref>{{cite |和書 |url=https://dl.ndl.go.jp/pid/6047374/1/86 |title=近代将棋(1999年10月号) |page=171 |publisher=近代将棋社/国立国会図書館デジタルコレクション }}</ref>
* 2013年 - 通算600勝達成(2013年1月10日、[[将棋栄誉賞]])<ref>{{Cite web|和書|date=2013年01月11日 |url=https://www.shogi.or.jp/news/2013/01/600_6.html |title= 久保九段、600勝(将棋栄誉賞)を達成!|publisher= 日本将棋連盟|accessdate=2020-04-04}}</ref>
 
=== 記録(歴代1位または唯一のもの) ===
* 史上初の現役二冠棋士のA級陥落(当時、棋王・王将) 2012年3月2日陥落。
* タイトル保持者を除く竜王戦決勝トーナメント連続出場回数(6回)※ 2016年度 - 2021年度
 
== 著書 ==
190 ⟶ 323行目:
== 出演 ==
=== 配信 ===
* プロ野球×将棋特番・プロ野球最強将棋王決定戦(2020年12月20日、ニコニコ生放送)※YouTubeでは2021年2月に2回に分けて配信<ref>{{Cite web|和書|title=中日・平田、球界の将棋王初代“球王”に就位!巨人・丸との決勝戦棋譜公開|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/12/23/kiji/20201223s000413F2259000c.html|website=スポニチアネックス|accessdate=2021年3月15日|date=2020年12月23日}}</ref> ‐ MC、解説
 
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
<div class="references-small"><references /></div>
<references group="注釈"/>
=== 出典 ===
<references />
 
== 関連項目 ==
203 ⟶ 339行目:
*[https://www.shogi.or.jp/player/pro/207.html 日本将棋連盟 プロフィール]
* {{Twitter|toshiaki_kubo}}
* {{Twitter|Team_Kubo|チーム久保}}{{リンク切れ|date=2023年10月}}([[菅井竜也]]、[[今泉健司]]との共同アカウント、更新中止)
* {{Twitter|abT_inaba|チーム稲葉}}([[稲葉陽]]、[[船江恒平]]との共同アカウント、[[日本将棋連盟]]管理)
* {{Twitter|abT5_sugai|チーム菅井}}(菅井竜也、[[佐藤和俊]]との共同アカウント、[[日本将棋連盟]]管理)
 
{{日本将棋連盟所属棋士}}
231 ⟶ 368行目:
|list1=
</span>
{{将棋大賞優秀棋士賞|2回}}
{{将棋大賞殊勲賞|1回}}
{{将棋大賞敢闘賞|2回}}
{{将棋大賞旧敢闘賞|1回}}
{{将棋大賞最多対局賞|2回}}
{{将棋大賞最多勝利賞|1回}}
{{将棋大賞勝率一位賞|1回}}
{{将棋大賞連勝賞|1回}}
{{将棋大賞名局賞特別賞|1回}}
{{升田幸三賞}}
}}