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== 絵の中の要素 ==
[[File:The Nightwatch Shield.jpg|thumb|{{ill2|レンブラントの夜警に登場するモデルの一覧|de|Biografien der Schützen auf Rembrandt van Rijns Gemälde „Die Nachtwache“|label=登場人物の名前}}が書かれた標識を画像加工したもの。]]
[[File:The Nightwatch Jan Visscher Cornelissen, possibly Rembrandt, Claes van Cruijsbergen.jpg|thumb|旗手と右横の人物の背後にいるベレー帽を被った人物はレンブラントの自画像とされる<ref>Ernst van de Wetering: Rembrandts verborgen zelfportretten. Rembrandt’s Hidden Self-portraits. In: Kroniek van het Rembrandthuis 2002, Nr. 1–2, S. 1–44, ZDB-ID 801386-X</ref>。]]
この絵画は次の三つの要素のために有名である。まずその巨大さ(縦3メートル63センチ、横4メートル37センチ)、次に光と影の効果的な使用、そして当時は不動の姿勢で描かれた軍隊や[[自警団]]の集団[[肖像画]]に動きの要素を取り入れたことである。
 
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[[1715年]]、それまで掲げられていた火縄銃手組合集会所(クローフェニールスドゥーレン、Kloveniersdoelen)のホールから、[[ダム広場]]のアムステルダム市役所に移された際、『夜警』の上下左右が切り詰められてしまった。これは市役所の部屋の二本の柱の間に絵がきちんと納まるようにはみ出す部分を切り落としたという説が有力である。このため、左側に描かれていた二人の人物、同じく左下にあった階段のふちと手すり、人物の上にあるアーチの頂上部分が失われた。特に手すりと階段は、群像に手前方向の動きを作り出すためにレンブラントが用いた視覚的なカギであった。
 
17世紀に描かれた[[ヘリット・ルンデンス]](Gerrit Lundens)による模写が[[ロンドン]]の[[ナショナル・ギャラリー (ロンドン)|ナショナル・ギャラリー]]にあるが<ref>http://www.nationalgallery.org.uk/cgi-bin/WebObjects.dll/CollectionPublisher.woa/wa/work?workNumber=ng289</ref>、これから元の状態を推測することができる。
 
[[2019年]]から[[アムステルダム国立美術館]]によって欠損部分の復元が行われ、[[2021年]]には[[人工知能]]を用いて失われた部分が再現された上で公開された<ref>{{Cite web|和書|title=レンブラントの《夜警》、300年ぶりに本来の姿に。AIで欠損部分を復元|url=https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/24226|website=[[美術手帖]]|accessdate=2021-06-26|language=ja}}</ref>。
 
== 発注 ==
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== 展示・保管場所の移動 ==
[[Fileファイル:RijksmuseumAmsterdam (23599993902).jpg|thumbサムネイル|300px|right300x300ピクセル|国立美術館の『夜警』の展示室]]
当初は火縄銃手組合大ホールにあった『夜警』は、[[1715年]]にアムステルダム市役所に移された。[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]によるオランダ占領により市役所はホラント王[[ルイ・ボナパルト]]の王宮となった。行政官たちはこの絵を貴族トリップ家の邸宅トリッペンハイス(''Trippenhuis'')に移したがナポレオンの命により王宮に戻された。しかしナポレオン戦争終結後、絵は[[アムステルダム国立美術館|国立美術館]]となったトリッペンハイスにまた戻された。
 
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== 観客による損傷 ==
『夜警』はこれまでに三度観客に傷つけられた。一度目は[[1911年]][[1月13日]]、船から解雇されたコックが、自分が無名なのにこの絵が有名であることに腹を立てナイフで傷つけた。当時、絵は分厚いニスで覆われており、刃先はキャンバスを切り裂くことができなかった。[[1975年]][[9月14日]]、精神的に不安定だった元教師がナイフで絵に襲いかかり、ジグザグ状の切り裂き傷を作ってしまった。絵は大規模な補修により元通りに直されたが、今でも前に立ってよく見ると当時の傷が残っているのがわかる。[[1990年]]4月には精神を病んだ観客にスプレー状の酸を吹きかけられる事件が起きたが、警備員が素早く水で洗い流したことで酸は絵画表面のニスを溶かしたにとどまり、絵は元通りに修復された<ref>{{Cite book|和書 |author = [[宮下規久朗]]|authorlink=宮下規久朗 |year = 2013 |title = 欲望の美術史 |publisher = [[光文社]] |page = 172 |isbn = 978-4-334-03745-1}}</ref>。
 
== 脚注 ==