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| 選手名 = 岡田 俊哉
| 所属球団 = 中日ドラゴンズ
| 背番号 = 21210
| 選手写真ファイル名 = 20130421 Toshiya Okada, pitcher of the Chunichi Dragons, at Yokohama Stadium.JPG
| 写真サイズ = 290
| 写真のコメント = 支配下選手時代<br = />2013年4月21日 [[横浜スタジアム]]にて
| 国籍 = {{JPN}}
| 出身地 = [[和歌山県]][[日高郡 (和歌山県)|日高郡]][[美浜町 (和歌山県)|美浜町]]
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| 初出場 = 2013年3月30日
| 最終出場 =
| 年俸 = 24001000万円(2022(2024年)<ref>[{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/professional/koukai/team/koukai-dragons.html |title=中日 - 契約更改 - プロ野球]. |website=日刊スポーツ. 2021年11月15日閲覧。|date= |accessdate=2024-04-01}}</ref>
| 経歴 =
* [[智辯学園和歌山小学校・中学校・高等学校|智辯学園和歌山高等学校]]
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| WBC = [[2017 ワールド・ベースボール・クラシック|2017年]]
}}
'''岡田 俊哉'''(おかだ としや、[[1991年]][[12月5日]] - )は、[[和歌山県]][[日高郡 (和歌山県)|日高郡]][[美浜町 (和歌山県)|美浜町]]出身の[[プロ野球選手]]([[投手]]、[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手]])。左投左打。[[中日ドラゴンズ]]所属。
{{MedalTableTop}}
{{MedalCountry|{{JPN}}}}
{{MedalCompetition|[[ワールド・ベースボール・クラシック]]}}
{{MedalBronze|[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック|2017]]|野球}}
{{MedalBottom}}
'''岡田 俊哉'''(おかだ としや、[[1991年]][[12月5日]] - )は、[[和歌山県]][[日高郡 (和歌山県)|日高郡]][[美浜町 (和歌山県)|美浜町]]出身の[[プロ野球選手]]([[投手]])。左投左打。[[中日ドラゴンズ]]所属。
 
== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
1991年に[[和歌山県]][[日高郡 (和歌山県)|日高郡]][[美浜町 (和歌山県)|美浜町]]で生まれる。小学2年から松原少年野球クラブで外野手として野球を始める<ref>{{Cite web ja |title=裏方さんへの感謝。ドラゴンズ岡田俊哉が語る「偶然」と「必然」 |url=https://hicbc.com/sports/dragons/article/?id=eae15877 |website=CBC |date=2020-04-08 |access-date=2023-01-11}}</ref>。松洋中学時代は日高マリナーズ(和歌山日高ボーイズ)に所属し、2年から本格的に投手としてプレーする。3年春にはボーイズ関西選抜に選ばれ、[[筒香嘉智]]らとともに世界大会に出場した<ref>{{Cite web ja |title=筒香嘉智の同期、あいつ今何してる? 11人の「2009年ドラフト1位」その後【2021人気記事】 |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/mlb/2021/12/24/_1120092021/index_4.php |website=Sportiva |date=2021-12-24 |access-date=2023-01-11}}</ref>
 
高校は[[智辯学園和歌山小学校・中学校・高等学校|智弁和歌山高等学校]]に進学。1年春からベンチ入りすると、夏には県大会準決勝・決勝、甲子園に出場し、1年生で唯一のベンチ入りを果たした<ref>{{Cite web ja |title=岡田 俊哉 侍ジャパン選手プロフィール |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/profile/201609008.html |website=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date= |access-date=2023-01-11}}</ref>。初戦の対[[仙台育英学園高等学校|仙台育英高校]]戦で先発し、[[佐藤由規]]と投げ合うも、3回1/3を投げて3安打、3奪三振、2四死球、2失点で敗戦した。その後も2年春・夏と三季連続で甲子園に出場。背番号10ながらも[[エース (野球)|エース]]として活躍し、連続8強入りを果たした。2年夏の甲子園では、3回戦まで自責点0、4試合を投げて防御率1.40と好投し、チームのベスト8入りに貢献した。
 
3年夏は予選で32回1/3を無失点、44奪三振という内容で甲子園に出場したが、甲子園では体調不良により本来の投球が出来なかった。しかし、初戦を完封で飾るなど、不調に苦しみながらも甲子園では3試合37奪三振と存在感を見せ付け、その後の全日本選抜チームに選ばれた。日米親善高校野球派遣前に練習試合で大学生相手に3回無安打7三振無失点で好投し、全日本選抜のエースに選ばれた。智弁和歌山高校時代は異例の「絶対的エース」としてマウンドを守った。監督の[[高嶋仁]]が例年複数投手制を採用するなか、岡田のみは絶対的エースとして君臨した。そのためか、メディアから下級生時には「高嶋監督の秘蔵っ子」、最後の夏は「夏の申し子」と呼ばれた。スカウトも「[[岩瀬仁紀]]2世」と絶賛していた。高校の1学年先輩に[[坂口真規]]、1学年後輩に[[西川遥輝]]がいる。
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=== 中日時代 ===
'''{{by|2012年}}'''までは一軍登板がなかった。同年5月12日には結婚発表され<ref name="#1nikkansports20120523">[http{{Cite web ja |title=【中日】3年目岡田が保育士と結婚 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120523-955716.html 【中日】3年目岡田が保育士と結婚] |website=日刊スポーツ |date=2012年5月-05-23日閲覧 |access-date=2023-07-01}}</ref>オフには川上憲伸の中日復帰に伴い、背番号を同年に[[ボルチモア・オリオールズ]]に移籍した[[陳偉殷|チェン]]が着用していた'''21'''に変更した。
 
'''{{by|2013年}}'''は、開幕2戦目となる3月30日の対[[横浜DeNAベイスターズ]]戦([[ナゴヤドーム]])で一軍初登板を果たし、2回を1安打2奪三振の無失点に抑えた<ref>{{citeCite web ja news|url=https://web.archive.org/web/20130403013638/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201303/CK2013033102000091.html |title=岡田、速球でグイグイ!2イニング無失点デビュー |newspaperwebsite=CHUNICHI web |publisher=中日スポーツ |date=2013-03-31 |accessdate=2013-05-10}}</ref>。4月3日の対[[阪神タイガース]]戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])では先発した[[中田賢一]]の乱調により、5回にリリーフ登板して1回を三者凡退に抑えた。チームはその後逆転したため勝利投手となり、プロ入り初勝利となった<ref>{{citeCite web ja news|url=httphttps://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/04/04/kiji/K20130404005543140.html |title=中日 岡田 4年目初勝利「“行け”と言われるところで喜んで投げるだけ」 |newspaperwebsite=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン |date=2013-04-04 |accessdate=2013-04-12}}</ref>。その後も安定した投球を続け、飛躍の一年となった。
 
'''{{by|2014年}}'''は、先発投手陣が手薄だったことからキャンプより先発の調整に取り組む。[[オープン戦#日本プロ野球のオープン戦|オープン戦]]で結果を出し、開幕[[先発ローテーション|ローテーション]]入りを果たした。炎上、好投を繰り返すが、不安定なまま防御率が悪化し、先発ローテーションから外れた。その後、ファームでリリーフとしての調整を経て、一軍復帰。一軍復帰後は安定した投球を見せ、リリーフのままシーズンを終えた。
 
'''{{by|2015年}}'''は、開幕を二軍で迎えたが、ほどなくして一軍に昇格する。序盤は登板間隔が非常に空き調整が難しかったが、好投を続けた。[[セ・パ交流戦|交流戦]]以降は登板回数が増えたが、ビハインド時の登板が主であった。交代後の投手が打たれ岡田に自責点が付くことがあったが、シーズンを通して好投続け、50試合登板で防御率は1点台でシーズンを終えた。
 
'''{{by|2016年}}'''は、開幕当初に打ち込まれ、二軍で調整を強いられるも、一軍復帰後は僅差のビハインドでの登板という役割が与えられた。5月、6月と徐々に調子を上げていくと、6月は月間防御率1.08を記録し、その後は勝ちパターンのリリーフになる。オフの10月24日に出場登録を抹消された[[菅野智之]]の代替選手として「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の[[野球日本代表|日本代表]]に選出された<ref>{{Cite web ja |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20161024_1.html |title=侍ジャパン強化試合 日本代表選手背番号および追加出場選手のお知らせ |website=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2016-10-24 |accessdate=2024-04-01}}</ref>。日本vsオランダ戦に無死一・二塁で登板。一死一・二塁で、自らの暴投で二・三塁のピンチを招くも無失点で切り抜け、勝利投手となった。
<ref>[http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20161024_1.html 侍ジャパン強化試合 日本代表選手背番号および追加出場選手のお知らせ] ''野球日本代表 侍ジャパン オフィシャルサイト'' (2016年10月24日)</ref>。日本vsオランダ戦に無死1、2塁で登板。1死1,2塁で、自らの暴投で2、3塁のピンチを招くも無失点で切り抜け、勝利投手となった。
 
'''{{by|2017年}}'''は、1月24日に「[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック]]」の日本代表に選出されたことが発表された。シーズンは当初から不調で、6月に左手の[[血行障害]]の手解消を目的として「血管外膜剥離に踏み切り」を受け1年間治療に専念した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201711180000243.html |title=中日岡田900万減も前向き 血行障害克服するぞ |website=日刊スポーツ |date=2017-11-18 |accessdate=2024-04-01}}</ref>
 
'''{{by|2018年}}'''は、血行障害から復帰し、防御率は5.06だったものの、中継ぎとして27試合に登板した。
 
'''{{by|2019年}}'''は、抑えを務める[[ライデル・マルティネス]]が国際大会出場に伴い長期離脱を余儀なくされたため、マルティネスの復帰まで抑えを担うこととなった。7月23日の対[[広島東洋カープ]]戦([[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]])では2点差の9回に[[サビエル・バティスタ]]から同点本塁打を浴び打たれ、同30日の対阪神戦([[阪神甲子園球場]])では入団して間もない[[ヤンハービス・ソラーテ]]にサヨナラ本塁打浴び打たれるなどしたが、終わってみれば13セーブをげ、守護神として一定の活躍をした。
 
'''{{by|2020年}}'''は、開幕から抑えを務めるも、7月9日の[[東京ヤクルトスワローズ]]戦では4点を失い逆転を許した<ref>{{Cite web ja |title=【中日】守護神・岡田俊哉が9回に一挙4失点で逆転負け|テレビ東京スポーツ:テレビ東京 |url=https://www.tv-tokyo.co.jp/sports/articles/2020/07/012312.html |website=テレビ東京 |date=2020-07-10 |access-date=2022-05-19 |language=ja}}</ref>など投球に精彩を欠き、僅か3セーブで抑えの座を剥奪された<ref>{{Cite web ja |title=【中日】昨季はクローザー剥奪…岡田俊哉が巻き返しへ”3人斬り”発進「気持ちを入れて上がった」:中日スポーツ・東京中日スポーツ |url=https://www.chunichi.co.jp/article/203225 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ |date=2021-02-16 |access-date=2022-05-19 |language=ja}}</ref>。防御率は前年より悪化し4.88だったものの、奪三振率は10.13と高い水準だった。
 
'''{{by|2021年}}'''は、19試合の登板で0勝1敗、防御率4.86の成績だった。オフの11月14日に750万円減の推定年俸2400万円で契約更改<ref>{{Cite web ja |url=https://www.chunichi.co.jp/article/365807 |title=【中日】岡田俊哉は20%以上ダウン、750万円減の2400万円でサイン「2年間ふがいない成績…来年やるしかない」 |access-date=2022-05-04 |publisher=中日新聞社 |date=2021-11-14 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211114102533/https://www.chunichi.co.jp/article/365807 |archive-date=2021-11-14}}</ref>。
 
'''{{by|2022年}}'''、5月4日の[[横浜DeNAベイスターズ|DeNA]]戦([[横浜スタジアム]])で8年ぶりに先発登板したが、5回3失点で敗戦投手となった<ref>{{Cite web ja |url=https://www.chunichi.co.jp/article/464614 |title=【中日】投打に精彩を欠き連勝は『3』でストップ 8年ぶり先発の岡田は粘投も5イニング3失点 |access-date=2022-05-04 |publisher=中日新聞社 |date=2022-05-04 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220504141203/https://www.chunichi.co.jp/article/464614 |archive-date=2022-05-04}}</ref>。一軍では2試合に先発して2敗に終わり、シーズン終了後に500万円減となる推定年俸1900万円で契約を更改し、[[サイドスロー]]へ転向することを明かした<ref>{{Cite web ja |title=【中日】サイド転向の岡田俊哉は1900万円で更改「このままで終わらないように」 |url=https://www.chunichi.co.jp/article/583419 |publisher=中日新聞社 |date=2022-11-16 |access-date=2023-01-11}}</ref>。
 
'''{{by|2023年}}'''、本格的にサイドスローへ転向し、春季キャンプの練習試合では3試合を無失点に抑えるなど順調に調整を進めていたが、2月22日の[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]との練習試合において6回に3番手で登板し一死を奪った後の[[エスタミー・ウレーニャ]]と相対した場面で、初球を投じた際に踏み出した右足が掘れたマウンドにとられる形となり転倒。自力で動けずにグラウンドに入った救急車に乗せられる形で降板した<ref>{{Cite web ja |title=【中日】岡田俊哉が投球中に転倒し救急搬送…右脚のすね部分抑えたまま動けず、マウンドに救急車 |url=https://www.chunichi.co.jp/article/640807 |publisher=中日スポーツ |date=2023-02-22 |access-date=2023-02-22}}</ref>。搬送された病院で[[股関節の骨折|右大腿骨骨折]]と診断され、戦線離脱を余儀なくされた<ref>{{Cite web ja |title=【中日】負傷降板の岡田俊哉は「右大腿骨骨折」球団発表 |url=https://www.chunichi.co.jp/article/640881 |publisher=中日スポーツ |date=2023-02-22 |access-date=2023-02-22}}</ref>。リハビリ組でシーズンを終え、10月31日、球団から[[戦力外通告]]を受けた上で翌年は[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手]]として再契約をすることが発表された<ref>{{Cite web ja |title=中日が岡田俊哉、近藤廉、福元悠真、星野真生の4選手に戦力外通告 それぞれ育成契約へ |website=中日スポーツ |date=2023-10-31 |url=https://www.chunichi.co.jp/article/799562 |accessdate=2023-10-31}}</ref>。背番号は'''210'''<ref>{{Cite web ja |title=中日が新加入選手などの背番号を発表…中田翔は『6』中島宏之は『9』、現存選手は岡林勇希が『1』細川成也が『55』に |url=https://www.chunichi.co.jp/article/821870 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ |date=2023-12-14 |accessdate=2023-12-18}}</ref>。推定年俸は900万円減となる1000万円となった<ref>{{Cite web ja |url=https://www.chunichi.co.jp/article/808327 |title=中日・岡田俊哉は900万減、1000万円サイン 大ケガに泣いた今季…球団から「21番は空けておく」育成から再出発 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ |date=2023-11-17 |accessdate=2024-04-01}}</ref>。
 
'''{{by|2024年}}'''、4月20日の[[オリックス・バファローズ (ファーム)|オリックス]]との二軍公式戦で実戦復帰登板を果たした<ref>{{Cite news|和書|title=【中日2軍】岡田俊哉の1年ぶり復帰登板は5球で3者凡退 ビシエドらと抱擁交わす 試合前には涌井からエール|newspaper=日テレNEWS NNN|date=2024-04-21|url=https://news.ntv.co.jp/category/sports/5973e801330c47dab2b18edf527bc107|accessdate=2024-07-10}}</ref>。5月24日の[[広島東洋カープ (ファーム)|広島]]との二軍公式戦で左肘に違和感を覚えて緊急降板し、再度離脱するも<ref>{{Cite news|和書|title=中日育成・岡田俊哉、ブルペンで投げ込み「感覚は問題ない」支配下復帰へ残り1カ月全力アピール|newspaper=中日スポーツ|date=2024-06-18|url=https://www.chunichi.co.jp/article/915071|accessdate=2024-07-10}}</ref>、6月25日に実戦復帰した。
 
== 選手としての特徴 ==
平均球速約140km/h<ref>{{Cite book |和書|author= |year=2014 |title=2014 プロ野球オール写真選手名鑑 |publisher=日本スポーツ企画出版社 |pages=156 |id=ISBN 978-4-905411-17-8}}</ref>、最速149km/h<ref>2019年9月11日対広島22回戦にてマーク</ref>の[[速球|ストレート]]と微妙に曲がる[[シュート (球種)|シュート]]([[速球|ツーシーム]])・[[スライダー (球種)|スライダー]]を駆使する<ref>{{Cite web ja |url=https://web.archive.org/web/20170222095235/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201702/CK2017022202000116.html |title=岡田、WBCで使える!鋭角シュート |publisher=中日スポーツ |date=2017-02-22 |accessdate=2017-03-15}}</ref>。
 
== 人物 ==
20歳の時点で、既に結婚しており<ref name="#1"/>{{R|nikkansports20120523}}、2012年10月29日に第1子となる長女が誕生している<ref>[http{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121104-1042266.html |title=中日岡田が20歳でパパ! 妹は6歳で叔母] |website=日刊スポーツ |date=2012-11月4日閲覧-04 |accessdate=2024-04-01}}</ref>。
 
男性5人組[[コーラス・グループ]]、[[LUVandSOUL|LUV]]の楽曲「10年先の僕へ」の[[ミュージック・ビデオ]]に出演している<ref>[{{Cite web ja |url=https://web.archive.org/web/20131220110928/http://dragons.jp/news/campaign/2013/13121601.html |title=LUV「10年先の僕へ」のMusic Videoに岡田俊哉選手が出演!] |website=中日ドラゴンズ 公式ウェブサイト |date=2013-12-16 |accessdate=2013-12-20}}</ref>。
 
入団時に「10年後の日本代表入り」を目標として語ったが、2016年11月の侍ジャパン強化試合及び2017年3月の[[ワールド・ベースボール・クラシック|WBC]]の日本代表に選ばれたことで、10年と待たずして目標を達成した。
 
夫婦揃ってAAAの大ファン。
 
== 詳細情報 ==
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|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2013}}
|rowspan="910" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[中日ドラゴンズ|中日]]
|66||3||0||0||0||7||5||2||15||.583||362||87.0||67||6||37||0||2||67||4||0||27||27||2.79||1.20
|-
100 ⟶ 96行目:
|9||0||0||0||0||0||2||0||2||.000||31||7.0||9||1||1||0||0||4||0||0||5||4||5.14||1.43
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2018}}
|27||0||0||0||0||1||0||0||6||1.000||99||21.1||24||2||13||0||0||19||1||0||13||12||5.06||1.73
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2019}}
|53||0||0||0||0||3||2||13||7||.600||207||50.1||44||8||14||1||1||53||0||0||20||20||3.58||1.15
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2020}}
|29||0||0||0||0||2||2||3||3||.500||112||24.0||28||3||14||2||0||27||2||0||20||13||4.88||1.75
|-
112 ⟶ 108行目:
|19||0||0||0||0||0||1||0||0||.000||74||16.2||23||1||6||0||0||10||0||0||9||9||4.86||1.74
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2022}}
!colspan="2"|通算:9年
|3482||102||0||0||0||190||212||190||620||.475000||169029||4016.0||3629||311||1494||40||90||3525||100||0||1716||1536||39.4300||12.2717
|-
!colspan="2"|通算:9:10
|350||12||0||0||0||19||23||19||62||.452||1719||407.0||371||32||153||4||9||357||10||0||177||159||3.52||1.29
|}
* 20212023年度シーズン終了時
 
=== WBCでの投手成績 ===
{| <onlyinclude>class="wikitable" style="text-align:right; font-size:small"
|-style="line-height:1.25em"
![[年度|年<br /><br />度]]!!style="width:6%"|[[ワールド・ベースボール・クラシック|代<br /><br />表]]!![[登板|登<br /><br />板]]!![[先発投手|先<br /><br />発]]!![[勝利投手|勝<br /><br />利]]!![[敗戦投手|敗<br /><br />戦]]!![[セーブ|セ<br />|<br />ブ]]!![[打者|打<br /><br />者]]!![[投球回|投<br />球<br />回]]!![[安打|被<br />安<br />打]]!![[本塁打|被<br />本<br />塁<br />打]]!![[四球|与<br />四<br />球]]!![[故意四球|敬<br /><br />遠]]!![[死球|与<br />死<br />球]]!![[三振|奪<br />三<br />振]]!![[暴投|暴<br /><br />投]]!![[ボーク|ボ<br />|<br />ク]]!![[失点|失<br /><br />点]]!![[自責点|自<br />責<br />点]]!![[防御率|防<br />御<br />率]]</onlyinclude>
|-
|style="text-align: center;"|[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック|2017]]
|style="text-align: center; white-space:nowrap;"|[[野球日本代表|日本]]
|2||0||0||0||0||3||1.0||0||0||1||0||0||1||1||0||0||0||0.00
|}
 
=== 年度別守備成績 ===
{| class="wikitable" style="text-align: right; font-size: small; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
!rowspan="2"|年<br />度!!rowspan="2"|球<br />団!!colspan="6"|[[投手]]
|-style="line-height:1.25em;"
134 ⟶ 133行目:
|-
|style="text-align:center;"|2013
|rowspan="910" style="text-align: center; white-space:nowrap;"|中日
|66||2||26||1||0||.966
|-
160 ⟶ 159行目:
|style="text-align:center;"|2021
|19||1||3||0||1||1.000
|-
|style="text-align:center;"|2022
|2||0||1||0||0||1.000
|-
!colspan="2"|通算
|348350||20||7677||4||7||.960
|}
* 20212023年度シーズン終了時
 
=== 記録 ===
178 ⟶ 180行目:
=== 背番号 ===
* '''11'''(2010年 - 2011年)
* '''21'''(2012年 - 2023年
** '''34'''([[2017 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|2017 WBC]])
* '''210'''(2024年 - )
 
=== 登場曲 ===
191 ⟶ 194行目:
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2}}
 
200 ⟶ 204行目:
{{NPB|11515131}}
{{BASEBALLstats|brjpn=okada-000tos|cube=Toshiya-Okada|mlb=673525}}
* [https://dragons.jp/teamdata/players/player.php?num=210 選手名鑑] - 中日ドラゴンズ公式サイト
* [https://sp.baseball.findfriends.jp/player/19910058/ 選手情報] - 週刊ベースボールONLINE
 
{{中日ドラゴンズの選手・スタッフ}}
{{Navboxes|title={{Flagicon|JPN}} 野球日本代表
|titlestyle=background-color:#006;color:#fff;
211 ⟶ 217行目:
 
{{Baseball-biography-stub}}
 
{{デフォルトソート:おかた としや}}
[[Category:日本の野球選手]]
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[[Category:2017 ワールド・ベースボール・クラシック選手]]
[[Category:中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:中日ドラゴンズの育成選手]]
[[Category:和歌山県出身の人物]]
[[Category:1991年生]]