「ジャズ・シンガー」の版間の差分

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{{Otheruses|1927年の映画|その他|ジャズ・シンガー (曖昧さ回避)}}
{{出典の明記|date=2016年11月3日 (木) 09:00 (UTC)}}
{{Infobox Film
| 作品名 = ジャズ・シンガー
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| 撮影 = ハル・モーア
| 編集 = ハロルド・マッコード
| 配給 = [[ワーナー・ブラザー]]
| 公開 = {{Flagicon|USAUSA1912}} [[1927年]][[10月6日]]<br />{{Flagicon|JPN}} [[1930年]][[8月21日]]
| 上映時間 = 88分
| 製作国 = {{USAUSA1912}}
| 言語 = [[英語]]
| 製作費 = $422,000
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| 次作 =
}}
[[File:Jolson black.jpg|thumb|right|[[ブラックフェイス]]で歌う[[アル・ジョルソン]]。宣伝用写真から。]]
『'''ジャズ・シンガー'''』(''The Jazz Singer'')は、[[1927年]][[10月6日]]に[[アメリカ合衆国]]の[[ワーナー・ブラザー]]が公開し、[[ヴァイタフォン]]方式による音声付きの[[映画]]。やや不正確な表現であるが、しばしば長編映画として「世界初」の[[トーキー]]として言及されることがある。(本作がトーキー映画であると同時に、世界初の[[ミュージカル映画]]である事にも注目。)
 
「Wait a minute, wait a minute. You ain't heard nothin' yet! (「待ってくれ、お楽しみはこれからだ!」 直訳では「―君はまだ何も聴いてないんだぜ」)」というセリフが有名である<ref>これをタイトルにして[[和田誠]]は映画の名リフを集めた『お楽しみはこれからだ Part 1-7』[[文藝春秋]]など を出版している。</ref>。2005年6月に発表された「[[アメリカ映画の名セリフベスト100]]」ではこのセリフが第71位にランクインしている。映画全編を通してのトーキーではなく、部分的なトーキー(パートトーキー)だったが、驚異的な興行収入を記録し、トーキーの時代の幕開きとなった。[[第1回アカデミー賞]]で[[アカデミー脚色賞|脚色賞]]部門でノミネートされた。
 
[[1953年]]と[[1980年]]にリメイクされている。
 
== ストーリー ==
[[ユダヤ人]]の少年ジョンェイキー・ラーヴィノヴィッツは、ある酒場で俗的な歌を歌っていたのを[[ユダヤ教]][[ハッザーン|司祭長]]で厳格な父に見つかり勘当されてしまう。数年後。ジャック・ロビンと[[アメリカ人]]の名前を名乗ったラーヴィノヴィッツは長年の夢であった[[ジャズ]]シンガーになり人気を博していた。舞台女優メアリーと恋仲になったラーヴィノヴィッツは彼女の手助けを得て大舞台で歌うことになったが、その前日、母が訪ねて来る。ラーヴィノヴィッツが歌う日はちょうどユダヤ人にとって聖なる日([[ヨム・キプル]])であり、ユダヤ人たちが父の営する教会に集まり讃美歌を歌う日であった。ところが父が病気で倒れてしまったのだった。母がラーヴィノヴィッツを訪ねて来たのは彼に、父の代わりに讃美歌([[:en:Kol Nidre|enコル・ニドレイ]])を歌ってもらうよう頼むためだった。メアリーは「ラーヴィノヴィッツはもう立派なジャズ歌手であり自立した大人。そんな彼に親の都合を勝手に押し付け、大舞台をフイにして良いのか」と抗議する。しかし彼は敢えて教会で讃美歌を歌うことを選ぶ。メアリーの「ジャズシンガーが賛美歌を歌っている」という嘆きの声を傍らに、ラーヴィノヴィッツは立派に父の代役を果たす。病床の父は、そんな息子の歌声を聴きながら息を引き取る。数か月後。改めて大舞台で歌うことになったラーヴィノヴィッツは顔に墨を塗り、[[黒人]]に扮しながらメアリー、母の前で「[[マイ・マミー]]」を熱唱する。母はそんな息子の姿を、涙を流しながら見守る
 
[[ユダヤ人]]の少年ジョン・ラーヴィノヴィッツは或る酒場で俗的な歌を歌っていたのを[[ユダヤ教]][[ハッザーン|司祭長]]で厳格な父に見つかり勘当されてしまう。数年後。ジャック・ロビンと言う[[アメリカ人]]の名前を名乗ったラーヴィノヴィッツは長年の夢であった[[ジャズ]]シンガーになり人気を博していた。舞台女優メアリーと恋仲になったラーヴィノヴィッツは彼女の手助けで大舞台で歌う事になったが、その前日、母が訪ねて来る。ラーヴィノヴィッツが歌う日はちょうどユダヤ人にとって聖なる日([[ヨム・キプル]])であり、ユダヤ人達が父の経営する教会に集まり讃美歌を歌う日であった。ところが父が病気で倒れてしまったのだった。母がラーヴィノヴィッツを訪ねて来たのは彼に、父の代わりに讃美歌([[:en:Kol Nidre|en]])を歌ってもらう様頼む為だった。メアリーは「ラーヴィノヴィッツはもう立派なジャズ歌手であり自立した大人。そんな彼に親の都合を勝手に押し付け、大舞台をフイにして良いのか」と抗議する。しかし彼は敢えて教会で讃美歌を歌う事を選ぶ。
 
メアリーの「ジャズシンガーが賛美歌を歌っている」と言う嘆きの声を傍らに、ラーヴィノヴィッツは立派に父の代役を果たすのだった。病床の父はそんな息子の歌声を聴きながら息を引き取るのだった。数か月後。改めて大舞台で歌う事になったラーヴィノヴィッツは顔に墨を塗り、[[黒人]]に扮しながらメアリー、母の前で「[[マイ・マミー]]」を熱唱する。母はそんな息子の姿を、涙を流しながら見守るのだった。
 
== キャスト ==
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* [[メイ・マカヴォイ]]
* [[ワーナー・オーランド]]
* [[オットー・レデラー]]
 
== おもな劇中歌 ==
* [[ブルー・スカイ (アーヴィング・バーリン1926年の曲)|ブルー・スカイ]]
* [[マイ・マミー]]
 
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* [[農園シーンでの歌]] - この映画以前にジョルスンが出演したヴァイタフォン方式の短編映画
* [[ドン・ファン (1926年の映画)]] - ヴァイタフォン方式による最初の長編映画、ただし、音は音楽のみで台詞は録音されなかった
* [[ジャズ・シンガー (1952年の映画)]] - この映画のリメイク作品
* [[ジャズ・シンガー (1980年の映画)]] - この映画のリメイク作品
* [[ヨッセル・ローゼンブラット]] - この映画の主人公の父親の歌唱シーンを吹き替えたカンター([[ハッザーン]])
* [[ミンストレル・ショー]]
 
== 外部リンク ==
{{commons|Category:The_Jazz_Singer_(1927)}}
* {{Movielink|allcinemaAllcinema title|10290|ジャズ・シンガー}}
* {{Movielink|kinejunKinejun title|4341|ジャズ・シンガー}}
* {{Movielink|allmovieAmg movie|25963|The Jazz Singer}}
* {{Movielink|imdbIMDb title|0018037|The Jazz Singer}}
 
{{ジャズ}}
{{Movie-stub}}
{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORT:しやすしんかあ}}
[[Category:1927年の映画]]
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[[Category:ニューヨーク市を舞台とした映画作品]]
[[Category:舞台劇の映画化作品]]
[[Category:音楽家を主人公とした映画作品]]
[[Category:ワーナー・ブラザースの作品]]
[[Category:アメリカ国立フィルム登録簿に登録された作品]]
[[Category:ユダヤ教・ユダヤ人を題材とした作品]]