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[[ファイル:Wandering_jewWandering jew - Gustave Doré.jpg|サムネイル|[[ギュスターヴ・ドレ]]「さまよえるユダヤ人」]]
'''さまよえるユダヤ人'''''([[英語]]:Wandering Jew)''、または'''永遠のユダヤ人'''''([[ドイツ語|独語]]:Ewiger Jude)''は、13世紀にヨーロッパで[[伝説]]が広まり始めた神話上の[[不老不死|不死]]の男である<ref>as described in the first chapter of ''Curious Myths of the Middle Ages'' where [[セイバイン・ベアリング=グールド|Sabine Baring-Gould]] attributed the earliest extant mention of the myth of the Wandering Jew to [[:en:Matthew Paris|Matthew Paris]]. The chapter began with a reference to [[ギュスターヴ・ドレ|Gustave Doré]]'s series of twelve illustrations to the legend, and ended with a sentence remarking that, while the original legend was so 'noble in its severe simplicity' that few could develop it with success in poetry or otherwise, Doré had produced in this series 'at once a poem, a romance, and a chef-d'œuvre of art'. First published in two parts in 1866 and 1868, the work was republished in 1877 and in many other editions.</ref>。元々の伝説は、[[キリストの磔刑|磔刑]]に向かう途中の[[イエス・キリスト|イエス]]を罵倒し、その後、[[再臨]]まで地上を歩き続けるように呪われた[[ユダヤ人]]である。放浪者の詳細な素性は、彼の性格の側面がそうであるように、物語のさまざまなバージョンで異なるが、永遠に死ねない男が地上をさまよい叶わぬ休息を求めていることは共通する<ref>[[さまよえるユダヤ人#ヨーロッパをさすらう異形の物語(上)|サビン・バリング=グールド(2007), p.19]]</ref>。ある時は[[製靴|靴職人]]または他の商人であると言われ、時には[[ピラト|ポンテオ・ピラト]]の下役で[[サンヘドリン]]の門番である<ref>[[さまよえるユダヤ人#ヨーロッパをさすらう異形の物語(上)|サビン・バリング=グールド(2007), p.21, 35]]</ref>。
 
== 名前 ==
この伝説が含まれる初期の現存する写本は、[[:en:Roger of Wendover{{仮リンク|ロジャー・オブ・ウェンドーバー]]|en|Roger of Wendover}}による『歴史の華』''([[:en:Flores Historiarum|Flores Historiarum]])''の1228年の部分に「キリストの最後の到来を待ちわびて生きているユダヤ人ヨセフ」というタイトルで登場する<ref name=":1">{{Cite book|url=https://books.google.com/books?id=eQNIAAAAMAAJ&pg=PA513|title=Roger of Wendover's Flowers of History: Comprising the History of England from the Descent of the Saxons to A.D. 1235; Formerly Ascribed to Matthew Paris|year=1849|date=1849|publisher=H. G. Bohn|pages=512-514|author=Roger of Wendover|volume=2|first2=Matthew Paris}}</ref> <ref name="Jacobs 1911 362:3">{{HarvnbCite journal|last=Joseph|first=Jacobs|author-link=ジョセフ・ジェイコブス|year=1911|ptitle=Jew, The Wandering|url=https://en.wikisource.org/wiki/1911_Encyclop%C3%A6dia_Britannica/Jew,_The_Wandering|journal=1911 Encyclopædia Britannica|volume=Volume 15|pages=362-363}}</ref>。中心となる人物は'''カルタフィルス'''(''Cartaphilus'')という名前で、後に[[アナニヤ]]によってヨセフとして[[洗礼]]を受ける<ref name=":1" />''。''カルタフィルスという名前の由来は、カルト''(Kartos)''とフィロス''(philos)に''分けられ、大まかには「親愛なる」と「愛された」と訳され、さまよえるユダヤ人の伝説を「[[イエスの愛しておられた弟子]]」に結び付けている<ref name=":0">[[さまよえるユダヤ人#The legend of the Wandering Jew|Anderson, George K. "The Beginnings of the Legend". ''The Legend of the Wandering Jew'', Brown UP, 1965, pp. 11-37.]]</ref>。
 
少なくとも1602年から'''アハスヴェル'''''(Ahasver)''という名前がさまよえるユダヤ人に与えられているが<ref name=":2" />、これはユダヤ人の名前ではなく[[エステル記]]に出てくるペルシャ王[[アハシュエロス|'''アハシュエロス'''(クセルクセス)]]に由来すると考えられる。この名は中世ユダヤ人にとっては、[[エクセンプラ|訓話]]''([[:en:Exemplum|Exemplum]])の''愚か者である<ref name=":2">{{Cite journal|author=David Daube|month=January|year=1955|title=Ahasver|journal=The Jewish Quarterly Review|volume=45|issue=3|pages=243-244|DOI=10.2307/1452757}}</ref>。この名前が選ばれたのは、エステル記にはアハシュエロスの[[アケメネス朝|広大な帝国]]の各州で、大多数の宗教が[[キリスト教]]の国々における[[ディアスポラ]]で散在したユダヤ人と同様に迫害されていたと書かれているからだと思われる<ref>{{Cite web|url=http://www.sztetl.org.pl/en/person/334,ahasverus-wandering-jew-ahasver-/|title=Ahasver, Ahasverus, Wandering Jew—People—Virtual Shtetl|accessdate=16 January 2016|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160112000405/http://www.sztetl.org.pl/en/person/334,ahasverus-wandering-jew-ahasver-/|archivedate=12 January 2016}}</ref>。
[[ファイル:The_wandering_Jew.jpg|サムネイル|さまよえるユダヤ人のモチーフの改作、バーゼル、1820-1840、 [[:en:Jewish Musem of Switzerland|Jewish Museum of Switzerland]]]]
[[フランス]]や[[低地諸国]]で、よく知られた伝説や[[アレクサンドル・デュマ・ペール|デュマ]]の小説によって'''マタティアス'''''(Matathias)''、'''ブッタデウス'''''(Buttadeus)、'''''イサク・ラクデン'''''(Isaac Laquedem)''など様々な名前が与えられている。'''ポール・マレーン'''(''"Letters Writ by a Turkish Spy"の''著者と''される''ジョバンニ・パオロ・マラナの名を英語化したもの)の名前は、1911年の[[ブリタニカ百科事典]]によってさまよえるユダヤ人に誤って帰属されたものだが、この間違いは大衆文化に影響を与えている<ref>{{Cite journal|last=Crane|first=Jacob|date=29 April 2013|title=The long transatlantic career of the Turkish spy|journal=Atlantic Studies: Global Currents|volume=10|issue=2|pages=228–246|publisher=Routledge|location=Berlin|DOI=10.1080/14788810.2013.785199}}</ref>。スパイの手紙では、さまよえるユダヤ人に'''ミコブ・アダー'''(''Michob Ader)という''名前が与えられている'''<ref>{{Cite book|title=The Turkish Spy|year=1691|volume=Volume 2, Book 3, Letter I}}</ref>'''
 
ブッタデウス''(Buttadeus,'' ''Botadeo:'' [[イタリア語|伊語]]'';'' ''Boutedieu:'' [[フランス語|仏語]])という名前の由来は[[俗ラテン語]]の''batuere''(叩く、打つ)と''deus''(神)の組み合わせだろう。時にこの名前は、「神に捧げられた」という意味の''Votadeo''と誤解され、カルタフィルス(''Cartaphilus'')の語源と類似する<ref name=":0">Anderson, George K. "The Beginnings of the Legend". ''The Legend of the Wandering Jew'', Brown UP, 1965, pp. 11-37.</ref>。
 
[[ドイツ語圏]]や[[ロシア語圏]]では、彼への罰の永続性に重点が置かれ、「永遠のユダヤ人」という意味の''Ewiger Jude''や''vechny zhid(вечныйжид)''として知られている。フランス語と他の[[ロマンス諸語]]では、''le Juif errant''(フランス語)、''el judío errante''([[スペイン語|西語]])<ref>[[:es:Judío errante]]</ref>、''l'ebreoerrante''([[イタリア語|伊語]])<ref>[[:it:Ebreo errante]]</ref>  のように放浪を指す言葉が使用されてきた、そして英語では中世から''Wandering Jew''と呼ばれている<ref name="Jacobs 1911 362">{{Harvnb|Jacobs|1911|p=362}}</ref>。[[フィンランド語]]では、彼は''Jerusalemin suutari''(エルサレムの靴職人)として知られており、靴屋であったとほのめかされている。[[ハンガリー語]]では、彼は''bolygó zsidó''(「さまよえるユダヤ人」を意味するが、目的がないことを含意する)として知られている。
 
== 起源と進化 ==
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[[:en:Prudentius|アウレリウス・プルデンティウス・クレメンス]](348年-413年?)は、『アポテオシス』(400年)に次のように書いている。「土地から土地へとあちこちの流刑地を彷徨う家なしのユダヤ人は、彼が拒絶したキリストの血でその手を汚して以来、殺人の罰により父祖の地より引き離される苦難という罪の代償を支払い続けている。」 <ref name="Apotheosis">{{Cite book|last=Aurelius Prudentius Clemens|title=Apotheosis|url=https://archive.org/stream/prudentiuswithen01pruduoft/prudentiuswithen01pruduoft_djvu.txt|accessdate=2011-12-22|year=400}}</ref>
 
[[:en:John Moschus|ヨハネス・モスコス]]という名の6世紀後半から7世紀初頭の僧侶が、マルコス型の重要なバージョンを記録している。モスコスは"''Leimonarion''"の中''で''キリストを殴りそれゆえ永遠の苦しみと嘆きの中でさまよう罰を受けたマルコス型の人物に会ったという、イシドールという名の[[修道士]]について詳細に書き残している<ref name=":0">Anderson, George K. "The Beginnings of the Legend". ''The Legend of the Wandering Jew'', Brown UP, 1965, pp. 11-37.</ref>。
 
{{blockquote|私はボロ布を着たエチオピア人に会った。彼は私に言った「あなたは私と同じように罪を宣告され同じ罰を受ける。」私は彼に言った「あなたは何者ですか?」すると私の前に現れたエチオピア人は答えた。「私は、創造主である我らが主キリストが受難の折に頬を叩いたものです。それが理由です。」イシドールは言った「涙が止まりません」。}}
{{blockquote|I saw an Ethiopian, clad in rags, who said to me, "You and I are condemned to the same punishment." I said to him, "Who are you?" And the Ethiopian who had appeared to me replied, "I am he who struck on the cheek the creator of the universe, our Lord Jesus Christ, at the time of the Passion. That is why," said Isidor, "I cannot stop weeping."}}
 
=== 中世の伝説 ===
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「一部の地域では、農民たちは日曜日に永遠のユダヤ人が休息所を見つけられるように畑の畝を配置した。他の場所では、彼は鍬の上でしか休めないと考えられていた。あるいは一年中外出していなければならないがクリスマスだけは休息できると考えられていた。」<ref name="SocialReligiousHistoryOfJews_178">{{Cite book|title=A social and religious history of the Jews: Citizen or alien conjurer|url=https://books.google.com/books?id=eXVDceafeiEC&pg=PA178|accessdate=13 December 2011|volume=11|year=1967|publisher=Columbia University Press|isbn=978-0-231-08847-3|page=178}}</ref>
 
[[十字軍]]の産物として西洋に持ち込まれた何世紀にもわたって書き留められていない民話、伝説、口頭伝承に基づいている可能性が高く、[[ボローニャ]]のラテン語の年代記''"Ignoti Monachi Cisterciensis S. Mariae de Ferraria Chronica et Ryccardi de Sancto Germano Chronica priora"''にさまよえるユダヤ人の最初の記述が含まれている<ref name=":6">{{Cite book|和書|title=ユダヤ人の歴史(上巻)|url=https://www.worldcat.org/oclc/42844222|publisher=徳間書店|date=1999-9-30|isbn=4-19-861069-X|oclc=42844222|first=Paul|last=Johnson|pages=389-390|translator=石田友雄、阿川尚之、山田恵子}}</ref>。 1223年のエントリーで「アルメニアのあるユダヤ人(''quendam Iudaeum'')」と会った巡礼者たちによる報告が記述されている。彼は十字架に向かうイエスを叱り付けたため再臨まで生き続ける運命となった。100年に一度そのユダヤ人は30歳に戻るという<ref name=":0">Anderson, George K. "The Beginnings of the Legend". ''The Legend of the Wandering Jew'', Brown UP, 1965, pp. 11-37.</ref>。
 
さまよえるユダヤ人伝説の変種を1228年頃に[[:en:Roger of Wendover|ロジャー・オブ・ウェンドーバー]]が『歴史の華』''([[:en:Flores Historiarum|Flores Historiarum]]'')に記録している<ref name=":1" /><ref name=":6" /> <ref>{{Cite book|url=https://archive.org/details/bub_gb_dv8KAAAAYAAJ|page=[https://archive.org/details/bub_gb_dv8KAAAAYAAJ/page/n160 149]|title=Flores historiarum|year=1890|publisher=H.M. Stationery Office|accessdate=2010-10-11}}</ref> <ref>For 13c.expulsion of Jews see [[:en:History of the Jews in England|History of the Jews in England]] and [[:en:Edict of Expulsion|Edict of Expulsion]].</ref>。ある[[アルメニア]]の大司教がイングランド訪問時、[[セント・オールバンズ]]大聖堂の修道士より、イエスに語り掛けたという[[アリマタヤのヨセフ]]について尋ねられ彼はまだ生きていると答えたと記録されている。大司教は彼自身がアルメニアで会ったことがあり、その名はユダヤ人の靴屋カルタフィルスといい、イエスが十字架を運んでいるときに立ち止まり休んでいる時に彼を殴り「早く行けイエス!早く行け!なにゆえ汝は愚図愚図しているのか?」と言った。イエスは"厳しい表情"で「私は立ち止まり休もう。だが汝は最期の日まで歩き続けるのだ」と答えたいう。アルメニアの司教は、カルタフィリスはキリスト教に改宗した後、放浪の布教活動を行う[[隠修士]]として過ごしたと伝えている。
 
[[:en:Matthew Paris|マシュー・パリス]]はこのロジャー・オブ・ウェンドーバーによる一節を自身の歴史に入れており、また別のアルメニア人も1252年にセント・オールバンズ大聖堂を訪れ、同じ話を繰り返している<ref>Matthew Paris, ''Chron. Majora'', ed. [[:en:Henry Luard|H. R. Luard]], London, 1880, v. 340–341</ref>。パリスによるとさまよえるユダヤ人がイエスを侮辱したのは30歳の時であり、100歳になると30歳に戻るという<ref>[[さまよえるユダヤ人#ヨーロッパをさすらう異形の物語(上)|サビン・バリング=グールド(2007), p.21]]</ref>。[[トゥルネー]]の司教フィリップ・ムスクの年代記(第2章491、ブリュッセル1839年)に依ると、同じくアルメニアの大司教が1243年に[[トゥルネー]]でこの物語を語ったという<ref>[[さまよえるユダヤ人#ヨーロッパをさすらう異形の物語(上)|サビン・バリング=グールド(2007), p.22]]</ref>。後に、[[グイド・ボナッティ]]は13世紀に[[フォルリ]](イタリア)の人々がさまよえるユダヤ人と出会った、また[[ウィーン]]などの人々も彼と出会ったと書き残している<ref>[[さまよえるユダヤ人#The legend of the Wandering Jew|Anderson (19911965), p.22–23.]]</ref>。
 
[[シュレースヴィヒ (都市)|シュレースヴィヒ]]の司教パウル・フォン・アイツェン ''(Paul von Eitzen)''は1542年(または1547年に[[ハンブルク]]の教会でさまよえるユダヤ人と邂逅したと語っている。その男は背が高く、髪は肩まであった。厳冬だというのに、みすぼらしい服に、裸足で、年齢は50歳くらいに見えた。彼は敬虔な面持ちで司祭の話に聞き入っており、イエスの名前が出るたびに溜息をつき胸を叩いていたという。アイツェンの問いにエルサレムのアハスヴェルスといい靴屋だったと答え、イエスが磔刑となった状況を[[福音書記者|福音史家]]や歴史家が記録していないことまでつぶさに語った。彼は、自分が永遠に彷徨う身となったのは神の意志であり、主を信じない者たちにイエス・キリストの死を思い出させ悔い改めさせるためだと信じているという<ref name=":6" /><ref>[[さまよえるユダヤ人#ヨーロッパをさすらう異形の物語(上)|サビン・バリング=グールド(2007), p.25-28]]</ref>。パウル・フォン・アイツェンは[[マルティン・ルター|ルター]]と[[フィリップ・メランヒトン|メランヒトン]]に学んだ[[ルター派]]の神学博士であり、1564年からはシュレースヴィヒ教区の総監督も務めた人物で、彼の教説は[[シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州|シュレースヴィヒ=ホルシュタイン]]内の諸教会に絶対的な影響力を持っていた。彼の報告は1564年に印刷され、ドイツ語圏での独自の伝説形成のもととなった<ref>{{Cite journal|和書 |author=金山正道 |date=2013-03 |title=ヨーロッパ文学におけるシャイロック的ユダヤ人像形成の前史 ( I ) |url=http://id.nii.ac.jp/1316/00001152/ |journal=福岡大学人文論叢 |volume=44 |issue=4 |pages=703-764 |CRID=1050282677531793280 |ISSN=0285-2764 |publisher=福岡大学研究推進部}}</ref>。
 
さまよえるユダヤ人の目撃情報は、1542年の[[ハンブルグ|ハンブルク]]から1868年の[[:en:Hopewell Township, Mercer County, New Jersey|ニュージャージー州ハーツ・コーナー]]まで、ヨーロッパのあらゆる場所で見られていた<ref>"Editorial Summary", ''Deseret News'', 23 September 1868.</ref>。[[ジョセフ・ジェイコブス]]は、『[[ブリタニカ百科事典]]』の第11版(1911年)で、「この物語がどこまで完全な作り話で、どこまで巧妙な詐欺師が神話の存在を利用したのか、これらのケースから判断するのは難しい」とコメントを書いている。1881年にとある作家は、「さまよえるユダヤ人」の伝説が事実として受け入れられていた中世後期には、異邦人が[[ユダヤ人居住区]]に侵入する口実として時折使われていたと書いている<ref name="Conway1881">{{Cite book|last=Conway|first=Moncure Daniel|title=The Wandering Jew|url=https://archive.org/details/wanderingjew00conwgoog|accessdate=2 December 2010|year=1881|publisher=Chatto and Windus|page=[https://archive.org/details/wanderingjew00conwgoog/page/n37 28]|quote=The animus of the revival of the legend is shown by instances in which the Jews' quarters were invaded under rumours that they were concealing the Wanderer.}}</ref>。イエスを侮辱したユダヤ人であるにもかかわらず、イエスを自分の目で見た生き証人であるさまよえるユダヤ人は各地で歓待された<ref name=":4">{{Cite journal|和書|author=中谷 拓士|date=2016/3/10|title=民衆版画の世界|url=httphttps://hdl.handle.net/10236/14204|journal=商学論究|volume=63|issue=4|pages=1-22}}</ref>。
 
ユダヤ人に関する「[[:en:Red Jews|赤いユダヤ人]]」と呼ばれるもう一つの伝説も、中世の中央ヨーロッパで同じく普及していた<ref>{{Cite journal|last=Voß|first=Rebekka|date=April 2012|title=Entangled Stories: The Red Jews in Premodern Yiddish and German Apocalyptic Lore|url=http://nbn-resolving.de/urn/resolver.pl?urn:nbn:de:hebis:30:3-275215|journal=AJS Review|volume=36|issue=1|pages=1–41|language=en|DOI=10.1017/S0364009412000013|ISSN=1475-4541}}</ref>。
 
=== 近代以降 ===
さまよえるユダヤ人の目撃情報は、1542年の[[ハンブルグ|ハンブルク]]から1603年に[[リューベック|リューベク]]で、1604年に[[パリ]]で、1640年に[[ブリュッセル]]で、1642年に[[ライプツィヒ]]で、1818年には[[ロンドン]]で、1868年の[[:en:Hopewell Township, Mercer County, New Jersey|ニュージャージー州ハーツ・コーナー]]まで、ヨーロッパのあらゆる場所で見られる<ref name=":6" /><ref>"Editorial Summary", ''Deseret News'', 23 September 1868.</ref>。1875年、[[メアリー・トッド・リンカーン]]は[[シカゴ]]に向かう列車の中で「さまよえるユダヤ人」が彼女の手帳を持っていったが後で返ってくると、息子[[ロバート・トッド・リンカーン|ロバート]]に語っている<ref>{{Cite journal|author=Jason Emerson|month=June/July|year=2006|title=The Madness of Mary Lincoln|url=https://www.americanheritage.com/madness-mary-lincoln-0#|journal=American Heritage Magazine|volume=57|issue=3}}</ref>。[[ジョセフ・ジェイコブス]]は、『[[ブリタニカ百科事典]]』の第11版(1911年)で、「この物語がどこまで完全な作り話で、どこまで巧妙な詐欺師が神話の存在を利用したのか、これらのケースから判断するのは難しい」とコメントを書いている<ref name=":3" />。1881年にとある作家は、「さまよえるユダヤ人」の伝説が事実として受け入れられていた中世後期には、異邦人が[[ユダヤ人居住区]]に侵入する口実として時折使われていたと書いている<ref name="Conway1881">{{Cite book|last=Conway|first=Moncure Daniel|title=The Wandering Jew|url=https://archive.org/details/wanderingjew00conwgoog|accessdate=2 December 2010|year=1881|publisher=Chatto and Windus|page=[https://archive.org/details/wanderingjew00conwgoog/page/n37 28]|quote=The animus of the revival of the legend is shown by instances in which the Jews' quarters were invaded under rumours that they were concealing the Wanderer.}}</ref>。
 
== 文学 ==
=== 17世紀と18世紀 ===
この伝説は、17世紀に四葉のパンフレット「アハシュエロスという名前のユダヤ人の簡単な説明と物語(''{{Lang|de|Kurtze Beschreibung und Erzählung von einem Juden mit Namen Ahasverus}}'')」の登場でより人気となった<ref>This professes to have been printed at [[ライデン|Leiden]] in 1602 by an otherwise unrecorded printer "Christoff Crutzer"; the real place and printer can not be ascertained.</ref>。「およそ50年前に、司教がハンブルクの教会で彼と会ったといわれている。彼は悔い改め、みすぼらしい姿で、数週間後には先へ進まなければならないことに気を取られていた。」<ref name=":2" />これは上述の[[シュレースヴィヒ (都市)|シュレースヴィヒ]]の司教パウル・フォン・アイツェンの証言である。この伝説はまたたくまにドイツ全土に広まり、1602年には8つ以上の異なる版が登場し、18世紀の終わりまでに全部で40のドイツ語版が存在した。8つの版はオランダ語と[[フラマン語]]のものが知られており、そして物語はすぐにフランスに伝わり、最初のフランス語版が1609年に[[ボルドー]]で登場した。イングランドでは1625年にパロディとして登場している<ref>{{Cite journal|last=Jacobs and Wolf|title=Bibliotheca Anglo-Judaica|issue=221|page=44}}</ref>。[[デンマーク語|パンフレットはデンマーク語]]や[[スウェーデン語]]にも翻訳され、「'''永遠のユダヤ人'''」という表現は、[[チェコ語]]、[[スロバキア語]]、ドイツ語の''"{{Lang|de|der Ewige Jude}}"''として現在も使われている。どうやら1602年のパンフレットは、ユルゲンという巡回説教師の報告(特に[[:en:Balthasar Russow|バルタザール・ルッソウ]]による)から放浪者の記述より一部借りている<ref>{{Cite book|last=Beyer, Jürgen|url=https://www.etis.ee/ShowFile.aspx?FileVID=39465|chapter=Jürgen und der Ewige Jude. Ein lebender Heiliger wird unsterblich|title=Arv. Nordic Yearbook of Folklore 64|year=2008|pages=125–140|language=de}}</ref>。
 
フランスでは、[[:en:Simon Tyssot de Patot|シモン・ティソ・ド・パト]]の"''{{Lang|fr|La Vie, les Aventures et le Voyage de Groenland du Révérend Père Cordelier Pierre de Mésange}}'' ''(1720)"''にさまよえるユダヤ人が出てくる。
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=== 19世紀 ===
==== 英国イギリス ====
イギリスでは1765年に出版された[[:en:Thomas Percy (bishop of Dromore)|トーマス・パーシー]]の''"[[:en:Reliques of Ancient English Poetry|Reliques]]"''に''"The Wandering Jew"''というタイトルのバラッドが含まれている<ref>Third edition: Reliques of ancient English poetry: consisting of old heroic ballads, songs and other pieces of our earlier poets, (chiefly of the lyric kind.) Together with some few of later date (Volume 3)—p.295-301, 128 lines of verse, with prose introduction </ref>。
 
1797年にアンドリュー・フランクリンによる[[オペレッタ]]''"The Wandering Jew, or Love's Masquerade"''がロンドンで上演された<ref>{{Cite web|url=http://www.ricorso.net/rx/az-data/authors/f/Franklin_A/life.htm|title=Andrew Franklin|accessdate=2021/04/07}}</ref>。
 
1810年に[[パーシー・ビッシュ・シェリー]]は''"The Wandering Jew"''と題する4編からなる詩を書いた<ref>訳書は、シェリー『さまよえるユダヤ人 翻訳と研究』(高橋規矩解説、渓水社、1990年)</ref>が、1877年まで未発表だった<ref>The Wandering Jew, A Poem in Four Cantos by Percy Bysshe Shelley. Written in 1810, published posthumously for the Shelley Society by Reeves and Turner, London 1877.</ref>。シェリーの他の2つの作品だと、彼の最初の長詩『クィーン・マブ―哲学詩,及び注 ''([[:en:Queen Mab (poem)|Queen Mab: A Philosophical Poem]])''』(1813年)に幻影として登場し、最後の長編である詩劇''"[[:en:Hellas (poem)|Hellas]]"''に隠者の治療師として登場する<ref>''The Impiety of Ahasuerus: Percy Shelley's Wandering Jew'' Tamara Tinker, revised edition 2010</ref>。
 
[[トーマス・カーライル]]は『[[:en:Sartor Resartus|衣装哲学]]』(1834年)の主人公ディオゲネス・トイフェルスドレックをさまよえるユダヤ人(ドイツ語の''{{Lang|de|der ewige Jude}}''を使用している)と比較している。
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[[ハンス・クリスチャン・アンデルセン]]は、「アハシュエロス」を疑いの天使にし、詩「アハシュエロスの放浪」に関する詩で[[:en:Seligmann Heller|ヘラー]]に模倣された。その後、彼は3つのカントへ膨らませた。
 
[[ティン・アンデルセン・ネクセ([[:en:Martin Andersen Nexø|Martin Andersen Nexø]])は短編小説『永遠のユダヤ人』を書いており、アハシュエロスをユダヤの遺伝子をヨーロッパに広める存在として言及している。
 
さまよえるユダヤ人の物語は、[[セーレン・キェルケゴール]]の[[あれか、これか|『あれか、これか:ある人生の断片'''』''']](1843年[[コペンハーゲン]])の中のエッセイ「最も不幸な者」の基盤となっている。[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]のオペラ『[[ドン・ジョヴァンニ]]』を取り上げた本の序論でも論じている。
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==== フランス ====
フランスの作家エドガール・キネ([[:en:Edgar Quinet|''Edgar Quinet'']])はこの伝説を題材にした散文叙事詩<ref>訳書は『さまよえるユダヤ人 アースヴェリュス』(戸田吉信訳、叢書ウニベルシタス・法政大学出版局、2005年)</ref>を1833年に発表し、主題についての評価を世界の判断にゆだねた。
[[ウージェーヌ・シュー]]は1844年に『さまよえるユダヤ人 ''(Le Juif errant)''』<ref>ウージェーヌ・シュー『さまよえるユダヤ人』([[小林龍雄]]訳、[[角川文庫]] 上下、新版1989年)</ref>を書き、アハシュエロスの物語と[[ヘロデヤ]]を結び付けた。グルニエの1857年の詩は、前年に発表されたギュスターヴ・ドレのデザインに触発された可能性がある。
 
英雄と邪悪という複数のフィクションのさまよえるユダヤ人を組み合わせた、ポール・フェヴァル,ペール(''{{Lang|fr|Paul Féval, père}}'')の''"{{Lang|fr|La Fille du Juif Errant}} (1864)"''や、広大な歴史物語である[[アレクサンドル・デュマ・ペール|アレクサンドル・デュマ]]の未完作『イザーク・ラクデム (''{{Lang|fr|Isaac Laquedem}}'') 』(1853年)にも注目したい。
[[ウージェーヌ・シュー]]は1844年に『さまよえるユダヤ人 ''(Le Juif errant)''』を書き、アハシュエロスの物語と[[ヘロデヤ]]を結び付けた。グルニエの1857年の詩は、前年に発表されたギュスターヴ・ドレのデザインに触発された可能性がある。
 
英雄と邪悪という複数のフィクションのさまよえるユダヤ人を組み合わせた、ポール・フェヴァル,ペール(''{{Lang|fr|Paul Féval, père}}'')の''"{{Lang|fr|La Fille du Juif Errant}} (1864)"''や、広大な歴史物語である[[アレクサンドル・デュマ・ペール|アレクサンドル・デュマ]]の未完作『イザーク・ラクデム (''{{Lang|fr|Isaac Laquedem}}'')』(1853年)にも注目したい。
 
[[ギ・ド・モーパッサン]]の短編小説『ユダおやじ』の中で、ある老人は地元の人々からさまよえるユダヤ人であると信じられている。
 
 
==== ロシア ====
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==== アメリカ ====
[[オー・ヘンリー]]の''"The Door of Unrest"''では酔っぱらいの靴屋マイク・オベイダーが地方新聞の編集者のもとへ来て、自分は十字架にかけられる途中にイエスを戸口で休ませんかったため再臨の日まで生きることを宣告された靴屋ミコブ・アダーであると主張する。それにもかかわらずマイク・オベイダーは、ユダヤ人ではなく異邦人([[:en:Gentile|Gentile]])であると強く主張する。
 
1960年に出版された[[ウォルター・M・ミラー・ジュニア]]の[[終末もの|ポストアポカリプスSF小説]]『[[黙示録3174年]]』には正体不明のユダヤ人放浪者が登場する。この老人について幾人かの子供たちが「イエスが蘇らせたものは蘇ったままでいる」と話しており、キリストが死から蘇生させた[[ラザロ|ベタニヤの聖ラザロ]]であると暗示されている。小説で示唆されている別の可能性は、このキャラクターが、''The Albertian Order''の創設者聖リーボウィッツであるアイザック・エドワード・リーボウィッツ(野蛮な暴徒による焚書から本を守ろうとして殉教した)であるという事だ。彼はヘブライ語と英語を話せ書くこともできる。砂漠をさまよい、小説のほぼ全ての舞台となるリーボウィッツによって創設された修道院を見下ろす[[メサ]]にテントを持っている。このキャラクターは、数百年間離れた3部構成の中編小説、およびミラーによる1997年の続編小説''"[[:en:Saint Leibowitz and the Wild Horse Woman|Saint Leibowitz and the Wild Horse Woman]]"''に再登場する。
 
[[レスター・デル・リーレイ]]の''“Earthbound (1963)”''では宇宙旅行が発展してもアハシュエロスは地球に留まらなければならない。
 
メアリー・エリザベス・カウンセルマン''([[:en:Mary Elizabeth Counselman|Mary Elizabeth Counselman]])''の''"A Handful of Silver”''にもさまよえるユダヤ人が登場する<ref>"A Handful of Silver" in ''Half In Shadow'' by Mary Elizabeth Counselman, William Kimber, 1980 (p205-212).</ref>。
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[[ジャック・L・チョーカー]]は『ウェル・ワールド・サーガ』と呼ばれる5冊のシリーズを書いた。このシリーズの宇宙の創造者はネイサン・ブラジルという名のさまよえるユダヤ人であると何度も言及される。
 
1987年1月の[[DCコミックス]]『シークレット・オリジン』第10号ではファントム・ストレンジャー''([[:en:Phantom Stranger|Phantom Stranger]])''にオリジンの可能性を4つ与えている。その1つにストレンジャーは司祭に自分がさまよえるユダヤ人であると確認する<ref>{{Cite comic|Writer=[[:en:Mike W. Barr|Barr, Mike W.]]|Penciller=[[:en:Jim Aparo|Aparo, Jim]]|Inker=Ziuko, Tom|Story=The Phantom Stranger|Title=Secret Origins|Volume=2|Issue=10|Date=January 1987|Publisher=[[DC Comics]]|Page=2-10}}</ref>。
 
アンジェラ・ハント''([[:en:Angela Elwell Hunt|Angela Elwell Hunt]])''の小説''"The Immortal (2000)"''ではさまよえるユダヤ人は''Asher Genzano''という名で登場する。
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==== 日本 ====
[[芥川龍之介]]の『さまよえる猶太人』(1917年)では、[[平戸市|平戸]]から九州へ渡る船の中で[[フランシスコ・ザビエル]]が「一所不住のゆだやびと」と邂逅し、数々の歴史的出来事について問答する。ザビエルがキリスト受難について尋ねると、自分はヨセフというエルサレムの靴匠であり、受難の有様を目の当りにしたと答える。芥川はキリストを嘲弄したものは数多くいたのに、ヨセフのみが呪われたのは何故かと疑問を呈する。これには彼のみがキリストを辱めた罪を後悔し、罪を罪であると知るものであるがゆえに罰と贖いが下されたと解釈している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card185.html|title=さまよえる猶太人|accessdate=2021/04/07|publisher=[[青空文庫]]|author=[[芥川龍之介]]|year=1917|language=ja}}</ref>。
 
== アート ==
 
=== 民衆版画 ===
さまよえるユダヤ人は民衆版画の世俗的な図像ではおそらくもっとも有名なものの一つで、何十億部と刷られそのイメージは広められた<ref name=":4" /><ref name=":5">{{Cite journal|和書|author=中谷 拓士|date=2004/5/25|title=「さまよえるユダヤ人」伝説|url=https://hdl.handle.net/10236/6222|journal=人文論究|volume=54|issue=1|pages=75-88}}</ref>。
 
=== 19世紀 ===
さまよえる(または永遠の)ユダヤ人またはアハシュエロス(アハスヴァー)として伝説的な人物を描いた19世紀の作品には次のものが挙げられる。
 
[[ファイル:Kaulbach_Zerstoerung_Jerusalems_durch_Titus.jpg|thumb|250px|[[ヴィルヘルム・フォン・カウルバッハ]]、『ティトゥスのエルサレム攻略 ''(Zerstörung Jerusalems durch Titus)''』。左下で逃げようとしている人物がアハシュエロス]]
* 1846年、[[ヴィルヘルム・フォン・カウルバッハ]]、『ティトゥスのエルサレム攻略 ''(Zerstörung Jerusalems durch Titus)''』。[[ノイエ・ピナコテーク]]、ミュンヘン<ref>[[:File:Kaulbach Zerstoerung Jerusalems durch Titus.jpg]]</ref> <ref>Fig.1 and details Figs. 2 and 3 AVRAHAM RONEN KAULBACH'S WANDERING JEW
{{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130730050843/http://arts.tau.ac.il/departments/images/stories/journals/arthistory/Assaph3/14ronen.pdf|date=30 July 2013}}.</ref> <ref>
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=== 20世紀 ===
[[ファイル:מיכאל_סגן-כהן,_היהודי_הנודד,_1983.jpg|サムネイル|『さまよえるユダヤ人』(1983年)、[[:en:Michael Sgan-Cohen|''Michael Sgan-Cohen'']]による絵画]]
1901年に[[バーゼル]]で展示された別のアートワークでは、 ''Der ewige Jude, The Eternal Jew''という名の伝説の人物が、贖罪のため[[トーラー]]を約束の地にもたらすと示される<ref>Sculpture by [[:en:Alfred Nossig|Alfred Nossig]]. Fig.3.3, p.79 in Todd Presner ''Muscular Judaism: The Jewish Body and the Politics of Regeneration''. Routledge, 2007. The sculpture was exhibited in 1901 at the Fifth Zionist Congress, which established the [[:en:Jewish National Fund|Jewish National Fund]].</ref>。
 
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== イデオロギー(19世紀以降) ==
18世紀の初めまでに、伝説的な人物としての「さまよえるユダヤ人」の姿は、ディアスポラし世界をさまよった[[イスラエル]]の民の象徴とみるのが一般的となった。この見方への異論としては、民衆版画での描かれ方がキリスト教の巡礼者に極めて似ていることや、さまよえるユダヤ人全体の運命が敬虔なキリスト教徒である事同一視の矛盾が指摘され始めたている<ref name=":5" /><ref>[[さまよえるユダヤ人#ヨーロッパをさすらう異形の物語(上)|サビン・バリング=グールド(2007), p.37]]</ref>

世紀末のナポレオン・ボナパルトの台頭と、ナポレオンとユダヤ人([[:en:Napoleon and the Jews|Napoleon and the Jews]])の政策に関連したヨーロッパ諸国の解放改革の後、「永遠のユダヤ人」はますます「象徴的、かつ普遍的なキャラクター」となり、プロイセンおよびヨーロッパの他の地域におけるユダヤ人解放のための継続的な闘争は、19世紀の間に「[[:en:Jewish Question|ユダヤ人問題]]」と呼ばれるものを生じさせた<ref name="Bein1990">{{Cite book|last=Bein|first=Alex|title=The Jewish question: biography of a world problem|url=https://books.google.com/books?id=cQOn0y8ENg4C&pg=PA155|year=1990|publisher=Fairleigh Dickinson Univ Press|isbn=978-0-8386-3252-9|page=155}}</ref>。
 
カウルバッハの『ティトゥスのエルサレム攻略』の壁画レプリカが1842年にプロイセン王からベルリンの新博物館に依頼される前に、ガブリエル・リーサー''([[:en:Gabriel Riesser|Gabriel Riesser]])''のエッセイ''"Stellung der Bekenner des mosaischen Glaubens in Deutschland (ドイツにおけるモザイク信仰告白者の立場について)"''は1831年に出版されており、ジャーナル''"Der Jude, periodische Blätter für Religions und Gewissensfreiheit (ユダヤ人、信仰と思想の自由誌)"'' は1832年に創刊されている。 1840年、カウルバッハ自身が、キリストを拒絶したことで追放者として逃亡する永遠のユダヤ人を含む、彼の絵画に描かれた人物を特定できる説明用小冊子を発行した。
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[[ファイル:Nazi_Wandering_Jew_propaganda_by_David_Shankbone.jpg|右|サムネイル|放浪する永遠のユダヤ人 ''(Le Juif Eternel)''、色付きの木版画。後にドイツとオーストリアで開催されたナチスの展示会''[[:en:The Eternal Jew (art exhibition)|Der Ewige Jude]]''で1937年から1938年に展示された。ここに示されているのは、2007年に[[ヤド・ヴァシェム]]で開催された展示会での複製である。]]
1852年にフランスの出版物に最初に登場した風刺画は「額に赤い十字架、細長い脚と腕、巨大な鼻となびく髪、そして杖を手にした」伝説的な人物を描いたもので、[[反ユダヤ主義|反ユダヤ主義者]]によって採用された<ref name="Mosse1998">{{Cite book|last=Mosse|first=George L.|title=The Image of Man: The Creation of Modern Masculinity|url=https://books.google.com/books?id=kXd_2_ebSekC&pg=PA57|year=1998|publisher=Oxford University Press|isbn=978-0-19-512660-0|page=57}}</ref>。 1937年から1938年にドイツとオーストリアで開催されたナチスの展示会''"[[:en:The Eternal Jew (art exhibition)|Der Ewige Jude]]"''で展示された。その複製が2007年に[[ヤド・ヴァシェム]]で展示された(画像参照)。
[[ファイル:Plakat der ewige Jude, 1937.jpg|サムネイル|[[ドイツ博物館]]で1937~1938年に行われた展覧会「永遠のユダヤ人」のポスター]]
 
この展覧会は、1937年11月8日から1938年1月31日までミュンヘンの[[ドイツ博物館]]の図書館で開催され、ナチスが「[[退廃芸術]]」と見なした作品を展示した。これらの作品の画像を含む本が「永遠のユダヤ人」の題で出版された<ref name="HolocaustResearchProject">{{Cite web|title=Der ewige Jude: "The Eternal Jew or The Wandering Jew"|url=http://www.holocaustresearchproject.org/holoprelude/derewigejude.html|accessdate=2011-11-14}}</ref>。これに先立ち、[[マンハイム]]、[[カールスルーエ]]、[[ドレスデン]]、[[ベルリン]]、[[ウィーン]]で他のそのような展示会が開催された。これらの展覧会で展示された芸術作品の大部分は、1920年代に著名となり高く評価された前衛芸術家によって製作されたが、展覧会の目的は、賞賛に値するものとして作品を紹介することではなく、それらを嘲笑し非難することだった<ref name="West2000">{{Cite book|last=West|first=Shearer|title=The visual arts in Germany 1890-1937: Utopia and despair|url=https://books.google.com/books?id=JCSsgp4V7eYC&pg=PA189|year=2000|publisher=Manchester University Press|isbn=978-0-7190-5279-8|page=189}}</ref>。
 
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== ポピュラーメディアでの描写 ==
=== 舞台 ===
[[ウージェーヌ・シュー|シュー]]の小説を原作とする[[ジャック・アレヴィ]]のオペラ''"Le Juif errant"''が[[パリ国立オペラ|パリ・オペラ座]](サル・ル・ペルティエ)で1852年4月23日に初演され、2シーズンを超える48回の上演が行われた。その音楽は「さまよえるユダヤ人の[[マズルカ]]」、「さまよえるユダヤ人の[[ワルツ (ダンス)|ワルツ]]」、「さまよえるユダヤ人の[[ポルカ]]」を生み出すほど人気を博した<ref>[[さまよえるユダヤ人#The legend of the Wandering Jew|Anderson, (19911965), p. 259.]]</ref>。
 
「永遠のユダヤ人」と題するヘブライ語の劇が1919年にモスクワ・[[ハビマー劇場]]で初演され、1926年にニューヨークのハビマー劇場で上演''された''<ref name="Nahshon2008">{{Cite book|last=Nahshon|first=Edna|title=Jews and shoes|url=https://books.google.com/books?id=Rx--Mja-DJUC&pg=PA143|accessdate=13 December 2011|date=15 September 2008|publisher=Berg|isbn=978-1-84788-050-5|page=143}}</ref>。
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=== 漫画 ===
1987年1月の[[DCコミックス]]『シークレット・オリジン』第10号ではファントム・ストレンジャー''([[:en:Phantom Stranger|Phantom Stranger]])''にオリジンの可能性を4つ与えている。その1つにストレンジャーは司祭に自分がさまよえるユダヤ人であると確認する<ref>{{Cite comic|Writer=[[:en:Mike W. Barr|Barr, Mike W.]]|Penciller=[[:en:Jim Aparo|Aparo, Jim]]|Inker=Ziuko, Tom|Story=The Phantom Stranger|Title=Secret Origins|Volume=2|Issue=10|Date=January 1987|Publisher=[[DC Comics]]|Page=2-10}}</ref>。
 
[[ヤマザキコレ]]の『[[魔法使いの嫁]]』に登場するカルタフィルス/ヨセフは魔術師達からさまよえるユダヤ人と目されており、とある魔術師に不死の呪いをかけられている。
 
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== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2}}
 
== 参考文献 ==
* Anderson, George K.{{Cite ''book|title=The Legendlegend of the Wandering Jew.'' Providence: |year=1991|publisher=Brown University Press,|author=George 1965.Kumler xi,Anderson|last=Anderson|first=George 489 pK.; reprint edition {{ISBN|0-87451-547-5}}isbn=0874515475|ref=The collectslegend bothof literarythe versionsWandering and folk versions.Jew|location=Providence|origyear=1965}}
* {{cite book|edition=18th|editor=Camilla Rockwood|date=2009|title=Brewer's Dictionary of Phrase and Fable|page=1400|location=Edinburgh|publisher=Chambers Harrap|isbn=9780550104113}}
* Hasan-Rokem, Galit and Alan Dundes ''The Wandering Jew: Essays in the Interpretation of a Christian Legend'' (Bloomington:Indiana University Press) 1986. 20th-century folkloristic renderings.
* Manning, Robert Douglas ''Wandering Jew and Wandering Jewess'' {{ISBNISBN2|978-1-895507-90-4}}
* Gaer, Joseph (Fishman) ''The Legend of the Wandering Jew'' New American Library, 1961 (Dore illustrations) popular account
* Richard I. Cohen, ''The "Wandering Jew" from Medieval Legend to Modern Metaphor'', in Barbara Kirshenblatt-Gimblett and Jonathan Karp (eds), ''The Art of Being Jewish in Modern Times'' (Philadelphia, University of Pennsylvania Press, 2007) (Jewish Culture and Contexts)
* Sabine Baring-Gould, ''Curious Myths of the Middle Ages'' (1894)
**邦訳版:{{Cite book|和書|title=ヨーロッパをさすらう異形の物語(上)|date=2007年10月5日|publisher=[[柏書房株式会社]]|author=[[セイバイサビン・ベアリング=グールド|サビauthorlink=セイバイン・ベアリング=グールド]]|isbn=978-4-7601-3190-7|translator=村田綾子、佐藤利恵、内田久美子|editor=[[池上俊一]]監修|editor-link=池上俊一|ref=ヨーロッパをさすらう異形の物語(上)}}
 
== 関連項目 ==
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*[[プレスター・ジョン]]
* [[トキワツユクサ]] - 英名Wandering jew
* [[イスラエルの失われた10支族]]
 
== 外部リンク ==