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| 監督年2 = 2009-2012 | 監督チーム2 = {{KORf}} U-23
| 監督年3 = 2013-2014 | 監督チーム3 = {{KORf}}
| 監督年4 = 2016-2017 | 監督チーム4 = {{Flagicon|CHN}} [[
| 監督年5 = 2021-2024 | 監督チーム5 = {{Flagicon|KOR}} [[蔚山
| 監督年6 = 2024- | 監督チーム6 = {{KORf}}
}}
'''洪 明甫'''(ホン・ミョンボ、{{lang|ko|홍명보}}、[[1969年]][[2月12日]] - )は、[[大韓民国|韓国]]・[[ソウル特別市|ソウル]]出身の元[[プロフェッショナル (サッカー)|サッカー選手]]、サッカー指導者。
現役時代のポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|センターバック]]、[[ミッドフィールダー|ディフェンシヴハーフ]]。[[サッカー大韓民国代表|韓国代表]]史上最多の136キャップを誇り、[[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]には4大会連続で出場した。また[[ペレ]]が選ぶ[[FIFA 100|偉大なサッカー選手100人]]にも選出されている。引退後にサッカーを通じた慈善活動として財団「洪明甫財団」を設立、子供サッカー教室支援、有望な若手選手の発掘・育成・奨学金支援などを行なっている。 == クラブ経歴 ==
[[1992年]][[浦項スティーラース]]でプロのキャリアをスタートさせ約5年間プレー。1995年5月10日には47メートルのFKを決めた。
[[1994年]]12月28日には、ワールドカップでの活躍で、アジア以外でも存在が知られるようになり、[[ASローマ]]主催のチャリティーマッチに、世界選抜の一員として、アジアから[[三浦知良]]と共に招かれて出場<ref>[http://storiedicalcio.altervista.org/blog/milan-christmas-stars.html Stelle di natale 2016]</ref>、10番を着てプレー、裏に抜け出した三浦にスルーパスを出すなどのプレーを見せた<ref>
[[
[[1999年]]
[[2000年]]には韓国代表そして浦項時代のチームメート[[黄善洪]]がレイソルに加入、またこの年から[[西野朗]]監督からの依頼でキャプテンに就任した<ref name="reysol10"/>。1stステージの第4節の[[FC東京]]戦では決勝ゴールを決め<ref>[
[[2001年]]には洪の誘いで[[柳想鐵]]が加入し、韓国代表選手3名が揃う陣容で優勝を目指したが<ref>『DECADE 柏レイソル10年史』 文化工房・星雲社、2004年、157頁</ref>、チームは調子が出ず低迷した。洪は怪我で2ndステージ、8月18日の[[横浜F・マリノス]]戦以降の試合を欠場し<ref>[
その後、[[浦項スティーラース]]への復帰を経て、新たな挑戦そして、英語やマーケティングなどを学ぶ意味も込め、MLSのL.Aギャラクシーでプレーし<ref>DEAR KAZU 僕を育てた55通の手紙 p.159-161 ホンミョンボとの手紙ページ</ref>、[[2003年]]MLSオールスターゲームにコミッショナー選出で出場、[[2004年]]に現役を退いた。
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[[2004年]][[3月]]に[[ペレ]]が選ぶ[[FIFA 100|偉大なサッカー選手100人]]に選出された。
2019年
== 代表経歴 ==
[[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]には4大会連続出場。[[高麗大学校]]時代より代表入りし、[[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]][[1990 サッカー・ワールドカップ|1990年イタリア大会]]に出場。
[[1994年]]のアメリカ大会では、スペイン戦では1得点1アシスト([[ソ・ジョンウォン]]のゴールをアシスト)、ドイツ戦でも1得点
[[1998 FIFAワールドカップ|1998年フランス大会]]でも、1分け2敗でグループリーグ敗退に終わる。
[[2000年]]にはオーバーエイジ枠で[[2000年シドニーオリンピック|シドニーオリンピック]]にも出場した。
[[2002 FIFAワールドカップ|2002年日韓大会]]では、準々決勝スペイン戦では、
== 指導者経歴 ==
[[2004年]]に現役を退いた後、[[2005年]][[10月]]、[[ディック・アドフォカート]]監督の下、韓国代表アシスタントコーチに就任し、[[2006 FIFAワールドカップ|2006年ワールドカップ]]に参加。アドフォカート退任後に就任した[[ピム・ファーベーク]]監督の下でも同職を務め、[[AFCアジアカップ2007]]に参戦した。[[2007年]]から[[2008年]]までU-23韓国代表のアシスタントコーチを務めた後、[[2009年]]にU-20韓国代表の監督に就任。[[2009 FIFA U-20ワールドカップ|U-20ワールドカップ2009年大会]]で同代表をベスト8に導いた。[[2009年]][[10月]]、その実績を認められオリンピック韓国代表の監督に就任。[[2012年ロンドンオリンピックのサッカー競技|ロンドンオリンピック]]で韓国サッカー史上初となる銅メダル獲得の快挙を果たした。
ロンドンオリンピック後は、[[2013年]][[1月]]から2002年ワールドカップ韓国代表監督だった[[フース・ヒディンク]]が率いる[[ロシアサッカー・プレミアリーグ|ロシアプレミアリーグ]]の[[アンジ・マハチカラ]]で指導者研修を受けた。2013年6月26日、[[2014 FIFAワールドカップ・アジア予選|2014年ワールドカップ予選]]突破後に退任した[[崔康熙]]の後任として、韓国代表監督に就任した。契約では[[2014 FIFAワールドカップ|2014年ワールドカップ]]だけでなく、2015年1月の[[AFCアジアカップ2015|アジアカップ]]まで韓国代表を率いることとなっている<ref>{{Cite web
[[2014年]][[11月]]、[[アジアサッカー連盟|AFC]]初代殿堂入りを果たした<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20141122/252563.html AFC初代殿堂入り10名に奥寺氏、澤、キューウェル氏らが選出] サッカーキング 2014年11月22日</ref>。
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Jリーグのアルビレックス新潟にも興味を示されており、就任の可能性はあったが契約には至らなかったという。
2016シーズンより[[中国サッカー・スーパーリーグ]]の[[
2021年から[[蔚山HD FC|蔚山現代FC]]の監督に就任、2022年にはチームを優勝に導き、リーグの最優秀監督に選出された<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.livedoor.com/article/detail/23082707/|title=元ベルマーレ平塚、柏レイソルの洪明甫が最優秀監督を受賞!蔚山現代を17年ぶりKリーグ優勝に導く|publisher=スポーツソウル日本版|access-date=2022-11-7}}</ref>。
2024年7月、10年ぶりに韓国代表監督に就任した<ref>{{Cite web |title=韓国代表・洪明甫監督内定の裏側…世界でも珍しい韓国サッカー協会の規定があった - 海外サッカー : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/202407080000117.html |website=nikkansports.com |access-date=2024-07-14 |language=ja |last=盧載鎭}}</ref>。
== プレースタイル ==
*キャプテンとしてチームを後方から鼓舞し<ref name="レイソル"/>、鋭い読み、正確な前線へのフィード<ref name="maga949-2">{{Wayback|date=20031211195304|url=http://www.soccer-m.ne.jp/interview/949/index_02.html|title=Interview No.949 (2/2)}} WEBサッカーマガジン (2003年11月12日)</ref>、高度な戦術眼と技術を備え<ref>[
*[[三浦知良]]は洪について、他の韓国人選手の様にガツガツ来るタイプではなく、闘志を内に秘めているが、頭を使ったスマートなプレーをする選手で、ピッチ内外でジェントルマンであったと述べている<ref
*洪に憧れていたという元日本代表の[[茂庭照幸]]は、洪について、前にもいけて、カバーもできる。フィードもうまくて、自分でも持って上がれる。何拍子もそろったすごい選手<ref name="maga949-2"
*日本代表の監督も務めた[[加茂周]]氏は、[[2002 FIFAワールドカップ|2002年日韓大会]]での韓国代表監督ヒディンク監督の一番のヒットは、ベテランDFの洪を代表に呼び戻したことであるとし、ピッチ上に洪という存在が居ることの意味は大きく、洪はプレスに行くのか、待つのか、全体を把握し韓国代表を統率をしている。と評価していた<ref>朝日新聞2002WC 全紙面 P.228-229 ベースボールマガジン社</ref>。
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*キャリアの中で最も情熱を注いだのはレイソル時代だ、と後に回想した<ref name="reysol10"/>。
*柏時代、「日本人選手は勝敗に対して淡白すぎるし、個人主義で人任せなところがある」と言っていた彼は、徹底した勝負根性と自己犠牲の精神を訴え続け、大事な試合前になるとチームメイトを行きつけの焼肉屋に集めて、自腹を切って決起集会を開くこともあった<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/449933 洪明甫が訴え続けたのは、徹底した勝負根性と自己犠牲の精神 NUMBER 2013年6月6日]</ref>。
* [[日本サッカー協会]]の若手育成システムやJリーグの運営法に好
* 自身の出来事を高校の選手権時代から振り返り、また当時在籍していたJリーグで体験した事を韓国のスポーツ新聞で連載した『洪明甫のJリーグ短信』を綴った『LIBERO 洪明甫自伝』が日本では[[集英社]]から出版されている。また、[[2002 FIFAワールドカップ]]開催前に漫画家の[[むつ利之]]がその洪明甫をモデルにして描いた漫画が[[講談社]]の「[[週刊少年マガジン]]」の読切り漫画で掲載された。この作品は後に[[韓国放送公社|KBS第2テレビ]]のバラエティー番組『スポンジ』にて本人の証言で紹介された。
* 韓国のメディアは、若手の韓国人ディフェンダー(特にJリーグに移籍する選手)に対しては「洪明甫二世」という呼び方をすることがある<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/25986 NUMBER チョヒョンス]</ref><ref>[http://web.ultra-soccer.jp/index/index/c/Wcup_Team_32/id/Korea_senryoku 韓国戦力データー]</ref>。
*現役当時韓国のメディアにおいて盛んに、[[井原正巳]]と並ぶアジア最高のリベロと言われた。またどちらがアジア最高のリベロかという比較が日韓メディアで盛んに行われた。2004年に行われた井原の引退試合にも出場した<ref
*Kリーグでプレーした韓国人選手としては、洪が初のJリーグ入りをした選手となり、以降の韓国人プレーヤーのJリーグ加入の道を開いた<ref
*韓国代表や、平塚・柏といったクラブチームでは「20」を好んで付けていた(ベルマーレ入団時は途中入団だったため「37」)。 ロサンゼルス・ギャラクシーでは「18」、「20」は当時のエースストライカー{{仮リンク|カルロス・ウンベルト・ルイス・グティエレス|en|Carlos Ruiz (Guatemalan footballer)|label=カルロス・ルイス}}が着けていた。
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私、洪明甫は、これからも、サッカーと共に、歩み続けたいと、思います。
柏レイソルのサポーター、関係者の皆様、そして日本の皆様、ありがとうございました。」と述べ、日本を去った。
== 個人タイトル ==
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{{サッカー選手国内成績表 th|アメリカ|all}}
|-
|2003||rowspan="2"|[[ロサンゼルス・ギャラクシー|LAギャラクシー]]||||rowspan="2"|[[メジャーリーグサッカー|MLS]]||25||0||colspan="2"|-|||2||0||27||0
|-
|2004||||13||0||colspan="2"|-|||0||0||13||0
{{サッカー選手国内成績表 通算始|3|韓国|Kリーグ}}129||14||27||0||||||||
{{サッカー選手国内成績表 通算行|日本|J1}}114||7||10||2||11||3||135||12
{{サッカー選手国内成績表 通算行|アメリカ|MLS}}38||0||colspan="2"|-|||2||0||40||0
{{サッカー選手国内成績表 通算終}}281||21||37||2||||||||
|}
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=== 国際Aマッチ得点 ===
{| class="wikitable" style=font-size:90%
! # !! 日時 !! 開催地 !! 対戦国
|-
| 1. || 1990年 8月3日 || rowspan="3" | [[北京市|北京]], 中国 || {{fb|CHN}}
|-
| 2. || 1990年 9月23日
|-
| 3. || 1992年 8月24日
|-
| 4. || 1993年 5月13日 || [[ベイルート]], [[レバノン]] || {{fb|IND}} ||
|-
| 5. || 1993年 10月19日 || [[ドーハ]], [[クエート]] || {{fb|IRQ|1991}}
|-
| 6. || 1994年 7月5日 || [[ボストン]], アメリカ || {{fb|ECU}}
|-
| 7. || 1994年 7月17日 || rowspan="2" | [[ダラス]], アメリカ || {{fb|ESP}} ||
|-
| 8. || 1994年 7月27日
|-
| 9. || 1994年 9月11日 ||[[江陵市|江陵]], [[韓国]] || {{fb|UKR}}
|-
| 10. || 1996年 8月8日 || [[ホーチミン市|ホーチミン]], [[ベトナム]] || {{fb|TPE}}
|-
|}
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* 2009年10月 - 2012年 {{Fbu|23|KOR|name=ロンドンオリンピック韓国代表}} 監督
* 2013年6月 - 2014年7月 {{Fb|KOR|name=韓国代表}} 監督
* 2016年1月 - 2017年 {{flagicon|CHN}} [[
* 2021年 - {{flagicon|KOR}} [[蔚山HD FC|蔚山現代FC/蔚山HD FC]] 監督
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
*
*[
*[https://web.archive.org/web/20020223050811/http://www2.asahi.com/2002wcup/column/hon/backnumber.html リベロ通信]
* [http://www.rsssf.com/miscellaneous/hong-intl.html 洪明甫 International Appearances & Goals] rsssf.com
{{蔚山HD FCのメンバー}}
{{柏レイソル歴代主将}}
{{中国プロサッカーリーグ監督}}
256 ⟶ 262行目:
|list1=
{{FIFA 100}}
{{FIFAワールドカップオールスターチーム 2002}}
{{Kリーグ最優秀選手賞}}
{{Kリーグベストイレブン (DF)}}
309 ⟶ 316行目:
[[Category:FIFAセンチュリークラブ]]
[[Category:高麗大学校出身の人物]]
[[Category:在アメリカ合衆国
[[Category:在日韓国人]]
[[Category:ソウル特別市出身の人物]]
[[Category:1969年生]]
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