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| 監督年2 = 2009-2012 | 監督チーム2 = {{KORf}} U-23
| 監督年3 = 2013-2014 | 監督チーム3 = {{KORf}}
| 監督年4 = 2016-2017 | 監督チーム4 = {{Flagicon|CHN}} [[杭州緑城浙江職業足球倶楽部|杭州緑城]]
| 監督年5 = 2021-2024 | 監督チーム5 = {{Flagicon|KOR}} [[蔚山現代HD FC|蔚山現代/蔚山HD]]
| 監督年6 = 2024- | 監督チーム6 = {{KORf}}
}}
'''洪 明甫'''(ホン・ミョンボ、{{lang|ko|홍명보}}、[[1969年]][[2月12日]] - )は、[[大韓民国|韓国]]・[[ソウル特別市|ソウル]]出身の元[[プロフェッショナル (サッカー)|サッカー選手]]、サッカー指導者。2016シーズンより現在は[[中国サッカー・スーパーリーグ]]の[[杭州緑城足球倶楽部韓国代表|杭州緑城同国代表]]の監督を務めていた。元[[サッカー大韓民国代表|韓国代表]]

現役時代のポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|センターバック]]、[[ミッドフィールダー|ディフェンシヴハーフ]]。[[サッカー大韓民国代表|韓国代表]]史上最多の136キャップを誇り、[[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]には4大会連続で出場した。また[[ペレ]]が選ぶ[[FIFA 100|偉大なサッカー選手100人]]にも選出されている。引退後にサッカーを通じた慈善活動として財団「洪明甫財団」を設立、子供サッカー教室支援、有望な若手選手の発掘・育成・奨学金支援などを行なっている。
 
== クラブ経歴 ==
[[1992年]][[浦項スティーラース]]でプロのキャリアをスタートさせ約5年間プレー。1995年5月10日には47メートルのFKを決めた。
 
[[1994年]]12月28日には、ワールドカップでの活躍で、アジア以外でも存在が知られるようになり、[[ASローマ]]主催のチャリティーマッチに、世界選抜の一員として、アジアから[[三浦知良]]と共に招かれて出場<ref>[http://storiedicalcio.altervista.org/blog/milan-christmas-stars.html Stelle di natale 2016]</ref>、10番を着てプレー、裏に抜け出した三浦にスルーパスを出すなどのプレーを見せた<ref> [[週刊サッカーマガジン]] 1995年」1月25日 no.489号 p.20-21 </ref>。12月30日には、[[ACミラン]]主催のチャリティーマッチにも世界選抜の一員として出場した<ref>[https://gorskipark.wordpress.com/2012/12/24/a-christmas-football-carol-the-ac-milan-v-christmas-stars-saga/ A Christmas Football Carol: the AC Milan v Christmas Stars saga 2012年12月24日]</ref>。
 
[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]では[[湘南ベルマーレ|ベルマーレ平塚]]に2シーズン、[[柏レイソル]]に3シーズン在籍。
 
[[1997年日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]6月よりでは[[湘南ベルマーレ|ベルマーレ平塚]]に加入1シーズン半、[[柏レイソル]]に3シーズン在籍Jリーグ移籍前にはイタリア、フランス、ドイツの各強豪と言わまでる様なクラブ、更にスペインの[[FCバルセロナ]]からのオファーも受けたが<ref name=ai>{{cite magazine|title=Soccer ai 1999年8月号|publisher=日刊スポーツ出版社 シリアストーク 洪明甫|page=30-31}}</ref>、数年間獲得に関心を持ち続け、条件のいい熱心なオファーをしていたことから、[[湘南ベルマーレ|ベルマーレ平塚]]にシーズン途中の移籍をした<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bellmare.co.jp/204082|title=【スタッフ日記】ホンミョンボさん「あなたにとってベルマーレとは?」|publisher=SHONAN BELLMARE 50th Anniversary Special Website|access-date=2022-1-16}}</ref>。1994年にもJリーグ入りの話は有ったが<ref name=ai/>、韓国サッカー協会、周囲の反対も有り、Jリーグ入りは実現しなかったが、[[2002 FIFAワールドカップ|2002年日韓大会]]の共同開催が決まったこともあり、ようやく移籍の話がまとまった<ref name="#1">Jリーグ 10年の軌跡 1993~2001 ベースボールマガジン P.126 </ref>。デビュー戦となった7月2日の[[名古屋グランパス]]戦でJリーグデ、[[ドラガン・ストイコューッチ|ストイコビッチ]]果たした完全に抑え込んだ<ref name=ai/>。ベルマーレ在籍中はチーム事情からボランチでプレーした<ref name="reysol10"> 柏レイソル10年史 文化工房 星雲社、2004年、p72-73 {{ISBN2|4-434-04119-3}}</ref>。[[1997年]]12月4日にはワールドカップフランス大会を記念したヨーロッパ選抜対世界選抜の試合に、[[ジネディーヌ・ジダン|ジダン]]、[[中田英寿]]らと共に出場した。
 
[[1999年]]ヨーロッパのクラブからもオファーを受けたが<ref name=ai/>、[[柏レイソル]]に移籍、Jリーグで初の韓国人選手のキャプテンとなった。洪の加入でレイソルの守備は安定し<ref name="レイソル"/>、1st、2ndステージ共に4位の成績を残した<ref name="レイソル"/>。1stステージ、3月13日、第2節の[[アビスパ福岡]]戦でJリーグでの移籍後初ゴールを決め<ref name="DJ">{{citeCite web |和書| url =https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=4244| title =洪 明甫| publisher=j-league| accessdate =17 April 2020}}</ref>、5月29日15節の古巣[[湘南ベルマーレ|ベルマーレ平塚]]戦では同点ゴールを決めた<ref>Jリーグ 10年の軌跡 1993-2002 ベースボールマガジン社 P.190</ref>。第2ステージ12節のアビスパ福岡戦でゴール、13節の[[ジュビロ磐田]]戦では決勝ゴールを決める活躍を見せた<ref>Jリーグ 10年の軌跡 1993-2002 ベースボールマガジン社 P.191-192</ref>。同年のナビスコカップ 準々決勝、[[ジュビロ磐田]]戦第1戦ではロスタイムにゴールを決め、準決勝進出に貢献<ref>[https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=4437 ’99Jリーグ ヤマザキナビスコカップ 準々決勝第1戦]-JLEAGUE DATA</ref>、準決勝の[[名古屋グランパス]]戦、2ndレグでイエローカードを受け<ref>[https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=4447 ’99Jリーグ ヤマザキナビスコカップ 準決勝第2戦]-JLEAGUE DATA</ref>、イエローカード累積の為、決勝の[[鹿島アントラーズ]]戦ではプレー出来なかったが、[[Jリーグカップ|ナビスコカップ]]優勝に貢献した。また同年開催された [[Jリーグオールスターサッカー|Jリーグたらみオールスターサッカー]]に出場した<ref>[https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=4399 1999年Jリーグたらみオールスターサッカー]-JLEAGUE DATA</ref>。
 
[[2000年]]には韓国代表そして浦項時代のチームメート[[黄善洪]]がレイソルに加入、またこの年から[[西野朗]]監督からの依頼でキャプテンに就任した<ref name="reysol10"/>。1stステージの第4節の[[FC東京]]戦では決勝ゴールを決め<ref>[httphttps://www.youtube.com/watch?v=z9E2ToWi2to Jリーグ公式クロニクルベストマッチ 洪明甫決勝ゴール 2000年4月1日 J1リーグ 1stステージ 第4節 FC東京vs柏レイソル]-Jリーグ公式</ref>、5月20日、第14節の[[川崎フロンターレ]]戦では先制点を決めた<ref>Jリーグ 10年の軌跡 1993-2002 ベースボールマガジン社 P.198</ref>。2ndステージ最終節柏は[[鹿島アントラーズ]]との直接対決で勝てば優勝というところまで迫るも、スコアレスドローで2位となり、ステージ優勝は逃したが<ref name="レイソル">[http://www.reysol.co.jp/club/history/chronology/9600.php 。歴史年表1996-2000]-柏レイソル公式サイト</ref>(年間勝点数ではリーグ1位となった。<ref name="レイソル"/>)、チームを牽引して、Jリーグベストイレブンに選ばれた<ref name="レイソル"/>。
 
[[2001年]]には洪の誘いで[[柳想鐵]]が加入し、韓国代表選手3名が揃う陣容で優勝を目指したが<ref>『DECADE 柏レイソル10年史』 文化工房・星雲社、2004年、157頁</ref>、チームは調子が出ず低迷した。洪は怪我で2ndステージ、8月18日の[[横浜F・マリノス]]戦以降の試合を欠場し<ref>[httphttps://web.archive.org/web/20011103025756/http://www.reysol.co.jp:80/news/2001082402.html 洪 明甫選手の負傷について]-Reysol公式サイトアーカイブ</ref><ref>[http://www.reysol.co.jp/club/history/chronology/0105.php 歴史年表2001-2005]-柏レイソル公式サイト</ref>、2001年12月9日退団セレモニーが行われ<ref>[httphttps://web.archive.org/web/20020409203905fw_/http://www.reysol.co.jp:80/news/2001120602.html 洪 明甫選手退団のお知らせ]-Reysol公式サイトアーカイブ</ref>、レイソルを退団した。同年8月4日にはJリーグたらみオールスターサッカーに出場した<ref>[https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=5638 2001年Jリーグたらみオールスターサッカー]-JLEAGUE DATA</ref>。
 
その後、[[浦項スティーラース]]への復帰を経て、新たな挑戦そして、英語やマーケティングなどを学ぶ意味も込め、MLSのL.Aギャラクシーでプレーし<ref>DEAR KAZU 僕を育てた55通の手紙 p.159-161 ホンミョンボとの手紙ページ</ref>、[[2003年]]MLSオールスターゲームにコミッショナー選出で出場、[[2004年]]に現役を退いた。
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[[2004年]][[3月]]に[[ペレ]]が選ぶ[[FIFA 100|偉大なサッカー選手100人]]に選出された。
 
2019年にはJリーググローバルアンバサダーに就任した<ref>{{cite news | url =https://www.jleague.jp/news/article/14850/ | publisher =jleague.jp | title =ジーコ、ギド ブッフバルト、ドゥンガ、洪 明甫の4氏が、Jリーググローバルアンバサダーに就任 | Date= June 30 2019|accessdate =8 April 2020}}</ref>。
 
== 代表経歴 ==
[[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]には4大会連続出場。[[高麗大学校]]時代より代表入りし、[[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]][[1990 サッカー・ワールドカップ|1990年イタリア大会]]に出場。
 
[[1994年]]のアメリカ大会では、スペイン戦では1得点1アシスト([[ソ・ジョンウォン]]のゴールをアシスト)、ドイツ戦でも1得点1アシスト([[ファン・ソンホン]]のゴールアシスト)し決めたが、2分け1敗でグループリーグ敗退した
 
[[1998 FIFAワールドカップ|1998年フランス大会]]でも、1分け2敗でグループリーグ敗退に終わる。
 
[[2000年]]にはオーバーエイジ枠で[[2000年シドニーオリンピック|シドニーオリンピック]]にも出場した。
 
[[2002 FIFAワールドカップ|2002年日韓大会]]では、準々決勝スペイン戦では、PkPK戦で5人目のキッカーとしてPKを成功させ、韓国はベスト4入りとなった。韓国代表のベスト4進出に大きく貢献し<ref>[https://news.yahoo.co.jp/byline/shinmukoengexpert/20170214-00067637articles/3194c485ea2c60cae6e62d80ff25f2faeba71d52  洪明甫 カリスマが語る日韓中サッカー比較 2017年2月14日]</ref>、アジア人初のブロンズボール賞に輝いた<ref>[http://www.midfielddynamo.com/worldcup/wc_aw_goldenball.htm Golden Ball Award]</ref><ref>[http://www.telegraph.co.uk/sport/football/3030503/Kahn-wins-Golden-Ball.html Kahn wins Golden Ball]-telegraph誌</ref>。
 
== 指導者経歴 ==
[[2004年]]に現役を退いた後、[[2005年]][[10月]]、[[ディック・アドフォカート]]監督の下、韓国代表アシスタントコーチに就任し、[[2006 FIFAワールドカップ|2006年ワールドカップ]]に参加。アドフォカート退任後に就任した[[ピム・ファーベーク]]監督の下でも同職を務め、[[AFCアジアカップ2007]]に参戦した。[[2007年]]から[[2008年]]までU-23韓国代表のアシスタントコーチを務めた後、[[2009年]]にU-20韓国代表の監督に就任。[[2009 FIFA U-20ワールドカップ|U-20ワールドカップ2009年大会]]で同代表をベスト8に導いた。[[2009年]][[10月]]、その実績を認められオリンピック韓国代表の監督に就任。[[2012年ロンドンオリンピックのサッカー競技|ロンドンオリンピック]]で韓国サッカー史上初となる銅メダル獲得の快挙を果たした。
 
ロンドンオリンピック後は、[[2013年]][[1月]]から2002年ワールドカップ韓国代表監督だった[[フース・ヒディンク]]が率いる[[ロシアサッカー・プレミアリーグ|ロシアプレミアリーグ]]の[[アンジ・マハチカラ]]で指導者研修を受けた。2013年6月26日、[[2014 FIFAワールドカップ・アジア予選|2014年ワールドカップ予選]]突破後に退任した[[崔康熙]]の後任として、韓国代表監督に就任した。契約では[[2014 FIFAワールドカップ|2014年ワールドカップ]]だけでなく、2015年1月の[[AFCアジアカップ2015|アジアカップ]]まで韓国代表を率いることとなっている<ref>{{Cite web |和書|publisher=Goal |url=http://www.goal.com/jp/news/3476/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2/2013/06/24/4070125/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%9F%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%9C%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%81%AE%E5%B0%B1%E4%BB%BB%E3%82%92%E6%AD%A3%E5%BC%8F%E7%99%BA%E8%A1%A8?ICID=OP |title=韓国代表、ホン・ミョンボ監督の就任を正式発表 |date=2013-06-24 |accessdate=2013-06-24}}</ref>。2014年、ワールドカップ本戦は1分2敗でグループリーグ最下位で敗退し、[[大韓サッカー協会]]に辞意を伝えたが7月3日に協会は洪の続投を決定<ref name="AS140710">{{Cite news |title=韓国の洪明甫監督、一転して辞任表明 W杯で不振|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2014-07-10|author=貝瀬秋彦|url=http://www.asahi.com/articles/ASG7B55NWG7BPTQP009.html|accessdate=2014-07-24}}</ref> した。しかし、10日になり一転して辞任することを表明した<ref name="AS140710"/>。ワールドカップ敗退後に選手たちと会食した時の映像が流出した<ref>{{Cite news |title=批判報道で退任を決めたホン・ミョンボ 韓国サッカー界を揺らした突然の辞任劇|newspaper=[[Yahoo! JAPAN|スポーツナビ]]|date=2014-07-18|author=キム・ミョンウ|url=http://brazil2014.yahoo.co.jp/column/detail/201407180001-spnavi|accessdate=2014-07-24}}</ref> ことや、代表メンバー選考において個人的な関係を優先した「義理起用」<ref>{{Cite news |title=韓国代表・洪明甫監督が電撃辞任!留任決定から1週間で|newspaper=[[サンケイスポーツ]]|date=2014-07-10|url=http://www.sanspo.com/soccer/news/20140710/wcp14071011480029-n1.html|accessdate=2014-07-24}}</ref> などで批判報道に晒されていた。
 
[[2014年]][[11月]]、[[アジアサッカー連盟|AFC]]初代殿堂入りを果たした<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20141122/252563.html AFC初代殿堂入り10名に奥寺氏、澤、キューウェル氏らが選出] サッカーキング 2014年11月22日</ref>。
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Jリーグのアルビレックス新潟にも興味を示されており、就任の可能性はあったが契約には至らなかったという。
 
2016シーズンより[[中国サッカー・スーパーリーグ]]の[[杭州緑城浙江職業足球倶楽部|杭州緑城]]の監督をしていたが、2017年5月に退任した
 
2021年から[[蔚山HD FC|蔚山現代FC]]の監督に就任、2022年にはチームを優勝に導き、リーグの最優秀監督に選出された<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.livedoor.com/article/detail/23082707/|title=元ベルマーレ平塚、柏レイソルの洪明甫が最優秀監督を受賞!蔚山現代を17年ぶりKリーグ優勝に導く|publisher=スポーツソウル日本版|access-date=2022-11-7}}</ref>。
 
2024年7月、10年ぶりに韓国代表監督に就任した<ref>{{Cite web |title=韓国代表・洪明甫監督内定の裏側…世界でも珍しい韓国サッカー協会の規定があった - 海外サッカー : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/202407080000117.html |website=nikkansports.com |access-date=2024-07-14 |language=ja |last=盧載鎭}}</ref>。
 
== プレースタイル ==
*キャプテンとしてチームを後方から鼓舞し<ref name="レイソル"/>、鋭い読み、正確な前線へのフィード<ref name="maga949-2">{{Wayback|date=20031211195304|url=http://www.soccer-m.ne.jp/interview/949/index_02.html|title=Interview No.949 (2/2)}} WEBサッカーマガジン (2003年11月12日)</ref>、高度な戦術眼と技術を備え<ref>[httphttps://web.archive.org/web/20011120161351/http://www.reysol.co.jp:80/news/98122201.html ベルマーレ平塚・洪 明甫 選手を獲得]-Reysol公式サイトarchivedate=2001-07-20</ref>、またミドルシュートを得意とし、センターバックやボランチの位置でプレーした<ref> name="#2">DEAR KAZU 僕を育てた55通の手紙 p.161-164ホンミョンボとの手紙ページ</ref>。またレイソルでは彼が後方からチームを鼓舞することで、[[北嶋秀朗]]、[[明神智和]]、[[大野敏隆]]、[[平山智規]]ら若い選手たちの急速な成長を促した<ref name="レイソル"/>。
*[[三浦知良]]は洪について、他の韓国人選手の様にガツガツ来るタイプではなく、闘志を内に秘めているが、頭を使ったスマートなプレーをする選手で、ピッチ内外でジェントルマンであったと述べている<ref> DEAR KAZU 僕を育てた55通の手紙 p.161-164ホンミョンボとの手紙ページ<name="#2"/ref>。
*洪に憧れていたという元日本代表の[[茂庭照幸]]は、洪について、前にもいけて、カバーもできる。フィードもうまくて、自分でも持って上がれる。何拍子もそろったすごい選手<ref name="maga949-2">{{Wayback|date=20031211195304|url=http://www.soccer-m.ne.jp/interview/949/index_02.html|title=Interview No.949 (2/2)}} WEBサッカーマガジン (2003年11月12日)</ref>、とインタビューで話していた。
*日本代表の監督も務めた[[加茂周]]氏は、[[2002 FIFAワールドカップ|2002年日韓大会]]での韓国代表監督ヒディンク監督の一番のヒットは、ベテランDFの洪を代表に呼び戻したことであるとし、ピッチ上に洪という存在が居ることの意味は大きく、洪はプレスに行くのか、待つのか、全体を把握し韓国代表を統率をしている。と評価していた<ref>朝日新聞2002WC 全紙面 P.228-229 ベースボールマガジン社</ref>。
 
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*キャリアの中で最も情熱を注いだのはレイソル時代だ、と後に回想した<ref name="reysol10"/>。
*柏時代、「日本人選手は勝敗に対して淡白すぎるし、個人主義で人任せなところがある」と言っていた彼は、徹底した勝負根性と自己犠牲の精神を訴え続け、大事な試合前になるとチームメイトを行きつけの焼肉屋に集めて、自腹を切って決起集会を開くこともあった<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/449933 洪明甫が訴え続けたのは、徹底した勝負根性と自己犠牲の精神 NUMBER 2013年6月6日]</ref>。
* [[日本サッカー協会]]の若手育成システムやJリーグの運営法に好抱い持っており、「[[大韓サッカー協会]]は日本のサッカー協会から多くのことを学ぶ必要があるのです」との見解を示している。また、有望な韓国人サッカー選手が、相次いでJリーグへの進出を志望していることに対しては「Jリーグに行ってコンビニの弁当を食べながら、トレーニングする状況を選択してはいけない」「若いころから日本に渡ると、私生活で壁にぶち当たり、自分のレベルを引き上げるのが難しくなる」と警鐘を鳴らしている<ref>[http://www.kfa.or.kr/Japan_kfa/news/news/view.asp?g_gubun=2&g_conid=200910231159 大韓サッカー協会公式サイト U-20韓国代表のホン・ミョンボ監督「有望選手のJリーグ進出に憂慮」(2009-10-23)]</ref>。
* 自身の出来事を高校の選手権時代から振り返り、また当時在籍していたJリーグで体験した事を韓国のスポーツ新聞で連載した『洪明甫のJリーグ短信』を綴った『LIBERO 洪明甫自伝』が日本では[[集英社]]から出版されている。また、[[2002 FIFAワールドカップ]]開催前に漫画家の[[むつ利之]]がその洪明甫をモデルにして描いた漫画が[[講談社]]の「[[週刊少年マガジン]]」の読切り漫画で掲載された。この作品は後に[[韓国放送公社|KBS第2テレビ]]のバラエティー番組『スポンジ』にて本人の証言で紹介された。
* 韓国のメディアは、若手の韓国人ディフェンダー(特にJリーグに移籍する選手)に対しては「洪明甫二世」という呼び方をすることがある<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/25986 NUMBER チョヒョンス]</ref><ref>[http://web.ultra-soccer.jp/index/index/c/Wcup_Team_32/id/Korea_senryoku 韓国戦力データー]</ref>。
*現役当時韓国のメディアにおいて盛んに、[[井原正巳]]と並ぶアジア最高のリベロと言われた。またどちらがアジア最高のリベロかという比較が日韓メディアで盛んに行われた。2004年に行われた井原の引退試合にも出場した<ref> DEAR KAZU 僕を育てた55通の手紙 p.161-164ホンミョンボとの手紙ページ<name="#2"/ref>。
*Kリーグでプレーした韓国人選手としては、洪が初のJリーグ入りをした選手となり、以降の韓国人プレーヤーのJリーグ加入の道を開いた<ref>Jリーグ 10年の軌跡 1993~2001 ベースボールマガジン P.126 <name="#1"/ref>。
*韓国代表や、平塚・柏といったクラブチームでは「20」を好んで付けていた(ベルマーレ入団時は途中入団だったため「37」)。 ロサンゼルス・ギャラクシーでは「18」、「20」は当時のエースストライカー{{仮リンク|カルロス・ウンベルト・ルイス・グティエレス|en|Carlos Ruiz (Guatemalan footballer)|label=カルロス・ルイス}}が着けていた。
 
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私、洪明甫は、これからも、サッカーと共に、歩み続けたいと、思います。
柏レイソルのサポーター、関係者の皆様、そして日本の皆様、ありがとうございました。」と述べ、日本を去った。
 
2001年12月9日、柏レイソルのオフィシャルサイトに掲載の挨拶
 
== 個人タイトル ==
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{{サッカー選手国内成績表 th|アメリカ|all}}
|-
|2003||rowspan="2"|[[ロサンゼルス・ギャラクシー|LAギャラクシー]]||||rowspan="2"|[[メジャーリーグサッカー|MLS]]||25||0||colspan="2"|-|||2||0||27||0
|-
|2004||||13||0||colspan="2"|-|||0||0||13||0
{{サッカー選手国内成績表 通算始|3|韓国|Kリーグ}}129||14||27||0||||||||
{{サッカー選手国内成績表 通算行|日本|J1}}114||7||10||2||11||3||135||12
{{サッカー選手国内成績表 通算行|アメリカ|MLS}}38||0||colspan="2"|-|||2||0||40||0
{{サッカー選手国内成績表 通算終}}281||21||37||2||||||||
|}
 
202 ⟶ 205行目:
=== 国際Aマッチ得点 ===
{| class="wikitable" style=font-size:90%
! # !! 日時 !! 開催地 !! 対戦国 !! スコア !! 試合結果 !! 大会
|-
| 1. || 1990年 8月3日 || rowspan="3" | [[北京市|北京]], 中国 || {{fb|CHN}} || 1 || 1–1 (6–5 PK) || [[ダイナスティカップ|1990 ダイナスティカップ]]
|-
| 2. || 1990年 9月23日 || [[北京市|北京]], 中国 || {{fb|SIN}} || 1 || 7–0 || アジア競技大会
|-
| 3. || 1992年 8月24日 || [[北京市|北京]], 中国 || {{fb|PRK}} || 1 || 1–1 || [[ダイナスティカップ|1992 ダイナスティカップ]]
|-
| 4. || 1993年 5月13日 || [[ベイルート]], [[レバノン]] || {{fb|IND}} || 13–0 || 3–0rowspan="2" || 1994 FIFA ワールドカップ予選
|-
| 5. || 1993年 10月19日 || [[ドーハ]], [[クエート]] || {{fb|IRQ|1991}} || 1 || 2–2 || FIFA 1994 ワールドカップ予選
|-
| 6. || 1994年 7月5日 || [[ボストン]], アメリカ || {{fb|ECU}} || 1 || 1–2 || 親善試合
|-
| 7. || 1994年 7月17日 || rowspan="2" | [[ダラス]], アメリカ || {{fb|ESP}} || 12–2 || 2–2rowspan="2" || 1994 FIFA ワールドカップ
|-
| 8. || 1994年 7月27日 || [[ダラス]], アメリカ || {{fb|DEU}} || 1 || 2–3 || 1994 FIFA ワールドカップ
|-
| 9. || 1994年 9月11日 ||[[江陵市|江陵]], [[韓国]] || {{fb|UKR}} || 1 || 1–0 || 親善試合
|-
| 10. || 1996年 8月8日 || [[ホーチミン市|ホーチミン]], [[ベトナム]] || {{fb|TPE}} || 1 || 4–0 || 1996 アジアカップ予選
|-
|}
232 ⟶ 235行目:
* 2009年10月 - 2012年 {{Fbu|23|KOR|name=ロンドンオリンピック韓国代表}} 監督
* 2013年6月 - 2014年7月 {{Fb|KOR|name=韓国代表}} 監督
* 2016年1月 - 2017年 {{flagicon|CHN}} [[杭州緑城浙江職業足球倶楽部|杭州緑城足球倶楽部]] 監督
* 2021年 - {{flagicon|KOR}} [[蔚山HD FC|蔚山現代FC/蔚山HD FC]] 監督
 
== 脚注 ==
245 ⟶ 249行目:
 
== 外部リンク ==
* {{J.LeagueSports playerlinks}}
*[httphttps://www.youtube.com/watch?v=z9E2ToWi2to Jリーグ公式クロニクルベストマッチ 洪明甫決勝ゴール 2000年4月1日 J1リーグ 1stステージ 第4節 FC東京vs柏レイソル]
*[https://web.archive.org/web/20020223050811/http://www2.asahi.com/2002wcup/column/hon/backnumber.html リベロ通信]
* {{K League player}}
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