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|監督年3=2019-2020|監督チーム3={{Flagicon|ESP}} [[UDアルメリア]]
}}
'''グティ''' (Guti) こと'''ホセ・マリア・グティエレス・エルナンデス'''(José María Gutiérrez Hernández、[[1976年]][[10月31日]] - )は[[スペイン]]・[[マドリード州]][[トレホン・デ・アルドス]]出身の元[[プロサッカー選手|サッカー選手]]、現サッカー指導者・解説者。現役時代は[[サッカースペイン代表|スペイン代表]]でポジションは[[ミッドフィールダー]]だが、2000-01・2001-02シーズンはチーム事情により[[フォワード (サッカー)|フォワード]]としてでもプレーした。現在は[[DAZN]]のサッカー解説者を務めている
 
グラウンダーの高速スルーパスを多用したゲームメークが得意で創造性に溢れるパスは見ている人間を楽しませた。また[[フリーキック (サッカー)|フリーキック]]やシュートも正確である。カンテラ時代はトップ下で毎シーズン30得点前後を記録していた<ref name="wsd303">「つねに自分らしく」『[[ワールドサッカーダイジェスト|WORLD SOCCER DIGEST]] No.303』 第15巻第22号、[[日本スポーツ企画出版社]]、2009年、74-77頁</ref>。
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1999-2000シーズンは[[クラレンス・セードルフ]]にポジションを奪われ、倒れた相手を蹴って退場になったこともあったが、[[ビセンテ・デル・ボスケ]]監督に信頼されて中盤の軸になった<ref name="Goal20100727" />。試合中に感情をあらわにする欠点があり、2010年までにリーグ戦だけで8度の退場処分を受けている。同シーズンには再び[[UEFAチャンピオンズリーグ]]のタイトルを獲得し、自身はリーグ戦28試合に出場して6得点を決めた。2000-01シーズンはFW[[フェルナンド・モリエンテス]]が怪我で長期離脱したため、シーズンの大半の試合でフォワードとして出場し、キャリアハイの得点数(14得点)を記録した。27度目のリーグタイトルを獲得し、[[スーペルコパ・デ・エスパーニャ]]でも優勝した。人口約5万人の小都市に本拠地を置く[[ビジャレアルCF]]とのアウェー戦では彼らのファンに対して「田舎者」と言い放って中指を突きたて、スペイン国内すべての新聞で報じられる問題を引き起こした<ref name="Goal20100727" />。
 
2002年にFW[[ロナウド]]が加入すると、FWでプレーしていたグティはポジションを奪われた。しかし、ボランチでプレーしていた[[イバン・エルゲラ]]がCBへコンバートされ、守備的MF[[クロード・マケレレ]]のパートナーが定まっていなかったことで、デル・ボスケ監督はグティをセンターハーフに抜擢した。このコンバートが大成功し、グティは新たなポジションを獲得。再び中盤でプレーするようになり、2度目の[[UEFAチャンピオンズリーグ]]、[[UEFAスーパーカップ]]、[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|インターコンチネンタルカップ]](2002年大会では1ゴールを決めて優勝に貢献した<ref>{{cite web | url =httphttps://www.ntv.co.jp/fcwc/2011/toyota.html| title=FIFA CLUB WORLD CUP の歴史| publisher=NTV| accessdate =6 June 2020}}</ref>。)のタイトルを獲得した。2004-05シーズンは過去7シーズンで初めてリーグ戦ノーゴールに終わり、このシーズンの彼のゴールは、2005年2月にスペイン代表の[[サッカーサンマリノ代表|サンマリノ]]戦で挙げた1点だけだった。2005-06シーズンは公式戦を通じて43試合に出場し、リーグ戦で4ゴール、欧州カップ戦で2ゴールを挙げた。
 
2006年夏、[[ACミラン]]からMF[[カカ (サッカー選手)|カカ]]を引き抜くことを公約に掲げた[[ラモン・カルデロン]]がクラブの新会長に当選したため、カカとポジションが重なるグティの将来に暗雲が漂った。彼はローカルライバルの[[アトレティコ・マドリード]]に移籍することも検討したが、結局移籍することはなく、カカもACミランに残留した。[[2006 FIFAワールドカップ]]をもって[[ジネディーヌ・ジダン]]が現役引退したため、2006-07シーズンは司令塔のポジションに定着し、チームで唯一違いが生み出せる選手と評価された。多くのゴールをアシストし、30回目のリーグ優勝に貢献した。後に、過去の優勝の中でこのシーズンのリーグ優勝が一番嬉しかったとインタビューで語っている。
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}}</ref>。2016年1月、[[レアル・マドリード・カスティージャ|カスティージャ]]を率いていたジネディーヌ・ジダンのトップチームの監督就任に伴い、各カテゴリーの監督も繰り上げ昇格され、フベニールB(U-18)の監督に就任<ref>[http://www.goal.com/jp/news/73/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3/2016/02/21/20567552/%E3%82%B8%E3%83%80%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E5%B0%B1%E4%BB%BB%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%8C%E5%A4%89%E5%8C%96%E3%81%97%E3%81%9F%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B0%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%89%E3%81%8C%E7%8E%87%E3%81%84%E3%82%8B%E4%B8%8B%E9%83%A8%E7%B5%84%E7%B9%94%E3%81%AE%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%82%E7%B5%B6%E5%A5%BD%E8%AA%BF ジダンの監督就任からすべてが変化したレアル・マドリー…ソラーリ、グティらが率いる下部組織のチームも絶好調] Goal.com 2016年2月21日</ref>、フベニールA(U-19)の監督であった[[サンティアゴ・ソラーリ]]の昇格に伴い、2016-2017シーズンよりフベニールAの監督に昇格<ref>[http://www.goal.com/jp/news/73/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3/2016/08/02/26139332/u19%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%AB%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%B0%E3%83%86%E3%82%A3%E6%B0%97%E6%80%A7%E3%81%AE%E8%8D%92%E3%81%95%E3%81%AF%E5%A4%89%E3%82%8F%E3%82%89%E3%81%9A-%E5%AF%A9%E5%88%A4%E3%81%8C%E4%BD%95%E5%BA%A6%E3%82%82%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%A7%E6%8C%87%E7%A4%BA%E3%82%92%E9%80%81%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B U−19レアル監督となったグティ、気性の荒さは変わらず? 審判が「何度もスタンドで指示を送ることになる」] Goal.com 2016年8月2日</ref>。迎えた2016-2017シーズンはタレントにも恵まれて快進撃を見せ、[[UEFAユースリーグ]]は2年連続の4強に終わったが、[[ディビシオン・デ・オノール・フベニール|地域リーグ]]優勝、地域リーグの王者による全国大会[[コパ・デ・カンペオネス・フベニール]]優勝、さらに[[コパ・デル・レイ・フベニール]]でも優勝し、クラブ史上初の国内三冠に導いた<ref>[http://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=25822 かつての天才イケメンMF、指導者としても評価上昇中! 「監督グティ」はジダンの後継者となれるか!?] SoccerDIGEST、2017年5月18日</ref>。
 
2018年夏、グティ本人はトップチームの監督就任を望んでいたが、電撃辞任したジダンの後任は[[フレン・ロペテギ]]に決まり、上位カテゴリーのカスティージャ監督のソラーリも留任したことから、現役時代の晩年を過ごした[[ベシクタシュJK]]のオファーを受け、同クラブのアシスタントコーチに就任した。なお2021年のインタビューで語ったところによれば、この際にレアル・マドリードからの慰留を拒否してベシクタシュのオファーを受けたことで現在は、レアル・マドリードとの関係が途切れていることを明かしている<ref>{{Cite web|url=https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=390970|title=「ドアは閉まっている」無職のグティ、かつて育ったレアル復帰の可能性なし|publisher=超WORLDサッカー!|accessdate=2023年8月21日|date=2021年2月3日}}</ref>
 
2019年11月4日、[[UDアルメリア]]の監督に就任したことが発表された<ref>{{Cite web|url= https://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20191105/995333.html?cx_top=topix |title= 元レアルMFグティ氏、スペイン2部アルメリアの新指揮官に就任決定! |publisher=サッカーキング|accessdate=2019年11月6日|date=2019年11月5日}}</ref>。監督就任後はリーグ戦9勝5分7敗で2020年6月時点では自動昇格圏の2位に迫る3位につけていたが、6月25日の対ADアルコルコン戦に敗戦して、2位以内が厳しくなったことからグティの解任が発表された(その後、アルメリアは最終順位4位で昇格プレーオフに進むも敗退している)。
 
2022年8月、[[DAZN]]スペインのサッカー解説者に就任したことが発表された<ref>{{Cite web|url=https://www.daily.co.jp/soccer/2022/08/04/0015527982.shtml|title=元スペイン代表グティ、ビジャとともにテレビ解説へ|publisher=デイリースポーツ|accessdate=2023年8月21日|date=2022年8月4日}}</ref>。
 
== 評価 ==
{{スポーツ選手の出典明記|評価|section=1|date=2010年12月}}
[[ビセンテ・デル・ボスケ]]には「グティに[[ラウル・ゴンサレス]]ほどの努力と謙虚な気持ちがあったなら、フットボール史に残る選手となっていただろう」と評された<ref name="wowow"/>。

[[ロナウド]]が[[レアル・マドリード]]に移籍して一番驚かされた選手はグティであったという。また[[ルート・ファン・ニステルローイ]]も「グティほど天才という言葉が似合う選手はいない、グティは本当にパスが上手であり、スペイン代表に招集されないのはおかしい」と発言している。この2人は何度もグティのアシストから得点を決めた。
 
他にも[[アントニオ・カッサーノ]]も「正しい時期に平静を保ち、完璧なプロであれば、フットボール史上最高の選手になり得た。 クオリティが詰まったカバンを持った異星人だった」とスペイン[[アス紙]]で語るなど、その能力の高さは多くの人に認められてきた。
 
== 人物 ==
愛車は[[ポルシェ]]で<ref>[http://www.madridismo.com/guti.htm グティ] 熱狂的レアル・マドリードファン</ref>、側面には自身の背番号である14が入っている。
 
趣味は時計のコレクション<ref name="wsd303"/>。また[[ゴルフ]]も趣味で、[[ハンデキャップ (ゴルフ)]]は2009年時点で7である<ref name="wsd303"/>。
 
==個人成績==
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! # !! 日時 !! 場所 !! 対戦相手 !! スコア !! 最終結果 !! 大会
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| 1. || 2002年10月12日 || {{Flagicon|ESP}} [[アルバセテ]]、[[エスタディオ・カルロス・ベルモンテ]] || {{NILf}} || '''2'''-0 || 3-0 || [[UEFA EURO 2004]]予選
|-
| 2. || 2003年2月12日 || {{Flagicon|ESP}} [[パルマ・デ・マヨルカ]]、[[エスタディ・デ・ソン・モイシュ]] || {{GERf}} || '''3'''-1 || 3-1 || 親善試合
|-
| 3. || 2005年2月9日 || {{Flagicon|ESP}} [[アルメリア]]、[[エスタディオ・デ・ロス・フエゴス・メディテラネオス]] || {{SMRf}} || '''4'''-0 || 5-0 || [[2006 FIFAワールドカップ]]欧州予選
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