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{{Otheruseslist|[[日本]][[国旗]]としての'''日の丸'''|'''日章旗'''を題材とした歌[http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/hinomaru.html]([[s:日の丸の旗]])|日の丸の旗 (曲)|集英社が発行した漫画雑誌|日の丸 (漫画雑誌)|「'''日本の旗'''」はこの項目に[[WP:リダイレクト|転送]]されています。その他の用法|日本の旗一覧}}
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: 平成十一年法律第百二十七号(1999年)
}}
'''日本の国旗'''(にっぽんのこっき、にほんのこっき)は、[[白]]地に[[赤|紅色]][[円 (数学)|丸]]が描かれた[[旗]]。法律上は'''日章旗'''(にっしょうき)と呼ばれ、[[日本]]では古くから、一般的に'''日の丸'''(ひのまる)と呼ばれる。日本では[[聖徳太子]]が[[遣隋使]]に託した文書以来、自国を"日出る国"とする考え方があり、赤い日の丸は日の出の[[太陽]]を象徴する。 また[[紅白]]は日本の伝統色で、めでたいものとされており、赤は[[wikt:博愛|博愛]]と[[活力]]、白は[[神聖]]と[[純潔]]を意味するとも言われている<ref name = japanese_flag>[https://www.sarago.co.jp/nfhtm/jp.html#:~:text=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7%E3%81%AF%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90%E3%81%8C,%E3%82%82%E8%A8%80%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82 日本の国旗 世界の国旗図鑑]</ref>。
 
[[1999年]]([[平成]]11年)に公布・施行された「[[国旗及び国歌に関する法律]]」(通称:国旗・国歌法)の規定によれば、「[[旗]]の形は縦が横の3分の2の[[長方形]]。[[日章]]の[[直径]]は縦の5分の3で[[中心]]は旗の中心。地色は[[白|白色]]、日章は[[紅色]]」とされている。上下・左右対称である。平家の旗である錦の御紋(天皇家とは無関係)と似ている。
 
主に旧[[日本軍]]や[[自衛隊]]で使用されている[[日章]]と[[太陽光|旭光]]を[[デザイン|意匠化]]した旗については、「'''[[旭日旗]]'''(きょくじつき)」を参照。
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この太陽を象った旗を用いるようになったのは、[[645年]]([[大化]]元年)の[[乙巳の変]]以後、[[天皇]]による[[親政]]が確立された頃からと考えられる<ref>泉欣七郎、千田健共編『日本なんでもはじめ』ナンバーワン、1985年、149頁、ISBN 4931016065</ref>。文献としては、[[797年]]([[延暦]]16年)の『[[続日本紀]]』の中にある[[文武天皇]]の[[701年]]([[大宝 (日本)|大宝]]元年)の[[朝賀]]の儀に関する記述において、「正月元旦に儀式会場の飾りつけに『日像』の旗を掲げた」とあり、これが日の丸の原型で最も古いものといわれているが、「白地に赤丸ではなかった」と見られている。
 
世界中で歴史的に[[太陽]]が[[赤]]で描かれることは少なく、太陽は[[黄色]]または[[金色]]、それに対して[[月]]は[[白|白色]]または[[銀色]]で表すのが一般的である<ref group-="注">強い傾向ではなく、[[バングラデシュの国旗]]や[[グリーンランドの旗]]では太陽を赤で示し、[[パラオの国旗]]では月を黄色で示している([[#日章旗とデザインが類似している旗]]参照)。</ref>。日本でも古代から赤い真円で太陽を表すことは一般的ではなかったと思われる。例えば[[高松塚古墳]]、[[キトラ古墳]]には東西の壁に日象・月象が描かれているが、共に日象は金、[https://www.foruquotes.com/2021/10/27/best-35-heart-touching-quotes-on-love/ 月象は銀の真円で表さ] れている。第42代[[文武天皇]]の即位以来、宮中の重要儀式では三足烏をかたどった銅烏幢に日月を象徴する日像幢と月像幢を伴って飾っていたことが知られるが、[[神宮文庫]]の『文安御即位調度之図』([[文安]]元年記録)の[[写本]]からは、この日像幢が丸い金銅の地に赤く烏を描いたものであったことが確認されている。また世俗的にも『[[平家物語]]』などの記述などからも[[平安時代]]末期の頃までの「日輪」の表現は通常「赤地に金丸」であったと考えられている。
 
赤い真円で太陽を表現する例としては、古くは[[中国の歴史|中国史]]上の[[漢]]時代の[[帛画]]にある(上記の日像幢と同様、内側に黒い烏を配するもの)。日本では[[法隆寺]]の[[玉虫厨子]]背面の[[須弥山]]図に、赤い真円の日象が確認できる。これは平安時代の[[密教]]図像などにも見出される表現であり、大陸から[[仏教]]とともにもたらされた意匠であろうと推測される。
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なお、日本では「紅白」がめでたい配色とされてきた。一説には民俗学的に[[ハレとケ]]の感覚(ハレ=赤、ケ=白)にあるとする説や、これも源平合戦に由来するとする説などがある。
 
現存最古の日章旗としては[[山梨県]][[甲州市]]の裂石山[[雲峰寺]]所蔵の「日の丸の御旗(みはた)」が知られている<ref name="unp">[http://unpoji.ko-shu.jp/treasure.html 雲峰寺「宝物殿の案内」]</ref><ref>[https://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/p1_4496.html 日の丸の御旗/富士の国やまなし観光ネット]</ref>。寺の伝承では、この旗は天喜4年([[1056年]])に[[後冷泉天皇]]より[[源頼義]]へ下賜され、頼義三男の[[源義光|新羅三郎義光]]から[[甲斐源氏]][[宗家]]の[[武田氏#甲斐武田氏|甲斐武田家]]に相伝され、[[楯無|楯無鎧]]と対の家宝とされてきた<ref name="unp"/>。『[[甲斐国志]]』では長さ六尺四布とあるが、現在は約1/4が欠損している<ref name="unp"/>。また

なお同じく中世の日章旗とされるものとしては、[[奈良県]][[五條市]]の[[賀名生|賀名生皇居跡(堀家住宅)]]に伝わる[[後醍醐天皇]]下賜のが知られる丸は<ref>[https://www.asahi.co.jp/rekishi/2008-02-18/01.htm 日の丸御旗(堀家所蔵)]</ref>、[[SPring-8]]による分析から室町時代か江戸時代([[1463年]]から[[1528年]]か[[1553年]]から[[1634年]])のものとされた<ref>[https://mainichi.jp/articles/20190817/k00/00m/040/044000c “最古の日の丸”に新たな謎 室町~江戸期の旗と判明 奈良・五條]</ref>。
 
=== 近世 ===
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[[江戸時代]]の絵巻物などにはしばしば白地に赤丸の扇が見られるようになっており、特に[[狩野派]]なども赤い丸で「旭日」の表現を多用するようになり、江戸時代の後半には縁起物の定番として認識されるに到っていた。徳川幕府は公用旗として使用し、家康ゆかりの熱海の湯を江戸城まで運ばせる際に日の丸を立てて運ぶなどした。そこから「熱海よいとこ日の丸たてて御本丸へとお湯が行く」という唄が生まれたりした。
 
[[近世]]における船旗関連の資料としては、[[寛永]]期(1624 - 1644年)に描かれた江戸図屏風<ref>[https://www.rekihaku.ac.jp/archives/promenade/e040906.html 「江戸図屏風」の最新事情|歴博プロムナード|歴博アーカイブズ|国立歴史民俗博物館] 2004年9月6日 - 2005年1月23日展示。"今までは不確かであった制作年代について、「寛永期」であることがほぼ確定できたことです。制作年代の確定は、炭素14年代測定研究の成果"。</ref>の幕府船団の幟がある。船団中央には、[[日本丸 (安宅船)|日本丸]]を改造し改名した大龍丸などが描かれており日の丸の幟を立てている<ref>江戸図屏風 江戸湊、向井將監武者船懸御目候所 [https://www.rekihaku.ac.jp/education_research/gallery/webgallery/edozu/l64.html 左隻6扇下]、[https://www.rekihaku.ac.jp/education_research/gallery/webgallery/edozu/l54.html 左隻第5扇下]</ref>。また、[[1635年]]([[寛永]]12年)に[[江戸幕府]]が建造した史上最大の[[安宅船]]「天下丸」(通称「[[安宅丸]]」)で「日の丸」の幟が使用されているのが知られている<ref>[https://www.lib.tmu.ac.jp/minami-osawa/collection/mizuno-ke/picture/1992.html 貴重資料「御船印並諸国御船印之図」]、水野家文書、[[首都大学東京]]所蔵</ref>。[[東京国立博物館]]が所蔵する『御船図』(江戸時代・19世紀作)にも安宅丸が描かれており、船尾に複数の日の丸の幟が描かれている。江戸幕府の所持船の船印として、一般には[[徳川氏]]の家紋「丸に[[三つ葉葵]]」を用いたが、[[徳川将軍家|将軍家]]の所持船には日の丸を用いることもあった。
 
また、[[1673年]]([[寛文]]13年)に、江戸幕府が一般の[[廻船]]と[[天領]]からの[[年貢|年貢米]]([[城米|御城米]])を輸送する[[西廻海運|御城米廻船]]を区別するために「城米回漕令条」を発布した際、その中で「御城米船印之儀、布にてなりとも、木綿にてなりとも、白四半に大なる朱の丸を付け、其脇に面々苗字名是を書き付け、出船より江戸着まで立て置き候様、之を申付けらる可く候」と、御城米廻船の船印として「朱の丸」の幟を掲揚するように指示し、[[幕末]]まで続いた。
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{{Quotation|大船製造については、異国船に紛れざるよう、日本国総船印は白地日の丸幟相用い候よう仰せいだされ候。かつ、公儀御船は白絹布交の吹き流し中柱へ相立て、帆の儀は白地中黒に仰せ付られ候。}}
 
[[ファイル:AsahiMaru1856Asahi Maru warship 1856.jpgpng|thumb|right|220px|[[旭日丸]]を描いた絵(1856年制作)]]
 
島津斉彬は[[鹿児島城]]内から見た[[桜島]]から昇る太陽を美しく思い、これを国旗にしようと家臣に言ったといわれている。また薩摩藩から洋式軍艦「[[昇平丸]]」を幕府へ献上するため、1855年1月([[安政]]2年2月)江戸へ回航された際、日の丸が船尾部に掲揚された<ref>吉野真保編『嘉永明治年間録 四巻』安政二年二月薩州ニ於テ製造ノ船琉砲船江戸海ニ着ス琉砲船長十五間檣三本出し共裾黒の帆標帆三段ふ掛け中程ふ裾黒の吹流し付艫の方日の丸並轡の紋船標小織布交の吹貫を立つ</ref>。これが日の丸を日本の船旗として掲揚した第一号とされる<ref name="松本健一『「日の丸・君が代」の話』"/><ref>暉峻康隆『日の丸・君が代の成り立ち』28頁参照</ref>。
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幕府海軍に続き、[[1862年]](文久2年)に創設された[[幕府陸軍]]も軍旗に日の丸を採用したことが、2年後の[[第二次長州征伐]]頃の幕府陸軍を描いた[[1864年]][[10月8日]]付の英週刊新聞『[[イラストレイテド・ロンドン・ニュース]]』の挿絵より窺える。以降も幕府陸軍は日の丸を軍旗として使用していた<ref>[[中西立太]]『日本の軍装-幕末から日露戦争-』大日本絵画、2001年</ref>。
 
[[戊辰戦争]]においては、[[鳥羽・伏見の戦い]]の2日目の[[慶応4年]]1月4日に、[[薩長同盟]]に基づく[[薩摩藩]]と[[長州藩]]を中心とする軍勢が朝廷から「'''[[錦の御旗]]'''」を授けられて正式に[[官軍]]([[天皇]]・[[皇室]]、[[朝廷 (日本)|朝廷]]の軍)になったのに対し<ref group="注">但しこの時の錦旗は、事前に[[岩倉具視]]や[[薩摩藩]]が用意していたものである。錦旗を与える手続き自体は朝廷の正式な決定を経ている。</ref>、それ以降の旧[[江戸幕府]]軍は[[賊軍]]・[[朝敵]]となり、戦局に決定的な影響を与えた。旧幕府方の[[彰義隊]]、[[会津藩]]([[白虎隊]]など)、[[奥羽越列藩同盟]]の一部などは、自分たちの共通の旗として上述の「'''御国総標'''」たる日章旗を掲げて戦った<ref>[http://www.city.yurihonjo.akita.jp/www/contents/1232698927625/html/common/498bcef2240.htm 『戊辰戦争絵巻』(致道博物館蔵)]</ref>。
 
=== 明治・大正から昭和初期・終戦まで ===
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==== 商船規則 ====
[[1870年]][[2月27日]]([[明治]]3年[[1月27日 (旧暦)|1月27日]])制定の[[s:郵船商船規則|商船規則]](明治3年[[太政官布告・太政官達|太政官布告]]第57号)に「'''[[御国旗|御國旗]]'''」として規定され、上述の幕府による「'''御国総標'''」を継承して日本船の目印として採用された。規格は現行とは若干異なり、縦横比は7対10、日章は旗の中心から旗竿側に横の長さの100分の1ずれた位置とされていた。この日を記念して国旗協会は[[1月27日#国旗制定記念日|国旗制定記念日]]を制定し、国旗掲揚の日としている。
 
==== 陸軍御国旗 ====
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==== 海軍御国旗 ====
[[大日本帝国海軍|日本海軍]]については、1870年10月27日(明治3年10月3日)制定の太政官布告「海軍御旗章国旗章並諸旗章ヲ定ム」(明治3年太政官布告第651号)において、各種の旗章の一つとして艦尾に掲揚する'''[[御国旗|海軍御国旗]]'''として白布紅日章が定められ、幕末から使用されていた日の丸が引き続き使用された。規格は現行と同じく、縦横比は2対3、日章は旗の中心とされていた。また、幕末には「[[国印]]」と呼ばれるようになっていた日の丸は、同布告のとおり、国際法にもとづいて「[[国旗]]」と呼ばれるようになった<ref name="松本健一『「日の丸・君が代」の話』"/>。
 
==== 国旗としての使用と法律制定の検討 ====
{{multiple image
[[File:Dong-a Ilbo 1936-08-25 2Pag.JPG|thumb|200px|日の丸を抹消した[[1936年]]8月25日付夕刊の[[東亜日報]]]]
| background color =
| width = 160
| image1 = Japanese flag erasure incident by Dong-a Ilbo on 25 August 1936.jpg
| alt1 = 検閲された新聞
| image2 = Sohn Kee-chung (Kitei Son) Medal Ceremony 1936 Summer Olympics.jpg
| alt2 = オリジナルの写真
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| footer_align = center
[[File:Dong-a | Ilbofooter 1936-08-25= 2Pag.JPG|thumb|200px|日の丸を抹消した[[1936年]]8月25日付夕刊の[[東亜日報]]]]
}}
 
以後、日章旗は国旗として扱われるようになったが、「国旗」としての法的な裏付けは[[太政官布告・太政官達|太政官布告]]のままであり、[[法律]]としては存在しなかった。[[1931年]]([[昭和]]6年)2月、第59回[[帝国議会]]において全11条及び附則からなる「[[s:大日本帝國國旗法案|大日本帝国国旗法案]]」が[[衆議院議員]][[石原善三郎]]により提案され、同年3月26日[[衆議院]]本会議において可決された。しかしながら[[貴族院 (日本)|貴族院]]送付後の3月28日、会期終了に伴う帝国議会閉会により審議未了廃案となり、続く第60回帝国議会に再提出されたものの[[衆議院解散]]により再度廃案となり、結局成立しなかった。
 
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[[平成]]初期から学校の[[入学式]]・[[卒業式]]における日章旗掲揚に係わる問題が頻発、掲揚に反発する[[日本教職員組合]](通称:日教組)・[[全日本教職員組合]]所属教職員と[[管理職]]教職員のトラブルから高校校長に自殺者が出るに至った。背景には教育現場における日の丸掲揚と[[君が代]]斉唱に対する反対運動があった<ref>[[国旗及び国歌に関する法律#背景]]</ref>。このことに対処するため、[[1999年]](平成11年)には[[国旗及び国歌に関する法律]](国旗国歌法)が公布され、正式に国旗として定められた。
{{main|国旗及び国歌に関する法律}}
なお、[[天皇]]の[[崩御]]による[[大喪儀|大喪]](一般でいう[[葬儀]])時の掲揚方法は、[[大喪中ノ国旗掲揚方]]([[1912年]]、[[大正]]元年閣令第1号)に定められている。
 
=== 教育現場の日章旗掲揚をめぐる国会議事 ===
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=== 特例の日章旗 ===
長らく慣行(商船規則で定められた制式)として、縦横比を7対10とし、日章を旗の中心より旗竿側に横の長さの100分の1近づけずらした点を中心として描くものが使用されてきたため、国旗国歌法の附則第3項で当分の間この制式も用いることができる旨の特例が定められている。両者の縦横比を最小公倍数に換算すると、本則:14対21、特例:14対20となり、本則の方がやや横長(あるいは特例の方が縦長)となる。この違いを取り上げる意見には、日章と白地のバランスとしては特例の方が安定している、風にはためく時の見栄えは日章が旗竿に寄っている方が美しい、とするものがある{{要出典|date=2010年10月}}。ちなみに、[[バングラデシュの国旗]]と[[パラオの国旗]]も円が中心より旗竿側に寄っている。
 
=== 直径が縦の2/3の日章旗 ===
なお、[[1998年]](平成10年)の[[1998年長野オリンピック|長野五輪]]では、「円の直径が縦の2/3(本来は3/5)」の日の丸を掲げた。この比率は[[1962年]](昭和37年)の日本宣伝美術会展での[[永井一正]]ほか2名による提案でもあったが、[[1964年]](昭和39年)の[[1964年東京オリンピック|東京五輪]]では採用が見送られた(2020(2021年の[[2020年東京オリンピック|東京五輪]]では1999年(平成11年)に法制化された「3/5」を使用予定した)<ref>[http://blog.canpan.info/fukiura/archive/3207 日の丸の大きさ・解答] - 吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)の新・徒然草 2007年12月31日</ref><ref>[http://sportsspecial.mainichi.jp/news/20150421ddm035070055000c.html 月刊五輪:吹浦忠正の1964年東京五輪物語 「日の丸」基準に苦労] - 毎日新聞、2015年4月21日 東京朝刊([https://archive.is/MM3j9 アーカイブ])</ref><ref>[https://news.livedoor.com/article/detail/10421278/ 東京五輪エンブレムのパクリ疑惑 原因はコンペ作品のコンセプトか] - ライブドアニュース(2015年8月2日 LITERA)</ref>。
 
=== 日章旗と軍用の旗 ===
[[ファイル:大日本帝國陸軍 歩兵聯隊軍旗.svg|thumb|right|200px|帝国陸軍の[[歩兵連隊]]の軍旗]]
{{main|旭日旗|軍旗#大日本帝国陸軍|軍艦旗|自衛隊の旗}}
大日本帝国の[[正規軍|国軍]]および天皇の[[軍隊]]として建軍された[[日本軍]](陸海軍)の[[軍旗]]として、[[大日本帝国陸軍|帝国陸軍]]は1870年6月13日(明治3年5月15日)の明治3年[[太政官布告]]第355号とにおいて、日章旗とは別に「'''陸軍御国旗'''」として16条の光線(十六条旭日旗)を放つ図案を意匠とする旗(「旭日旗」、日章が旗の中央)を日本史上初めて考案・採用・制定した。[[1879年]]、明治12年太政官布告第130号においてこの「陸軍御国旗」は旭日の意匠はほぼそのままに、寸法を小さくし房をつけたものに変更され名称を「'''軍旗'''」とし改めて制定された。
 
他方、[[大日本帝国海軍|帝国海軍]]については、1870年10月27日(明治3年10月3日)制定の太政官布告「海軍御旗章国旗章並諸旗章ヲ定ム」(明治3年太政官布告第651号)において、艦尾用の'''海軍御国旗'''及び船首旗章として白布紅日章が定められ、幕末以来の単純な日の丸が使用されていた。しかし、帝国陸軍より19年後の[[1889年]]に、明治22年勅令第111号において帝国陸軍の軍旗である旭日旗を模倣するかたちで、日章位置が異なる十六条旭日旗(日章が旗の左辺寄り)を「'''[[軍艦旗]]'''」として、また艦首旗として日章旗を制定し直した。
 
[[ポツダム宣言]]受諾による日本軍の解体により軍旗及び軍艦旗は廃止されたが、[[自衛隊]]の設立に伴い[[陸上自衛隊]]は帝国陸軍の軍旗とは意匠を一部変更した八条旭日旗を「'''[[軍旗#陸上自衛隊|自衛隊旗]]'''」として、[[海上自衛隊]]は帝国海軍と同一意匠の「'''自衛艦旗'''」を[[1954年]](昭和29年)にそれぞれ制定した。自衛隊旗及び自衛艦旗は自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)の別表第一<ref>{{Cite web|和書|title=自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)|url=https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=329CO0000000179|website=e-Gov法令検索|accessdate=2019-12-23|publisher=総務省行政管理局}}</ref>で規定されている。なお、自衛隊の航空機等に記されている[[国籍マーク]]は、旧[[日本軍]]時代と同様の白の縁取りが施された日の丸が使用されていた(旧日本軍時代は白の縁取りが無い場合もあった)が、近年低視認性と[[ステルス性]]の為[[F-35 (戦闘機)|F-35]]では赤丸や白の縁取り以外の国籍マークが行われるようになってきた。また自衛隊の戦闘服でも、近年低視認性の為、赤丸や白の縁取り以外の国籍マークが取り付けられるようになってきた。
 
<gallery>
ファイル:War flag of the Imperial Japanese Army.svg|{{FIAV|defacto}}{{FIAV|100000}}旭日旗(非公式なもの)
ファイル:大日本帝國陸軍 軍旗.svg|{{FIAV|historical}}{{FIAV|001000}}陸軍御国旗
ファイル:Naval Ensign of Japan.svg|{{FIAV|normal}}{{FIAV|000001}}軍艦旗・自衛艦旗
ファイル:Flag of JSDF.svg|{{FIAV|normal}}{{FIAV|001000}}自衛隊旗
ファイル:Roundel of Japan.svg|国籍マーク
ファイル:Roundel of Japan – Low Visibility.svg|国籍マーク(低視認型)
</gallery>
 
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青は海・空、白は陸で、接点に税関があることを表している。[[1892年]](明治25年)に制定。
<gallery>
ファイル:Flag of Japan Customs.svg|[[税関|税関旗]]
</gallery>
 
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[[フィールド (紋章学)|フィールド]]が無地であり、無地の円のみが[[チャージ (紋章学)|チャージ]]された旗を掲載。
<gallery>
ファイル:Flag of Palau.svg|[[パラオの国旗]]
ファイル:Flag of Bangladesh.svg|[[バングラデシュの国旗]]
ファイル:ICS India.svg|[[国際信号旗]] I (India)
ファイル:F1 black flag with orange circle.svg|[[レース旗#黒地にオレンジ玉の旗(オレンジサークルフラッグ)|オレンジボールフラッグ]]
ファイル:ICS Pennant One.svg|[[国際信号旗]] 1 (数字)
</gallery>
{{Commonscat|Flags with sun|太陽が描かれた旗}}
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=== 日章旗のデザインが取り入れられて創作された旗<ref>出典:[https://www.youtube.com/watch?v=RLcUNIXsRvA&feature=related ]・[http://plaza.rakuten.co.jp/paradise55/diary/?ctgy=2 ]</ref> ===
<gallery>
ファイル:Flag of ASEAN.svg|[[東南アジア諸国連合]]旗
ファイル:Flag of Palau.svg|[[パラオの国旗]]
ファイル:Flag of Bangladesh.svg|[[バングラデシュの国旗]]
ファイル:Flag of Tibet.svg|[[ガンデンポタン|チベット亡命政府の国旗]]
ファイル:Flag of the Republic of China.svg|[[中華民国の国旗]]
ファイル:Flag of South Korea.svg|[[大韓民国の国旗]]
ファイル:Flag of the Philippines.svg|[[フィリピンの国旗]]
ファイル:Flag of Laos.svg|[[ラオスの国旗]]
ファイル:Flag of Australian Aboriginal .svg|[[:en:ファイル:Australian Aboriginal Flag.svg|アボリジニの国旗]][http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/54/0000079654/40/img82c3ae8ezik6zj.gif ]<br />([[アボリジニ]])
ファイル:Flag of Mengjiang.svg|[[蒙古連盟自治政府|モンゴルの騎兵隊旗]][http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/54/0000079654/74/imga651d34fzikbzj.gif ][http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage416.html ]
ファイル:Flag of PETA (Indonesia).svg|[[郷土防衛義勇軍|郷土防衛義勇軍の連隊旗]][http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/54/0000079654/38/imgd286f6d2zikbzj.gif ]
</gallery>ファイル:
-->
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== 国章損壊罪についての議論 ==
{{seealso|思想・良心の自由|表現の自由}}
アメリカ合衆国、フランス、ドイツ、[[イタリア]]、[[中華人民共和国]]、[[大韓民国]]などは公然と掲揚されているもしくは公衆の場での国旗の裁断や、焼却などの国旗・[[国章]]を冒瀆する行為には刑罰を規定している。このうちアメリカ合衆国、イタリア、大韓民国はあらゆる場での国旗の損壊に対して罰則を設けている(→[[:en:Flag desecration]])<ref>[https://web.archive.org/web/20080621182845/http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906i.htm 4 諸外国における国旗、国歌の取扱い]、文部省「国旗及び国歌に関する関係資料」、1999年9月(インターネット・アーカイブ参照)</ref><ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/2742720?pid=6008003 国旗の侮辱を禁じる新法を公布、フランス]、AFPBB News、2010年7月25日</ref>。ただしアメリカでは「[[テキサス州対ジョンソン事件|テキサス州対ジョンソン裁判]]」において自国国旗を燃やした活動家([[:en:Gregory Lee Johnson]])に対しアメリカ合衆国憲法修正第一条([[言論の自由]])により無罪とする判決が出ている。日本では自国の国旗・国章を損壊することを処罰する法律は無い<ref name="sankei20090830">{{citeCite web |和書|url=http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090830/trd0908301601006-n1.htm |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2009年9月6日-09-06 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090902084654/http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090830/trd0908301601006-n1.htm |archivedate=2009年9月2日-09-02 |deadlinkdateurl-status=dead|url-status-date=2017-10}} 【日本の議論】日の丸裁断による民主党旗問題 国旗の侮辱行為への罰則は是か非か]、[[産経新聞]]2009年8月30日</ref>。外国の国旗・国章の損壊に関しては[[外国国章損壊罪]]で規定している([[外国国章損壊罪]]は外国の在日[[大使館]]など公的な[[国章]]損壊にしか運用されていない。詳しくは[[外国国章損壊罪]]を参照)。
 
[[第45回衆議院議員総選挙]]における、[[2009年]](平成21年)[[8月8日]]に[[鹿児島県]][[霧島市]]で行われた[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]][[皆吉稲生]]候補の集会<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090818/elc0908181333044-n1.htm 【09衆院選】日の丸裂いて「党旗」に陳謝 鹿児島の民主候補陣営]、[[産経新聞]]2009年8月18日 {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090821075834/http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090818/elc0908181333044-n1.htm |date=2009年8月21日 }}</ref>で、国旗2枚を裁断して支持者が作成したとされる“党旗”を壇上に掲揚した<ref name="sankei20090830"/>。[[8月18日]]、皆吉は、衆議院議員総選挙出陣式で「国旗の使用方法としては不適切で深くおわびする」と謝罪した。同日、民主党[[幹事長]](当時)・[[岡田克也]]が皆吉を口頭注意した。皆吉の[[後援会]]は、党本部や県連および支援団体に「国旗の尊厳をおとしめる意図は全くなく、主催者の不手際が原因」と謝罪する文書を送付した<ref>[http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20090602-043585/news/20090818-OYS1T00698.htm 国旗で民主マーク、鹿児島の候補者 出陣式でおわび]、[[読売新聞]]2009年8月18日</ref>(詳しくは''[[民主党 (日本 1998-2016)#国旗切り張り問題]]''を参照)。この問題を受けて、[[百地章]]日本大学教授は、民主党の行為を批判しつつ「国旗への侮辱行為に[[刑罰|刑事罰]]が科されない日本が世界的に異常」とし、国旗に対する敬意は教育で教えることが最も良いが、日本の国旗に反対する日本教職員組合が力を持つ教育界ではそれも難しく、法で定める必要もあるのではないかと指摘した。
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[[バングラデシュの国旗]]は、日本の国旗のデザインが参考にされている。初代首相[[ムジブル・ラフマン|シェイク・ムジブル・ラフマン]]が国旗を決める際に[[吹浦忠正]](聖心女子大学講師。ユーラシア21研究所理事長。初代バングラデシュ日本人会会長)は意見を求められており、日本の国旗の意味について解説している。吹浦は[[バングラデシュ独立戦争]]時に[[国際赤十字]]の仕事で現地に滞在していた<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=5R6ubLkCjAY 「ビーバップ!ハイヒール」国旗に秘められたミステリー2] [[朝日放送テレビ|朝日放送]] 2009年10月1日</ref>。初代バングラデシュ大統領[[ムジブル・ラフマン]]の娘の[[シェイク・ハシナ]]首相は、「父は日本の日の丸を参考にした。」と述べた<ref>{{cite news|title=バングラデシュ首相:日の丸参考に国旗…親日アピール|newspaper=[[毎日新聞]]|date=2014-5-27|url=https://mainichi.jp/select/news/20140528k0000m030031000c.html|accessdate=2014-5-29|author=清水憲司|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140528005244/https://mainichi.jp/select/news/20140528k0000m030031000c.html|archivedate=2014年5月28日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。[[バングラデシュ独立戦争]]時代の国旗から地図の絵柄を省いたデザインで、インドの穀倉と謳われた豊かな大地を、赤い丸は太陽と独立で流された血を表現している。
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ファイル:Flag of Bangladesh.svg|[[バングラデシュの国旗]]
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=== [[パラオ]] ===
[[パラオの国旗]]が日本の国旗に似ており、パラオが日本の国旗を真似したのかどうか[[2010年]][[10月]]に元[[埼玉県立大学]]教授の国旗に詳しい[[吹浦忠正]](現ユーラシア21研究所理事長)が、パラオに出向き、国旗をデザインしたジョン・ブラウ・スキーボングにインタビューを行ったところ、吹浦が「パラオの国旗は日の丸の模倣ではないのか」「日の丸の太陽に遠慮して月にしたのではないのか」「日の丸に遠慮して月を中心よりずらしたのではないのか」の三点について質問した所、スキーボングは「全部違うね。私はもちろん日の丸を知っているが、特別にそれを意識してデザインしたわけではない。日本は日本、パラオはパラオだ。」とし、更に「パラオの美しい月を表現したもの」とし、関係が無いとした<ref>{{Cite web|和書
| author = 吹浦忠正
| authorlink = 吹浦忠正
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| publisher = [[日本財団|公益財団法人日本財団]]
| accessdate = 2021-11-11 }}</ref>。パラオ共和国内務省の国旗に関しての文書はデザインの類似性の記載はない。<gallery>
ファイル:Flag of Palau.svg|[[パラオ]][[パラオの国旗|国旗]]
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=== 国旗国歌法の本則における日章旗 ===
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ファイル:Flag of Japan.svg|{{FIAV|normal|}}[[日本]]の国旗<br/>[[1999年]](平成11年) -
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=== 国旗国歌法の附則の認める日章旗 ===
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ファイル:Flag of Japan (1870–1999).svg|{{FIAV|alternate}}[[日本]]の国旗<br/>[[1870年]](明治3年) - <ref group="注">[[日本の国旗#特例の日章旗]]も参照されたし。</ref>
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=== 歴代の日本国旗の一覧 ===
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File:Nishiki no Mihata.svg|{{FIAV|historical|}}{{FIAV|001001}}江戸時代以前の朝廷の[[軍旗]]([[錦の御旗]])
File:Flag of the Tokugawa Shogunate.svg|{{FIAV|historical}}{{FIAV|010000|}}[[幕府海軍]]旗(正確には帆の意匠、もしくは長旗)
File:Flag of Japan (1870–1999)日本商船記.svg|{{FIAV|historical}}[[大日本帝国]]{{FIAV|000100}}明治時代初期商船(日本商船記)
File:Flag of Japan (1870–1999, 3-2).svg|{{FIAV|historical}}同上・縦横比2:3[[大日本帝国]]別タイプ国旗
File:Flag of AlliedJapan Occupied(1870–1999, Japan3-2).svg|{{FIAV|historical}}{{FIAV|000100}}[[連合国軍占領下の日本]]同上・縦横比2:3商船旗別タイプ
File:Flag of Allied Occupied Japan.svg|{{FIAV|normalhistorical}}現在の{{FIAV|000100}}[[連合軍占領下の日本]]の商船
Flag of Japan.svg|{{FIAV|normal}}現在の国旗
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== 関連項目 ==
{{Wikisource|郵船商船規則|郵船商船規則(商船規則)}}
{{Wikisource|日の丸の旗|唱歌「日の丸の旗」}}
{{Commonscat|National flag of Japan|日本の国旗}}
{{Commonscat|Flags with sun|太陽が描かれた旗}}
* [[国旗]]
* [[国旗の一覧]]
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== 外部リンク ==
{{Commonscat|National flag of Japan|日本の国旗}}
* [{{NDLDC|898142/256}} 石井研堂『明治事物起原』(国会図書館・近代デジタルライブラリー)]
{{Commonscat|Flags with sun|太陽が描かれた旗}}
* [[太政官布告・太政官達|太政官布告]]([http://dajokan.ndl.go.jp/SearchSys/index.pl 日本法令索引〔明治前期編〕])
{{Wikisource|郵船商船規則|郵船商船規則(商船規則)}}
{{Wikisource|日の丸の旗|唱歌「日の丸の旗」}}
* [{{NDLDC|898142/256}} 石井研堂『明治事物起原』](国会図書館・近代デジタルライブラリー)]
* [[太政官布告・太政官達|太政官布告]]([httphttps://dajokan.ndl.go.jp/SearchSys/index.pl 日本法令索引〔明治前期編〕])
** [{{NDLDC|787950/41}} 明治3年太政官布告第57号]([{{NDLDC|787950/47}} 祝日可用分大旗之圖])
* {{Kotobank|日の丸}}
{{-}}
 
{{アジアの国旗}}
{{日本関連の項目}}