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|leader_name = ディーター・ライター ([[ドイツ社会民主党|SPD]])
|leader_title1 = 市議会会派
|leader_name1 = [[ドイツ社会民主党]]、<br />[[同盟90/緑の党]]、<br />[[:de:Rosa Liste München|ザ・リステ・ミュンヘン]]
|area_total_km2 = 310.43
|population_as_of = {{Population GER-BY|09162000|DATE}}
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|website = [https://www.muenchen.de/ www.muenchen.de]
}}
'''ミュンヘン'''({{lang-de|München}}, {{IPA-de|ˈmʏnçən|発音|De-München.ogg}}<ref>Names of European cities in different languages: M–P#M</ref>, [[バイエルン・オーストリア語|バイエルン語]]: ''Minga'' {{IPA|ˈmɪŋ(ː)ɐ|}} {{Audio|Bar-München.ogg|発音|help=no}})は、[[イーザル川]]河畔にあり[[北部石灰岩アルプス|バイエルンアルプス]]の北側に位置する都市。[[ドイツ]]の[[連邦州]]である[[バイエルン州]]最大の都市であり、同州の州都である。
 
==概要==
[[ベルリン]]、[[ハンブルク]]に次いでドイツでは3番目に大きな都市であり、市域人口は140150万人を超える。ドイツを代表する[[世界都市]]の1つである。1972年に[[1972年ミュンヘンオリンピック|ミュンヘンオリンピック]]が開催された。
 
標語は「ミュンヘンはあなたを愛している君が好き。」 "''{{lang|de|München mag Dich}}''" だが、2006年以前は "Weltstadt mit Herz" 「心を持つある国際都市」であった。ミュンヘンの市章には地名の由来となった僧が表現され、黒と金の配色の市旗は[[神聖ローマ帝国]]の色で市の公式の色として[[ルートヴィヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ルートヴィヒ4世]]の時代以来使われている。
 
今日のミュンヘンは金融、交通、文化の中心都市であり、移住者などが住むのに適した場所として上位に位置付けられる。2011年のマーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティングによる[[世界で最も居住に適した都市]]では4位を獲得した<ref>{{cite web |url = http://www.citymayors.com/features/quality_survey.html |title = Best cities in the world (Mercer) |publisher = City Mayors |accessdate = 2011-04-07 }}</ref>。2010年のライフスタイルマガジン''Monocle''の調査では5位に付けており、やはりドイツの都市の中では高い位置にある<ref>{{cite web |title = Quality of Life Survey 2012 |url = http://www.monocle.com/sections/affairs/Web-Articles/The-Monocle-Quality-of-Life-Survey-2012/ |publisher = Monocle |accessdate = 2012-08-01 }}</ref>。経済的、社会的革新に関する162の指標の分析を基にした調査では''2thinknow''イノベーション都市指数で289都市中、世界では15位、ドイツ国内では5位に付けた<ref>{{cite web |author = &nbsp;Print! &nbsp;Email! Author: 2thinknow |url = http://www.innovation-cities.com/innovation-cities-top-100-index-top-cities/ |title = Innovation Cities™ Top 100 Index &#124; 2010 &#124; Innovation Cities Program – Analyst Reports, Index Rankings, Benchmarking Data, Workshops |publisher = Innovation-cities.com |date = 2010-09-01 |accessdate = 2011-04-07 }}</ref>。
 
===呼称===
'''ミュンヘン'''(標準[[ドイツ語]]:'''{{lang|de|München}}''', [[バイエルン・オーストリア語|バイエルン語]]:'''[[:bar:Minga|Minga]]'''〔ミンガ〕、ミュンヘン方言:'''{{lang|de|Münchn}}'''〔ミュンヒン〕)という名は僧院という意味で、古高ドイツ語のzu den Munichen「を表す「メンヒ」に由来する。漢字表記は「民顕」。"'''che'''" の部分の[[無声硬口蓋摩擦音]] {{IPA|ç}} の音写し、僧を表すために、古高ドイツ語Muniche(現代ドイツ語{{IPAlang|hə}}/{{IPAde|Mönche}} の発音を示す「ヘ」ではが元にく、{{IPA|çə}} の発音を示す「ヒェ」を用ってる。「'''ミュンヒェン'''」とも表記される。また "'''{{lang|de|Mü}}'''" の発音は正確には「ミュ」ではなく、{{IPA|mʏ}} であり、{{IPA|ʊ}} の形に唇を開き、{{IPA|ɪ}} と発音した音に近い。同じ[[上部ドイツ語]]に属する[[アレマン語]]では、'''{{lang|gsw|Münche}}'''(ミュンヒェ/ミュンキェ)と発音される。[[英語]]や[[フランス語]]では '''Munich'''(英語:ミューニック[mjú:nik]/仏語:ミュニク[mynik])、[[イタリア語]]では '''Monaco'''([[モナコ|モナコ公国]]との区別のために、「バイエルンの」という意味の語をつけて'''Monaco di Baviera''', モナコ・ディ・バヴィエラ)と呼ばれる。漢字表記は「民顕」
 
==地理==
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</small>
}}
===人口=統計==
[[File:Muc population.svg|thumb|200px|ミュンヘンの人口推移]]
 
====統計====
{| class="infobox" style="float:right text-align:center;"
[[2007年]][[7月]]現在のミュンヘンの人口は134万人で、そのうち300,128人はドイツ国籍を有していない。[[トルコ人]]や[[バルカン半島]]出身者の[[コミュニティ]]が広く存在する。ミュンヘンで最も多い外国籍は[[トルコ人]]で43,309人、以下[[アルバニア人]]30,385人、[[クロアチア人]]24,866人、[[セルビア人]]24,439人、[[ギリシャ人]]22,486人、[[オーストリア人]]21,411人、[[イタリア人]]20,847人などで、全体の37%は他の[[欧州連合]]諸国の出身者で占められている。[[1700年]]には僅か24,000人でしかなかったミュンヘンの人口はその後の30年間で倍に増加した。[[1852年]]には10万人に達し、[[1852年]]には25万人になっている。[[1901年]]には再び倍の50万人にまで達した。ミュンヘンはドイツ第三の大都市となり、[[1933年]]には840,901人、[[1957年]]には100万人に達している。
|colspan=2| '''国別の海外出身者の人口'''<ref>{{cite web |title=Die ausländische Bevölkerung nach der Staatsangehörigkeit 2020 |url=https://www.muenchen.de/rathaus/dam/jcr:89a2dcdb-76bb-427d-8930-61a956092c08/jt180115_korr.pdf |access-date=19 June 2018 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180619214002/https://www.muenchen.de/rathaus/dam/jcr:89a2dcdb-76bb-427d-8930-61a956092c08/jt180115_korr.pdf |archive-date=19 June 2018 |url-status=live}}</ref>
|-
! 出身国 !! 人口 (2022)
|-
| {{flag|Croatia}} ||39,750
|-
| {{flag|Turkey}} ||37,200
|-
| {{flag|Italy}} ||28,500
|-
| {{flag|Greece}} ||26,630
|-
| {{flag|Bosnia and Herzegovina}} ||21,570
|-
| {{flag|Austria}} ||20,745
|-
| {{flag|Ukraine}} ||19,830
|-
| {{flag|Romania}} ||18,850
|-
| {{flag|Poland}} ||18,640
|-
| {{flag|Serbia}} ||14,290
|-
| {{flag|Bulgaria}} ||13,640
|-
| {{flag|Kosovo}} ||12,360
|-
| {{flag|India}} ||11,230
|-
| {{flag|Iraq}} ||11,095
|-
| {{flag|France}} ||10,650
|-
| {{flag|Russia}} ||9,530
|-
| {{flag|Spain}} ||9,420
|-
| {{flag|China}} ||9,230
|-
| {{flag|Hungary}} ||8,760
|-
| {{flag|Afghanistan}} ||7,450
|-
| {{flag|United States}} ||6,705
|-
| {{flag|Vietnam}} ||5,340
|-
| {{flag|Syria}} ||4,620
|-
| {{flag|United Kingdom}} ||4,300
|-
| {{flag|Portugal}} ||3,430
|-
| {{flag|Japan}} ||3,290
|-
| {{flag|Tunisia}} ||3,050
|}
 
[[2007年]][[7月]]現在のミュンヘンの人口は134万人で、そのうち300,128人はドイツ国籍を有していない。[[トルコ人]]や[[バルカン半島]]出身者の[[コミュニティ]]が広く存在する。ミュンヘンで最も多い外国籍は[[トルコ人]]で43,309人、以下[[アルバニア人]]30,385人、[[クロアチア人]]24,866人、[[セルビア人]]24,439人、[[ギリシャ人]]22,486人、[[オーストリア人]]21,411人、[[イタリア人]]20,847人などで、全体の37%は他の[[欧州連合]]諸国の出身者で占められている。ミュンヘンはドイツ最大の[[ウイグル|ウイグル人]]コミュニティがあり、ウイグル人のための活動(例えば[[世界ウイグル会議]])などもある。[[1700年]]には僅か24,000人でしかなかったミュンヘンの人口はその後の30年間で倍に増加した。[[1852年]]には10万人に達し、[[1852年]]には25万人になっている。[[1901年]]には再び倍の50万人にまで達した。ミュンヘンはドイツ第三の大都市となり、[[1933年]]には840,901人、[[1957年]]には100万人に達している。
 
ミュンヘンの人口の47.4%はどこの宗教のグループにも属しておらず、このグループは急増する人口階層を象徴している。ドイツの他地域と同様に、[[カトリック教会]]や[[プロテスタント]]教会に属する人は徐々にゆっくりと減っている。ミュンヘンの人口のうち[[2009年]][[12月31日]]現在、カトリック教会に37.8%、プロテスタント教会に13.8%、[[ユダヤ教]]には0.3%が属している<ref>http://www.mstatistik-muenchen.de/themen/bevoelkerung/jahreszahlen/jahreszahlen_2009/p_jt100117.pdf</ref>。
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[[File:Germany München Monks.jpg|thumb|200px|ミュンヘンの市章]]
===中世の街としての起源===
街の創建は1158年とされている。これは日付が言及された最も古い唯一の文書からである。文書はアウクスブルクで署名されたものである<ref>{{citeCite web
|url = http://www.stmf.bayern.de/ueber_uns/ausstellung_foyer/muenchner_pfennig/
|title = Ausstellung im Foyer
237 ⟶ 298行目:
|accessdate = 2012-07-25
|archiveurl = https://web.archive.org/web/20120306014325/http://www.stmf.bayern.de/ueber_uns/ausstellung_foyer/muenchner_pfennig/
|archivedate = 2012年3月6-03-06
|deadlinkdate url-status=dead|url-status-date= 2017年9-09
}}</ref>。当時、[[ヴェルフ家]]の[[ハインリヒ3世 (ザクセン公)|ハインリヒ獅子公]] ([[ザクセン君主一覧|ザクセン公]]兼[[バイエルン大公|バイエルン公]]) が[[1157年]]/[[1158年]]、フライジング(Freising)の司教が Oberföhring 近く、イーザル川に設置していた関税徴収橋(Zollbrücke)を破壊し、ライヘンハル(Reichenhall)から[[アウクスブルク]]に至る「塩街道」(Salzstraße)(付属する市場と造幣所を含め)を、イーザル川を約 5km 遡上したバイエルン公領に移し、ミュンヘンを都市として整備した<ref>''Lexikon des Mittelalters''. Bd. VI. München: LexMA 1993 (ISBN 3-7608-8906-9), Sp. 897. - Gerhard Köbler: ''Historisches Lexikon der deutschen Länder''. 6. Aufl. München: C.H.Beck 1988 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 406. </ref>。1175年、公式に都市としての地位を得て、城壁が備えられた。
 
[[1180年]]のハインリヒ獅子公の破門以後、ミュンヘンはフライジングの司教の管轄下に入った。[[1240年]]に[[ヴィッテルスバッハ家]]のバイエルン公がこの地に根を下ろした。[[1255年]]の[[レーゲンスブルク]]の帝国都市化とバイエルンの分割以後、オーバーバイエルン(Oberbayern)のミュンヘンは[[ヴィッテルスバッハ家]]の公領本居地(Residenz der wittelsbacher Herzoge)となり、商工業が栄した。都市君主は公爵であったが、[[1294年]]には包括的な権利が付与されている。[[1400年]]ころには、塩取引・イタリア貿易を担う都市貴族による支配が形成された。[[1500年]]ころには、約14000人の人口を有する人口の多い都市になったが、中世をとおしてミュンヘンは地域的重要都市に留まり、その影響力はバイエルン公領内でも[[ニュルンベルク]]、[[アウクスブルク]]、[[レーゲンスブルク]]の後塵を拝した<ref>''Lexikon des Mittelalters''. Bd. VI. München: LexMA 1993 (ISBN 3-7608-8906-9), Sp. 897-898. - Gerhard Köbler: ''Historisches Lexikon der deutschen Länder''. 6. Aufl. München: C.H.Beck 1988 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 406. </ref>。
 
1314年に神聖ローマ帝国皇帝に選ばれ1328年に戴冠した[[ルートヴィヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ルートヴィヒ4世]]により、ミュンヘンには塩の専売地位が与えられ、都市として強化され収入が保証された。15世紀後半、ミュンヘンは[[ゴシック]]芸術が復活し旧市庁舎が拡張された。ミュンヘン最大の[[ゴシック建築]]で現在の大聖堂である{{仮リンク|ミュンヘン聖母教会|en|Munich Frauenkirche}}は1468年の着工から僅か20年で完成した。
 
=== 再統合されたバイエルンの首都 ===
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1945年のアメリカによる占領の後、ミュンヘンは細部に至るまで完全に再建され他の戦争で荒廃した西ドイツの都市に比べても保守的な計画により戦前の道路網などは保たれている。1957年には人口が100万人を超えた。
 
1972年、[[1972年ミュンヘンオリンピック|ミュンヘンオリンピック]]の開催都市となったがこの間イスラエルの選手がパレスチナ人テロリストに殺害される[[ミュンヘンオリンピック事件]]が起こった。武装テロ組織[[黒い九月]]が9人の選手を人質に取った。最終的に人質11人と警察官1人、武装集団5人の計17人が死亡する惨事となった。市内の大量輸送機関として機能している[[ミュンヘン地下鉄]]や[[ミュンヘンSバーン]]などの鉄道網が整備されたのもこの時代である。ほとんどの市民は高い質の生活を謳歌している。マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティングが実施した世界で最も居住に適した都市の調査ではミュンヘンは2007年に8位となった<ref>[http://www.mercerhr.com/summary.jhtml?idContent=1128060 2007 survey] Mercer Human Resource Consulting</ref>。同社が行った他の調査ではミュンヘンは世界で39番目に物価が高い都市であり、ドイツの大都市の中では一番上位である<ref>[http://www.mercerhr.com/costofliving 2007 Cost of Living Report Munich] Mercer Human Resource Consulting</ref>。ミュンヘンは経済的にもその繁栄を享受しており、情報技術やバイオテクノロジー、出版はそれに寄与している。2006年現在、環境汚染は低い状態で、市議会は市内の幹線道路沿いの微粒子の割合に関心を持っている。空気中の微粒子に関しては欧州連合の微粒子に関する立法制定以来、[[グリーンピース (NGO)|グリーンピース]]のような環境団体が市議会や州政府に厳しい姿勢で臨むように要求するため大きな抗議集会を開いている<ref>{{cite web
|url = http://www.greenpeace-muenchen.de/index.php/archiv/aktuelle-themen/358-gesunde-luft-fuer-gesunde-buerger-stoppt-dieselruss-greenpeace-misst-feinstaub-und-dieselruss-in-muenchen.html
|title = Gesunde Luft für Gesunde Bürger - Stoppt Dieselruß! - Greenpeace misst Feinstaub und Dieselruß in München
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[[File:Sister city plaques Munich.jpg|thumb|200px|ミュンヘン新市庁舎に掲示されている[[姉妹都市]]の飾り額]]
===姉妹都市・提携都市===
*{{Flagicon|FRA}} [[ボルドー]]([[フランス共和国]] [[ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏|ヌーヴェル・アキテーヌ地方]] [[ジロンド県]])
*{{Flagicon|USA}} [[シンシナティ]]([[アメリカ合衆国]] [[オハイオ州]] [[ハミルトン郡 (オハイオ州)|ハミルトン郡]])
*{{Flagicon|UK}} {{Flagicon|SCO}} [[エディンバラ]]([[イギリス|イギリス連合王国]] [[スコットランド|スコットランド国]] [[ロージアン|ロージアン地方]])
*{{Flagicon|ZIM}} [[ハラレ]]([[ジンバブエ共和国]] [[ハラレ州]])
*{{Flagicon|UKR}} [[キーウ]]([[ウクライナ]] [[ウクライナの地方行政区画#ウクライナの地方行政区画|特別市]])
*{{Flagicon|JPN}} [[札幌市|札幌]]([[日本]] [[北海道]] [[石狩振興局]])
*{{Flagicon|ITA}} [[ヴェローナ]]([[イタリア共和国]] [[ヴェネト州]] [[ヴェローナ県]])
 
{{-}}
===札幌市との姉妹都市関係===
ミュンヘンと札幌市は同じ1972年に[[1972年ミュンヘンオリンピック|ミュンヘンオリンピック]]と[[1972年札幌オリンピック|札幌オリンピック]]を開催したことから、同年に姉妹都市となった。両方の都市で学校や大学の交流が行われた他、1976年には札幌の大通公園にミュンヘンからの「マイバウム」が贈られた。1991年、札幌の南部に[[ミュンヘン大橋]]が完成した。2002年からは毎年12月に[[大通西 (札幌市)|大通西]]で「ミュンヘン・クリスマス市」が行われており、100万人以上の観光客が訪れる。2022年にはミュンヘンと札幌によって「姉妹都市ビール」が作られた<ref>{{Cite web|和書|title=ミュンヘン・クリスマス市 in Sapporo |url=https://sapporo-yakei.jp/event/sapporo_christmas/ |website=https://sapporo-yakei.jp |accessdate=15 September 2022}}</ref>。
 
==経済==
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[[MTUエアロ・エンジンズ]]、[[エアバス・グループ|EADS]]、半導体の[[インフィニオン・テクノロジーズ]]や[[キマンダ]]、シーメンスグループのランプメーカー[[オスラム]]、世界最大の高品質映画機材([[映画用カメラ]])と映画用光源機材のメーカー[[アーノルド&リヒター]]が本社や中枢機能を置いている他、[[マイクロソフト]]や[[マクドナルド]]が欧州本部を置いている。
====金融業====
ドイツ屈指の金融センターとして、[[{{ill|フェラインス銀行]](|de|Unicredit Bank|en|HypoVereinsbank)}}[[{{ill|バイエルン州立銀行]]|de|Bayerische Landesbank|en|Bayerische Landesbank}}が本拠地としている他、[[アリアンツ]](保険)、[[ミュンヘン再保険]](ミュニック・リ)の本社がある。2020年にイギリスのシンクタンクによって、世界37位の[[金融センター]]と評価されている<ref>{{Cite web|title=GFCI 27 Rank - Long Finance|url=https://www.longfinance.net/programmes/financial-centre-futures/global-financial-centres-index/gfci-27-explore-data/gfci-27-rank/|website=www.longfinance.net|accessdate=2020-08-20}}</ref>。
 
==情報通信==
===マスメディア===
ミュンヘンは欧州でも出版、放送が盛んな都市であり<ref>{{citeCite web |url = http://www.literaturhaus-muenchen.de/english/house/index.htm |title = Munich Literature House: About Us |accessdate = 2008-02-17 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20030404121202/http://www.literaturhaus-muenchen.de/english/house/index.htm |archivedate = 2003年4月4日-04-04 |deadlinkdate url-status=dead|url-status-date= 2017年9月 -09}}</ref>、ドイツ最大規模の新聞社である[[南ドイツ新聞]](Süddeutsche Zeitung)や[[ドイツ公共放送連盟]](ARD)加盟の[[公共放送]]・[[バイエルン放送]](BR)、ProSiebenSat.1 Media AGなどの放送局、世界最大の出版社[[ランダムハウス]]などがある。
====映画====
バイエルンフィルムスタジオが郊外の[[{{ill|グリュンヴァルト]](|de|Grünwald)}}に置かれている。欧州では最大で著名な映画製作スタジオである<ref>{{cite web |url = http://www.bavaria-film.de/index.php?id=3 |title = Bavaria Film GmbH |accessdate = 2008-02-17 }}</ref>。
 
====新聞社====
*[[南ドイツ新聞]](Süddeutsche Zeitung)
343 ⟶ 407行目:
*{{仮リンク|ミュンヘンビジネススクール|en|Munich Business School}}(MBS) - 1991年設立
*{{仮リンク|ミュンヘン応用科学大学|en|Munich University of Applied Sciences}}(HM) - 1971年設立
*{{仮リンク|[[ミュンヘン知的財産法センター|en|Munich Intellectual Property Law Center}}]](MIPLC)
*[[ミュンヘン連邦軍大学]] - 1973年創設。ミュンヘン南東部の{{仮リンク|ノビーベルク|en|Neubiberg}}にある。
*[[ミュンヘン音楽・演劇大学]] - 1830年創設
356 ⟶ 420行目:
 
==交通==
[[ミュンヘン都市圏]]の人口は約260万人で、郊外とは広範囲の公共交通網で結ばれている。
[[ミュンヘン地下鉄]](U-Bahn München)・[[ミュンヘンSバーン]] (S-Bahn München)・[[ミュンヘン市電]](Straßenbahn München)・路線バスなど、公共交通機関を包括し一体化させる[[ミュンヘン運輸交通連合]] (''Münchner Verkehrs- und Tarifverbund'') が組織されている。
 
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====博物館・美術館====
[[ファイル:BMW Welt Side.jpg|thumb|200px|[[w:BMW Welt|BMW Welt]]]]
[[ドイツ博物館]]はイーザル川の中州にあり、世界でも歴史がある最大規模の科学に関する博物館である。3つの余分な展示用の建物は保護の指示により陸上交通に関するコレクションが収蔵された交通博物館''Verkehrsmuseum''に転換された。ドイツ博物館の''Flugwerft Schleißheim''は航空機に関する展示が中心である。いくつかの非集中型の博物館(多くはミュンヘン大学が公開している収蔵品)があり{{仮リンク|ミュンヘン古生物博物館|en|Paläontologisches Museum München}}は幅広い州の収蔵品を展示し地質学や鉱物学<ref>{{citeCite web
|url = http://www.lrz-muenchen.de/~Mineralogische.Staatssammlung/
|title = Museum Reich der Kristalle München
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|accessdate = 2009-05-05
|archiveurl = https://web.archive.org/web/20090415161904/http://www.lrz-muenchen.de/~Mineralogische.Staatssammlung/
|archivedate = 2009年4月-04-15日
|deadlinkdate url-status=dead|url-status-date= 2017年9-09
}}</ref>、動物学、植物学、文化人類学などを扱っている。
 
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バイエルンで一番有名なスープはレバー[[クネーデル]]スープ (Leberknödel) で、レバークネーデルはパンを団子状にし味付けしレバーやタマネギを加える。シュヴァインスブラーテン ''Schweinsbraten''(ローストポーク)は[[クヌーデル]]や ''Kraut''(キャベツ)、''Schweinshaxe''(豚肉)を調理した料理で昼食や夕食に供される。ボイシェル (Beuscherl) は子牛などの肺や心臓、脾臓など臓物の[[煮込み料理]]で団子が添えられる。
 
ポピュラーなデザートには[[アプフェルシュトゥルーデル]]''Apfelstrudel''がありバニラソースが添えられ、{{仮リンク|クリームシュトゥルーデル|de|Milchrahmstrudel}}はクリームチーズのシュトゥルーデルで、[[ダンプフヌーデル]]''DampfnudelnDampfnudel''は団子状のものにカスタードを添えて食し、アウスツーゲネ''Auszogene''は揚げた大きなドーナツに似ているが穴は開いていない。他に有名なお菓子にはミュンヘン名物の{{仮リンク|プリンツレゲンテントルテ|de|Prinzregententorte}}があり、バイエルン王国の摂政[[ルイトポルト・フォン・バイエルン]]名誉により作られたチョコレートケーキである。
 
ビアガーデンで提供される典型的な冷たい名物料理には[[オバツダ]]がありバイエルンチーズの珍味で、裏漉しをして融かしたカマンベールチーズにクリームチーズと塩や胡椒、パプリカを混ぜカットしたタマネギを添えて食す料理である(バターを入れる場合もある)。ビアガーデンは良くラディ''Radi''が供されこれは大根をスライスし塩を振って食べる。ミュンヘナー{{仮リンク|ヴルストザラート|en|Wurstsalat}}は名物のソーゼージサラダで薄くスライスしたクナックヴルスト''Knackwurst ''をマリネにし酢とオイルを加えレタスを敷いてスライスしたタマネギを加える。
511 ⟶ 575行目:
 
=== 文学 ===
文学の分野でも著名な人物を輩出しており、バイエルン王国末期には[[パウル・フォン・ハイゼ]]や[[ライナー・マリア・リルケ]]、[[フランク・ヴェーデキント]]などの作家を輩出している。第一次世界大戦直前の期間はミュンヘンの経済や文化は隆盛を見せ、郊外のシュヴァービングは多くの芸術家や作家が居住していた。[[トーマス・マン]]はそこに住み皮肉にもこの期間の輝いたミュンヘンについて小説 ''Gladius Dei''を書いている。ヴァイマル期は文化的な中心としてミュンヘンは残っており、[[リオン・フォイヒトヴァンガー]] や[[ベルトルト・ブレヒト]]などが目立っていた。
 
[[1919年]]には映画製作の{{仮リンク|バイエルン映画スタジオ|en|Bavaria Film Studios}}が設立された。ゴシックやバロックの時代には多くの芸術家が活躍している。また、ミュンヘンは画家にとってもすでに重要な場所となっており[[青騎士]]と呼ばれる緩やかな芸術家サークルが1911年に創建された。青騎士の画家、[[パウル・クレー]]、[[ワシリー・カンディンスキー]]、[[ガブリエレ・ミュンター]]、[[フランツ・マルク]]、[[アウグスト・マッケ]]らはミュンヘンを拠点にしていた。
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== スポーツ ==
=== オリンピック ===
ミュンヘンでは、[[1972年]]に[[1972年ミュンヘンオリンピック|夏季オリンピック]]開催しているされた。また、[[2018年平昌オリンピック|2018年冬季オリンピック]]への立候補を表明しておりいたため、仮に開催が実現していた場合には、夏季・冬季両方の[[近代オリンピック|オリンピック]]を開催した初めての都市となっていた。なお、姉妹都市である札幌市も[[1972年札幌オリンピック #2016年夏季オリンピック招致活動|2016年夏季オリンピック]]へ一旦は立候補し冬季・夏季両方の開催を目指していたが、後に財政難を理由に招致を見送っている<ref>[http://www.city.sapporo.jp/somu/koho-shi/200604/documents/p09.pdf 夏季オリンピック招致見送り] 広報さっぽろ2006年4月</ref>。両市はともに[[FIFAワールドカップ]]も経験している。将来的にミュンヘンが再び冬のオリンピックに立候補する可能性があることを、ドイツオリンピック委員会の前会長(現[[国際オリンピック委員会|IOC]]会長)[[トーマス・バッハ]]が表明している<ref>http://www.gamesbids.com/eng/winter_olympic_bids/future_bids_2018/1216135909.html</ref>。
 
=== サッカー ===
{{Main|ミュンヘン・ダービー}}
[[ファイル:Allianz Arena Pahu.jpg|thumb|200px|[[FCバイエルン・ミュンヘン]]のホームスタジアム「[[アリアンツ・アレナ]]」]]
 
[[サッカー]]では、[[ドイツ]]・[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]]に所属する'''[[FCバイエルン・ミュンヘン]]'''と、[[3. リーガ (ドイツサッカー)|3. リーガ]]に所属する'''[[TSV1860ミュンヘン]]'''がミュンヘンを本拠地としている。両チームとも、[[1972年ミュンヘンオリンピック|1972年夏季オリンピック]]の主会場だった[[ミュンヘン・オリンピアシュタディオン]]を[[ドイツ・ブンデスリーガ2004-2005|2004-05シーズン]]までホームスタジアムとしてきたが、[[2006 FIFAワールドカップ]]・ドイツ大会の開会式の会場として、サッカー専用スタジアムである[[アリアンツ・アレナ]]が建設されたのに伴い、[[ドイツ・ブンデスリーガ2005-2006|2005-06シーズン]]より同[[スタジアム]]を新たにホームとして使用している。
 
== 著名な出身者 ==