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| 国 = {{JPN}}
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1986|6|13}}
| 出身地 = [[大阪府]][[摂津市]]<ref name="keisuke-honda.com">
<[https://keisuke-honda.com/profile 本田圭佑オフィシャルWEBサイト - Profile] 2023年4月26日閲覧</ref>
| 身長 = 182 [[センチメートル|cm]]<ref name="keisuke-honda.com"/>
| 体重 = 74 [[キログラム|kg]]<ref name="keisuke-honda.com"/>
| 所属チーム名 =
| ポジション = [[ミッドフィールダー|MF]]、[[フォワード (サッカー)|FW]]<ref name="keisuke-honda.com"/>
| 背番号=
| 利き足=左足
| ユース年1 = 1994-1998 | ユースクラブ1 = {{Flagicon|JPN}} 摂津FC
| ユース年2 = 1999-2001 | ユースクラブ2 = {{Flagicon|JPN}} [[ガンバ大阪]]ジュニアJrユース
| ユース年3 = 2002-2004 | ユースクラブ3 = {{Flagicon|JPN}} [[星稜中学校・高等学校|星稜高校]]
| 年1 = 2005-2007 | クラブ1 = {{Flagicon|JPN}} [[名古屋グランパスエイト]] | 出場1 = 90 | 得点1 = 11
| 年2 = 2008-2009 | クラブ2 = {{Flagicon|NED}} [[VVVフェンロー]] | 出場2 = 68 | 得点2 = 24
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| 年9 = 2021 | クラブ9 = {{Flagicon|AZE}} [[ネフチ・バクー]] |出場9 =7|得点9 =2
| 年10= 2021 |クラブ10 = {{Flagicon|LTU}} [[FKスードゥヴァ・マリヤンポレ|スードゥヴァ・マリヤンポレ]]|出場10 =6 |得点10 =1
| 通算年11= 2024 |クラブ11 ={{Flagicon|BTN}} [[パロFC]]|出場11 = 4151 | 通算得点11 = 860
| 通算出場 = 416 | 通算得点 = 86
| 代表年1 = 2002 | 代表1 = {{fbu|17|JPN|name=日本 U-17}} | 代表出場1 = 1 | 代表得点1 = 0
| 代表年2 = 2005 | 代表2 = {{fbu|20|JPN|name=日本 U-20}} | 代表出場2 = 1 | 代表得点2 = 0
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| 代表年4 = 2008-2018<ref name="daihyo">{{Cite news|title=本田 圭佑|work=サッカー日本代表データベース|url=http://www.jfootball-db.com/players_ha/keisuke_honda.html}}</ref>
| 代表4 = {{JPNf}} | 代表出場4 = 98 | 代表得点4 = 37
| クラブ成績更新日 = 20212024127130
| 代表成績更新日 = 2018年7月3日
| 監督年 = 2018-2023
| 監督チーム = {{Flagicon|CAM}} [[サッカーカンボジア代表|カンボジア]]
}}
'''本田 圭佑'''(ほんだ けいすけ、[[1986年]][[6月13日]] - )は、[[日本大阪府]][[摂津市]]出身の[[プロサッカー選手|サッカー選手実業家]]、サッカー指導者、解説者、[[実業家プロサッカー選手]]。[[サッカーのポジション|ポジション]]は[[ミッドフィールダー|MF]]、[[フォワード (サッカー)|FW]]<ref name="keisuke-honda.com"/>。元[[サッカー日本代表|日本代表]]。
 
== 概要 ==
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== クラブ経歴 ==
=== プロ入り前 ===
[[大阪府]][[摂津市]]出身。両親は本田が小学校2年生の春に離婚、自身は父親に引き取られたが、仕事で忙しかったこともあり、祖父母に育てられていた<ref>[https://smart-flash.jp/sports/1826/1/1/ 本田圭佑 激戦からの帰国を待ちわびる離別した母の存在(女性自身)]</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.soccer-king.jp/sk_column/article/70782.html|title=本田圭佑スペシャルインタビュー「僕は世界一になれると確信している」|date=2012-09-12|publisher=サッカーキング|accessdate=2013-06-04}}</ref>。幼少時は[[鳥飼さつき園]]に通園<ref name="読売20100703">{{Cite news|title=えっ本田先輩!?突然の母校訪問に後輩興奮|date=2010-07-03|publisher=読売新聞|accessdate=2017-07-08|url=https://web.archive.org/web/20100704071804/http://www.yomiuri.co.jp/wcup/2010/news/japan_2/news/20100702-OYT1T01305.htm|language=日本語}}</ref>。[[摂津市立鳥飼北小学校]]2年時から地元の摂津FCに入団しサッカーを始めた。[[摂津市立第四中学校]]に入学。あだ名はゴリ<ref name="yasuda20080619">{{Cite web|和書|archiveurl=https://megalodon.jp/2008-0627-2200-22/blog.lirionet.jp/yasuda/2008/06/post-c11a.html |url=http://blog.lirionet.jp/yasuda/2008/06/post-c11a.html|archivedate=2008-06-27|title=本田圭佑という男。|work=安田理大公式ブログ|author=安田理大|date=2008-06-19|accessdate=2013-06-05}}</ref>。その後、[[ガンバ大阪]]ジュニアユースに所属し[[家長昭博]]、[[安田理大]]、[[東口順昭]]らとともにプレーしたが<ref name="yasuda20080619" />、当時はスタミナやスピードに難があり、ユースチームへの昇格が見送られた為<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.footballchannel.jp/2014/01/15/post21275/|title= 「『見る眼がない』と散々に言われた」。当時の育成担当者語る、本田圭佑がガンバユースに上がれなかった理由|publisher=フットボールチャンネル|date=2014-01-15|accessdate=2014-01-17}}</ref>、[[石川県]]の[[星稜中学校・高等学校|星稜高校]]へ進学した<ref name="asahi">{{cite news|archiveurl=https://megalodon.jp/2008-0814-1050-49/www2.asahi.com/olympic2008/column/TKY200807070134.html|archivedate=2008-08-14|url=http://www2.asahi.com/olympic2008/column/TKY200807070134.html|title= 一人立つ、夢への舞台 サッカー・本田圭佑さん|newspaper=朝日新聞|date=2008-07-14|accessdate=2013-06-05}}</ref>。1年時に[[高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会|高円宮杯全日本ユース選手権]]で準優勝し、3年時にはキャプテンとして[[第83回全国高等学校サッカー選手権大会]]に出場し、石川県勢として初のベスト4に貢献した<ref name="asahi" />。高校では、[[豊田陽平]]や[[橋本晃司]]とともにプレーした。2004年には[[特別指定選手]]として[[名古屋グランパスエイト]]の練習に参加し、7月24日に行われた[[2004年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]の[[ジュビロ磐田]]戦で公式戦初出場を果たした。背番号は「39」。同時期に[[横浜F・マリノス]]の練習にも参加したが獲得は見送られた<ref>{{cite news|url=http://www.sanspo.com/worldcup2010/news/100510/wca1005101946036-n1.htm|title= 「得点に絡むプレーを」本田に切り札の期待|newspaper=[[サンケイスポーツ]]|date=2010-05-10|accessdate=2013-06-05}}</ref>。
 
=== 名古屋グランパスエイト ===
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=== VVVフェンロ ===
[[ファイル:Keisuke Honda Eredivisie 3.jpg|thumb|250px|VVVフェンロでの本田(2009年)]]
2008年1月16日、[[エールディヴィジ]](オランダ1部リーグ)の[[VVVフェンロー|VVVフェンロ]]へ移籍。2年半契約+1年のオプション付きで背番号は「29」<ref>[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2008/01/17/kiji/K20080117Z00001630.html 本田VVVと正式契約] スポニチ 2008年1月17日</ref>。VVVフェンロの{{仮リンク|ハイ・ベルデン|nl|Hai Berden}}会長が名古屋グランパスを率いていた同郷のセフ・フェルフォーセンに日本人選手獲得について相談し、フェルフォーセンが本田を推薦したことが移籍のきっかけとなった<ref>{{Cite web|和書|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/830227 |title=本田圭佑をVVVに推薦した“先生”。吉田と川島に通じる名古屋での秘話。 |website=Number Web |date=2018-03-20 |accessdate=2022-05-23}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201704170004-spnavi |title=VVVの1部昇格で実感した日本との縁 本田加入からの濃密な10年間 |website=Sportsnavi |date=2017-04-17 |accessdate=2022-05-24}}</ref>。1月20日の入団会見直後に行われた[[PSVアイントホーフェン|PSV]]戦に後半開始から出場した<ref>[https://web.gekisaka.jp/news/detail/?32602-13262-fl 本田圭佑、オランダデビュー飾る] ゲキサカ 2008年1月21日</ref>。333月15日、第29節[[フェイエノールト]]戦で移籍後初得点となる直接FKを決めた<ref>[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2008/03/16/kiji/K20080316Z00000020.html 本田移籍後初ゴール] スポニチ 2008年3月16日</ref>。レギュラーに定着したが、チームは[[エールステ・ディヴィジ]](オランダ2部リーグ)への降格が決定した。
 
[[エールステ・ディヴィジ 2008-09|2008-09シーズン]]は8月に[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]から正式オファーが届いたが、本田はオファーを断り、残留を決めた<ref>[https://web.gekisaka.jp/news/detail/?41364-22269-fl 浦和、本田圭獲得失敗につきコメントを発表] ゲキサカ 2008年8月21日</ref><ref>[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2008/08/21/kiji/K20080821Z00001580.html 「2部でやります」本田圭、浦和に断り] スポニチ 2008年8月21日</ref>。背番号を「10」に変更し、攻撃の軸として首位を独走するチームの原動力となり、2009年3月20日の[[フォルトゥナ・シッタート|フォルトゥナ]]戦からはキャプテンを任された。4月24日、[[HFCハールレム|ハーレム]]に勝利し、チームをリーグ優勝と1部復帰に導いた<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/p-sc-tp3-20090426-487307.html VVV本田主将がV導いた] 日刊スポーツ 2009年4月26日</ref><ref>[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2009/04/26/kiji/K20090426Z00001630.html Vと昇格置き土産!] スポニチ 2009年4月26日</ref>。リーグ戦36試合に出場し16ゴール13アシストを挙げ、2部各チームの監督と主将投票による年間最優秀選手賞(MVP)を受賞した<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/f-sc-tp3-20090515-494552.html 本田がオランダ2部最優秀選手に] 日刊スポーツ 2009年5月15日</ref><ref>[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2009/05/15/kiji/K20090515Z00001840.html 本田、2部MVP!] スポニチ 2009年5月15日</ref>。
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2012-13シーズンはトップ下で起用され、19試合で7得点を挙げる活躍でチームの原動力となり、チームは首位でウィンターブレイクを迎えた。ウィンターブレイク中の2013年2月に左足首の負傷でチームを離脱。以後、長期に渡り治療を余儀なくされ、3月のW杯アジア最終予選ヨルダン戦も欠場し、4月21日のスパルタク・モスクワ戦で2か月ぶりに復帰を果たした。2013年5月18日、CSKAモスクワは6シーズンぶりのリーグ優勝を達成し、自身にとって初の欧州1部リーグでの優勝となった。6月1日、ロシア・カップ決勝の[[FCアンジ・マハチカラ|アンジ]]戦に先発出場し、2シーズンぶりの優勝に貢献、2冠を達成した。ロシア紙『スポーツ・エクスプレス』選定の2012-13シーズンのベストイレブンにトップ下で選出された<ref>[http://www.sport-express.ru/football/rfpl/reviews/814099/ СПОРт2013.5.27]</ref>。
 
2013-14シーズン初戦となった[[ロシア・スーパーカップ 2013|ロシア・スーパーカップ]]の[[ゼニト・サンクトペテルブルク|ゼニト]]戦で2得点を決める活躍を見せ、CSKAモスクワの4シーズンぶりの優勝に貢献した<ref>[https://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20130714/122781.html CSKA本田が2得点の活躍でスーパー杯獲得に貢献] サッカーキング 2013年7月14日</ref><ref>[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/07/15/kiji/K20130715006218950.html 本田2発スーパー杯V貢献!ミランに今夏獲得アピール] スポニチ 2013年7月15日</ref>。夏の移籍市場で[[セリエA (サッカー)|セリエA]]の[[ACミラン]]への移籍が取り沙汰され、1か月以上にわたってクラブ間交渉が行われたが、最終的にCSKAがオファーを断り、移籍は破談となった<ref>[https://www.nikkansports.com/m/soccer/world/news/p-sc-tp3-20130902-1182723_m.html 本田巡るミランとCSKAの移籍交渉メモ ] 日刊スポーツ 2013年9月2日</ref>。[[UEFAチャンピオンズリーグ 2013-14|CL]]グループリーグでは[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]戦と[[FCヴィクトリア・プルゼニ|プルゼニ]]戦で1ゴールを決めるなど2G2Aの活躍を見せたが、チームはグループリーグで敗退した。2013年12月11日、CSKAモスクワ退団が発表された。
 
=== ACミラン ===
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2017-18シーズンの前期(アペルトゥーラ)は右ふくらはぎ肉離れで出遅れたが、8月22日の前期第6節[[ティブロネス・ロホス・デ・ベラクルス|ベラクルス]]戦で後半から途中出場し、移籍後初得点を決めた<ref>[https://www.nikkansports.com/m/soccer/world/news/1876402_m.html 本田、初ゴール後異例の会見「冷静に受け止めたい」] 日刊スポーツ 2017年8月23日</ref>。[[コパMX]]では決勝トーナメント1回戦の[[CDサカテペク|サカテペク]]戦で移籍後初の1試合2得点を決め<ref>[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2017/10/26/kiji/20171026s00002000110000c.html 本田 パチューカ移籍後初の1試合2ゴール “ホンダコール”沸き起こる] スポーツニッポン 2017年10月26日</ref>、準々決勝の[[クルブ・ティフアナ|ティフアナ]]戦ではハーフウェーライン手前から4人抜きのゴールを決め称賛された<ref>[https://www.footballchannel.jp/2017/11/09/post239792/ 本田圭佑にやまぬ賛辞「マラドーナをまとった」。4人抜きゴールで世界に衝撃] フットボールチャンネル 2017年11月9日</ref><ref>[https://web.gekisaka.jp/news/detail/?230411-230411-fl 「メッシ、ペレ、マラドーナ?いや本田だ!」衝撃の4人抜き弾に地元メディア興奮] ゲキサカ 2017年11月9日</ref>。
 
2017年12月に開催された[[FIFAクラブワールドカップ2017|FIFAクラブワールドカップ]]では[[CONCACAFチャンピオンズリーグ2016-17|北中米カリブ海王者]]として挑み、準々決勝の[[ウィダード・カサブランカ]](モロッコ・アフリカ王者)戦で先発フル出場し、勝利に貢献<ref>[https://www.nikkansports.com/m/soccer/world/news/201712100000144_m.html 本田トップ下で躍動 延長制し準決で南米王者と対戦] 日刊スポーツ 2017年12月9日</ref>。準決勝の[[グレミオFBPA|グレミオ]](ブラジル・南米王者)戦でも先発フル出場し、奮闘するも、チームは延長戦の末に敗れた<ref>[https://web.gekisaka.jp/news/detail/?233276-233276-fl 本田キレキレのパチューカ、2戦連続の延長で力尽き4強敗退] ゲキサカ 2017年12月13日</ref><ref>[https://www.football-zone.net/archives/83217 「本田がパチューカのベストプレーヤー」南米王者の脅威となった躍動を海外メディアが称賛] フットボールゾーン 2017年12月14日</ref>。右膝痛のため3位決定戦の[[アル・ジャジーラ・クラブ|アル・ジャジーラ]](UAE・開催国王者)戦は欠場したが、チームは勝ち、3位となった<ref>[https://web.archive.org/web/20211223145324/https://www.sanspo.com/soccer/amp/20171218/sci17121805030004-a.html 本田、出番なしもパチューカ3位!] サンスポ 2017年12月18日</ref>。
 
後期(クラウスーラ)では第5節[[モナルカス・モレリア|モレリア]]戦で直接FKを決め<ref>[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2018/02/05/kiji/20180204s00002000364000c.html 本田“宝刀”ブレ球FK弾] スポーツニッポン 2018年2月4日</ref>、第14節[[クルブ・プエブラ|プエブラ]]戦ではリーグ戦初の1試合2得点を決めた<ref>[https://web.gekisaka.jp/news/detail/?241547-241547-fl 本田エンジン全開!リーグ戦初マルチで圧勝に貢献] ゲキサカ 2018年4月7日</ref>。1トップ、トップ下、右インサイドハーフ、右ウイングと複数のポジションでプレーし、リーグ戦29試合に出場し10ゴール7アシストを挙げ、チームの攻撃を牽引。この活躍を北米メディア『[[ESPN]]』からは「今季メキシコリーグに加入選手の中で最もインパクトを残した」と称賛された<ref>[https://web.gekisaka.jp/news/detail/?242705-242705-fl 現地メディアがパチューカ本田圭佑を称賛] ゲキサカ 2018年4月20日</ref>。
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=== ネフチ・バクー ===
2021年3月15日、[[アゼルバイジャン・プレミアリーグ]]の[[ネフチ・バクー]]への移籍が発表された。シーズン終了の5月末までの契約で背番号は「4」<ref>{{Cite web|和書|title=本田圭佑のアゼルバイジャン1部行きが正式に決定 - 海外サッカー : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/202103150001148.html|website=nikkansports.com|accessdate=2021-03-15|language=ja}}</ref>。アゼルバイジャン・プレミアリーグでプレーする初めての日本人選手となった<ref>[https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=87836 「日本人で誰もやったことのないチャレンジを」] サッカーダイジェスト 2021年3月16日</ref>。4月4日、第21節[[スムガイトFK|スムガイト]]戦に後半開始から出場し、3か月半ぶりの公式戦出場となった。第25節[[ケシュラFK|ケシュラ]]戦で移籍後初得点を挙げ<ref>[https://www.football-zone.net/archives/320374 本田圭佑が“70m激走カウンター”アゼルバイジャン初ゴールに反響] フットボールゾーン 2021年5月4日</ref>、第26節[[サバイルFK|サバイル]]戦では2試合連続となる得点を挙げた<ref>[https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=90877 本田圭佑が2試合連続ゴール!] サッカーダイジェスト 2021年5月9日</ref>。5月19日、リーグ7連覇中で首位の[[カラバフFK|カラバフ]]と優勝を懸けた最終節に先発出場し、チームはカラバフに勝ち、逆転で8シーズンぶりのリーグ優勝を達成した<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/202105200000022.html 本田圭佑、8季ぶりリーグ制覇 ネフチ劇的逆転V] 日刊スポーツ 2021年5月20日</ref>。
 
=== スードゥヴァ・マリヤンポレ ===
2021年9月14日、[[Aリーガ]](リトアニア1部リーグ)の[[FKスードゥヴァ・マリヤンポレ|スードゥヴァ]]への移籍が発表された<ref name="fksuduva_20210914">{{Cite web|url=http://fksuduva.lt/suduvos-naujo-zaidejo-pristatymas/ |title=„Sūduvoje“ žais K. Honda (tiesioginė transliacija) |publisher=FK Sūduva |date=2021-09-14 |accessdate=2021-09-14}}</ref>。シーズン終了の11月末までの契約で背番号は「3」{{r|fksuduva_20210914}}。9月26日、第30節[[FKバンガ・ガルグジュダイ|バンガ]]戦に先発出場し、4か月ぶりの実戦となった試合で移籍後初得点を挙げた<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/202109260001305.html リトアニア挑戦の本田圭佑いきなりゴール!9カ国目の1部リーグ得点] 日刊スポーツ 2021年9月26日</ref>。シーズン終了後、契約満了により退団した
 
2022年10月に膝の手術を受けた<ref>[https://web.gekisaka.jp/news/world/detail/?370320-370320-fl 本田圭佑が車椅子姿で報告「膝の手術をしました」] ゲキサカ 2022年10月12日</ref>。実戦復帰を目指して、リハビリと練習を続けていた。
 
=== パロFC ===
2024年7月29日、{{仮リンク|ブータン・プレミアリーグ|en|Bhutan_Premier_League}}の{{仮リンク|パロFC|en|Paro FC}}と1試合限定で契約したことを発表した<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/202407290001231.html 本田圭佑が1試合限定の異例の契約で選手としてピッチに戻る] 日刊スポーツ 2024年7月29日</ref>。背番号は「4」でユニフォームネームは「KSK」。本田にとって10カ国目のクラブとの契約となる。当初は8月13日に行われる{{仮リンク|AFCチャレンジリーグ|en|2024–25 AFC Challenge League}}への出場権を懸けたプレーオフのみの出場予定だったが<ref>[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2024/07/29/kiji/20240729s00002000387000c.html?amp=1 本田圭佑 電撃復帰!ブータンリーグ・パロFCと特別選手契約 1試合限定、987日ぶり選手としてプレー]スポニチ 2024年7月29日</ref>、8月8日の国内リーグ[[チランFC]]戦で後半開始から途中出場し、ブータン1部デビューを飾った。8月13日、AFCチャレンジリーグ・プレーオフの{{仮リンク|チャーチ・ボーイズ・ユナイテッド|en|Church Boys United}}戦にキャプテンマークを巻いてフル出場、ボランチとして攻守で奮闘しチームの勝利に貢献、クラブを史上初のAFC国際大会本戦出場に導いた<ref>[https://web.gekisaka.jp/news/acl/detail/?413084-413084-fl 本田圭佑がフル出場で歴史的偉業!!ブータン王者を史上初のアジア国際大会本戦出場に導く] ゲキサカ 2024年8月13日</ref>。
 
== 代表経歴 ==
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[[ファイル:Keisuke-Honda-Japan-2010.jpg|thumb|150px|right|日本代表でプレイする本田(2010年)]]
2010年6月に開催された[[2010 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ・南アフリカ大会]]では4試合にフル出場。大会直前にそれまで経験のないセンターフォワード(1トップ)に抜擢された。グループリーグ初戦の[[サッカーカメルーン代表|カメルーン]]戦の前半39分に決勝先制点を挙げ、これが決勝点となり、自国開催以外のW杯初勝利に貢献<ref>[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2010/06/14/gazo/G20100614Z00001020.html 本田が決めた!日本 カメルーンに勝った] スポーツニッポン 2010年6月14日</ref>、[[国際サッカー連盟|FIFA]]選定の「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された<ref>[https://web.archive.org/web/20190322045716/https://www.fifa.com/worldcup/matches/round=249722/match=300061477/index.html 2010 FIFAワールドカップ公式サイト]</ref>。第3戦の[[サッカーデンマーク代表|デンマーク]]戦では前半17分に30m超の距離から先制点となる直接FKを決め、後半42分には勝利を決定付ける[[岡崎慎司]]のゴールもアシストし、自国開催以外のW杯で初の決勝トーナメント進出に貢献<ref>[https://web.gekisaka.jp/news/detail/?70562-58417-fl 日本を導いた!覚醒しつつある“FW本田”] ゲキサカ 2010年6月25日</ref>、この試合でも「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された<ref>[https://web.archive.org/web/20100630031758/http://www.fifa.com/worldcup/matches/round=249722/match=300061474 2010 FIFAワールドカップ公式サイト]</ref>。決勝トーナメント1回戦の[[サッカーパラグアイ代表|パラグアイ]]戦では強烈なミドルシュートを放つなど強い印象を残し、PK戦では4人目のキッカーとして成功したが、チームは敗れた(記録上は引き分け)<ref>[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2010/06/30/kiji/K20100630Z00002630.html 壮絶PK戦!本田、8強への祈り通じず…終戦] スポーツニッポン 2010年6月30日</ref>。しかし敗戦チームからは異例の今大会3度目となる「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された<ref>[https://web.archive.org/web/20190717071352/http://www.fifa.com:80/worldcup/matches/round=249717/match=300061497/index.html 2010 FIFAワールドカップ公式サイト]</ref>。
 
2011年1月に開催された[[AFCアジアカップ2011|アジアカップ2011・カタール大会]]では5試合に先発出場。グループリーグ第2戦の[[サッカーシリア代表|シリア]]戦では、PKで日本代表の国際Aマッチ通算1000点目となる決勝点を挙げた<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/1763961.html 本田、A代表1000ゴールで勝利] 日刊スポーツ 2017年1月15日</ref>。準決勝の[[サッカー大韓民国代表|韓国]]戦でも全2得点に繋がるプレーを見せ、この2試合で「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された。準々決勝の[[サッカーカタール代表|カタール]]戦での2得点につながる縦パスを含め、出場した試合で日本代表が挙げた全9得点中6得点に絡む活躍で日本代表の2大会ぶりのアジアカップ優勝に貢献し、最優秀選手(MVP)に選出された<ref>[https://www.nikkansports.com/m/soccer/japan/asiancup/2011/news/f-sc-tp2-20110130-730592_m.html 本田が大会MVP獲得!] 日刊スポーツ 2011年1月30日</ref><ref>[http://www.asahi.com/sports/fb/japan/TKY201101310067.html MVPは本田圭] 朝日新聞 2011年1月31日</ref>。
 
2011年2月7日、全国のサッカー担当記者の投票による2010年度の[[日本年間最優秀選手賞|フットボーラー・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)]]に有効投票202票のうち、75票を集めて初選出された<ref name="2010年最優秀選手">{{Cite news |url = http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/02/07/kiji/K20110207000202520.html |title = 本田圭 大差で年間最優秀選手に 記者投票で初選出 |work = サッカー |newspaper = [[スポーツニッポン]] |publisher = スポニチ Sponichi Annex |date = 2010-02-07 |accessdate = 2011-02-07 <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20141016111852/http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/02/07/kiji/K20110207000202520.html |archivedate = 2014-10-16--> }}</ref>。50年の歴史がある賞だが、海外クラブ所属の選手が受賞するのは本田が初めてであった{{#tag:ref |2位は[[名古屋グランパスエイト]]のGK[[楢﨑正剛]]で33票、3位は[[ボルシア・ドルトムント]]のMF[[香川真司]]とDF[[田中マルクス闘莉王]](名古屋)が22票<ref name="2010年最優秀選手"/>。|group = "注釈"}}。3月29日に開催されたチャリティーマッチ「[[東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!]]」では、先制点のきっかけとなったFKを獲得し、岡崎慎司の決勝点をアシストする活躍を見せた。2011年8月に右膝半月板を損傷し、長期離脱を余儀なくされ、[[2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選]]を全試合欠場した。2012年5月の[[サッカーアゼルバイジャン代表|アゼルバイジャン]]戦で9か月ぶりに代表復帰を果たした。
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2014年6月に開催された[[2014 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ・ブラジル大会]]では3試合にフル出場。グループリーグ初戦の[[サッカーコートジボワール代表|コートジボワール]]戦では先制点を決め、日本人のW杯最多得点を更新したが、チームは逆転負け。第2戦の[[サッカーギリシャ代表|ギリシャ]]戦ではチームは引き分けに終わったものの、FIFA選定の「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された<ref>[https://web.archive.org/web/20190608082024/http://www.fifa.com:80/worldcup/matches/round=255931/match=300186454/index.html 2014 FIFAワールドカップ公式サイト]</ref>。第3戦の[[サッカーコロンビア代表|コロンビア]]戦では[[岡崎慎司]]のゴールをアシストしたが、チームは敗れ、グループリーグで敗退した。
 
2015年1月に開催された[[AFCアジアカップ2015|アジアカップ2015・オーストラリア大会]]では4試合に先発出場。グループリーグで3得点(2得点がPK)を決め、[[アジアサッカー連盟|AFC]]選定のグループリーグベストイレブンに選出された<ref>{{Cite web|和書|date=2015-01-23|url=http://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20150121/273528.html|title=アジアカップGLのベスト11が発表…日本代表から最多の3選手が選出|publisher=サッカーキング|accessdate=2015-01-23}}</ref>。準々決勝UAE戦では[[柴崎岳]]の同点弾をアシストするも、PK戦で本田と[[香川真司]]がPKを外し、チームは敗れた<ref>{{Cite web|和書|date=2015-01-23|url=http://web.gekisaka.jp/news/detail/?156095-156095-fl|title=解任論加速か…アギーレ監督「PK戦は運」|publisher=ゲキサカ|accessdate=2015-01-23}}</ref>。
 
2015年11月17日、[[2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選]]の[[サッカーカンボジア代表|カンボジア]]戦で得点を決め、日本サッカー史上初のワールドカップ地区予選5試合連続ゴールを記録<ref>{{Cite web|和書|date=2015-11-18|url=https://www.daily.co.jp/soccer/2015/11/18/0008575467.shtml|title=本田、木村和司超え!5戦連続ゴール|publisher=デイリースポーツ online|accessdate=2015-11-29}}</ref>。[[サッカーシリア代表|シリア]]戦でも得点を決め、6試合連続ゴールを記録<ref>{{Cite web|和書|date=2016-03-29|url=http://www.nikkansports.com/m/soccer/japan/news/1623818_m.html?mode=alll|title=本田圭佑が代表出場6戦連発「満足することない」|publisher=日刊スポーツ online|accessdate=2016-03-30}}</ref>。2016年9月1日、[[2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選|2018 FIFAワールドカップ・アジア最終予選]]の[[サッカーUAE代表|UAE]]戦で先制点を決め、7試合連続ゴールを記録<ref>{{Cite web|和書|date=2016-09-02|url=http://www.nikkansports.com/m/soccer/japan/news/1703666_m.html?mode=all|title=本田7戦連発も不敗神話止まる|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2016-09-07}}</ref>。[[サッカータイ代表|タイ]]戦では得点を決められず、連続ゴールは7試合でストップした。オーストラリア戦では4年ぶりとなる1トップで出場し[[原口元気]]の先制点をアシスト、[[サッカーイラク代表|イラク]]戦ではCKから[[大迫勇也]]の先制点をアシストした。
 
2017年9月6日のサウジアラビア戦に先発したが、前半終了後交代となった。試合後に代表監督の[[ヴァイッド・ハリルホジッチ]]は「本田のゲーム勘が欠けていたことが分かっていたので、45分限定で使った。リズムの面でトップレベルにない、今後も努力して取り戻してもらいたい」と評した<ref>[https://www.footballchannel.jp/2017/09/06/post230086/ ハリル、本田圭佑は「45分限定で使った」「リズムの面でトップレベルにない」] フットボールチャンネル 2017年9月6日</ref>。自身も「全然ダメ」と認める低調なプレーに<ref>[https://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20170906/638513.html 「全然ダメ」…低調の本田圭佑、完敗を認める「サウジの方がよかった」] サッカーキング 2017年9月6日</ref>、サッカーファンやメディアの間から“本田不要論”が噴出した。本田はこれを受けて、Twitterにて「サッカーファンの皆さん、メディアの皆さん、『もう代表に必要ない』とか他にも厳しい声をありがとうございます」「良い感じで舞台は整ってると思ってます」と批判に対して感謝を述べた<ref>[https://www.goal.com/jp/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/%E6%9C%AC%E7%94%B0%E5%9C%AD%E4%BD%91%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E3%81%AB%E5%BF%85%E8%A6%81%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%89%B9%E5%88%A4%E3%81%AB%E6%84%9F%E8%AC%9D%E8%89%AF%E3%81%84%E6%84%9F%E3%81%98%E3%81%A7%E8%88%9E%E5%8F%B0%E3%81%AF%E6%95%B4%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B/1u0pl94jz1ev01p3ogfbj8419d 本田圭佑、「代表に必要ない」との批判に感謝「良い感じで舞台は整っている」] Goal.com 2017年9月7日</ref>。2017年9月28日、負傷や国内組で編成された試合を除いて、代表とクラブでの不振を理由に2009年3月以来となる8年半ぶりに代表メンバーから外れた。2018年3月、クラブでの活躍が評価されて半年ぶりに代表復帰を果たした。
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== ビジネスマンとして ==
* 2017年12月、株式会社HRBrain に本田圭佑が代表を務める、KSK Angel Fund LLCが出資。投資家に加わり独自の目標達成メソッドの共同開発やパブリシティ面で随時連携を図っていく予定。
* 2018年4月、[[ウィル・スミス]]と共同で[[投資ファンド]]・ドリーマーズ・ファンドを設立<ref name="asahi180718">{{Cite news|title=本田圭佑とウィル・スミスが共同ファンド 野村も出資|newspaper=朝日新聞デジタル|date=2018-07-18|url=https://www.asahi.com/articles/ASL7L5279L7LULFA014.html|accessdate=2018-07-18}}</ref>。世界各国の投資家から資金として約1億ドルを集め、[[ベンチャー#アメリカ合衆国|アメリカの新興企業]]に投資を行う計画である<ref name="asahi180718" />。7月18日には、[[野村ホールディングス]]がファンドへの出資に参加することを発表した<ref name="asahi180718" />。
* 2020年4月、音声通話サービス・[[NowVoice]]をリリースし、[[ダルビッシュ有]]、[[錦織圭]]など多くの著名人が参加した<ref>[https://www.jiji.com/jc/article?k=2020043000501&g=spo 本田圭佑、「音声で深い話を」 トップ選手参加のサービス] JI JI com(2020年4月30日)2020年5月29日閲覧。</ref>。
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[[レオニード・スルツキー]]は[[PFC CSKAモスクワ|CSKAモスクワ]]監督時代に「本田は最高のテクニックを備えた選手だ。ビッグクラブでも十分にやっていけるだけの強い精神力も持っている。高精度のラストパスに強烈なシュートと、近代サッカーの司令塔に求められる資質を全て兼ね備えた選手。本田はビッグクラブでプレーするのがふさわしい。彼はプロとして非の打ち所がない男だ。」と評した<ref>[https://archive.is/20120512092224/http://www.soccer-king.jp/column_item/20120510_honda.html#selection-1473.26-1473.30 本田圭佑がモスクワを去る日。ロシア人記者が語る『移籍の可能性と移籍への障害』](archive.today) SOCCERKING 2015年1月5日閲覧。</ref>。また、[[フィテッセ]]監督時代には「ケイスケはロボットだよ。食事、睡眠、トレーニング、準備、コンディションなど全てが適正だ。確かに彼は決してスピードのある素早い選手ではない。だが、スピード以外のクオリティーは十分。彼は私の指導者人生のなかで、最高の選手の1人だ」と絶賛した<ref>[https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=66984 「指導した中で最高の選手」本田圭佑にフィテッセ指揮官が太鼓判!] サッカーダイジェスト 2019年11月22日</ref><ref>[https://web.gekisaka.jp/news/detail/?290966-290966-fl 「ケイスケはロボット」「疑う余地ない」と指揮官絶賛] ゲキサカ 2019年11月22日</ref>。 
 
2010年の[[2010 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ・南アフリカ大会]]敗退直後、[[アーセナルFC|アーセナル]]監督の[[アーセン・ヴェンゲル]]から、「天才」「ここまでのベストプレーヤー」「間違いなくトップレベル」「日本のさらなる成長のためには本田のように能力が揃っているクローン選手を育成するべき、それが無理なら本田をさらに活かすために[[ダビド・ビジャ|ビジャ]]のような相棒を探すべき」との絶賛を受けた<ref>[http://justarsenal.com/wenger-keen-on-magic-honda/4486 Wenger keen on 'Magic' Honda!]</ref>。FIFAの技術研究グループが作成したW杯南アフリカ大会の報告書では、[[松井大輔]]とともにドリブル技術が高いと評価された<ref>[https://web.archive.org/web/20100905195823/http://www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20100903024.html ドリブル技術の高さ 空中戦の強さ FIFAが評価した日本代表3人] スポニチ2010年09月03日</ref>。2010年10月には、サッカー情報サイト『goal.com』が、アジア人最高のサッカー選手と称える記事を掲載した<ref>{{Cite news|url=http://soccer.yahoo.co.jp/world/news/show/20101014-00000527-sanspo-socc|title=本田圭佑はアジア最高の選手! 海外サイト「世界クラス」|}}</ref>。
 
2014年の[[2014 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ・ブラジル大会]]敗退後に日本のメディアからは批判もされたが<ref>{{Cite web|和書|date=2014-06-27|url=http://www.iza.ne.jp/kiji/sports/news/140627/spo14062710200026-n1.html|title=日本代表、主力信頼しすぎたツケ…不調の本田フル起用、初戦の遠藤投入|publisher=産経新聞|accessdate=2014-10-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2014-06-20|url=http://web.gekisaka.jp/column/detail/?3916-3916-cm|title=なるようにしてなった結果。日本はワールドカップで戦うチームではない|publisher=ゲキサカ|accessdate=2014-10-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2014-06-25|url=http://www.goal.com/jp/news/5256/2014%E5%B9%B4w%E6%9D%AF/2014/06/25/4912709/%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%81%A7%E6%B5%AE%E3%81%8D%E5%BD%AB%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%95%97%E5%9B%A0|title=データコラム:データで浮き彫りになるザックジャパンの敗因|publisher=Goal.com|accessdate=2014-10-16}}</ref>、コートジボワール戦をイタリアの[[ガゼッタ・デロ・スポルト]]<ref>{{cite news |title = 【世界の各紙から】本田のゲームづくりを消した大迫 |newspaper = [[スポーツ報知]] |date = 2014-06-16 |author = |authorlink = |url = http://www.hochi.co.jp/soccer/japan/20140616-OHT1T50017.html |publisher = |accessdate = 2014-10-16 |page = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20141016084453/http://www.hochi.co.jp/soccer/japan/20140616-OHT1T50017.html |archivedate = 2014-10-16--> }}</ref>、フランスの[[ル・モンド]]<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.footballchannel.jp/2014/06/16/post44058/ |title = 本田を絶賛もチームには厳しい評価 |accessdate = 2014-10-16 |author = 小川由紀子 |authorlink = 小川由紀子 |date = 2014-06-16 |work = フランスメディアが見た日本。本田を「宝石」と絶賛もチームへの言及少なく。話題の中心はドログバ |publisher = [[フットボールチャンネル]] |page = 1 |pages = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20141016085938/http://www.footballchannel.jp/2014/06/16/post44058/ |archivedate = 2014-10-16--> }}</ref>、[[レキップ]]<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.footballchannel.jp/2014/06/16/post44058/2/ |title = 「似たようなアクションの2連発は珍しい」。失点シーンを指摘 |accessdate = 2014-10-16 |author = 小川由紀子 |authorlink = |date = 2014-06-16 |work = フランスメディアが見た日本。本田を「宝石」と絶賛もチームへの言及少なく。話題の中心はドログバ |publisher = フットボールチャンネル |page = 2 |pages = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20141016090227/http://www.footballchannel.jp/2014/06/16/post44058/2/ |archivedate = 2014-10-16--> }}</ref>、コロンビア戦をブラジルのプラカール誌、ガゼッタ・エスポルチーバ、ランセ紙<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.footballchannel.jp/2014/06/26/post45346/ |title = もっと日本は戦えると思っていた。フィジカルで負け、CBは脆すぎた |accessdate = 2014-10-16 |author = 下薗昌記 |authorlink = 下薗昌記 |date = 2014-06-26 |work = ブラジルメディアが見た日本。大会前の期待に応えず厳しい評価。「余りにも稚拙なPKを犯した」今野に最低点 |publisher = フットボールチャンネル |page = 1 |pages = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20141016092927/http://www.footballchannel.jp/2014/06/26/post45346/ |archivedate = 2014-10-16--> }}</ref>、フォーリャ紙<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.footballchannel.jp/2014/06/26/post45346/2/ |title = 43歳モンドラゴンを出場させる余裕を持ったコロンビアに高い評価 |accessdate = 2014-10-16 |author = 下薗昌記 |authorlink = |date = 2014-06-26 |work = ブラジルメディアが見た日本。大会前の期待に応えず厳しい評価。「余りにも稚拙なPKを犯した」今野に最低点 |publisher = フットボールチャンネル |page = 2 |pages = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20141016094730/http://www.footballchannel.jp/2014/06/26/post45346/ |archivedate = 2014-10-16--> }}</ref> では高評価が与えられた。グループリーグ終了後にFIFAは、公式分析システムの[[カストロール・インデックス]]を使い、出場全選手736人のランキングを10点満点で発表し、本田は8.96点の全体37位および日本選手では最上位と採点した<ref>{{cite news |title = FIFAが分析システムに準じた選手ランキングを発表…日本人トップは本田の37位 |newspaper = |date = 2014-06-28 |author = |authorlink = |url = http://www.soccer-king.jp/news/world/wc/20140628/206704.html?view=more |publisher = [[ワールドサッカーキング]] |accessdate = 2014-10-16 |page = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20141016110034/http://www.soccer-king.jp/news/world/wc/20140628/206704.html?view=more |archivedate = 2014-10-16--> }}</ref><ref name="サンスポのカストロール">{{cite news |title = 本田、FIFA W杯プレー分析システムで736人中37位 |newspaper = [[サンケイスポーツ]] |date = 2014-07-02 |author = |authorlink = |url = http://www.sanspo.com/soccer/news/20140702/jpn14070205000001-n1.html |publisher = [[SANSPO.COM]] |accessdate = 2014-10-16 |page = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20141016101908/http://www.sanspo.com/soccer/news/20140702/jpn14070205000001-n1.html |archivedate = 2014-10-16--> }}</ref>{{#tag:ref |日本から100位以内に入ったのは他にMF[[山口蛍]]のみで、全体1位はコロンビアMF[[ハメス・ロドリゲス]]で9.79点を記録した<ref name="サンスポのカストロール"/>。|group = "注釈"}}。
 
2013-14シーズン途中に移籍したACミランでは、クラブOBの[[アレッサンドロ・コスタクルタ]]に「現時点での本田は『ミランの10番』どころか、単に『ミランの一員』としても認めるわけにはいかないレベルにある、と言わざるを得ない」<ref>クリスティアーノ・ルイウ:[http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/wfootball/2014/05/15/ob/ 激辛注意。ミランOB・コスタクルタが放つ「本田圭佑論」][[Sportiva]]、2014年5月14日(2014年6月20日閲覧)</ref>、同OBの[[パオロ・マルディーニ]]ミランの低迷を踏まえて「その救世主たり得るだけの実力を本田は残念ながら持ち合わせてはいない」<ref>クリスティアーノ・ルイウ:[http://www.footballchannel.jp/2014/05/01/post38706 元主将マルディーニが語る本田の価値「救世主となる実力はない。数年前のミランならメンバーになれない」] フットボールチャンネル、2014年05月01日(2014年6月20日閲覧)/</ref> と評された。
 
しかしOBでミラン監督の[[フィリッポ・インザーギ]]は2014-15シーズン前から「本田は勝利に必要なスピリットを随所で見せられる選手。(イタリアメディアが)本田に対して過小評価の報道をするのに納得できない」と、イタリアで報じられる本田不要説を一蹴<ref>{{cite news |title = 本田、今季初アシスト!ミラン監督絶賛 |newspaper = [[デイリースポーツ]] |date = 2014-08-08 |author = |authorlink = |url = http://www.daily.co.jp/soccer/2014/08/08/0007215831.shtml |publisher = DAILY SPORTS ONLINE |accessdate = 2014-10-16 |page = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20140809075916/http://www.daily.co.jp/soccer/2014/08/08/0007215831.shtml |archivedate = 2014-08-08--> }}</ref>。2014-15シーズン開幕後、元イタリア代表DF[[フルヴィオ・コッロヴァーティ]]は「本田には驚いた。異なるサッカーから来た選手だからね。いいクオリティーを持った選手だ。」<ref>{{cite news |title = コッロヴァーティ氏が語る |newspaper = |date = 2014-10-16 |author = |authorlink = |url = http://www.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2014/10/16/5188811/%E5%85%83%E4%BC%8A%E4%BB%A3%E8%A1%A8df%E6%9C%AC%E7%94%B0%E3%81%AE%E6%B4%BB%E8%BA%8D%E3%81%AB%E3%81%AF%E9%A9%9A%E3%81%84%E3%81%9F?ICID=HP_BN_4 |publisher = [[Goal.com]] |accessdate = 2014-10-16 |page = <!--|archiveurl = https://web.archive.org/web/20141016034312/http://www.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2014/10/16/5188811/%E5%85%83%E4%BC%8A%E4%BB%A3%E8%A1%A8df%E6%9C%AC%E7%94%B0%E3%81%AE%E6%B4%BB%E8%BA%8D%E3%81%AB%E3%81%AF%E9%A9%9A%E3%81%84%E3%81%9F?ICID=HP_BN_4 |archivedate = 2014-10-16--> }}</ref>、
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== 人物 ==
[[ファイル:HondaVVV.JPG|200px|right|thumb|2009年8月21日、練習中]]
父親は[[熊本県]][[坂本村 (熊本県)|坂本村]]の出身<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.47news.jp/localnews/hotnews/2010/06/post-20100616112739.html|title=本田選手、ルーツは熊本「決勝ゴール肥後もっこすの血が成した」|publisher=熊本日日新聞|accessdate=2019-12-01|date=2010-06-16|author=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140714184419/http://www.47news.jp/localnews/hotnews/2010/06/post-20100616112739.html|archivedate=2014-07-14|deadlinkurl-status=dead|url-status-date=2019-12-01}}</ref>。母親は[[広島県]]出身<ref>「[[女性セブン]]」 [[小学館]]、2010年7月1日号、p42</ref>。実兄の弘幸も元サッカー選手で2005年には[[大分トリニータ]]加入が決まっていたが、けがのために現役を引退し、現在は本田の[[代理人]]を務めている。
 
[[大叔父]]の[[本田大三郎]]は[[1964年東京オリンピック]]で[[カヌー]]競技のカナディアンペアに出場。その息子の[[本田多聞]](圭佑の父母の従兄弟、圭佑からみて従兄弟違いになる)は[[アマチュアレスリング|レスリング]]の[[フリースタイル]]で3大会連続のオリンピック出場経験を持つ現役<!--フリーランス-->[[プロレスラー]]である<ref name="asahi" />。
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1999年から2004年に[[週刊少年サンデー]]で連載されていたサッカー漫画『[[ファンタジスタ (漫画)|ファンタジスタ]]』のファンであり、2009年に作者の[[草場道輝]]と対談。これがきっかけで、2012年10月から2015年まで連載されたファンタジスタの続編『ファンタジスタ ステラ』に原案という形で参画し、本人役で登場した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20120926-1023045.html |title=本田 漫画ファンタジスタ本人役で登場 |publisher= [[日刊スポーツ|nikkansports.com]] | date=2012-09-26 | accessdate=2013-04-24 }}</ref>。
 
名古屋時代は黒髪だったが、オランダ移籍後から金髪にしており、現在では本田のトレードマークになっている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/hamidashi.php?hid=9081|title=本田「金髪」「サングラス」の秘密|publisher=東京スポーツ新聞社|accessdate=2019-12-01|date=2010-07-14|author=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100719194101/http://www.tokyo-sports.co.jp/hamidashi.php?hid=9081|archivedate=2010-07-19|deadlinkurl-status=dead|url-status-date=2019-12-01}}</ref>。
 
プライベートでは、いつも両腕に[[腕時計]]をつけている<ref name="yasuda20080619"/>。2011年10月にはイタリアの腕時計メーカー・GaGa MILANOとスポンサー契約を結んだ<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/japan/news/20111012-OHT1T00341.htm|title=本田間に合った! 11月タジク戦で代表復帰も|publisher=スポーツ報知|accessdate=2019-12-01|date=2011-10-13|author=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20111013075433/http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/japan/news/20111012-OHT1T00341.htm|archivedate=2011-10-13|deadlinkurl-status=dead|url-status-date=2019-12-01}}</ref>。両腕にはめる理由について、2008年に[[安田理大]]から尋ねられたときは「誰が時計は片腕って決めたん?」とはぐらかしていたが<ref name="yasuda20080619" />、2013年(CSKAモスクワ在籍中)にロシア誌『Futbol』のインタビューを受けた際は「僕のスタイルだからだが別の意味もある。1つはロシア時間、もう1つは日本時間。間違えて夜中に電話やメールをしないように。またボディバランスを保つため」と答えている<ref name="sansupo-20130609">{{Cite web|和書| url=http://www.sanspo.com/soccer/news/20130609/int13060905150000-n1.html | title=本田の両腕時計の謎解けた!ロシア誌に語る | newspaper=サンスポ | publisher=産経新聞社 | date=2013-06-09 | accessdate=2013-06-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130611131746/http://www.sanspo.com/soccer/news/20130609/int13060905150000-n1.html|archivedate=2013-06-11|deadlinkurl-status=dead|url-status-date=2019-12-01}}</ref>。このエピソードは本田の物真似をする芸人の[[じゅんいちダビッドソン]]も用いている。
 
スパイクは[[ミズノ]]『イグニタス』を使用している<ref>[http://mizunofootball.com/players/ ミズノホームページ・プレイヤー]</ref>。W杯後に本田の活躍によりこのスパイクが急激に売れたとのこと。ちなみに右足は26.5&nbsp;cm、左足は27.0cmとサイズが異なるだけでなく、2010年W杯のときは右足のポイントを付け替え式、左足を固定式とするなど、左右非対称の構成を採用している。またメンテナンスは欧州移籍後も古巣・名古屋グランパスの用具担当である松浦紀典に依頼しており、松浦によれば「年間で約10 - 15足ほどを消費する」という<ref>東京スポーツ・2011年4月13日付 5面「ザックJAPAN 新世代の素顔」</ref>。
 
ファッションがメディアに取り上げられることが多い。2010年の[[2010 FIFAワールドカップ|南アフリカワールドカップ]]から帰国した際は、チーム内では唯一サングラス姿で到着ロビーに現われた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sanspo.com/worldcup2010/news/100702/wca1007020503009-n1.htm|title=グラサン凱旋!本田、達成感より「残念」|publisher=サンケイスポーツ|accessdate=2019-12-01|date=2010-07-02|author=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100704070116/http://www.sanspo.com/worldcup2010/news/100702/wca1007020503009-n1.htm|archivedate=2010-07-04|deadlinkurl-status=dead|url-status-date=2019-12-01}}</ref>。
 
== エピソード ==
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* 本田が尊敬している[[中田英寿]]とは、[[サッカー日本代表|日本代表]]のトップ下を務める新旧エースとして比較されることが多い。21歳で欧州リーグへ移籍し活躍していることをはじめ、日本人離れした強靭なフィジカルとメンタリティ、[[ファッション]]への独自のこだわりといった共通点が挙げられる。二人は[[2010 FIFAワールドカップ|南アフリカW杯]]の直前に放映された対談で初対面した。中田は本田について「彼は貪欲に上を目指せるタイプで、今後の日本を背負う選手」と期待を寄せている<ref>文藝春秋、2010年8月号</ref>。
* [[2008年北京オリンピックのサッカー競技|北京五輪]]のグループリーグで敗退が決まったあとの消化試合では、数名の選手とともに[[反町康治]]監督の指示に造反していたことを明かした<ref>[https://megalodon.jp/2009-0515-2106-26/www.sanspo.com/beijing2008/news/080814/oab0808140432002-n2.htm 3戦全敗1次L敗退、反町監督に選手造反 (2/2ページ)]、サンスポ、2008.8.14</ref>。
* [[VVVフェンロー]]は「本田を放出した際の[[移籍金]]の一部を、新[[スタジアム]]建設に充てる」と発表した。[[日本放送協会|NHK]]の取材に対してサポーターたちは「新スタジアムの名前は『ケイスケ・ホンダスタジアム』にすべきだ」「名前がダメならせめて[[銅像]]だけでも建てるべき」など、本田の功績と求心力がうかがえるコメントを残し、VVVフェンローの{{仮リンク|ハイ・ベルデン|nl|Hai Berden}}会長も「ケイスケのクラブに対する功績は何らかの形で残すつもりだ」と明言した<ref name="銅像">{{Cite web|和書|title = 本田、銅像になる!?古巣フェンロが新本拠地に建立計画 |url = http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/01/08/kiji/K20130108004929970.html |newspaper = [[スポーツニッポン]] |publisher = スポニチ Sponichi Annex |date = 2013-01-08 |accessdate = 2013-05-29 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130111072057/http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/01/08/kiji/K20130108004929970.html |archivedate = 2013-01-11 |deadlinkurl-status=dead|url-status-date=2019-11-07 }}</ref>。2018年9月20日、3人の歴代の名選手の1人として、VVVフェンローのホームスタジアム外壁に肖像画が描かれた<ref>[https://www.soccer-king.jp/news/world/ned/20180922/836382.html?cx_tag=page1.html 本田圭佑、古巣のスタジアム外壁に肖像画描かれる!歴代の名選手らと共にクラブの“顔”に] サッカーキング 2018年9月22日</ref>。
* [[2ちゃんねる]]をはじめとした[[インターネット掲示板]]、[[ツイッター]]、[[mixi]]、[[ニコニコ動画]]のコメント欄などにおいて'''本田△'''(意味:本田三角形→本田さんかっけー→本田さんカッコイイ)という[[ネットスラング]]が広がっており<ref>[http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090612/197463/ 「本田△」が“読め”れば、ワールドカップもきっと面白い] 日経ビジネス</ref>、2010年度の「[[新語・流行語大賞]]」にもノミネートされた<ref>[http://singo.jiyu.co.jp/nominate/nominate2010.html 「新語・流行語大賞2010 ノミネート語」]([[新語・流行語大賞]]公式サイト)</ref>。
* [[カプコン]]の人気ゲーム『[[モンスターハンター]]』シリーズのファンで、総プレイ時間は2013年時点で185時間を超えている。2013年には[[ニンテンドー3DS]]用ソフト『[[モンスターハンター#モンスターハンター4|モンスターハンター4]]』のCMイメージキャラクターを務めた<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/world/rus/20130601/113413.html 本田圭佑がモンハン最新作のテレビCMに出演「お楽しみに!」] SOCCERKING 2013年6月1日</ref>。
* 小学校の[[卒業文集]]に「世界一のサッカー選手になる」「[[セリエA (サッカー)|セリエA]]に入団し10番で活躍する」という将来の夢を書いている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.acmilan.com/jp/news/show/150740|title=本田圭佑の夢|date=2014-01-08|work=ACミランオフィシャルサイト|accessdate=2014-01-17}}</ref>。2014年1月、[[ACミラン]]の加入会見で複数のクラブ<ref>{{cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/01/09/kiji/K20140109007349200.html|title= 本田 バルサ、マンC、エバートンのオファー断っていた |newspaper=Sponichi Annex|date=2014-01-08|accessdate=2014-01-16}}</ref> からオファーを受ける中、「なぜACミランを選んだのか」との質問に「心の中の"リトルホンダ"に聞いたらミランでプレーしたいと言った」と答え<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20140108/160756.html|title=入団会見に臨んだ本田、ミラン移籍の理由は「リトル・ホンダに聞いた」|date=2014-01-08|work=サッカーキング|accessdate=2014-01-15}}</ref>、「夢が1つ叶いました」とコメントした<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20140110/161111.html|title=伊紙、本田圭佑の小学校卒業文集を紹介「10番で活躍します」|date=2014-01-10|work=サッカーキング|accessdate=2014-01-17}}</ref>。
*「ミランの[[経営]]ではいい部分と[[反面教師]]にすべき部分を直に見ている。これは今後のビジネスに必ず生きてくる。だから[[経営者]]としてもミランでプレーすることは価値がある」と引退後に経営者としてサッカービジネスに携わることを公言している。
*「元日本代表」という呼称を嫌い「ナショナルチャレンジャー」と書いてほしいと自身のSNSで発信した<ref>{{Cite web|和書|title=本田圭佑が元代表の呼称に反発「ナショナルチャレンジャーと書いて」|url=https://news.livedoor.com/article/detail/18211055/|website=ライブドアニュース|accessdate=2020-05-04|language=ja}}</ref><ref name="national-challenge">{{Cite tweet|author=Keisuke Honda |user=kskgroup2017 |number=1256677403918839808 |title=Please don’t write “former”. I don’t like it. Please write “a national challenger! |date=2020-05-03 |accessdate=2024-02-23}}</ref>。
*以前TVの取材で出身地はアース([[地球]])と表現した<ref>{{Cite web|和書|title=「出身地はアース」「プロフェッショナルとはケイスケ・ホンダ」 本田圭佑出演のNHK番組が名言だらけで話題に
|url=https://news.livedoor.com/article/detail/14716556/|website=ライブドアニュース|accessdate=2024-02-23|language=ja}}</ref>。
* 2022年11月から12月にかけて行われた[[2022 FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]を全64試合放送する[[ABEMA]]のW杯プロジェクトGMに就任<ref>[https://www.soccer-king.jp/news/japan/japan_other/20220322/1632576.html 本田圭佑、ABEMAのW杯プロジェクトGMに就任「W杯は愛していますし、指導者の勉強にも」] サッカーキング 2022年3月22日</ref>。大会期間中は、日本代表初戦のドイツ戦で自身初の解説を担当し、本田の感じた事をそのまま話すスタイルの解説やアナウンサーの[[寺川俊平]]とピッチ解説を担当した[[槙野智章]]とのかけ合い話題と人気を集め、最終的には日本代表の全4試合と準決勝と決勝の解説を担当した<ref>[https://www.daily.co.jp/soccer/wc2022/2022/11/24/0015835615.shtml 【“解説者”本田圭佑の人気急騰「次のコスタリカ戦も解説することに」著名人も歓喜] デイリースポーツ 2022年11月24日</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/m/soccer/qatar2022/news/202212080000950_m.html?mode=all 【W杯】本田圭佑「決勝までカタールに滞在します」準決勝1試合と決勝戦ABEMA解説] 日刊スポーツ 2022年12月8日</ref>。また、初戦の日本対ドイツ戦でアディショナルタイムが7分あった事に「7分⁉︎」と驚いた声を出したリアクションが話題を集めた。その後、日本の3戦目のスペイン戦と決勝のアルゼンチン対フランスでも同じくアディショナルタイムが7分あり、本田自身もドイツ戦と同じ「7分⁉︎」とリアクションを取り、決勝戦の際は日本のTwitterのトレンドに「本田の7分」がランクインした<ref>[https://www.chunichi.co.jp/article/603447 「出た本田圭佑の『7分!?』」「締めの試合で聞けて満足」と熱いリアクションにネット上では大反響【カタールW杯】] 中日スポーツ 2022年12月19日</ref>。決勝戦の解説を担当した後、日本のスタジオにいた[[矢部浩之]]から「今大会の解説のMVP」だと評価されたが、本田は今後解説はしないと話した<ref>[https://hochi.news/articles/20221219-OHT1T51031.html?page=1 本田圭佑、今後解説は「しないですね」…メッシの歓喜に「主役じゃないのがイヤな自分がいる」] スポーツ報知 2022年12月19日</ref>。
* 2022年11月から12月にかけて行われた[[2022 FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]を全64試合放送する[[ABEMA]]のW杯プロジェクトGMに就任<ref>[https://www.soccer-king.jp/news/japan/japan_other/20220322/1632576.html 本田圭佑、ABEMAのW杯プロジェクトGMに就任「W杯は愛していますし、指導者の勉強にも」] サッカーキング 2022年3月22日</ref>。大会期間中は、日本代表初戦のドイツ戦で自身初の解説を担当し、本田自身が感じた事をそのまま話すスタイルの解説や、アナウンサーの[[寺川俊平]]とピッチ解説を担当した[[槙野智章]]とのかけ合いが話題と人気を集め、最終的には日本代表の全4試合と準決勝と決勝の解説を担当した<ref>[https://www.daily.co.jp/soccer/wc2022/2022/11/24/0015835615.shtml 【“解説者”本田圭佑の人気急騰「次のコスタリカ戦も解説することに」著名人も歓喜] デイリースポーツ 2022年11月24日</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/m/soccer/qatar2022/news/202212080000950_m.html?mode=all 【W杯】本田圭佑「決勝までカタールに滞在します」準決勝1試合と決勝戦ABEMA解説] 日刊スポーツ 2022年12月8日</ref>。また、初戦の日本対ドイツ戦でアディショナルタイムが7分あった事に「7分⁉︎」と驚いた声を出したリアクションが話題を集めた。その後、日本の3戦目のスペイン戦と決勝のアルゼンチン対フランスでも同じくアディショナルタイムが7分あり、本田自身もドイツ戦と同じ「7分⁉︎」とリアクションを取り、決勝戦の際は日本のTwitterのトレンドに「本田の7分」がランクインした<ref>[https://www.chunichi.co.jp/article/603447 「出た本田圭佑の『7分!?』」「締めの試合で聞けて満足」と熱いリアクションにネット上では大反響【カタールW杯】] 中日スポーツ 2022年12月19日</ref>。決勝戦の解説を担当した後、日本のスタジオにいた[[矢部浩之]]から「今大会の解説のMVP」だと評価されたが、本田は今後解説はしないと話した<ref>[https://hochi.news/articles/20221219-OHT1T51031.html?page=1 本田圭佑、今後解説は「しないですね」…メッシの歓喜に「主役じゃないのがイヤな自分がいる」] スポーツ報知 2022年12月19日</ref>。
 
== 社会貢献活動 ==
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欧州では下部リーグであってもトップチームにスカウトされるチャンスがあるため、若くして欧州でプレーする選手を増やしたいという意図がある<ref>[https://newspicks.com/news/1650056/body/ 2部昇格のホルン。CL出場に向けた“破壊的創造”]</ref>。本田は現役選手としてプレーしているため現地でクラブの業務に関わることはできないが、毎日スタッフと連絡を取り合い近況報告を聞くだけではなく、自らもピッチ内のことに限らず集客などの細かいアイデアを出している。
 
また、本田とHONDA ESTILOはIT活用による選手強化やチームのパフォーマンス改善にも取り組んでおり、ドイツのソフトウェア企業[[SAP (企業)|SAP]]と協力して、選手達のトレーニングや試合中のデータを分析して育成に繋げる取り組み「HONDA NO LIMITS PROJECT」の開始を発表した。 同プロジェクトでは[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]や[[横浜F・マリノス]]でも採用されている「[[SAP HANA]]」をデータ分析ツールとして利用する<ref>[https://xtech.nikkei.com/it/atcl/news/16/042501218/?rt=nocnt サッカーの本田圭佑選手、SAPのインメモリーDB「HANA」でデータ分析プロジェクト]</ref><ref>[httphttps://www.nikkei.com/article/DGXMZO00055600V20C16A4000000/ サッカーの本田選手、SAPのDBで分析プロジェクト]</ref>。同ツールは2014年サッカーワールドカップでドイツ代表の優勝に貢献したことから、HONDA ESTILOの同取り組みはスポーツビジネス界やIT業界でも大きく注目を集めた<ref>[https://xtech.nikkei.com/dm/atcl/feature/15/110200006/021900015/ 独サッカー代表、躍動の裏にデータ分析あり SAPの流儀とは]</ref><ref>[http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-120.html?sp 独サッカー磨く“12番目の選手”――SAPのビッグデータ技術、1試合4000万件…即座に解析、超高速処理が武器]</ref><ref>[https://news.mynavi.jp/techplus/article/20160426-a138/ 本田選手のマネジメント事務所、チーム強化に向け最先端分析システム導入プロジェクト]</ref><ref>[http://www.excite.co.jp/News/column_g/20160426/Cobs_436545.html 本田選手のマネジメント事務所、チーム強化に向け最先端分析システム導入プロジェクト]</ref><ref>[http://japan.zdnet.com/article/35083254/ 本田圭佑のホルンvs岡田武史のFC今治の対決をデジタルで支援--SAPジャパン]</ref><ref>[https://xtech.nikkei.com/it/atcl/news/16/052601519/ 「IoTやAIでサッカーにもデジタル化を」、SAPがSVホルン対FC今治の試合を支援]</ref>。
 
1年目の2015-16シーズンは3部リーグ優勝し、[[エアステリーガ]](オーストリア2部リーグ)昇格を果たした。しかし、2016-17シーズンは成績が振るわず、1年で3部降格となった。2017-18シーズンは3部リーグ優勝し、1年で2部返り咲きを果たした。
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=== ソルティーロ・アンコールFC ===
2016年12月26日、[[カンボジア]]のシェムリアップ・アンコールFCの経営に携わることを発表し、実質的なオーナーになった<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/1756781.html 本田がクラブ経営、ホルンに続きカンボジアでも] 日刊スポーツ(2016年12月26日)</ref>。チーム名を[[ソルティーロ・アンコールFC]]に改称した。2021シーズンは最下位に沈んで2部降格。2022年は2部リーグで12チーム中7位となっていたが、このシーズンを最後に解散した。
 
=== ソルティーロ・ブライトスターズ ===
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* 2019年 {{Flagicon|NED}} [[SBVフィテッセ]]
* 2020年 - 2021年 {{Flagicon|BRA}} [[ボタフォゴFR]]
* 2021年3月 - 6月 {{Flagicon|AZE}} [[ネフチ・バクー]]
* 2021年9月 - 同年11月 {{Flagicon|LTU}} [[FKスードゥヴァ・マリヤンポレ|FKスードゥヴァ]]
* 2024年8月 {{Flagicon|BTN}} {{仮リンク|パロFC|en|Paro FC}}
 
== 選手成績 ==
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|2008-09||rowspan="2"|10||[[エールステ・ディヴィジ|エールステ]]||36||16||colspan="2"|-||1||0||37||16
|-
|[[エールディヴィジ 2009-10|2009-10]]||[[エールディヴィジ]]||18||6||colspan="2"|-||2||2||20||8
{{サッカー選手国内成績表 th|ロシア|all}}
|-
351 ⟶ 357行目:
{{サッカー選手国内成績表 th|オランダ|all}}
|-
|2019-20||[[SBVフィテッセ|フィテッセ]]||33||[[エールディヴィジ]]||4||0||colspan="2"|-||colspan="2"|-||4||0
{{サッカー選手国内成績表 th|ブラジル|all}}
|-
362 ⟶ 368行目:
|-
|2021||[[FKスードゥヴァ・マリヤンポレ|FKスードゥヴァ]]||3||[[Aリーガ]]||6 ||1 ||colspan="2"|-||colspan="2"|-||6 ||1
{{サッカー選手国内成績表 通算始th|10ブータン|日本|J1all}}90||11||10||2||5||0||105||13
|-
|2024||[[パロFC|パロ]]||4||[[A-ディヴィジョン]]||1||0||colspan=2|-||colspan=2|-||1||0
{{サッカー選手国内成績表 通算始|11|日本|J1}}90||11||10||2||5||0||105||13
{{サッカー選手国内成績表 通算行|オランダ|エールディヴィジ}}36||8||colspan="2"|-||2||2||38||10
{{サッカー選手国内成績表 通算行|オランダ|エールステ}}36||16||colspan="2"|-||1||0||37||16
372 ⟶ 381行目:
{{サッカー選手国内成績表 通算行|アゼルバイジャン|プレミア}}7||2||colspan="2"|-||colspan="2"|-||7||2
{{サッカー選手国内成績表 通算行|リトアニア|Aリーガ}}6 ||1 ||colspan="2"|-||colspan="2"|-||6 ||1
{{サッカー選手国内成績表 通算行|ブータン|A-ディヴィジョン}}4151||860||40colspan=2||8||8-||colspan=2|-||4631||960
{{サッカー選手国内成績表 通算終}}416||86||40||8||8||2||464||96
|}
2004年は[[特別指定選手]]として出場。
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* 2010年 - [[UEFAヨーロッパリーグ 2010-11]] プレーオフ 1試合0得点
* 2012年 - [[UEFAヨーロッパリーグ 2012-13]] プレーオフ 2試合1得点
* 2024年 - AFCチャレンジリーグ 24/25 プレーオフ 1試合0得点
 
== 監督成績 ==
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== 代表歴 ==
 
*国際Aマッチ初出場 - 2008年6月22日 [[2010 FIFAワールドカップ・アジア予選|2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選]] vs[[サッカーバーレーン代表|バーレーン代表]]([[埼玉スタジアム2002]])<ref name="daihyo" />
*国際Aマッチ初得点 - 2009年5月27日 [[キリンカップサッカー2009]] vs[[サッカーチリ代表|チリ代表]]([[長居陸上競技場|長居スタジアム]])<ref name="daihyo" />
 
=== 出場大会 ===
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!通算
|98||37
|}
 
===出場===
{|class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed"
! # !! 開催日 !! 開催地
!スタジアム!! 対戦国 !! 勝敗 !! 監督 !! 試合概要
|-
|1.||2008年06月22日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]|| rowspan="2" |{{fb|BHR}}||○1-0||rowspan="5"|[[岡田武史]]||[[2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選]]
|-
|2.||2009年01月28日||{{Flagicon|BHR}}[[マナーマ]]||[[バーレーン・ナショナル・スタジアム]]||●0-1||[[AFCアジアカップ2011 (予選)|AFCアジアカップ2011・最終予選]]
|-
|3.||2009年05月27日||{{Flagicon|JPN}}[[大阪府]]||[[長居陸上競技場]]||{{fb|CHI}}||○4-0|| rowspan="2" |[[キリンカップサッカー2009]]
|-
|4.||2009年05月31日||{{Flagicon|JPN}}[[東京都]]||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場]]||{{fb|BEL}}||○4-0
|-
|5.||2009年06月06日||{{Flagicon|UZB}}[[タシケント]]||[[パフタコール・マルカジイ・スタジアム]]||{{fb|UZB}}||○1-0|| rowspan="2" |[[2010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選]]
|-
|6.||2009年06月10日||{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]||[[横浜国際総合競技場]]||{{fb|QAT}}||△1-1||[[大木武]](代行)
|-
|7.||2009年09月05日||{{Flagicon|NED}}[[エンスヘーデ]]||[[デ・フロルーシュ・フェステ]]||{{fb|NED}}||●0-3||rowspan="13"|[[岡田武史]]|| rowspan="2" |[[エキシビション|国際親善試合]]
|-
|8.||2009年09月09日||{{Flagicon|NED}}[[ユトレヒト]]||[[スタディオン・ハルヘンワールト]]||{{fb|GHA}}||○4-3
|-
|9.||2009年10月10日||{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]||[[横浜国際総合競技場]]||{{fb|SCO}}||○2-0|| rowspan="2" |[[サッカー日本代表の国際親善試合|キリンチャレンジカップ]]2009
|-
|10.||2009年10月14日||{{Flagicon|JPN}}[[宮城県]]||[[宮城スタジアム]]||{{fb|TOG}}||○5-0
|-
|11.||2009年11月14日||{{Flagicon|RSA}}[[ポート・エリザベス]]||[[ネルソン・マンデラ・ベイ・スタジアム]]||{{fb|RSA}}||△0-0||国際親善試合
|-
|12.||2010年03月03日||{{Flagicon|JPN}}[[愛知県]]||[[豊田スタジアム]]||{{fb|BHR}}||○2-0||[[AFCアジアカップ2011 (予選)|AFCアジアカップ2011・最終予選]]
|-
|13.||2010年05月24日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|KOR}}||●0-2||キリンチャレンジカップ2010
|-
|14.||2010年05月30日||{{Flagicon|AUT}}[[グラーツ]]||[[グラーツ・リーベナウ・シュターディオン|UPCアレーナ]]||{{fb|ENG}}||●1-2|| rowspan="2" |国際親善試合
|-
|15.||2010年06月04日||{{Flagicon|SUI}}[[シオン]]||[[スタッド・ドゥ・トゥールビヨン]]||{{fb|CIV}}||●0-2
|-
|16.||2010年06月14日||{{Flagicon|RSA}}[[ブルームフォンテーン]]||[[フリーステイト・スタジアム]]||{{fb|CMR}}||○1-0|| rowspan="4" |[[2010 FIFAワールドカップ]]
|-
|17.||2010年06月19日||{{Flagicon|RSA}}[[ダーバン]]||[[モーゼス・マヒダ・スタジアム]]||{{fb|NED}}||●0-1
|-
|18.||2010年06月24日||{{Flagicon|RSA}}[[ルステンブルク]]||[[ロイヤル・バフォケン・スタジアム]]||{{fb|DEN}}||○3-1
|-
|19.||2010年06月29日||{{Flagicon|RSA}}[[プレトリア]]||[[ロフタス・ヴァースフェルド・スタジアム]]|| rowspan="2" |{{fb|PAR}}||△0-0(PK3-5)
|-
|20.||2010年09月04日||{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]||[[横浜国際総合競技場]]||○1-0||rowspan="2"|[[原博実]](代行)|| rowspan="3" |キリンチャレンジカップ2010
|-
|21.||2010年09月07日||{{Flagicon|JPN}}[[大阪府]]||[[長居陸上競技場]]||{{fb|GUA}}||○2-1
|-
|22.||2010年10月08日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|ARG}}||○1-0||rowspan="38"|[[アルベルト・ザッケローニ]]
|-
|23.||2010年10月12日||{{Flagicon|KOR}}[[ソウル]]||[[ソウルワールドカップ競技場]]||{{fb|KOR}}||△0-0||国際親善試合
|-
|24.||2011年01月09日|| rowspan="5" |{{Flagicon|QAT}}[[ドーハ]]|| rowspan="2" |[[カタールSCスタジアム]]||{{fb|JOR}}||△1-1|| rowspan="5" |[[AFCアジアカップ2011]]
|-
|25.||2011年01月13日||{{fb|SYR}}||○2-1
|-
|26.||2011年01月21日|| rowspan="2" |[[サーニー・ビン・ジャーシム・スタジアム|アル・ガラファ・スタジアム]]||{{fb|QAT}}||○3-2
|-
|27.||2011年01月25日||{{fb|KOR}}||△2-2(PK3-0)
|-
|28.||2011年01月29日||[[ハリーファ国際スタジアム]]||{{fb|AUS}}||○1-0(延長)
|-
|29.||2011年06月01日||{{Flagicon|JPN}}[[新潟県]]||[[新潟スタジアム]]||{{fb|PER}}||△0-0|| rowspan="2" |[[キリンカップサッカー2011]]
|-
|30.||2011年06月07日||{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]||[[横浜国際総合競技場]]||{{fb|CZE}}||△0-0
|-
|31.||2011年08月10日||{{Flagicon|JPN}}[[北海道]]||[[札幌ドーム]]||{{fb|KOR}}||○3-0||キリンチャレンジカップ2011
|-
|32.||2012年05月23日||{{Flagicon|JPN}}[[静岡県]]||[[静岡県小笠山総合運動公園スタジアム]]||{{fb|AZE}}||○2-0||キリンチャレンジカップ2012
|-
|33.||2012年06月03日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|OMA}}||○3-0|| rowspan="3" |[[2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選]]
|-
|34.||2012年06月08日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|JOR}}||○6-0
|-
|35.||2012年06月12日||{{Flagicon|AUS}}[[ブリスベン]]||[[サンコープ・スタジアム|ブリスベン・スタジアム]]||{{fb|AUS}}||△1-1
|-
|36.||2012年08月15日||{{Flagicon|JPN}}[[北海道]]||[[札幌ドーム]]||{{fb|VEN}}||△1-1|| rowspan="2" |キリンチャレンジカップ2012
|-
|37.||2012年09月06日||{{Flagicon|JPN}}[[新潟県]]||[[新潟スタジアム]]||{{fb|UAE}}||○1-0
|-
|38.||2012年09月11日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|IRQ}}||○1-0||[[2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選]]
|-
|39.||2012年10月16日||{{Flagicon|POL}}[[ヴロツワフ]]||[[ヴロツワフ市立競技場]]||{{fb|BRA}}||●0-4||国際親善試合
|-
|40.||2012年11月14日||{{Flagicon|OMA}}[[マスカット]]||[[スルタン・カーブース・スポーツコンプレックス|スルタン・カーブース・スポーツ・コンプレックス]]||{{fb|OMA}}||○2-1||[[2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選]]
|-
|41.||2013年02月06日||{{Flagicon|JPN}}[[兵庫県]]||[[御崎公園球技場]]||{{fb|LVA}}||○3-0||キリンチャレンジカップ
|-
|42.||2013年06月04日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|AUS}}||△1-1||[[2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選]]
|-
|43.||2013年06月15日||{{Flagicon|BRA}}[[ブラジリア]]||[[エスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリア]]||{{fb|BRA}}||●0-3|| rowspan="3" |[[FIFAコンフェデレーションズカップ2013]]
|-
|44.||2013年06月19日||{{Flagicon|BRA}}[[レシフェ]]||[[アレナ・ペルナンブーコ]]||{{fb|ITA}}||●3-4
|-
|45.||2013年06月22日||{{Flagicon|BRA}}[[ベロオリゾンテ]]||[[エスタジオ・ゴベルナドール・マガリャンイス・ピント|ミネイロン]]||{{fb|MEX}}||●1-2
|-
|46.||2013年08月14日||{{Flagicon|JPN}}[[宮城県]]||[[宮城スタジアム]]||{{fb|URU}}||●2-4|| rowspan="3" |キリンチャレンジカップ2013
|-
|47.||2013年09月06日||{{Flagicon|JPN}}[[大阪府]]||[[長居陸上競技場]]||{{fb|GUA}}||○3-0
|-
|48.||2013年09月10日||{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]||[[横浜国際総合競技場]]||{{fb|GHA}}||○3-1
|-
|49.||2013年10月11日||{{Flagicon|SRB}}[[ノビサド]]||[[スタディオン・カラジョルジェ]]||{{fb|SRB}}||●0-2|| rowspan="4" |国際親善試合
|-
|50.||2013年10月15日||{{Flagicon|BLR}}[[ミンスク]]||[[トルペド・スタジアム(ジョジナ)|トルペド・スタジアム]]||{{fb|BLR}}||●0-1
|-
|51.||2013年11月16日||{{Flagicon|BEL}}[[ヘンク]]||[[セゲカ・アレーナ|クリスタル・アレナ]]||{{fb|NED}}||△2-2
|-
|52.||2013年11月19日||{{Flagicon|BEL}}[[ブリュッセル]]||[[ボードゥアン国王競技場]]||{{fb|BEL}}||○3-2
|-
|53.||2014年03月05日||{{Flagicon|JPN}}[[東京都]]||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場]]||{{fb|NZL}}||○4-2|| rowspan="2" |キリンチャレンジカップ2014
|-
|54.||2014年05月27日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|CYP}}||○1-0
|-
|55.||2014年06月02日|| rowspan="2" |{{Flagicon|USA}}[[タンパ]]|| rowspan="2" |[[レイモンド・ジェームス・スタジアム]]||{{fb|CRC}}||○3-1|| rowspan="2" |国際親善試合
|-
|56.||2014年06月06日||{{fb|ZAM}}||○4-3
|-
|57.||2014年06月14日||{{Flagicon|BRA}}[[レシフェ]]||[[アレナ・ペルナンブーコ]]||{{fb|CIV}}||●1-2|| rowspan="3" |[[2014 FIFAワールドカップ]]
|-
|58.||2014年06月19日||{{Flagicon|BRA}}[[ナタール]]||[[アレーナ・ダス・ドゥーナス]]||{{fb|GRE}}||△0-0
|-
|59.||2014年06月24日||{{Flagicon|BRA}}[[クイアバ]]||[[アレーナ・パンタナール]]||{{fb|COL}}||●1-4
|-
|60.||2014年09月05日||{{Flagicon|JPN}}[[北海道]]||[[札幌ドーム]]||{{fb|URU}}||●0-2||rowspan="10"|[[ハビエル・アギーレ]]|| rowspan="3" |キリンチャレンジカップ2014
|-
|61.||2014年09月09日||{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]||[[横浜国際総合競技場]]||{{fb|VEN}}||△2-2
|-
|62.||2014年10月10日||{{Flagicon|JPN}}[[新潟県]]||[[新潟スタジアム]]||{{fb|JAM}}||○1-0
|-
|63.||2014年10月14日||{{Flagicon|SIN}}[[シンガポール]]||[[シンガポール・ナショナルスタジアム]]||{{fb|BRA}}||●0-4||国際親善試合
|-
|64.||2014年11月14日||{{Flagicon|JPN}}[[愛知県]]||[[豊田スタジアム]]||{{fb|HON}}||○6-0|| rowspan="2" |キリンチャレンジカップ2014
|-
|65.||2014年11月18日||{{Flagicon|JPN}}[[大阪府]]||[[長居陸上競技場]]||{{fb|AUS}}||○2-1
|-
|66.||2015年01月12日||{{Flagicon|AUS}}[[ニューカッスル]]||[[ニューカッスル国際スポーツセンター|ニューカッスル・スタジアム]]||{{fb|PLE}}||○4-0|| rowspan="4" |[[AFCアジアカップ2015]]
|-
|67.||2015年01月16日||{{Flagicon|AUS}}[[ブリスベン]]||[[サンコープ・スタジアム|ブリスベン・スタジアム]]||{{fb|IRQ}}||○1-0
|-
|68.||2015年01月20日||{{Flagicon|AUS}}[[メルボルン]]||[[メルボルン・レクタンギュラー・スタジアム]]||{{fb|JOR}}||○2-0
|-
|69.||2015年01月23日||{{Flagicon|AUS}}[[シドニー]]||[[スタジアム・オーストラリア]]||{{fb|UAE}}||△1-1(PK4-5)
|-
|70.||2015年03月27日||{{Flagicon|JPN}}[[大分県]]||[[大分スポーツ公園総合競技場]]||{{fb|TUN}}||○2-0||rowspan="24"|[[ヴァイッド・ハリルホジッチ]]||キリンチャレンジカップ2015
|-
|71.||2015年03月31日||{{Flagicon|JPN}}[[東京都]]||[[東京スタジアム]]||{{fb|UZB}}||○5-1||JALチャレンジカップ2015
|-
|72.||2015年06月11日||{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]||[[横浜国際総合競技場]]||{{fb|IRQ}}||○4-0||キリンチャレンジカップ2015
|-
|73.||2015年06月16日|| rowspan="2" |{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]|| rowspan="2" |[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|SIN}}||△0-0|| rowspan="4" |[[2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選]]
|-
|74.||2015年09月03日||{{fb|CAM}}||○3-0
|-
|75.||2015年09月08日||{{Flagicon|IRN}}[[テヘラン]]||[[アザディ・スタジアム]]||{{fb|AFG}}||○6-0
|-
|76.||2015年10月08日||{{Flagicon|OMA}}[[マスカット]]||[[シーブ・スタジアム]]||{{fb|SYR}}||○3-0
|-
|77.||2015年10月13日||{{Flagicon|IRN}}[[テヘラン]]||[[アザディ・スタジアム]]||{{fb|IRN}}||△1-1||国際親善試合
|-
|78.||2015年11月12日||{{Flagicon|SIN}}[[シンガポール]]||[[シンガポール・ナショナルスタジアム]]||{{fb|SIN}}||○3-0|| rowspan="3" |[[2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選]]
|-
|79.||2015年11月17日||{{Flagicon|CAM}}[[プノンペン]]||[[プノンペン・オリンピックスタジアム]]||{{fb|CAM}}||○2-0
|-
|80.||2016年03月29日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|SYR}}||○5-0
|-
|81.||2016年09月01日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|UAE}}||●1-2|| rowspan="4" |[[2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選]]
|-
|82.||2016年09月06日||{{Flagicon|THA}}[[バンコク]]||[[ラジャマンガラ競技場]]||{{fb|THA}}||○2-0
|-
|83.||2016年10月06日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|IRQ}}||○2-1
|-
|84.||2016年10月11日||{{Flagicon|AUS}}[[メルボルン]]||[[ドックランズ・スタジアム]]||{{fb|AUS}}||△1-1
|-
|85.||2016年11月11日||{{Flagicon|JPN}}[[茨城県]]||[[茨城県立カシマサッカースタジアム]]||{{fb|OMA}}||○4-0||キリンチャレンジカップ2016
|-
|86.||2016年11月15日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|KSA}}||○2-1|| rowspan="3" |[[2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選]]
|-
|87.||2017年03月23日||{{Flagicon|UAE}}[[アル・アイン]]||[[ハッザーア・ビン・ザーイド・スタジアム]]||{{fb|UAE}}||○2-0
|-
|88.||2017年03月28日||{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]||[[埼玉スタジアム2002]]||{{fb|THA}}||○4-0
|-
|89.||2017年06月07日||{{Flagicon|JPN}}[[東京都]]||[[東京スタジアム]]||{{fb|SYR}}||△1-1||国際親善試合
|-
|90.||2017年06月13日||{{Flagicon|IRN}}[[テヘラン]]||[[シャヒード・ダストゲルディ・スタジアム]]||{{fb|IRQ}}||△1-1|| rowspan="2" |[[2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選]]
|-
|91.||2017年09月05日||{{Flagicon|KSA}}[[ジッダ]]||[[キング・アブドゥッラー・スポーツシティ|キング・アブドゥッラー・スポーツ・シティ]]||{{fb|KSA}}||●0-1
|-
|92.||2018年03月23日|| rowspan="2" |{{Flagicon|BEL}}[[リエージュ]]|| rowspan="2" |[[スタッド・モーリス・デュフラン]]||{{fb|MLI}}||△1-1||国際親善試合
|-
|93.||2018年03月27日||{{fb|UKR}}||●1-2||キリンチャレンジカップ2018 in EUROPE
|-
|94.||2018年05月30日||{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]||[[横浜国際総合競技場]]||{{fb|GHA}}||●0-2||rowspan="5"|[[西野朗]]||キリンチャレンジカップ2018
|-
|95.||2018年06月08日||{{Flagicon|SUI}}[[ルガーノ]]||[[スタディオ・コルナレド]]||{{fb|SUI}}||●0-2||国際親善試合
|-
|96.||2018年06月19日||{{Flagicon|RUS}}[[サランスク]]||[[モルドヴィア・アリーナ]]||{{fb|COL}}||○2-1|| rowspan="3" |[[2018 FIFAワールドカップ]]
|-
|97.||2018年06月24日||{{Flagicon|RUS}}[[エカテリンブルク]]||[[セントラル・スタジアム (エカテリンブルク)|エカテリンブルク・アリーナ]]||{{fb|SEN}}||△2-2
|-
|98.||2018年07月02日||{{Flagicon|RUS}}[[ロストフ・ナ・ドヌ]]||[[ロストフ・アリーナ]]||{{fb|BEL}}||●2-3
|}
 
483 ⟶ 699行目:
{{legend|#fdd|FIFAワールドカップでの得点|border=#AAAAAA}}
{|class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed"
! # !! 開催年月日 !! 開催地
!スタジアム!! 対戦国 !! 勝敗 !! 試合概要
|-
| 1. || 2009年5月27日 || 日本、大阪 || {{CHIfFlagicon|JPN}} || ○4-0 || [[キリンカップサッカー2009大阪府]]
|[[長居陸上競技場|大阪長居スタジアム]]|| {{CHIf}} || ○4-0 || [[キリンカップサッカー2009]]
|-
| 2. || 2009年10月10日 || 日本、{{Flagicon|JPN}}[[神奈川県]]
|[[横浜 国際総合競技場]]|| {{SCOf}} || ○2-0 ||rowspan="2"| [[サッカー日本代表の国際親善試合|キリンチャレンジカップ]]2009
|-
| 3. || 2009年10月14日 || 日本、宮城 || {{TGOfFlagicon|JPN}} || ○5-0[[宮城県]]
|[[宮城スタジアム]]|| {{TGOf}} || ○5-0
|-
| 4. || 2010年3月3日 || 日本、{{Flagicon|JPN}}[[愛知県]]
|[[豊田 スタジアム]]|| {{BHRf}} || ○2-0 || [[AFCアジアカップ2011 (予選)|AFCアジアカップ2011 予選]]
|- style="background-color:#fdd;"
| 5. || 2010年6月14日 || 南アフリカ、{{Flagicon|RSA}}[[ブルームフォンテーン ]]
|[[フリーステイト・スタジアム]]|| {{CMRf}} || ○1-0 ||rowspan="2"| [[2010 FIFAワールドカップ・グループE|2010 FIFAワールドカップ]]
|- style="background-color:#fdd;"
| 6. || 2010年6月24日 || 南アフリカ、{{Flagicon|RSA}}[[ルステンブルク || {{DENf}} || ○3-1]]
|[[ロイヤル・バフォケン・スタジアム]]|| {{DENf}} || ○3-1
|-
| 7. || 2011年1月13日 || {{Flagicon|QAT}}[[ドーハ]]
|[[カタール、ドーハ SCスタジアム]]|| {{SYRf}} || ○2-1 || [[AFCアジアカップ2011]]
|-
| 8. || 2011年8月10日 ||日本、{{Flagicon|JPN}}[[北海道]]
|[[札幌 ドーム]]|| {{KORf}} || ○3-0|| キリンチャレンジカップ2011
|-
| 9. || 2012年6月3日 || 日本、rowspan="4" | {{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]
| rowspan="4" |[[埼玉スタジアム2002]]|| {{OMNf}} || ○3-0 || rowspan="4"|[[2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選]]
|-
| 10. || rowspan="3"|2012年6月8日 || rowspan="3"|日本、埼玉 || rowspan="3"|{{JORf}} || rowspan="3"|○6-0
|-
| 11.
509 ⟶ 735行目:
| 12.
|-
| 13. || 2013年2月6日 || 日本、{{Flagicon|JPN}}[[兵庫県]]
|[[御崎公園球技場|ホームズスタジアム神戸]]|| {{LVAf}} || ○3-0 || キリンチャレンジカップ2013
|-
| 14. || 2013年6月4日 || 日本、{{Flagicon|JPN}}[[埼玉県]]
|[[埼玉スタジアム2002]]|| {{AUSf}} || △1-1 || 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
|-
| 15. || 2013年6月19日 || [[ブラジル]]、{{Flagicon|BRA}}[[レシフェ]]
|[[エスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリア]]|| {{ITAf}} || ●3-4 || [[FIFAコンフェデレーションズカップ2013]]
|-
| 16. || 2013年8月15日 || 日本、{{Flagicon|JPN}}[[宮城 県]]
|[[宮城スタジアム]]|| {{URUf}} || ●2-4 || rowspan="3"|キリンチャレンジカップ2013
|-
| 17. || 2013年9月6日 || 日本、大阪 || {{GTMfFlagicon|JPN}} || ○3-0[[大阪府]]
|[[長居陸上競技場|大阪長居スタジアム]]|| {{GTMf}} || ○3-0
|-
| 18. || 2013年9月10日 || 日本、横浜 || {{GHAfFlagicon|JPN}} || ○3-1[[神奈川県]]
|[[横浜国際総合競技場]]|| {{GHAf}} || ○3-1
|-
| 19. || 2013年11月16日 || [[ベルギー]]、{{Flagicon|BEL}}[[ヘンク]] || {{NEDf}} || △2-2 || rowspan="4"|国際親善試合
|[[セゲカ・アレーナ|クリスタル・アレナ]]|| {{NEDf}} || △2-2 || rowspan="4"|国際親善試合
|-
| 20. || 2013年11月19日 || ベルギー、{{Flagicon|BEL}}[[ブリュッセル]] || {{BELf}} || ○3-2
|[[ボードゥアン国王競技場]]|| {{BELf}} || ○3-2
|-
| 21. || rowspan="2"|2014年6月6日 || rowspan="2"|[[アメリカ合衆国{{Flagicon|アメリカ]]、USA}}[[タンパ]] || rowspan="2"|{{ZMBf}} || rowspan="2"|○4-3
| rowspan="2" |[[レイモンド・ジェームス・スタジアム]]|| rowspan="2" |{{ZMBf}} || rowspan="2"|○4-3
|-
| 22.
|- style="background-color:#fdd;"
| 23. || 2014年6月14日 || ブラジル、{{Flagicon|BRA}}[[レシフェ ]]
|[[アレナ・ペルナンブーコ]]|| {{CIVf}} || ●1-2 || [[2014 FIFAワールドカップ・グループC|2014 FIFAワールドカップ]]
|-
| 24. || 2014年11月14日 || 日本、{{Flagicon|JPN}}[[愛知県]]
|[[豊田 スタジアム]]|| {{HNDf}} || ○6-0 || キリンチャレンジカップ2014
|-
| 25. || 2015年1月12日 || [[オーストラリア]]、{{Flagicon|AUS}}[[ニューカッスル (ニューサウスウェールズ州)|ニューカッスル]] || {{PLEf}} || ○4-0 || rowspan="3"|[[AFCアジアカップ2015]]
|[[ニューカッスル国際スポーツセンター|ニューカッスル・スタジアム]]|| {{PLEf}} || ○4-0 || rowspan="3"|[[AFCアジアカップ2015]]
|-
| 26. || 2015年1月16日 || オーストラリア、{{Flagicon|AUS}}[[ブリスベン]] || {{IRQf}} || ○1-0
|[[サンコープ・スタジアム|ブリスベン・スタジアム]]|| {{IRQf}} || ○1-0
|-
| 27. || 2015年1月20日 || オーストラリア、{{Flagicon|AUS}}[[メルボルン]] || {{JORf}} || ○2-0
|[[メルボルン・レクタンギュラー・スタジアム]]|| {{JORf}} || ○2-0
|-
| 28. || 2015年3月27日 || 日本、大分|| {{TUNfFlagicon|JPN}} || ○2-0 || rowspan="2"|キリンチャレンジカップ2015[[大分県]]
|[[大分スポーツ公園総合競技場|大分ビッグアイ]]|| {{TUNf}} || ○2-0 || rowspan="2"|キリンチャレンジカップ2015
|-
| 29. || 2015年6月11日 || 日本、横浜 || {{IRQfFlagicon|JPN}} || ○4-0[[神奈川県]]
|[[横浜国際総合競技場]]|| {{IRQf}} || ○4-0
|-
| 30. || 2015年9月3日 || 日本、{{Flagicon|JPN}}[[埼玉 県]]
|[[埼玉スタジアム2002]]|| {{CAMf}} || ○3-0 || rowspan="6"|[[2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選]]
|-
| 31. || 2015年9月8日 || [[イラン]]、{{Flagicon|IRN}}[[テヘラン]] || {{AFG2013f}} || ○6-0
|[[アザディ・スタジアム]]|| {{AFG2013f}} || ○6-0
|-
| 32. || 2015年10月8日 || [[オマーン]]、{{Flagicon|OMA}}[[マスカット]] || {{SYRf}} || ○3-0
|[[シーブ・スタジアム]]|| {{SYRf}} || ○3-0
|-
| 33. || 2015年11月12日 || {{Flagicon|SGP}}[[ガポール地区]]、カラン || {{SINf}} || ○3-0
|[[シンガポール・ナショナルスタジアム]]|| {{SINf}} || ○3-0
|-
| 34. || 2015年11月17日 || [[カンボジア]]、{{Flagicon|CAM}}[[プノンペン]] || {{CAMf}} || ○2-0
|[[プノンペン・オリンピックスタジアム]]|| {{CAMf}} || ○2-0
|-
| 35. || 2016年3月29日 || 日本、埼玉rowspan="2" || {{SYRfFlagicon|JPN}} || ○5-0[[埼玉県]]
| rowspan="2" |[[埼玉スタジアム2002]]|| {{SYRf}} || ○5-0
|-
| 36. || 2016年9月1日 || 日本、埼玉 || {{UAEf}} || ●1-2 || [[2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選]]
|- style="background-color:#fdd;"
| 37. || 2018年6月24日 || [[ロシア]]、{{Flagicon|RUS}}[[エカテリンブルク]] || {{SENf}} || △2-2 || [[2018 FIFAワールドカップ]]
|[[セントラル・スタジアム (エカテリンブルク)|エカテリンブルク・アリーナ]]|| {{SENf}} || △2-2 || [[2018 FIFAワールドカップ・グループH|2018 FIFAワールドカップ]]
|}
 
566 ⟶ 815行目:
* エールディヴィジ初出場 - 2008年1月20日 第20節 vs[[PSVアイントホーフェン]]([[デ・クール]])
* エールディヴィジ初得点 - 2008年3月15日 第29節 vs[[フェイエノールト]]([[フェイエノールト・スタディオン|デ・カイプ]])
* A代表初出場 - 2008年6月22日 [[2010 FIFAワールドカップ・アジア予選|ワールドカップ・アジア3次予選]] vs[[サッカーバーレーン代表|バーレーン]]([[埼玉スタジアム2002]])<ref name="daihyo"/>
* A代表初得点 - 2009年5月27日 [[キリンカップサッカー2009|キリンカップ2009]] vs[[サッカーチリ代表|チリ]]([[長居陸上競技場|長居スタジアム]])<ref name="daihyo"/>
* ロシア・プレミアリーグ初出場・初得点 - 2010年3月12日 第1節 vs[[アムカル・ペルミ]]([[ルジニキ・スタジアム]])
* セリエA初出場 - 2014年1月12日 第19節 vs[[USサッスオーロ・カルチョ|サッスオーロ]]([[マペイ・スタジアム=チッタ・デル・トリコローレ]])
573 ⟶ 820行目:
* リーガMX初出場・初得点 - 2017年8月22日 第6節 vs[[ティブロネス・ロホス・デ・ベラクルス|ベラクルス]]([[エスタディオ・イダルゴ]])
* Aリーグ初出場・初得点 - 2018年10月20日 第1節 vs[[メルボルン・シティFC|メルボルン・シティ]]([[ドックランズ・スタジアム|マーベル・スタジアム]])
* カンピオナート・カリオカ初出場・初得点 - 2020年3月15日 第3節 vs[[バングーAC]]([[エスタジオ・オリンピコ・ジョアン・アベランジェ|エスタジオ・ニウソン・サントス]])
* アゼルバイジャン・プレミアリーグ初出場 - 2021年4月4日 第21節 vs[[スムガイトFK]]([[スムガイト・シティ・スタジアム]])
* アゼルバイジャン・プレミアリーグ初得点 - 2021年5月3日 第25節 vs[[ケシュラFK]]([[シャマキ・シティ・スタジアム]])
* Aリーガ初出場・初得点 - 2021年9月26日 第30節 vs[[FKバンガ・ガルグジュダイ]]([[スードゥヴァ・スタジアム]])
* A-ディヴィジョン初出場 - 2024年8月8日 - 第12節 vs[[チランFC]]([[チャンリミタン・スタジアム]])
 
== 指導経歴 ==
614 ⟶ 866行目:
* [[本田圭佑 NowVoice|本田圭佑 「NowVoice」]]([[ニッポン放送]])※パーソナリティ - 2020年8月27日、9月29日 - 2021年3月23日
 
=== アンバサダー・広告・CM ===
* [[TBCグループ|東京ビューティーセンター]]「MEN’S TBC」(2007年 - 2008年)
{{hidden begin
|title = CM 広報
|titlestyle = background:lightgrey;
|border =
}}
* [[TBCグループ|TBC]] 「メンズエステティック MEN'S TBC」
** 『FOR BEAUTIFUL GOAL』篇(2007年)- [[家長昭博]]、[[カレン・ロバート]]、[[青山直晃]]との共演
* [[日本コカ・コーラ|日本コカ・コーラ株式会社]] 「[[アクエリアス]]「僕にはできる。」キャンペーン」
** 『ボディスキャン』篇(2010年)
** 『アクエリアス スパークリング「REFRESH」』篇(2010年)
** 『ストリートフリーキック』篇(2010年)
** 『アンセム』篇(2010年)
** 『チェーンリアクション』篇(2011年)
** 『Three Kings』篇(2011年)
** 『スパークリングレモン 本田圭佑』篇(2012年)
** 『W Honda』篇 FIFA ワールドカップ 公式スポーツ飲料「アクエリアス」 (2014年)<!--http://www.cocacola.co.jp/press-center/press-release/news-20140414 FIFA ワールドカップ 公式スポーツ飲料「アクエリアス」
2014年新広告キャンペーンスタート-->
* [[ユニクロ]]
** 『本田圭佑』篇(2010年)
** 『進化するジーンズ~想い~』篇(2014年)
* [[現代自動車]](2010年)
* [[日本コカ・コーラ]] [[アクエリアス]]「僕にはできる、キャンペーン」(2010年 - 2014年)
* [[アサヒフードアンドヘルスケア]] 「[[ミンティア]]」
* [[ユニクロ]](2010年 - 2014年)
** 『俺の登場』篇(2012年)
** 『俺のキャンペ[[アサヒフドア』篇ドヘルスケア]]「[[ミンティア]]」(2012年 - 2015年)
* [[NTTドコモ]]「docomo LTE XI」(2013年)
** 『俺の会合』篇(2012年)
* [[小学館]]「[[ファンタジスタ (漫画)|ファンタジスタ ステラ]]」(2013年)
** 『待合わせに持ってる?』篇(2013年)
* [[日本マクドナルド]]「クォーターパウンダー」(2013年)
** 『出会いに持ってる?』篇(2013年)
** 『眠気に持ってる?』篇[[ミズノ]](2013年 - 2022年)
** 『リフレッシュの頂点へ。』篇[[アディダス|アディダスジャパン]](2014年)
** 『眠気に打ち勝て。』篇[[イオン (企業)|イオン]]「夢ノート」(2014年)
* [[オリンパス]]「オリンパス OM-D E-M10」(2014年 - 2015年)
* [[NTTドコモ]] 「[[Xi (携帯電話)|docomo LTE Xi]]」(2013年)
* [[カプコン麒麟麦酒]]「[[モンスターハンター麒麟淡麗〈生〉]]4(2013(2014年)
* [[コナミグループ|コナミ]]「ワールドサッカーコレクションS」(2014年 - 2015年)
* [[日本マクドナルド]] Quarter Pounder ”BITE!”
**クォーター [[スカウンダJSAT]]生きざま・BLT篇スカパー!(2013(2014年)
* [[TOYO TIRE|東洋ゴム工業]]「Proxes・TI Sport」(2014年 - 2016年)
**クォーターパウンダー「生きざま・ハバネロトマト篇」(2013年)
* [[P&Gジャパン|P&G]]「[[ブラウン (企業)|ブラウン ・シリーズ9]]」(2014年 - 2015年)
* Gaga Milano 「KEISUKE HONDA Photo shooting」(2013年)
* [[イオン (企業)|イオメルセデス・ベツ日本]] 夢ノートC-Class」(2014年 - 2015年)
* [[西川 (企業)|東京西川]]「ボナノッテ」(2015年 - 2019年)
* [[ブラウン (企業)|ブラウン]] 「ブラウン シリーズ 9 Hold on To your Dreams -原点回帰」篇(2014年)
* [[キリンビベネッセコポレーション]] 「[[麒麟淡麗〈生〉進研ゼミ]]」(2014(2015年)
* [[メルセデス・ベンツ]] Cクラスステ楽天コミュニケーションワゴンズ]]楽天モバイセデスの本気。篇(2014(2015年 - 2016年)
* [[Robot Home|インベスターズクラウド]]「TATERU」(2016年 - 2018年)
* [[オリンパス]] 企業CM「ぼくの写真は、ぼくの今だ」篇(2014年) <ref>{{Cite news|url=https://web.archive.org/web/20141225045430/http://www.sankeibiz.jp/business/news/140925/prl1409251122054-n1.htm|title=オリンパス、宮崎あおいさん・本田 圭佑選手を起用した新企業テレビCM & フォトコンテストを実施!|date=2014年9月25日|accessdate=2014年9月26 日|work=Sankei Biz}}</ref>
* [[Supercell]]「[[クラッシュ・ロワイヤル]]」(2016年)
* [[KONAMI]]
* [[トヨタ自動車]]「AURIS HYBRID」(2016年)
** WINNING ELEVEN「Get GOAL! KEISUKE HONDA × WINNING ELEVEN 2015」(2014年)
* [[花王]]「[[アタック (洗剤)|ウルトラアタックneo]]」(2017年)
** ワールドサッカーコレクションS (2015年)
* [[KDDI]]「[[Au (携帯電話)|Au]]」(2017年)
*[[東洋ゴム工業]] 「Proxes・T1 Sport」
* [[プログリット]](2018年 - )
**「AC Milan vs. Super Car by TOYO TIRES」篇(2014年)
* [[リミックスポイント]]「ビットポイント」(2018年 - 2019年)
**「Chase in Milan by TOYO TIRES」篇(2015年)
* [[ロート製薬]]「[[ロート製薬の製品|リグロEX5]]」(2018年)
**「AC Milan vs. Drift Cars」篇(2016年)
* [[サントリー食品インターナショナル]]「サントリー天然水 THE STRONG」「[[ペプシコーラ|ペプシ]]」(2019年 - )
*[[ベネッセコーポレーション]]「夢応援」篇(2015年)
*[[楽天グループ|楽天]]モバイル(2015年)
*[[トヨタ自動車]]「[[トヨタ・オーリス|オーリス]]」(2016年)<ref>{{cite news|url=https://www.oricon.co.jp/news/2070305/full/|title=本田圭佑“疾走”する新CM 欧州で戦う意義も語る|newspaper=ORICON STYLE|date=2016-04-19|accessdate=2016-04-19}}</ref>
*インベスターズクラウド「TATERU」(2016年) <ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/music/news/214143|title=THE YELLOW MONKEY「ALRIGHT」バックに本田が吠える、新CM公開|newspaper=音楽ナタリー|date=2016-12-20|accessdate=2016-12-22}}</ref>
*[[Supercell (ゲーム会社)]] 「クラッシュ・ロワイヤル」(2016年)
* [[花王]] 「[[アタック (洗剤)|アタック]]」(2017年)
* [[ロート製薬]] 「リグロEX5」(2018年)
* [[サントリー食品インターナショナル]]
**「ペプシ ジャパンコーラ」(2019年)
**「[[サントリー天然水]] THE STRONG」(2023年)<ref>{{Cite news|url=https://news.mynavi.jp/article/20230622-2709806/|title=本田圭佑、大谷翔平&ダルビッシュは「理想の体」「すごいなと思います」|newspaper=マイナビニュース|publisher=マイナビ|date=2023-06-22|accessdate=2023-06-22}}</ref>
* [[オッズパーク]]「オッズパークだけ」篇(2023年)<ref>{{Cite news|url=https://news.mynavi.jp/article/20230331-2639892/|title=本田圭佑、相談者からの質問に“本田節”で回答「僕が言いそうなセリフ」|newspaper=マイナビニュース|publisher=マイナビ|date=2023-03-31|accessdate=2023-03-31}}</ref>
*ルーデル「ブルーロックProject: World Champion」- [[三笘薫]]との共演
**「本田圭佑の解説 凪と潔」編 (2023年)
**「本田圭佑の解説 千切と潔」編 (2023年)
**「本田圭佑の解説 三笘ってる」編 (2023年)
**「本田圭佑の理想のフォーメーション」編 (2023年)
{{hidden end}}
* 「ファンタジスタ ステラ」草場道輝・著、本田圭佑・原案協力/小学館 (本人役) 2013年
* HRBrain<ref>{{Cite web|和書|title=HRBrainが本田圭佑さん出演の新CMを公開! {{!}} HRBrain|url=https://www.hrbrain.jp/news/press/hondanewcm2020|website=HRBrain {{!}} HRBrain|accessdate=2020-07-13}}</ref>[https://www.hrbrain.jp/news/press/hondanewcm2020 「まずは」篇・「自走」篇](2020年)
* Peace to Peace「CARRY ME」(2021年 - )
* Bitget(2022年)アンバサダー
* [[オッズパーク]](2023年 - )
* クリア「MEN’S クリア」(2023年 - )
* はなまる「ソコカラ」(2023年 - )
* 物販総合研究所(2023年 - )アンバサダー
* Freecracy「DX Studio」(2023年 - )
* [[学研ホールディングス|ベンド]]「MetaLife」(2023年 - )
* ヤマワケエスケート(2023年 - )
* ルーデル「[[ブルーロック|ブルーロック Project: World Champion]]」(2023年)[[三笘薫]]と共演
* LOAD&LOAD「teplo」(2023年)アンバサダー
* [[グラクソ・スミスクライン]]「シュミテクト」(2024年 - )
* [[CDエナジーダイレクト]](2024年 - )[[福原遥]]と共演
 
== 脚注 ==