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特に最高速度はキ84-I乙試作機が試験飛行の際に高度6,000 mにおいて660 km/hと大戦中に実用化された日本製戦闘機の中では最速であり、また戦後の[[アメリカ軍]]によるテストでは高度{{Convert2|20,000|ft|m|abbr=on|lk=on|0}}にて687 km/h を記録している(100[[オクタン価|オクタン]]/140グレードの[[ガソリン]]とアメリカ製[[点火プラグ]]を使用し、武装を取り除いた重量{{Convert2|7,490|lb|kg|abbr=on|lk=on|0}}の状態)<ref name=jiji001 />。
 
[[四式重爆撃機|四式重爆撃機「飛龍」]](キ67)とともに重点生産機に指定され、総生産機数は基準孔方式の採用など量産にも配慮した設計から、[[1944年]](昭和19年)中頃という[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])後期登場の機体ながらも、[[日本軍]]戦闘機としては[[零式艦上戦闘機|零戦]]、一式戦に次ぐ約3,500機に及んだ<ref name=jiji001 />{{sfn|富士重工業30年史|1984|p=42|ps=では3,375機}}
 
帝国陸軍からは戦局を覆す「[[大東亜戦争|大東亜]]決戦機(大東亜決戦号・決戦機)」として大いに期待され<ref name=jiji001 />、大戦後期の主力戦闘機として多数機が各[[陸軍飛行戦隊|飛行戦隊]]といった第一級線の実戦[[部隊]]に配備された。当時の主要戦線の全て([[日中戦争|中国戦線]]、[[フィリピンの戦い (1944-1945年)|フィリピン戦線]]、[[ビルマの戦い|ビルマ戦線]])および[[日本本土空襲|日本本土防空戦]]に従軍し、対戦したアメリカ軍からも「'''The best Japanese fighter'''('''日本最優秀戦闘機'''、'''日本最良戦闘機''')」と評価された{{要出典||date=2014-02-27}}機体だったが、整備状況によるものの搭載した新型[[航空用エンジン|エンジン]][[誉 (エンジン)|ハ45(誉)]]の不調や、[[潤滑油]]・ガソリン(オクタン価)の品質低下、[[点火プラグ]]やコードなどの電気系統の不良・不足、前線での[[整備]]力の低下などにより全体的に稼働率が低く、スペック通りの性能を出すのが難しかった<ref name=jiji001 />。さらに、それまでの日本軍戦闘機とは機体特性が異なるためパイロットには戦術の転換が必要になるなど、大戦後半に登場した陸海軍機の多くと同様、運用側でも評価の分かれる機体である。
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: 1944年、[[アルミニウム合金|アルミ合金]]の不足から、機体の大半を木製化したもの。重心の変化により機首が延長され、フラップは蝶型ではないスプリット式に変更された。17%もの重量増加のため上昇力・速力が低下。また組み立てに使う[[カゼイン]]系[[接着剤]]に問題があり、試験中に主翼下面外板が剥離・脱落するトラブルも発生した。[[立川飛行機]]に加え[[呉羽紡績]]や、[[北日本製紙|王子航空機]]においても試作され、合計10機が完成した。
:王子航空機の江別工場([[北海道]][[江別市]])では3機が製作され、1号機は江別飛行場へ陸送されて1945年6月11日に初飛行。2号機は8月13日、[[黒江保彦]]少佐により[[福生飛行場]](東京都)まで800 km以上の長距離飛行に耐えることを実証した<ref name="道新20191027">【時を訪ねて 1945】木製戦闘機 江別「空を飛んだ道産キ106」『[[北海道新聞]]』朝刊2019年10月27日別刷り</ref>。訓練用としての使用も考えられたが、強度不足や構造が量産向きでない問題から生産は中止された。終戦後、アメリカ本国に1機が送られ調査された<ref>文林堂『世界の傑作機No.19』、大日本絵画『世界の駄っ作機3』他</ref>。1994年に北海道江別市早苗別川畔の地中から設計図が発見された<ref>田中和夫『幻の木製戦闘機キ106』([[北海道新聞社]]、2008年)10-17頁</ref>。キ106の主翼骨組みと落下タンク、模型が[[北海道博物館]]に、主車輪などが江別市郷土資料館に所蔵されている<ref name="道新20191027"/>。
:呉羽紡績は1944年2月10日に航空機メーカーとして[[三菱ふそうバス製造|呉羽航空機]]を設立し、立川航空機の技術指導のもと呉羽工場でキ106を生産した。1号機の試験飛行は1945年6月20日に行われ、富山から立川への飛行中に水平飛行で605.6km/hを記録した。2号機の完成により量産体制が完成したが、同時に終戦となった{{sfn|呉羽紡績30年|p=95}}。
:伝統的な木工技術者の多い岐阜県飛騨地方でも、飛騨木工株式会社(現在の[[飛騨産業]])などが参画して高山航空工業が設立され、1944年暮れに試作機1号機が東京まで空輸された<ref>{{Cite web|和書|url=http://digitalarchiveproject.jp/information/%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E3%81%AE%E6%9C%A8%E8%A3%BD%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E6%A9%9F/|title=飛騨の木製飛行機|work=飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ|publisher=岐阜女子大学|accessdate=2021-5-16}}</ref>。
; キ113
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しばらくは富士重工業内の倉庫へ収容され、中島飛行機時代の関係者らによる整備が行われ、飛行可能な良好な状態で維持されていたが、日本人実業家が死去してしまったため、疾風は三人の債権者の共有となった。
 
債権者と[[京都嵐山美術館]]の代表者で取引が成立し、疾風は[[京都嵐山美術館]]に売却されることとなった。同館で展示されていたが劣悪な管理状況により飛行不能となった。ライキンスはこの状況を聞き深く後悔した。本機の復元を行ったマロニー航空博物館も「他の機体数機との交換で良いので還して欲しい」とコメントしている。飛行不能となった要因について「ずさんな野外展示が行われ、元々機体から容易に外せない部品を強引に取る盗難にあった」という俗説が流布しているが、2017年から行われている機体の調査により部品盗難の事実はなく、上記のレストア時に一部部品がアメリカ製に交換されている<ref>{{Cite web |author= |url=https://www.aero.or.jp/isan/heritage/aviation-heritage-ki-84-detail.htm |title=重要航空遺産 四式戦闘機「疾風」 |website=一般財団法人 日本航空協会|date= |accessdate=2024-02-16}}</ref>事を除き多くの部品がオリジナルのまま良好な状態であることが確認されている<ref>{{Cite web |author= 斎藤雅道 |url=https://trafficnews.jp/post/124127/2 |title=世界唯一の現存 鹿児島の四式戦闘機「疾風」が重要航空遺産に! 状況好転の一助となるか? |website=乗りものニュース |date=2023-02-13 |accessdate=2024-02-16}}</ref>。
 
1991年に嵐山美術館は閉館となり、疾風含む多くの軍装品は和歌山県白浜へ移されることとなった<ref group="注">。「輸送のために機体をガスで切断した」とされることもあるが事実ではなく、正規の方法で分解してから輸送されている。知覧特攻平和会館展示の三式戦二型や、[[靖国神社]][[遊就館]]の[[彗星 (航空機)|彗星]]などの保存機(いずれも一度ガス切断されている)と混同されている可能性がある。</ref>白浜では新たにゼロパークとして開園し、零戦六二型(展示時は六三型と表記されていた)をはじめ、嵐山美術館の軍装品の多くが展示されていたが、疾風は分解された状態でブルーシートにかけられ保管されていた。
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* {{Cite book |和書 |author=リチャード オネール |others=[[益田 善雄]](訳) |year=1988 |title=特別攻撃隊―神風SUICIDE SQUADS |publisher=霞出版社 |isbn=978-4876022045 |ref={{SfnRef|オネール|1988}} }}
* {{Cite book |last=Rielly |first=Robin L. |year=2010 |title=KAMIKAZE ATTACKS of WORLD WAR II |publisher=Mcfarland |isbn=0786446544 |ref={{SfnRef|Rielly|2010}}}}
*{{Cite book|和書|author=富士重工業株式会社社史編纂委員会 編 |year=1983
|title=富士重工業三十年史 |publisher=富士重工業 |page=| chapter=
|id={{NDLJP|11951024}} |ref={{harvid|富士重工業30年史|1984}}
}}
* {{Cite book| 和書| editor=呉羽紡績株式会社社史編集委員会| year=1960| title=呉羽紡績30年 : 1929-1959| publisher=呉羽紡績株式会社|ref={{harvid|呉羽紡績30年}}
}}