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== 区域 ==
[[2017年]]([[平成29年]])の[[公職選挙法]]改正で廃止され<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/housei/19320170616058.htm |title=衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第193回国会 制定法律の一覧 >衆議院議員選挙区画定審議会設置法及び公職選挙法の一部を改正する法律の一部を改正する法律 法律第五十八号(平二九・六・一六) |accessdate=2021年9月-09-30 |publisher=[[衆議院]] |date=平成29年6月2017-06-16}}</ref>、[[岩手県第3区|3区]]に移行した。
 
[[2013年]]([[平成25年]])[[公職選挙法]]改正から2017年の小選挙区改定までの区域は以下のようとおりである<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/housei/18320130628068.htm |title=衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第183回国会 制定法律の一覧 >衆議院小選挙区選出議員の選挙区間における人口較差を緊急に是正するための公職選挙法及び衆議院議員選挙区画定審議会設置法の一部を改正する法律の一部を改正する法律 法律第六十八号(平二五・六・二八) |accessdate=2021年9月-09-30 |publisher=[[衆議院]] |date=平成25年6月2013-06-28}}地名は2013年(平成25年)当時のものである。</ref>。
* [[花巻市]]
* [[北上市]]
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* [[和賀郡]]
* [[胆沢郡]]
[[1994年]]([[平成6年]])[[公職選挙法]]改正から2013年の小選挙区改定までの区域は以下のようとおりである<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/13119941125104.htm |title=衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第131回国会 制定法律の一覧 >法律第百四号(平六・一一・二五) |accessdate=2021年9月-09-30 |publisher=[[衆議院]] |date=平成6年1994-11-25}}地名は1994年(平成6年)当時のものである。</ref>。
 
* [[水沢市]]
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== 歴史 ==
かつて[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]を務めるなど自民党[[平成研究会|竹下派]]でエリートコースを歩み、[[新生党]]・[[新進党]]・[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]・[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]でも[[党首|代表]]や[[幹事長]]として辣腕をふるった[[小沢一郎]]が強力な[[三バン#地盤|地盤]]を誇り、[[中選挙区制|中選挙区]]時代の[[1969年]]から連続16回の当選を成し遂げていた。特に[[第45回衆議院議員総選挙]]までは自民党候補も小沢に全く歯が立たない状況であり、[[第41回衆議院議員総選挙]]では小沢が新進党代表だったこともあってか自民党候補の得票率は10.39%で僅かに供託金没収点を上回る程度の得票率(これは小選挙区制開始以降の自民党候補の選挙区での最低得票率となっている)しか獲得できず、大臣経験者の[[玉澤徳一郎]]の2度の比例復活も[[比例東北ブロック]]で名簿上位での立候補だったことによるもので、玉澤も小選挙区では小沢には大差をつけられていた。
 
岩手県は[[安倍晋三]]の祖先のルーツの地であるが、小沢が自民を離党して以来、[[第45回衆議院議員総選挙]]までは自民党候補は太刀打ちできなかった。特に[[第41回衆議院議員総選挙]]では小沢が新進党代表だったこともあってか自民党候補の得票率は10.39%で僅かに供託金没収点を上回る程度の得票率(これは小選挙区制開始以降の自民党候補の選挙区での最低得票率となっている)しか獲得できず、大臣経験者の[[玉澤徳一郎]]の2度の比例復活も[[比例東北ブロック]]で名簿上位での立候補だったことによるもので、玉澤も小選挙区では小沢には大差をつけられていた。
[[日本未来の党]]に移った[[第46回衆議院議員総選挙]]では、当選こそしたものの前回よりも得票で約6万票、得票率も17.1%減らした上に[[自由民主党 (日本)|自民党]]の[[藤原崇]]に[[比例復活]]を許し、影響力の低下を伺わせた(小沢が新人候補に比例復活を許したのは小選挙区制導入以来初めてであった)。[[第47回衆議院議員総選挙]]では民主党が候補者を擁立しなかったこともあって、小沢は得票率こそやや上昇したものの得票数ではさらに減少した上、藤原は前回より約1万票上乗せし再び比例復活を果たした。
 
[[東日本大震災]]とその後の政局混乱を経て[[日本未来の党]]に移った[[第46回衆議院議員総選挙]]では、当選こそしたものの前回よりも得票で約6万票、得票率も17.1%減らした上に[[自由民主党 (日本)|自民党]]の[[藤原崇]]に[[比例復活]]を許し、影響力の低下を伺わせた(小沢が新人候補に比例復活を許したのは小選挙区制導入以来初めてであった)。[[第47回衆議院議員総選挙]]では民主党が候補者を擁立しなかったこともあって、小沢は得票率こそやや上昇したものの得票数ではさらに減少した上、藤原は前回より約1万票上乗せし再び比例復活を果たした。
 
岩手県は他の[[選挙区]]でも[[小選挙区制]]導入以後、小沢と同じ[[政党]]に属する議員が当選を続けていた経緯があり、「[[民主王国]]」または「小沢王国」と言われていた。しかし、第46回衆院選で、[[岩手県第1区|1区]]の[[階猛]]・[[岩手県第3区|3区]]の[[黄川田徹]]が共に小沢の元を離れたことから、いずれの選挙区でも小沢は新たな候補を擁立。しかし両選挙区とも比例復活もならず惨敗し、自身の選挙区得票の減少も併せ、この選挙をもって小沢王国は大きく揺らぐことになった。