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==ロックンロールの殿堂財団==
ロックンロールの殿堂財団は1983年にアーメット・アーティガンによって創設され、彼は『[[ローリング・ストーン]]』編集者兼発行人の[[ヤン・S・ウェナー]]と数名のレコード業界幹部([[セイモア・スタイン]]、[[ボブ・クラスノウ]]、ノリーン・ウッズ)および弁護士数名<!-- Allen Grubman とSuzan Evans-->からなるチームを編成した。1986年にこの財団がアーティストの殿堂入りに着手するが、その殿堂にはまだ拠点が無かった。調査委員会は、[[フィラデルフィア]]<!-- (ビルヘイリーとアメリカンバンドスタンドの本拠地)-->、[[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]<!-- (サンスタジオとスタックスレコードの本拠地)-->、[[デトロイト]]<!-- (モータウンレコードの本拠地)-->、[[シンシナティ]]<!-- (キングレコードの本拠地)-->、[[ニューヨーク]]、およびクリーブランドを含む幾つかの都市を検討した<ref name="Tribune 86">{{cite news|author=Swindell, Howard|date=May 8, 1986|title=Rock 'N' Roll Finds Home in Cleveland|url=https://www.chicagotribune.com/news/ct-xpm-1986-05-06-8602010888-story.html|newspaper=[[Chicago Tribune]]|accessdate=February 17, 2019|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190217082953/https://www.chicagotribune.com/news/ct-xpm-1986-05-06-8602010888-story.html|archivedate=February 17, 2019}}</ref>。
 
クリーブランドは同博物館の誘致活動を展開して、市民団体のリーダー達が建設基金として公金6500万ドルを約束したり、地元局DJの[[アラン・フリード]]が「'''[[ロックンロール]]'''」を造語してこの新ジャンルを大幅に推進させたことを挙げたり、クリーブランドが最初の大きなロックコンサート{{enlink|Moondog Coronation Ball}}の場所になったことを引き合いに出したりもした。なお、フリードは1986年に殿堂入りした最初の殿堂メンバーである<ref>{{cite web|date=April 8, 2016|title=A Look Back at the First Rock and Roll Hall of Fame Induction Ceremony in 1986|url=https://www.wksu.org/post/look-back-first-rock-and-roll-hall-fame-induction-ceremony-1986#stream/0|work=WKSU.org|publisher=[[WKSU]]|accessdate=February 17, 2019|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160409120552/https://www.wksu.org/post/look-back-first-rock-and-roll-hall-fame-induction-ceremony-1986#stream/0|archivedate=April 9, 2016}}</ref>。さらにクリーブランドは、最初の米国ツアーをこの都市で始めた[[デヴィッド・ボウイ]]や、<!-- [[ブルース・スプリングスティーン]]、[[ロキシー・ミュージック]]、[[ラッシュ (カナダのバンド)]]ほか多くを含め、-->1970年代と1980年代にアメリカで幾つかの主要曲を大ヒットさせる上で重要な役割を果たしたラジオ局[[WMMS]]を引き合いに出した<ref>{{cite web|url=http://rockhall.com/exhibits/wmms--a-cleveland-legend-turns-40/|title=Exhibits|website=Rockhall.com|access-date=August 23, 2018}}</ref>。
 
クリーブランドの財界首脳やメディア企業がオハイオ州<!-- 北東部の-->住民60万人による署名の支持を掲げる嘆願書をまとめ上げ、1986年に『USA Today』誌でどこに殿堂を設置すべきかを尋ねた集計では、クリーブランドが1位になった。1986年5月5日、殿堂財団はロックンロールの殿堂博物館の恒久的な本拠地としてクリーブランドを選んだ。<!--著述家の[[ピーター・グラルニック]]は2016年のインタビューで、殿堂はメンフィスに置かれるべきだったと語った<ref>Peter Guralnick (author of ''Sam Phillips: The Man Who Invented Rock 'n' Roll''), an interview, "Bostonia," Winter-Spring 2016, pp. 52-54.</ref>。出典付きだが蛇足説明なので保留。-->なお、クリーブランドは市が最高の融資提案を出したために運営場所として選択された可能性がある。現地[[プレーン・ディーラー]]紙の音楽評論家マイケル・ノーマンは「それは6500万ドルだった。[中略]クリーブランドはこの地にそれを望んでお金を出した」と述べている{{要出典|date=2020年6月}}。
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数百万人がこのクリーブランドでの殿堂入りテレビ放送を視聴し、数万人がこのイベントに参加するため殿堂入り週間にオハイオ州へやって来た。2009年の殿堂入り週間イベントによる経済的影響は1300万ドルを超え、加えてこの地域に2000万ドル相当のメディア露出をもたらした。2012年の殿堂入り週間でも同様の結果が得られた<ref>{{cite web|last=Soeder|first=John|title=Rock and Roll Hall of Fame inductions, done 'the Cleveland way,' are a hit|url=http://www.cleveland.com/rockhall/index.ssf/2012/04/rock_and_roll_hall_of_fame_ind_17.html|work=Article|publisher=The Plain Dealer/Cleveland.com|accessdate=March 4, 2013}}</ref>。
 
=== 各階 ===
{{wide image|North Coast.jpg|550px|ロックンロールの殿堂(左)はエリー湖のほとりに鎮座し、<!--クリーブランドの北岸港にある-->五大湖科学センター{{enlink|Great Lakes Science Center}}がその隣(右)にある。|350px|right}}
 
この建物は7階建てである。地下1階には博物館のメインギャラリーであるアーメット・アーティガン展示ホールがある。ここにはロックンロールのルーツ([[ゴスペル (音楽)|ゴスペル]]、[[ブルース]]、[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]、[[フォークソング|フォーク]]、[[カントリー・ミュージック|カントリー]]、[[ブルーグラス]])の展示がある。また、ロックンロールに大きな影響を与えた都市(メンフィス、デトロイト、ロンドン、リバプール、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨーク、シアトルなど)の展示も行っている。他にも[[ソウルミュージック]]、[[オールディーズ|501950年代の楽曲]]、[[サン・レコード]]、[[ヒップホップ・ミュージック|ヒップホップ]]、クリーブランドにおけるロックンロールの遺産、中西部の音楽、ロックンロールラジオとDJ、ロックンロールに対する多くの抗議に関する展示がある。またこのギャラリーには、[[ビートルズ]]、[[ローリングストーンズ]]、[[ジミヘンドリックス]]など個々のアーティストに焦点を当てた展示もある。最後に、アーメット・アーティガン展示ホールには『[[アメリカン・バンドスタンド]]』など様々な題材の映画を上映する劇場がある<ref>{{cite web|author=|title=A look inside the redesign of the Rock and Roll Hall of Fame and Museum: Interactive Graphic|url=http://www.cleveland.com/popmusic/index.ssf/2012/03/a_look_inside_the_redesign_of.html|work=[[The Plain Dealer]]|accessdate=March 4, 2013}}</ref>。
 
博物館の1階が入口フロアである。そこにはカフェと、年間を通じて様々な特別演奏や特別イベントに使用されるステージ、そして「舞台裏の話(Backstage Stories)」という区画がある。2階には、[[一発屋]]の演目とロックンロールを形成した曲を特集した双方向展示の[[キオスク]]が幾つかある。このフロアには、[[レスポール]]、[[アラン・フリード]]、[[サム・フィリップス]]、およびオーディオ技術の進化に関する人工的遺産が沢山ある展示ギャラリーもある<ref>{{cite web|last=Swank|first=Niki|title=Rock & Roll Hall of Fame: the heart of rock and roll|url=http://www.bxmagazine.com/article.asp?ID=1274|work=Builders Exchange Magazine|accessdate=March 4, 2013}}</ref>。
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最後に、殿堂の最上階2フロアは巨大な仮設展示室である。長年にわたってこの2フロアでは、[[エルビス・プレスリー]]、[[シュプリームス]]、[[ザ・フー]]、[[U2]]、[[ジョン・レノン]]、[[ザ・クラッシュ]]、[[グレイトフル・デッド]]、[[ブルース・スプリングスティーン]]、[[ローリングストーンズ]]など多数の展示が設置されている。
 
この殿堂で演奏したクリーブランド地域のミュージシャンやバンドとしては、951995年の殿堂開業時に[[プリテンダーズ]](アクロン出身の[[クリッシー・ハインド]]が在籍<!--で「[[My City Was Gone]]」を演奏-->)、012001年の[[ジェ・ギャング]]([[ジョー・ウォルシュ]]在籍)と[[フー・ファイターズ]](ウォーレン生まれの[[デイヴ・グロール]]在籍)、072007年の[[ヴェルヴェット・リヴォルヴァー]]([[スコット・ウェイランド]]がクリーブランドに一時在住)、092009年の[[ラズベリーズ]]と[[ボビー・ウーマック]]、2014年に[[マシン・ガン・ケリー]]がいる<ref>{{cite web|url=https://www.setlist.fm/search?query=Pretenders+Hall+of+Fame|title=Search for setlists: Pretenders Hall of Fame|website=Setlist.fm|accessdate=April 26, 2019}}</ref>。
 
=== 建築 ===
[[File:Rock and Roll Hall of Fame.jpg|thumb|ロックンロールの殿堂。手前に見えるのがエリー湖]]
[[I・M・ペイ]]によって設計され、Leslie E. Robertson Associatesによって構造設計された建物は、エリー湖畔にそびえ立っている。 幾何学的形状と[[カンチレバー]]になった空間の組み合わせで、高さ49mの塔によって固定されている。この塔はメイン入口の[[ファサード]]がある6039m<sup>2</sup>の広場に(その基礎が)伸びて、二重になった三角錐のガラス製「テント」を支えている。
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「この建物の設計に込められている私の意図は、ロックンロールのエネルギーを反映することでした。大胆で斬新な建築用語を私は意図的に取り入れました。あとはこの建物がクリーブランド市の[[ランドマーク]]となり、かつ世界中のロックンロールファンにとって劇的なランドマークになることを願っています」<ref>{{cite web|author=|title=The House That Steel Built: A Showcase of Interesting and Aesthetic Projects|url=http://www.lera.com/files/rock%26roll_AISC.pdf|work=Business Literature|publisher=American Institute of Steel Construction|accessdate=March 4, 2013|archive-url=https://web.archive.org/web/20130615041331/http://www.lera.com/files/rock%26roll_AISC.pdf|archive-date=June 15, 2013|dead-url=yes}}</ref>とペイは語っている。
 
=== ニューヨーク市別館 ===
[[File:Rock-roll-annex-76-Mercer.jpg|thumb|upright|[[ソーホー (ニューヨーク)]]<!-- の[[マーサー・ストリート]]-->にあった博物館のニューヨーク市別館(2008-2010)]]
<!--2006年、RRHOF はニューヨーク市に博物館の支店を作るため娯楽制作企業3社と提携した。-->2008年11月18日、ロックンロールの殿堂ニューヨーク市別館がマンハッタンの[[ソーホー (ニューヨーク)|ソーホー]]地区で開業した<ref name="Sisario">{{Cite news |last=Sisario |first=Ben |date=November 20, 2008 |title=A Piece of Cleveland with a New York Accent |url=https://www.nytimes.com/2008/11/21/arts/music/21rock.html |newspaper=The New York Times |location= |page=C5 }}</ref>。[[ブロードウェイ]]のすぐ傍の[[マーサー・ストリート]]76番地にあった別館は、2322m<sup>2</sup>の地下空間を占めていた<ref name="Sisario"/>。博物館別館はクリーブランドの母体と概ね同じ方法で運営されており、目玉として[[プリンス (ミュージシャン)|プリンス]]が『[[プリンス/パープル・レイン]]』で着たコート、[[デヴィッド・バーン]]が『[[ストップ・メイキング・センス]]』で着た大きなスーツ、[[エルビス・プレスリー]]のライダースジャケットや彼の聖書などの原型展示物が陳列されていた<ref name="Sisario"/> 。ただし、別館は最初からニューヨーク地域に明確に焦点を合わせており、何十年間ものバンドステッカーが厚く積み重ねられた[[CBGB]]の電話ボックス、ブルース・スプリングスティーン所有の1957年型[[シボレー]]、市内のミュージシャンのため取り置いてある特別ギャラリー、ロック史における名所を強調するマンハッタンの入り組んだ約8m縮尺モデルなど、巨大展示物用の空間も十分にとっていた<ref name="Sisario"/>。
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別館は2010年1月3日に閉鎖され、報道によるとその急な終了は[[世界金融危機 (2007年-2010年)|2007-2008年の世界金融危機]]とその後の都市観光業低迷が原因とされている<ref name="Durkin">{{Cite web |url=https://www.nydailynews.com/new-york/new-york-city-rock-roll-hall-fame-annex-closes-doors-year-opening-article-1.457194 |title=New York City's Rock & Roll Hall of Fame Annex closes its doors just a year after opening |author=Durkin, Erin |date=January 3, 2010 |publisher= |website=[[Nydailynews.com]] |accessdate=2020-06-06|archiveurl= |archivedate= |url-status= }}</ref>。<!-- この博物館は、ジョン・レノンと彼がニューヨーク市にいた時代、という最終メイン展示をもって閉館した<ref name="Durkin"/>。-->
 
== 展示の歴史 ==
1997年以来、ロックンロールの殿堂は数多くの期間限定展示を開催しており、それは博物館の最上階2フロアを占める大掛かりな展示から下階の主要展示ホールに設置されることが多い小さな展示まで、規模は様々である。
 
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同博物館はロックンロールに関連する写真やアート作品の展示も行っている。この殿堂で作品が紹介された写真家の中には[[ジョージ・カリンスキー]]や[[リン・ゴールドスミス]]、[[リンダ・マッカートニー]]など<!-- 以下アルフレッド・ワートハイマー、トミー・エドワーズ、ケヴィン・メーザー、ジャネット・マコスカ、マイク・マッカートニー、ロバート・アルフォード、ジョージ・シュバは、日本での知名度を考慮して割愛。-->がいる。またこの博物館は[[フィリップ・バーク]]のアート作品をある期間限定展示で特集し、後の展示では[[ハーブ・リッツ]]を特集した<ref>[http://library.rockhall.com/exhibition_history]</ref>。
 
=== 公開プログラム ===
ロックンロールの殿堂博物館は、コンサート、インタビュー、講演、映画上映、その他ロックンロールの物語を伝えるイベントなど、数多くの公開プログラムを制作している。毎年2月、この博物館は[[アフリカ系アメリカ人]]がロックンロールの歴史で果たした重要な役割を伝えるコンサートや、映画上映、講演会を開催することで[[黒人歴史月間]]を祝っている<ref>{{cite web|last=Hake|first=A.|title=Rock Hall Announces Black History Month Events|url=http://downtown.woio.com/news/events/89102-rock-hall-announces-black-history-month-events|work=Article|publisher=WOIO/19 Action News|accessdate=March 2, 2013}}</ref>。1996年にこのプログラムが始まって以来、[[ロバート・ロックウッド・ジュニア]]、[[ザ・テンプテーションズ]]、[[チャールズ・ブラウン]]、[[ルース・ブラウン]]、[[オハイオ・プレイヤーズ]]、[[ロイド・プライス]]、[[リトル・アンソニー&ジ・インペリアルズ]]、[[アル・グリーン]]などのアーティストが黒人歴史月間に博物館に登場した 。
 
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ロックンロールの殿堂博物館で最も評価の高いプログラムは、毎年恒例のアメリカ音楽マスターズ・シリーズである。同博物館は毎年、インタビュー、映画上映、そして多くの場合は特別展示を含めた1週間にわたる一連のプログラムで、殿堂入り達成者の1人をお祝いする。この祝典はクリーブランドの劇場で開催されるオールスター・コンサートで締めくくられる。このコンサートには殿堂入り達成者から直近のミュージシャンまで多彩なアーティストが混ざって参加する。アメリカ音楽マスターズ・シリーズは1996年に<!--"Hard Travelin ':The Life and Legacy of Pete Seeger"で-->始まった。それ以来、このプログラムは以下の殿堂入り達成者を称えている。[[ジミー・ロジャーズ (カントリー歌手)|ジミー・ロジャーズ]](1997)、[[ロバート・ジョンソン]](1998)、[[ルイ・ジョーダン]](1999)、[[マディ・ウォーターズ]](2000)、[[ベッシー・スミス]](2001)、[[ハンク・ウィリアムズ]](2002)、[[バディ・ホリー]](2003)、[[レッドベリー]](2004)、[[サム・クック]](2005)、[[ロイ・オービソン]](2006)、[[ジェリー・リー・ルイス]](2007)、[[レス・ポール]](2008)<ref>{{cite web|last=D.X.|first=Ferris|title=Slash, Billy Gibbons Jam for Les Paul at Rock Hall's American Music Master's Concert|url=https://www.rollingstone.com/music/news/slash-billy-gibbons-jam-for-les-paul-at-rock-halls-american-music-masters-concert-20081117|work=Article|publisher=Rolling Stone Magazine|accessdate=March 5, 2013}}</ref>、[[ジャニス・ジョプリン]](2009)<ref>{{cite web|last=DeMarco|first=Laura|title=Rock Hall to honor Janis Joplin in American Music Masters series|url=http://www.cleveland.com/music/index.ssf/2009/08/rock_hall_to_honor_janis_jopli.html|work=Article|publisher=The Plain Dealer/Cleveland.com|accessdate=March 5, 2013}}</ref>、 [[ファッツ・ドミノ]]と [[デイヴ・バーソロミュー]](2010)、[[アレサ・フランクリン]](2011)<ref>{{cite web|last=Soeder|first=John|title=Aretha Franklin Honored in Rock and Roll Hall of Fame American Music Masters Tribute|url=http://www.cleveland.com/popmusic/index.ssf/2011/11/aretha_franklin_honored_in_roc.html|work=Article|publisher=The Plain Dealer/Cleveland.com|accessdate=March 2, 2013}}</ref>、[[チャック・ベリー]](2012)<ref>{{cite web|last=Doyle|first=Patrick|title=Chuck Berry Praises Obama, Laments Fading Health|url=https://www.rollingstone.com/music/news/chuck-berry-praises-obama-laments-fading-voice-20121027|work=Article|publisher=Rolling Stone Magazine|accessdate=March 2, 2013}}</ref>。[[エヴァリー・ブラザース]](2014)、そして[[ジョニー・キャッシュ]](2017)<ref name="rhonors">{{cite web |last1=Yarborough |first1=Chuck |title=Rock Hall Honors: Rock & Roll Hall of Fame reimagines Music Masters with the honoree as the star performer |url=https://www.cleveland.com/entertainment/2019/01/rock-hall-honors-rock-roll-hall-of-fame-reimagines-music-masters-with-the-honoree-is-the-star-performer.html |website=cleveland |accessdate=20 October 2019 |language=en |date=13 January 2019}}</ref>。2019年にコンサートシリーズの様式が一新されて、同イベントは「ロックホールの名誉者(Rock Hall Honors)」へと改名された<ref name="rhonors"/>。2019年9月、初回のロックホール名誉者コンサートには[[メイヴィス・ステイプルズ]]が登場し、クリーブランドで演奏が披露された<ref>{{cite web |last1=Yarborough |first1=Chuck |title=Rock Hall Honors celebrates Hall of Famer Mavis Staples in revamped Music Masters program |url=https://www.cleveland.com/entertainment/2019/08/rock-hall-honors-celebrates-hall-of-famer-mavis-staples-in-revamped-music-masters-program.html |website=cleveland |accessdate=20 October 2019 |language=en |date=1 August 2019}}</ref>。
 
=== ロックンロールを形作った楽曲 ===
殿堂博物館[[キュレーター]]のジェームズ・ヘンケは「博物館のキュレーター職員、多数のロック評論家、音楽の専門家」と共に順不同の「ロックンロールを形作った500曲」をリスト作成した<ref>{{cite web | url=http://www.infoplease.com/ipea/A0150472.html | title=500 Songs That Shaped Rock|website=Infoplease.com | accessdate=October 24, 2016}}</ref>。このリストは同博物館の常設展示の一部で、1995年の開館から博物館の一部として想定されたものだった<ref>{{cite web|url=http://www.artcom.com/Museums/nv/mr/44114-10.htm|title=Artcom Museums Tour: Rock and Roll Hall of Fame & Museum, Cleveland, OH - Moving Companies|website=Art.com|accessdate=2020-06-06}}</ref>。そこには1920年代から1990年代にかけて録音された楽曲が含まれている。このリストで最も古い楽曲は、1882年頃に書かれた「ウォーバッシュ・キャノンボール」{{Refnest|group="注釈"|[[ウォーバッシュ鉄道]]でシカゴ - デトロイト間を走っていたウォーバッシュ・キャノンボール列車を歌ったもの。詳細は英語版[[:en:Wabash Cannonball]]を参照。}}で、J・A・ロフの作とされている。しかし、それ以降160曲が追加されて、現在このリストは単に「ロックンロールを形作った楽曲」を指すものとなった。同リストの最新楽曲は、2006年にリリースされた[[ナールズ・バークレイ]]の「クレイジー」と[[マイ・ケミカル・ロマンス]]の「[[ウェルカム・トゥ・ザ・ブラック・パレード]]」である<ref name="655 Songs">{{cite web |url=http://rockhall.com/exhibits/one-hit-wonders-songs-that-shaped-rock-and-roll/ |title=Experience The Music: One Hit Wonders and The Songs That Shaped Rock and Roll |publisher=Rock & Roll Hall of Fame |archive-url=https://web.archive.org/web/20110628094517/http://rockhall.com/exhibits/one-hit-wonders-songs-that-shaped-rock-and-roll/ |archive-date=June 28, 2011 |access-date=January 6, 2017}}</ref>。 ビートルズとローリングストーンズは、660曲の楽曲リストでそれぞれ8曲と最も多く選ばれている。
 
==== リスト入り4曲以上のアーティスト ====
<!-- (翻訳による転記)著作権上の理由から、ここのリストの一部をコピーしないでください。リストを表示する場合は、外部リンクを使用してください。-->
 
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{{div col end}}
 
=== 25周年記念コンサート ===
<!--{{Main|:en:25th Anniversary Rock and Roll Hall of Fame Concerts}}-->
 
ロックンロールの殿堂は25周年を、ニューヨークの[[マディソン・スクエア・ガーデン]]での2日にわたる連続コンサート(2009年10月29-30日)でお祝いした。この祝宴には様々なアーティストが登場し、上のリストからはU2、ブルース・スプリングスティーン&[[ブルース・スプリングスティーン#Eストリート・バンド|Eストリート・バンド]]、アレサ・フランクリン、スティービー・ワンダーが演奏を披露したほか、[[ジェリー・リー・ルイス]]、[[パティ・スミス]]、[[サイモン&ガーファンクル]]、[[ディオン (歌手)|ディオン・ディムッチ]]、[[メタリカ]]、[[ジェームス・テイラー]]、[[ボニー・レイット]]、[[ファーギー]]、[[ミック・ジャガー]]、[[ルー・リード]]、[[レイ・デイヴィス]]、[[オジー・オズボーン]]、[[ポール・サイモン]]、 [[ジェフ・ベック]]、[[バディ・ガイ]]、[[スティング (ミュージシャン)|スティング]]、[[リトル・アンソニー&ジ・インペリアルズ]]、[[クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング]]らが参加した。第一夜は、ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドが特別ゲストの[[ジョン・フォガティ]]、[[ダーレン・ラヴ]]、[[トム・モレロ]]、[[サム・ムーア]]、[[ジャクソン・ブラウン]]、[[ピーター・ウルフ]]、[[ビリー・ジョエル]]と共に約6時間のコンサートを終えた<ref>{{cite web|url=http://www.nj.com/entertainment/music/index.ssf/2009/10/rock_and_roll_hall_of_fame_ann.html|title=Billy Joel is surprise guest at Rock and Roll Hall of Fame concert|work=NJ.com|accessdate=2020-06-06}}</ref><ref>{{cite web|author=Henry Ray Abrams |url=http://www.nj.com/entertainment/music/index.ssf/2009/10/jagger_springsteen_black_eyed.html |title=Jagger, Springsteen, Black Eyed Peas jam with U2 at rock hall concert |website=NJ.com |accessdate=June 12, 2011}}</ref><ref>{{cite web|author=Henry Ray Abrams |url=http://www.nj.com/entertainment/music/index.ssf/2009/11/songs_for_hbos_rock_and_roll_h.html |title=Songs for HBO's Rock and Roll Hall of Fame special announced |website=NJ.com |accessdate=June 12, 2011}}</ref>。
 
== 殿堂入り達成者 ==
[[File:Eric-Clapton 1975.jpg|thumbnail|200px|英国のギタリストでシンガーソングライターの[[エリック・クラプトン]]は唯一、ロックの殿堂入りを3度達成している]]
{{See also|ロックの殿堂入り受賞者の一覧}}
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1986年1月23日の初回で殿堂入りした人物には、[[エルヴィス・プレスリー]]、[[ジェームズ・ブラウン]]、[[リトル・リチャード]]、[[ファッツ・ドミノ]]、[[レイ・チャールズ]]、[[チャック・ベリー]]、[[サム・クック]]、[[エヴァリー・ブラザーズ]]、[[バディ・ホリー]]、[[ジェリー・リー・ルイス]]などがいた。 [[ロバート・ジョンソン]]、[[ジミー・ロジャーズ (カントリー歌手)|ジミー・ロジャース]]、[[ジミー・ヤンシー]]はアーリー・インフルエンス部門で、[[ジョン・ハモンド]]はライフタイム・アチーブメント賞で、[[アラン・フリード]]と[[サム・フィリップス]]は非演奏者部門でそれぞれ殿堂入りした。
 
=== パフォーマー部門 ===
ロックンロールの歴史家で構成される候補指名委員会は「パフォーマー」部門(歌手、ボーカルグループ、バンド、あらゆる種類の楽器奏者)の名前を選別し、その後世界中にいる約500人の専門家によって投票が行われる。投票に選ばれる人物には、学者、ジャーナリスト、プロデューサー、その他音楽業界功労者などが含まれる。アーティストは「最初のレコードがリリースされてから25年後」に殿堂入りを受ける資格を有する。選定基準には、ロックンロールの発展と永続に対するアーティストの貢献度(その影響や重要性)などが含まれる。[[認定投票]]が用いられ、最低50%の承認を条件として過半票を獲得した候補者が殿堂入りとなる。毎年約5-7人のパフォーマーが殿堂入りとなっている<!--投票者は候補者を複数選択できるため、5-7人の候補者がそれぞれ50%以上の票を得るのは不可能ではないとのこと。--><ref>{{cite web|url=http://rockhall.com/inductees/induction-process/|title=Induction Process|website=Rockhall.com|accessdate=August 23, 2018}}</ref>。
 
リードボーカルが殿堂入りした時に除外して物議となったため、[[スモーキー・ロビンソン|ミラクルズ]]、[[ジェームス・ブラウン#1950年代(ミスター・ダイナマイト)|フェイマス・フレイムズ]]、[[ビル・ヘイリー#1952年_創造の瞬間|コメッツ]]、[[ジーン・ヴィンセント|ブルー・キャップズ]]、[[ハンク・バラード|ミッドナイターズ]]、[[バディ・ホリー#来歴|クリケッツ]]<!--いずれも日本語版には単独リンクが無いため、リードボーカルの記事(グループ名への言及あり)にリンクを貼った。-->の6グループが、2012年に特別委員会によってパフォーマー部門で追加殿堂入りとなった。候補指名委員会メンバーのテリー・スチュワートは「この件に関しては多くの議論がなされました」「リードボーカルが殿堂入り時にグループが含まれなかった理由については毎回話し合いがなされました。実に正直なところ、本当に誰もその質問に答えることができませんでした、もうずっと昔の話です。[中略]私たちは組織としてそれを座視することにしました。これがその結果です」<ref>{{cite web|url=http://www.cleveland.com/popmusic/index.ssf/2012/02/crickets_famous_flames_comets.html|title=Crickets, Famous Flames, Comets, Miracles, Midnighters and Blue Caps added to Rock Hall induction ceremony|author=Soeder, John|work=[[The Plain Dealer]]|date=February 9, 2012|accessdate=February 26, 2012}}</ref>と語った。
 
=== アーリー・インフルエンス部門 ===
アーリー・インフルエンスには、主に[[カントリー・ミュージック|カントリー]]、[[フォークソング|フォーク]]、[[ジャズ]]、[[ブルース]]など、ロックンロールのアーティストに着想や影響を与えた、より昔の時代のアーティストが該当する。この部門で殿堂入りした著名なアーティストには[[インク・スポッツ|ビル・ケニー&ジ・インク・スポッツ]]、カントリー奏者の[[ジミー・ロジャーズ (カントリー歌手)|ジミー・ロジャース]]と[[ハンク・ウィリアムズ]]、ブルース奏者の[[ハウリン・ウルフ]]と[[マディ・ウォーターズ]]、ジャズ奏者の[[ジェリー・ロール・モートン]]と[[ルイ・アームストロング]]などがいる。2000年の[[ナット・キング・コール]]と[[ビリー・ホリデー]]の後、ロカビリー歌手の[[ワンダ・ジャクソン]]が選ばれる2009年まで、この部門では誰も殿堂入りしなかった。 この部門の初期の殿堂入り達成者と違い、ジャクソンの経歴はほぼ全てが伝統的な「ロック時代」の始まりとなる1955年以降に起こったものである。
 
=== 生涯の功績に対するアーメット・アーティガン賞 ===
以前の「ノンパフォーマー(非演奏者)」賞で、この部門には、レコード会社の役員、作詞家、音楽プロデューサー、ディスクジョッキー、コンサート興行者、音楽ジャーナリストなど、主に音楽業界の舞台裏で働く人々が該当する。2007年と2009年を除き、この部門には毎年少なくとも1人は殿堂入り達成者がいる。殿堂の共同設立者[[アーメット・アーティガン]]の死後、2008年に彼の名誉を称えてこの賞が改名された<ref>{{cite web|url=http://www.contactmusic.com/news.nsf/story/late-ertegun-honoured-with-new-hall-of-fame-award_1062079|title=Late Ertegun Honoured With New Hall Of Fame Award|author=|work=Contactmusic.com|accessdate=2020-06-06}}</ref>。
 
=== ミュージカルエクセレンス賞 ===
この部門は2000年に導入された以前の「サイドメン(伴奏者)」賞で、主にプロデューサーで構成される委員会によって選出された熟練のセッション演奏家およびコンサート演奏家を称えるものである。この部門は2004年から2007年まで休止しており、2008年に再始動した。2010年にこの栄誉が「ミュージカルエクセレンス賞」に改名された。ロックンロール殿堂財団の会長ジョエル・ペレスマンによると「この賞は、何らかの事柄に没頭する柔軟性を我々に与えてくれ、普段では気付けなかったかもしれない一部の(そうした)人々を認識させてくれる」という<ref>{{cite web|url=http://www.cleveland.com/popmusic/index.ssf/2010/12/neil_diamond_alice_cooper_dr_j.html|title=Neil Diamond, Alice Cooper, Dr. John, Darlene Love and Tom Waits headed into Rock Hall|date=December 15, 2010|accessdate=December 20, 2010|work=[[The Plain Dealer]]|author=Soeder, John}}</ref>。
 
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図書館には、書籍、学位論文、様々な参考文献が収められている。そこにはよく読まれる雑誌、学術誌、業界誌、商用の録音オーディオと録画ビデオ、研究データベースも置かれている。
 
史料館には、レコード会社幹部、アーティストのマネージャー、各レーベル、歴史的会場、収録スタジオ、ステージ設計と照明の専門家、長期にわたるコンサートツアー、などから取り寄せた音楽業界の各種記録が収められている。そのコレクションには、[[アレサ・フランクリン]]や[[マドンナ]]による直筆の個人的な手紙、[[ジミ・ヘンドリックス]]や[[LL・クール・J]]による手書きの作業歌詞、[[スー・キャシディ・クラーク]]等による音楽ジャーナリストの論文、1970年代に[[CBGB]]で採れたレアなコンサート録音、といった重要な個人的物品も含まれている<ref>{{cite magazine|title=Rock and Roll Hall of Fame Opens Archives to the Public|url=https://www.rollingstone.com/music/news/rock-and-roll-hall-of-fame-opens-archives-to-the-public-20120118|magazine=Rolling Stone Magazine|accessdate=March 1, 2013}}</ref><ref>{{cite web|last=Graff|first=Gary|title=Rock Hall Opening Library and Archives This Week|url=httphttps://www.billboard.com/articlesmusic/music-news/511232/rock-hall-opening-library-and-archives-collection-this-week-511232/|work=Article|publisher=Billboard Magazine|accessdate=March 1, 2013}}</ref><ref>{{cite web|last=Soeder|first=John|title=Rock Hall Library and Archives set to open Tuesday|url=http://www.cleveland.com/popmusic/index.ssf/2012/01/rock_hall_library_and_archives.html|work=article|publisher=The Plain Dealer/Cleveland.com|accessdate=March 1, 2013}}</ref>。
 
== 批判 ==
殿堂への最も多い批判は、候補選考のプロセスが創設者のヤン・ウェナーやスーザン・エヴァンズ、作家の[[デイヴ・マーシュ]]など、ミュージシャンではない少数の個人によって管理されている点であり、ロック界全体の見解ではなく彼らの個人的な好みを反映していると言うものである。選考委員会の元メンバーは以前「スーザン・エヴァンズは晩餐のチケットを売れるビッグネームが十分でないことを理由にこの選別が行われたことを嘆いていました。それは[[ドゥーワップ]]のとあるグループを削除することですぐに修正されたのですが、アーティストの「名前」で好みを選んでいたように思えました。[中略]リストにもっと知名度が必要だからと、50年代から60年代初期の先駆的なアーティストが外されていく様子を私は目の当たりにしました。結果として70年代のスーパースターが、それを成し遂げられるようにした人達よりも先に(殿堂入りを)獲得しました。こうした数名の先駆者は現在もまだ入っていません」と語っている<ref name="Friedman">{{cite web|url=http://www.foxnews.com/story/0,2933,1966,00.html |title=Rock Hall of Fame Fallout: 'There Is Resentment Building Up' |accessdate=April 4, 2001 |author=Friedman, Roger |date=April 4, 2001 |publisher=Fox News}}</ref>。[[シスター・ロゼッタ・サープ]]は「ロックンロールのゴッドマザーないしグランドマザー」<ref>{{cite web |url= https://www.bbc.co.uk/iplayer/episode/b00xf8k7/the-godmother-of-rock-roll-sister-rosetta-tharpe |title=The Godmother of Rock & Roll: Sister Rosetta Tharpe |work=[[BBC Four]] |date=May 24, 2011 |accessdate=March 18, 2017}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.pbs.org/black-culture/shows/list/rock-and-roll-rosetta-tharpe/|title=Godmother of Rock and Roll: Sister Rosetta Tharpe|work=PBS|accessdate=March 18, 2017}}</ref> と見なされることも多いが、2017年まで殿堂入りに選ばれなかった。[[ベルベット・アンダーグラウンド]]の<!--ドラマーである-->[[モーリン・タッカー]]はこの殿堂を「'''ダサい殿堂'''」だと吐き捨てた<!--Lameは一般的に「説得力が無い」あたりの意味だが、俗語だと「最悪で時代遅れ」つまりダサいと言う意味。--><ref>{{cite web|url=http://olivier.landemaine.free.fr/dougyule/dystory.html|title=Doug Yule - Story|website=Olivier.landemaine.free.fr|accessdate=2020-06-06}}</ref>。
 
また、選考プロセスの不透明性に対する批判も存在する。[[ニューヨークタイムズ]]紙<!--のジャネット・モリッシー-->は次のように書いている。
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もう一つの批判は、殿堂入りしたアーティストが多すぎる点である。この15年で、97組のアーティストが殿堂入りした<ref name="Bream"/> 。殿堂入りには最低50%の投票が必要だが、最終的なパーセンテージが発表されることはなく、投票用紙が発送される前に殿堂入りとなる確定人数<!-- (2011年は5人)-->が設定される<ref name="Bream">{{cite web |url=http://www.startribune.com/457/story/931216.html |title=Three strikes, they're in |accessdate=January 17, 2007 |author=Friedman, Roger |date=January 12, 2007 |work=Star Tribune |archiveurl = https://web.archive.org/web/20071020112245/http://www.startribune.com/457/story/931216.html <!-- Bot retrieved archive --> |archivedate = October 20, 2007}}</ref>。<!--通常だと委員会は、数が増加する異なるジャンルから少数のアーティスト(2010年に12人)を候補指名する。-->候補指名委員会の元メンバーだった[[ジョエル・セルビン]]を含む一部の投票者は、いずれの候補者も本当に価値があると思えなかったため、2007年には票を投じなかった<ref>{{cite news|url=http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2007/11/14/DDBITBMBD.DTL |title=View: Rock and Roll Hall offers lackluster candidates |accessdate=December 7, 2007 |author=Selvin, Joel |authorlink=Joel Selvin|date=November 14, 2007 |work=San Francisco Chronicle}}</ref>。
 
2006年に殿堂入りしたパンクロックの英国バンドである[[セックス・ピストルズ]]のメンバーは、この博物館を「'''小便のしみ'''」「'''ワインに入れた尿'''」呼ばわりして、式典への出席を拒否した<ref>{{cite web|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080302091236/http://www.thefilthandthefury.co.uk/ |url=http://www.thefilthandthefury.co.uk/ |title=Official announcement from the Sex Pistols regarding the Rock and Roll Hall of Fame |date=February 24, 2006 |archivedate=March 2, 2008 |work=[[Sex Pistols]] - The Filth and the Fury|accessdate=2020-06-06}}</ref>。
 
2013年にBBCの音楽ラジオ局{{enlink|BBC Radio 6 Music}}で行われた[[ジョン・ピール]]の<!-- 年1回の-->講談で、歌手[[シャルロット・チャーチ]]は「ロックの殿堂に入った295組の演者とアーティストのうち、全体の259組が男性で、36組の女性演者の1人は[[ティナ・ウェイマス]]の[[トーキング・ヘッズ]]加入による」と指摘して、同博物館の[[性差別]]を非難した<ref>[http://www.digitalmusicnews.com/permalink/2013/10/15/church Transcript: Paul Resnikoff, "I'm Charlotte Church. And This Is How Women Are Routinely Demoralized by the Music Industry…,"] Digital Media News, October 15, 2013</ref><ref>{{cite web|url=http://www.bbc.co.uk/podcasts/series/jpl|title=BBC Radio 6 Music - The John Peel Lecture - Downloads|work=BBC|accessdate=2020-06-06}}</ref>。事実、殿堂入りした女性の実際の割合は8.5%である<ref>{{cite web|url=http://www.scrollkit.com/s/GGR9Eju|title=scroll kit|website=Scrollkit.com|accessdate=August 23, 2018}}</ref>。全部門を合算しても、殿堂入り達成者719人のうち女性は61人となっている<ref>{{cite web|url=http://rockhall.com/inductees/|title=Rock and Roll Hall of Fame: Inductees|website=Rockhall.com|accessdate=2020-06-06}}</ref>。
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2018年、英国ロックバンドの[[ダイアー・ストレイツ]]が殿堂入りした時、グラミー賞を受賞したバンドリーダーの[[マーク・ノップラー]]はこちらの式典に出席せず、公式な説明もなかった<ref>[https://www.theguardian.com/music/2018/apr/15/mark-knopfler-skips-dire-straits-rock-hall-of-fame-induction "Sultan of snub: Mark Knopfler skips Dire Straits' rock hall of fame induction", ''The Guardian'', 15 April 2018]. Retrieved 6 February 2020</ref>。[[デイヴ・マシューズ|デイヴ・マシューズ・バンド]]は、ファン投票で1位だったにもかかわらず部門に入っていなかったため、2020年の指名選考を非難した者も幾人かいた<ref>{{Cite web|url=https://www.usatoday.com/story/entertainment/music/2020/01/16/rock-hall-fame-dave-matthews-band-fans-slam-2020-induction-snub/4488124002/|title='Dave Matthews Band got robbed,' fans say of 2020 Rock and Roll Hall of Fame induction|first=Hannah|last=Yasharoff|website=USA TODAY|accessdate=2020-06-06}}</ref>。
=== デイヴ・クラーク・ファイブ ===
2007年3月14日、その年の殿堂入り式典の2日後にFOXニュース<!--のロジャー・フリードマン-->は[[デイヴ・クラーク・ファイヴ]]が5番目で殿堂入り達成者になるべきだと主張する記事を発表した、というのも彼らは殿堂入りした[[グランドマスター・フラッシュ|グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴ]]よりも得票が多かったのである。同記事では続けて、ヤン・ウェナーが投票予定日に関するこじつけを使ったと主張している<ref name="Friedman2">{{cite web|url=http://www.foxnews.com/story/0,2933,258664,00.html#2 |title=Rock Hall Voting Scandal: Rock Group Actually Won |accessdate=April 6, 2007 |author=Friedman, Roger |date=March 14, 2007 |publisher=Fox News}}</ref>。実際、デイヴ・クラーク・ファイブはグランドマスター・フラッシュよりも6票多く獲得していた。<!--しかし彼は「ラップ演奏なしでもう一年は行けない」と感じた。-->
 
ロックンロールの殿堂財団は「これには様式や規則や手順があるのです。投票が行われるべき指定時間があり、その後で票数集計が行われます。得票上位5組のバンドが(殿堂入りを)獲得しました」と回答した<ref name="Heaton">{{cite news|url=http://www.cleveland.com/entertainment/plaindealer/index.ssf?/base/entertainment/1174136163185340.xml&coll=2 |title=Rock Hall denies vote fix report |accessdate=April 6, 2007 |author=Heaton, Michael |date=March 17, 2007 |newspaper=The Plain Dealer |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071129223135/http://www.cleveland.com/entertainment/plaindealer/index.ssf?%2Fbase%2Fentertainment%2F1174136163185340.xml&coll=2 |archivedate=November 29, 2007 }}</ref>。その後デイブ・クラーク・ファイブは再び候補指名され、翌年に殿堂入りとなった<ref>{{cite news|url=http://www.cnn.com/2007/SHOWBIZ/Music/12/13/rockhall.inductees.ap/index.html |title=Madonna leads list of Rock Hall inductees |accessdate=January 2, 2008 |agency=Associated Press |year=2007 |publisher=CNN |archiveurl = https://web.archive.org/web/20071224161029/http://www.cnn.com/2007/SHOWBIZ/Music/12/13/rockhall.inductees.ap/index.html |archivedate = December 24, 2007}}</ref>。
 
=== モンキーズ ===
2007年6月、[[ピーター・トーク]]はウェナーが[[モンキーズ]]を追い出したと[[ニューヨークポスト]]紙に不平を主張して、次のようにコメントした。
 
{{bquote|(ウェナーは)規則が何であるのか気にも留めず、自分がちょうどいいと思う方法で運用しているに過ぎません。それは権力の濫用です。モンキーズが殿堂入りしたかどうか自分には分かりませんが、個人的な気まぐれから自分達が入らなかったのはほぼ明らかです。ヤンは他の誰よりも苦労したと思われていますが、40年経って、誰もが「大変な事って何だよ? 他の誰もがそれ(音楽スタジオやバックバンドの使用)をしているよ」と言っています。彼を除けば、今や誰も気に掛けません。1967年や1968年当時の彼の道徳的判断が2007年でも機能していると彼は思っているのでしょう{{要出典|date=2020年6月}}。}}
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未選出であることを不服として、2004年に[[チャビー・チェッカー]]が抗議活動を行った<ref>[https://www.today.com/popculture/chubby-checker-stages-rock-hall-protest-wbna4534806 Chubby Checker stages Rock Hall protest]today 2004年3月16日</ref>。
 
== 関連項目 ==
{{Commons category}}
* [[ロックの殿堂入り受賞者の一覧]]
* [[ヴォーカル・グループの殿堂]]{{enlink|Vocal Group Hall of Fame}}
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈===
{{Reflist|group="注釈"}}
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{{Reflist|2}}
 
== 外部リンク ==
* {{Official website|www.rockhall.com}}
 
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[[Category:ロック博物館]]
[[Category:イオ・ミン・ペイ]]
[[Category:アメリカ合衆国の音楽博物館]]