「ポリャーネ族 (東)」の版間の差分

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{{Otheruses|東のポリャーネ族 |ポリャーネ族 の全般|ポリャーネ族 }}
[[ファイル:East slavs map.png|250px|サムネイル|東スラヴ人]]
'''ポリャーネ族'''は({{Lang-cu|Полѧне}}、{{lang-uk|Полочани}}、{{lang-ru|Поляне}}、[[ベラルーシ語]]([[タラシケヴィツァ]]):{{lang|be-x-old|Паляне}}、意訳:「野原の人々」)は、[[6世紀]]から[[9世紀]]にかけて存在した[[東スラヴ人]]の部族。『[[ルーシ年代記]]』にしか登場しない<ref name="ЕІУ-Толочко-201">Толочко 2011:411.</ref>。現在の[[ウクライナ]]北部、[[ドニプロ川]]の右岸、[[キエフ]]を中心とした地域に居住した。東は[[シヴェーリア族]]、南は[[ウリチ族 (東スラヴ系)|ウーリチ族]]、西は[[チヴェルツィ族|ティーヴェル族]]と[[ドレヴリャーネ族]]、北は[[ドレゴヴィチ族|ドレゲーヴィチ族]]といった東スラヴの部族と接していた。年代記の伝説によれば、[[ドナウ川]]からドニプロ川へ移住したという。新たな地で[[ルーシ (地名)|ルーシ]]という共同体を組織したと考えられる。年代記ではしばしばキエフ人、もしくは[[ルーシ人]]と呼ばれる<ref name="ЕІУ-Толочко-201"></ref>。[[10世紀]]の前に姿を消した<ref name="ЕІУ-Толочко-201"></ref>。ポリャーネ族に該当する考古学的な文化は未定である<ref name="ЕІУ-Толочко-201"></ref>。
 
==脚注==
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* {{uk icon}} Толочко О. Поляни // Енциклопедія історії України. — Київ : Наукова думка, 2011. — Т.8. — С.411.
 
{{Template:スラヴ人の部族}}
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[[Category:ルーシの民族的集団]]
[[Category:スラヴ系民族]]