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{{Infobox baseball player
|選手名 = J.T.スノ
|英語表記 = J.T. Snow
|所属球団 =
|背番号 =
|選手写真ファイル名 = PbpsnowJ. T. Snow and Bronswell Patrick.jpg
|写真サイズ = 275280
|写真のコメント = [[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]での現役時代
|国籍 = {{USA}}
|出身地 = {{Flagicon|USA}} [[カリフォルニア州]][[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1968|2|26}}
|没年月日 =
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|守備位置 = [[一塁手]]
|プロ入り年度 = 1989年
|ドラフト順位 = ドラフト5巡目(全体127位)で[[ニューヨーク・ヤンキース]]から指名
|初出場 = 1992年9月20日
|最終出場 = 2008年9月27日<ref>最後にプレーしたのは2006年6月18日。</ref>
|年俸 =
|経歴 = <nowiki></nowiki>
* ロス・アラミトス高等学校
* [[ニューヨーク・ヤンキース]](1992)
* [[アリゾナ大学]]
* [[カリフォルニア・エンゼルス]](1993 - 1996)
* [[ニューヨーク・ヤンキース]](1992) (1992)
* [[サンフランシスコ・ジャイアンツ]](1997 - 2005)
* [[ロサンゼルス・エンゼルス|カリフォルニア・エンゼルス]](1993 (1993 - 1996)1996)
* [[ボストン・レッドソックス]](2006)
* [[サンフランシスコ・ジャイアンツ(2008)]] (1997 - 2005)
* [[ボストン・レッドソックス]](2006) (2006)
* [[サンフランシスコ・ジャイアンツ]](1997 - 2005)(2008)
|選出国 =
|選出年 =
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|選出方法 =
}}
'''ジャック・トマス・スノ'''('''Jack Thomas Snow''', [[1968年]][[2月26日]] - )は、[[メジャーリーグベースボール|MLB]]の元選手。ポジションは[[一塁手]]。[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]出身の元[[プロ野球]]選手([[一塁手]])。左投左打({{by|1998年}}までは[[スイッチヒッター]]<ref>「30球団マンスリー・リポート サンフランシスコ・ジャイアンツ 左打ち一本にして苦手左腕を克服 交流戦通算成績で打点王のスノー」『[[月刊メジャー・リーグ]]』 2000年9月号 [[ベースボール・マガジン社]] 57頁</ref>)
 
父の[[:en:Jack Snow (American football)|ジャック・スノ]]は元[[NFL]]選手で、屈指の[[ワイドレシーバー (アメリカンフットボールのポジション#ワイドレシーバー)|ワイドレシーバー]]だった。
 
== 経歴 ==
=== ニューヨーク・プロ入りとヤンキース時代 ===
ロス・アラミトス高校時代は後に再び同僚となる[[ロブ・ネン]]と一緒にプレムメイトだった。[[アリゾナ大学]]在学時の{{by|1989年}}の[[1989年のMLBドラフト|MLBドラフト]]で[[ニューヨーク・ヤンキース]]から5巡目(全体127位)指名を受け入団。{{by|1992年}}[[9月20日]]の[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]戦でメジャーデビュー。[[12月6日]]に[[ジム・アボット]]との交換トレードでされ[[ラス・スリンガー]]他1選手と共に[[カリフォルニア・エンゼルス]]へ移籍ロ入り
 
{{by|1992年}}[[9月20日]]の[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]戦でメジャーデビュー。
=== カリフォルニア・エンゼルス ===
移籍1年目の{{by|1993年}}はレギュラーに定着し、開幕戦の[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]戦でメジャー初本塁打を放つなど、4月は打率.343・6本塁打を記録。その後調子を落とし途中[[マイナーリーグ|マイナー]]降格もあったが、打率.241・16本塁打・57打点の成績を残す。{{by|1994年}}は[[エドゥアルド・ペレス]](後[[阪神タイガース|阪神]])にポジションを奪われ、開幕をマイナーで迎えるものの、ぺレスの不振に伴いメジャーに昇格。しかし[[メジャーリーグベースボール#ストライキ|ストライキ]]によるシーズン打ち切りもあって打率.220・8本塁打・30打点に終わった。{{by|1995年}}は打率.289・24本塁打・102打点を記録。チームは途中2位に最大11ゲーム差を付けたが終盤に失速し、[[シアトル・マリナーズ]]とのワンゲーム・プレイオフで敗れ、9年ぶりの地区優勝を逃した。オフに初の[[ゴールドグラヴ賞]]を受賞。{{by|1996年}}は打率.257・17本塁打・67打点と成績を落としたが、2年連続でゴールドグラヴ賞を受賞する。[[11月26日]]に2選手との交換トレードで[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]へ移籍。
 
=== フランシゼルコ・ジャイアンツ時代 ===
1992年[[12月6日]]に[[ジム・アボット]]との[[トレード]]で、[[ラス・スプリンガー]]他1選手と共に[[ロサンゼルス・エンゼルス|カリフォルニア・エンゼルス]]へ移籍。
{{by|1997年}}は打率.281・28本塁打・104打点・96四球を記録し、チームの8年ぶりの地区優勝に貢献する。[[フロリダ・マーリンズ]]との[[1997年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]は3連敗で敗退。ジャイアンツの組織内で最も大きな影響を与えた人物を、選手・球団スタッフ・コーチが選ぶ「[[ウィリー・マッコビー|ウィリー・マック]]賞」を受賞した。{{by|1998年}}は24本塁打・98打点。新球場[[AT&Tパーク|パシフィックベル・パーク]]が開場した{{by|2000年}}は19本塁打・96打点を記録し、チームは3年ぶりの地区優勝。[[ニューヨーク・メッツ]]との[[2000年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]第2戦で、9回に[[クローザー]]の[[アーマンド・ベニテス]]から同点3点本塁打を放つが延長10回の末敗れ、チームは1勝3敗で敗退した。{{by|2001年}}は故障もあって打率.246・8本塁打と不本意な成績に終わる。{{by|2002年}}も6本塁打と振るわなかったが、チームは[[ワイルドカード (スポーツ)|ワイルドカード]]を獲得。ポストシーズンを勝ち上がり、13年ぶりのリーグ優勝を果たす。史上初めてワイルドカード同士の対戦となった古巣エンゼルスとの[[2002年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では、第1戦で本塁打を放つなど打率.407の活躍を見せるが、チームは3勝4敗で惜しくも敗退し、移転後初のシリーズ制覇はならなかった。
移籍1年目の{{by|1993年}}はレギュラーに定着し、開幕戦の[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]戦でメジャー初本塁打を放つなど、4月は打率.343・6本塁打を記録。その後調子を落とし途中[[マイナーリーグ|マイナー]]降格もあったが、打率.241・16本塁打・57打点の成績を残す。{{by|1994年}}は[[エドゥアルド・ペレス]](後[[阪神タイガース|阪神]])にポジションを奪われ、開幕をマイナーで迎えるものの、レスの不振に伴いメジャーに昇格。しかし[[メジャーリーグベースボール#ストライキ|1994年から1995年のMLBストライキ]]によるシーズン打ち切りもあって打率.220・8本塁打・30打点に終わった。{{by|1995年}}は打率.289・24本塁打・102打点を記録。チームは途中2位に最大11ゲーム差を付けたが終盤に失速し、[[シアトル・マリナーズ]]とのワンゲーム・プレイオフで敗れ、9年ぶりの地区優勝を逃した。オフに初の[[ゴールドグラ賞]]を受賞。{{by|1996年}}は打率.257・17本塁打・67打点と成績を落としたが、2年連続でゴールドグラ賞を受賞する。[[11月26日]]に2選手との交換トレードで[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]へ移籍。
 
=== ジャイアンツ時代 ===
{{by|2003年}}は[[6月5日]]の[[ミネソタ・ツインズ]]戦で球団史上3人目のスプラッシュ・ヒット(本拠地[[AT&Tパーク|SBCパーク]]の右翼フェンス後方のサンフランシスコ湾に飛び込む本塁打)を放つ。{{by|2004年}}は、規定打席不足ながら打率.327・出塁率.429・長打率.529を記録。オフには2度目のウィリー・マック賞を受賞。当時の監督[[フェリペ・アルー]]は「彼の存在感は、このクラブハウスでとても大きい。彼の練習に取り組む姿勢から、プロの姿勢を学んでいるチームメイトも多い。」と語っている。{{by|2005年}}は[[ランス・ニークロ]]とのツープラトン起用ながら117試合に出場。堅実な守備を披露する一方で、若手にアドバイスを送るなど、ベテランらしい一面ものぞかせた。オフに[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]]となった。
{{by|1997年}}は打率.281・28本塁打・104打点・96四球を記録し、チームの8年ぶりの地区優勝に貢献する。[[マイアミ・マーリンズ|フロリダ・マーリンズ]]との[[1997年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]は3連敗で敗退。ジャイアンツの組織内で最も大きな影響を与えた人物を、選手・球団スタッフ・コーチが選ぶ「[[ウィリー・マッコビー|ウィリー・マック]]賞」を受賞した。{{by|1998年}}は24本塁打・98打点。新球場[[AT&Tオラクル・パーク|パシフィックベル・パーク]]が開場した{{by|2000年}}は19本塁打・96打点を記録し、チームは3年ぶりの地区優勝。[[ニューヨーク・メッツ]]との[[2000年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]第2戦で、9回に[[クローザー]]の[[アーマンド・ベニテス]]から同点3点本塁打を放つが延長10回の末敗れ、チームは1勝3敗で敗退した。{{by|2001年}}は故障もあって打率.246・8本塁打と不本意な成績に終わる。{{by|2002年}}も6本塁打と振るわなかったが、チームは[[ワイルドカード (スポーツ)|ワイルドカード]]を獲得。ポストシーズンを勝ち上がり、13年ぶりのリーグ優勝を果たす。史上初めてワイルドカード同士の対戦となった古巣エンゼルスとの[[2002年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では、第1戦で本塁打を放つなど打率.407の活躍を見せるが、チームは3勝4敗で惜しくも敗退し、移転後初のシリーズ制覇はならなかった。
 
{{by|2003年}}は[[6月5日]]の[[ミネソタ・ツインズ]]戦で球団史上3人目のスプラッシュ・ヒット(本拠地[[AT&Tオラクル・パーク|SBCパーク]]の右翼フェンス後方のサンフランシスコ湾に飛び込む本塁打)を放つ。{{by|2004年}}は、規定打席不足ながら打率.327・出塁率.429・長打率.529を記録。オフには2度目のウィリー・マック賞を受賞。当時の監督[[フェリペ・アルー]]は「彼の存在感は、このクラブハウスでとても大きい。彼の練習に取り組む姿勢から、プロの姿勢を学んでいるチームメイトも多い」と語っている。{{by|2005年}}は[[ランス・ニークロ]]とのツープラトン起用ながら117試合に出場。堅実な守備を披露する一方で、若手にアドバイスを送るなど、ベテランらしい一面ものぞかせた。オフに[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェントFA]]となった。
 
=== 以後 ===
{{by|2006年}}[[1月9日]]に[[ボストン・レッドソックス]]と契約。[[ケヴィン・ユーキリス]]の控えとして起用されたが、打率.205と結果を残せず、[[6月19日]]に解雇された。{{by|2008年}}[[9月24日]]に古巣ジャイアンツと契約。[[9月27日]]の[[ロサンゼルス・ドジャース]]戦で先発メンバーに名を連ねたが出場はせず、現役引退。
 
引退後はジャイアンツでスペシャルアシスタントを務めた。
== 獲得タイトル・表彰・記録 ==
* ゴールドグラヴ賞 6回:1995年 - 2000年
 
== 年度別打撃成績詳細情報 ==
=== 年度別打撃成績 (MLB) ===
{|{{年度別打撃成績|リーグ=メジャーリーグベースボール}}
|-
62 ⟶ 67行目:
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1993}}
|rowspan="4" style="text-align:center;"|[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|CAL]]
|129||489||419||60||101||18||2||16||171||57||3||0||7||6||55||4||2||88||10||.241||.328||.408||.736
|-
114 ⟶ 119行目:
|}
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
 
=== 表彰 ===
* [[ゴールドグラ]] 6回:1995:(1995年 - 2000年
* [[インターナショナルリーグ]]MVP 1回:(1992年)
 
=== 背番号 ===
* '''60''' (1992年)
* '''6''' (1993年、1996年 - 2005年)
* '''43''' (1994年)
* '''84''' (2006年)
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[左右打席本塁打]]
 
== 外部リンク ==
*{{MLBstats |mlb= |espn=| br=s/snowj.01 | fangraphs=1133 | cube=S/J.T.-Snow|brm=snow--001jac}}
 
{{サンフランシスコ・ジャイアンツ}}
{{Navboxes|title=獲得タイトル・記録
|list1=
128 ⟶ 145行目:
{{ナショナルリーグ ゴールドグラブ賞 (一塁手)}}
}}
{{San Francisco Giants}}
{{DEFAULTSORT:すの しえいてい}}
{{Baseball-biography-stub}}
 
{{Baseball-biography-stub}}
[[Category:1968年生]]
{{Normdaten}}
[[Category:存命人物]]
{{DEFAULTSORT:すの しえいてい}}
[[Category:カリフォルニア州の人物]]
[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]]
[[Category:ニューヨーク・ヤンキースの選手]]
[[Category:ロサンゼカリフォニア・エンゼルス及びその前身球団の選手]]
[[Category:サンフランシスコ・ジャイアンツの選手]]
[[Category:ボストン・レッドソックスの選手]]
[[Category:アリゾナ大学出身の野球選手]]
[[Category:カリフォルニア州ロングビーチ出身の人物]]
[[Category:1968年生]]
[[Category:存命人物]]