「トニー・ロイ」の版間の差分
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m 1965年の併殺打がリーグ最高なので太字に変更しました。 |
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|所属球団 =
|背番号 =
|選手写真ファイル名 = Tony_Roig_1961.jpg
|写真サイズ = 280
|写真のコメント =
|国籍 = {{USA}}
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|選出方法 =
}}
'''アント
== 経歴 ==
{{by|1948年}}に[[フィラデルフィア・フィリーズ]]と契約。{{by|1953年}}9月13日にワシントン・セネタース(現:[[ミネソタ・ツインズ]])で[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]デビュー。
{{by|1963年}}に[[埼玉西武ライオンズ|西鉄ライオンズ]]の[[若林忠志]]ヘッドコーチに誘われて入団し、来日。同年から、移籍した[[豊田泰光]]の後継として[[遊撃手]]をつとめる。[[ジョージ・ウイルソン (野球)|ジョージ・ウイルソン]]、[[ジム・バーマ]]と[[クリーンナップ]]を形成し、4番打者として西鉄のリーグ優勝に貢献した。{{by|1966年}}は[[三塁手]]として[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]を獲得。得票数は2位であったが、1位の[[国貞泰汎]]が二塁手でも1位となり、二塁手での得票が多かったため国貞は二塁で、ロイは繰り上げで受賞となった。
{{by|1968年}}に[[高木喬]]、[[菊川昭二郎]]との交換トレードで、[[清俊彦]]とともに[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]に移籍。近鉄でも西鉄時代と変わらず成績を残すが、同年限りで退団し、帰国した。
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|style="text-align:center;"|{{by2|1965}}
|136||537||504||73||147||27||0||22||240||77||9||2||0||1||32||3||0||'''98'''||'''16'''||.292||.333||.476||.810
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|style="text-align:center;"|{{by2|1966}}
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{{MLBstats |mlb= |espn= 26915 |br= r/roigto01 |fangraphs= 1011151 |cube= Tony-Roig}}
{{パシフィック・リーグ ベストナイン
{{
[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]]
[[Category:ミネソタ・ツインズの選手]]
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