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ジェス・トーマス、本名'''ジェス・フロイド・トーマス'''<ref name="Independent"/>は1927年8月4日、サウスダコタ州{{仮リンク|ホットスプリングス (サウスダコタ州)|en|Hot Springs, South Dakota|label=ホットスプリングス}}に生まれる。父親は[[ウェールズ人|ウェールズ系アメリカ人]]であり、家庭は音楽をたしなみとしていた<ref name="Independent"/>。しかし、トーマスは当初は音楽への道を選ばず、成長後は[[ネブラスカ大学]]で[[心理学]]を専攻し、卒業後は[[高等学校|ハイスクール]]に勤務して指導カウンセラーとして数年間勤務した<ref name="Independent"/>。その後、[[文学]][[修士]]を取得するため[[スタンフォード大学]]に進学したが、そこで[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]の『[[ファルスタッフ]]』が上演されることを知って音楽への夢がよみがえり、オットー・シューマンに師事して声楽を学んだ末、『ファルスタッフ』のフェントン役に選ばれることとなった<ref name="Independent"/>。トーマスはこの時27歳であったが、歌手に転向することを決心した。シューマンの下でさらに3年間研さんに励んだトーマスは、1957年に{{仮リンク|サンフランシスコ歌劇場|en|San Francisco Opera}}で[[リヒャルト・シュトラウス]]『[[ばらの騎士]]』のためのオーディションを受けて合格し、ファニナルの執事役で正式にデビューした。ヴェルディ『[[マクベス (ヴェルディ)|マクベス]]』のマルコム役を演じたあと、トーマスはさらなる勉学を務めるべくドイツに渡った<ref name="Independent"/>。
 
1958年9月、トーマスは[[カールスルーエ]]の歌劇場と3年契約を結んで専属となった<ref name="Independent"/>。カールスルーエではワーグナー『[[ローエングリン]]』のタイトルロールでデビューし、その他[[ジャコモ・プッチーニ|プッチーニ]]、ヴェルディ、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]および[[シャルル・グノー|グノー]]の諸作品にも出演<ref name="Independent"/>。1960年にはリヒャルト・シュトラウス『[[ナクソス島のアリアドネ]]』のバッカス役で[[ミュンヘン]]にデビューし、翌1961年には[[ハンス・クナッパーツブッシュ]]指揮の『[[パルジファル]]』のタイトルロールでバイロイト音楽祭、[[カール・ベーム]]指揮のヴェルディ『[[アイーダ]]』のラダメス役で[[ベルリン・ドイツ・オペラ]]にそれぞれデビューした<ref name="Independent"/>。1963年11月21日と23日、トーマスは[[第二次世界大戦]]での被害から復興した[[バイエルン国立歌劇場]]「ナツィオナール・テアーター」の一連の再建記念公演に出演し、21日にはリヒャルト・シュトラウス『[[影のい女]]』の皇帝役、23日はワーグナー『[[ニュルンベルクのマイスタージンガー]]』のヴァルター・フォン・シュトルツィング役を歌った<ref name="Independent"/>。『マイスタージンガー』でのヴァルター役は、1962年12月に[[メトロポリタン歌劇場|メトロポリタン歌劇場(メト)]]でのデビュー時にも歌っており、メトでは主に『[[タンホイザー]]』のタイトルロール、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]『[[フィデリオ]]』のフロレスタン、[[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]]『[[サムソンとデリラ (オペラ)|サムソンとデリラ]]』のサムソン、[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]『[[エフゲニー・オネーギン (オペラ)|エフゲニー・オネーギン]]』のレンスキーを持ち役としており、公演のたびに[[ニューヨーク]]に戻っていた<ref name="Independent"/>。1966年にメトが[[リンカーン・センター]]に移転した際には、[[サミュエル・バーバー|バーバー]]がメトのために書いた委嘱作『{{仮リンク|アントニーとクレオパトラ (オペラ)|en|Antony and Cleopatra (opera)|label=アントニーとクレオパトラ}}』で[[アウグストゥス|オクタヴィウス]]役を演じたが、トーマスはこの作品の台本を書いた[[フランコ・ゼフィレッリ]]から、「作品自体は[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の[[アントニーとクレオパトラ|同名作品]]だが、ここではオクタヴィウスに[[ケネディ家]]の一員をだぶらせている」ことを教えられる<ref name="Independent"/>。トーマスはメトに15年間在籍し、95公演で15もの主役を演じた<ref name="jess">[[#Jess Thomas]]</ref>。
 
この間、ヨーロッパでも1964年と1965年の[[ザルツブルク音楽祭]]でベーム指揮による『ナクソス島のアリアドネ』バッカス役を演じ<ref name="jess"/>、[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]によって創設された[[ザルツブルク復活祭音楽祭]]にも1969年と1970年に出演し、『[[ニーベルングの指環]]』にジークフリート役で出演した。[[フランス]]と[[イギリス]]においても[[パリ国立オペラ|パリ・オペラ座]]には1967年に『[[ワルキューレ (楽劇)|ワルキューレ]]』のジークムント役、1972年に『[[トリスタンとイゾルデ (楽劇)|トリスタンとイゾルデ]]』のトリスタン役で出演し、[[ロイヤル・オペラ・ハウス|コヴェント・ガーデン]]には1969年から1971年の間にトリスタンと『マイスタージンガー』のヴァルターの役で出演した<ref name="jess"/>。パリ・オペラ座でジークムントを演じたのと同じ1967年には[[大阪国際フェスティバル]]におけるバイロイト音楽祭公演のため日本を訪問し、ここでも[[トーマス・シッパーズ]]の指揮によってジークムントを演じた<ref>[[#NHK50]] p.205</ref>。なお、この時期のトーマスには[[ヴィーラント・ワーグナー]]のアイデアによる、「死んだジークムントがジークフリートとしてよみがえる」という演出による『指環』出演([[ウィーン国立歌劇場]])も企図されていたが、ヴィーラントの急逝で実現しなかった<ref name="Independent"/>。ジークフリート役は1974年にメトでも演じ、バイロイト音楽祭100年にあたる1976年にも[[パトリス・シェロー]]の演出による公演で出演したが、この時の出来はメト出演時のものに及ばなかった<ref name="Independent"/>。
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===印刷物===
* {{Cite book|和書|authoreditor=NHK交響楽団|editor-link=[[NHK交響楽団]](編)|year=1977|title=NHK交響楽団五十年史|publisher=NHK交響楽団|ref=NHK50}}
* {{Cite journal|和書|author=NHK交響楽団(編)|year=2001|title=NHK交響楽団全演奏会記録2|journal=Philharmony|volume = 73|issue= 2|publisher=NHK交響楽団|ref=NHKsocon2}}
 
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{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:とおます しえす}}
[[Category:アメリカ合衆国のテノール歌手]]