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{{Infobox Australian Place
{{改名提案|ポート・アーサー_(タスマニア州)|t=ノート:ダーウィン_(オーストラリア)|date=2011年7月}}
| type = suburb
[[Image:PortArthur_main_lowres.JPG|right|thumb|300px|The iconic view of the penitentiary originally built as a flour mill, across the water.]]
| name = ポート・アーサー
[[Image:Tasmanian_town_locator_PortArthur.png|right|thumb|280px|Location of Port Arthur]]
| state = tas
'''ポート・アーサー'''('''Port Arthur''')は、[[タスマン半島]]([[タスマニア]], [[オーストラリア]])に位置する小都市。国内最大の流刑植民地があった。[[州都]][[ホバート]]の南西60kmに位置する。人口は約200人(タスマン半島の人口:約1,600 人)
| image = Government Gardens, Port Arthur.jpg
| caption = ガバメント・ガーデンズ
| lga = [[タスマン・カウンシル]]
| postcode = 7182
| coordinates = {{coord|43|09|S|147|51|E|region:AU-TAS_type:city(951)|display=inline,title}}
| pushpin_label_position = bottom
| est = 1830年
| pop = 251人(2016年)
| pop_footnotes = <ref>{{Cite web|url=https://www.abs.gov.au/census/find-census-data/quickstats/2016/SSC60508|title=Census2016|access-date=04 Aug 2022}}</ref>
| area =
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| stategov = Lyons
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| near-nw = [[ナビーナ_(タスマニア州)|ナビーナ]]
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'''ポート・アーサー'''('''Port Arthur''')は、[[オーストラリア]]・[[タスマニア州]]の[[タスマン半島]]に位置する小さな町。かつては、国内最大の流刑植民地があり、2010年、[[国際連合教育科学文化機関|UNESCO]]の[[世界遺産]]に、「'''[[オーストラリアの囚人遺跡群]]'''」の1つとして登録された。
==交通==
*陸路
**ホバート~[[ゾレル]]([[タスマン・ハイウェイ]])
**ゾレル~ポート・アーサー([[アーサー・ハイウェイ]])
*[[フェリー]]
*[[水上機]]
 
==略史 地理 ==
[[File:Tasmanian town locator PortArthur.png|180px|left|thumb|水色がホバート、赤色がポート・アーサー]]
*[[ヴァン・ディーメンズ・ランド]][[副総督]][[ジョージ・アーサー]]に因んで[[命名]]
ポート・アーサーは、タスマニア州の州都[[ホバート]]から南東に約60kmの所に位置する。ホバートからでは、陸路[[タスマン・ハイウェイ]]で[[ゾレル]]を経由し、ゾレルから[[アーサー・ハイウェイ]]([[:en:Arthur Highway|en]])を利用することで到達することができる。道程は、約96km(60マイル)である。
 
ホバートからポート・アーサーへは、[[バス (交通機関)|バス]]や[[フェリー]]で行くことが可能であり、また、複数の旅行会社がホバートからの日帰りツアーを催行している。
*[[1830年]]、timber station
*[[1833年]]、流刑植民地になる
*[[1877年]]、刑務所閉鎖
*[[1996年]]、[[ポートアーサー事件]]発生
 
== 歴史 ==
[[Image:Port Arthur inside Modell Prison.jpg|right|thumb|280px|Inside the separate prison, Port Arthur, Tasmania]]
=== 脱出不可能の流刑植民地 ===
[[Image:A11602.jpg|thumb|right|A postcard depicting a convict team ploughing a farm at Port Arthur. Dated 1926.]]
ポート・アーサーの名前は、[[ヴァン・ディーメンズ・ランド]][[副総督]]であった[[ジョージ・アーサー]](1784年-1854年)にちなむ。
[[Image:Portarthurwaterfrontold.jpg|left|thumb|280px|Port Arthur as a busy port in the 1870s]]
[[Image:Port_Arthur_Seeseite.jpg|left|280px]]
 
タスマニア島へのヨーロッパ人の入植は、1803年に始まった{{sfn|藤川|1990|p=48}}。ヨーロッパ人とアボリジニの衝突は入植開始から継続した。白人とアボリジニの衝突は、アボリジニの殲滅の方向へと進んでいった。1818年時点でのタスマニア島の人口は、アボリジニ側が推定4,000人から2,000人に半減する一方で、白人の人口は、約3,000人に膨れ上がっていた{{sfn|藤川|1990|p=51}}。さらに、[[ナポレオン戦争]]以降、イギリス本国の好調な羊毛需要に支えられ、タスマニア島では牧羊業が発展した{{sfn|藤川|1990|p=52}}。1830年には、白人人口は23,500人、羊は100万頭に達した{{sfn|藤川|1990|p=52}}。そういった中で、1826年、アーサー副総督は、アボリジニを武力で追い払う権利を白人に与え、必要ならば軍隊の支援も提供すると宣言した{{sfn|藤川|1990|p=52}}。1830年10月には、「ブラック・ライン」と呼ばれる人間の鎖をタスマニア島に展開し、アボリジニは、最終的に[[タスマン半島]]に追い立て、捕獲する作戦を展開した{{sfn|藤川|1990|p=55-56}}{{sfn|UNESCO|2008|p=19}}。
{{-}}
 
こうして、ポート・アーサーは、[[1830年]]に、木場として、開拓が始まった。しかし、3年後の[[1833年]]には、流刑植民地の建設が始まった。カーナヴォン湾のほとりに、少年刑務所が建設したことをその嚆矢とする<ref name="Tasman">{{Cite web|author=[[タスマン・カウンシル]]|date=|url=http://www.tasman.tas.gov.au/index.php/tourism/local-history|title=Local History |format= |language=英語 |accessdate=2013-01-10}}</ref>。1833年から1853年の間、ポート・アーサーは、イギリス人及びアイルランド人の犯罪者にとって、もっとも過酷な目的地となった。加えて、ポート・アーサーは、イギリスが設けた流刑植民地の中で、もっとも厳格なセキュリティ体制を強いていた。具体的には、タスマン半島の地形を利用した脱走監視システムである。タスマン半島は、地峡であるイーグルホーク・ネック経由を除き、陸路でタスマニア本島へ移動する手段がないため、そこに哨戒灯と哨戒犬を置いた<ref name="Tasman"/>。
==参考文献==
 
1840年代には、タスマン半島全域に保護観察システムが整備され、タスマン半島は、複数の産業施設が整備されるようになった<ref name="Tasman"/>。インフラ面からは、「囚人の鉄道」と呼ばれる鉄道がノーフォーク湾とロング湾の間で、1836年に完成した。タスマン半島北西部の[[ソルトウォーター・リヴァー_(タスマニア州)|ソルトウォーター・リヴァー]]の[[ソルトウォーター・リヴァーの炭鉱史跡|炭鉱]](「[[オーストラリアの囚人遺跡群]]」を構成する[[世界遺産]]に登録されている)とイーグルホーク・ネックも道路で結ばれた<ref name="Tasman"/>。
 
脱出不可能の刑務所であったが、その中でも脱走を試みた囚人がいたことは確かである。マーティン・キャッシュ([[:en:Martin Cash|en]])は、他の2人とともにポート・アーサーから脱走した人物として、歴史に残る。
 
しかしながら、1840年代半ばになると流刑の処分を受けた囚人の数が減少した。そのため、1849年には少年院は廃止された<ref name="Tasman"/>。1877年には、ポート・アーサーの囚人施設も廃止されることとなった<ref name="Tasman"/>。
 
ポート・アーサーの刑務所は、[[ジェレミ・ベンサム]]の理論と彼の考えに基づく[[パノプティコン]]型の刑務所であった。ポート・アーサーの刑務所の建設は[[1853年]]に、一応の完成を見るが、1855年、拡張工事が実施された。刑務所のレイアウトはシステマティックにできていた。
 
=== 観光都市としての転換 ===
[[1877年]]に、ポート・アーサーの[[刑務所]]が閉鎖される以前から、ポート・アーサーを観光の拠点としての可能性があると考えた人物がいた。[[1842年]]に、ポート・アーサーを訪れたデーヴィッド・バーン(David Burn)は、[[タスマン半島]]の美しさを評価し、多くの人々が訪れる場所であると確信していた<ref name="Davidson">Davidson, Jim (October,1995), "Port Arthur: A tourist history." Australian Historical Studies 26, no. 105, Academic Search Complete, EBSCOhost (accessed 23 September 2010)</ref>。とはいえ、バーンの意見が必ずしも、大多数に受け入れられたわけではない。一例として、1872年に、アンソニー・トロロープ(Anthony Trollope)は、「誰も廃墟を見たがるはずが無い」と述べている<ref name="Davidson" />。
 
刑務所が閉鎖されて以降、ポート・アーサーの施設群はオークションに賭けられることとなったが、[[1889年]]まで売却されることは無かった<ref name="Davidson" />。このときまでに、ポート・アーサー一帯の施設は、少しずつ、廃墟と化していった<ref name="Davidson" />。1895年と1897年の失火は、ポート・アーサーの施設の破壊に拍車をかけた<ref name="Davidson" />。しかし、1880年には、ポート・アーサーの施設は、観光施設として生まれ変わったのも事実である<ref name="Tasman"/>。かつての看守の住居は、カーナヴォン・ホテルに生まれ変わったし、[[1892年]]には、観光客のための港も整備された<ref name="Tasman"/>。1912年の観光客は、5,000人と推定された(21世紀の現在では、年間に28万人が訪れる)<ref name="Tasman"/>。
 
また、ポート・アーサー刑務所の閉鎖後、タスマン半島の土地は、細分化して払い下げされ、農場や果樹園となった<ref name="Tasman"/>。タスマン半島の基幹産業が囚人を中心としたものから、農業へと転換していった<ref name="Tasman"/>。また、20世紀初頭までには、ポート・アーサーも含めて、半島には8つの学校が設立された<ref name="Tasman"/>。
 
[[1987年]]、ポート・アーサー歴史史跡管理局(Port Arthur Historic Site Management Authority)が設立された<ref>{{Cite web|author=Port Artuhr Historic Site |date=|url= http://www.portarthur.org.au/index.aspx?base=1364 |title=About Us |format= |language=英語 |accessdate=2013-01-10}} </ref>。タスマニア州政府の財政支援と史跡を訪れる観光客の入場料によって運営される。そして、[[2010年]][[7月31日]]、[[国際連合教育科学文化機関|UNESCO]]の世界遺産に「[[オーストラリアの囚人遺跡群]]」の一つとして、登録された。
 
ポート・アーサーは、オーストラリア史に残る犯罪の舞台となった。[[1996年]]、[[ポートアーサー事件]]が発生した。その後、オーストラリアでは、[[銃規制]]が強化されることとなった。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=藤川隆男|authorlink=藤川隆男 |year=1990|title=オーストラリア 歴史の旅 |publisher=朝日選書|isbn=4-02-259507-8|ref={{SfnRef|藤川|1990}}}}
* {{Cite web|author=[[国際連合教育科学文化機関|UNESCO]]|date=2008|url=http://www.whc.unesco.org/download.cfm?id_document=105335|title=Port Arthur Historic Sites Management Plan 2008|format=PDF|language=英語 |accessdate=2013-01-10|ref={{SfnRef|UNESCO|2008}}|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110506061329/http://www.whc.unesco.org/download.cfm?id_document=105335|archivedate=2011-05-06}}
* {{Cite web|author=[[タスマン・カウンシル]]|date=|url=http://www.tasman.tas.gov.au/index.php/tourism/local-history|title=Local History |format= |language=英語 |accessdate=2013-01-10}}
*Barrington R (n.d.) ''Convicts and Bushrangers'', View Productions, Sydney
*Smith R (1987) ''The Birth of a Nation: Australia's Historic Heritage — from Discovery to Nationhood'', Penguin Books Australia Ltd, Ringwood, ISBN 0-670-90018-4
*[http://www.portarthur.org.au/ オフィシャルウェブサイト]
*[http://www.tourtasmania.com/content.php?id=portarthur The Interactive Tour of Tasmania website]
 
== 外部リンク ==
{{commons|Port Arthur}}
*[http://www.portarthur.org.au/ ポート・アーサー歴史遺跡オフィシャルサイト]
*[http://www.tasman.tas.gov.au/index.php/tourism/local-history タスマン・カウンシルのホームページ]
*[http://www.tourtasmania.com/content.php?id=portarthur The Interactive Tour of Tasmania website]
*''[[For the Term of his Natural Life]]'',Marcus Clarke, a well-known novel about a Port Arthur convict.
 
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:ほとあさ}}
[[Category:タスマニア州の都市]]
[[Category:オーストラリアの歴史囚人遺跡群]]
[[Category:刑務所博物館]]
 
[[cs:Port Arthur (Tasmánie)]]
[[de:Port Arthur (Tasmanien)]]
[[en:Port Arthur, Tasmania]]
[[fr:Port Arthur (Tasmanie)]]
[[nl:Port Arthur (Tasmanië)]]
[[pl:Port Arthur (Tasmania)]]
[[pt:Port Arthur (Tasmânia)]]
[[ru:Порт-Артур (Тасмания)]]
[[simple:Port Arthur, Tasmania]]
[[sv:Port Arthur, Tasmanien]]
[[th:พอร์ตอาเทอร์]]
[[zh:阿瑟港 (塔斯马尼亚州)]]