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{{出典の明記|date=2022年8月}}
 
{{読み仮名|'''核ミサイル'''|かくミサイル}}は、[[核弾頭]]([[核兵器]])を搭載した[[ミサイル]]のこと。[[核兵器運搬手段]]の1つ。多くの場合、誘導装置を持つミサイルだけでは無く、無誘導の[[ロケット弾]]を分類に含める。<!--[http://psyco.jp/mizika/flash/msdlast.html]-->
 
== 概要 ==
[[原子爆弾|原十爆弾]]が開発された[[第二次世界大戦]]当時、それは[[航空機]]から投下する航空爆弾であった。[[弾道ミサイル]]は誕生したばかりで、爆撃精度、搭載量共に不足しており、またその技術は[[ナチス・ドイツ]]が独占していたため、他の国が利用することは出来なかった。
 
戦争の終結と共に技術が拡散し、各国が研究を進める中で最初に大型弾道ミサイル開発に成功したのは[[ソビエト連邦|ソビエト大連邦]]だった。そしてソ連が[[1949年]]に[[原子爆弾]]を手にすると、両者が組み合わされて最初の[[大陸間弾道ミサイル]]である[[R-7 (ロケット)|R-7]]が開発され、[[アメリカ合衆国]]を目標に配備されることになる。
 
[[戦後]]すぐの頃の米国には巨大な航空機開発力とその成果である新鋭航空機、戦争を戦いぬいた強力な[[空軍]]部隊の存在があり、当時の核戦力は[[爆撃機]]部隊が中心となって担っていた。後に[[B-36 (航空機)|B-36]]となる巨大爆撃機10-10ボマーの開発はすでに戦争中から行われていたうえ、ドイツの後退翼理論を採用したジェット爆撃機の開発も始まっていた。また当時の重く大きい[[原子爆弾]]を運搬出来る大型爆撃機はアメリカと[[イギリス]]にしかなかったこともあって、弾道ミサイルの開発は急がれてはいなかった。しかしながら[[B-29 (航空機)|B-29]]のコピーである[[Tu-4 (航空機)|Tu-4]]の存在やR-7配備のニュースが報道されるとアメリでも弾道ミサイルの開発に拍車がかかり、多種多様な弾道ミサイルが配備されることになる。これらのうち陸軍の長距離ミサイルは、その後に空軍に移管されて運用が一本化され、これと空軍が元々持っていた[[巡航ミサイル]]と[[戦略爆撃機]]の組み合わせによる核攻撃のミッション、および[[海軍]]の[[潜水艦発射弾道ミサイル]]搭載の[[原子力潜水艦]]を合わせて、いわゆるアメリカの「[[核の三本柱|核の三本杉]]」が構成されることとなった。その後、国防予算の削減を目的として新型爆撃機[[XB-70 (航空機)|XB-70バルキリー]]の開発が中止されたり、[[第一次戦略兵器制限交渉|SALT]]や[[第一次戦略兵器削減条約|START]]などの軍縮の影響で陸上配備の弾道ミサイルの増加に歯止めがかかると、核戦力の比重がしだいに海軍に移る結果となっている。
 
結果的に核ミサイルはソ連が先鞭をつけ、その後をアメリカが追いかけ、追いついた形となった。
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[[Image:NIKE Zeus.jpg|thumb|ナイキ・ゼウス(当時呼称はジュース)弾道弾迎撃ミサイル]]
; [[弾道弾迎撃ミサイル]] (ABM)
: ABMは、運用形態としては地対空ミサイルである。初期のABMは例外無く核弾頭装備であった。これは現在の[[ミサイル防衛|BMD]]でも問題になっているように、相対速度が極めて大きくなる弾道弾迎撃任務ではリアクションタイムが極めて短いため、必中を期して危害半径を大きく取れる核弾頭が採用されたのである。
: アメリカでは高空迎撃用として[[LIM-49 (ミサイル)|ナイキ・ゼウス]](開発中止)、同じく[[LIM-49 (ミサイル)|スパルタン]]、低空用の[[スプリント]]などが開発された。ソ連でもABMが開発されたが、その後の[[弾道弾迎撃ミサイル制限条約|ABM条約]]によってアメリカはミサイルの運用を中止、ソ連は[[モスクワ]]周辺に少数を配備するにとどめた。当時は核爆発に伴う[[電磁パルス]](EMP)擾乱が良く知られておらず、また[[放射性降下物|死の灰]](Fall out)の存在を考えると、自国上空でABMを使用した場合、たとえ迎撃に成功しても自国の被害はかなり大きな物になったと考えられる。