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|画像の説明=2013年時のオシェイ
|本名=ジョン・フランシス・オシェイ<br />John Francis O'Shea
|愛称=シェシー
|カタカナ表記=
|アルファベット表記=John O'Shea
|原語名=[[アイルランド語]]
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|国={{IRL}}
|誕生日={{生年月日と年齢|1981|4|30}}
|出身地=
|身長=190cm
|体重=88kg
|血液型=
|所属チーム名=
|ポジション=[[ディフェンダー (サッカー)|CB, SB]] / [[ミッドフィールダー|DH]]
|背番号=
|利き足=右足
|ユース年1=|ユースクラブ1={{flagicon|IRL}} フェリーバンクAFC
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|年2=2000|クラブ2=→{{flagicon|ENG}} [[AFCボーンマス|ボーンマス]] (loan)|出場2=10|得点2=1
|年3=2001|クラブ3=→{{flagicon|BEL}} [[ロイヤル・アントワープ]] (loan)|出場3=14|得点3=0
|年4=2011-2018|クラブ4={{flagicon|ENG}} [[サンダーランドAFC|サンダーランド]]|出場4=
|年5=2018-2019|クラブ5={{flagicon|ENG}} [[レディングFC|レディング]]|出場5=9|得点5=0
|代表年1=2000-2002|代表1={{IRLf}} U-21|代表出場1=13|代表得点1=1
|代表年2=2001-2018|代表2={{IRLf}}|代表出場2=
|クラブ成績更新日=
|代表成績更新日=
}}
'''ジョン・フランシス・オシェイ'''(
2001年の[[サッカークロアチア代表|クロアチア]]戦で代表初出場を飾って以降、90試合以上に出場し、2003年の[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]戦で初得点を挙げている。また、論争となった[[2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]の[[サッカーフランス代表|フランス]]戦で敗れたメンバーの1人であり、[[UEFA EURO 2012]]の出場メンバーだった。
ウォーターフォードに生まれたオシェイは、17歳の時に[[マンチェスター・ユナイテッドFC]]に入団すると、[[AFCボーンマス]]と[[ロイヤル・アントワープ]]への期限付き移籍を経験し、復帰後は強豪クラブで公式戦に約400試合に出場する中でプレミアリーグ5回、[[FAカップ]]1回、[[フットボールリーグカップ]]3回、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]と[[FIFAクラブワールドカップ]]と数多くのタイトルを獲得しており、[[デニス・アーウィン]]、[[ロイ・キーン]]、{{仮リンク|デニス・ウィーラン|en|Ronnie Whelan}}、
== 経歴 ==
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[[File:John O'Shea CL semi 0809.jpg|thumb|left|upright|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2008-09]]準決勝の[[アーセナルFC]]戦でのオシェイ]]
[[File:Johnoshea.jpg|thumb|[[マンチェスター・ユナイテッドFC]]でのオシェイ]]
故郷のフェリーバンク
ユナイテッドでの下部組織では、当時ミッドフィルダーとセンターバックを務めており、[[ルーク・チャドウィック]]
;トップチームデビュー
2001年11月の[[リヴァプールFC]]との[[ノースウェスト・ダービー]]で後半から遂に[[プレミアリーグ]]初出場を飾り<ref name="初出場">[http://www.thefreelibrary.com/O'Shea+plays+it+cool+over+debut+chance.-a080655595 "O'Shea plays it cool over debut chance"]</ref>、12月8日の[[ウェストハム・ユナイテッドFC]]戦では[[ウェズ・ブラウン]]、[[ロニー・ヨンセン]]、
[[FAプレミアリーグ2003-2004|2003-04シーズン]]は、[[ミカエル・シルヴェストル]]がセンターバックに集中したことで、オシェイ自身も本格的に左サイドバックのレギュラーとして起用されることとなり<ref name="便利屋">[http://www.independent.co.uk/sport/football/news-and-comment/sam-wallace-oshea-displays-virtue-in-versatility-as-uniteds-hobo-stays-on-track-for-rome-1690442.html "Sam Wallace: O'Shea displays virtue in versatility as United's hobo stays on track for Rome"]</ref>、2004年3月9日の[[UEFAチャンピオンズリーグ 2003-04]]ベスト16第2戦での[[FCポルト]]戦
;ユーティリティ選手への転身
[[FAプレミアリーグ2004-2005|2004-05シーズン]]に[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]の[[ガブリエル・エインセ]]が加入してくると、ファーガソン監督からセントラルミッドフィルダーやセンターバック、右サイドバックと様々なポジションでの起用を言い渡されており<ref>[http://www1.skysports.com/football/news/11667/2305758/fergie-oshea-faces-competition "Fergie: O'Shea faces competition"]</ref>、実際に左サイドバックの定位置を失い
[[FAプレミアリーグ2005-2006|2005-06シーズン]]は、レギュラー選手ながらもポジションが不定だった。前半戦では負傷したガリー・ネビルとエインセの代役として両サイドバックを務めており<ref name="2005-06">[http://www.manchestereveningnews.co.uk/sport/football/football-news/reds-duo-pen-new-deals-1088119 "Reds duo pen new deals"] manchestereveningnews.co.uk</ref>、後半戦ではロイ・キーンと[[フィリップ・ネヴィル]]の移籍、[[アラン・スミス]]と[[ポール・スコールズ]]の負傷によって中盤が払底した為、セントラルミッドフィルダーを務めるようになり<ref>[http://www.thefreelibrary.com/Football%3A+O'Shea+is+eager+for+midfield+role%3B+Irish+star+ready+to...-a0143047333 "Football: O'Shea is eager for midfield role; Irish star ready to answer United SOS"]</ref>、[[ダレン・フレッチャー]]やウイングから転向したギグスと連携を築いた<ref>[http://www.manchestereveningnews.co.uk/sport/football/football-news/united-yellow-peril-for-midfielder-giggs-1024128 "United: Yellow peril for midfielder Giggs"]</ref>。なお、2005年10月14日に契約を2009年まで契約延長をした
[[FAプレミアリーグ2006-2007|2006-07シーズン]]は、新加入の[[マイケル・キャリック]]が負傷していたことで開幕から数試合にセントラルミッドフィルダーとして先発していたが、キャリックの復帰に伴って控えに回り、守備固めや怪我人の穴埋めとして後半に交代出場するという起用法が増えていった。そして、いつものように途中出場した2007年2月4日の[[トッテナム・ホットスパーFC]]戦では、相手FW[[ロビー・キーン]]との衝突した際に鼻を骨折したGKの[[ファン・デル・サール]]に代わり、遂にゴールキーパーを務めるまでにいたった。これは交代枠3枚全てを使い切ったための苦肉の策だったが、ファーディナンドのパスミスからロビー・キーンとの1対1を作られる危険な場面でシュートを止める好プレーでチームの完封勝利に貢献し、ファンから讃えられ「アイルランドのナンバー1」と歌われた<ref>[http://www.theguardian.com/football/2007/feb/05/match.sport12 "Rooney injury cannot deflect United rampage"]</ref>。試合後にオシェイは、「無失点に半分は貢献したから、控室に戻った時にエドウィンに無失点ボーナスを貰ってるかどうか聞いたよ」と冗談めかして語っており、ファーガソン監督もロビー・キーンを防いだプレーやコーナーキックをパンチングで弾いたプレーに称賛を送りつつ、その姿に「ジョンの新たな愛称は猫だ」とこちらも冗談めかして語っていた
;2冠チームの一員として
[[プレミアリーグ2007-2008|2007-08シーズン]]も昨季同様に途中出場が主であったが、試合の大勢が決した後半に投入される形で数多く出場し、2007年8月12日の[[レディングFC]]戦では、負傷したシルヴェストルの代わりに途中出場すると、先に負傷でベンチに退いていた[[ウェイン・ルーニー]]が務めていたフォワードの位置で起用され<ref>[http://www.theguardian.com/football/2007/aug/12/newsstory.manchesterunited "United stumble as Rooney suffers break"]</ref>、遂にゴールキーパーを含む全てのポジションを任される汎用性の高さでリーグ戦と[[UEFAチャンピオンズリーグ 2007-08]]の[[ダブル (サッカー)|2冠]]達成に貢献。また、9月26日の[[フットボールリーグカップ]]4回戦での[[コヴェントリー・シティFC]]戦では、1999年の初出場から出場129試合目にして初めてキャプテンマークを渡される<ref>[http://www.independent.co.uk/sport/football/fa-league-cups/manchester-united-0-coventry-city-2-ferguson-flabbergasted-as-gamble-on-youth-backfires-403689.html "Manchester United 0 Coventry City 2: Ferguson 'flabbergasted' as gamble on youth backfires"]</ref>等、チームにとって不可欠な選手として評価され、11月23日に契約を2012年まで延長することに成功した<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/m/man_utd/7109165.stm "O'Shea extends Man Utd contract"]</ref>。
[[プレミアリーグ2008-2009|2008-09シーズン]]も控え選手としてのスタートであったが、前半戦は[[パトリス・エヴラ]]の負傷により左サイドバック<ref name="縁の下">[http://www.irishexaminer.com/sport/unsung-oshea-set-for-final-start-92277.html "‘Unsung’ O’Shea set for final start"]</ref>、後半戦はガリー・ネビルとブラウンの負傷により右サイドバックとしての出場機会を増やした<ref>[http://www.theguardian.com/football/2009/feb/23/inter-manchester-united "Rafael's absence deepens United's defensive crisis"]</ref>。その一方で自身も負傷したため、その間に台頭した[[ラファエウ・ペレイラ・ダ・シウヴァ|ラファエル]]とのポジション争いによって絶対的な地位をなかなか確保出来ない
[[プレミアリーグ2009-2010|2009-10シーズン]]は、[[バーミンガム・シティFC]]との開幕戦で2度目のキャプテンマークを巻き<ref>[http://www1.skysports.com/football/news/11661/5498508/oshea-happy-with-competition "O'Shea happy with competition"]</ref>、ユナイテッドでの公式戦出場数350試合目となった2009年9月25日の[[ストーク・シティFC]]戦で得点を挙げて記録に華を添える<ref>[http://metro.co.uk/2009/09/26/united-outclass-stoke-441755/ "United outclass Stoke"]</ref>幸先の良いスタートを切ったが、11月18日の代表戦で太腿を負傷すると、それから1ヶ月後も回復の見込みがなく<ref>[http://www.uefa.com/uefachampionsleague/news/newsid=939650.html "O'Shea a doubt for Milan meeting"]</ref>、2010年1月には血栓の問題による石灰化の恐れから復帰が絶望
その後、2011年5月4日に[[UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11]]準決勝の[[シャルケ04]]戦でもキャプテンマークを巻いた<ref>[http://www.telegraph.co.uk/sport/football/teams/manchester-united/8494185/Manchester-United-v-Schalke-John-OShea-revels-in-glory-of-leading-side-to-Barcelona-clash-at-Wembley.html "Manchester United v Schalke: John O'Shea revels in glory of leading side to Barcelona clash at Wembley"]</ref>オシェイは、同[[プレミアリーグ2010-2011|2010-11シーズン]]を最後に公式戦393試合に出場したユナイテッドを退団することとなった<ref>[http://www.manchestereveningnews.co.uk/sport/football/football-news/manchester-united-defender-john-oshea-864956 "Manchester United defender John O'Shea undergoing Sunderland medical"]</ref>。
==== サンダーランド ====
2011年7月7日、同僚ブラウンの後を追うように、かつてマンチェスター・ユナイテッドで主将を務めた[[スティーヴ・ブルース]]監督率いる[[サンダーランドAFC]]と4年契約を締結した<ref>[http://www.bbc.com/sport/0/football/14059071 "Man Utd's John O'Shea signs four-year Sunderland deal"]</ref>。定期的な出場時間を求めて加入した<ref>[http://www.telegraph.co.uk/sport/football/teams/sunderland/8752079/Leaving-Manchester-United-for-Sunderland-an-easy-decision-for-John-OShea.html "Leaving Manchester United for Sunderland an easy decision for John O'Shea"]</ref>サンダーランドでは、[[プレミアリーグ2011-2012|2011-12シーズン]]開幕前の親善試合初戦の[[アルミニア・ビーレフェルト]]戦で負傷したことで残りの親善試合を欠場し、さらにハムストリングの問題から開幕戦を逃した<ref>[http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-2015795/John-OShea-injured-debut-Sunderland.html "Hamstrung new boy O'Shea set to miss Sunderland bow against Liverpool"]</ref>が、8月27日の[[スウォンジー・シティAFC]]戦で初出場を飾って<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/14600437.stm "Swansea 0-0 Sunderland"] BBCスポーツ</ref>以降、[[リー・カッターモール]]が不在の場合に主将を務める<ref>[http://www.thenational.ae/sport/football/modest-john-oshea-seeks-winning-mentality-at-sunderland "Modest John O'Shea seeks winning mentality at Sunderland"]</ref>程に信頼されていた。また、ブルース監督がオシェイの最適の位置を右サイドバックとして見定めていた<ref>[http://www.tribalfootball.com/articles/sunderland-boss-bruce-wants-o-shea-be-his-first-choice-right-back-1902942 "Sunderland boss Bruce wants O’Shea to be his first-choice right-back"]</ref>こと右サイドバックとして起用されつつ、[[マーティン・オニール]]監督が就任してからは、[[タイタス・ブランブル]]の負傷の影響によりセンターバックでも起用されて[[マイケル・ターナー (サッカー選手)|マイケル・ターナー]]とコンビを組んだ<ref>[http://www.sunderlandecho.com/sport/sunderland-afc/sunderland-s-michael-turner-and-john-o-shea-celebrate-another-successful-shut-out-1-4336237 "Sunderland’s Michael Turner and John O’Shea celebrate another successful shut-out"]</ref>。
翌[[プレミアリーグ2012-2013|2012-13シーズン]]は、シーズン前にオニール監督から新加入の[[カルロス・クエジャル]]とのコンビでセンターバックとして起用されることが明言された<ref>[http://www.sunderlandecho.com/sport/sunderland-afc/o-neill-wants-sunderland-duo-cuellar-and-o-shea-as-centre-halves-1-4793009 "O’Neill wants Sunderland duo Cuellar and O’Shea as centre-halves"]</ref>ように、実際にセンターバックで固定され、12月29日のトッテナム戦では移籍後初得点を挙げ<ref>[http://www.express.co.uk/sport/football/367751/Sunderland-1-Tottenham-2-I-m-no-diver-says-Gareth-Bale "Sunderland 1 - Tottenham 2: I'm no diver says Gareth Bale"]</ref>、2013年5月6日のストーク戦で[[フットボールリーグ・チャンピオンシップ]]への降格危機にある中で貴重な同点にして移籍後2得点目を挙げている<ref>[http://www.independent.co.uk/sport/football/premier-league/sunderland-1-stoke-1-match-report-john-oshea-claws-paolo-di-canios-10men-one-step-closer-to-premier-league-salvation-8605276.html "Sunderland 1 Stoke 1 match report: John O'Shea claws Paolo Di Canio's 10-men one step closer to Premier League salvation"]</ref>。翌[[プレミアリーグ2013-2014|2013-14シーズン]]は、[[パオロ・ディ・カーニオ]]監督の下で主将を任され、負傷から復帰してきたブラウンとセンターバックのコンビを務めることになったが、昨季同様に苦難のシーズンであった。開幕から1分1敗で迎えた3試合目の8月31日の[[クリスタル・パレスFC]]戦
==== レディング ====
2018年6月7日、サンダーランドを退団し、[[レディングFC]]に加入することが発表された<ref>{{Cite news|title=Good luck, John O'Shea|date=2018-06-07|url=https://www.safc.com/news/team-news/2018/june/good-luck-john-oshea|accessdate=2018-06-10|language=en-GB|work=Sunderland Association Football Club}}</ref>。
=== 代表 ===
[[File:FIFA WC-qualification 2014 - Austria vs Ireland 2013-09-10 - John O'Shea 06.JPG|thumbnail|2013年9月の[[サッカーオーストリア代表|オーストリア]]戦でプレーする[[サッカーアイルランド共和国代表|アイルランド代表]]でのオシェイ]]
2001年8月上旬、センターバックの1番手[[ギャリー・ブリーン]]と
[[ジョバンニ・トラパットーニ]]監督就任以降もセンターバックやサイドバックで起用されて
2014年10月14日の[[UEFA EURO 2016予選]]、[[サッカードイツ代表|ドイツ]]戦で代表通算100試合出場を達成。終了間際に同点ゴールを挙げチームを引き分けに導き、試合後には「とても特別な瞬間だった」と語った<ref>{{Cite news|date=2014-10-15|url=http://jp.uefa.com/uefaeuro/qualifiers/season=2016/matches/round=2000446/match=2013883/postmatch/quotes/index.html|title=「特別な瞬間」に歓喜するオシェイ|publisher=UEFA.com|accessdate=2014-10-15}}</ref>。
=== 私生活 ===
2010年6月にイヴォンヌ・マニング
== 個人成績 ==
; 2019年2月23日現在
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small"
|-
!rowspan="2"|クラブ
!rowspan="2"|シーズン
!colspan="2"|リーグ
!colspan="2"|カップ
!colspan="2"|リーグカップ
!colspan="2"|[[欧州サッカー連盟|国際大会]]
!colspan="2"|その他
!colspan="2"|通算
|-
!出場
!得点
!出場
!得点
!出場
!得点
!出場
!得点
!出場
!得点
!出場
!得点
|-
| rowspan="13"| [[マンチェスター・ユナイテッドFC|マンチェスター・ユナイテッド]] || 1999-00 || 0 || 0 || colspan="2"| — || 1 || 0 || 0 || 0 || 0 || 0 || 1 || 0
|-
| 2000-01 || 0 || 0 || 0 || 0 || 2 || 0 || 0 || 0 || 0 || 0 || 2 || 0
|-
| 2001-02 || 9 || 0 || 0 || 0 || 1 || 0 || 3 || 0 || 0 || 0 || 13 || 0
|-
| 2002-03 || 32 || 0 || 1 || 0 || 3 || 0 || 16 || 0 || 0 || 0 || 52 || 0
|-
| 2003-04 || 33 || 2 || 6 || 0 || 2 || 0 || 7 || 0 || 1 || 0 || 49 || 2
|-
| 2004-05 || 23 || 2 || 4 || 1 || 4 || 0 || 5 || 0 || 1 || 0 || 37 || 3
|-
| 2005-06 || 34 || 1 || 2 || 0 || 4 || 1 || 7 || 0 || 0 || 0 || 47 || 2
|-
| 2006-07 || 32 || 4 || 5 || 0 || 1 || 0 || 11 || 1 || 0 || 0 || 49 || 5
|-
| 2007-08 || 28 || 0 || 2 || 0 || 1 || 0 || 6 || 0 || 1 || 0 || 38 || 0
|-
| 2008-09 || 30 || 0 || 4 || 0 || 6 || 1 || 12 || 1 || 2 || 0 || 54 || 2
|-
| 2009-10 || 15 || 1 || 0 || 0 || 0 || 0 || 3 || 0 || 1 || 0 || 19 || 1
|-
| 2010-11 || 20 || 0 || 4 || 0 || 1 || 0 || 6 || 0 || 1 || 0 || 32 || 0
|-
! 通算 !! 256 !! 10 !! 28 !! 1 !! 26 !! 2 !! 76 !! 2 !! 7 !! 0 !! 393 !! 15
|-
| rowspan="1"| [[AFCボーンマス|ボーンマス]] || 1999-00 || 10 || 1 || 0 || 0 || 0 || 0 || colspan="2"| — || colspan="2"| — || 10 || 1
|-
| rowspan="1"| [[ロイヤル・アントワープ]] || 2000-01 || 14 || 0 || 0 || 0 || colspan="2"| — || colspan="2"| — || colspan="2"| — || 14 || 0
|-
| rowspan="8"| [[サンダーランドAFC|サンダーランド]] || 2011-12 || 29 || 0 || 5 || 0 || 0 || 0 || colspan="2"| — || colspan="2"| — || 34 || 0
|-
| 2012-13 || 34 || 2 || 0 || 0 || 2 || 0 || colspan="2"| — || colspan="2"| — || 36 || 2
|-
| 2013-14 || 33 || 1 || 2 || 0 || 7 || 0 || colspan="2"| — || colspan="2"| — || 42 || 1
|-
| 2014-15 || 37 || 0 || 4 || 0 || 2 || 0 || colspan="2"| — || colspan="2"| — || 43 || 0
|-
| 2015-16 || 28 || 0 || 1 || 0 || 2 || 0 || colspan="2"| — || colspan="2"| — || 31 || 0
|-
| 2016-17 || 28 || 0 || 1 || 0 || 1 || 0 || colspan="2"| — || colspan="2"| — || 30 || 0
|-
| 2017-18 || 37 || 1 || 1 || 0 || 2 || 0 || colspan="2"| — || colspan="2"| — || 40 || 1
|-
! 通算 !! 226 !! 4 !! 14 !! 0 !! 16 !! 0 !! colspan="2"| — !! colspan="2"| — !! 256 !! 4
|-
| rowspan="1"| [[レディングFC|レディング]] || 2018-19 || 8 || 0 || 0 || 0 || 2 || 0 || colspan="2"| — || colspan="2"| — || 10 || 0
|-
! colspan="2" | 総通算 !! 514 !! 15 !! 42 !! 1 !! 44 !! 2 !! 76 !! 2 !! 7 !! 0 !! 683 !! 20
|}
=== 試合数===
国際Aマッチ 118試合 3得点(2001年 - 2018年)
{{サッカー代表個人成績|アイルランド共和国|1}}
|-
| 2001 || 1 || 0
|-
| 2002 || 1 || 0
|-
| 2003 || 9 || 1
|-
| 2004 || 8 || 0
|-
| 2005 || 9 || 0
|-
| 2006 || 7 || 0
|-
| 2007 || 8 || 0
|-
| 2008 || 7 || 0
|-
| 2009 || 10 || 0
|-
| 2010 || 8 || 0
|-
| 2011 || 6 || 0
|-
| 2012 || 10 || 0
|-
| 2013 || 11 || 1
|-
| 2014 || 6 || 1
|-
| 2015 || 8 || 0
|-
| 2016 || 7 || 0
|-
| 2017 || 1 || 0
|-
| 2018 || 1 || 0
|-
! 通算 !! 118 !! 3
|}
== タイトル ==
;アイルランド代表
*[[UEFA U-17欧州選手権|UEFA U-16欧州選手権]] : 1998
*[[プレミアリーグ]] : [[FAプレミアリーグ2002-2003|2002-03]], [[FAプレミアリーグ2006-2007|2006-07]], [[プレミアリーグ2007-2008|2007-08]], [[プレミアリーグ2008-2009|2008-09]], [[プレミアリーグ2010-2011|2010-11]]
*[[FAカップ]] : 2003-04
101 ⟶ 228行目:
== 外部リンク ==
{{Commonscat|John O'Shea}}
* {{soccerbase|18121}}{{En icon}}
* {{nfteams|3354}}{{En icon}}
* {{
* [
* {{TheFinalBall|1593|John O’Shea}}{{En icon}}
{{Navboxes
|titlestyle=background:green; color:white;
|list1=
{{UEFA U-17欧州選手権1998アイルランド代表}}
{{UEFA EURO 2012アイルランド代表}}
{{UEFA EURO 2016アイルランド代表}}
}}
118 ⟶ 246行目:
[[Category:アイルランドのサッカー選手]]
[[Category:サッカーアイルランド共和国代表選手]]
[[Category:FIFAセンチュリークラブ]]
[[Category:マンチェスター・ユナイテッドFCの選手]]
[[Category:AFCボーンマスの選手]]
[[Category:ロイヤル・アントワープの選手]]
[[Category:サンダーランドAFCの選手]]
[[Category:
[[Category:UEFA EURO 2012出場選手]]
[[Category:UEFA EURO 2016出場選手]]
[[Category:在イギリス・アイルランド人]]
[[Category:ウォーターフォード県出身の人物]]
[[Category:1981年生]]
[[Category:存命人物]]
|