「徐熙 (五代十国)」の版間の差分
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[[File:Xu Xi - Snowy Bamboo.jpg|thumb|
'''徐熙'''(じょ き、
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徐熙の画風は水墨を主体として淡彩を加え、粗放な筆致のうちに写意的表現を特色とした。この手法は徐氏体と称されて黄筌の黄氏体とともに""花鳥画""の二大源流を成した。北宋の『図画見聞誌』には黄筌の画法の富貴にたいし、「野逸」と評される<ref>{{Cite book|和書|author=内藤湖南|year=2002|title=支那絵画史|publisher=筑摩書房|page=94|series=ちくま学芸文庫
多くの作品は太い筆と濃墨で制作し、色彩を少し施し筆跡は隠さず「落墨花」と呼ばれる<ref>{{Cite|和書|title=中国絵画の源流|author=王凱|date=2014-06|year=2014|edition=第1刷|publisher=秀作社出版株式会社|page=85-86|isbn=9784882655428}}</ref>。彼の「落墨」ほ、即ち「用墨用筆」であり、花卉の全体部分を勾勒しながら同時に染める。最後色彩を施し、枝、葉、ずい、がくの生態に立体感を与える。徐熙自身は「落墨の際、賦色と暈淡は細かい」と言っている。孫の徐崇嗣・徐崇矩によって大成され、崇嗣は墨線を用いない没骨画を創始した人物とされた<ref>{{Cite book|和書|author=内藤湖南|year=2002|title=支那絵画史|publisher=筑摩書房|page=96|series=ちくま学芸文庫}}</ref>。後の張仲、王若水、明代の沈周、陳道復(陳淳)、文徴明、徐渭らにより発展させられ、水墨写意花鳥画を定着された。徐熙は即ち「筆墨の遊び」という画法を駆使して当時すでに成熟されていた山水画の水墨の技法を花鳥画に融合させた。
日本では[[村田珠光]]が徐熙の描いた鷺の絵を[[足利義政]]より賜って所持しており、さらにそれが奈良の商家松屋(通称「塗師屋(ぬしや)源三郎」)の所蔵となったが、幕末に松屋から流出して後は行方不明となっている<ref>{{Cite book|和書|title=新版茶道大辞典|year=2010|publisher=淡交社|page=480|chapter=鷺絵}}</ref>。
==参考文献==▼
*邵博・撰『聞見後録』▼
*張丑・撰『清河書畫舫』▼
*董逌・撰『廣川畫跋』▼
*趙希鵠・撰『洞天清録集』▼
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== 脚注 ==
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<references/>
▲== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2022年9月}}
* [[沈括]] 撰 『[[夢渓筆談]]』
* 金井紫雲 編「徐凞筆 蓮鳧鷺図双幅(内一図玻璃版)」『芸術資料』第1期第6冊、[[芸艸堂]]、1936年(昭和11年)、口絵(コマ番号0006.jp2)、インターネット公開、{{Doi|10.11501/1906500}}。
* 金井紫雲 編「徐凞筆 雪中柳鷺図(靑地家旧蔵)」『芸術資料』第2期第4冊、芸艸堂、1937年(昭和12年)、口絵(コマ番号0012.jp2)、インターネット公開、{{Doi|10.11501/1906532}}。
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:しよ き}}
[[Category:10世紀中国の画家]]
[[Category:南唐]]
[[Category:五代十国の人物]]
[[Category:975年没]]
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