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{{航空会社情報ボックス |
|航空会社 = ピープル・エキスプレス航空(<br>Peoplexpress Airlines) |
|保有機材数 = 75機|
|目的地 = 5o50都市|
|IATA = PE |
|ロゴ = File:Logo of People Express Airlines (1987).png
|ICAO = PEX |
|コールサイン = PeoplePEOPLE Express |EXPRESS
設立日 = [[1981年]] |
|設立日 = [[1981年]]
|運行停止日 = [[1987年]] コンチネンタル航空に買収 |
|本拠地 = [[アメリカ合衆国]]、[[ニュージャージー州]]、[[ニューアーク]] (ニュージャージー州)|ニューアーク]]
|代表者 = = Don Burr (初代[[CEO]]), Frank Lorenzo (買収時の[[CEO]])|
|ハブ空港 = [[ニューアーク・リバティー国際空港]] |
|焦点都市 = [[ボルチモア・ワシントン国際空港]]|
|マイレージサービス = |
|ラウンジ = |
|航空連合 = |
| = |
}}
 
'''ピープル・エキスプレス航空'''(PEOPLExpress Airlines)、通称ピープルエキスプレスは、[[1981年]]から[[1987年]]までの間運航していた、[[アメリカ合衆国]]の[[格安航空会社]]である。経営悪化の末に、1987年に東海岸路線の強化を狙った[[コンチネンタル航空]]に買収された。
 
 
==歴史==
 
=== 誕生と成長 ===
[[英国航空]]を設立したレイカーの持論に触発され、Don Burrらが1981年に設立した。
[[イギリス]]で格安航空会社の走りである[[レイカー航空]]を設立し、中短距離便のみならず、長距離便も格安運賃で提供する「スカイトレイン」サービスで業界を席巻した[[フレデリック・レイカー]]に触発されて、[[ドナルド・バー]]らが1981年に設立した。
機材は[[ルフトハンザドイツ航空]]が手放した[[ボーイング737]]型機を購入し、機材として用意した。
[[ハブ空港]]には[[ニューアーク・リバティー国際空港]]を選定し、同空港の隅にある、長い間放置されていたターミナルを拠点として格安運賃で運航を始めた。
 
機材は[[ルフトハンザドイツ航空]]が手放した[[ボーイング737]]型機を購入し、機材として用意した。[[ハブ空港]]には[[ニューアーク・リバティー国際空港]]を選定し、同空港の隅にある、長い間放置されていたターミナルを拠点として格安運賃で運航を始めた。
1981年[[4月30日]]、[[ニューアーク]]と[[バッファロー]]、[[コロンバス]]、[[ノーフォーク]]間で運航を開始した。運航開始直後には隣接した線路を走るコンレールの貨物列車の敷地内でおきた事故により、ターミナルを閉鎖せざるを得なくなり、[[6月22日]]の運航を取りやめるといったトラブルにも見舞われたが、同社は急速に成長、81年の末には[[フロリダ]]まで路線網を広げた。
 
1981年[[4月30日]]、[[ニューアーク (ニュージャージー州)|ニューアーク]]と[[バッファロー (ニューヨーク州)|バッファロー]]、[[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]、[[ノーフォーク (バージニア州)|ノーフォーク]]間で運航を開始した。運航開始直後には隣接した線路を走るコンレールの貨物列車の敷地内でおきた事故により、ターミナルを閉鎖せざるを得なくなり、[[6月22日]]の運航を取りやめるといったトラブルにも見舞われたが、同社は格安運賃が市場に受け入れられ急速に成長、811981年の末には[[フロリダ]]まで路線網を広げた。
また同社は設立3年目である1983年5月に、[[ブラニフ航空]]からリースされた[[ボーイング747]]型機を使って、初の国際線であるニューアーク-[[ロンドン・ガトウィック空港]]間に就航した。同社はロンドンだけでなく[[フランクフルト]]線・[[パリ]]線の運航も申請していたが、格安運賃での運航が認められなかったため、やむを得ずロンドン線のみで運航することとなった。運賃を普通席で片道149ドルという激安運賃で販売したことで予約が殺到、数ヶ月にわたってチケットが即日完売という好評振りを博した。
のちに国際線として[[ブリュッセル]]と[[モントリオール]]へも国際線を拡大した。
座席は原則全席普通席だったが、国際線にのみ「プレミアムクラス」という上級席を設定していた。
 
=== 国際線就航 ===
[[File:People Express Boeing 747 at London Gatwick in June 1983.jpg|thumb|right|250px|ロンドン・ガトウィック空港に駐機するピープルエキスプレスのボーイング747型機]]
また同社は設立3年目である1983年5月に、[[ブラニフ航空]]からリースされた[[ボーイング747]]型機を使って、初の国際線であるニューアーク-[[ロンドン・ガトウィック空港]]間に就航した。同社はロンドンだけでなく[[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]]線[[パリ]]線の運航も申請していたが、格安運賃での運航が認められなかったため、やむを得ずロンドン線のみで運航することとなった。運賃を普通席で片道149ドルという激安運賃で販売したことで予約が殺到、数ヶ月にわたってチケットが即日完売という好評振りを博した。
 
前年の[[レイカー航空]]の消滅後に格安運賃競争が終息し、無風状態となっていた大西洋横断路線において、運賃を普通席で片道149ドルという激安運賃で販売したことで予約が殺到、数ヶ月にわたってチケットが即日完売という好評振りを博した。
 
のちに国際線として[[ブリュッセル]]と[[モントリオール]]へも国際線を拡大した。座席は原則全席普通席だったが、国際線にのみ「プレミアムクラス」という上級席を設定していた。
 
===買収による拡大===
同社は引き続き順調に成長し、1985年には[[デンバー]]を本拠地とするフロンティアエアラインズを買収した(現在の[[フロンティア航空]]とは別物である。詳しくはフロンティア航空の項を参照)。フロンティアは古くから、アメリカでは労働組合の力が強い会社として知られていたため、労働組合のないピープルが同社を買収したことは、「ノンユニオンがユニオンを買った」として話題を呼んだ。
 
これにより同社はアメリカで5位の規模を誇る一大航空会社となり、さらに中西部を運航するブリット航空と[[ニューイングランド]]や[[フロリダ州]]を運航するプロビンスタウン・ボストン航空を買収した。
 
===大手航空会社による攻勢===
[[Image:Peoplexpress1.jpg|thumb|left|250px|ピープルエキスプレスのリバティーカラーと呼ばれた塗装。尾翼は「ピープル」にちなみ人の横顔がデザインされている。]]
 
こうしてピープルエキスプレスが大々的に躍進を続ける中で、古くからあった大手航空会社は同社を脅威に感じるようになる。そこで[[ユナイテッド航空]]や[[デルタ航空]]、[[ブラニフ航空]]など大手数社がピープルと競合する路線において、採算を度外視した格安運賃を導入し顧客を奪いはじめた。ピープルがその路線から撤退すると、翌日には以前の料金に戻すという運賃の変動の大きさに問題が生じ、いったん決定した運賃は一定期間変更できない制度が導入されるきっかけとなった。
これ以降、同社は大手航空会社が飛ばない路線を飛び始めるようになった。新しい相手はずばり、[[車]]であった。[[ドライブ]]より安い運賃なら顧客を得られるという方針に転換したのである。事実、1984年ごろのピープルエキスプレスの時刻表には「FLYING THAT COSTS LESS THAN DRIVING(ドライブより安く)」と書かれていた。
 
しかしピープルがその路線から撤退すると、翌日には以前の料金に戻すという手段を使ったために乗客から強い反発を受けた。このために、航空会社が一旦導入した運賃は一定期間変更できない制度が導入されるきっかけとなった。
それに加え、買収した旧フロンティアエアラインズから移籍した職員による労働運動の一環としてストライキも起こった。
さらには機内サービスが無料でなされていたフロンティアエアラインズの顧客たちも反発しはじめるようになる。これに伴い、機内の改修や[[マイレージプログラム]]の導入計画、そして画期的だった一律運賃も変更を迫られた。
 
なおのような大手航空会社との直接競争が行わ以降、同社は大手航空会社が飛ばない路線を飛び始めるようになった。新しい相手はずばり、[[自動車|車]]であった。[[ドライブ]]より安い運賃なら顧客を得られるという方針に転換したのである。事実、1984年ごろのピープルエキスプレスの時刻表には「FLYING THAT COSTS LESS THAN DRIVING(ドライブより安く)」と書かれていた。
フロンティアエアラインズの買収は結果的には完全なる失敗に終わった。ピープルの経営状況は徐々に悪化し始め、1986年6月には[[信託銀行]]と組んで同社の全部または一部を買収してくれる会社を探し始めるようになった。だが、[[ユナイテッド航空]]とのフロンティアエアラインズの売却交渉は決裂するなど、うまくいかなかった。
 
===経営悪化===
交渉の後ピープルは、テキサスエアー(同社は航空会社ではなく、航空会社の持ち株会社である)へ自社すべてそっくり、約1億2500万ドル(約150億円)で売却することとした。だがテキサスエアーは、取引内容に心配を抱き、フロンティア航空の部分だけを1億7600万ドル(約200億円)で購入した(フロンティア単体のほうが高値なのは、ピープルが負債を抱えていたためである)。
しかし、買収した旧フロンティアエアラインズから移籍した職員による労働運動の一環としてストライキが起こった。さらには機内サービスが無料でなされていたフロンティアエアラインズの顧客たちも反発しはじめるようになる。これに伴い、機内の改修や[[マイレージプログラム]]の導入計画、そして画期的だった一律運賃も変更を迫られた。
 
この様に、社風も顧客層も違ったフロンティアエアラインズの買収は結果的には完全なる失敗に終わった。機内サービスやマイレージを導入したことでコスト高となったうえに、フルサービスを提供する大手航空会社によるピープルエキスプレスを狙い撃ちした低価格攻勢に見舞われ、顧客を奪われ始めたピープルエキスプレスの経営状況は徐々に悪化し始め、1986年6月には[[信託銀行]]と組んで同社の全部または一部を買収してくれる会社を探し始めるようになった。だが、[[ユナイテッド航空]]とのフロンティアエアラインズの売却交渉は決裂するなど、うまくいかなかった。
こうして1987年2月1日、ついにピープルエキスプレスは航空会社として運航を継続できなくなり、東海岸路線を強化したかった[[コンチネンタル航空]]が買収することで同社の運航路線・機材を引き継いだ。
現在コンチネンタル航空がハブ空港としているニューアーク空港の発着の権利はこのとき獲得されたものであり、現在でも同社にとって[[ヒューストン]]についで重要な空港となっている。
 
==特徴=消滅===
[[File:Continental Airlines Boeing 747-243B Wallner.jpg|thumb|コンチネンタル航空のロゴが描かれたボーイング747]]
交渉の後ピープルは、テキサスエアー(同社は航空会社ではなく、航空会社の持ち株会社である)テキサスエアー社へ自社すべてそっくり、約1億2500万ドル(約150205億円)で売却することとした。だがテキサスエアーは、取引内容に心配を抱き、フロンティア航空の部分だけを1億7600万ドル(約200290億円)で購入した(フロンティア単体のほうが高値なのは、ピープルが負債を抱えていたためである)。
 
こうして1987年2月1日、ついにピープルエキスプレスは航空会社として運航を継続できなくなり、東海岸路線を強化したかった[[コンチネンタル航空]]が買収することで同社の運航路線・機材を引き継いだ。現在コンチネンタル航空がハブ空港としているニューアーク空港の発着の権利はこのとき獲得されたものであり、コンチネンタル航空が[[ユナイテッド航空]]と合併した後もユナイテッド航空にとっては[[シカゴ・オヘア国際空港|シカゴ]]や[[ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港|ヒューストン]]と並ぶハブ空港となっている。
ピープルエキスプレスは、航空券を'''いつ買っても同じ料金'''・機内の客はみな同額を払って乗るというシンプルな運賃体系を構築した(多客期には一部値上げした)。つまり現在主流である事前購入運賃を設定しなかったのである。たとえばニューアーク-ワシントン間は平日は基本40ドル、ただし19時以降の出発便は27ドル、さらに休日は終日27ドルという運賃などである。
 
==特徴==
また同社は、この一律運賃体系を逆手にとって、現在では考えられない運賃徴収方法を採用した。それは、空港では予約客や当日の飛び込みの(ノー・ショー)客にもとりあえず搭乗券を渡し、そしてそのまま出発、機内で運賃を徴収するというものだった。これも一律運賃であったからできた芸当であった。
===格安運賃===
ピープルエキスプレスは、大手航空会社に比べて格安かつ、航空券を'''いつ買っても同じ料金'''・機内の客はみな同額を払って乗るというシンプルな運賃体系を構築した(多客期には一部値上げした)。つまり現在主流である事前購入運賃を設定しなかったのである(なお当時は[[インターネット]]による直販のみならず、インターネットそのものが存在しなかっ)。例えばニューアーク - ワシントン間は平日は基本40ドル、ただし19時以降の出発便は27ドル、さらに休日は終日27ドルという運賃などである。
 
また同社は、この一律運賃体系を逆手にとって、現在では考えられない運賃徴収方法を採用した。それは、空港では予約客や当日の飛び込みの(ー・ショー)客にもとりあえず搭乗券を渡し、そしてそのまま出発、機内で運賃を徴収するというものだった。これも一律運賃であったからできた芸当であった。
 
===サービス削減===
コスト削減のため、多くの格安航空会社同様に、水以外の無償の機内サービスは販売のみであった。存在せず、[[ソフトドリンク]]([[炭酸水|ソーダ]]1缶)・スナック([[ピーナッツ]])は50セント、スナックパック([[チーズ]]・[[クラッカー (食品)|クラッカー]]・[[サラミ]]の詰め合わせ)2ドルだっで販売された。
 
また、空港での荷物扱いのコストを削減するため、機内に荷物を持ち込むことを勧めていた。預かり荷物は1個まで無料だが、2個目から1個につき3ドル徴収した(アメリカ初)。
現在ではセキュリティーチェックの観点から、機内持ち込みの荷物は少ないほど歓迎されるが、同社はまったく逆の手法をとっていた。そのため荷物の棚は大型に改造してあった。
 
コスト削減のため、機内サービスは販売のみであった。[[ソフトドリンク]]([[ソーダ]]1缶)・スナック([[ピーナッツ]])は50セント、スナックパック([[チーズ]]・[[クラッカー]]・[[サラミ]]の詰め合わせ)は2ドルだった。
 
==使用機材==
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!機数
!購入先
|-
|[[ボーイング727|ボーイング727-200]]
|50
|[[デルタ航空]]・[[ブラニフ航空]]・[[アリタリア]]から購入
|-
|[[ボーイング737#737-100/-200(第1世代)|ボーイング737-100]]
|17
|[[ルフトハンザドイツ航空]]から購入
|-
|[[ボーイング737#737-100/-200(第1世代)|ボーイング737-200]]
|5
|当時の[[カナダ太平洋航空]]から購入
|-
|[[ボーイング747#B747-100|ボーイング747-100]]
|3
|[[アリタリア]]から購入
|-
|[[ボーイング747#747-200|ボーイング747-200]]
|6
|[[ブラニフ航空]]・[[カンタス航空]]・[[アリタリア]]から購入
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</center>
 
<gallery>
File:N574PE B727-243 PEOPLExpress ORD 24DEC86 (12671994103).jpg|ボーイング727-200
File:PEOPLExpress Boeing 737-100 Groves.jpg|ボーイング737-100
File:Boeing 747-143, PEOPLExpress AN1040695.jpg|ボーイング747-100
File:Boeing 747-227B, PEOPLExpress AN1130601.jpg|ボーイング747-200
</gallery>
 
==ピープル・エキスプレス(2代目)==
[[File:PEOPLExpress_(Vision_Airlines)_737-405_(N745VA)_(1).jpg|thumb|right|250px|ボストン・ローガン空港での2代目ピープルエキスプレスのボーイング737型機]]
2012年に、ピープル・エキスプレスの元従業員であったマイケル・モリシ(Michael Morisi)は、2代目のピープル・エキスプレス([[:en:People Express Airlines (2010s)|People Express Airlines (2010s)]])を立ち上げた。同社は[[バージニア州]][[ニューポートニューズ]]空港をハブ空港として、大手航空会社があまり就航していないアメリカ東海岸の小規模な都市を目的地とした。
 
また、機体は中古の[[ボーイング737]]型機を用い運賃は大手航空会社の約6割程度に抑える予定とし、機体のデザインは初代と異なるものの、人の横顔をデザインした尾翼、そしてロゴマークは初代のものを踏襲した。
 
当初は2012年度中の就航を目指していたが延期され、2014年6月30日に[[ビジョン航空]]に委託しボーイング737-400を用いて運航を開始。数年以内にFAA認証を受け独立運航を予定していたが、同年9月26日に10月16日までの運航休止を表明し、その後10月16日に運航停止となり2015年1月にはニューポートニューズ空港から退去した。
 
その後2017年にバージニア州の監査でニューポートニューズ空港を管理するPAC(Peninsula Airport Commission)が本航空に500万ドルの融資を行ったことが問題視され、2019年に2代目法人の代表を務めたマイケル・モリシに詐欺罪と連邦税の虚偽申告で懲役2年が求刑された。
 
==関連項目==
* [[コンチネンタル航空]]
* [[シャトル便]]
* [[ボーイング]]
* [[格安航空会社]]
 
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*[http://www.thearticlewriter.com/remember-peoplexpress.htm Remember PEOPLExpress?(ピープルエキスプレスを覚えているか?), The Article Writer, January 16, 2006]
*[http://www.airliners.net/articles/read.main?id=68 The Rise and Fall of PEOPLExpress(ピープルエキスプレスの成長と凋落), Eric Kochneff, August 2004]
{{authority control}}
 
[[Category{{DEFAULTSORT:かつて存在したアメリカ合衆国の航空会社|ひいふるえきすふれす]]}}
[[Category:かつて存在したアメリカ合衆国の航空会社]]
 
[[Category:1981年設立の航空会社]]
[[en:Peoplexpress Airlines]]
[[de:People Express]]
[[fr:PEOPLExpress]]