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[[Image:Niihama Kuchiya Old photograph.jpg|thumb|250px|1881年(明治14年)の口屋]]
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'''口屋'''('''くちや''')は、[[江戸時代]]から[[明治時代]]にかけて[[伊予国]][[新居郡]][[新居浜市|新居浜村]]にあった[[別子銅山]]の[[瀬戸内海]]側の物流中継地。現在、口屋跡(くちやあと)として残っており、新居浜発祥の地として知られている。
 
'''口屋'''('''くちや''')は、[[江戸時代]]から[[明治時代]]にかけて[[伊予国]][[新居郡]][[新居浜市|新居浜村]]にあった[[別子銅山]]の[[瀬戸内海]]側の物流中継地。現在、口屋跡(くちやあと)として残っており、[[新居浜]]発祥の地として知られている。
 
[[1949年]]([[昭和]]24年)[[9月17日]]、「別子銅山口屋跡」として愛媛県指定史跡に指定された。
 
== 概要 ==
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口屋は、別子銅山から運んできた粗銅を船で大坂(大阪)に運ぶ物流中継地となり、また銅山で働く人々のための資材や食料物資の中継地点の役割も果たした。
その後、口屋は住友分店と改称し、[[1890年]]([[明治]]23年)に新居浜村の惣開(そうびらき)に移転するまでの188年間、名実共に新居浜の中心地として栄えた。
 
== 口屋跡 ==
口屋の機能が惣開に移った1890年(明治23年)以降、口屋があった場所は小学校、町役場、市役所、図書館と変貌し、現在公民館となっている。ここは口屋跡とも呼ばれ、かつての賑わいの面影だけが残る。
公民館の入口横に、当時の風景を表した銅板レリーフが張られ、その前に「口屋跡由来記」の石碑があるほか、敷地内には「口屋あかがねの松」が口屋開設以来300年以上もそのままの形で現存する。
 
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* [[住友金属鉱山]]
 
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[[Category:別子銅山]]
[[Category:愛媛県新居浜市の歴史]]
[[Category:新居浜市の歴史‎建築物]]