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その間も続いていたイタリア戦争では、同じように統一を果たした[[スペイン]]と対立し、後にはスペインと[[ハプスブルク君主国|オーストリア]]の[[ハプスブルク家]]によって挟撃され、国力は衰えた。その後、フランスでは宮廷内部の権力闘争や宗教紛争が相次いだ。このような中で王朝も衰退し、[[1589年]]に第13代国王アンリ3世が宗教紛争の最中に一聖職者[[ジャック・クレマン]]によって暗殺された。アンリ3世には子がなかったため、ヴァロワ朝は断絶し、[[ブルボン朝]]に代わった。
 
こうしてヴァロワ家の嫡流は途絶えたが、王位継承権のない庶流はその後も続いた。オルレアン公ルイの[[庶子]]である[[ジャン・ド・デュノワ|ジャン]]を祖とし、[[ロングウィル公]]となった[[オルレアン=ロングヴィル家]]は17世紀末まで存続し、[[シャルル9世 (フランス王)|シャルル9世]]の庶子である{{仮リンク|[[シャルル・ド・ヴァロワ (アングレーム公)|label=アングレーム公シャルル|en|Charles de Valois, Duke of Angoulême}}]]を祖とする家系も17世紀初期まで存続した。また、[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]の庶子である[[アンリ・ド・サン=レミ]]を祖とする家系は19世紀末まで存続し、[[首飾り事件]]で有名な[[ジャンヌ・ド・ラ・モット・ヴァロア|ジャンヌ・ド・ラ・モット・ヴァロワ]] はこの家系の出身と言われている。
 
== 歴代国王 ==