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『'''制限戦争指導論'''』(せいげんせんそうしどうろん、The Conduct War(1789-1961):A Study of the impact of the French, Industrial, and Russian Revolutions on War and its Conduct)とは[[イギリス]]の軍事学者[[ジョン・フレデリック・チャールズ・フラー]]による[[軍事学]]の著作である。本書の題名の直訳は『戦争指導(1789-1961)フランス革命、産業革命、そしてロシア革命が戦争とその指導への影響の研究』である。
 
フラーは[[1878年]]に[[イングランド]]に生まれ、[[イギリス陸軍|陸軍]]では[[将校]]として勤務している。戦術学の教範類や機甲戦術の研究において業績が認められており、戦いの原則を明らかにしたことでも著名な軍事学者である。本書『制限戦争指導論』はフラーが生涯で最後に遺した著作であり、[[絶対戦争|無制限戦争]]を避けるために戦争指導において遵守すべき一般原則を示した。
== 概要 ==
フラーは[[1878年]]に[[イングランド]]に生まれ、[[イギリス陸軍|陸軍]]では[[将校]]として勤務している。戦術学の教範類や機甲戦術の研究において業績が認められており、戦いの原則を明らかにしたことでも著名な軍事学者である。本書『制限戦争指導論』はフラーが生涯で最後に遺した著作であり、無制限戦争を避けるために戦争指導において遵守すべき一般原則を示した。
 
フラーは[[絶対王政]]の時代か[[冷戦]]までの時代に及ぶ[[軍事史|戦争史]]の研究に基づいた戦争の研究を行っている。敵を[[Wikt:殲滅|殲滅]]せずに優れた[[機動]]によって敵を後退に追い込みつつ、外交交渉によって決着をつけるという18世紀における戦争の方式は制限戦争と呼ばれていた。
 
しかしこれは[[フランス革命]]の理念である[[民主主義]]の登場に伴う新しい兵役制度としての[[徴兵制度]]により失われることになった。フランスの指導者となった[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]はこの制度を活用しながら徹底的な破壊を以って無制限な戦争を争う方式を持ち込んだ。フラーは当時の[[ナポレオン戦争]]を研究すれば五つの原則が導き出されるとしている。それは攻撃の重視、時間の節約、奇襲の追及、兵力の集中、警戒の案出の五つである。またナポレオン戦争に従軍し、また戦争研究に業績がある[[カール・フォン・クラウゼヴィッツ|クラウゼヴィッツ]]も同様の原則に到達していると指摘できる。
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[[蒸気機関]]の発明に始まる18世紀の[[産業革命]]においては[[軍事力]]を成り立たせている技術の革新が見られた。[[陸軍|陸]]・[[海軍]]は蒸気機関を機動力を向上させるための技術として応用し、また発射速度や精度の向上により火力も高度化された。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[南北戦争]]ではこのような技術革新が発揮された初めての近代的な戦争であった。このような戦争の変化は[[ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ|モルトケ]]、[[フェルディナン・フォッシュ|フォッシュ]]、ブロックによって次の戦争のあり方が作戦計画や戦争研究の観点から検討された。[[第一次世界大戦]]では長期化した作戦が各国の消耗を招き、内部崩壊の危機が生じた。
 
[[マルクス主義]]の理念によって指導された[[ロシア革命]]とそれに続く[[ソビエト連邦]]の革命・戦争は外部だけでなく内部に対する包括的な[[資本主義]]に対する戦争を含むものであった。ソ連の指導者[[ウラジーミル・レーニン|レーニン]]はクラウゼヴィッツの戦争理論を研究し、戦争が政治の延長であるという考えを持っていた。その後、[[第一次世界大戦]]が終結してからの20年の戦間期では戦勝国によって平和条約に基づいた[[ヴァイマル共和政|ドイツ]]に対する[[領土問題]]、経済問題、軍事問題に関する屈服が強制された。ドイツでは[[世界恐慌]]を契機に[[国家社会主義]]の思想が大衆の支持を獲得することになり、[[アドルフ・ヒトラー]]が国家政策を指導するに至る。
 
戦間期に生じた[[民主主義]]、[[マルクス主義]]、国家社会主義の対立が[[第二次世界大戦]]を生み出すことになった。この戦争では[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]は勝利を達成するためにあらゆる犠牲を払いながら[[枢軸国]]との戦争を続け、結果として[[原子力]]を用いた兵器の発明やソ連の台頭を許すことになった。戦後における平和の問題を考えれば、戦争に[[核エネルギー]]が導入されたことは重要な変化をもたらすものであった。何故ならば、全面的な戦争において[[核兵器]]が使用されて勝利したとしても、その軍事的勝利に政治的目的を見出すことはできないからである。
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== 参考文献 ==
*中村好寿『制限戦争指導論』[[中村好寿]]訳、[[原書房]]1975年・昭和50年。[[中公文庫]]、2023年・令和5年5月。
 
== 関連項目 ==
*[[限定戦争]]
*[[絶対戦争]]
 
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