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|選手名 = J.D.ドリュー
|英語表記 = J.D.Drew
|所属球団 = ボストン・レッドソックス
|背番号 = 7
|選手写真ファイル名 = J.D. Drew cropped2011.jpg
|写真サイズ = 280
|写真のコメント = カージナルボストン・レッドソックス時代のドリュー<br />(2011年4月26日)
|国籍 = {{USA}}
|出身地 = {{Flagicon|USA}} [[ジョージア州]][[バルドスタ (ジョージア州)|バルドスタ]]
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1975|11|20}}
|没年月日 =
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|プロ入り年度 = 1998年
|ドラフト順位 = ドラフト1巡目(全体2番目)
|初出場 = {{by|[[1998年}}]][[9月8日]]
|最終出場 = [[2011年]][[9月28日]]
|年俸 =
|年俸 = $14,000,000(2010年)<ref>{{Cite web|url=http://sports.espn.go.com/mlb/teams/salaries?team=bos|title=Boston Red Sox Salaries Salaries Player Salaries and Team Payroll - MLB Baseball|work=[[ESPN|ESPN.com]]|language=英語|accessdate=6月23日|accessyear=2010年}}</ref>
|経歴 = <nowiki></nowiki>
* ローンズ高等学校
* [[フロリダ州立大学]]
* [[セントポール・セインツ]] (1997)
* [[セントルイス・カージナルス]] (1998 - 2003)
* [[アトランタ・ブレーブス]] (2004)
* [[ロサンゼルス・ドジャース]] (2005 - 2006)
* [[ボストン・レッドソックス]] (2007 - 2011)
|選出国 =
|選出年 =
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|選出方法 =
}}
'''J.D.デイヴィッド・ジョナサン・ドリュー'''(David Jonathan "J. D." Drew, [[1975年]][[11月20日]] - )は、[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]、[[ボストン・レッドソックス]]所属の[[外野手]]。[[アメリカ合衆国]][[ジョージア州]][[バルドスタ (ジョージア州)|バルドスタ]]出身の元[[プロ野球選手]]([[外野手]])。右投左打。

弟の[[ティム・ドリュー]]、[[スティーブン・ドリュー]]も同じくメジャーリーガー。代理人は[[スコット・ボラス]]だった
 
== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
{{by|1994年}}、[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]からドラフト20巡目で指名されるが契約せず[[フロリダ州立大学]]に進学。{{by|1997年}}に[[ゴールデンスパイク賞]]を受賞し、大学野球史上初のシーズン30本塁打・30盗塁を記録するなど活躍<ref name="library">{{cite web |url=http://www.baseballlibrary.com/ballplayers/player.php?name=JD_Drew_1975|title=The Ballplayers - JD Drew|language=英語||work=BaseballLibrary.com|accessdate=8月2日|accessyear=2008年}}</ref>。
{{by|1994年}}の[[1994年のMLBドラフト|MLBドラフト]]で[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]から20巡目で指名されるが、契約せず[[フロリダ州立大学]]に進学。
 
{{by|1994年}}、[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]からドラフト20巡目で指名されるが契約せず[[フロリダ州立大学]]に進学。{{by|1997年}}に[[ゴールデンスパイク賞]]を受賞し、大学野球史上初のシーズン30本塁打・30盗塁を記録するなど活躍<ref name="library">{{cite web |url=http://www.baseballlibrary.com/ballplayers/player.php?name=JD_Drew_1975|title=The Ballplayers - JD Drew|language=英語||work=BaseballLibrary.com|accessdate=2008年8月2日|accessyear=2008年}}</ref>。
 
 
{{by|1997年}}の[[1997年のMLBドラフト|MLBドラフト]]で弟のティムが[[クリーブランド・ガーディアンズ|クリーブランド・インディアンス]]からドラフト1巡目で指名されており、ドリューも[[フィラデルフィア・フィリーズ]]からドラフト1巡目(全体2番目)で指名されたことにより史上初の同一年ドラフト1巡目指名の兄弟となったが<ref name="library"/>、球団側は契約金200万ドルを含む4年総額600万ドルに対し<ref name="maj199910">「30球団マンスリー・リポート セントルイス・カージナルス/入団を拒否した因縁の地へ初遠征 球場の憎悪を一身に浴びたドリュー」『[[月刊メジャー・リーグ]]』1999年10月号、[[ベースボールマガジン]]社、1999年、[[雑誌コード|雑誌]] 08625-10、82頁。</ref>、代理人の[[スコット・ボラス]]が総額1,100万ドルの契約金を要求し決裂したと言われている<ref name="library"/><ref name="maj199809"/>。その後、[[独立リーグ]][[ノーザンリーグ]]の[[セントポール・セインツ]]でプレーすることになった。44試合に出場し、[[打率]].318・18[[本塁打]]・50[[打点]]を記録し、リーグの最優秀新人賞を受賞<ref name="library"/>。
 
[[独立リーグ]][[ノーザンリーグ]]の[[セントポール・セインツ]]でプレーする。44試合に出場し、打率.318・18本塁打・50打点を記録し、リーグの最優秀新人賞を受賞<ref name="library"/>。
 
=== カージナルス時代 ===
{{by|1997年}}、弟のティムが[[クリーブランド・インディアンス]]からドラフト1巡目で指名されており、ドリューも[[フィラデルフィア・フィリーズ]]からドラフト1巡目(全体2番目)で指名されたことにより史上初の同一年ドラフト1巡目指名の兄弟となったが<ref name="library"/>、球団側は契約金200万ドルを含む4年総額600万ドルに対し<ref name="maj199910">「30球団マンスリー・リポート セントルイス・カージナルス/入団を拒否した因縁の地へ初遠征 球場の憎悪を一身に浴びたドリュー」『[[月刊メジャー・リーグ]]』1999年10月号、[[ベースボールマガジン]]社、1999年、[[雑誌コード|雑誌]] 08625-10、82頁。</ref>、代理人の[[スコット・ボラス]]が総額1,100万ドルの契約金を要求し決裂したと言われている<ref name="library"/><ref name="maj199809"/>。その後、[[独立リーグ]][[ノーザンリーグ]]の[[セントポール・セインツ]]でプレーすることになった。44試合に出場し、[[打率]].318・18[[本塁打]]・50[[打点]]を記録し、リーグの最優秀新人賞を受賞<ref name="library"/>。
{{by|1998年}}の[[1998年のMLBドラフト|MLBドラフト]]で[[セントルイス・カージナルス]]からドラフト1巡目(全体5番目)で指名され総額850万ドルの4年契約を結び、契約金はドラフト指名選手として史上最高となる300万ドル<ref name="maj199809">「30球団マンスリー・リポート セントルイス・カージナルス 噂の新人と4年総額850万ドルで契約ドリュー外野手が投げかける波紋」『[[月刊メジャー・リーグ]]』1998年9月号、[[ベースボールマガジン]]社、1998年、[[雑誌コード|雑誌]] 08625-9、80頁。</ref>。球団関係者は、[[ロースター (MLB)|ロースター]]の枠が40人に拡大される9月にメジャー昇格を果たす確率が高いと見ており<ref name="maj199809"/>、AA級とAAA級で45試合出場し、[[9月8日]]の[[マーク・マグワイア]]がシーズン62本塁打を放ち、シーズン最多本塁打記録した試合でメジャーデビューをしている<ref name="library"/>。
 
{{by|1999年}}8月10日にメジャー昇格後初の[[ベテランズ・スタジアム]]でのフィリーズ戦となった{{by|1999年}}[[8月10日]]、球場全体から憎悪の視線がドリューへ向けられた<ref name="maj199910"/>。8回にドリューが守備に就いた時にはフィリーズファンが[[乾電池]]を投げ込み、試合が10分間中断となり、球審は「これ以上騒ぎが大きくなれば[[没収試合]]にするぞ」と警告を促した<ref name="maj199910"/>。
翌{{by|1998年}}に[[セントルイス・カージナルス]]からドラフト1巡目(全体5番目)で指名され総額850万ドルの4年契約を結び、契約金はドラフト指名選手として史上最高となる300万ドル<ref name="maj199809">「30球団マンスリー・リポート セントルイス・カージナルス 噂の新人と4年総額850万ドルで契約ドリュー外野手が投げかける波紋」『[[月刊メジャー・リーグ]]』1998年9月号、[[ベースボールマガジン]]社、1998年、[[雑誌コード|雑誌]] 08625-9、80頁。</ref>。球団関係者は、[[ロースター (MLB)|ロースター]]の枠が40人に拡大される9月にメジャー昇格を果たす確率が高いと見ており<ref name="maj199809"/>、AA級とAAA級で45試合出場し、[[9月8日]]の[[マーク・マグワイア]]がシーズン62本塁打を放ち、シーズン最多本塁打記録した試合でメジャーデビューをしている<ref name="library"/>。
 
=== ブレーブス時代 ===
メジャー昇格後初の[[ベテランズ・スタジアム]]でのフィリーズ戦となった{{by|1999年}}[[8月10日]]、球場全体から憎悪の視線がドリューへ向けられた<ref name="maj199910"/>。8回にドリューが守備に就いた時にはフィリーズファンが乾電池を投げ込み、試合が10分間中断となり、球審は「これ以上騒ぎが大きくなれば没収試合にするぞ」と警告を促した<ref name="maj199910"/>。
{{by|2003年}}オフに[[アトランタ・ブレーブス]]にトレードされ、{{by|2004年}}は自己最高の31本塁打・93打点を記録し、[[6月30日]]から[[7月26日]]にかけて[[ジェフ・ケント]]の25試合連続安打に次ぐこの年リーグ2番目の長さとなる22試合連続安打を記録し<ref>{{cite web |url=http://findarticles.com/p/articles/mi_m0FCI/is_6_67/ai_n27888583|title=Players with 20-game hitting streaks, one season |language=英語||work=BNET Today |accessdate=2008年8月28日|accessyear=2008年}}</ref>、MVPの投票では6位に入っている。シーズン後の12月にブレーブスの3年総額2500万ドルを上回る金額を提示した[[ロサンゼルス・ドジャース]]と5年5,500万ドルの契約を結んだ<ref>{{cite web |url=http://sports.espn.go.com/mlb/news/story?id=1951346|title=Dodgers move quickly after killing Unit deal|language=英語||work=ESPN.com|accessdate=8月28日|accessyear=2008年}}</ref>
 
=== ドジャース時代 ===
{{by|2003年}}オフに[[アトランタ・ブレーブス]]にトレードされ、{{by|2004年}}は自己最高の31本塁打・93打点を記録し、[[6月30日]]から[[7月26日]]にかけて[[ジェフ・ケント]]の25試合連続安打に次ぐこの年リーグ2番目の長さとなる22試合連続安打を記録し<ref>{{cite web |url=http://findarticles.com/p/articles/mi_m0FCI/is_6_67/ai_n27888583|title=Players with 20-game hitting streaks, one season |language=英語||work=BNET Today |accessdate=8月28日|accessyear=2008年}}</ref>、MVPの投票では6位に入っている。シーズン後の12月にブレーブスの3年総額2500万ドルを上回る金額を提示した[[ロサンゼルス・ドジャース]]と5年5,500万ドルの契約を結んだ<ref>{{cite web |url=http://sports.espn.go.com/mlb/news/story?id=1951346|title=Dodgers move quickly after killing Unit deal|language=英語||work=ESPN.com|accessdate=8月28日|accessyear=2008年}}</ref>。
2003年シーズン後の12月にブレーブスの3年総額2500万ドルを上回る金額を提示した[[ロサンゼルス・ドジャース]]と5年5,500万ドルの契約を結んだ<ref>{{cite web |url=http://sports.espn.go.com/mlb/news/story?id=1951346|title=Dodgers move quickly after killing Unit deal|language=英語||work=ESPN.com|accessdate=2008年8月28日}}</ref>。
 
{{ボストン・=== レッドソックス}}時代 ===
{{by|2006年}}オフにドジャースとの間に残っていた3年3,300万ドルの契約を自ら放棄し退団。[[ボストン・レッドソックス]]と5年7,000万ドルの契約で合意。故障が多いため契約に「肩の古傷の再発で35日以上の故障者リストに入ったり、新たな故障でプレーできなくなったりした場合は、最後の2年間の契約を破棄できる」という条項がある<ref>{{Cite book|和書|authorauthor1=友成那智|authorlink1=友成那智|author2=村上雅則|authorlink2=村上雅則|year=2008|title=メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008|publisher=[[廣済堂出版]]|pagespage=49|id=ISBN 978-4-331-51300-2}}</ref>。また、契約合意直後の身体検査で右肩に異常が見つかったため、正式な契約締結は遅れた<ref>『月刊[[スラッガー (雑誌)|スラッガー]]』2007年3月号、44ページ</ref>。
 
{{by|2008年}}6月に初の[[プレイヤー・オブ・ザ・マンス|月間MVP]]を受賞し、[[デビッド・オルティーズ]]の離脱の影響を最小限に食い止めた<ref>「2008年後半戦チーム総点検 ボストンレッドソックス 投打の主力が故障離脱も分厚い選手層でカバー」『[[スラッガー (雑誌)|スラッガー]]』2008年9月号、[[日本スポーツ企画出版社]]、2008年、雑誌15509-9、37頁</ref>。初選出となった[[2008年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]では7回に同点2ランを放つなど4打数2安打2打点の活躍を見せMVPに輝いた。
 
{{by|2009年}}は、打率.279・24本塁打・68打点という成績を記録。レッドソックス移籍後では初の20本以上のシーズンとなった。
{{by|2009年}}は、打率.279・24本塁打・68打点という成績を記録。本塁打に関しては、自身の中で3番目に多い本数であり、レッドソックス移籍後では初の20本塁打以上のシーズンとなった。{{by|2010年}}続く2010年は、2年連続で20本塁打以上のホームランを放ったが、チャンスでの弱さが目立ち、本塁打22本中16本がソロだった<ref name=senshumeikan2011>{{Cite book|和書|author=友成那智、村上雅則|year=2011|title=メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2011|publisher=廣済堂出版|pages=78頁|id=ISBN 978-4-331-51518-1}}</ref>。{{by|2011年}}は、5年契約の最終年になるが、友成那智氏は今まで契約最終年に好結果を残してきた事から、2011年も好成績を残す可能性があると見ている<ref name=senshumeikan2011/>。
 
{{by|2009年}}は、打率.279・24本塁打・68打点という成績を記録。本塁打に関しては、自身の中で3番目に多い本数であり、レッドソックス移籍後では初の20本塁打以上のシーズンとなった。{{by|2010年}}続く2010年は、2年連続で20本塁打以上のホームラン本塁打を放ったが、チャンスでの弱さが目立ち、本塁打22本中16本がソロだった<ref name=senshumeikan2011>{{Cite book|和書|author=友成那智、村上雅則|year=2011|title=メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2011|publisher=廣済堂出版|pagespage=78|id=ISBN 978-4-331-51518-1}}</ref>。{{by|2011年}}は、5年契約の最終年になるが、友成那智氏は今まで契約最終年に好結果を残してきた事から、2011年も好成績を残す可能性があると見ている<ref name=senshumeikan2011/>。
== 獲得タイトル・表彰・記録 ==
 
* [[MLBオールスターゲーム]]選出 1回:[[2008年のMLBオールスターゲーム|2008年]]
{{by|2011年}}、5年契約を満了しFAとなり、引退した。
* MLBオールスターゲーム[[MLBオールスターゲーム最優秀選手|MVP]] 1回:2008年
 
== 年度別打撃成績詳細情報 ==
=== 年度別打撃成績 ===
{|{{年度別打撃成績|リーグ=メジャーリーグベースボール}}
|-
90 ⟶ 106行目:
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2007}}
|rowspan="45" style="text-align: center;"|[[ボストン・レッドソックス|BOS]]
|140||552||466||84||126||30||4||11||197||64||4||2||0||6||79||10||1||100||12||.270||.373||.423||.796
|-
102 ⟶ 118行目:
|139||546||478||69||122||24||2||22||216||68||3||1||0||4||60||3||4||105||12||.255||.341||.452||.793
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2011}}
!colspan="2"|通算:13年
|148581||5867286||4925248||92123||138255||2676||471||2384||245775||77322||870||361||190||413||82933||484||532||107958||822||.281222||.387315||.499302||.886617
|-
!colspan="2"|通算:13:14
|1566||6153||5173||944||1437||273||48||242||2532||795||87||37||19||44||862||52||55||1137||84||.278||.384||.489||.873
|}
* 20102011年度シーズン終了時
 
=== 記録 ===
* [[MLBオールスターゲーム]]選出 1回:[[2008年のMLBオールスターゲーム|2008年]]
* MLBオールスターゲーム[[MLBオールスターゲーム最優秀選手|MVP]] 1回:2008年
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[メジャーリーグベースボールの選手一覧 D]]
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|J. D. Drew}}
{{MLBstats |mlb=136770 |espn=3956 |br=d/drewj.01 |fangraphs=1152 |cube=D/J.D.-Drew |brm=drew--001dav }}
 
{{ボストン・レッドソックス}}
{{MLBオールスターMVP}}
{{2007 ボストン・レッドソックス}}
 
{{DEFAULTSORT:とりゆう しえいてい}}
{{Baseball-biography-stub}}
[[Category:1975年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:ジョージア州の人物]]
[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]]
[[Category:フロリダ州立大学出身の野球選手]]
[[Category:セントルイス・カージナルスの選手]]
[[Category:アトランタ・ブレーブスの選手]]
[[Category:ロサンゼルス・ドジャース及びブルックリン・ドジャースの選手]]
[[Category:ボストン・レッドソックスの選手]]
[[Category:MLBオールスターゲーム選出選手]]
[[Category:MLBオールスターゲームMVP]]
[[Category:ワールドシリーズ優勝選手]]
[[Category:ジョージア州バルドスタ出身の人物]]
[[Category:1975年生]]
[[Category:存命人物]]
 
 
[[en:J. D. Drew]]
{{Baseball-biography-stub}}
[[fr:J. D. Drew]]
[[pt:J.D. Drew]]
[[zh:J·D·德鲁]]