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== ヘリオドロスの間 ==
コンスタンティヌスの間から西へ進むと、ヘリオドロスの間である。この部屋の絵画は[[1511年]]から[[1514年]]にかけて描かれた。部屋の名前は、その絵画の一つから取られている。この部屋は当時は公開されてはおらず、謁見の間であったと考えられているが、神またはキリストが教会に与えた保護を主題としている<ref>Roger Jones and Nicholas Penny, ''Raphael,'' New Haven, 1983, 113; Ingrid D. Rowland, "The Vatican Stanze," in ''The Cambridge Companion to Raphael,'' ed. Marcia B. Hall, Cambridge, 2005, 111.</ref>。この部屋には4つの絵画がある。「[[神殿から追放されるヘリオドロスの神殿からの追放]]」と「[[ボルセーナのミサ]]」では、ラファエロは依頼主であるユリウス2世(パトロン、資金提供者でもある)を絵の題材への関与ある者、もしくは見守る者として描いている。ユリウス2世の死後に描かれた「大教皇レオとアッティラの会談」では、それがユリウス2世の後を継いだレオ10世になっている。
 
この部屋の絵画は「署名の間」のものよりも後に描かれており、ラファエロのスタイルの変化を見てとることができる。教皇の図書室に合わせた動きの少ない静かな印象と比較すると、劇の要素を含んだ物語的な肖像画と、フレスコ画の表現力を最大に活かす工夫が見い出される。絵画中に描かれている対象物をより少なく、そしてより大きくすることで、そのものの持つ動きや感情の印象を、強く直接的に与える。また劇場のライティングと同様の効果を取り入れることで、対象物を際立たせ、その緊張感を高めている。
 
=== ヘリオドロスの神殿から追放されるヘリオドロス ===
[[File:Raphael Heliodorus.jpg|center|thumb|600px|Raphael, ''The Expulsion of Heliodorus from the Temple,''ラファエロ『[[神殿から追放されるヘリオドロス]]』 1511-121512年]]
ヘリオドロスの神殿から追放されるヘリオドロス」では、ラファエロは『[[マカバイ記]]』IIの第三章21節〜28節によるヘリオドロスの物語を描いている。これによると、ヘリオドロスは財宝を奪うために[[エルサレム神殿]]に向けて送り出されたが、僧侶たちの祈りに天使が答えて、ヘリオドロスたちを打ち負かし、神殿から追い返した。ここに描かれている絵画は、ラファエロがこれ以前に署名の間で制作した絵画に比べて、劇的な要素が強調されている。絵画の主題は僧侶の祈り、ヘリオドロス、ヘリオドロスを追放する天使で、いずれも静止しているが、天使たちは画面の外に向かって威嚇するように描かれている。ユリウス2世の左側に、イスに座っている目撃者たちを支える[[スイス傭兵#バチカンのスイス衛兵隊|スイス衛兵]]が描かれている。これは、教皇領を奪おうとする教区の世俗指導者を牽制するスイス衛兵の戦いを象徴している<ref>Jones and Penny, 117; Rowland, 112.</ref>。
 
=== ボルセーナのミサ ===
[[File:Massatbolsena.jpg|thumb|center|600px|Raphael, ''The Mass at Bolsena,''ラファエロ『[[ボルセーナのミサ]]』 1512]]
[[ボルセーナのミサ]]」は、[[1263年]]に[[聖変化]]の教義に疑いを持っていたボヘミアの僧侶が、ローマ近くの[[ボルセーナ]]でミサを行っていた際、パンから血液が流れ出たという逸話を描いたものである。パンが載っていたテーブルクロスは、聖宝として[[オルヴィエート]]近くに保存された。ユリウス2世は[[1506年]]にそこを訪れ、聖宝に祈りを捧げた<ref>Jones and Penny, 117; John Pope-Hennessy, ''Raphael,'' London, 1970, 112; Rowland, 113.</ref>。絵画中で、ユリウス2世はミサに参列してこの奇跡を目撃する者として描かれている。ユリウス2世は祭壇の左に跪いており、その後ろにローマ教皇庁の役人が立っているのが描かれている。ラファエロはユリウス2世を、奇跡に対して静かに祈りを捧げる姿で描いており、[[13世紀]]に目撃したであろう世俗の人々とは位が違うことを表している。
 
=== 大教皇レオとアッティラの会談 ===
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「大教皇レオとアッティラの会談」は、[[レオ1世 (ローマ教皇)|レオ1世]]と[[フン族]]の王[[アッティラ]]の停戦交渉を描いている。また[[ペトロ|聖ペテロ]]と[[パウロ|聖パウロ]]も上空に剣を持った姿で描かれている。ラファエロによる原案では、ユリウス2世の姿でレオ1世を背景中に描こうとしていたことが分かっている。しかしユリウス2世が死去した後、後を継いだ教皇は名前にレオを選び、ラファエロに対してレオ1世を中央に、自分の姿を使って描くよう指示したのではないかと考えられている<ref> Jones & Penny, 118-121; Pope-Hennessy, 115.</ref>。
 
=== 聖ペテロの ===
[[File:Deliveranceofstpeter.jpg|thumb|center|600px|Raphael,ラファエロ『[[聖ペテロの解放 ''Deliverance of Saint Peter,''(ラファエロ)|聖ペテロの解放]]』 1514]]
[[聖ペテロの (ラファエロ)|聖ペテロの解放]]」には、『[[使徒行伝]]』第12章に述べられている、ペテロの釈放がどのように行われたのかを示す3つの逸話が描かれている。この絵画は、キリストの代理者として、人間としての制約から解き放たれているローマ教皇の力を示すものである。ユリウス2世はかつては枢機卿としてローマのサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会 (San Pietro in Vincoli) に所属しており、その後に教皇になった。そのため絵画は一般的な意味として制度としてのローマ教皇を表し、同時に狭義にはユリウス2世を表している<ref>Jones & Penny, 118; Rowland,112-113.</ref>。このフレスコ画では月の明かり、松明の明かり、天使の後光など明かりの表現が特徴である。特に天使の後光が印象的に描かれている。
 
== 署名の間 ==
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=== 聖体の論議 ===
[[File:Raffael 078.jpg|thumb|center|600px|Raphael, ''Disputation of the Holy Sacrament''ラファエロ『[[聖体の論議]]』]]
ラファエロが1508年または[[1509年]]、最初に描いたのは「[[聖体の論議]]」である。この名前は、[[秘跡]]に対する祈りのことを示す、古い呼び方である。絵画中では地上と天上の両方に広がる存在として教会が表現されている。
 
=== アテナイの学堂 ===
[[File:Raffael_058.jpg|thumb|center|600px|Raphael, ''The School of Athens''ラファエロ『[[アテナイの学堂]]』]]
1509年の終わりに、ラファエロは「聖体の論議」の向かい側の壁に次の絵を描き始めた。これは「[[アテナイの学堂]]」と名付けられ、この部屋の隣のユリウス2世の書庫が、学問の部屋としての位置づけを持っていたことから、哲学的な理性によって真実を探ることが主題となっている。ラファエロの作品中、もっとも広く知られているものであろう。
 
=== パルナッソス ===
[[File:Raffael 072.jpg|thumb|center|600px|Raphael,ラファエロ『[[パルナッソス ''The Parnassus''(ラファエロ)|パルナッソス]]』]]
ラファエロは1509年の終わりから[[1510年]]の初めあたりに、3つ目の絵画の制作を始めた。これが「[[パルナッソス (ラファエロ)|パルナッソス]]」で、[[ギリシャ神話]]では[[アポローン]]と[[ムーサ|ミューズ]]たちが住み詩作が祭られている場所である、とされている。この絵画では、アポローンとミューズの周囲に、当時の詩人が多く描かれている。
 
=== 枢要徳 ===
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=== ボルゴの火災 ===
[[File:Giulio Romano 001.jpg|center|thumb|600px|''The Fire in the Borgo''『[[ボルゴの火災]]』]]
[[ボルゴの火災]]」は「教皇の書 (羅: [[:en:Liber Pontificalis|Liber Pontificalis]])」に記されているレオ4世による奇跡を描いた絵画である。カトリック教会によると、[[847年]]にローマの一地方であるボルゴで起こった火災を、レオ4世が祝福 (benediction) により鎮火したとされている。
 
=== オスティアの戦い ===
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[[Category:バチカンの文化]]