「1982 FIFAワールドカップ」の版間の差分

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1次リーグ・グループ2の西ドイツ対[[サッカーオーストリア代表|オーストリア]]戦では[[談合試合]]が行われ、物議を醸した。[[サッカーアルジェリア代表|アルジェリア]]に第1戦で敗れている西ドイツは欧州予選同組で2勝しているオーストリアに勝利することが突破への必要十分条件であったが、西ドイツの勝利が2点差以内ならば両チーム揃って得失点差でアルジェリアを上回り、次のラウンドに進めることが分かっていた。アルジェリアは既に前日で最後の試合を終えており、次のラウンドの進出に影響を与えることは出来なかった。西ドイツは試合開始早々に1点を決め、その後両チームは[[ロングボール]]の応酬を行い、結果的に得失点差でアルジェリアが敗退した。この試合は開催地となった地名から「ヒホンの恥」と呼ばれている。アルジェリアは談合試合ではないかとFIFAに提訴したが、認められなかった{{Sfn|W伝説1_80|2010|p=97}}。前回大会の2次リーグ・グループB最終戦アルゼンチン対ペルーで起こった八百長疑惑に加え今回の件が重なったことでFIFAは危機感を強め、以後のワールドカップでは[[グループリーグ]]突破の可能性の有無にかかわらず、同一組の最終戦は同時刻・別会場で開催されることになった。
 
1次リーグ・グループ3では[[サッカーハンガリー代表|ハンガリー]]が[[サッカーエルサルバドル代表|エルサルバドル]]に10対1という大差で圧勝した。'''この試合でハンガリーが挙げた10得点は、「チーム1試合最多得点」として20182023年時点においても破られていない。'''だが、ハンガリーはアルゼンチンに完敗を喫した上にベルギーに土壇場で同点に追いつかれドローに終わり、1次リーグで敗退した。エルサルバドルは[[1970 FIFAワールドカップ|1970年大会]]に続き3連敗で大会を去った。
 
開催国の[[サッカースペイン代表|スペイン]]はチーム状態が整わず、地元贔屓のジャッジ([[ホームタウンディシジョン]])に助けられて1次リーグ・グループ5を2位で何とか突破したものの、最後まで精彩を欠き2次リーグで敗退。[[サッカー北アイルランド代表|北アイルランド]]は[[パット・ジェニングス]]の活躍もあってグループ5を首位で通過したが、強豪が集う2次リーグではフランスに大敗するなど6失点を喫して敗退した。
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アフリカ勢の[[サッカーアルジェリア代表|アルジェリア]]は初戦で西ドイツを2対1で破る金星を含む2勝1敗、[[サッカーカメルーン代表|カメルーン]]は3戦3引き分けながらGK[[トーマス・ヌコノ]]の好守により3試合をイタリア戦の1失点のみに抑え、ヨーロッパの強豪国を追い詰めた。この大会では前回優勝国のアルゼンチンを始め南米勢は全て2次リーグまでに姿を消し、ベスト4は全て欧州勢で独占された。
 
この大会のベストマッチの一つとして挙げられるのは、準決勝の西ドイツ対フランス戦である。西ドイツのGK[[ハラルト・シューマッハー]]が、シュートを放とうとしていたフランス代表の[[パトリック・バチストン]]と交錯、バチストンは気絶し負傷退場を余儀なくされた<ref>後に脊髄を折る重傷であったことが判明した。</ref>。このシーンではPK、カードの提示どころか反則さえも取られることなく、ゴールキックから再開された。しかし、これを除けばゲーム自体は好試合であり、1対1で迎えた延長戦で一時は3対1と離された西ドイツが3-3に追いつき、結果的に[[PK戦]]を5対4で制した西ドイツが決勝へ進出した。PK戦が導入された1978年大会<ref name="786746.html">{{citeCite web|和書 |url=https://www.soccer-king.jp/news/world/wc/20180630/786746.html |title=勝負の鍵を握るのは11メートルの戦い? W杯におけるPK戦のデータをおさらい |publisher=サッカーキング |date=2018-06-30 |accessdate=2018-09-20 }}</ref><ref>{{citeCite web|和書 |url=https://www.footballchannel.jp/2018/07/04/post279781/ |title=イングランド、W杯史上初のPK戦勝利。4度目の挑戦で負の歴史に終止符【ロシアW杯】 |publisher=フットボールチャンネル |date=2018-07-04 |accessdate=2018-09-20 }}</ref>ではPK戦の機会はなく、今大会の西ドイツが最初のPK戦勝利チームになった<ref name="786746.html" />が、決勝ではロッシらを擁するイタリアに敗れた。
 
イタリアはヨーロッパ地区予選でもユーゴスラビアに次ぐグループ2位での通過であった。大会が始まってからもロッシら攻撃陣が振るわず同代表史上初めて1次リーグを勝利なしで終え、3分で総得点数で辛うじてカメルーンを1点上回り2次リーグ進出という苦しい試合ぶりだった。2次リーグでは優勝候補ブラジル、前回優勝国アルゼンチンが同居するグループCに組み込まれたが、アルゼンチンを2-1で破り、ブラジル戦ではそれまで無得点のロッシがハットトリックの活躍で3-2と勝利を収め決勝トーナメントへ進出。準決勝でもロッシの2得点でポーランドを2-0と下し、決勝で西ドイツを相手にロッシの先制点を皮切りに3点差をつけ、終盤に1点を返されるが3-1で勝利し、3度目の優勝を勝ち取った。
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この大会では、「'''一度は認定された得点の取り消し'''」という事態が起きた。
 
6月21日に行われた1次リーグ・グループ4の[[サッカーフランス代表|フランス]]対[[サッカークウェート代表|クウェート]]戦、3対1でフランス優勢の状況にあった後半40分の出来事である。フランス選手[[アラン・ジレス]]の放ったシュートがクウェートのゴールネットを揺らし、[[:en:Myroslav Stupar|ストパール]]主審が一旦はゴールを宣言した。しかし、クウェート側から「プラティニのパス直後のタイミングでスタンドから笛の音が聞こえ、それをオフサイドと勘違いしてプレーを止めた」という抗議がなされた。観戦中だったクウェートの[[シェイク・ファハド・アル=サバーハ|ファハド]]王子(当時)がメインスタンドから選手達にピッチからの引き上げを命ずるようなジェスチャーを送った。審判団と大会役員が選手の説得に試みるが収がつかず、さらに王子がピッチに乱入し何事かを審判に告げたところ、「不測の事態が起こった」という理由によって、フランスの得点は取り消され、3対1のままでの試合再開となったのである{{Sfn|W伝説1_80|2010|p=97}}。結局、試合そのものはフランスがその後に1点追加して4対1で大勝しており、この不可解な判定が試合結果やグループ4の最終順位に直接の影響を及ぼすことは無く、事なきを得たものの、試合・審判の公正を揺るがす出来事としてサッカー史に残ることになった。
 
当然ながらこの一件は問題視され、後日、[[ウクライナ人]]のストパール主審が一時資格停止処分を受け、ファハド王子は警告処分を受け、クウェートサッカー協会に対しては25,000[[スイスフラン]]の罰金が科された{{Sfn|W伝説1_80|2010|p=97}}。なお、後にこの問題の当事者であるファハド王子も[[クウェート侵攻]]の際に[[イラク軍]]によって[[射殺]]されており、当時ファハド王子が何を語ったのかは現在に至るまで明らかにされていないが、21世紀に至って[[ハンドボール]]など多くのスポーツで問題視される事になった、[[中東]][[産油国]]の莫大な[[オイルマネー]]が競技を統括する国際団体に流入することで発生する、国際スポーツにおける競技の公正確保・審判の権威維持にまつわる諸問題、いわゆる「[[中東の笛]]」にも繋がる問題の一つとされる<ref>なお、ファハド王子は[[2008年北京オリンピックのハンドボール競技]]で無効とされたアジア予選を仕切っていた[[アジアハンドボール連盟]]会長であるアフマド王子の父であり、同連盟の初代会長でもある。</ref>。
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== 結果 ==
1982年当時における勝ち点の計算方法は、勝利の場合勝ち点2、引き分けの場合1であったため、以下この勝ち点を適用して結果を記す。
=== 1次リーグ ===
==== グループ 1 ====