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[[Image:Locator-map-Puerto-Rico-Vieques.svg|right|thumb|250px|ビエケス島の位置]]
'''ビエケス島'''(ビエケスとう、Isla de Vieques)[[カリブ海]]の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]領[[プエルトリコ]]にある島で、プエルトリコ本島から南東約10Kmの沖合い、[[ヴァージン諸島]]の沖合いに浮かぶ島である。また地理的にもヴァージン諸島にも近い事から[[クレブラ島]]と共に[[スパニッシュ・ヴァージン諸島]]を形成している島でもある。
 
面積は約150[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]、人口は9531人(2000年)、中心地は[[ビエケス]]
 
== 歴史 ==
先住民の[[タイノ族]]が定住していたが、[[1493年]][[クリストファー・コロンブス]]により発見された。[[1511年]]に[[スペイン]]人がビエケス島を征服しにやって来ると、タイノ族の反乱が始まった。ビエケス島のタイノ族の首長であるヤウレイボーとカチマーの2人の兄弟の指導のもと、スペイン人と戦ったが、[[1514年]]ビエケス島はスペインにより占領され、ヤウレイボーとカチマーは戦死してしまう。残りのタイノ族の人達はプエルトリコに奴隷として連れて行かれた。

1600年代から1700年代は[[イギリス]]や[[フランス]]、[[デンマーク]]などの[[海賊]]などが島に来るようになり、イギリスが島を占領しようとしていたが、スペイン軍が追放した。プエルトリコ島を植民地化していたスペインは[[1811年]]プエルトリコ島の知事に要望により、ビエケス島の植民地化を決意した。[[1816年]]に[[シモン・ボリバル]]がビエケス島訪問。スペインは[[1843年]]に島に町や村など設立させ、砦の建設も開始した。植民地化した。また[[サトウキビ]]のプランテーションで島は栄える。

[[1898年]]スペインは[[アメリカ]]と戦争([[米西戦争]])に突入するが敗北。プエルトリコはアメリカ領となるが、ビエケス島もそれに属する事となった。砂糖で栄えていたが[[1915年]]砂糖のプランテーションで働く労働者がストライキを起こし、暴動が起きる。

[[1941年]]以来、カリブ海における[[アメリカ海軍]]の軍事練習地となる(島民とのトラブルなども起きている)。
 
== ギャラリー ==