「コムエアー5191便離陸失敗事故」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
改名に伴う導入部の修正
m 外部リンクの修正 http:// -> https:// (www.cnn.com) (Botによる編集)
 
(22人の利用者による、間の41版が非表示)
1行目:
{{Infobox aircraft occurrence
{{改名提案|コムエアー5191便墜落事故|t=ノート:コムエアー旅客機墜落事故#「コムエアー5191便墜落事故」への改名提案|date=2014年3月}}
|name= コムエアー 5191便
{{Infobox Airliner incident
|画像=Comair Flight 5191(N431CA) wreckage.jpg
|name= コムエアー5191便
|Image caption=コックピットの残骸
|画像=Comair CRJ100ER JAX N941CA.jpg
|Image caption=コムエアー塗装が施された同型機(CRJ-100ER)
|Date= [[2006年]][[8月27日]]
|Type= 短い滑走路誤進入取り違えによる[[オーバーラン]]
|Site=[[ファイル:Flag of the United States.svg|20px]] {{USA}}・[[ケンタッキー州]] [[レキシントン (ケンタッキー州)|レキシントン]] [[ブルーグラス空港]]
| coordinates = {{Coord|38.0379|N|84.6154|W|type:event_region:US-KY|display=it}}
|Fatalities= 49
|Aircraft Type= [[ボンバルディア CRJ|ボンバルディア CRJ-100ER]]
|Injuries= 1
|Operator={{Flagicon|USA}} [[コムエアー]]([[デルタ・コネクション]]便として運航)
|Aircraft Type= [[CRJ]]-100ER
|Tail Number= {{Airreg|N|431CA}}
|Operator=[[ファイル:Flag of the United States.svg|20px]] [[コムエアー]]([[デルタ・コネクション]]として)
|origin ={{Flagicon|USA}} [[ブルーグラス空港]]
|Tail Number= N431CA
|stopover =
|Passengers= 47
|destination ={{Flagicon|USA}} [[ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港]]
|Crew= 3
| passengers = 47
|Survivors= 1
| crew = 3
| fatalities = 49
| injuries = 1
| survivors = 1
}}
'''コムエアー5191便離陸失敗事故'''(コムエアー5191びんりりくしっぱいじこ)とは、[[2006年]][[8月27日]]にアメリカ合衆国で発生した航空事故である。
[[Image:KLEX USGS Comair Paths.jpg|thumb|200px|right|ブルーグラス空港における経路。<br/>
{{legend|#FF0000|(上の矢印)滑走路26へ向かった事故機の経路。矢印の末端がおおよその落下地点。}}
{{legend|#0000FF|(下の矢印)本来の、滑走路22を使用した場合の経路。}}
'''X''' は閉鎖されていたタキシーウェイ。]]
'''コムエアー5191便墜落事故'''(コムエアー5191びんついらくじこ)とは、[[2006年]][[8月27日]]に[[コムエアー]]5191便([[ボンバルディア・エアロスペース|ボンバルディア]][[ボンバルディア CRJ|CRJ-100ER]]型機)が、[[アメリカ合衆国]]・[[ケンタッキー州]]の[[ブルーグラス空港]]で離陸に失敗し、墜落した[[航空事故]]である。5191便は午前6時に[[レキシントン (ケンタッキー州)|レキシントン]]を離陸し、午前7時18分に[[アトランタ]]・[[ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港|ハーツフィールド国際空港]]に到着する予定だった。乗員3名、乗客47名のうち49名が死亡し、副操縦士は唯一の生存者だったが重傷を負った。
 
[[ブルーグラス空港]]から[[ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港]]へ向かっていた[[コムエアー]]5191便([[ボンバルディア CRJ|ボンバルディア CRJ-100ER]])が離陸に失敗し、乗員乗客50人中49人が死亡した{{sfn|report|p=2}}。
コムエアーは、デルタ航空が組織した統一運航ブランドである[[デルタ・コネクション]]に参加しており{{sfn|NTSB|2007|p=36}}、事故機にはデルタ航空5191便の便名がつけられていた{{sfn|DominicanToday|2006}}が、本項目名には、アメリカ[[国家運輸安全委員会]](以下、NTSB)の報告書で用いられているコムエアー5191便を用いる{{sfn|NTSB|2007}}。
 
5191便は滑走路22からの離陸を許可されたが、パイロットは誤って滑走路26からの離陸を行った。滑走路26はCRJ-100が安全に離陸するのには短すぎたため、機体は浮遊する前に滑走路をオーバーランした<ref name="ibs">{{cite news|url=http://www.wsbtv.com/news/9743984/detail.html |publisher=[[Internet Broadcasting Systems|IBS]] |accessdate=August 29, 2006 |title=NTSB: Crashed Jet On Wrong Runway |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070927222554/http://www.wsbtv.com/news/9743984/detail.html |archivedate=September 27, 2007 }}</ref><ref>{{cite news|url=https://news.yahoo.com/s/ap/20060827/ap_on_re_us/kentucky_crash|title=Comair plane took off from wrong runway|author=McMurray|first=Jeffrey|date=August 27, 2006|work=|access-date=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20060907044841/http://news.yahoo.com/s/ap/20060827/ap_on_re_us/kentucky_crash|archivedate=September 7, 2006|agency=Associated Press}}</ref>。事故時に操縦していたのは副操縦士で、彼は事故の唯一の生存者だった<ref name="cvs">{{cite news|url=https://dms.ntsb.gov/public/42000-42499/42335/361245.pdf|title=CVR transcript|last=|first=|date=|work=|accessdate=March 22, 2010|publisher=National Transportation Safety Board|id=DCA06MA064}}</ref>。[[国家運輸安全委員会]]は最終報告書で事故の原因が[[パイロットエラー]]である可能性が高いと述べた<ref name="LHJ 2008">{{cite news|url=http://theairlinewebsite.com/topic/385030-lawyer-claimed-crash-victims-shared-blame/|title=Lawyer claimed 5191 victims shared blame Defense by Co-Pilot to Be Withdrawn|author=Ortiz|first=Brandon|date=January 25, 2008|accessdate=July 7, 2013|newspaper=Lexington Herald-Leader}}</ref>。
== 機体 ==
事故に遭った機体は、カナダ、ボンバルディア・エアロスペース社製カナデア・リージョナルジェット CRJ-100ER型機(定員50名、登録記号N431CA、製造番号7472)であり、カナダで[[2001年]][[1月]]に製造され、[[1月30日]]にデルタ航空に納入された。
 
== 事故飛行の詳細 ==
=== 事故機 ===
[[フライトデータレコーダー]]および[[コックピットボイスレコーダー]]の初期解析結果によれば、5191便はレキシントン・ブルーグラス空港においてほとんどの[[旅客機]]が利用する[[滑走路]]22(有効長2,135 )からの離陸を許可された。ところが5191便は、機長が「滑走路22(から離陸)」と復唱して確認していながら、点灯されておらず長さも1,067 mとかなり短い[[滑走路]]26に進入してしまった。それから機長は、離陸のため副操縦士にコントロールを渡した。このときの5191便の重量は49,000[[ポンド (質量)|ポンド]](22,000[[キログラム]])を越えており、関係者の話では5191便が離陸するためには最低でも1,079mの滑走距離が必要であっただろうといわれる。
[[File:Comair Canadair CRJ-100ER N927CA.jpg|thumb|同型機のCRJ-100ER]]
事故機の[[ボンバルディア CRJ|ボンバルディア CRJ-100ER]](N431CA)は、製造番号7472として2001年にカナダで製造された<ref name="ComairPR">N431CA FAA registration certificate, retrieved June 19, 2008. (備考: CL600-2B19はCRJ-100の正式名称)</ref>。同年1月30日にコムエアーに納入され、総飛行時間は12,048時間、14,536サイクルを経験していた<ref name="asn">{{cite web|title=Accident description Comair Flight 5191|url=https://aviation-safety.net/database/record.php?id=20060827-0|publisher=[[Aviation Safety Network]]|accessdate=23 August 2020}}</ref><ref name="baaa">{{cite web|title=CRASH OF A CANADAIR REGIONALJET CRJ200 IN LEXINGTON: 49 KILLED|url=https://www.baaa-acro.com/crash/crash-canadair-regionaljet-crj200-lexington-49-killed|publisher=[[Bureau of Aircraft Accidents Archives]]|accessdate=23 August 2020}}</ref>。離陸時の重量、及び重心は許容範囲内に収まっていた{{sfn|report|pp=14-15}}。
 
=== 乗員 ===
パイロットが離陸を中断しようとした痕跡は残っていない。5191便は、滑走路端から浮揚する直前には137[[ノット]](254 [[キロメートル毎時|km/h]])まで加速していた。機体は空港の境界フェンスに接触したが、その先の[[有刺鉄線]]の柵には直撃を免れ、クリアエリアの地面に接触した後完全に浮揚した。次いで機体は数本の木に接触して、胴体部分と尾部とが分離し、滑走路端から800m以内の地点に落下、爆発炎上した。機体は原形を全くとどめないほど大破した。
機長は35歳の男性だった。総飛行時間は4,710時間で、CRJ-100では3,082時間の経験があり、そのうち1,567時間が機長としての乗務だった<ref name="asn"/><ref name="baaa"/>{{sfn|report|p=8}}。2004年1月14日にCL-65での飛行資格を得ており{{efn|CL-65の飛行資格にはCRJ-100での資格も含まれていた。}}、直近の飛行検査は2006年5月12日に行われていた{{sfn|report|p=8}}。このときの検査でのスコアは3/4で、標準的なスコアであったと検査官を務めたパイロットは述べた{{sfn|report|p=9}}。2006年8月25日と26日に機長と6回の飛行を行ったパイロットは、機長の性格について話しやすく、[[クルー・リソース・マネジメント]](CRM)に基づく良い雰囲気作りを行っていたと証言した。また、2006年8月上旬に機長と乗務した別のパイロットは機長は標準的な手順に従って、適切なタイミングでチェックリストを実行していたと話した{{sfn|report|p=8}}。2004年9月以降、機長はブルーグラス空港から6回の離着陸を行っていた{{sfn|report|p=9}}。
 
副操縦士は44歳の男性だった。総飛行時間は6,564時間で、そのうち940時間が機長としての乗務で、CRJ-100では3,564時間の経験があった<ref name="asn"/><ref name="baaa"/>{{sfn|report|p=11}}。副操縦士は1997年3月に[[シルバー・エアウェイズ|ガルフストリーム・インターナショナル航空]]に入社し、[[ビーチクラフト 1900]]の機長及びシミュレーター訓練のインストラクターとして勤務していた。副操縦士としてコムエアーに雇用されたのは2002年3月で、勤務は主に[[ジョン・F・ケネディ国際空港]]を中心とするものだった。2004年9月以降、副操縦士はブルーグラス空港から12回の離着陸を行っていた{{sfn|report|p=11}}。2005年11月3日にCL-65での飛行資格を得ており、直近の飛行検査は2006年4月6日に行われていた。検査官を務めた機長は、検査では特に目立った問題はなかったと証言した。2006年8月25日に乗務を行った機長は、副操縦士は飛行中の状況をよく認識していたと話した。また、2006年8月9日から13日に回の飛行を行った機長は副操縦士が良いCRMをしており、状況認識も適切で、[[ステライル・コックピット・ルール]]などの規則も守っていたと述べた{{sfn|report|p=11-12}}。
=== 原因 ===
原因は、NTSBの調査ではパイロットのミスということになっている。しかし、管制官は睡眠時間がわずか2時間で、しかも本来2人でやるべきところを人員不足で1人で作業していたと報道されていたため、実際には勤務体制のほうに問題は無かったかと疑問の声も挙がった。
 
機長、副操縦士のどちらともに医療面や生活面での問題は見られなかった。また、2人についての聞き取りで操縦やコミュニケーションに問題があったという否定的な証言は無かった{{sfn|report|p=8-14}}。
== 犠牲 ==
5191便に乗り合わせた乗客47名全員と、乗員3名のうち2名が亡くなった。
[[乗務員]]は、[[機長]]が Jeffrey Clay(35歳、1999年11月にコムエアーに採用された)、副操縦士が James M. Polehinke(44歳、2002年3月採用)、そして唯一の[[客室乗務員]]が Kelly Heyer(27歳、2004年7月採用)であった。コムエアー社長の Don Bornhorst は記者会見にて、「機長は同機種の操縦に大変熟練していた」と述べた。
 
=== 乗客 ===
副操縦士はレキシントン・ファイエット警察署の警察官および空港警備員らにより、残骸の中から救出された。2006年8月29日まで、副操縦士はケンタッキー大学付属病院において怪我の手術を受けて集中治療を受けていたという。辛うじて生き残ったものの左足切断で脳にダメージも受けた。身体障害者状態となり会社を相手取り訴訟も起こした。副操縦士を救出した警察官は、救出時に腕に火傷を負った。
{|class="wikitable" style="float:right; font-size:85%;"
|- style="background:#ccf;"
!rowspan=2|国籍||colspan=2|乗客||colspan=2|乗員||colspan=2|合計
|- style="background:#ccf;"
!合計||死者||合計||死者||合計||死者
|- valign=top
|{{USA}}||style="text-align:center;" |42||style="text-align:center;" |42||style="text-align:center;" |3||style="text-align:center;" |2||style="text-align:center;" |45||style="text-align:center;" |44
|- valign=top
|{{CAN}}||style="text-align:center;" |3||style="text-align:center;" |3||{{n/a|-}}||{{n/a|-}}||style="text-align:center;" |3||style="text-align:center;" |3
|- valign=top
|{{JPN}} {{efn|どちらも[[レキシントン (ケンタッキー州)|レキシントン]]在住だった<ref>"[http://www.courier-journal.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20070125/NEWS0104/101250060/0/NEWS01 Updated list of Flight 5191 victims]"([https://webcitation.org/6XyPUhcOK?url=http://www.courier-journal.com/apps/pbcs.dll/article?AID%3D/20070125/NEWS0104/101250060/0/NEWS01 Archive]). ''[[Lexington Courier Journal]]''</ref>}} ||style="text-align:center;" |2||style="text-align:center;" |2||{{n/a|-}}||{{n/a|-}}||style="text-align:center;" |2||style="text-align:center;" |2
|- valign=top
|'''合計'''||style="text-align:center;" |'''47'''||style="text-align:center;" |'''47'''||style="text-align:center;" |'''3'''||style="text-align:center;" |'''2'''||style="text-align:center;" |'''50'''||style="text-align:center;" |'''49'''
|-
|}
事故機の客席数は50席で、事故時には47人の乗客が搭乗していた{{sfn|report|pp=14-15}}。乗客の多くはレキシントン在住のアメリカ人だった。この中には前日に結婚し、新婚旅行でカリフォルニアを旅行していた日本人の若いカップルが含まれていた<ref>{{cite news | url=http://www.courier-journal.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20070826/NEWS01/70824074 | title=Opportunities 'stripped away' | publisher=Lexington Courier-Journal | date=August 2007}}</ref>。事故により乗客47人全員と機長、客室乗務員の合計49人が死亡し、副操縦士のみが生還した。2006年8月29日、コムエアーは搭乗者のリストを公開した<ref>{{cite web |url=https://news.delta.com/comair-releases-passenger-manifest-flight-5191|title=Comair Releases Passenger Manifest for Flight 5191|author=Delta Airlines|accessdate=August 30, 2020}}</ref><ref>{{cite web |url=https://www.wave3.com/story/5340505/victims-of-comair-flight-5191/|title=Victims of Comair Flight 5191|author=Delta Airlines|accessdate=August 30, 2020}}</ref>。
 
唯一の生存者である副操縦士は複数箇所の骨折、[[気胸]]、大量出血などの怪我を負っていた。彼は手術により左足を切断することとなった。また、事故により脳に損傷をおっており、医師はこれにより事故前後の記憶を失っていると診断した<ref name="CBSNews.com">{{cite news|url=http://www.cbsnews.com/stories/2006/10/03/national/main2059120.shtml|publisher=[[CBS News]]|accessdate=October 3, 2006|date=October 3, 2006|title=Comair Crash Survivor Leaves Hospital; Co-Pilot, The Lone Survivor Of Kentucky Plane Crash, To Begin Rehabilitation}}</ref>。2012年5月時点で副操縦士は車椅子を使用していた<ref>{{cite web|title='A horrendous, horrendous tragedy all around'|url=http://www.courier-journal.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20070826/NEWS01/70824042|publisher=courier-journal.com|accessdate=March 5, 2008}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.wkyt.com/home/headlines/For_first_time_flight_5191_co-pilot_and_sole_survivor_talks_about_crash__150472865.html|title=For first time, flight 5191 copilot and sole survivor talks about crash|last=WKYT|website=www.wkyt.com|language=english|access-date=2019-05-19}}</ref><ref>{{Citation|publisher=CNN|title=CNN Films' 'Sole Survivor': Jim's story|date=2014-01-06|url=https://www.youtube.com/watch?v=CUWgKnrZfDQ|access-date=2019-05-19}}</ref>。
コムエアー社は[[8月29日]]、5191便の搭乗者名簿を公表した。搭乗者の中には、かつて[[マイナーリーグ]]・[[シカゴホワイトソックス]]でプレーしていたJonathan Hookerとその妻が含まれていた。彼らは事故の前日の夜結婚式を挙げ、同国[[カリフォルニア州]]へと新婚旅行に向かう途中その最初の[[飛行機]]で事故に遭遇した。なお、日本の外務省は、犠牲者の中に2名の日本人夫婦が含まれていたことを発表した。
 
== 事故の経緯 ==
犠牲者の大半はアトランタ・[[ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港|ハーツフィールド国際空港]]から目的地へ向かう便へ乗り継ぐ予定であったため、事故発生時アトランタ国際空港には彼らの友人や家族はほんの少ししかいなかった。姉を亡くしたある遺族は、アトランタから[[アラスカ]]へ向かう他の便に乗り継ぐため、ハーツフィールド空港で待っていたと語った。
[[Image:KLEX USGS Comair Paths.jpg|thumb|200px|right|ブルーグラス空港を上空から写した写真<br/>
{{legend|#FF0000|赤の矢印が滑走路26へ向かった事故機の経路、矢印の末端がおおよそ最終的に機体が停止した地点}}
{{legend|#0000FF|青の矢印が滑走路22から離陸する場合の経路}}
'''X''' は閉鎖されていた[[誘導路]]。]]
 
[[東部夏時間|EDT]]6時02分17秒、5191便は滑走路への[[タキシング]]を開始した。事故当時はまだ夜が明けておらず、辺りは暗かった。[[ブラックボックス (航空)#コックピットボイスレコーダー|コックピットボイスレコーダー]](CVR)の記録によれば、5191便は{{convert|7,003|ft|m|}}の長さがある滑走路22からの離陸許可を得ていた<ref name="NTSB-prelim">{{cite web|url=https://www.ntsb.gov/ntsb/brief.asp?ev_id=20060828X01244 |title=NTSB Preliminary Report DCA06MA064 |publisher=[[National Transportation Safety Board]] |accessdate=August 27, 2006 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070929131211/https://www.ntsb.gov/ntsb/brief.asp?ev_id=20060828X01244 |archivedate=September 29, 2007 }}</ref>。これに対して機長は「滑走路22(Runway two-two)」と返答した。事故当時、ブルーグラス空港では{{仮リンク|滑走路安全区域|en|Runway safety area}}の工事が行われていたため、誘導路1本が使用不能となっており、タキシングの経路が変更されていた<ref name="asn"/>。パイロットは経路を誤り、{{convert|3,500|ft|m|}}の長さの滑走路26へ正対し、副操縦士が離陸滑走を開始した<ref>{{cite web | url=http://www.airnav.com/airport/KLEX#rwys | title=AirNav runway information for KLEX | publisher=AirNav | accessdate=August 28, 2006}}</ref>。
== 同様の事故 ==
* 1993年、同じ[[レキシントン (ケンタッキー州)|レキシントン]]・[[ブルーグラス空港]]において、[[旅客機]]が[[管制塔]]に指示された[[滑走路]]22ではなく誤って滑走路26に進入するインシデントがあった。管制官は誤りに気づき離陸を中止するよう指示した。[[パイロット]]も誤って滑走路26に進入してしまったことに気づいた。同機は引き続き、滑走路22から通常通り離陸した。
* 2000年10月31日、[[シンガポール]]発[[台湾]]・台北経由アメリカ合衆国・[[ロサンゼルス]]行き[[シンガポール航空]][[シンガポール航空006便墜落事故|006便]]が、[[台北]]・[[台湾桃園国際空港|中正(蒋介石)国際空港]]からの離陸時、誤って工事中のため閉鎖された滑走路で離陸滑走を始めた。006便のパイロットは、眼前に迫る工事用重機を回避すべく離陸操作を行ったが間に合わず重機と衝突し、滑走路脇に墜落した。この事故で、乗員乗客179名のうち83名が死亡し、80名が重軽傷を負った。
 
事故機の推定離陸重量は{{convert|49,087|lb|kg|}}であった。製造元のボンバルディアの計算によれば、離陸速度は{{convert|138|kn|km/h|}}で、{{convert|3,744|ft|m|}}の滑走距離が必要だった<ref name="AJC">{{cite news|url=http://www.airportbusiness.com/web/online/Top-News-Headlines/Comair-Flight-Almost-Made-It-Mystery-Deepens/1$7824|title=Comair flight almost made it|author=Hirschman|first=Dave|newspaper=[[Atlanta Journal-Constitution]]|accessdate=August 31, 2006|archive-url=https://web.archive.org/web/20090219011713/http://www.airportbusiness.com/web/online/Top-News-Headlines/Comair-Flight-Almost-Made-It-Mystery-Deepens/1$7824|archive-date=February 19, 2009|url-status=dead}}</ref><ref name="Aero-NewsNTSB">{{cite web | url=http://www.aero-news.net/index.cfm?ContentBlockID=e6b42893-a854-45eb-be87-f7fd6731a813 | title = NTSB: LEX Controller Had Two Hours Of Sleep Prior To Accident Shift | publisher = Aero-News Network | accessdate=September 1, 2006}}</ref>。{{convert|100|kn|km/h|}}付近まで加速したとき、副操縦士は「照明が着いて無いのはおかしい(That is weird with no lights)」と滑走路の照明が点灯していないことを指摘した{{sfn|report|p=15}}<ref name="NYT-2007">{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2007/01/18/us/18crash.html|title=Crew Sensed Trouble Seconds Before Crash|author=Wald|first=Matthew L.|date=January 18, 2007|work=The New York Times|accessdate=January 17, 2007}}</ref>。機長はこれに対して「ああ(Yeah)」と返答したが、離陸中止などについては検討しなかった{{sfn|report|pp=1-4}}。
* 2002年8月30日、ビジネス用小型旅客機が、レキシントン・ブルーグラス空港滑走路4(滑走路22と同一の滑走路であるが、針路が180度反対)への着陸の際、滑走路を過走する事故があり、乗客1名が死亡した。
 
6時06分31秒、機体が{{convert|131|kn|km/h|}}まで加速した時に機長は「V<sub>1</sub>、ローテート、うわ(V<sub>1</sub>, rotate, whoa)」と発言した。しかし、[[ブラックボックス (航空)#フライトデータレコーダー|フライトデータレコーダー]](FDR)の記録によれば、機長がV<sub>1</sub>とローテートをコールした時点では機体はまだ離陸速度に達していなかった{{efn|V<sub>1</sub>のコールは{{convert|6|kn|km/h|}}、ローテートのコールは{{convert|11|kn|km/h|}}早く行われていた{{sfn|report|p=4}}。}}。操縦桿が限界位置まで引かれたが機体は離陸せず、滑走路をオーバーランした。5191便は滑走路端から{{convert|265|ft|m|}}離れた場所にあった盛り土に衝突し、{{convert|20|ft|m|}}ほど浮揚した<ref name="NYT-2007" />{{sfn|report|p=4}}。6時06分36秒、機体は滑走路の{{convert|900|ft|m|}}先にある木々に衝突し、大破しながら停止した<ref name="AJC" />{{sfn|report|p=4}}。搭乗者のほとんどは衝撃により即死した<ref>{{cite news | url = http://www.wave3.com/Global/story.asp?S=5341096 | title = Coroner: Most Victims Died on Impact | agency = Associated Press | accessdate = August 29, 2006 | archive-url = https://web.archive.org/web/20070927204832/http://www.wave3.com/Global/story.asp?S=5341096 | archive-date = September 27, 2007 | url-status = dead }}</ref>。また、事故により火災が発生し、機体の大部分が焼失した{{sfn|report|p=7}}。
== 関連項目 ==
 
* [[航空事故]]
== 事故調査 ==
* [[シンガポール航空006便墜落事故]]
[[File:Comair 5191 crash site 2.jpg|thumb|コックピットの残骸]]
[[File:Comair 5191 crash site 1.jpg|thumb|事故現場の全容]]
[[国家運輸安全委員会]](NTSB)が事故調査を行った。2007年1月17日、NTSBはCVR記録を含む複数の報告書を公表した<ref>{{cite web|url=https://www.ntsb.gov/Pressrel/2007/070112.htm |title=NTSB Advisory |publisher=NTSB |accessdate=January 17, 2007 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070120070524/https://www.ntsb.gov/pressrel/2007/070112.htm |archivedate=January 20, 2007 }}</ref>。同年7月、コムエアーのフライト・インストラクターはパイロット達が[[ステライル・コックピット・ルール]]に従わなかったため事故が起きたと述べた<ref>[http://www.wkyt.com/home/headlines/8593542.html Instructors Testify Flight 5191 Crew Erred Before Crash] (Associated Press) – ''wkyt.com'' – Obtained April 12, 2011, published, July 19, 2007.</ref>。7月26日、NTSBは理事会で以下のことを述べた。
 
<blockquote>
NTSBはパイロットがタキシング中に自機の位置を認識できず、正しい滑走路にいるかどうかなどのクロスチェックを怠ったことがこの事故の推定原因である。また事故の要因として、タキシング中にパイロットが飛行と関係ない話をしていたことや、[[連邦航空局]]が滑走路を横断する際に、特定の管制官が許可を与えるよう要求していなかったことを挙げた。これらの要因により、パイロットは自機の走行位置に関する状況認識を喪失した{{sfn|report|}}<ref name=ntsb070726>{{cite web|url=https://www.ntsb.gov/Pressrel/2007/070726.htm |title=NTSB Press Release, July 7, 2007 |publisher=National Transportation Safety Board |accessdate=July 26, 2007 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071019111310/http://ntsb.gov/Pressrel/2007/070726.htm |archivedate=October 19, 2007 }}</ref>。
</blockquote>
=== 余波 ===
調査の過程で[[連邦航空局]](FAA)は、ブルーグラス空港の管制官が規定違反を行っていたことを発見した。規則では、夜間業務を行う際には最低2人の管制官を勤務させることとなっていた<ref>{{cite web|url=https://lessonslearned.faa.gov/Comair5191/towerstaffing.pdf |title=FAA memorandum concerning staffing levels|accessdate=2020-12-16}}</ref>。しかし事故当時は1人しか管制塔に居なかった。2006年8月30日、FAAはレキシントンと同程度の規模がある全ての空港の管制塔に2人以上の管制官を常駐させると発表した<ref name="CNN-8-29">{{cite news | url=https://edition.cnn.com/2006/US/08/29/plane.crash/ | title=FAA: Tower staffing during plane crash violated rules | publisher=CNN | accessdate=September 6, 2006}}</ref>。
 
事故後、コムエアーのパイロット全員の持つブルーグラス空港の見取り図が工事前のもので、工事による変更点などが示されていなかったことが判明した。しかしNTSBは、この事は事故に寄与しなかったとした{{sfn|report|pp=99-100}}。空港の工事は事故現場や証拠の保全のため、一時的に中断された<ref>{{cite news | url=http://www.kentucky.com/425/story/10770.html | title=Judge orders halt to airport construction | newspaper=Lexington Herald-Leader | accessdate=September 15, 2006}}</ref>。
 
2007年4月、NTSBは4つの安全勧告を発令した。これには管制官の疲労に関することや航空機に対して管制業務を行っている際にその他の仕事をしないことなどが求められた<ref name="A-07-30">{{cite web|url=https://www.ntsb.gov/safety/safety-recs/recletters/A07_30_32.pdf|title=NTSB safety recommendations A-07-30/31/32|publisher=NTSB|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080910073733/https://www.ntsb.gov/recs/letters/2007/A07_30_32.pdf|archivedate=September 10, 2008|url-status=dead|accessdate=June 26, 2008}}</ref><ref name="A-07-34">{{cite web|url=https://www.ntsb.gov/safety/safety-recs/recletters/A07_34.pdf|title=NTSB safety recommendation A-07-34|publisher=NTSB|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080910073723/https://www.ntsb.gov/recs/letters/2007/A07_34.pdf|archivedate=September 10, 2008|url-status=dead|accessdate=June 26, 2008}}</ref>。同月、FAAは滑走路のホールド位置につく前にパイロットが自機の位置を確認するよう求める安全勧告を発令した{{sfn|report|p=91}}。また、翌5月にFAAは夜間の滑走路照明に関するガイダンスをパイロットに対して行う必要があると述べた{{sfn|report|p=92}}<ref name="A-06-83">{{cite web|url=https://www.ntsb.gov/safety/safety-recs/recletters/A06_83_84.pdf|title=NTSB safety recommendations A-06-83/84|publisher=NTSB|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080910073630/https://www.ntsb.gov/recs/letters/2006/a06_83_84.pdf|archivedate=September 10, 2008|url-status=dead|accessdate=June 25, 2008}}</ref>。
 
== 事故後 ==
[[File:Flight 5191 Memorial.jpg|left|thumb|ケンタッキー大学樹木園に建てられた記念碑]]
 
2006年8月31日、{{仮リンク|レキシントン・オペラハウス|en|Lexington Opera House}}で追悼式が行われた<ref>{{cite news | url=http://www.courier-journal.com/apps/pbcs.dll/article?AID=2007101240073 | title=Several hundred attend memorial service at Lexington Opera House | publisher=[[The Courier-Journal]] ([[Louisville, Kentucky|Louisville]])| author=Mark Pitsch | date=August 31, 2006}}</ref>。また、{{仮リンク|ケンタッキー大学樹木園|en|University of Kentucky Arboretum}}に記念碑が建設された<ref>{{cite news | url=http://www.kentucky.com/2011/04/28/1723258/flight-5191-memorial-to-be-dedicated.html | title=Flight 5191 memorial to be dedicated on fifth anniversary of crash | newspaper=Lexington Herald-Leader | date=April 28, 2011 | accessdate=January 25, 2012}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.kentucky.com/2011/08/01/1831820/flight-5191-sculpture-unveiling.html|title=Flight 5191 sculpture unveiling scheduled for Aug. 27|author=Ward|first=Karla|date=August 2, 2011|accessdate=January 25, 2012|newspaper=Lexington Herald-Leader}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.kentucky.com/2011/08/25/1856232/400-family-and-friends-of-flight.html|title=400 family and friends of Flight 5191 victims to attend memorial unveiling|author=Blackford|first=Linda B.|date=August 27, 2011|accessdate=January 25, 2012|newspaper=Lexington Herald-Leader}}</ref>。
 
2012年5月、副操縦士は空港、及び滑走路と誘導路の照明を設計した業者を訴えた<ref>{{cite news|url=http://www.redorbit.com/news/business/1047097/polehinke_files_suit_in_crash_remembering_flight_5191/|title=Polehinke Files Suit in Crash: Remembering flight 5191|author=Ortiz|first=Brandon|date=August 28, 2007|work=The Lexington Herald-Leader|access-date=August 30, 2020}}</ref>。一方、乗客の遺族のうち21人が副操縦士に対して訴訟を起こした。副操縦士の弁護士であるウィリアム・E・ジョンソン(William E. Johnson)は、乗客側の寄与過失について指摘した。この事について原告側の弁護士であるデイビット・ロイズ(David Royse)が聞くと、ジョンソンは「ブルーグラス空港の滑走路を改善することの必要性について多くのマスコミが報道しており、危険な状態に気付けたはずだ」と述べた<ref>{{cite news|url=https://www.avweb.com/news/comair-passenger-blame-claim-withdrawn/|title=Comair Passenger Blame Claim Withdrawn|first=Brandon|date=January 27, 2008|work=AVwev|access-date=August 30, 2020}}</ref>。ジョンソンが寄与過失について指摘した時点で、彼はまだ副操縦士と面会しておらず、事故原因も特定されていなかった。ロイズはこの指摘を批判し、ジョンソンは「詳細に調査した結果、これは適切な弁解ではなかったと」言い、この主張を撤回すると述べた<ref>{{cite news|url=https://www.foxnews.com/printer_friendly_wires/2008Jan24/0,4675,KentuckyCrash,00.html|title=Lawyer Won't Blame Victims in Ky. Crash|date=January 24, 2008|work=Fox News|access-date=August 30, 2020}}</ref>。
 
コムエアーは[[デルタ航空]]の子会社であったため、責任を負うか否か議論された。2008年7月、[[アメリカ合衆国連邦裁判所#地方裁判所|合衆国地方裁判所]]の{{仮リンク|カール・スピルマン・フォレスター|en|Karl Spillman Forester}}はコムエアーが独自のポリシーに従い、管理などを行っていたことからデルタ航空に責任はないとした<ref>{{cite web|url=http://business.cch.com/updates/transportation/july2008.htm |title=Transportation Update July 2008 |publisher=Business.cch.com |date= |accessdate=July 9, 2010}}</ref>。翌年12月、フォレスターはこの事故の原因はコムエアーのパイロットの過失によるものであると判決を下した<ref name=r1>[http://dockets.justia.com/docket/court-kyedce/case_no-5:2006cv00316/case_id-50943/ IN RE: Air Crash at Lexington, Kentucky, August 27, 2006]. justia.com</ref>。
 
2009年3月、ブルーグラス空港の滑走路8/26は閉鎖された。翌年8月4日、長さが{{convert|4,000|ft|m|}}の滑走路9/27がブルーグラス空港に新設された。なお、この滑走路は滑走路22とは接続されていない<ref>[http://www.kentucky.com/news/local/crime/article44122647.html "Blue Grass Airport has undergone many changes since crash of Flight 5191"]. ''kentucky.com''.</ref>。
 
事故により犠牲となった乗客47人中45人の遺族がコムエアーを訴えた{{efn|他2人の遺族は訴訟前に和解した。}}。コムエアーが空港当局とFAAに対して起こし訴訟はそれぞれが補償金を共有するべきとされた。また、空港当局に対する訴訟は{{仮リンク|主権免除 (アメリカ合衆国)|label=主権免除|en|Sovereign immunity in the United States}}を理由に却下された。この判決は{{仮リンク|ケンタッキー州最高裁判所|en|Kentucky Supreme Court}}も支持した<ref>[http://opinions.kycourts.net/sc/2007-SC-000602-TG.pdf ON APPEAL FROM FAYETTE CIRCUIT COURT V. HONORABLE JAMES D. ISHMAEL, JR., JUDGE] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20110723173955/http://opinions.kycourts.net/sc/2007-SC-000602-TG.pdf |date=July 23, 2011 }}. ''kycourts.net'' (October 1, 2009).</ref>。コムエアーがアメリカ合衆国に対して起こした訴訟では、事故の責任の22%をアメリカ合衆国が、78%をコムエアーが担うことで和解した<ref name="preview.bloomberg.com">{{cite news|url=http://preview.bloomberg.com/apps/news?pid=newsarchive_en10&sid=aOkG3OyIq1F0|title=U.S. Helped Delta Insurers Pay $264 Million Crash Settlements – Bloomberg|author=Voreacos|first=David|date=December 23, 2009|work=|accessdate=July 9, 2010|publisher=Preview.bloomberg.com}}</ref>。
 
2009年12月7日、コムエアーに対して犠牲者のブライアン・ウッドワード(Bryan Woodward)の遺族に対して、710万ドルの補償的損害賠償の支払いを命ずる判決が下された<ref name="preview.bloomberg.com"/>。この判決を不服としたコムエアーは再審を求めたが、2010年4月2日に棄却された<ref name=r1/>。ウッドワードの訴訟はHebert v. Comairとして知られており、[[懲罰的損害賠償]]裁判が2010年7月19日に行われた<ref>{{cite web|url=http://www.kentucky.com/2010/04/20/1230882/trial-set-to-decide-on-punitive.html|title=Judge sets July date for Comair trial – Courts|author=Hewlett|first=Jennifer|date=April 20, 2010|publisher=Kentucky.com|accessdate=July 9, 2010}}</ref>。
 
== 同様の事故 ==
===ブルーグラス空港における事故===
ブルーグラス空港では同様の事故が事故の前後にも発生していた。
* 1993年、滑走路22からの離陸許可を得た旅客機が誤って滑走路26へ進入した。この時はパイロットも管制官も間違いに気付き、事なきを得た。同機はその後、滑走路22から離陸した<ref>{{cite web | url=http://www.37000feet.com/report/256788 | title=NASA Aviation Safety Reporting System report #256788 | publisher=[[NASA]] | accessdate=June 18, 2008}}</ref>。
* 2007年1月、滑走路22からの離陸許可を得た[[リアジェット]]が誤って滑走路26に進入した。管制官は離陸滑走前に間違いに気付き、離陸許可を取り消した<ref>{{cite web | url=http://www.37000feet.com/report/722668 | title=NASA Aviation Safety Reporting System report #722668 | publisher=[[NASA]] | accessdate=April 2, 2010}}</ref>。
 
== 映像化 ==
* [[メーデー!:航空機事故の真実と真相]] 第19シーズン第3話「Tragic Takeoffs」
 
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist}}
{{Reflist|group="注釈"|refs=
}}
=== 出典 ===
{{reflist}}
=== 参考文献 ===
* {{Citation|author=[[国家運輸安全委員会]]|title="Attempted Takeoff From Wrong Runway Comair Flight 5191 Bombardier CL-600-2B19, N431CA Lexington, Kentucky August 27, 2006"|url=https://www.ntsb.gov/investigations/AccidentReports/Reports/AAR0705.pdf|year=2006|language=English|format=PDF|ref={{sfnref|report}}}}
 
== 参考文献関連項目 ==
* [[シンガポール航空006便離陸失敗事故]]
*{{Cite report
* [[ウェスタン航空2605便着陸失敗事故]]
|title=Attempted Takeoff From Wrong Runway, Comair Flight 5191, Bombardier CL-600-2B19, N431CA, Lexington, Kentucky, August 27, 2006.
|author=National Transportation Safety Board (NTSB)
|date=2007-07-26
|url=http://www.ntsb.gov/doclib/reports/2007/AAR0705.pdf
|language=English
|ref={{sfnref|NTSB|2007}}}}
*{{Cite web
|title=Delta Airlines Crashes in Kentucky with 50 on board, one survivor reported
|publisher=Dominican Today
|date=2006-08-27
|url=http://www.dominicantoday.com/dr/world/2006/8/27/16851/Delta-Airlines-Crashes-in-Kentucky-with-50-on-board-one-survivor-reported
|accessdate=2014-03-25
|ref={{sfnref|DominicanToday|2006}}}}
 
== 外部リンク ==
* [https://www.ntsb.gov/investigations/AccidentReports/Reports/AAR0705.pdf NTSB Final Report]
* [http://www.bluegrassairport.com/ ブルーグラス空港]
*[http://www.comair.com/news/ Comair Press Releases] ([https://web.archive.org/web/20060901003111/http://www.comair.com/news/ Archive])
* [http://www.canadair.com/ ボンバルディア社]
*[http://www.baaa-acro.com/Dossier%20Photo/N431CA.htm Pictures of the wreckage] ([https://web.archive.org/web/20071114162749/http://www.baaa-acro.com/Dossier%20Photo/N431CA.htm Archive])
* [http://www.comair.com/ コムエアー] (情報を得るためのホットラインが設置されている)
* [http://www.tailstrike.com/270806.htm Cockpit Voice Recorder transcript and accident summary]
* [http://www.airliners.net/search/photo.search?regsearch=N431CA&distinct_entry=true 事故にあった機体の写真]
*{{YouTube|title=Cockpit Voice recording|id=DN1NFy-WKW0&t=39s}}
* [http://www.ntsb.gov/ 国家運輸安全委員会](日本でいう、航空・鉄道事故調査委員会にあたる組織)
* [http://www.faa.gov/ 米連邦航空局 ホームページ]
 
{{aviation-stub}}
{{DEFAULTSORT:こむえありよかくきついらくしこ}}
 
{{2006年の航空事故一覧}}
 
{{DEFAULTSORT:こむえああ5191ひんりりくしつはいしこ}}
[[Category:ボンバルディア CRJによる航空事故]]
[[Category:アメリカ合衆国で発生した航空事故]]
[[Category:パイロットエラーによる航空事故]]
[[Category:ケンタッキー州の歴史]]
[[Category:レキシントン (ケンタッキー州)]]
[[Category:2006年の航空事故]]
[[Category:2006年のアメリカ合衆国]]
[[Category:デルタ航空の航空事故]]
{{aviation-stub}}
[[Category:アメリカ合衆国の災害 (1990年-)]]
{{Link GA|en}}
[[Category:2006年8月]]