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{{Infobox martial artist
{{MMA statsbox3
| name = クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン
| image = 02-09JUL2019_CNGB_USO_Tour_2019_190707-Z-DZ751-159_(48546041261)(cropped).jpg
|image=Quinton Jackson - The Strip, Las Vegas, February 12, 2010 EDIT (cut).jpg
| image_size =
|realname=クイントン・ラモーン・ジャクソン<br />(Quinton Ramone Jackson)
| caption = 2019年
|nickname=ランペイジ (Rampage)
| birth_name = クイントン・ラモーン・ジャクソン<br />(Quinton Ramone Jackson)
|nationality={{USA}}
|birth birth_date = {{生年月日と年齢|1978|6|20}}
|place birth_place = [[テネシー州]][[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]
| nickname = ランペイジ (Rampage) <br />怪力U.S.マッド・ドッグ
|died=
| residence = [[カリフォルニア州]][[アーバイン (カリフォルニア州)|アーバイン]]
|team=チーム・イハ<br />→[[チーム・パニッシュメント]]<br />→チーム・オーヤマ<br />→ゴッド・ストリート・ソルジャー<br />→ウルフズレア・アカデミー
| nationality = {{USA}}
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|weight=[[ライトヘビー級]]、[[ヘビー級]]
| weight_class = [[ヘビー級]] (1999年 - 2000年、2015年 - )<br />[[ライトヘビー級]] (2000年 - 2002年、2004年 - 2014年)<br />[[ミドル級]] (2003年)
|style=[[アマチュアレスリング|レスリング]]
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|theme=Rampage(オリジナル)
| style = [[レスリング]]<br />[[ボクシング]]
|}}
| stance = Orthodox
 
| fighting_out_of = [[カリフォルニア州]][[アーバイン (カリフォルニア州)|アーバイン]]
'''クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン'''('''Quinton "Rampage" Jackson'''、[[1978年]][[6月20日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の[[男性]][[総合格闘家]]。[[テネシー州]][[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]出身。ウルフズレア・アカデミー所属。元[[UFC]]世界[[ライトヘビー級]]王者。
| team = チーム・イハ<br />→[[チーム・パニッシュメント]]<br />→チーム・オーヤマ<br />→ゴッド・ストリート・ソルジャー<br />→ウルフズレア・アカデミー<br />→ランペイジ・フィットネス・アカデミーチーム
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| trainer = ランス・ギブソン<br />ボビー・ライマー
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| years_active = 1999年 -
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'''クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン'''('''Quinton "Rampage" Jackson'''、[[1978年]][[6月20日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の[[男性]][[総合格闘家]]。[[テネシー州]][[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]出身。ランペイジ・フィットネス・アカデミーチーム主宰。元[[UFC]]世界[[ライトヘビー級]]王者。
「'''ランペイジ'''(暴れん坊)」のニックネームにふさわしい[[パワーボム|スラム]]を多用するパワフルかつ荒々しいファイトで注目されたが、堅実な[[ボクシング]]テクニックや[[アマチュアレスリング|レスリング]]の攻防にも優れている。かつては粗暴な発言が多かった。
 
[[ファイル:QuintonJackson2.png|thumb|計量時のジャクソン]]
 
== 来歴 ==
10歳の時にドラッグ中毒の父親が蒸発、ジャクソンはストリートファイトに明け暮れてドラッグを売る、辛い幼少期を過ごした。
17歳で[[アマチュアレスリング|レスリング]]を始めるが、競技大会に出場することはなかった。その後、大学時代に友人の勧めで[[総合格闘技]]に転向した<ref name="GONKAKU11">真面目なクイントン・ジャクソン「戦いとは、俺の心臓を危険に晒すということ」 [[ゴング格闘技|GONKAKU]] 2007年11月号 P30-35</ref>。
17歳で[[アマチュアレスリング|レスリング]]を始める。その後、大学時代に友人の勧めで[[総合格闘技]]に転向した<ref name="GONKAKU11">真面目なクイントン・ジャクソン「戦いとは、俺の心臓を危険に晒すということ」 [[ゴング格闘技|GONKAKU]] 2007年11月号 P30-35</ref>。
 
[[1999年]]11月13日、[[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]で行われた[[国際競技格闘連盟|ISCF]]でプロデビュー。[[マイク・パイル]]と対戦し、判定勝ち。
 
=== PRIDE ===
[[アメリカ合衆国]]のローカル大会「[[King of the Cage]]」で連戦連勝していたところ、[[桜庭和志]]の相手に抜擢され、[[2001年]]7月29日の[[PRIDE.15]]で[[PRIDE (格闘技イベント)|PRIDE]]に初参戦。試合には負けたものの<ref>[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200107/29/010729_a07.html PRIDE.15 格闘技速報] [[Yahoo! JAPAN|スポーツナビ]] 2001年7月29日</ref>、[[投げ技]]で桜庭を追い詰め高い評価を獲得し、PRIDEレギュラーの座を手に入れた。PRIDE参戦当時は廃バスに住んでいるという触れ込みで「暴走ホームレス」という[[ギミック_(プロレス)|ギミック]]が付与された。実際に廃バスに住んでいた事実はなく、トレーニングのため一時期[[カリフォルニア州|カリフォルニア]]に移住した際に経済的に苦境に陥り、アパートを引き払ってキャンピングカーに住んでいたにとどまる<ref name="GONKAKU11" />
 
2001年10月14日にプロレス団体「[[格闘探偵団バトラーツ]]」の興行で総合格闘技ルールで[[アレクサンダー大塚]]と対戦。大塚を大流血に追い込みドクターストップ勝ちを収めた<ref>[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/column/200110/ZZZCT67KKSC.html 石川「伝説の一戦」でアリにTKO負け! バトラーツ「冬眠」を宣言 10.14NKホール大会] スポーツナビ Topics Column</ref>。2001年11月3日の[[PRIDE.17]]では敵討ちに来たバトラーツ所属の[[石川雄規]]を1R早々パンチでKO。返り討ちにした<ref>[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200111/03/011103_a02.html PRIDE.17 格闘技速報] スポーツナビ 2001年11月3日</ref>。
(ただ、ジャクソンの放った[[金的]]攻撃もあり、彼自身は勝利を嬉しがっていなかった)。2001年11月3日の[[PRIDE.17]]では敵討ちに来たバトラーツ所属の[[石川雄規]]を1R早々パンチでKO。返り討ちにした<ref>[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200111/03/011103_a02.html PRIDE.17 格闘技速報] スポーツナビ 2001年11月3日</ref>。
 
2001年12月23日、[[PRIDE.18]]で[[松井大二郎]]と対戦し、試合開始早々[[膝蹴り]]が松井の金的に入り、失格負け<ref>[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200112/23/011223_a01.html PRIDE.18 格闘技速報] スポーツナビ 2001年12月23日</ref>。このことが不満だったらしく後に松井との再戦を度々希望していた
 
[[2002年]]4月28日、[[PRIDE.20]]で[[佐竹雅昭]]と対戦。怪力から繰り出された[[パワーボム|スラム]]で佐竹の背骨を折りKO勝ち(後にこれにより佐竹の頭蓋骨も陥没したことが判明した)。しかし、試合後インタビューでは「佐竹はただの[[ロートル]]だった」と酷評。何度も佐竹に金的攻撃されたと不満をぶちまけ、更にPRIDEが自身をこれ以上ぞんざいに扱うなら[[UFC]]に参戦したいと語った<ref>[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200204/28/020428_a02.html PRIDE.20 格闘技速報] スポーツナビ 2002年4月28日</ref>。
 
2002年7月14日、[[K-1]]に参戦。K-1 WORLD GP 2002 in FUKUOKAで[[シリル・アビディ]]と対戦し、1Rに右フックでKO勝ち<ref>[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/k1/live/200207/14/020714_a03.html K-1 WORLD GP 2002 in 福岡 格闘技速報] スポーツナビ 2002年7月14日</ref>。同年12月31日に[[INOKI BOM-BA-YE 2002]]でアビディと再戦するも、再び判定勝ち<ref>[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200212/31/a05.html INOKI BOM-BA-YE 2002 格闘技速報] スポーツナビ 2002年12月31日</ref>。
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2002年9月29日、[[PRIDE.22]]で[[イゴール・ボブチャンチン]]と対戦し、1Rギブアップ勝ち<ref>[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200209/29/020929_b07.html PRIDE.22 格闘技速報] スポーツナビ 2002年9月29日</ref>。
 
[[2003年]]3月16日、[[PRIDE.25]]で[[ヴァンダレイ・シウバ]]の持つミドル級(-93kg)王座挑戦権を賭けた[[ケビン・ランデルマン]]戦に勝利し、PRIDEミドル級のトップファイターとして認知されるようになった。そして試合終了後シウバへのマイクアピールから乱闘へと発展を繰り広げた<ref>[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200303/16/a07.html PRIDE.25 格闘技速報] スポーツナビ 2003年3月16日</ref>、次回大会での王座挑戦は確実になったかのように見えた
 
しかし、その後[[PRIDE.26]]で[[イリューヒン・ミーシャ]]<ref>[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200306/08/a04.html PRIDE.26 REBORN 格闘技速報] スポーツナビ 2003年6月8日</ref>、[[PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦]]のミドル級(-93kg)グランプリ1回戦では怪我で欠場した[[ヒカルド・アローナ]]に代わり、UFC世界ミドル級王者[[ムリーロ・ブスタマンチ]]<ref>[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200308/10/a03.html PRIDE GP 2003 格闘技速報] スポーツナビ 2003年8月10日</ref>、[[PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦|準決勝]]では[[チャック・リデル]]と続くが<ref>[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200311/09/a02.html PRIDE GP 2003 準決勝 格闘技速報] スポーツナビ 2003年11月9日</ref>、これらの試合にも全て勝利した。長い前哨戦を終えようやくGP決勝にて因縁のシウバと対決。序盤は有利に試合を運んだが、最後はシウバの膝蹴りの連打の前に敗北。準優勝となった<ref>[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200311/09/a08.html PRIDE GP 2003 決勝 格闘技速報] スポーツナビ 2003年11月9日</ref>。
 
[[2004年]]6月20日、[[PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND]]で[[ブラジリアン柔術|柔術]]世界一の実力者ヒカルド・アローナと対戦。アローナの執拗な[[寝技]]の前に完全に試合の主導権を握られるが、[[三角絞め]]を狙ったアローナを[[パワーボム]]でマットに叩き付け失神KO勝ち。王者シウバへの挑戦権を再度獲得した<ref>[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200406/20/a02.html PRIDE GP 2004 2nd ROUND 格闘技速報] スポーツナビ 2004年6月20日</ref>。
 
2004年10月31日、[[PRIDE.28]]のミドル級(-93kg)タイトルマッチでヴァンダレイ・シウバと再戦。リングイン後、携帯電話試合日本人の彼女にプロポーズするという前代未聞の行動を起こした(プロポーズ成功し結婚していたが、のちに離婚<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/fight/all/2013/columndtl/201302200006-spnavi?page=2 “格闘技の聖地”とヴァンダレイ・シウバ 狂犬ランペイジとの遺恨-UFCトリビア第3回] スポーツナビ([[WOWOW]]) 2013年2月21日</ref>)。試合では王者をあと一歩まで追い詰めるも、またもシウバの膝蹴りでKO負けを喫し王座獲得に失敗した<ref>[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200410/31/a09.html PRIDE.28 格闘技速報] スポーツナビ 2004年10月31日</ref>。
 
[[2005年]]2月20日、[[PRIDE.29]]でシウバの同門[[ムリーロ・ニンジャ]]を僅差の判定で破った<ref>[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200502/20/a09.html PRIDE.29 格闘技速報] スポーツナビ 2005年2月20日</ref>。
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=== UFC ===
[[ファイル:Quinton_Jackson_ UFC 75 weigh-_UFC_100_Fan_Expo_in Henderson vs Jackson face-_Mandalay_Bay_Casino,_Las_Vegas_2off.jpg|thumb|2007年、[[UFCファンエキスポで 75]]前日計量にて、[[ダン・ヘンダーソン]](右)と向かい合うジャクソン(左)]]
 
[[2007年]]2月3日、UFCデビュー戦となった[[UFC 67]]で改めてイーストマンと対戦。2ラウンド、[[アッパーカット|クリンチアッパー]]の連打でイーストマンをKOし、7年越しのリベンジを成功させた。
 
==== UFC世界王座獲得 ====
2007年5月26日、[[UFC 71]]の世界ライトヘビー級タイトルマッチで王者チャック・リデルと再戦。右フックからのパウンドで1ラウンドTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。ノックアウト・オブ・ザ・ナイトも受賞した。
2007年5月26日、[[UFC 71]]のUFC世界ライトヘビー級タイトルマッチで王者[[チャック・リデル]]と再戦。右フックからのパウンドで1ラウンドTKO勝ちを収め、UFC参戦2戦目で王座獲得に成功。ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
 
2007年9月8日、[[UFC 75]]のUFC世界ライトヘビー級王座防衛戦でPRIDEミドル級、ウェルター級二冠王者[[ダン・ヘンダーソン]]と対戦。全体として試合を優勢に進め、3-0の5R判定勝ちを収め初防衛に成功した。
 
[[2008年]]1月3日、UFC公式サイトにおいてThe 2007 Fighters of The Year第1位に選ばれた<ref>[http://www.ufc.com/index.cfm?fa=news.detail&gid=9445 Ten Best - The 2007 Fighters of The Year] [[UFC|UFC公式サイト]] 2008年1月3日</ref>。
 
==== 世界王座陥落 ====
2008年4月から放送された[[リアリティ番組]]「[[The Ultimate Fighter]]」の[[The Ultimate Fighter: Team Rampage vs. Team Forrest|シーズン7]]でチーム・ランペイジのヘッドコーチを務めたが、シーズン中はチーム・ランペイジの選手は準決勝までで全員敗退。相手チームに失格者が出たことにより[[CB・ダラウェイ]]が敗者復活を果たすも、CBは決勝で[[アミール・サダロー]]に敗れた<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/255644.html 【TUF7】最終回 史上初、収録終了後の失格劇!] [[MMAPLANET]] 2008年6月19日</ref>。シーズン後の同年7月5日に行われた[[UFC 86]]では同じくコーチを務めた[[フォレスト・グリフィン]]とライトヘビー級タイトルマッチで対戦。0-3の判定負けにより2度目の防衛に失敗し王座から陥落した<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/fight/all/2012/columndtl/200807060006-spnavi 壮絶タフマッチの果てに新王者グリフィン誕生!「UFC86 ジャクソンvsグリフィン」レポート] スポーツナビ(MMAPLANET) 2008年7月6日</ref>。敗れたもののファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
2008年4月から放送された[[リアリティ番組]]「[[The Ultimate Fighter]]」の[[The Ultimate Fighter: Team Rampage vs. Team Forrest|シーズン7]]でチーム・ランペイジのヘッドコーチを務めたが、シーズン中はチーム・ランペイジの選手は準決勝までで全員敗退。相手チームに失格者が出たことにより[[CB・ダラウェイ]]が敗者復活を果たすも、ダラウェイは決勝で[[アミール・サダロー]]に敗れた<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/255644.html 【TUF7】最終回 史上初、収録終了後の失格劇!] [[MMAPLANET]] 2008年6月19日</ref>。シーズン後の同年7月5日に行われた[[UFC 86]]では同じくコーチを務めた[[フォレスト・グリフィン]]とライトヘビー級タイトルマッチで対戦。激闘を繰り広げたものの、0-3の5R判定負けにより2度目の防衛に失敗し王座から陥落した<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/fight/all/2012/columndtl/200807060006-spnavi 壮絶タフマッチの果てに新王者グリフィン誕生!「UFC86 ジャクソンvsグリフィン」レポート] スポーツナビ(MMAPLANET) 2008年7月6日</ref>。敗れたもののファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
 
2008年7月15日、アメリカ・カリフォルニア州で当て逃げと無謀運転の疑いで逮捕された。[[ダナ・ホワイト]]が25,000ドルの保釈金を払い釈放された。最終的にジャクソンが罪を認め反省をみせ200時間の社会奉仕活動などを完了させも、再び拘束と訴えが2010年1月8日に判事によって棄却された。
 
2008年12月27日、[[UFC 92]]でPRIDEで2連敗したヴァンダレイ・シウバと3度目の対戦。左フックで失神KO勝ちを収め、約4年越しのリベンジに成功<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/649295.html 【UFC92】ジャクソン、“因縁”シウバをKO葬] MMAPLANET 2008年12月28日</ref>。ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
 
[[2009年]]3月7日、[[UFC 96]]で[[キース・ジャーディン]]と対戦し、3-0の判定勝ち<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/773476.html 【UFC96】"冷静"ランペイジ、"変則"ジャーディンに勝利] MMAPLANET 2009年3月8日</ref>。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
 
2009年9月から12月にかけて放送された「The Ultimate Fighter」[[The Ultimate Fighter: Heavyweights|シーズン10]]でヘッド・コーチを務めた。同じくヘッド・コーチを務めた[[ラシャド・エヴァンス]]とはシーズン中から舌戦を繰り広げるなど因縁を深めたが、シーズン終了後映画出演(「[[特攻野郎Aチーム THE MOVIE]]」)を優先しエヴァンスとのコーチ対決を拒否した<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/1090499.html 【UFC108】対戦カード変更続出、UFC2010スタート!!] MMAPLANET 2009年12月29日</ref>。[[2010年]]5月29日、[[UFC 114]]でエヴァンスと対戦。2Rに右アッパーでダウンを奪うものの、テイクダウンとグラウンドの攻防で劣勢に立たされ、0-3の判定負けを喫した<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/1230715.html 【UFC114】因縁に決着、ラシャドがランペイジを下す] MMAPLANET 2010年5月30日</ref>。なお、この試合のPPV販売件数は約105万件に上った
 
2010年6月にアメリカで公開された「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」でバラカス軍曹役で出演。同年8月の日本公開に合わせ来日も果たし、今後は俳優と格闘家の活動を平行して行いいと語っている<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/fight/all/2012/columndtl/201008300007-spnavi “俳優”ランペイジが語る役者としての挑戦「夢は年1、2回試合をしながらアクション映画を作ること」] スポーツナビ 2010年9月2日</ref>。
 
2010年11月20日、[[UFC 123]]のメインイベントで[[リョート・マチダ]]と対戦し、2-1の判定勝ちを収めたが、戦った両者がこの判定に驚きは物議を醸し、ランペイジがマチダに自ら再戦を申し出るという後味の悪い結末になった<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/1340075.html 【UFC123】驚きを隠せないジャクソン、リマッチを約束] MMAPLANET 2010年11月21日</ref>。
 
[[2011年]]5月28日、[[UFC 130]]のメインイベントで[[マット・ハミル]]と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/1516124.html 【UFC130】テイクダウン許さず、ランペイジが判定勝ち] MMAPLANET 2011年5月29日</ref>。
 
2011年9月24日、[[UFC 135]]のUFC世界ライトヘビー級タイトルマッチ王者[[ジョン・ジョーンズ]]の持つ世界ライトヘビー級王座に挑戦し、スタンド、グラウンド共に終始圧倒され、リアネイキドチョークスリーパー4R一本負けを喫し王座獲得に失敗した<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/1581200.html 【UFC135】ジョーンズ一本勝ち、ランペイジ退け初防衛] MMAPLANET 2011年9月25日</ref>。
 
[[2012年]]2月26日、[[日本]]で開催された[[UFC 144]]で[[ライアン・ベイダー]]と対戦し、0-3の判定負けを喫した<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/1649538.html 【UFC144】持ち味を発揮できず、ランペイジ敗戦] MMAPLANET 2012年2月26日</ref>。なお、前日計量でジャクソンは65[[ポンド (質量)|ポンド]](約2.73キロ)のウェイトオーバーでファイトマネーの20パーセントを没収されている<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/1649126.html 【UFC144】待ったなし、UFC JAPAN公開計量終了] MMAPLANET 2012年2月25日</ref>。
 
[[2013年]]1月26日、[[UFC on FOX 6]]で[[グローバー・テイシェイラ]]と対戦し、0-3の判定負けを喫した<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/1750906.html 【UFC FOX06】ランペイジ、意地見せるもテイシェイラに完敗] MMAPLANET 2013年1月27日</ref>。
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2013年6月4日、[[Bellator MMA]]とプロレス団体の[[TNAレスリング|TNA]]と同時契約を締結。6月6日、TNAの番組である[[TNA・インパクトレスリング|Impact Wrestling]]にて登場し、[[カート・アングル]]とのプロモーションを行った。
 
2013年11月15日、Bellator初参戦となったBellator 108でジョーイ・ベルトランと対戦し、[[グラウンドパンチ|パウンド]]でTKO勝ち。当初は[[ティト・オーティズ]]と対戦予定であったが、ティトの怪我のため直近でUFCをリリースされたベルトランに変更となった。
 
[[2014年]]2月28日、Bellator 110のライトヘビー級トーナメント1回戦で[[クリスチャン・ムプンボ]]と対戦し、パウンドでKO勝ち。5月17日には[[Bellator 120]]のライトヘビー級トーナメント決勝で[[キング・モー]]と対戦し、3-0の判定勝ちを収め優勝を果たしライトヘビー級王座への挑戦権を獲得した<ref>{{Cite web |和書|date=2014-05-18 |url=httphttps://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20140518-1303090.html |title=ランペイジが米総合ライトヘビー級制す |publisher=[[日刊スポーツ]] |accessdate=2014-05-18}}</ref>。
 
=== UFC復帰 ===
[[2016年]]6月24日、[[Bellator 157]]で[[石井慧]]と対戦し、5分3ラウンド判定勝ち(2-1)。
[[2015年]]4月25日、約2年3カ月ぶりのUFC復帰戦となった[[UFC 186]]で[[ファビオ・マルドナド]]と対戦し、3-0の判定勝ち。なお、UFC復帰後も引き続きベラトールの契約下にあり、それにも関わらずUFCに復帰した理由として、ジャクソンは「契約に関してベラトールは自分を尊重しなかった」と主張している。この件について、ベラトール陣営は法的手続きをすることを発表し、その後ニュージャージー州上級裁判所によって、ジャクソンは署名した契約を違反しているとしてUFCで戦うことを差し止める処分を下した。しかし、その後4月21日に、ニュージャージー州高等裁判所の上訴部はジャクソンがUFCで戦うことができると主張して、UFCで戦うことを差し止める処分を覆した。後日、ジャクソンとベラトール陣営は和解し、ジャクソンが再びベラトールに復帰することを発表した。
 
=== Bellator MMA復帰 ===
[[2016年]]6月24日、ベラトール復帰戦となった[[Bellator 157]]で[[石井慧]]と対戦し、2-1の判定勝ち。
 
[[2017年]]3月31日、Bellator 175で[[キング・モー]]と再戦し、0-3の判定負け。リベンジを許した。
 
[[2018年]]1月20日、Bellator 192のヘビー級ワールドグランプリ準々決勝で[[チェール・ソネン]]と対戦し、0-3の判定負け。
 
2018年9月29日、Bellator 206で[[ヴァンダレイ・シウバ]]と通算4度目の対戦をし、2R終盤に右フックでダウンを奪い、パウンドでTKO勝ち。これでシウバとの通算戦績を2勝2敗とした。
 
== ファイトスタイル ==
「'''ランペイジ'''(暴れん坊)」のニックネームにふさわしい[[パワーボム|スラム]]を多用するパワフルかつ荒々しいファイトで注目されたが、堅実な[[ボクシング]]テクニックや[[アマチュアレスリング|レスリング]]の攻防にも優れている。UFC参戦以降は、スタンドに偏った[[ストライカー (格闘技)|ストライカー]]としてのスタイルを確立している。
 
== 人物・エピソード ==
[[ファイル: 02-09JUL2019 CNGB USO Tour 2019 190706-Z-DZ751-028 (48536631207).jpg|thumb|サインに応じるジャクソン(2019年)]]
* 『SEHRDOG』のwebサイトには概要として「2001年7月に桜庭和志戦でPRIDEデビューをする前に、PRIDE幹部がノックアウトかサブミッションでタップしてくれたら通常のファイトマネー1万ドルに加えて敗者ボーナス2000ドルを支払うと持ちかけられたが断ってガチンコで勝負して負けた。クイントンは勝つことが難しいと分かっていながら敗者ボーナスの契約を拒否した。」と八百長を持ちかけられてそれを拒否した経験が報告されている<ref>[http://www.sherdog.com/news/news/Jackson-PRIDE-Offered-Bonus-to-Lose-7870 Jackson: PRIDE Offered Bonus to Lose] Jun 12, 2007</ref>。
* PRIDE参戦当時は廃バスに住んでいるという触れ込みで「暴走ホームレス」という[[ギミック_(プロレス)|ギミック]]が付与された。しかし実際に廃バスに住んでいた事実はなく、経済的に苦境に陥っていた一時期に、キャンピングカーに住んでいたにとどまる<ref name="GONKAKU11" />。
* [[PRIDE.28]]でリングイン後、携帯電話で日本人の彼女にプロポーズするという前代未聞の行動を起こした(プロポーズは成功し結婚していたが、のちに離婚<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/fight/all/2013/columndtl/201302200006-spnavi?page=2 “格闘技の聖地”とヴァンダレイ・シウバ 狂犬ランペイジとの遺恨-UFCトリビア第3回] スポーツナビ([[WOWOW]]) 2013年2月21日</ref>)。
* 怪力ぶりで有名だが、本人曰く、幼い頃に父親の工房で荷物運びを手伝っていたため怪力が身に付いたという。
* 入場時は必ず遠吠えのパフォーマンスを行い、首から鎖のチェーンを下げて入場する。
* 下品で粗野な行動が多かったが2004年に[[キリスト教]]に入信、以前よりは大人しくなった。
* レーシングゲームの「[[Forza Motorsport 4]]」ではジャクソンの愛車である[[ダッジ・チャレンジャー|Dodge Quinton "Rampage" Jackson Challenger SRT8]]が登場した。
 
== 戦績 ==
=== 総合格闘技 ===
{{MMA recordbox
|total=4952
|wins=3738
|KOwins=1617
|subwins=7
|decwins=1314
|otherwins=0
|losses=1214
|KOloss=34
|subloss=2
|decloss=67
|otherloss=1
|draws=0
125 ⟶ 206行目:
{{Fight-start}}
{{Fight-header}}
{{Fight-cont|×| [[エメリヤーエンコ・ヒョードル]]| 1R 2:44 TKO(右ストレート)| [[BELLATOR JAPAN]]| 2019年12月29日}}
{{Fight-cont|○| [[ヴァンダレイ・シウバ]]| 2R 4:32 TKO(右フック→パウンド)| Bellator 206: Mousasi vs. Macdonald| 2018年9月29日}}
{{Fight-cont|×| [[チェール・ソネン]]| 5分3R終了 判定0-3| Bellator 192: Rampage vs. Sonnen| 2018年1月20日}}
{{Fight-cont|×| [[キング・モー]]| 5分3R終了 判定0-3| Bellator 175: Rampage vs. King Mo 2| 2017年3月31日}}
{{Fight-cont|○| [[石井慧]]| 5分3R終了 判定2-1| [[Bellator 157|Bellator 157: Dynamite 2]]| 2016年6月24日}}
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* SHERDOG 殿堂入り(2014年)
 
==ペイ・パー・ビュー販売件数==
== 人物 ==
{| class="wikitable sortable"
* 首からチェーンを下げて入場する。
! 開催年月日 !! class="unsortable" | イベント !! 販売件数 !! class="unsortable" |備考
* 下品で粗野な行動が多かったが2004年に[[キリスト教]]に入信、以前よりは大人しくなった。
|-
* [[ミルコ・クロコップ]]、[[マイク・タイソン]]と友人である。
|2011年{{Display none|09/24_}}9月24日
* 怪力ぶりで有名だが、本人曰く、幼い頃、父親の工房で荷物運びを手伝っていたため怪力が身に付いたという。また、[[ウエイトトレーニング]]はほとんどやっておらず、ウエイトトレーニングの際、扱うウエイトが軽すぎるため、他の者から笑われたというエピソードすら持つ。
|[[UFC 135|UFC 135: ジョン・ジョーンズ vs. クイントン・ジャクソン]]
* 『SEHRDOG』のwebサイトには概要として「2001年7月に桜庭和志戦でPRIDEデビューをする前に、PRIDE幹部がノックアウトかサブミッションでタップしてくれたら通常のファイトマネー1万ドルに加えて敗者ボーナス2000ドルを支払うと持ちかけられたが断ってガチンコで勝負して負けた。クイントンは勝つことが難しいと分かっていながら敗者ボーナスの契約を拒否した。」と八百長を持ちかけられてそれを拒否した経験が報告されている。<ref>[http://www.sherdog.com/news/news/Jackson-PRIDE-Offered-Bonus-to-Lose-7870 Jackson: PRIDE Offered Bonus to Lose] Jun 12, 2007</ref><ref>因みに件の試合は敗者ボーナスの条件である「サブミッションでタップ」を満たした格好となっている。</ref>
|{{Display none|052_}}52万件
 
|
==その他==
|-
*レーシングゲームの「[[Forza Motorsport 4]]」では彼の愛車である[[ダッジ・チャレンジャー|Dodge Quinton "Rampage" Jackson Challenger SRT8]]が登場した。
|2011年{{Display none|05/28_}}5月28日
|[[UFC 130|UFC 130: クイントン・ジャクソン vs. マット・ハミル]]
|{{Display none|032_}}32万件5千件
|
|-
|2010年{{Display none|11/20_}}11月20日
|[[UFC 123|UFC 123: クイントン・ジャクソン vs. リョート・マチダ]]
|{{Display none|050_}}50万件
|
|-
|2010年{{Display none|05/29_}}5月29日
|[[UFC 114|UFC 114: クイントン・ジャクソン vs. ラシャド・エヴァンス]]
|{{Display none|022_}}105万件
|
|-
|2009年{{Display none|03/07_}}3月7日
|[[UFC 96|UFC 96: クイントン・ジャクソン vs. キース・ジャーディン]]
|{{Display none|035_}}35万件
|
|-
|2008年{{Display none|07/05_}}7月5日
|[[UFC 86|UFC 86: クイントン・ジャクソン vs. フォレスト・グリフィン]]
|{{Display none|054_}}54万件
|
|-
|2007年{{Display none|05/26_}}5月26日
|[[UFC 71|UFC 71: チャック・リデル vs. クイントン・ジャクソン2]]
|{{Display none|067_}}67万5千件
|
|-
|}
 
== 出演 ==
208 ⟶ 323行目:
|-
!公開年!!邦題<br />原題!!役名!!備考
|-
|2005|| [[殴者]]<br />''NAGURIMONO'' ||||
|-
|2008|| ミッドナイト・ミートトレイン<br />''[[:en:The Midnight Meat Train]]'' || || [[カメオ出演]]
216 ⟶ 333行目:
|-
|2012|| [[ファイヤー・ウィズ・ファイヤー 炎の誓い]]<br />''Fire with Fire'' || ウォレス ||
|-
|2016|| マッド・ウォーリアーズ 頂上決戦<br />''Never Back Down: No Surrender'' ||||
 
|-
|}
230 ⟶ 350行目:
 
== 外部リンク ==
* [http://www.bellator.com/fighters/3fcpji/rampage-jackson Bellator 選手データ]
* [http://www.rampage-jackson.com/ クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン公式サイト]{{en icon}}
* {{Twitter|Rampage4real|Quinton Jackson}}{{en icon}}
* {{Facebook|Rampage4Real|Quinton "Rampage" Jackson}}{{en icon}}
* [http://bellator.spike.com/fighters/3fcpji/rampage-jackson Bellator 選手データ]
* [http://www.ufc.com/fighter/Quinton-Jackson UFC 選手データ]
* [httphttps://web.archive.org/web/*/http://www.prideofficial.com/free/fighters/details/1091418958.html PRIDE 選手データ] [[インターネットアーカイブ|Internet Archive]]
* [http://www.boutreview.com/fightsspiral/QUINTON_RAMPAGE_JACKSON.html バウトレビュー 選手データ]
* [http://mmajunkie.com/fighters/quinton-jackson MMAjunkie 選手データ]
* {{SHERDOG|348}}
* {{IMDb name|1961693|Quinton 'Rampage' Jackson}}
* {{Twitter|Rampage4real}}
* {{Facebook|Rampage4Real|Quinton "Rampage" Jackson}}
 
{{Championshiptitle|第7代|[[UFC]]|世界[[ライトヘビー級]]|チャック・リデル|フォレスト・グリフィン|2007年5月26日 - 2008年7月5日}}
 
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:しやくそん くいんとん}}
[[Category:アメリカ合衆国の総合格闘家]]
[[Category:アフリカ系アメリカ人の総合格闘家]]
[[Category:レスリング出身の総合格闘家]]
[[Category:アメリカ合衆国のキックボクサー]]
[[Category:UFC王者]]
[[Category:UFCに参戦した選手]]
[[Category:Bellator MMAに参戦した選手]]
[[Category:アメリカ合衆国の男優]]
[[Category:アクション俳優]]
[[Category:K-1に参戦した選手]]
[[Category:UFC王者]]
[[Category:メンフィス出身の人物]]
[[Category:1978年生]]