「ジョー・モンタナ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m Bot作業依頼#Cite webの和書引数追加
(3人の利用者による、間の6版が非表示)
70行目:
'''ジョセフ・クリフォード・モンタナ・ジュニア'''('''Joseph Clifford Montana Jr.'''、[[1956年]][[6月11日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]・[[ペンシルベニア州]][[ニューイーグル (ペンシルベニア州)|ニューイーグル]]出身の[[アメリカンフットボール]]選手。[[NFL]]の[[サンフランシスコ・フォーティナイナーズ]]、[[カンザスシティ・チーフス]]でプレーした。ポジションは[[クォーターバック]](QB)。
 
1980年代に4回[[スーパーボウル]]に優勝、3回[[スーパーボウルMVP]]に選ばれている<ref name="hof">{{cite web|url=http://www.profootballhof.com/hof/member.aspx?player_id=154 |title=Hall of Famers |publisher=[[プロフットボール殿堂]] |accessdate=2012-03-03 }}</ref>。「'''ジョー・クール'''」と呼ばれた<ref name="usatoday">{{cite web|url=http://www.usatoday.com/sports/football/nfl/2007-07-23-no-1-joe-montana_N.htm |title=No. 1: Montana's Super success raised the bar |publisher=[[USAトゥデイ]] |date=2007-07-23 |accessdate=2012-03-03 }}</ref>。[[2000年]]、[[プロフットボール殿堂]]入りしている。[[サンフランシスコ・フォーティナイナーズ|サンフランシスコ・49ers]]での背番号16は[[永久欠番]]となっている<ref>{{citeCite web|和書|url=http://www.nfljapan.com/todayinnfl/2010/1215/index.html |title=“伝説のQB”モンタナの背番号16が永久欠番に |publisher=NFL JAPAN |date=2010-12-15 |accessdate=2010-12-19}}</ref>。
 
史上最高のQBと称されることが多いが、これは[[スーパーボウル]]4戦全勝(MVP3回)という実績に加え、「'''モンタナマジック'''」と呼ばれる華麗な逆転勝利を数多く成功させたことによる<ref>{{cite web|url=http://www.profootballhof.com/history/release.aspx?release_id=717 |title=The Best Ever? The story of 'Joe Cool' |publisher=プロフットボール殿堂 |accessdate=2012-03-03 }}</ref>。特に[[1989年]]の[[第23回スーパーボウル]]での[[#ザ・ドライブ|ザ・ドライブ]]と称される逆転劇は、スーパーボウル史上の伝説として語られている<ref name="top6">{{citeCite web|和書|url=http://www.nfljapan.com/headlines/34171.html |title=名QBモンタナの偉大な試合トップ6 |publisher=NFL JAPAN |date=2012-06-12 |accessdate=2012-06-28 }}</ref>。
 
== 経歴 ==
107行目:
[[1987年のNFL|1987年]]、4月にナイナーズは[[タンパベイ・バッカニアーズ]]からドラフト2巡指名権とトレードで[[スティーブ・ヤング]]を獲得した<ref>{{cite web|url=http://articles.latimes.com/1987-04-25/sports/sp-917_1_steve-young |title=49ers Trade Two Draft Choices for Steve Young |publisher=[[ロサンゼルス・タイムズ]] |date=1987-04-25 |accessdate=2012-03-03 }}</ref>。ストライキで[[NFL選手会]]に所属する大部分の選手が[[ピケッティング|ピケ]]を張って欠場し、多くの代替選手が代わりに出場した際もチームメートの[[ロジャー・クレイグ (アメリカンフットボール)|ロジャー・クレイグ]]、[[ドワイト・クラーク]]や[[ローレンス・テイラー]]、[[マーク・ガスティノー]]、[[ランディ・ホワイト (アメリカンフットボール)|ランディ・ホワイト]]、[[トゥー・トール・ジョーンズ]]、[[スティーブ・ラージェント]]、[[リン・スワン]]、[[トニー・ドーセット]]、[[ハウィー・ロング]]などとピケ破りを行い試合出場を続けた<ref>{{cite web|url=http://goldenrankings.com/mbordelon4345/nfl1987.htm |title=1987 NFL Players Union Strike |publisher=goldenrankings.com |date= |accessdate=2012-03-03 }}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.realclearsports.com/lists/work_stoppages_in_sports/nfl_strike_1987.html |title=3. 1987 NFL Strike |publisher=realclearsports.com |date=2011-03-14 |accessdate=2012-03-03 }}</ref>。彼はこの年、自己最高の31TDパスを13試合の出場であげ、22本連続パス成功のNFL記録も作り<ref>{{cite web|url=http://www.nytimes.com/1987/12/07/sports/nfl-montana-s-record-helps-49ers-win.html |title=Montana's Record Helps 49ers Win |publisher=ニューヨーク・タイムズ |date=1987-12-07 |accessdate=2012-03-03 }}</ref>、3,054ヤード、NFLトップのQBレイティング<ref name="hof" /><ref name="bounces" />102,1の成績をあげた。チームは13勝2敗とNFLトップの成績をあげて、プレーオフ初戦で8勝7敗でシーズンを終えた[[ミネソタ・バイキングス]]と対戦した。バイキングスの[[ジェリー・バーンズ]]ヘッドコーチのゲームプランはモンタナを徹底的にマークし、ライスとのホットラインを絶つことにあった。この試合で彼は4サックされ、24-36と敗れシーズンを終えた<ref>{{cite web|url=http://www.nytimes.com/1988/01/10/sports/vikings-shock-49ers-browns-stop-colts-carter-sets-a-record-in-easy-36-24-victory.html |title=VIKINGS SHOCK 49ERS; BROWNS STOP COLTS: Carter Sets a Record In Easy 36-24 Victory |publisher=ニューヨーク・タイムズ |author=FRANK LITSKY |date=1988-01-10 |accessdate=2012-03-03 }}</ref>。なおスティーブ・ヤングはこの年8試合に出場、QBレイティング120.8の成績をあげた。
 
[[1988年のNFL|1988年]]にはレギュラーシーズンで不調となり、一時[[スティーブ・ヤング]]にポジションを奪われた。ヤングは11試合に出場、モンタナをトレードに出すべきという声も聞かれた。[[ラスベガス・レイダース|ロサンゼルス・レイダース]]に敗れて6勝5敗、地区3位となり、プレーオフ出場も危ぶまれたところで先発QBに復帰、最終週の[[ロサンゼルス・ラムズ]]戦では、[[ケビン・グリーン]]に4.5サックされて敗れたものの<ref>{{citeCite web|和書|url=http://www.nfljapan.com/headlines/45180.html |title=チーム別ドラフト成功 -ラムズ- |publisher=NFL JAPAN |date=2013-04-13 |accessdate=2013-04-14 }}</ref>、最後の5試合を4勝1敗とし、10勝6敗で地区優勝を果たした。プレーオフでは1年前に敗れた相手、ミネソタ・バイキングスを相手に前半だけでライスへ3本のTDパスを通し、34-9と勝利、[[シカゴ・ベアーズ]]を敵地[[ソルジャー・フィールド]]で気温氷点下1度、[[体感温度]]マイナス30度の寒さの中、28-3と破りスーパーボウル出場を決めた。[[第23回スーパーボウル]]ではパス36回中23回成功、スーパーボウル記録となる357ヤード、2TDを決めて、[[シンシナティ・ベンガルズ]]を20-16で破り3度目のスーパーボウル優勝を果たした。この試合では残り3分20秒で13-16とリードされ自陣8ヤードからの攻撃を残り34秒に[[ジョン・テイラー (アメリカンフットボール)|ジョン・テイラー]]への10ヤードの逆転TDに結びつけた<ref name="schwartz" />。この攻撃シリーズで彼はパス9回中8回成功、97ヤードを獲得した(反則による罰退があったため92ヤードより長い。)。
 
{{Main|#ザ・ドライブ}}
147行目:
残り時間の少ない中、ベンガルズのディフェンスはモンタナがサイドライン際にパスを投げて時計を止めようとするだろうと予想したが、モンタナはフィールド中央のクレイグ、TE[[ジョン・フランク]]に連続してパスを通した。ライスへの7ヤードのパスが成功した後、クレイグの2回のランでナイナーズは自陣35ヤードまでボールを進めて最初のタイムアウトを取った。
 
その後ライスへの17ヤード、クレイグへの13ヤードのパスで敵陣35ヤードまで前進した。次のプレーでモンタナはこのドライブで初めてパスを失敗、しかもイリーガルマン・ダウンフィールドの反則で10ヤード罰退、残り1分15秒で第1ダウン残り20ヤードに追い込まれた。この困難な状況でモンタナは敵陣33ヤード地点で3人のディフェンスに囲まれたライスへのパスを成功させ、ライスはランアフターキャッチで15ヤードを稼ぎ、このプレーは27ヤードのパスとなり、[[レイ・ホートン (アメリカンフットボール)|レイ・ホートン]]がライスを止めなければタッチダウンとなっていたところであった。クレイグへの8ヤードのパスで残り39秒で敵陣10ヤードまで前進、最後は[[ジョン・テイラー (アメリカンフットボール)|ジョン・テイラー]]への10ヤードのTDパスが決まり20-16となり、モンタナは11回92ヤードのTDドライブを成功させた<ref name="history">{{citeCite web|和書|url=http://www.nfljapan.com/superbowl2012/history23.html |title=第23回スーパーボウルヒストリー |publisher=NFL JAPAN |date= |accessdate=2012-02-09 }}</ref>。
 
残り時間わずかでのベンガルズの攻撃も[[ブーマー・アサイアソン]]から[[クリス・コリンズワース]]へのパスが失敗し試合終了、ナイナーズが4年ぶり3回目の優勝を果たした。[[1978年のNFL|1978年]]にレギュラーシーズンが16試合制になってから、10勝6敗のチームがスーパーボウルで優勝するのは初めてのことであった。なおモンタナは最後のドライブで[[過呼吸症候群]]にかかっていた<ref>NFL スーパーボウル・コレクション: サンフランシスコ・49ers (DVD) [[ワーナー・ホーム・ビデオ]] 2008年1月25日 ASIN: B000UUST44</ref>。この92ヤードのドライブでモンタナはパスを9回中8本通して87ヤード前進させた。
316行目:
 
== 人物 ==
3回結婚している。ノートルダム大学時代の1974年に地元出身の恋人キム・モーゼスと最初の結婚をしたが、3年経たずに離婚した。1981年に再婚したが1984年に離婚した<ref>{{cite web|url=http://www.nytimes.com/1984/07/08/sports/sports-people-comings-and-goings.html |title=Comings and Goings |publisher=ニューヨーク・タイムズ |date=1984-07-08 |accessdate=2012-03-03 }}</ref>。そして[[シック (剃刀)|シック]]のコマーシャルで共演した女優、モデルのジェニファー・ウォレスと1985年に結婚した。彼女との間には4人の子どもがおり<ref>{{cite web|url=http://online.wsj.com/article/SB10001424052748703740004574513473606656990.html |title=Where Joe Montana Kicks Back |publisher=[[ウォール・ストリート・ジャーナル]] |author=JULIET CHUNG |date=2009-11-06 |accessdate=2012-03-03 }}</ref>、長男の{{仮リンク|ネイト・モンタナ|en|Nate Montana}}は父親と同じノートルダム大学、[[ウェスト・バージニア大学]]など4大学に在籍し、2012年はNCAA2部校の[[ウェスト・バージニア・ウェズリアン・カレッジ]]でプレー、2013年のNFLスーパー・リージョナル・コンバインに参加している<ref>{{citeCite web|和書|url=http://www.nfljapan.com/headlines/45033.html |title=偉大な父を持つネイト・モンタナ、コンバインの評価は? |publisher=NFL JAPAN |date=2013-04-09 |accessdate=2013-04-14 }}</ref>。
 
2008年、モンタナはかつての妻であるモーゼスが、ノートルダム大学時代に彼女に送ったラブレターや記念品を[[オークション]]にかけたことから彼女とオークションサイトに対して訴えを起こした<ref>{{cite web|url=http://reason.com/blog/2008/05/28/invasion-of-privacy-copyright |title=Invasion of Privacy, Copyright Infringement, or Just Shame at Sending a Ziggy Card? |publisher=reason.com |author=Nick Gillespie |date=2008-05-28 |accessdate=2012-03-03 }}</ref><ref>{{cite web|url=http://bleacherreport.com/articles/743445-the-40-nastiest-divorces-in-sports-history#/articles/743445-the-40-nastiest-divorces-in-sports-history/page/3 |title=Joe Montana & Kim Moses |publisher=bleacherreport.com |author=Amber Lee |date=2011-06-24 |accessdate=2012-03-03 }}</ref>。
340行目:
== 日本での知名度 ==
*ノートルダム大学時代に[[第4回ジャパンボウル]]で来日した。
*バブル期、90の1990年代初頭、[[三菱電機]]の[[AV機器]]のCMに出演し、「どんなモンタナ」<ref>[[第23回スーパーボウル]]の[[日本テレビ]]の中継で解説の[[後藤完夫]]がモンタナのプレイを称賛する際などにどんなモンタナ」と発していた。</ref>「[[状況判断|ジョー況判断]]」と言うセリフでインパクトを残した。
*[[ノートルダム・ジャパン・ボウル2009]]では特別親善大使となったが、2009年6月26日、[[マイク・ゴーリック]]とともに、家族の都合を理由に来日を中止した<ref>ノートルダム・ジャパン・ボウル モンタナ氏らの来日中止/アメフト 読売新聞 2009年6月27日朝刊19ページ</ref><ref>{{citeCite web|和書|url=http://www.americanfootball.jp/nr/NR_NJB_20090220.pdf |title=あの伝説のQBジョー・モンタナらが特別親善大使として来日へ! NFL歴代3位のWRティム・ブラウンがコーチングスタッフとして参戦決定 |publisher=[[日本アメリカンフットボール協会]] |format=PDF |date=2009-02-20 |accessdate=2010-10-24}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.bluegraysky.com/Notre_Dame_Japan_Bowl_2009.htm |title=Notre Dame Japan Bowl 2009 |author=Nate Ledbetter |accessdate=2010-10-24}}</ref>。
*[[メガドライブ]]専用ソフトとして「ジョー・モンタナ フットボール」「ジョー・モンタナII スポーツトークフットボール」が発売されていた。「ジョー・モンタナIII」の発売予定もあったが、最終的にローカライズ中止となった。メガCD版の「ジョー・モンタナ フットボール」もローカライズ中止となっている。彼のゲーム化作品日本版移植は3作品で実現し、5作品で頓挫している<ref>鯨武長之介『PCエンジン&メガドライブ発売中止ゲーム図鑑』三才ブックス、2023年3月22日 124ページ</ref>
 
== 脚注 ==
375行目:
[[Category:NFL選手]]
[[Category:アメリカンフットボールのクォーターバック]]
[[Category:サンフランシスコ・フォーティナイナーズ49ersの選手]]
[[Category:カンザスシティ・チーフスの選手]]
[[Category:スーパーボウルMVP]]