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[[1864年]]にメルトン・ヒルにキャンプが設営され、初期の開拓が始まった。ロバート・タウンズ(Robert Towns)が1866年に後のタウンズビルになる場所を訪れる。しかし、タウンズは3日間滞在したのみであり、その他の期間に滞在したことはない。しかし、タウンズはこの町の発展のために資金の提供の協力をした。タウンズビルの名は、ロバート・タウンズにちなむものである。
 
[[1896年]]のタウンズビル周辺には、[[サトウキビ]]栽培、真珠の養殖、なまこの採集などの産業に従事する日本人労働者が増加。約4000人ほどが滞在するようになったため、日本政府はオーストラリアで最初の[[領事館]]をタウンズビルに開設した。しかし、1901年にオーストラリアが独立し[[白豪主義]]政策を導入<ref>{{Cite web |和書|date=2010 |author=鈴木 清史 |url=https://ci.nii.ac.jp/naid/110007579075/ |title=オーストラリアの戸惑い : 2つの巨大貿易国のはざまで (日本とアジアの相互の照射 p54|format=PDF |publisher= 静岡大学人文学部アジア研究センター |accessdate=2020-12-17}}</ref>すると、タウンズビルを離れる日本人が増え、1908年には閉鎖された。
 
[[1942年]]-[[1946年]]の[[第二次世界大戦|太平洋戦争]]時にはタウンズビルは軍事基地が設置され、[[オーストラリア軍]]、[[アメリカ軍]]など併せて90,000人が駐屯した。[[1942年]]に[[日本軍]]の空襲を受けた。現在は米軍は駐留していない。同州中部・北部の都市からは多くの[[戦争花嫁]]がアメリカに渡った。
 
[[2019年]]1月末に数日間続く豪雨があり、100年に1度の災害となった。数百件の家屋が浸水する被害が出たほか、冠水に乗じて[[オーストラリアワニ]]や[[ヘビ]]が大量に押し寄せるという地域独特の可能性も指摘され、住民らは警戒を余儀なくされた<ref>{{Cite web |和書|date=2019-02-04 |url= https://www.cnn.co.jp/world/35132239.html|title= 「100年に1度」の洪水で2万世帯に浸水危機、ワニやヘビも街へ|publisher=CNN |accessdate=2019-02-10}}</ref>。
 
== 経済 ==
タウンズビルには[[銅]]と[[亜鉛]]の精錬所が存在し、[[マウントアイザ]]から運ばれてくる銅鉱石と、外国から輸入した亜鉛鉱石を[[精錬]]している<ref>「地理的オーストラリア論」p108-109 谷内達 古今書院 2018年9月22日初版第1刷発行</ref>。
 
=== 交通 ===
*[[タウンズビル空港]]
*[[タウンズビル駅]]には、QR([[クイーンズランド鉄道]])[[トラベルトレイン]]の長距離旅客列車が発着する。南の[[ブリスベン]]と北の[[ケアンズ]]を[[ノース・コースト線 (クイーンズランド州)|ノース・コースト線]]経由で結ぶ列車やタウンズビルと西の{{仮リンク|[[マウントアイザ|en|Mount Isa, Queensland}}]]を[[マウント・アイザ線]]経由で結ぶ列車がある。
*大陸周回道路である国道1号線の{{仮リンク|[[ブルース・ハイウェイ|en|Bruce Highway}}]]が通過する。り、[[高速バス]]が停車する。
*タウンズビル港は後背地域からの農林産品・鉱産品の積み出し港として重要である。クイーンズランド鉄道の貨物列車が上述の各方面から接続する。
 
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*[http://www.townsville.qld.gov.au Townsville Council]
*[http://www.townsville-port.com.au Port of Townsville]
*[httphttps://mapswww.google.com/maps?ll=-19.298507,146.78627&spn=0.211268,0.300407&om=1 Googleマップ]
 
{{Normdaten}}