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{{F1ドライバー
}}
'''ロニー・バックナム'''('''Ronnie Bucknum'''、[[1936年]][[8月5日]] - [[1992年]][[4月14日]])は、アメリカ人の
== 経歴 ==
=== F1 ===
==== 1964年 ====
この年よりF1に参戦することとなった[[ホンダF1|ホンダチーム]]のドライバーに抜擢される。第6戦ドイツGPで初参戦するが、チームの不慣れやマシンの欠陥から、まともに走れないまま予選を終了する事態となった。何とか特別な計らいでマシンを決勝グリッドに並べたバックナムは、最後尾の22位から追い上げ、一時は9位まで浮上。しかし、残り3周でナックルアームの金属疲労からクラッシュ、13位に終わった。
第7戦を欠場し挑んだ第8戦イタリアGPでは、エンジンパワーを生かし、一時5位まで浮上したが、オーバーヒートおよびブレーキトラブルでリタイヤ。そして第9戦アメリカGPでも、オーバーヒートからリタイヤ。デビュー戦はリザルト上完走扱いとなったものの、1レースも走り切ることが出来なかった。
==== 1965年 ====
1965年よりチームは、経験豊富な[[リッチー・ギンサー]]とも契約。当初の予定では、チームはギンサーにマシンの熟成を任せ、エースドライバーにはバックナムを起用する筈だったが、[[中村良夫 (
第8戦よりバックナムにも再びマシンが与えられたが、ギンサー偏重主義は変わらなかった。最終戦メキシコGPでは、予選で4位相当のタイムを出したにもかかわらず、No.1ドライバーとしての権利を主張するギンサーにマシンの交換を要求されたため(当時は予選中でもマシンの交換が可能だった)、最終的に10番手からのスタートを余儀なくされた(予選順位はレースに出走する車で出したタイムで決定されるため)。
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1966年はチームの参戦が大きく遅れ、バックナムは2戦のみの出走となった。それぞれリタイヤ、8位に終わっている。
シーズン終了後、
=== F1後 ===
その後は地元アメリカにでレース活動を続けた。
また1966年から
晩年は[[糖尿病]]にかかり、闘病生活を送っていた。失明するなど症状は悪化し、1992年に56歳で死去した。
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*現在、息子の[[ジェフ・バックナム]]もレーサーとなっている。
==
=== F1 ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%"
! 年
119 ⟶ 120行目:
! NC<br>(22位)
! 0
|}
=== ル・マン24時間レース ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%"
! 年
! チーム
! コ・ドライバー
! 使用車両
! クラス
! 周回
! 総合順位
! クラス順位
|-
! [[1966年のル・マン24時間レース|1966年]]
|align="left"| {{flagicon|USA}} [[ホールマン・ムーディ|ホールマン & ムーディ]] / [[エセックス ワイヤー|エセックス ワイヤー Corp.]]
|align="left"| {{flagicon|USA}} [[ディック・ハッチャーソン]]
|align="left"| [[フォード・GT40|フォード・GT40 Mk.II]]
| P<br>+5.0
| 348
|bgcolor="#FFDF9F"| '''3位'''
|bgcolor="#FFDF9F"| '''3位'''
|}
== 脚注 ==
[[Category:アメリカ合衆国のF1ドライバー|はつくなむろにい]]▼
<div class="references-small">
[[Category:1936年生|はつくなむろにい]]▼
<references />
[[Category:1992年没|はつくなむろにい]]▼
</div>
{{ホンダF1}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:はつくなむ ろにい}}
[[Category:ホンダのF1ドライバー]]
[[Category:ル・マン24時間レースのドライバー]]
[[Category:スポーツカー世界選手権のドライバー]]
[[Category:ロサンゼルス郡出身の人物]]
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