「トニー・ブルックス」の版間の差分

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{{F1ドライバー|
| 氏名 = トニー・ブルックス<br>Tony |Brooks
| Image =
国籍 = {{GBR}}<br />{{ENG}} |
| image_size = 220px
年 = 1956-1961 |
| 説明 = トニー・ブルックス (1958年)
所属チーム = [[BRM]], [[ヴァンウォール]],<br />[[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]], [[BRP (F1)|BRPクーパー]] |
| フルネーム = チャールズ・アンソニー・スタンディッシュ・ブルックス<br>Charles Anthony Standish Brooks
出走回数 = 38 |
| 略称表記 =
タイトル = 0 |
| 国籍 = {{GBR}}
優勝回数 = 6 |
| 出身地 = {{ENG}}<br>[[チェシャー|チェシャー州]][[デューキンフィールド]]
通算獲得ポイント = 75 |
| 生年月日 = {{生年月日|1932|2|25}}
表彰台回数 = 10 |
| 没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1932|2|25|2022|5|3}}
ポールポジション = 3 |
| 年 = 1956-1961
ファステストラップ = 3 |
| 所属チーム = '56,'61 [[ブリティッシュ・レーシング・モータース|BRM]]<br>'57-'58,'59,'60 [[ヴァンウォール]]<br>'59 [[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]]<br>'60 [[クーパー・カー・カンパニー|クーパー]]
初戦 = [[1956年モナコグランプリ|1956年イギリスGP]] |
| 出走回数 = 39 (38スタート)
初勝利 = [[1957年イギリスグランプリ|1957年イギリスGP]] |
| タイトル = 0
最終勝利 = [[1959年ドイツグランプリ|1959年ドイツGP]] |
| 優勝回数 = 6
最終戦 = [[1961年アメリカグランプリ|1961年アメリカGP]] |
| 表彰台回数 = 10
| 通算獲得ポイント = 75
| ポールポジション = 3
| ファステストラップ = 3
| 初戦 = [[1956年モナコグランプリ|1956年モナコGP]]
| 初勝利 = [[1957年イギリスグランプリ|1957年イギリスGP]]
| 最終勝利 = [[1959年ドイツグランプリ|1959年ドイツGP]]
| 最終戦 = [[1961年アメリカグランプリ|1961年アメリカGP]]
}}
 
'''トニー・ブルックス'''('''Charles Anthony "Tony" Standish Brooks''' , [[1932年]][[2月25日]] - )は、[[イギリス]]の元[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー。
'''チャールズ・アンソニー・"トニー"・スタンディッシュ・ブルックス'''('''Charles Anthony "Tony" Standish Brooks''', [[1932年]][[2月25日]]<ref name="highspeeddriving-124">『ハイスピード・ドライビング』p.124。</ref> - [[2022年]][[5月3日]]<ref>{{Cite web |title=Morto a 90 anni Tony Brooks, gareggiò anche in Ferrari - F1 |url=https://www.ansa.it/sito/notizie/sport/f1/2022/05/03/morto-a-90-anni-tony-brooks-gareggio-anche-in-ferrari_0baffeeb-0ea9-488b-b8c4-20f261bf1429.html |website=Agenzia ANSA |date=2022-05-03 |access-date=2022-05-03 |language=it}}</ref>)は、[[イギリス]]の元[[自動車競技|レーシングドライバー]]<ref name="highspeeddriving-124"/>。
 
== 経歴 ==
元々は歯科医生という経歴を持ち、レースは趣味<ref name="highspeeddriving-124"/>で、クラブイベントからレースをスタートした。
=== 1956年以前 ===
元々は歯科医生という経歴を持ち、クラブイベントからレースをスタート。[[1955年]]、[[フォーミュラ3000|F2]]への参戦で、初めてシングルシーター車をドライブした。また同年、[[コンノート]]からF1のノンタイトル戦にも参戦した。
 
=== 1955年 ===
1956年第2戦[[モナコグランプリ|モナコGP]]にて、BRMからF1に初参戦。予選を13位で通過したが、決勝は走行出来ずデビューはならなかった。その後、地元となる第6戦イギリスGPにて、再びBRMから参戦。予選9位から決勝も走行し、F1デビューを果たした(結果はリタイヤ)。
[[1955年のル・マン24時間レース]]<ref name="highspeeddriving-124"/>で[[アストンマーティン]]<ref name="highspeeddriving-124"/>DB3Sの25号車に乗ったのが、国際レースへの最初の出場となった<ref group="注釈">『ハイスピード・ドライビング』p.124は「1954年」とするが、『ル・マンの英国車』pp.54-56「1954」アストンマーティンのドライバーはDB3SがR・パーネル/R・サルヴァドーリ組、P・コリンズ/プリンス・ビラ組、G・ホワイトヘッド/I・ステュワート組、C・シェルビー/P・フレール組、の4台、DB2/4がJ・P・コラス/H・ダ・シルヴァ・ラモスフレール組の1台の計5台であり、トニー・ブルックスの名前は発見できず。イギリス車は他にトライアンフ1台とジャガー4台が出場しているがそちらのドライバーにも見当たらない。ゆえに『ハイスピード・ドライビング』p.124の「1954年」を「1955年」の誤植とし、1955年を国際レースデビューとして扱った。</ref>が、バッテリー破損で9時間目にリタイヤとなった<ref name="britishcarsatlemans-57">『ル・マンの英国車』pp.57-59「1955」。</ref>。[[1955年]]、[[フォーミュラ3000|F2]]への参戦で、初めてシングルシーター車をドライブした。また同年、[[コンノート・エンジニアリング|コンノート]]からF1のノンタイトル戦にも参戦した。
 
=== 1956年 ===
1956年第2戦[[モナコグランプリ]]にて、[[ブリティッシュ・レーシング・モータース|BRM]]からF1に初参戦。予選を13位で通過したが、決勝は走行できずデビューはならなかった。その後、地元となる第6戦イギリスグランプリにて、再びBRMから参戦。予選9位から決勝も走行し、F1デビューを果たした(結果はリタイヤ)。
 
[[1956年のル・マン24時間レース]]ではDBR1/250<ref name="britishcarsatlemans-60">『ル・マンの英国車』pp.60-63「1956」。</ref>の14号車<ref name="britishcarsatlemans-60"/>に乗り、凄まじいエンジン音を出し<ref name="britishcarsatlemans-60"/>、ユノディエールで最高速度210.897km/hを記録<ref name="britishcarsatlemans-60"/>し、夜中には4位にのし上がる<ref name="britishcarsatlemans-60"/>などかなり目立った走り<ref name="britishcarsatlemans-60"/>をしたが、24時間目に入ってから7位で走行中<ref name="britishcarsatlemans-60"/>ミュルサンヌで<ref name="britishcarsatlemans-60"/>リアアクスルが故障<ref name="britishcarsatlemans-60"/>しリタイヤとなった<ref name="britishcarsatlemans-60"/>。
 
=== 1957年 ===
1957年は、[[ブリティッシュ・レーシング・モータース|BRM]]同様イギリスチームであるヴァンウォール<ref name="highspeeddriving-124"/>に移籍し、F1本格参戦。初陣となる第2戦モナコGPグランプリでは、予選4位から2位に入賞、初の表彰台を記録した。[[アストンマーティン]]<ref name="highspeeddriving-124"/>で[[ニュルブルクリンク]]1000kmレース<ref name="highspeeddriving-124"/>で優勝<ref name="highspeeddriving-124"/>した。
 
形式上組み込まれていたに過ぎない第3戦アメリカGPグランプリ、[[ル・マン24時間レース]]での負傷が癒えていなかった第4戦[[フランスグランプリ|フランスGP]]の2戦を欠場後、第5戦イギリスGPグランプリでは予選3位を獲得。決勝では、エースドライバー[[スターリング・モス]]とのシェアドライブ<ref group="注釈">当時は、チーム内でのマシンの交換が許されており、その場合それぞれに半分のポイントが与えられていた。</ref><ref name="highspeeddriving-124"/>ながら優勝を記録し、自身・チームに加え、イギリス車全般においてもF1初となる勝利を、地元で達成する結果となった<ref group="注釈">ただしレース内容は、リタイヤしていたモスが9位を走行していたブルックスと交代した後追い上げるというもので、優勝はモスによる力が大きかった。この為、ため資料によってはブルックスの勝利に加えられていない場合もある。</ref>。
 
また最終戦[[イタリアグランプリ|イタリアGP]]では、最終的にリタイヤとなったものの、初の[[ファステストラップ|FL]]を記録した。
 
[[1957年のル・マン24時間レース]]ではDBR1<ref name="britishcarsatlemans-64">『ル・マンの英国車』pp.64-67「1957」。</ref>に乗り6位を走行中<ref name="britishcarsatlemans-64"/>、朝の2時頃にトニー・ブルックスに交代してすぐテルトルルージュ<ref name="britishcarsatlemans-64"/>でコースからはみ出した<ref name="britishcarsatlemans-64"/>ところに[[ウンベルト・マリオーリ]]<ref name="britishcarsatlemans-64"/>のポルシェに激突されて病院搬送<ref name="britishcarsatlemans-64"/>され、2人とも奇跡的に擦り傷だけで済んだ<ref name="britishcarsatlemans-64"/>もののリタイヤとなった。
 
=== 1958年 ===
[[1958年]]もヴァンウォールに残留<ref name="highspeeddriving-124"/>。チームが開幕戦[[アルゼンチングランプリ|アルゼンチンGP]]を欠場したため、第2戦モナコGPグランプリが初陣となった。ブルックスはその予選において、自身初の[[ポールポジション|PP]]を獲得している(決勝はリタイヤ)。
 
第4戦[[ベルギーグランプリ|ベルギーGP]]では、予選5位から序盤にトップに立ち優勝、単独での初優勝<ref name="highspeeddriving-124"/>を達成した。その後も第8戦ドイツGP・グランプリ<ref name="highspeeddriving-124"/>と第10戦イタリアGPグランプリ<ref name="highspeeddriving-124"/>で優勝、どちらも予選2位からの勝利だった。
 
この計3勝などで、ドライバーズランクでは[[マイク・ホーソーン|マイク・ホーソン]]、[[スターリング・モス]]に次ぐ3位を獲得し、またチームの初代コンストラクターズタイトル獲得にも貢献。この年引退した[[ファン・マヌエル・ファンジオ|ファン・マニュエル・ファンジオ]]は、自身去りし後のF1牽引者として、真っ先にブルックスの名を挙げたという。
 
[[1958年のル・マン24時間レース]]では[[モーリス・トランティニアン]]と組んでDBR1<ref name="britishcarsatlemans-68">『ル・マンの英国車』pp.68-73「1958」。</ref>に乗り3-4位を争っていた<ref name="britishcarsatlemans-68"/>が、朝の5時50分頃<ref name="britishcarsatlemans-68"/>[[トランスミッション]]不調<ref name="britishcarsatlemans-68"/>のためミュルサンヌでリタイヤ<ref name="britishcarsatlemans-68"/>となった。
=== 1959年 ===
1959年はヴァンウォールが活動を大幅に縮小し、参戦は第5戦イギリスGPのみとなった。ブルックスは、そのレースのみ同チームからエントリーしたが、残りのレースはフェラーリから出走。開幕戦モナコGPで2位に入り、幸先の良いスタートを切った。
 
この年のTTレースではスターリング・モスと組んで勝利した<ref name="highspeeddriving-124"/>。
シーズン中盤、第4戦フランスGPにおいて予選でPPを獲得し、決勝でも優勝。自身初の[[ポールトゥーウィン]]を達成した。2ヒート制となった第6戦ドイツGPでも、2度目のポールトゥーウィンを記録。この際は、FLも獲得しての完全勝利だった。
 
=== 1959年 ===
1959年はヴァンウォールが活動を大幅に縮小し、参戦は第5戦イギリスグランプリのみとなった。ブルックスは、そのレースのみ同チームからエントリーしたが、残りのレースはフェラーリ<ref name="highspeeddriving-124"/>から出走。開幕戦モナコグランプリで2位に入り、幸先の良いスタートを切った。
 
シーズン中盤、第4戦フランスグランプリにおいて予選でPPを獲得し、決勝でも優勝<ref name="highspeeddriving-124"/>。自身初の[[ポールトゥーウィン]]を達成した。しかしイギリスグランプリをフェラーリの[[ストライキ]]により欠場しポイントを重ねることができず、これがチャンピオンシップに大きく響いた。2ヒート制となった第6戦ドイツグランプリでも、2度目のポールトゥーウィンを記録しての勝利<ref name="highspeeddriving-124"/>。この際は、FLも獲得しての完全勝利だった。世界チャンピオンは目の前だったがイタリアグランプリのスタートでクラッチを焼いてしまい、結果としてタイトルを逃した<ref name="highspeeddriving-124"/>。最終戦アメリカグランプリでの3位により、[[ジャック・ブラバム]]に次ぐランキング2位<ref name="highspeeddriving-124"/>でシーズンを終了。これが自身のベストランクとなった。
最終戦アメリカGPでの3位により、ブルックスは[[ジャック・ブラバム]]に次ぐランキングを2位に浮上し、シーズンを終了。これが自身のベストランクとなった。
 
=== 1960年 ===
[[1960年]]はBRPに移籍し、プライベーター使用の[[クーパー (F1)・カー・カンパニー|クーパー]]から参戦。しかし前年同様、ヴァンウォールが第6戦フランスグランプリの1戦のみエントリーし(第6戦フランスGP)、そのレースは同チームから出走した。
 
ブルックスは第2戦モナコGPグランプリが初陣となり、そのレースでは予選3位から4位入賞。また第5戦ベルギーGPグランプリでは、予選2位を獲得している(決勝はリタイヤ)。しかし、他のレースでは下位グリッドに沈み、モナコGPグランプリ以後の入賞も第7戦イギリスGPグランプリ・第8戦[[ポルトガルグランプリ|ポルトガルGP]]における2度の5位に留まった。
 
=== 1961年 ===
1961年はデビューチームであるBRMに舞い戻ったが、前年以上に低迷。完走しても入賞圏外というレースが続き、第6戦ドイツGPグランプリ終了時点では未だノーポイントであった<ref group="注釈">第5戦イギリスGPグランプリではFLを記録したが、前年よりFLはポイントの対象外となっていた。</ref>。
 
その後、第7戦イタリアGPグランプリで5位に入り、シーズン初入賞。続く最終戦アメリカGPグランプリでは3位に入り、2年ぶりに表彰台に立ったが、結局このレースをもってレースキャリアを終了。29歳での引退だった。その後は歯科医に専念している<ref name="highspeeddriving-124"/>
 
== F1での年度別成レース戦績 ==
=== フォーミュラ1 ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%"
! 年
! エントラント
! 所属チーム
! シャシー
! エンジン
! 1
! 2
75 ⟶ 95行目:
|-
! [[1956年のF1世界選手権|1956年]]
! [[ブリティッシュ・レーシング・モータース|オーウェン]] ([[ブリティッシュ・レーシング・モータース|BRM]])
! [[BRM・P25|P25]]
! [[ブリティッシュ・レーシング・モータース|BRM]] [[直列4気筒|L4]]
 
| [[1956年アルゼンチングランプリ|ARG]]
89 ⟶ 110行目:
|
|
! NC<br>(61位)
! 0
|-
! [[1957年のF1世界選手権|1957年]]
!rowspan="2" | [[ヴァンウォール|ヴァンダーヴェル]] ([[ヴァンウォール]])
!rowspan="2" | [[ヴァンウォール・VW 5|VW 5]]
!rowspan="2" | [[ヴァンウォール]] [[直列4気筒|L4]]
 
| [[1957年アルゼンチングランプリ|ARG]]
103 ⟶ 125行目:
|bgcolor="#CFCFFF"| [[1957年ドイツグランプリ|GER]]<br /><small>9</small>
|bgcolor="#EFCFFF"| [[1957年ペスカーラグランプリ|PES]]<br /><small>Ret</small>
|bgcolor="#DFFFDF"| ''[[1957年イタリアグランプリ|ITA]]''<br /><small>7<sup>*</sup><sup>*</sup></small>
|
|
128 ⟶ 150行目:
!rowspan="2" | [[1959年のF1世界選手権|1959年]]
! [[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]]
! [[フェラーリ・246F1|Dino 246246F1]]
! [[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]] [[V型6気筒|V6]]
 
|bgcolor="#DFDFDF"| [[1959年モナコグランプリ|MON]]<br /><small>2</small>
135 ⟶ 158行目:
|bgcolor="#FFFFBF"| '''[[1959年フランスグランプリ|FRA]]'''<br /><small>1</small>
|
|bgcolor="#FFFFBF"| '''''[[1959年ドイツグランプリ|GER]]'''''<br /><small>1<sup>*</sup><sup>*</sup></small>
|bgcolor="#CFCFFF"| [[1959年ポルトガルグランプリ|POR]]<br /><small>9</small>
|bgcolor="#EFCFFF"| [[1959年イタリアグランプリ|ITA]]<br /><small>Ret</small>
144 ⟶ 167行目:
|rowspan="2" bgcolor="#DFDFDF"| '''27'''
|-
! [[ヴァンウォール|ヴァンダーヴェル]] ([[ヴァンウォール]])
! [[ヴァンウォール・VW 59|VW 59]]
! [[ヴァンウォール]] [[直列4気筒|L4]]
 
|
160 ⟶ 184行目:
|-
!rowspan="2" | [[1960年のF1世界選手権|1960年]]
! [[クーパー・カー・カンパニー|クーパー]]/[[ブリティッシュ・レーシング・パートナーシップ|ヨーマン・クレジット]] ([[クーパー・カー・カンパニー|クーパー]])
! [[クーパー・T51|T51]]
! [[コヴェントリー・クライマックス|クライマックス]] [[直列4気筒|L4]]
 
| [[1960年アルゼンチングランプリ|ARG]]
177 ⟶ 202行目:
!rowspan="2" | 7
|-
! [[ヴァンウォール|ヴァンダーヴェル]] ([[ヴァンウォール]])
! [[ヴァンウォール・VW 11|VW 11]]
! [[ヴァンウォール]] [[直列4気筒|L4]]
 
|
193 ⟶ 219行目:
|-
! [[1961年のF1世界選手権|1961年]]
! [[ブリティッシュ・レーシング・モータース|オーウェン]] ([[ブリティッシュ・レーシング・モータース|BRM]])
! [[BRM・P48P57|P48/P5757]]
! [[コヴェントリー・クライマックス|クライマックス]] [[直列4気筒|L4]]
 
|bgcolor="#CFCFFF"| [[1961年モナコグランプリ|MON]]<br /><small>13</small>
209 ⟶ 236行目:
! 10位
! 6
|}
* '''太字'''は[[ポールポジション]]、''斜字''は[[ファステストラップ]]。([[:Template:F1 driver results legend 2|key]])
* <sup>*</sup> : 同じ車両を使用したドライバーに順位とポイントが配分された。([[スターリング・モス]])
* <sup>**</sup> : ファステストラップを記録した場合1ポイントが与えられる。同タイムのドライバーがいた場合平等に割り当てられた。
 
=== フォーミュラ1 (ノン・チャンピオンシップ) ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%"
! 年
! エントラント
! シャシー
! エンジン
! 1
! 2
! 3
! 4
! 5
! 6
! 7
! 8
! 9
! 10
! 11
! 12
! 13
! 14
! 15
! 16
! 17
! 18
! 19
! 20
! 21
|-
!rowspan="2" | [[1955年のF1世界選手権|1955年]]
! エキップ・エンデヴァー
! [[コンノート・エンジニアリング|コンノート]]・[[コンノート・Type A|Type A]]
! [[リー・フランシス]] [[直列4気筒|L4]]
 
| [[オスカル・ガルベス・サーキット|BUE]]
| [[パルコ・デル・ヴァレンティーノ|VLN]]
| [[ポー・グランプリ|PAU]]
| [[グッドウッド・サーキット|GLV]]
| [[ボルドー|BOR]]
| [[シルバーストン・サーキット|INT]]
| [[ポジリポ・サーキット|NAP]]
| [[シルキュイ・オートモビル・ダルビ|ALB]]
| [[スネッタートン・モーターレーシング・サーキット|CUR]]
| [[デイヴィッドストウ・サーキット|CRN]]
|bgcolor="#DFFFDF"| [[クリスタル・パレス・サーキット|LON]]<br /><small>4</small>
| [[RAF・チャーターホール|REC]]
| [[スネッタートン・モーターレーシング・サーキット|RDX]]
|bgcolor="#DFFFDF"| [[エイントリー・モーターレーシング・サーキット|TLG]]<br /><small>4</small>
| [[オウルトン・パーク|OUL]]
|bgcolor="#DFFFDF"| [[カースル・クーム・サーキット|AVO]]<br /><small>5</small>
|
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|
|-
! [[コンノート・エンジニアリング]]
! [[コンノート・エンジニアリング|コンノート]]・[[コンノート・Type B|Type B]]
! [[アルタ・カー・アンド・エンジニアリング・カンパニー|アルタ]] [[直列4気筒|L4]]
 
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|bgcolor="#FFFFBF"| ''[[シラクサ|SYR]]''<br /><small>1</small>
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|
|-
! [[1956年のF1世界選手権|1956年]]
! [[ブリティッシュ・レーシング・モータース|オーウェン・レーシング・オーガニゼーション]]
! [[ブリティッシュ・レーシング・モータース|BRM]]・[[BRM・P25|P25]]
! [[ブリティッシュ・レーシング・モータース|BRM]] [[直列4気筒|L4]]
 
| [[アードモア空港 (ニュージーランド)|NZL]]
| [[シルクイート・サン・マルティン|BUE]]
|bgcolor="#EFCFFF"| [[グッドウッド・サーキット|GLO]]<br /><small>Ret</small>
| [[シラクサ・サーキット|SYR]]
|bgcolor="#DFDFDF"| ''[[エイントリー・モーターレーシング・サーキット|BAR]]''<br /><small>2</small>
| [[シルバーストン・サーキット|INT]]
| [[ポジリポ・サーキット|NAP]]
|bgcolor="#EFCFFF"| [[エイントリー・モーターレーシング・サーキット|AIN]]<br /><small>Ret</small>
| [[スネッタートン・モーターレーシング・サーキット|VAN]]
| [[シルキュイ・ドゥ・ラ・プレリー|CAE]]
| [[グッドウッド・サーキット|SUS]]
| [[ブランズ・ハッチ|BRS]]
| [[アルバート・パーク・サーキット|AUS]]
|
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|-
!rowspan="2" | [[1957年のF1世界選手権|1957年]]
! [[ヴァンウォール|ヴァンダーヴェル・プロダクツ・Ltd.]]
! [[ヴァンウォール]]
! [[ヴァンウォール]] [[直列4気筒|L4]]
 
| [[オスカル・ガルベス・サーキット|BUE]]
|bgcolor="#EFCFFF"| [[シラクサ・サーキット|SYR]]<br /><small>Ret</small>
| [[ポー・グランプリ|PAU]]
|bgcolor="#DFFFDF"| ''[[グッドウッド・サーキット|GLV]]''<br /><small>6</small>
| [[ポジリポ・サーキット|NAP]]
| [[ランス・グー|RMS]]
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|bgcolor="#EFCFFF"| [[アイン・ディアブ・サーキット|MOR]]<br /><small>Ret</small>
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|-
!rowspan="2" | トニー・ブルックス
! [[クーパー・カー・カンパニー|クーパー]]・[[クーパー・T43|T43]]
!rowspan="2" | [[コヴェントリー・クライマックス|クライマックス]] [[直列4気筒|L4]]
 
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|bgcolor="#EFCFFF"| [[シルキュイ・ドゥ・ラ・プレリー|CAE]]<br /><small>Ret</small>
|bgcolor="#EFCFFF"| [[シルバーストン・サーキット|INT]]<br /><small>Ret</small>
| [[アウトドローモ・ディ・モデナ|MOD]]
|
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|-
! [[1958年のF1世界選手権|1958年]]
! [[クーパー・カー・カンパニー|クーパー]]・[[クーパー・T45|T45]]
 
| [[オスカル・ガルベス・サーキット|BUE]]
| [[グッドウッド・サーキット|GLV]]
| [[シラクサ・サーキット|SYR]]
|bgcolor="#FFDF9F"| [[エイントリー・モーターレーシング・サーキット|AIN]]<br /><small>3</small>
|bgcolor="#EFCFFF"| [[シルバーストン・サーキット|INT]]<br /><small>Ret</small>
| [[シルキュイ・ドゥ・ラ・プレリー|CAE]]
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|-
! [[1959年のF1世界選手権|1959年]]
! [[スクーデリア・フェラーリ]]
! [[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]]・[[フェラーリ・246F1|246]]
! [[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]] [[V型6気筒|V6]]
 
| [[グッドウッド・サーキット|GLV]]
|bgcolor="#DFDFDF"| [[エイントリー・モーターレーシング・サーキット|AIN]]<br /><small>2</small>
|bgcolor="#EFCFFF"| [[シルバーストン・サーキット|INT]]<br /><small>Ret</small>
| [[オウルトン・パーク|OUL]]
| [[スネッタートン・モーターレーシング・サーキット|SIL]]
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!rowspan="3" | [[1960年のF1世界選手権|1960年]]
! [[ヴァンウォール|G.A. ヴァンダーヴェル]]
! [[ヴァンウォール]]
! [[ヴァンウォール]] [[直列4気筒|L4]]
 
|bgcolor="#CFCFFF"| [[グッドウッド・サーキット|GLV]]<br /><small>7</small>
| [[シルバーストン・サーキット|INT]]<br /><small>DNA</small>
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! [[ブリティッシュ・レーシング・パートナーシップ|ヨーマン・クレジット・レーシング・チーム]]
! [[クーパー・カー・カンパニー|クーパー]]・[[クーパー・T51|T51]]
! [[コヴェントリー・クライマックス|クライマックス]] [[直列4気筒|L4]]
 
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|bgcolor="#EFCFFF"| [[ブランズ・ハッチ|SIL]]<br /><small>Ret</small>
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! [[ヴァンウォール|ヴァンダーヴェル・プロダクツ・Ltd.]]
! [[チーム・ロータス|ロータス]]・[[ロータス・18|18]]
! [[ヴァンウォール]] [[直列4気筒|L4]]
 
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|bgcolor="#FFFFFF"| [[スネッタートン・モーターレーシング・サーキット|LOM]]<br /><small>DNS</small>
| [[オウルトン・パーク|OUL]]
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! [[1961年のF1世界選手権|1961年]]
! [[ブリティッシュ・レーシング・モータース|オーウェン・レーシング・オーガニゼーション]]
! [[ブリティッシュ・レーシング・モータース|BRM]]・[[BRM・P57|P48/57]]
! [[ブリティッシュ・レーシング・モータース|BRM]] [[直列4気筒|L4]]
 
| [[スネッタートン・モーターレーシング・サーキット|LOM]]
|bgcolor="#EFCFFF"| [[グッドウッド・サーキット|GLV]]<br /><small>Ret</small>
| [[ポー・グランプリ|PAU]]
| [[グッドウッド・サーキット|BRX]]
| [[アスペルン・サーキット|VIE]]
|bgcolor="#CFCFFF"| [[エイントリー・モーターレーシング・サーキット|AIN]]<br /><small>7</small>
|bgcolor="#EFCFFF"| [[シラクサ・サーキット|SYR]]<br /><small>Ret</small>
| [[ポジリポ・サーキット|NAP]]
| [[クリスタル・パレス・サーキット|LON]]
|bgcolor="#FFDF9F"| [[ブランズ・ハッチ|SIL]]<br /><small>3</small>
| [[ソリチュードレネン|SOL]]
| [[カールスコーガー・モータースタディオン|KAN]]
| [[ロスキレ・リンク|DAN]]
|bgcolor="#DFFFDF"| [[アウトドローモ・ディ・モデナ|MOD]]<br /><small>6</small>
| [[ツェルトベク飛行場|FLG]]
|bgcolor="#DFFFDF"| [[オウルトン・パーク|OUL]]<br /><small>4</small>
| [[ブランズ・ハッチ|LEW]]
| [[ACI・ヴァレルンガ・サーキット|VAL]]
| [[キャラミ|RAN]]
| [[ウエストミード・サーキット|NAT]]
| [[イースト・ロンドン・サーキット|RSA]]
|-
|}
* '''太字'''は[[ポールポジション]]、''斜字''は[[ファステストラップ]]。([[:Template:F1 driver results legend 2|key]])
 
=== ル・マン24時間レース ===
== 脚注 ==
{| class="wikitable" style="font-size: 80%; text-align:center"
{{脚注ヘルプ}}
! 年
<references/>
! チーム
! コ・ドライバー
! 車両
! クラス
! 周回数
! 総合<br>順位
! クラス<br>順位
|-
! [[1955年のル・マン24時間レース|1955年]]
|align="left" | {{flagicon|GBR}} [[アストンマーティン]]・ラゴンダ・Ltd.
|align="left" | {{flagicon|GBR}} [[ジョン・リズリー=プリチャード]]
|align="left" | [[アストンマーティン]]・[[アストンマーティン・DB3S|DB3S]]
|rowspan="4" | S<br>3.0
| 83
| DNF
| DNF
|-
! [[1956年のル・マン24時間レース|1956年]]
|rowspan="3" align="left" | {{flagicon|GBR}} [[アストンマーティン]]・Ltd.
|align="left" | {{flagicon|GBR}} [[レグ・パーネル]]
|align="left" | [[アストンマーティン]]・[[アストンマーティン・DBR1|DBR1]]/250
| 246
| DNF
| DNF
|-
! [[1957年のル・マン24時間レース|1957年]]
|align="left" | {{flagicon|GBR}} ノエル・カニングハム=リード
|rowspan="2" align="left" | [[アストンマーティン]]・[[アストンマーティン・DBR1|DBR1/300]]
| 140
| DNF
| DNF
|-
! [[1958年のル・マン24時間レース|1958年]]
|align="left" | {{flagicon|FRA}} [[モーリス・トランティニアン]]
| 173
| DNF
| DNF
|-
|}
 
== 注釈 ==
{{Reflist|group="注釈"}}
 
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
*[[ポール・フレール]]著、[[小林彰太郎]]・武田秀夫訳『ハイスピード・ドライビング』[[二玄社]]
*ドミニク・パスカル著、[[日沖宗弘]]訳『ル・マンの英国車』[[ネコ・パブリッシング]] ISBN 4-87366-068-8
 
== 関連項目 ==
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{{BRM}}
{{ヴァンウォール}}
 
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ふるつくす とに}}
{{デフォルトソート:ふるつくす とにい}}
[[Category:イングランドのF1ドライバー]]
[[Category:BRMのF1ドライバー]]
[[Category:ヴァンウォールのF1ドライバー]]
[[Category:フェラーリのF1ドライバー]]
[[Category:ル・マン24時間レースのドライバー]]
[[Category:スポーツカー世界選手権のドライバー]]
[[Category:チェシャー出身の人物]]
[[Category:1932年生]]
[[Category:2022年没]]