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| school_tradition = [[分析哲学]]、[[プラグマティズム]]
| main_interests = [[心の哲学]]、[[言語哲学]]、[[科学哲学]]、[[数学の哲学]]、[[メタ哲学]]、[[認識論]]
| notable_ideas = [[多重実現可能性]]、[[機能主義 (心の哲学)]]、[[指示の因果説]]、意味論的外在主義、[[水槽の中の脳]]・[[双子地球]]、[[内在的実在論]]、Kreisel–Putnam logic(中間論理)
| influences = [[ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン|W.V.O.クワイン]]、[[ジョン・デューイ]]、[[ハンス・ライヘンバッハ]]、[[アラン・チューリング]]、[[イマヌエル・カント]]、[[ネルソン・グッドマン]]、[[チャールズ・サンダース・パース]]、[[ウィリアム・ジェームズ]]、[[ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン]]、[[セーレン・キェルケゴール]]、[[カール・マルクス]]、[[ジークムント・フロイト]]、[[ソール・クリプキ]]など
| influenced = [[ジェリー・フォーダー]]、[[ネド・ブロック]]、[[タイラー・バージ]]、[[デビッド・マー]]、[[ダニエル・デネット]]、[[デイヴィド・ルイス]]、[[ソール・クリプキ]]、[[ドナルド・デイヴィッドソン]]、[[ジョージ・ブーロス]]、[[リチャード・ボイド]]、[[ハートリー・フィールド]]、[[マーサ・ヌスバウム]]、[[ジョン・ウォーラル]]など
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| website = <!-- {{URL|example.com}} -->
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'''ヒラリー・ホワイトホール・パトナム'''(Hilary Whitehall Putnam、[[1926年]][[7月31日]] - [[2016年]][[3月13日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[哲学者]]。[[1960年代]]以来、特に[[心の哲学]]、[[言語哲学]]、
== 業績 ==
[[心の哲学]]
[[言語哲学]]
[[数学の哲学|数理哲学]]
[[認識論]]
[[形而上学]]
哲学以外では、
政治活動に積極的だった時期があり、特に1960年代後半から70年代はじめにかけては[[進歩的労働党|進歩労働党]](Progressive Labor Party、略称PLP)の活動に大きく関わった<ref name="Hick">To appear in the "American Philosophers" edition of ''Literary Biography'', ed. Bruccoli, Layman and Clarke</ref><ref name="Foley">{{cite book| author=Foley, M. |title=Confronting the War Machine |publisher=North Carolina Press|location=North Carolina|year=1983|id= ISBN 0-8078-2767-3}}</ref>。
== 経歴 ==
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== 認識論 ==
[[File:Brain in a vat (ja).png|230px|right|thumb|[[水槽の中の脳]]。パトナムはこの[[思考実験]]を使って、懐疑主義的シナリオが不可能であることを証明する。]]
[[認識論]]の領域では、パトナムは「[[水槽の脳]]」の思考実験で知られている。この議論は[[ルネ・デカルト#神の存在証明|デカルトの「悪しき霊」]]の仮説の現代版ともいえるもので、われわれが肉体のない「水槽の脳」であり、ある「[[マッドサイエンティスト]]」によって身体から切り離されて水槽の中に置かれたのだ、とする主張は自家撞着に陥る、とするものである<ref name="BIV" />。ティム・ブラックなどの哲学者はこれを懐疑主義を論駁する議論だと解釈している<ref>{{cite journal|author=Black, T. |title="A Moorean Response to Brain-in-a-Vat Skepticism|journal=Australasian Journal of Philosophy|issue=80|year=2002|pages=148-163}}</ref>。
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当然ながらこの議論は、指示についての因果的理論になる。言葉というものはつねにその言葉によって指し示される事物の種類を指し示しており、それゆえ、それらの言葉の使用者やかつての使用者が経験した事物の種類を指し示しているとしよう。その場合、ある人が(仮にマリーとしよう)「マッドサイエンティスト」によって造られた配線その他の装置を通じてあらゆる経験を受容している「水槽の中の脳」であるとするなら、「脳」についてのマリーの観念はほんとうの脳を指示しているわけではない。マリーもマリーの属する言語共同体もほんものの脳を見たことがないからである。もっと正確に言えば、マリーが脳に似た何かを見たといっても、それは実際には配線を通じて彼女に与えられたイメージでしかない。同様に、「水槽」についての彼女の観念もほんとうの水槽を指し示しているわけではない。従って、もし一個の水槽の中の脳として、マリーが「私は水槽の中の脳だ」と言うとしても、それは実際には「私は水槽のイメージの中の脳のイメージだ」と言っているにすぎず、おかしなことになる。かといってマリーが水槽の中の脳でないとすれば、彼女は反対のことを言っていることになるから、やはりおかしなことになる。すなわち一種の[[認識論]]的外在主義が成り立ち、知識や正当化は、心に外在する要因に依存しており、純粋に内的には決定されないということになる<ref name=BIV />。
パトナム自身の説明によれば、この議論の真の標的は懐疑主義ではなく、形而上学的実在論である<ref name="#1">Wright, C. (1992), “On Putnam's Proof That We Are Not Brains-in-a-Vat”, Proceedings of the Aristotelian Society 92.</ref>。形而上学的実在論は人間が世界を了解する仕方と世界が実際に存在する仕方の間に相違があることを前提にしているので、水槽の脳やデカルトの悪しき霊のような懐疑主義的シナリオはその種の実在論に対する恐るべき挑戦になる。パトナムはそのようなシナリオが不可能であることを示すことによって、人間の世界了解と世界が実際に存在する仕方とのあいだに相違があるという考え方が自家撞着であることを示そうとしているのだ。人間は「神の眼」をもって現実理解をすることはできない。人間は概念スキームによって限界づけられているからである。従って、パトナムによれば形而上学的実在論は誤りなのである<ref>Dell'Utri, M. (1990), “Choosing Conceptions of Realism: the Case of the Brains in a Vat”, Mind 99.</ref>。
== メタ哲学と存在論 ==
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皮肉なことにパトナムの哲学を完膚無きまでにやっつけたのはパトナム自身だったかもしれない<ref name="CH" />。パトナムは頻繁に考えを変え、かつて自身が奉じていた立場を攻撃してきた。とはいえ、他の哲学者や科学者からも彼の見解への多くの重要な批判がおこなわれている。例えば多重実現可能性に対する批判である。もし多重実現可能性が正しいとしたら、神経科学の研究や実験は不可能になってしまう、というのだ<ref name="BandM">Bechtel, William and Mundale, Jennifer. ''Multiple Realizability Revisited'' in ''Philosophy of Science'' 66: 175–207.</ref>。ベクテルとマンダルによれば、神経科学においてこういう研究を行うことができるためには、脳構造の一貫性が存在するか、または存在すると想定しなければならない。様々な種を通じてわれわれが理論を一般化できるとすれば、脳の構造の類似性(あるいは生物学で言う[[相同|相同性]])がなければならないのである<ref name="BandM" />。仮に多重実現可能性が経験的事実だとすれば、動物の一つの種(ないし個体)について行われた実験の結果を他の種(ないし同じ種の他の個体)の行動の説明へと一般化することには意味がなくなってしまうことになる<ref>Kim, Sungsu. ''Testing Multiple Realizability: A Discussion of Bechtel and Mundale'' in ''Philosophy of Science''. 69: 606–610.</ref>。多重実現可能性理論に対する他の批判者としては、[[ジェグォン・キム]]<ref>Kim, Jaegwon. ''Multiple Realizability and the Metaphysics of Reduction'' on ''Philosophy and Phenomenological Research''. 52: 1–26.</ref>、[[デイヴィド・ルイス]]<ref>Lewis, David (1969). “Review of Art, Mind, and Religion.” Journal of Philosophy, 66: 23–35.</ref>、[[ロバート・リチャードソン (物理学者)|ロバート・リチャードソン]]<ref>Richardson, Robert (1979). “Functionalism and Reductionism.” Philosophy of Science, 46: 533–558.</ref>、[[パトリシア・チャーチランド]]<ref>Churchland, Patricia (1986). Neurophilosophy. Cambridge, MA: MIT Press.</ref>などがいる。
機能主義批判論の主要なものの一つはパトナム自身によって提起された([[双子地球]]の思考実験)。とはいえ、機能主義は他の論者からも批判を受けてきている。[[ジョン・サール]]による[[中国語の部屋]]の議論(1980年)は、思考とは様々な機能の集合体として表象できるものだ、という主張に対して、正面から攻撃を加えている。サールの思考実験の目的は、解釈や理解を一切行うことなしに、純粋に機能的なシステムの使用を通じて知的活動を模倣することができるということの証明である。簡単に言うとサールは、英語しかわからない人が一つの部屋の中に閉じこめられるという状況を描いている。部屋には中国の漢字が羅列された紙があり、この漢字の羅列をどう変えていけばよいのかを示した英語のルール・ブックも置かれている。部屋に閉じこめられた人は、外にいる人物から、いくつかの漢字が書かれた紙を与えられたらこのルール・ブックに従ってなんらかの漢字の羅列を部屋の外に渡すという仕事を果たすよう指図される。その上で、部屋の外にいる人物が中国語話者で、部屋の中にいる人と漢字を使って対話しているとしよう。サールによれば、これらの統語的プロセスだけからでは、部屋の中にいる英語話者が中国語を「知っている」とするのはおかしなことである。この思考実験は、統語的プロセスだけに基づいて行われたシステムはいかなる[[意味論 (曖昧さ回避)|意味論]] も[[志向性]]も実現できないということを証明しようとしている。こうしてサールは、思考というものは様々な統語的規則の集合に従うということに等しいとみなしうるという考えに攻撃を加えている。従って機能主義は心の理論としては不適切なのである<ref>Searle, John. (1980). "Minds, Brains and Programs", ''Behavioral and Brain Sciences'', vol.3. ([http://www.bbsonline.org/Preprints/OldArchive/bbs.searle2.html online] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20010221025515/http://www.bbsonline.org/Preprints/OldArchive/bbs.searle2.html |date=2001年2月21日 }})</ref>。また[[ネド・ブロック]]も他の側面から機能主義への反論をいくつか行っている<ref>Block, Ned. (1980b). "Troubles With Functionalism", in Block (1980a).</ref>。
パトナムは多くの点で立場を変えてきたが、意味論的全体主義の概念については一貫して擁護している。しかし意味論的全体主義については[[マイケル・ダメット]]、[[ジェリー・フォーダー]]、[[アーネスト・ルポア]]らによって問題が指摘されている。第一の問題として、もし意味論的全体主義が正しければ、ある言語の話者がどうやってある表現の意味を習得できるようになるのかを理解することが、言語のどんな表現についても不可能になってしまうという問題がある。われわれの認知能力には限界があるから、ある言語の全体について完全に習得することは、言語というものが静的であり変わることのない実体であるという(誤った)仮説に立ったとしても生涯不可能である。実際、ある一つの単語ないし表現を理解するためには自然言語の全体を理解しなければいけないとしたら、言語学習は端的に不可能になってしまう。また第二の問題として、意味論的全体主義では二人の話者が同じ一つの言語表現を用いているときにどのようにして同じことを意味できるのかが説明できないということが挙げられる。従って、二人の話者がどのようにコミュニケーションできるのかも説明できないということになる。''P''という命題ひとつをとっても、フレッドとメアリーは各々英語の異なる部分を習得しており、''P''は命題のそれぞれの部分に異なる仕方で関係しているので、結果的として''P''が意味するものはフレッドとメアリーで異なるということになる。さらに言えば、もし''P''という命題の意味が、ある言語内にある命題全体に対して命題''P''がもっている関係によって決まるのだとすれば、命題を一つ加えるか削るかして個人の語彙が変化してしまうと、途端に命題間の関係の全体も変化してしまい、従って''P''の意味も変わってしまうことになる。これは一般に起こる現象であるので、結果として、同じ一人の人物の生涯の異なる時点で''P''は異なる意味をもつことになる。だとすれば、私がある命題を真と認め、後になって偽とした場合にも、私が偽としたものの意味と私が真であるとしたものの意味がまったく異なるということになり、従って同じ命題について私が意見を変えるということはありえなくなってしまう<ref>Fodor, J. and Lepore, E. ''Holism: A Shopper's Guide''. Blackwell. Oxford. 1992.</ref><ref>Dummett, Michael. ''The Logical Basis of Metaphysics''. Harvard University Press. Cambridge (MA). 1978.</ref><ref>Penco, Carlo. ''Olismo e Molecularismo'' in ''Olismo'' ed. Massimo Dell'Utri. Quodlibet. Macerata. 2002.</ref>。
また[[水槽の脳]]の議論も批判にさらされてきた<ref name="Stein">Steinitz, Y. (1994), “Brains in a Vat: Different Perspectives”, Philosophical Quarterly 44.</ref>。[[クリスピン・ライト]]によれば、パトナムによる水槽の脳の議論は射程が狭すぎて、懐疑主義全般を論駁するものになっていない。人が水槽の中に浮かぶ最近肉体から離れた脳であるという可能性は、意味論的外在主義によって掘り崩されることはない。もしある人がマッドサイエンティストによって脳を水槽漬けにされる以前には水槽の外で--[[母語]]を話し、ごく普通に外界と情報を交換し合って--生活していたのであれば、その人が水槽の中で目覚めたときにも、その人の言葉と思考(例:「木」、「草」など)が指示している対象なり出来事なりは、かつて水槽の外で暮らしていたときに指示していたものと同一であるだろう<ref
数学の哲学の分野では[[ステファン・ヤブロ]]([[:en:Stephen Yablo|Stephen Yablo]],[[MIT]]所属,David S. Skinner Professor of Philosophy)が、クワインとパトナムの不可欠性定理では数学的実体がほんとうに不可欠なものか証明できないと述べている。ヤブロの議論は緻密なものだが、結論だけ言えば、「これこれは実在する」(例:数は実在する)という表現の生起を「これこれは実在すると仮定する」という表現の生起にすべて置き換えるだけで、まったく同一の論理的帰結に達する、ということである。例えば、上記の不可欠性原理について、実在する実体について参照している部分のすべてを実在すると仮定されている実体への参照に置き換えてみると、以下のようになる。
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*:野本和幸、中川大、三上勝生、金子洋之訳『理性・真理・歴史――内在的実在論の展開』法政大学出版局、2012年
* ''Realism and Reason. Philosophical Papers, vol. 3.'' Cambridge: Cambridge University Press, 1983. 2002 paperback: ISBN 0-521-31394-5
*:[[飯田隆 (哲学者)|飯田隆]]、金田千秋、佐藤労、関口浩喜、山下弘一郎訳『実在論と理性』勁草書房、1992年
* ''Methodology, Epistemology, and Philosophy of Science: Essays in Honour of Wolfgang Stegmüller''. edited with Wilhelm K. Essler and Carl G. Hempel. Dordrecht: D. Reidel, 1983.
* ''Epistemology, Methodology, and Philosophy of Science: Essays in Honour of Carl G. Hempel''. edited with Wilhelm K. Essler and Wolfgang Stegmüller. Dordrecht: D. Reidel, 1985.
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== 参考文献 ==
<div class="references-small">
* {{Cite book|和書|author=
* Bechtel, William and Mundale, Jennifer. "Multiple Realizability Revisited" in ''Philosophy of Science'' 66: 175-207.
* Bickle, John., "Multiple Realizability" in ''The Stanford Encyclopedia of Philosophy'' (Fall 2006 Edition), Edward N. Zalta (ed.), [http://plato.stanford.edu/entries/multiple-realizability/ (online)].
* Brown, C., "Internal Realism: Transcendental Idealism?" ''Midwest Studies in Philosophy'' 12 (1988): 145-155.
* Casati R., "Hillary Putnam" in ''Enciclopedia Garzanti della Filosofia''. [[Gianni Vattimo]] (ed). Milan: Garzanti Editori, 2004. ISBN 88-11-50515-1.
* Churchland, Patricia. ''Neurophilosophy''. Cambridge, MA: [[MIT Press]], 1986.
* Clark, P. & Hale, B. (eds.) ''Reading Putnam''. Oxford: Blackwell, 1995.
* Dummett, Michael. ''The Logical Basis of Metaphysics''. [[Harvard University Press]]. Cambridge (MA) 1972.
* Fodor, J. and Lepore, E. ''Holism: A Shopper's Guide''. Oxford: Blackwell, 1992.
* Foley, M., ''Confronting the War Machine''. North Carolina: North Carolina Press. 1983. ISBN 0-8078-2767-3.
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* Matiyesavic, Yuri. ''Hilbert's Tenth Problem''. Cambridge: MIT Press, 1993. ISBN 0-262-13295-8.
* Penco, Carlo. ''Olismo e Molecularismo'' in ''Olismo'', ed. Massimo Dell'Utri. Quodlibet. Macerata. 2002.
* Putnam, Hilary. ''Philosophy of Mathematics: Selected Readings''. Edited with Paul Benacerraf. Englewood Cliffs, N.J.: Prentice-Hall, (1964). 2nd ed., Cambridge: [[Cambridge University Press]], 1983.
* ———. ''Mind, Language and Reality. Philosophical Papers, vol. 2''. Cambridge: Cambridge University Press, (1975).
* ———. "Brains in a Vat" in ''Reason, Truth, and History'', Cambridge University Press (1981); reprinted in DeRose and Warfield, editors (1999): ''Skepticism: A Contemporary Reader'', [[Oxford University Press]].
* ———. ''Realism with a Human Face''. Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1990.
* ———. ''The Threefold Cord: Mind, Body, and World''. New York: [[Columbia University Press]], 1999.
* Richardson, Robert. "Functionalism and Reductionism." ''Philosophy of Science'' 46 (1979): 533-558.
* Searle, John. "[https://web.archive.org/web/20010221025515/http://www.bbsonline.org/Preprints/OldArchive/bbs.searle2.html Minds, Brains and Programs]." ''Behavioral and Brain Sciences'' 3 (1980).
* Wertheimer, Linda. "[http://www.boston.com/news/globe/magazine/articles/2006/07/30/finding_my_religion/?page=3 "Finding My Religion]." ''Boston Globe'', July 30, 2006.
* Yablo, S. [http://www.mit.edu/%7Eyablo/apex.html#fn1 "A Paradox of Existence"], June 8, 1998.
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== 特別読み物 ==
-->
* Ben-Menahem, Yemima. (2006) ''Hilary Putnam''. Edited by Hebrew University of Jerusalem. Cambridge: Cambridge University Press. ISBN
* {{PDFlink| [http://gehirnimtank.de Philosopher Olaf L. Müller's elaboration of the Brain in a Vat argument.]}} {{de icon}}
* [https://web.archive.org/web/20071216162807/http://www.theconnection.org/shows/2000/07/20000712_a_main.asp The God Problem], recording of a discussion with Alvin Plantinga on ''The Connection'' radio show.
* [http://www.pragmatism.org/putnam/ An extensive bibliography.]
== 外部リンク ==
* [https://web.archive.org/web/20140528152223/http://www.fas.harvard.edu/~phildept/putnam.html Harvard University Philosophy Faculty page]
* [http://www.pragmatism.org/putnam/ An extensive bibliography]
* [http://putnam.altervista.org/ An extensive directory]
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* [http://www.lrb.co.uk/contributors/hilary-putnam ''London Review of Books'' contributor page]
* [http://www.hcs.harvard.edu/~hrp/issues/1992/Putnam.pdf Hilary Putnam: On Mind, Meaning and Reality], Interview by Josh Harlan, ''[[The Harvard Review of Philosophy]]'', spring 1992.
* [https://web.archive.org/web/20110926231942/http://www.math.uwaterloo.ca/~kerrlaws/Santayana/Bulletin/s1_96.htm Putnam, Hilary and Ruth Anna, "The Quarrel Between Poetry and Philosophy"]
* [http://www.hcs.harvard.edu/~hrp/issues/2000/Putnam.pdf "To Think with Integrity"], Hilary Putnam's Farewell Lecture, ''The Harvard Review of Philosophy'', Spring 2000.
* [https://web.archive.org/web/20081005191247/http://www.uctv.tv/search-details.asp?showID=6840 Putnam, "The Depths and Shallows of Experience"]
* [http://www.ucd.ie/news/mar07/030507_Putnam_Award.htm Putnam, "The Fact/Value Dichotomy and its critics"; Roundtable on Externalism] audio/video lecture, audio discussion, March 2007, [[University College Dublin]].
* [http://internalism.blip.tv/file/420305/ Hilary Putnam - Externalism: Its Motivation And Its Critics], video of a lecture, delivered at Harvard University on October 4, 2007
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{{科学哲学}}
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