「ヒラリー・パトナム」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
File
編集の要約なし
 
(11人の利用者による、間の14版が非表示)
1行目:
[[ファイル:Hilary_Putnam.jpg|サムネイル]]
{{Infobox 哲学者
| region = [[西洋哲学]]
15 ⟶ 14行目:
| school_tradition = [[分析哲学]]、[[プラグマティズム]]
| main_interests = [[心の哲学]]、[[言語哲学]]、[[科学哲学]]、[[数学の哲学]]、[[メタ哲学]]、[[認識論]]
| notable_ideas = [[多重実現可能性]]、[[機能主義 (心の哲学)]]、[[指示の因果説]]、意味論的外在主義、[[水槽の中の脳]]・[[双子地球]]、[[内在的実在論]]、Kreisel–Putnam logic(中間論理)
| influences = [[ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン|W.V.O.クワイン]]、[[ジョン・デューイ]]、[[ハンス・ライヘンバッハ]]、[[アラン・チューリング]]、[[イマヌエル・カント]]、[[ネルソン・グッドマン]]、[[チャールズ・サンダース・パース]]、[[ウィリアム・ジェームズ]]、[[ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン]]、[[セーレン・キェルケゴール]]、[[カール・マルクス]]、[[ジークムント・フロイト]]、[[ソール・クリプキ]]など
| influenced = [[ジェリー・フォーダー]]、[[ネド・ブロック]]、[[タイラー・バージ]]、[[デビッド・マー]]、[[ダニエル・デネット]]、[[デイヴィド・ルイス]]、[[ソール・クリプキ]]、[[ドナルド・デイヴィッドソン]]、[[ジョージ・ブーロス]]、[[リチャード・ボイド]]、[[ハートリー・フィールド]]、[[マーサ・ヌスバウム]]、[[ジョン・ウォーラル]]など
21 ⟶ 20行目:
| signature_alt =
| website = <!-- {{URL|example.com}} -->
|画像=Hilary_Putnam.jpg|画像サイズ=200px}}
}}
'''ヒラリー・ホワイトホール・パトナム'''(Hilary Whitehall Putnam、[[1926年]][[7月31日]] - [[2016年]][[3月13日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[哲学者]]。[[1960年代]]以来、特に[[心の哲学]]、[[言語哲学]]、および[[科学哲学]]において、などの[[分析哲学]]の中心人物であった。彼は他の者に対して行うのと同じくらい自分自身の哲学的立場についても対するその欠陥が曝露されるまで厳格な分析による吟味を加えることで知られている<ref name=King170>King, P.J. ''One Hundred Philosophers: The Life and Work of the World's Greatest Thinkers''. Barron's 2004, p. 170.</ref>。その結果パトナムは頻繁に自の立場を変更するという評判を得るに至った<ref>{{cite web|author=Jack Ritchie|title=TPM:Philosopher of the Month|url=http://www.philosophers.co.uk/cafe/phil_jun2002.htm|date=June,Putnam 2002| |accessdate=2006-08-01}}</ref>。
 
== 業績 ==
[[心の哲学]]において、パトナムは、彼の[[多重実現可能性]]という仮説に基づいて、精神と身体の状態の[[タイプ同一説]]に対する反論を行ったことや、[[機能主義 (心の哲学)|機能主義]]という[[心身問題]]に関する影響力のある理論でも知られている<ref name="CR">{{cite book|author=LeDoux, J. |title=The Synaptic Self; How Our Brains Become Who We Are| publisher=Viking Penguin|location=New York|year=2002|id=ISBN 88-7078-795-8}}</ref>。
 
[[言語哲学]]においてパトナム[[ソール・クリプキ|クリプキ]]等の学者などを踏襲し、[[指示の因果説]]という理論を発展させ、また[[双子地球]](Twin Earth)論と呼ばれる有名な[[思考実験]]に基づいて[[意味論的外在主義]]という考えを生み出し、独創的な意味の理論をつくりあげた<ref name="CH">P. Clark-B. Hale (eds.), "Reading Putnam", Blackwell, Cambridge (Massachusetts)-Oxford 1995.</ref>。
 
[[数学の哲学|数理哲学]]においてでは、彼の指導者である[[ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン|クワイン]]と共同でいわゆる「[[クワイン-パトナムの不可欠性テーゼ]]」を展開した<ref>{{cite web|author=Colyvan, Mark|title="Indispensability Arguments in the Philosophy of Mathematics", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Fall 2004 Edition), Edward N. Zalta (ed.)|url=http://plato.stanford.edu/archives/fall2004/entries/mathphil-indis/|accessdate=2008-8-26}}</ref>。これは数学的対象の実在性を擁護する主張であったが、のちには転向して、数学はただ論理的であるだけでなく「疑似ー経験的」でもあるという考えを採用するようになった<ref name="PutBen">Putnam, H. ''Philosophy of Mathematics: Selected Readings''. Edited with Paul Benacerraf. Englewood Cliffs, N.J.: Prentice-Hall, 1964. 2nd ed., Cambridge: Cambridge University Press, 1983.</ref>。
 
[[認識論]]の分野では、パトナムは「[[水槽の中の脳]]」という思考実験で知られている。これは[[認識論的懐疑論]]を批判するものである<ref name="BIV">Putnam, H. (1981): "Brains in a vat" in ''Reason, Truth, and History'', Cambridge University Press; reprinted in DeRose and Warfield, editors (1999): ''Skepticism: A Contemporary Reader'', Oxford UP.</ref>。
 
[[形而上学]]において[[形而上学的実在論]]と呼ばれる立場を当初擁護していたが、のちに転向し、みずから形而上学的実在論に対する最も辛辣な批判者の一人になった。まず彼は「[[内在的実在論]]」と呼ぶ考えを採用したが<ref name="Human">Putnam, H. ''Realism with a Human Face''. Edited by James Conant. Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1990.</ref>、あとになってこの立場も捨て、[[プラグマティスト]]に触発されて[[直接的実在論]]に与した。パトナムの「直接的実在論」とは、[[心的表象]]や[[感覚与件]]といった、心と世界の間を繋ぐ媒介的概念を用いずに、人々が現実的に世界を経験する仕方で形而上学の研究をおこなおうとするものである<ref name="Three">Putnam, H.. ''The Threefold Cord: Mind, Body, and World''. New York: Columbia University Press, 1999.</ref>。
 
哲学以外では、パトナムは[[数学]]や[[計算機科学]]の領域でも業績がある。[[マーチン・デービス]]とともに、[[ブール代数]]の[[充足可能性問題]]を解決するために[[デービス・パトナムのアルゴリズム]]を開発し<ref name="DandP">Davis, M. and Putnam, H. "A computing procedure for quantification theory" in ''[[Journal of the ACM]]'', 7:201–215, 1960.</ref>、[[ダフィット・ヒルベルト|ヒルベルト]]のいわゆる[[ディオファントス方程式#課題|第10問題]]が[[解決不能]]であることが証明される一助となった<ref name="Mat">{{cite book|author=Matiyesavic, Yuri |title=Hilbert's Tenth Problem|publisher=MIT|location=Cambridge|year=1993|id=ISBN 0-262-13295-8}}</ref>。
 
政治活動に積極的だった時期があり、特に1960年代後半から70年代はじめにかけては[[進歩労働党|進歩労働党]](Progressive Labor Party、略称PLP)の活動に大きく関わった<ref name="Hick">To appear in the "American Philosophers" edition of ''Literary Biography'', ed. Bruccoli, Layman and Clarke</ref><ref name="Foley">{{cite book| author=Foley, M. |title=Confronting the War Machine |publisher=North Carolina Press|location=North Carolina|year=1983|id= ISBN 0-8078-2767-3}}</ref>。
 
== 経歴 ==
158行目:
 
== 認識論 ==
[[File:Brain in a vat (ja).png|230px|right|thumb|[[水槽の中の脳]]。パトナムはこの[[思考実験]]を使って、懐疑主義的シナリオが不可能であることを証明する。]]
 
[[認識論]]の領域では、パトナムは「[[水槽の脳]]」の思考実験で知られている。この議論は[[ルネ・デカルト#神の存在証明|デカルトの「悪しき霊」]]の仮説の現代版ともいえるもので、われわれが肉体のない「水槽の脳」であり、ある「[[マッドサイエンティスト]]」によって身体から切り離されて水槽の中に置かれたのだ、とする主張は自家撞着に陥る、とするものである<ref name="BIV" />。ティム・ブラックなどの哲学者はこれを懐疑主義を論駁する議論だと解釈している<ref>{{cite journal|author=Black, T. |title="A Moorean Response to Brain-in-a-Vat Skepticism|journal=Australasian Journal of Philosophy|issue=80|year=2002|pages=148-163}}</ref>。
164行目:
当然ながらこの議論は、指示についての因果的理論になる。言葉というものはつねにその言葉によって指し示される事物の種類を指し示しており、それゆえ、それらの言葉の使用者やかつての使用者が経験した事物の種類を指し示しているとしよう。その場合、ある人が(仮にマリーとしよう)「マッドサイエンティスト」によって造られた配線その他の装置を通じてあらゆる経験を受容している「水槽の中の脳」であるとするなら、「脳」についてのマリーの観念はほんとうの脳を指示しているわけではない。マリーもマリーの属する言語共同体もほんものの脳を見たことがないからである。もっと正確に言えば、マリーが脳に似た何かを見たといっても、それは実際には配線を通じて彼女に与えられたイメージでしかない。同様に、「水槽」についての彼女の観念もほんとうの水槽を指し示しているわけではない。従って、もし一個の水槽の中の脳として、マリーが「私は水槽の中の脳だ」と言うとしても、それは実際には「私は水槽のイメージの中の脳のイメージだ」と言っているにすぎず、おかしなことになる。かといってマリーが水槽の中の脳でないとすれば、彼女は反対のことを言っていることになるから、やはりおかしなことになる。すなわち一種の[[認識論]]的外在主義が成り立ち、知識や正当化は、心に外在する要因に依存しており、純粋に内的には決定されないということになる<ref name=BIV />。
 
パトナム自身の説明によれば、この議論の真の標的は懐疑主義ではなく、形而上学的実在論である<ref name="#1">Wright, C. (1992), “On Putnam's Proof That We Are Not Brains-in-a-Vat”, Proceedings of the Aristotelian Society 92.</ref>。形而上学的実在論は人間が世界を了解する仕方と世界が実際に存在する仕方の間に相違があることを前提にしているので、水槽の脳やデカルトの悪しき霊のような懐疑主義的シナリオはその種の実在論に対する恐るべき挑戦になる。パトナムはそのようなシナリオが不可能であることを示すことによって、人間の世界了解と世界が実際に存在する仕方とのあいだに相違があるという考え方が自家撞着であることを示そうとしているのだ。人間は「神の眼」をもって現実理解をすることはできない。人間は概念スキームによって限界づけられているからである。従って、パトナムによれば形而上学的実在論は誤りなのである<ref>Dell'Utri, M. (1990), “Choosing Conceptions of Realism: the Case of the Brains in a Vat”, Mind 99.</ref>。
 
== メタ哲学と存在論 ==
205行目:
パトナムは多くの点で立場を変えてきたが、意味論的全体主義の概念については一貫して擁護している。しかし意味論的全体主義については[[マイケル・ダメット]]、[[ジェリー・フォーダー]]、[[アーネスト・ルポア]]らによって問題が指摘されている。第一の問題として、もし意味論的全体主義が正しければ、ある言語の話者がどうやってある表現の意味を習得できるようになるのかを理解することが、言語のどんな表現についても不可能になってしまうという問題がある。われわれの認知能力には限界があるから、ある言語の全体について完全に習得することは、言語というものが静的であり変わることのない実体であるという(誤った)仮説に立ったとしても生涯不可能である。実際、ある一つの単語ないし表現を理解するためには自然言語の全体を理解しなければいけないとしたら、言語学習は端的に不可能になってしまう。また第二の問題として、意味論的全体主義では二人の話者が同じ一つの言語表現を用いているときにどのようにして同じことを意味できるのかが説明できないということが挙げられる。従って、二人の話者がどのようにコミュニケーションできるのかも説明できないということになる。''P''という命題ひとつをとっても、フレッドとメアリーは各々英語の異なる部分を習得しており、''P''は命題のそれぞれの部分に異なる仕方で関係しているので、結果的として''P''が意味するものはフレッドとメアリーで異なるということになる。さらに言えば、もし''P''という命題の意味が、ある言語内にある命題全体に対して命題''P''がもっている関係によって決まるのだとすれば、命題を一つ加えるか削るかして個人の語彙が変化してしまうと、途端に命題間の関係の全体も変化してしまい、従って''P''の意味も変わってしまうことになる。これは一般に起こる現象であるので、結果として、同じ一人の人物の生涯の異なる時点で''P''は異なる意味をもつことになる。だとすれば、私がある命題を真と認め、後になって偽とした場合にも、私が偽としたものの意味と私が真であるとしたものの意味がまったく異なるということになり、従って同じ命題について私が意見を変えるということはありえなくなってしまう<ref>Fodor, J. and Lepore, E. ''Holism: A Shopper's Guide''. Blackwell. Oxford. 1992.</ref><ref>Dummett, Michael. ''The Logical Basis of Metaphysics''. Harvard University Press. Cambridge (MA). 1978.</ref><ref>Penco, Carlo. ''Olismo e Molecularismo'' in ''Olismo'' ed. Massimo Dell'Utri. Quodlibet. Macerata. 2002.</ref>。
 
また[[水槽の脳]]の議論も批判にさらされてきた<ref name="Stein">Steinitz, Y. (1994), “Brains in a Vat: Different Perspectives”, Philosophical Quarterly 44.</ref>。[[クリスピン・ライト]]によれば、パトナムによる水槽の脳の議論は射程が狭すぎて、懐疑主義全般を論駁するものになっていない。人が水槽の中に浮かぶ最近肉体から離れた脳であるという可能性は、意味論的外在主義によって掘り崩されることはない。もしある人がマッドサイエンティストによって脳を水槽漬けにされる以前には水槽の外で--[[母語]]を話し、ごく普通に外界と情報を交換し合って--生活していたのであれば、その人が水槽の中で目覚めたときにも、その人の言葉と思考(例:「木」、「草」など)が指示している対象なり出来事なりは、かつて水槽の外で暮らしていたときに指示していたものと同一であるだろう<ref>Wright, C. (1992), “On Putnam's Proof That We Are Not Brains-in-a-Vat”, Proceedings of the Aristotelian Society 92.<name="#1"/ref>。もう一つのシナリオとして、水槽の脳が[[スーパーコンピュータ]]に繋がれていて、このスーパーコンピュータが知覚経験をランダムに生成しているとしよう。この場合、水槽の脳の言葉と思考は何も指示しておらず、従って内容を欠いている。もはや意味論は存在せず、議論には意味がなくなる<ref>Brueckner, A. (1986), “Brains in a Vat”, Journal of Philosophy 83.</ref>。
 
数学の哲学の分野では[[ステファン・ヤブロ]]([[:en:Stephen Yablo|Stephen Yablo]],[[MIT]]所属,David S. Skinner Professor of Philosophy)が、クワインとパトナムの不可欠性定理では数学的実体がほんとうに不可欠なものか証明できないと述べている。ヤブロの議論は緻密なものだが、結論だけ言えば、「これこれは実在する」(例:数は実在する)という表現の生起を「これこれは実在すると仮定する」という表現の生起にすべて置き換えるだけで、まったく同一の論理的帰結に達する、ということである。例えば、上記の不可欠性原理について、実在する実体について参照している部分のすべてを実在すると仮定されている実体への参照に置き換えてみると、以下のようになる。
274行目:
== 参考文献 ==
<div class="references-small">
* {{Cite book|和書|author=[[伊藤邦武]]|authorlink=伊藤邦武|chapter=第二章 少し前のプラグマティズム 3 パトナム|title=プラグマティズム入門|series=[[ちくま新書]]|year=2016|pages=168-188|isbn=9784480068705}}
* Bechtel, William and Mundale, Jennifer. "Multiple Realizability Revisited" in ''Philosophy of Science'' 66: 175-207.
* Bickle, John., "Multiple Realizability" in ''The Stanford Encyclopedia of Philosophy'' (Fall 2006 Edition), Edward N. Zalta (ed.), [http://plato.stanford.edu/entries/multiple-realizability/ (online)].
* Brown, C., "Internal Realism: Transcendental Idealism?" ''Midwest Studies in Philosophy'' 12 (1988): 145-155.
* Casati R., "Hillary Putnam" in ''Enciclopedia Garzanti della Filosofia''. [[Gianni Vattimo]] (ed). Milan: Garzanti Editori, 2004. ISBN 88-11-50515-1.
* Churchland, Patricia. ''Neurophilosophy''. Cambridge, MA: [[MIT Press]], 1986.
* Clark, P. & Hale, B. (eds.) ''Reading Putnam''. Oxford: Blackwell, 1995.
* Dummett, Michael. ''The Logical Basis of Metaphysics''. [[Harvard University Press]]. Cambridge (MA) 1972.
* Fodor, J. and Lepore, E. ''Holism: A Shopper's Guide''. Oxford: Blackwell, 1992.
* Foley, M., ''Confronting the War Machine''. North Carolina: North Carolina Press. 1983. ISBN 0-8078-2767-3.
291行目:
* Matiyesavic, Yuri. ''Hilbert's Tenth Problem''. Cambridge: MIT Press, 1993. ISBN 0-262-13295-8.
* Penco, Carlo. ''Olismo e Molecularismo'' in ''Olismo'', ed. Massimo Dell'Utri. Quodlibet. Macerata. 2002.
* Putnam, Hilary. ''Philosophy of Mathematics: Selected Readings''. Edited with Paul Benacerraf. Englewood Cliffs, N.J.: Prentice-Hall, (1964). 2nd ed., Cambridge: [[Cambridge University Press]], 1983.
* ———. ''Mind, Language and Reality. Philosophical Papers, vol. 2''. Cambridge: Cambridge University Press, (1975).
* ———. "Brains in a Vat" in ''Reason, Truth, and History'', Cambridge University Press (1981); reprinted in DeRose and Warfield, editors (1999): ''Skepticism: A Contemporary Reader'', [[Oxford University Press]].
* ———. ''Realism with a Human Face''. Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1990.
* ———. ''The Threefold Cord: Mind, Body, and World''. New York: [[Columbia University Press]], 1999.
* Richardson, Robert. "Functionalism and Reductionism." ''Philosophy of Science'' 46 (1979): 533-558.
* Searle, John. "[https://web.archive.org/web/20010221025515/http://www.bbsonline.org/Preprints/OldArchive/bbs.searle2.html Minds, Brains and Programs]." ''Behavioral and Brain Sciences'' 3 (1980).
340行目:
[[Category:心身問題]]
[[Category:ジョン・ロック講義 講演者]]
[[Category:ロルフ・ショック賞講演者]]
[[Category:タルスキ講演者]]
[[Category:ハーバード大学の教員]]
345 ⟶ 346行目:
[[Category:プリンストン大学の教員]]
[[Category:ノースウェスタン大学の教員]]
[[Category:イギリス学士院客員フェロー]]
[[Category:アメリカ芸術科学アカデミー会員]]
[[Category:ヨーロッパ科学芸術アカデミー会員]]
[[Category:チャールズ・サンダース・パース]]
[[Category:ペンシルベニア大学出身の人物]]
[[Category:ハーバード大学出身の人物]]
[[Category:カリフォルニア大学ロサンゼルス校出身の人物]]
[[Category:イリノイ州の数学者]]
[[Category:ユダヤ系アメリカ人]]
[[Category:シカゴ出身の人物]]