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'''山本 美保'''(やまもと みほ、[[1964年]]〈[[昭和]]39年〉[[3月3日]] - )は、[[北朝鮮による日本人拉致問題|北朝鮮による拉致被害者]]と考えられる日本女性。[[特定失踪者問題調査会]]でも「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている<ref name="missinglist">{{Cite web|和書|url=https://www.chosa-kai.jp/archives/missing|title=失踪者リスト|date=|accessdate=2022-04-29|publisher=[[特定失踪者問題調査会]]}}</ref>。[[1984年]](昭和59年)[[6月4日]]、失踪した<ref name="archive">{{Cite web|和書|url=https://www.chosa-kai.jp/archives/missing/%e5%b1%b1%e6%9c%ac%e3%80%80%e7%be%8e%e4%bf%9d|title=失踪者リスト「山本美保」|accessdate=2022-04-29|publisher=特定失踪者問題調査会}}</ref>。失踪当時の年齢は20歳である<ref name="archive" />。彼女については、北朝鮮の元[[国家安全保衛部]]指導員だった人物による北朝鮮国内での目撃情報がある<ref name ="pyon">{{Cite web|url=http://www.krp1982.com/interview/articles/kwonhyok.htm|title=インタビュー「権革元国家安全保衛部指導員 2003年5月12日」|date=2003-06-23|accessdate=2021-09-23|website=辺真一のコリア・レポート|publisher=辺真一}}</ref>。また、彼女には、日本警察による[[デオキシリボ核酸|DNA]]データ偽造の疑いがもたれている(山本美保DNAデータ偽造事件)<ref name="jiken">{{Cite web|和書|url=https://www.chosa-kai.jp/documents/yamamotomiho|title=山本美保さん事件|accessdate=2022-04-29|publisher=特定失踪者問題調査会}}</ref>。
== 人物情報と消息 ==
1964年(昭和39年)3月3日、[[山梨県]][[甲府市]]生まれ。父親が[[山梨県警察]]の警察官、母親が専業主婦の家に双子姉妹の姉として生まれ、2歳年上の兄がいた<ref name="shinjitsu">{{Cite web|和書|url=https://www.chosa-kai.jp//wp-content/uploads/2018/06/shinjitu.pdf|title=真実はひとつ!!|accessdate=2022-04-29|publisher=山本美保さんの家族を支援する会}}</ref>。仲のよい双子姉妹は同じ[[高等学校]]に通った<ref name="jiken" />。成長するにつれ、積極的な美保に対し、双子の妹美砂は慎重派で何かにつけ美保を頼りにすることが多かったという<ref name="jiken" /><ref name="shinjitsu" />。双子姉妹が高校3年生だった秋、[[交通事故]]で兄を失った<ref name="jiken" /><ref name="shinjitsu" />。美砂が山梨県内の[[大学]]に進学したのに対し、美保は家族のことなどにも配慮して、合格していた[[東京都]]内の大学進学を断念して県内の看護学校に通った<ref name="jiken" />。しかし、自分の選んだ進路への疑問も感じており、改めて大学への進学を決意して受験勉強に取りかかった<ref name="jiken" />。
1984年(昭和59年)6月4日午前10時、「[[図書館]]に行く」と言って自宅をあとにし、[[オートバイ]]で出かけたまま行方不明となった<ref name="archive" />。[[6月6日]]、[[日本国有鉄道|国鉄]](現、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]])[[甲府駅]]前に美保の乗っていたオートバイが置かれているのが発見された<ref name="archive" />。失踪から4日後の[[6月8日]]、[[新潟県]][[柏崎市]]の荒浜海岸で彼女の所持していた[[鞄|セカンドバッグ]]を拾得したとの連絡が入った<ref name="archive" />。[[6月9日]]、家族は新潟県警察に美保の捜索願を提出した<ref name="chukan" />。警察官であった父の光男は、全国の身元不明遺体のなかに娘がいないかどうかをくまなく調べたが、6月から7月にかけての遺体に美保らしい人物はおらず、家族はひとまず安堵した<ref name="shinjitsu" />。
山本美保が失踪して約半年後の1984年[[11月6日]]からは[[迷惑電話|無言電話]]が[[1989年]]([[平成]]元年)夏頃まで、約4年半続いた<ref name="archive" />。無言電話はほとんど数秒で切れるものだったが、失踪から3年4ヶ月後と3年6カ月後の2回の電話は10分から15分ほど続いており、
一方、父の光男は身元不明遺体に注意しており、少しでも山本美保の可能性がある遺体が発見されると警察に連絡が入っていた<ref name="shinjitsu" />。[[1986年]](昭和61年)12月には[[富山県警察]]、[[1988年]](昭和63年)11月には[[警視庁]][[小松川警察署]]から不明遺体の照合の連絡が入ったが、[[歯列]]や[[靴]]のサイズの違いから別人と断定された<ref name="shinjitsu" />。
[[1999年]]に[[韓国]]に亡命した北朝鮮国家安全保衛部指導員であった[[権革]]は、[[平壌直轄市]]で山本美保を目撃している<ref name ="pyon" />{{refnest|group="注釈"|権革は、[[斉藤裕 (拉致被害者)|斉藤裕]]([[1968年]]に失踪)、[[大屋敷正行]]([[1969]]年に失踪)、[[松本賢一 (拉致被害者)|松本賢一]]([[1970年]]に失踪)、[[遠山文子]]([[1973年]]に失踪)、[[国広富子]]([[1976年]]に失踪)、[[佐々木悦子 (拉致被害者)|佐々木悦子]]([[1991年]]に失踪)も北朝鮮領内で目撃したと証言している<ref name="pyon" />。}}。それによれば、目撃したのは失踪から9年経過した[[1993年]](平成5年)のことで、[[東大院区域]]三馬洞に所在する5454部隊本庁舎2階の通信局においてであった<ref name ="pyon" />{{refnest|group="注釈"|権革によれば、5454部隊は[[在日米軍|在日米軍]][[軍用飛行場|空軍基地]]を攻撃対象とする部隊で頻繁に[[落下]]訓練を行っていた<ref name="pyon" />。}}。権革は山本美保を何度も目撃しているという<ref name="pyon" />。▼
[[2002年]](平成14年)[[9月17日]]、日本の[[小泉純一郎]]首相が訪問して金正日[[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会#国防委員長|国防委員長]]と会談を行い、[[日朝平壌宣言]]を発表した<ref name="2nishioka14">[[#西岡2|西岡(2002)pp.14-21]]</ref>。そのとき、北朝鮮側はそれまで「事実無根」と主張してきた拉致犯罪を一転して正式に認め、謝罪した<ref name="2nishioka14" /><ref name="aoyama318">[[#青山|青山(2002)pp.318-322]]</ref>{{refnest|group="注釈"|[[1977年]]、[[北朝鮮工作員|北朝鮮の工作員]]たちに対し「マグジャビ」(手当たり次第)に外国人を誘拐するよう命じたのは金正日その人であった<ref name="newsweek2006">「ニューズウィーク日本版」2006年2月22日(通巻993号)pp.32-34</ref>。}}。[[9月23日]]、各[[テレビ局]]は山本美保失踪事件は拉致の可能性が濃厚であるとして、全国[[ニュース]]を報道した<ref name="shinjitsu" />。失踪事件の真相を究明する活動が始まり、この年の11月から翌[[2003年]](平成15年)1月まで8万筆の署名を集めた<ref name="shinjitsu" />。彼女の失踪から18年が経過していた<ref name="shinjitsu" />。
== 権革の目撃証言 ==
▲[[1999年]]に[[韓国]]に亡命した北朝鮮国家安全保衛部指導員であった[[権革]](クォン・ヒョク)は2003年3月、[[平壌直轄市]]で山本美保を目撃し
== DNAデータ偽造事件 ==
2003年[[1月10日]]、「調査会」([[特定失踪者問題調査会]])が設立され、山本美保は北朝鮮による拉致が濃厚な失踪者としてリストに入った<ref name="shinjitsu" />。
2004年[[3月5日]]、山梨県警察本部の[[丸山潤]]警備一課長に突如呼び出された山本美保の家族は、丸山から「山本美保失踪17日後の
一方、丸山たちから家族への説明も終わらないうちに[[フジテレビジョン|フジテレビ]]が全国ニュースで「山本美保は20年前に死亡していた」と報じた<ref name="shinjitsu" /><ref name="chukan" />。丸山潤警備一課長は突如家族を同伴して記者会見を開いたが、カメラを回さない状態で、質問も受け付けないという一方的に警察側の結論を伝える異例の会見であった<ref name="shinjitsu" /><ref name="chukan" />。
通常ならば、DNA鑑定は家族の了解があって初めて行われるべきものであるが、山本美保のケースでは家族の知らない間に鑑定が行われていた<ref name="shinjitsu" /><ref name="chukan" />{{refnest|group="注釈"|美砂のDNA鑑定の試料が採取されたのは2003年5月で、山梨県警察より「今後の捜査に役立てたいから協力をお願いする」との申し出にしたがったことによる<ref name="shinjitsu" /><ref name="chukan" />。Yとの一致を鑑定したとされるのは[[名古屋大学]]で、2003年[[10月9日]]からの鑑定開始となっている<ref name="shinjitsu" /><ref name="chukan" />。山梨県警察によれば、鑑定終了は2004年[[3月4日]]であるという<ref name="chukan" />。}}。また、警察はDNA鑑定の結果の一致のみを理由に美保とYが同一人物であり、美保は「事件性のない自殺による死である可能性が高い」と発表されたが、非公開のDNA鑑定書のみが唯一の「証拠」とされている<ref name="shinjitsu" /><ref name="chukan" />。なお、DNA鑑定書は公開のみならず複写も許されていない<ref name="shinjitsu" /><ref name="chukan" />。加えて、山本美保とYの[[身長]]や体型、[[下着]]など身に付けていた遺留品などが全く異なっていることが家族の証言や客観的事実などで判明しており、関係者からは、別人である可能性が高いと指摘されている<ref name="shinjitsu" /><ref name="chukan" />{{refnest|group="注釈"|山本美保の高校3年生時点の身体計測では身長159.5センチメートル、体重53.2キログラム、胸囲81.0センチメートル、座高87.4センチメートルだったのに対し、Yは背が高く、「頭頂部から臀部下端」の長さ(座高)は95センチメートルであった<ref name="shinjitsu" /><ref name="chukan" />。また、Yの[[ブラジャー]]のサイズはA70であり、山本美保のB75ないしB80よりも相当に小さく、美保が装着することは不可能で、[[ジーンズ]]や[[靴]]のサイズも相当に異なっていた<ref name="shinjitsu" /><ref name="chukan" />。Yが身に着けていたジーンズ、下着、[[ネックレス]]はいずれも、母親にも美砂にも見覚えのないもので、遺留品に関しては美保本人のものでない可能性がきわめて高い<ref name="shinjitsu" /><ref name="chukan" />。また、Yの遺体からは上顎3本、下顎10本の歯が脱落していたが、格別悪かったわけでもない若い女性の歯が最短13日、最長でも失踪から17日の間で13本も外傷なしに歯が抜け落ちるとは普通は考えられない<ref name="shinjitsu" /><ref name="chukan" />。元東京都監察医務院長の[[上野正彦]]は「ありえない」と明言している<ref name="shinjitsu" />。}}。美保の家族がYの遺留品を直接閲覧したのは、記者会見のあった1か月後の4月7日であったが、家族は「これは美保のものではない」と述べている<ref name="chukan" />。
こののち、家族は美保の人権救済申し立てをおこない、「山本美保さんの家族を支援する会」も立ち上げられた。今日、山梨県警察では山本美保を「拉致の可能性を排除できない事案に係る人々」のうちの1人として扱っている<ref name="yamanashi">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.yamanashi.jp/police/p_keibi1/documents/yamamotomiho.pdf|title=「拉致の可能性を排除できない事案に係る人々」山本美保|accessdate=2022-04-29|publisher=山梨県警察}}</ref>。
== 脚注 ==
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{{Reflist|group=注釈}}
=== 出典 ===
{{Reflist|
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=
* {{Cite book|和書|author=
* {{Cite book|和書|author=
* {{Cite book|和書|author=西岡力|year=2002|month=10|title=金正日が仕掛けた「対日大謀略」拉致の真実|publisher=[[徳間書店]]|isbn=4-7505-9703-1|ref=西岡2}}
* {{Cite journal|和書|author=高山秀子(東京)|author2 = ジョー・コクラン(バンコク)|author3 = エバン・トーマス(ワシントン)|year=2006|title=拉致の悲劇が世界に広がる|journal=[[ニューズウィーク]]日本版|volume=21|issue=8|pages=32-34|publisher=阪急コミュニケーションズ}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=荒木和博|year=2012|month=7|title=山本美保さん失踪事件の謎を追う―拉致問題の闇|publisher=[[草思社]]|isbn=978-4794219121|ref=荒木2012}}
== 関連項目 ==
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