削除された内容 追加された内容
Trgbot (会話 | 投稿記録)
タグ: 手動差し戻し
m Bot作業依頼#Cite webの和書引数追加
 
39行目:
== 境内 ==
* 薬師堂([[重要文化財]])
*:本堂。[[1904年]]([[明治]]37年)、[[奈良県]][[斑鳩町]]竜田にあった伝燈寺の本堂を移築したもの。棟札から[[室町時代]]、[[康正]]2年([[1456年]])の建築だと分かる。上述の伝燈寺は[[龍田神社]]の[[神宮寺]]であったが現在は廃絶している。本瓦葺寄棟造、内部は内陣が格天井、内陣が折上格天井である。本尊で重要文化財の秘仏・[[薬師如来]]立像は[[平安時代]]後期の作。高さ88cm、桜材の寄木造。桜材を用いるのはこの時代では珍しい。右手を施無畏印、左手を右手の高さ近くまで持ち上げて薬壺を持つ。秘仏だったため、着衣の切金模様がよく残っている。胎内に小像を納めていることから、胎児を宿す婦人の姿あるとして妊産婦からの信仰を集め、安産や授乳のご利益をもつ「乳薬師」として古くから信仰を集めている。現在も、薬師堂の格子戸には全国各地の母親から願い事が書かれたよだれ掛けが奉納され、堂の内側が見えないほどである。脇侍として[[日光菩薩]]・[[月光菩薩]]([[鎌倉時代]]の作)が同じ厨子に安置されている。厨子の正面には鏡が貼り付けられているため開かず、拝観は横からのみである。本尊を安置する厨子の左右にはさらに2つの厨子があり、鎌倉時代の[[十二神将]]像が6体ずつ安置されている。像高60cm余りの像であるが躍動感に富み、頭にはそれぞれ十二支のを象った彫り物が付いている(本尊、十二神将ともに非公開)。薬師如来立像は秘仏であるが、[[2016年]]([[平成]]28年)4月29日から同年5月8日まで「京都非公開文化財特別公開」の一環として開扉され、新聞報道等によれば、51年ぶりの公開である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kobunka.com/topics/pdf/hikoukai2016haru.pdf|title=平成28年度 春期京都非公開文化財特別公開 開催要項|date=2016|publisher=公益財団法人 京都古文化保存協会|format=PDF|accessdate=2019-07-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180720165603/http://www.kobunka.com/topics/pdf/hikoukai2016haru.pdf|archivedate=2018-07-20}}</ref><ref>[http://www.asahi.com/articles/ASJ4G5648J4GPLZB00S.html 「京都・法界寺、半世紀ぶりの秘仏 文化財特別公開」](朝日新聞、2016年4月26日)</ref><ref>{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20160427/ddl/k26/040/437000c|title=京都非公開文化財特別公開 国宝や重文、51年ぶりの秘仏も 29日から10日間、17社寺が公開 / 京都|date=2016-04-27|accessdate=2019-07-30|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社}}</ref>。
* 阿弥陀堂([[国宝]])
*:鎌倉時代初期の建築。[[承久]]3年([[1221年]])の兵火で焼失後、まもない頃の建立と推定される。方五間(間口、奥行ともに柱間の数が5間)の身舎(もや)の周囲に1間の裳階(もこし)をめぐらした形で、屋根は宝形造([[ピラミッド]]形)で檜皮葺きである。裳階の屋根は正面側の中央三間分を一段高く切り上げる。裳階部分は壁や建具を入れず吹き放ちとする。身舎の正面は五間とも蔀戸(しとみど)である。身舎内部には国宝の本尊[[阿弥陀如来]]坐像を安置し、本尊を囲むように四天柱(方形をなすように配置された4本の柱)が立つのみで間仕切りはない。平面構成は阿弥陀如来の周囲を人々が歩いてめぐりながら[[念仏]]を唱える常行三昧堂の形式を伝える。身舎柱と四天柱の柱筋が一致せず、四天柱の外側の空間を広くとる点にこの堂の特色がある。四天柱の表面や、柱上の小壁には創建当時の絵画が残る<ref>『週刊朝日百科 日本の国宝』73号、pp.85 - 86(解説執筆は平井俊行)</ref>。