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2009年に[[立教大学]]大学院非常勤講師と[[桐蔭横浜大学]]客員教授、2010年に立教大学非常勤講師と[[静岡文化芸術大学]]客員教授、2012年に[[筑波大学]]非常勤講師、2013年に[[石巻専修大学]]客員教授に就いた。
 
== 持論 ==
スポーツ議員連盟がその議論の中で、スポーツ産業は米国とのGDP対比で15兆円産業になってもよいはず、そのためには[[スポーツ庁]]を作り、財政赤字の中で予算を付けるためには、東京オリンピック・パラリンピックを招致して、スポーツ振興の気運を盛上げる必要があると2007年頃から考えて、その年の暮れにスポーツ振興に関する国の責務の明確化を提言する報告書<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mext.go.jp/a_menu/sports/kihonhou/attach/1308899.htm |title=主な検討経緯:文部科学省 |access-date=2022-04-16 |publisher=文部科学省}}</ref>に繋がり、2011年のスポーツ基本法の制定、東京オリンピック・パラリンピック誘致運動の開始につながったとの持論を持つ<ref name=":0" />。ただし、この主張は、当時都知事だった[[石原慎太郎]]の3選(選挙は2007年4月)に向けて多選批判の声が高まる中、それに抗して選挙の目玉政策とするかのように、既に2005年夏ごろから石原から東京オリンピック招致の話が出てきて<ref>{{Cite news|title=「2016年に東京五輪」石原都知事、立候補に意欲|newspaper=読売新聞 朝刊|date=2005-08-06}}</ref>、2006年4月には東京都がJOCに正式に立候補意思の表明書を提出し<ref>{{Cite news|title=JOCに立候補意思表明書|newspaper=読売新聞 夕刊|date=2006-04-28}}</ref>、具体的な誘致活動が始まっていった事実経過とは全く異なっている。
 
玉木は、この自説を2021年7月21日放送のNHK総合テレビのニュース解説番組「視点・論点」でも披瀝している<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/452647.html |title=「東京五輪開催の意義」(視点・論点) {{!}} 視点・論点 {{!}} 解説アーカイブス {{!}} NHK 解説委員室 |access-date=2022-04-20 |publisher=NHK}}</ref>が、それ以前、2015年8月21日に放送された同番組「視点・論点」に出演した際には、ごく簡単にではあるがオリンピックに触れたものの、このときはこの持論を語っていない<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tamakimasayuki.com/nongenre/bn_171.html |title=NHK視点・論点 「体育からスポーツへの変化を」  玉木正之コラム「ノンジャンル編」バックナンバー |access-date=2020-04-20 |publisher=玉木 正之}}</ref>。やはりさらに2021年9月12日放送の関西の情報系バラエティー番組「そこまで言って委員会NP」でもこの話を披瀝したところ、番組に同じく出演していた竹田恒泰が「自分がそもそもの理由として父(竹田恆和日本オリンピック委員会元会長)から聞いていた話と異なる」として話をしようとするや、竹田に対して「(それは)違います」と声を張り上げて邪魔し続け、ついに竹田に話をさせなかった。同番組の最後に、、やはり同番組に出席していた[[舛添要一]](石原元都知事の後継となる[[猪瀬直樹|猪瀨直樹]]元都知事の次の都知事)は、「自分は石原元都知事と森元首相との間でそろそろ東京でオリンピックをまた開きたいという話が一致からと聞いた」と語っている。
 
==来歴==
[[洛星中学校・高等学校|洛星高等学校]]在学時代は[[バドミントン]]で[[全国高等学校総合体育大会|インターハイ]]に出場して卒業後、1972年4月に[[東京大学]][[教養学部]]へ入学し、在学中から新聞に音楽・映画評などを執筆して1975年に中退する。ミニコミ出版の編集者などを経てフリーの雑誌記者として[[小学館]][[GORO]]の編集に関わり、以後、[[MBSテレビ|毎日放送]]『[[ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい]]』、[[TBSテレビ|TBS]]『[[サンデージャポン]]』、[[日本放送協会|NHK]]『[[クローズアップ現代]]』、[[東海テレビ放送|東海テレビ]]『[[スーパーサタデー (東海テレビ)|スーパーサタデー]]』などでコメンテーターを務め、小説『京都祇園遁走曲』がNHK[[ドラマ新銀河]]でテレビドラマ化される。[[1980年代]]後半に、親交のある[[牛島和彦]]の[[トレード]]を「川崎ノスタルジー」のコラムで描いた。
 
==著書==
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* 情熱報道ライブ「[[ニューズ・オプエド]]®」月曜アンカー(NOBORDER NEWS TOKYO)
* 玉木正之「[https://www.youtube.com/channel/UC7vky9iYT_cj19qTDgl6-GQ スポーツ・インテリジェンス・スクール]」(NOBORDER NEWS TOKYO)
*そこまで言って委員会NP 2021年9月12日
 
===ラジオ番組===
* 東京素敵クルーズ(TOKYO・すてき・CRUISE([[文化放送]] 1990年 - 1991年)パーソナリティ
* [[田畑竜介 Grooooow Up]]([[RKBラジオ]])水曜コメンテーター
 
==関連項目==
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==外部リンク==
* [http://www.tamakimasayuki.com/index.htm 玉木正之公式WEBサイト『カメラータ・ディ・タマキ』]
* [https://web.archive.org/web/20070223182433/http://web.chokugen.jp/tamaki/ 玉木正之のどないな話やねん?]
 
{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORT:たまき まさゆき}}
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