「琴似屯田兵村兵屋跡」の版間の差分

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== 沿革・概要 ==
琴似屯田兵村は正式名称を「屯田兵第1大隊第1中隊」といい、全部で208戸の兵屋が北側に集中して建設された。現在の兵屋は、この208戸あった兵屋の内の一つを復元したもので、[[1874年]]に建設された「第133号兵屋」である。これら建物の主な設計にあたっていたのは[[開拓使]]工業局営繕係の岩瀬隆弘と、市内[[中央区 (札幌市)|中央区]]の[[豊平館]]を設計したことでも知られる[[安達喜幸]]である。当時開拓使の開拓顧問を務めていた[[お雇い外国人]]、[[ホーレス・ケプロン]]は、天井や壁に白土壁を採用することや、[[ストーブ]]を取り付けることを提案していたものの却下となった。しかし、当初は兵屋を2軒の長屋にすることを開拓使により計画されていたが、ケプロンの指導により17.5坪の1戸建ての建築物へと変更された。この時建設された兵屋の造りは、屋根に石を置いて作られた当時の一般的な民家よりもはるかに優れたものであった。
 
[[1875年]]に屯田兵が入植した際、この133号兵屋は清野専次郎に与えられた。居住者となった専次郎は[[宮城県]][[亘理郡]]小堤村出身の人物であった。指揮官にとって便利になることや、兵士を集合させるのに有利なことから、密集制の配置がとられた兵屋郡には、1戸あたり150坪の住宅地が与えられた。これにより兵屋は農地からやや距離が離れることとなった。
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* [[琴似]]
* [[屯田兵]] - [[屯田兵#生活と任務|生活と任務]]の項目も参照。
* [[北海道・東北地方の史跡一覧]]
 
== 参考文献 ==
* 『札幌の文化財』 札幌市市民局生活文化部文化財課発行・編集 2002年4月
* [https://web.archive.org/web/20080104110201/http://www.city.sapporo.jp/nishi/gaiyou/midokoro/hokuto/history04.html Hello!西区、【北都西遊記】- 歴史の街(屯田兵が残した物)より アクセス日時2007年7月9日]
 
== 外部リンク ==
* [http{{Wayback|url=https://www.city.sapporo.jp/shiminkeikaku/bunkazaikeikan/bunkazairekiken/syousaibuildings/k_ktondenheiatobuilding35.html 文化財を見に行こう!より、|title=琴似屯田兵村兵屋跡] |date=20130213234544}}
 
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[[Category:札幌市西区の歴史]]
[[Category:札幌市西区の建築物]]
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