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{{Otheruses|中世のリトアニア大公|その他|ゲディミナス (曖昧さ回避)}}
[[File:Gediminas statue.jpg|thumb|頭像]]
{{基礎情報 君主
[[Image:Gedimin grav xvii.jpg|thumb|[[リトアニア大公]]ゲディミナス - [[17世紀]]の銅像]]
[[Category:| 人名 = ゲディミナス家]]
[[Image:Gediminas the Grand Duke of Lithuania Reversum.png|thumb|[[貨幣]]に彫られたゲディミナス]]
| 各国語表記 = Gediminas
[[Image:Mi83 Grand Duke Gediminas (issued 1920).jpg|thumb|150px|[[1920年]][[8月25日]]に発行されたゲディミナスの[[切手]]]]
| 君主号 = [[リトアニアの統治者の一覧|リトアニア大公]]
'''ゲディミナス'''(Gediminas, [[1275年]] - [[1341年]])は、[[中世]][[リトアニア大公国]]の君主、リトアニア大公(在位:[[1316年]] - [[1341年]])。これは主に[[リトアニア人]]と[[ルーシ]]の君主を意味していた。[[帝国]]としてのリトアニア大公国の真の創始者である。[[キリスト教化]]に抵抗した熱心な[[異教徒]]との評価があるが、実際はより複雑であった。
| 画像 = Gedimin grav xvii.jpg
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[[Image:Gedimin| 画像説明 grav= xvii.jpg|thumb|[[リトアニア大公]]ゲディミナス - [[17世紀]]の銅像]]
| 在位 = [[1316年]] - [[1341年]]
| 戴冠日 =
| 別号 =
| 全名 =
| 出生日 = [[1275年]]
| 生地 =
| 死亡日 = [[1341年]]
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| 子女 = {{Collapsible list|title=一覧参照|ヴィータウタス?<br>[[マントヴィーダス]]<br>[[ナリマンタス]]<br>[[アルギルダス]]<br>[[ケーストゥティス]]<br>[[ヤヴーヌティス]]<br>[[カリヨタス]]<br>[[リュバルタス]]<br>マリア<br>[[アルドナ・オナ・ゲディミナイテ|アルドナ]]<br>エルジュヴェタ<br>エウフェミア<br>アイグスタ}}
| 王家 = [[ゲディミナス家]]
| 王朝 = [[ゲディミナス朝]]
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| 父親 = [[ブトヴィーダス]]?
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[[ImageFile:LT-1996-50litų-Gediminas the Grand Duke of Lithuania Reversum-b.png|thumb|[[貨幣]]に彫られたゲディミナス]]
[[ImageFile:Mi83 Grand Duke Gediminas (issued 1920).jpg|thumb|150px|[[1920年]][[8月25日]]に発行されたゲディミナスの[[切手]]]]
'''ゲディミナス'''(Gediminas, [[1275年]] - [[1341年]])は、[[中世]][[リトアニア大公国]]の君主、リトアニア大公(在位:[[1316年]] - [[1341年]])。これは主に[[リトアニア人]]と[[ルーシ]]の君主を意味していた。[[帝国]]としてのリトアニア大公国の真の実質的な創始者である。[[キリスト教化]]に抵抗した熱心な[[異教徒]]との評価があるが、実際はより複雑な事情があった。
 
== 当時使用された称号 ==
ゲディミナスの[[ラテン語]]での公式称号は以下の通りである
* {{lang|la|''Gedeminne Dei gratia Letwinorum et multorum Ruthenorum rex''}}<ref name=Rowell-63>Rowell, ''Lithuania Ascending'', p. 63.</ref>(神の恩寵によるリトアニア人及び多くのルーシ人の王ゲディミナス<ref name=Rowell-63/>)
[[1322年]]と[[1323年]]におけるゲディミナスが[[ローマ教皇]]宛てた[[ゲディミナスの手紙|手紙]]には、''Princeps et Duke Semigallie'' ([[セミガリア]]の君主にして公)との称号がさらに加えられている<ref name=Rowell-64>Rowell, ''Lithuania Ascending'', p. 64.</ref> 。一方、[[低ドイツ]]においては、ゲディミナスは、単に(ラテン語の''Rex Lethowye'' に相当する)''Koningh van Lettowen''(リトアニアの王)と称していた<ref name=Rowell-63/>。しかし、ラテン語の''rex'''の称号は、[[13世紀]]以降、教皇がその称号を認め有する権利を有す認めることを主張しており、ゲディミナスについてのその称号の使用について[[カトリック教会]]の史料において見解が分かれている。例えば、ある史料では、彼は''rex sive dux'' (“王あるいは公”)と呼ばれていた。また、ローマ教皇[[ヨハネス22世 (ローマ教皇)|ヨハネス22世]]が[[フランス王国|フランス]]に宛てた手紙では、教皇はゲディミナス「''rex''と自称する者」と言及されて呼んで。しかし一方でヨハネス22世ら教皇はゲディミナスに対して呼びかける際にはゲディミナスを''rex''と呼んでいる<ref name=Rowell-64/>。
訳すと
*"神の恩寵によるリトアニア人及び多くのルーシ人の王ゲディミナス"<ref name=Rowell-63/>
[[1322年]]と[[1323年]]における[[ローマ教皇]]宛てのゲディミナスの手紙には、''Princeps et Duke Semigallie'' ([[セミガリア]]の君主にして公)との称号がさらに加えられている<ref name=Rowell-64>Rowell, ''Lithuania Ascending'', p. 64.</ref> 。一方、[[低ドイツ]]においては、ゲディミナスは、単に、(ラテン語の''Rex Lethowye'' に相当する)''Koningh van Lettowen''(リトアニアの王)と称していた<ref name=Rowell-63/>。しかし、ラテン語の''rex'''の称号は、[[13世紀]]以降、教皇がその称号を認める権利を有することを主張しており、ゲディミナスについてのその称号の使用については[[カトリック教会]]の史料において見解が分かれている。例えば、ある史料では、彼は''rex sive dux'' (“王あるいは公”)と呼ばれていた。また、ローマ教皇[[ヨハネス22世 (ローマ教皇)|ヨハネス22世]]が[[フランス王国|フランス王]]に宛てた手紙ではゲディミナスは「''rex''と自称する者」と言及されている。しかしながら教皇はゲディミナスに対して呼びかける際にはゲディミナスを''rex''と呼んでいる<ref name=Rowell-64/>。
 
== 出自 ==
[[ImageFile:GediminasCastle002.jpg|thumb|[[ヴィリニュスの「ゲディミナスの塔]] 後世にゲディミナスにちなんで建てられたヴィリニュスの塔]]
ゲディミナスはの[[年代記]]からの記述によってリトアニア大公[[ヴィテニス]]の[[馬丁]]と定されてたが、恐らく現在ではヴィテスの弟であり[[プクブトェラィーダス]]の息子であるとおおむね考えれて。後世では[[リューリク朝]]に由来する出自であると仮冒さ誤った説を立てらこともあった。近年の研究ではにおいても、ゲディミナスの祖父の名はよく分かっ正確に判明していない。ゲディミナスは[[1316年]]に40歳で公位に就き、その治世は25年に渡った。
 
== 宗教の選択 ==
ゲディミナスは本来の[[リトアニア]]を始め、[[サモギジェマイティヤ公国|ジェマイティヤ]]、[[ナヴァクラフルク]]、[[ポドラツィア]]、[[ポロツク]]、[[ミンスク]]といった広大な領土を相続した。しかしその周囲には積極的且つ貪欲な敵が取り巻いていたが、最も危険なのが[[ドイツ騎士団]]と[[リヴォニア騎士団]]であった。騎士団の[[キリスト教]]への[[改宗]]を口実とするリトアニアへの組織的な侵攻は、全リトアニアの部族が共通の敵を目標にして統一された時から続く長きに渡るものであった。だがゲディミナスの王朝設立は単に安定性のみならず影響力の獲得にあり、その目的は[[ローマ教皇領|教皇庁]]へ直接に使節を派遣することであらわれた。[[1322年]]末にゲディミナスが[[ヨハネス22世]]に送った手紙には、騎士団からの迫害に対する抵抗の懇願や[[フランシスコ修道会]]や[[ドミニコ修道会]]がリトアニア国内で神の言葉を伝道するための特権を既に享受していることが知らされ、教会内の特使を送るよう懇願していた。
 
教皇庁からの好意的な返事を受け取ると、ゲディミナスは[[1325年]][[1月25日]]に主に[[ハンザ同盟]]市に対して、自国への自由な道と自国を開拓するための貴族や騎士と言った身分階級や職人の招聘を提供する手紙を送った。移民は定められた土地に住み、自国の法で管理した。[[聖職者]]や[[修道士]]は既に招かれ、[[ヴィリニュス]]やナヴァラダクに教会を建てていた。[[1323年]][[10月]]に[[リガ]]の大司教、[[タルトゥ|デト]]の司教、[[デンマーク君主一覧|デンマーク王]]、ドミニコ会とフランチェスコ会、ドイツ騎士団総長がヴィリニュスに招待され、そこでゲディミナスは教皇の特使が来たら直ぐに洗礼を受けると約束した。ヴィリュニスでの署名は、キリスト教会全体では、単にゲディミナスと代表団の特権の確約の約束と名付けられている。
 
しかし[[リトアニアのキリスト教化]]は、ドイツ騎士団との関係には何の意味もなさず、ドイツ騎士団はゲディミナスは骨の髄まで異教徒であると吹聴することに努めた。これは不幸にも成功を収めた。ゲディミナスの主要な課題はリトアニアを[[ドイツ人]]からの破壊から守ることにあった。しかし、ゲディミナスは既に異教徒が半分を占める地で異教徒の君主として君臨していた。ゲディミナスは、異教徒のサモギティア、主に[[正教会|正教徒]]である[[ルーシ_(地名)|ルーシ]]([[ウクライナ]]と[[ベラルーシ]]、同盟者であるカトリックの[[マゾフシェ公国|マゾフシェ]]を同等に束ねたのである。その政策は必然的で不確かで不明瞭、影響力はとても安易に解決出来るものであった。
 
[[ImageFile:Peace agreement between Gediminas and Order.jpg|181 px|thumb|ゲディミナスとドイツ騎士団の平和の同意]]
ゲディミナスの、ドイツ騎士団の[[ポーランド王国|ポーランド]]における数少ない領土である[[ドブジン]]への侵攻は、直ちに騎士団にゲディミナスに対する武器が与えられた。騎士団のために祈りを捧げる[[エルビン]]の[[宗務院]]である[[プロイセン]]の大司教はゲディミナスの手紙の実効性に疑問を示し、信仰のてきであることを非難した。教徒はゲディミナスのカトリックへの傾斜を非難した。リトアニアの異教徒はゲディミナスが古くからの神を放棄したことを非難した。このゲディミナスは以前の約束の拒絶、即ち1323年[[9月]]にリガに到着した教皇特使の拒絶及びフランチェスコ修道会の国内退去で困難な状況を解決した。これ等のことはリトアニアは未だに異教徒の要素が強いという政治認識に後退し、来るべき民族の苦悩が未だに払うことが出来ないことであった。
 
同時にゲディミナスはリガの教皇特使に個人的な使節を送って己の困難な状況が洗礼の延期を強いさせたと知らせ、教皇特使はリトアニアの近付き難い隣国が次の4年間に戦争をする時にゲディミナスとリガの大司教が取り決めを批准することで信頼を示した。それにも係らず、[[1325年]]にドイツ騎士団は教会の非難を無視してゲディミナスとの戦争を再開した。その間ゲディミナスは、ポーランド王[[ヴワディスワフ1世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ1世短身王]]の息子である[[カジミェシュ3世 (ポーランド王)|カジミェシュ3世]]に娘[[アルドナ・オナ・ゲディミナイテ|アルドナ]]を嫁がせることで同盟を結んで状況を改善している。
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ロウェルは、1322年に教皇ヨハネス22世に宛てた公的な手紙には意図不明な''"fidem catholicam recipere"''と言うフレーズは は“自身のためにカトリックを受け入れる”或いは単に“カトリック信仰はリトアニアに来る(カトリック信仰は自分たちの宗教を許す)”と指摘している。自身の本の197ページで以下のように記している。
<blockquote>
“信仰の秘策”という曖昧なフレーズは明らかに熟考している。大公は洗礼と驚きを尋ねていることに意味をなさないことに印象を与えられる。しかしこれは同時に単にカトリックがリトアニアに来るという曖昧さである。ゲディミナスが後に改宗に遠回しな姿勢を取っていることからしてこれは明白な欺瞞である。
</blockquote>
ロウェルはまた指摘する。ゲディミナスがカトリックの聖職者が自国でへの奉仕や臨時に宿泊するために入国を許していた時に、聖職者はリトアニア人への強引な改宗への試みや土着の宗教を侮辱していた。このような時期の[[1339年]]-[[1340年]]にゲディミナスはリトアニアの宗教に対して公的な説教をしていた[[ボヘミア]]出身のウルヒリとマルティンという2人の修道士を処刑している。ゲディミナスは彼等に棄教を命じ、拒否したために殺したのである。[[1369年]]に同じ理由で5人の修道士が処刑されている。
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== スラヴ人の土地の併合 ==
[[ImageFile:Lida-Castle.JPG|thumb|250px|[[リダ]]の[[ゲディミナス城]](復元)]]
北方の敵への守備を固める一方で、ゲディミナスは[[1316年]]から[[1340年]]にかけて、互いに抗争を繰り返して荒れ果てていた南部や東部の[[スラヴ人]]の公国へ領土を拡張した。彼の地でゲディミナスは勝利の凱旋を行ったが、これには様々な点で不可解である。資料が少なく、目立った出来事も非常に疑わしいからである。もっとも重要な領土の拡大は、[[ハールィチ・ヴォルィーニ大公国]]の併合である。ゲディミナスの息子の[[リュバルタス]]とハールィチ娘と結婚させることで獲得したのだ。
 
[[モンゴルのロシア侵攻|モンゴルの侵攻]]で覚醒したスラヴ人を搾取する一方で、ゲディミナスは[[ジョチ・ウルス]]との戦いを局地的なものに留め、争いは避けるようにしながら国境を[[黒海]]へ広げていった。ゲディミナスは同時に新興の[[モスクワ大公国]]の[[セミョーン (モスクワ大公)|セミョーン]]に娘のアナスタシアを嫁がせて同盟を確保した。しかしゲディミナスはモスクワへの影響と同時に北ロシアや[[プスコフ共和国]]に援助を行い、彼等の君主と認識させ、[[ノヴゴロド公国]]から離脱させている。
 
== 国内の出来事 ==
ゲディミナスの国内統治は賢君として留めている。正教の修道士と同じくカトリックの修道士を保護し、リトアニアの軍隊の水準を効果的且つ達成的にまで上げ、防壁の輪で国土を守り、首都となるヴィリュニスを含む都市に多くの城を建てている。最初首都は新しく建てた[[トラカイ]]だったが、1323年に永遠の首都となるヴィリュニスを再建した。[[Image:Lithuania Raudone Gediminas Oak.jpg|thumb|right|An oak in [[Raudone]] under which Gediminas is reputed to have been mortally wounded.]]
 
ゲディミナスは[[1341年]]に死去した(暗殺されたと推測されている)。3回結婚して7人の息子と6人の娘をもうけた。2人の息子は戦争で不慮の死を遂げた。ヴィリュニスを統治した[[ヤヴーヌティス]]が父の死後にリトアニア大公になったが、兄である[[アルギルダス]]と[[ケーストゥティス]]に廃位された。
 
== 出典 ==
{{reflist脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 脚注 ==
* {{1911|wstitle=Gedymin|volume=11|page=548-549}}
*{{1911}}
*{{lt icon}} {{cite book| first=Alvydas |last=Nikžentaitis | title=Gediminas | year=1989 |publisher=Vyriausioji enciklopedijų redakcija |location=Vilnius }}
* {{cite book | title=Lithuania Ascending: A Pagan Empire Within East-Central Europe, 1295-1345 | first=S. C. | last=Rowell | pages=149 | year=1994 | publisher=Cambridge University Press | series=Cambridge Studies in Medieval Life and Thought: Fourth Series| isbn=9780521450119 }} {{lt icon}}
 
== 関連項目 ==
* [[ゲディミナス家]]
* [[ゲディミナス朝]]
* [[ゲディミナスの支柱]]
 
{{先代次代|[[リトアニア大公国|リトアニア]][[リトアニアの統治者の一覧|リトアニア大公]]|1316年 - 1341年|[[ヴィテニス]]|[[ヤヴーヌティス]]}}
{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORT:けていみなす}}
[[Category:ゲディミナス|*]]
[[Category:リトアニア大公]]
[[Category:ゲディミナス家]]
[[Category:1275年生]]
[[Category:1341年没]]
[[Category:ゲディミナス家]]
[[Category:リトアニアの貴族]]
[[Category:ルテニアの貴族]]
[[Category:ベラルーシの支配者]]
[[Category:ベラルーシの貴族]]
[[Category:リトアニア大公]]
 
[[af:Gediminas]]
[[be:Гедзімін]]
[[be-x-old:Ґедымін]]
[[cs:Gediminas]]
[[de:Gediminas]]
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[[et:Gediminas]]
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