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[[1982年]][[高松競輪場]]にで開催された第25回オールスター競輪では、2・5・3の節間成績で決勝に進出。四国勢としてはただ一人の決勝進出であったが、[[井上茂徳]] - [[緒方浩一]]の九州勢を足場にレースを進め、直線で一気に伸びて優勝。父の[[高松宮記念杯競輪|高松宮賜杯競輪]]優勝に続く史上初の親子特別競輪制覇を果たした<ref name=kochinews/>。ちなみに1着松村-2着小林信太郎の6-6枠番連勝単式車券16,000円は長い間特別競輪決勝戦の最高配当(当時は枠番式しかなかった)となっていた。以降もトップクラスの選手として[[1998年]]頃まで常時特別競輪に参加し、[[1989年]]の[[全日本選抜競輪]]では3着に食い込んでいる。
 
その後も長い間上位のS級に在籍するなど活躍を見せていたが、[[2011年]]12月に地元の高知競輪場で開催された『[[山崎勲]]杯』で引退することを発表し、同開催最終日の[[12月21日]]に第5R・A級特選で4着となった<ref>{{citeCite web |和書|url=https://www.chariloto.com/keirin/results/74/2011-12-21#race5 |title=高知チャリロト レース結果 (2011年12月21日) |publisher=[[チャリロト]] |date=2011-12-21 |accessdate=2023-05-07 }}</ref>あと引退セレモニーが行われ「我が競輪人生に悔いなし」という言葉を残しバンクを去った。
 
[[2012年]][[1月5日]]、選手登録消除。通算成績2859戦266勝、優勝44回(1976年1月以降のみ。1975年の成績は含まない)。
 
引退後は競輪評論家として活動。
 
ホームバンクであった高知競輪場では、松村と父・憲とで史上初の父子特別競輪(現在のGI)制覇を称え、「松村憲・松村信定土佐の親子鷹杯」(FI開催)が行われている。
 
== 主な獲得タイトル ==
* [[1982年]] - [[オールスター競輪]]([[高松競輪場|高松]])
 
== 脚注 ==
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[[Category:高知県出身の人物]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:オールスター競輪優勝者]]
[[Category:元選手の競輪評論家]]
[[Category:高知県立高知追手前高等学校出身の人物]]