削除された内容 追加された内容
Trendneed (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
 
(18人の利用者による、間の28版が非表示)
1行目:
{{No footnotes|date=2023年3月}}
'''歴史主義'''(れきししゅぎ、{{lang-de-short|Historizismus}}、{{lang-en-short|historicism}})は、最も一般的な[[用語]]としては、[[人間]][[生活]]のあらゆる[[現象]]を、物理的な[[時間]][[空間]][[概念]]とは別にある歴史的な流れのうちにおいて、その生成と発展とを捉えなければならないとする[[主張]]を指す語である。
 
== 多義性 ==
今日、「歴史主義」と呼ばれている思想的立場は、[[19世紀]]初頭の[[ドイツ]]から始まったとされているが、[[20世紀]]になってから、[[エルンスト・トレルチ]]、[[フリードリヒ・マイネッケ]]の著書によって広く知られるようになった概念である。マイネッケは、歴史主義を西欧社会が体験した最大の精神革命であるとして賛辞したが、トレルチはその諸問題と克服を説いた。
 
歴史主義は極めて多義的な概念であり、その時代・論者によって[[意味]]が異なることから注意が必要である。
 
[[ナポレオン1世]]の失脚後[[ウィーン体制]]が引かれた19世紀初頭のドイツでは、[[フランス革命]]を生んだ[[個人主義]]・[[合理主義]]・[[啓蒙主義]]的な思想に対する保守的な反動として[[ロマン主義]]が登場し、人間的・社会的世界は合理的に割り切れるものでなく、生命の躍動のうちに生成・発展するプロセスであり、これを有機的全体として歴史のなかで捉えなければならないとの主張が生まれていた。そのような時代背景の下、[[ランケ]]は、国家を歴史的に生起する一つの精神的集合体とみなし、[[啓蒙思想]]における合理主義的な国家観を批判したのである。科学的な[[史料批判]]に基づく[[歴史学]]は、新たな学問として、西欧諸国に広まっていった。この意味での歴史主義は、[[ドイツ観念論]]が支配的であった時代に対する反動としての[[自然主義]]的な[[実証主義]]を意味した。
 
歴史主義は、ロマン主義と結びつけられて、歴史研究が自己目的化するにいたった19世紀の知識人層の根本気分とされることもある。そこでは、ある一定の規範や価値がその[[民族]]の歴史から導き出されることが正当化されたのであって、[[ヨハン・グスタフ・ドロイゼン]]によれば、歴史理論と[[倫理学]]は等価であるとされたのである。
 
[[ヴィルヘルム・ディルタイ]]は、[[自然科学]]と、これに対置される歴史学、[[法学]][[経済学]]などの[[精神科学]]を区別し、歴史的認識を範型とする精神科学の[[認識論]]的特質は了解であるとした。ディルタイによって歴史主義に[[哲学]]的な基礎が与えられると、トレルチによって、人間生活のあらゆる現象を捉えるには物理的な時間空間概念とは別にある歴史的な流れのうちにおいて、その生成と発展と捉えなければならないと主張されるようになり、った。このような人間の思惟の根本的な歴史化によって、[[哲学]][[法学]][[経済学]]・[[神学]]などの多くの分野に多大な影響与えられ、個別の学問の歴史化により、哲学史、法制史、経済史、[[教会史]]、[[教義史]]等の新しい学問分野が生まれた。
 
歴史主義は、実証主義を徹底させていく方向で発展し、歴史的に構成された規範や価値はその形成の連関においてのみ妥当性を有するにすぎず、その連関を超えた普遍的妥当性を有しないという[[相対主義|歴史相対主義]]を生んだ。
 
このように歴史主義は多様な分野の多くの論者が長い時間をかけて形成した主張の集合体であったのである。
18 ⟶ 19行目:
== 哲学 ==
=== 歴史主義の前史と成立 ===
[[ヘーゲル]]は、[[歴史哲学]]を哲学の重大な問題であるとした上で、人類の歴史は理性(絶対精神)の発展過程であるとして一種の進歩的かつ[[認識論]]的な歴史観を主張した。
 
これに対し、ランケは、科学的な史料批判に基づく歴史学という見地から、そのような歴史法則の存在そのものを否定した。科学的な史料批判に基づくが、歴史、新たな学問客観的精神であるして、西欧諸国に広まってった。この意味での歴史主義は、[[ドイツう認識論・観念論]]が支配な歴史観であった時代に対す反動いう点ではヘーゲルと共通しての自然主義的な[[実証主義]]を意味した。
<!-- 他方で、当時イギリスでは[[チャールズ・ダーウィン|ダーウィン]]の影響の下、[[社会進化論]]が流行していたが、[[カール・マルクス|マルクス]]は、ヘーゲルの認識論的な歴史観を批判し、歴史を階級闘争の場とする[[唯物史観]]を科学的な見地から主張した。-->
[[ヴィルヘルム・ディルタイ]]は、自然科学と、これに対置される歴史学、法学、経済学などの[[精神科学]]を区別し、歴史的認識を範型とする精神科学の認識論的特質は体験・表現・理解の連関に基づいているとした。この連関は「生」の自己解釈であり、歴史はこの個々の自己解釈のあらゆる客観化の総体であるとされ、歴史主義に哲学的な基礎が与えられたのである。
 
19世紀は「科学の世紀」とされ、人間のあらゆる生活領域に科学的な思想が侵食し始めた時代であった。明朗な学問である自然科学に対する、不明朗な学問(ungenaue Wissenschaften)である文化諸科学の価値に疑問が呈される時代でもあった。イギリスでは[[チャールズ・ダーウィン|ダーウィン]]の影響の下、[[社会進化論]]が流行していたが、[[カール・マルクス|マルクス]]は、認識論・観念論的な歴史観を批判し、歴史を階級闘争の場とする[[唯物史観]]を科学的な見地から主張した<ref group="注釈">[[カール・ポパー]]は、ヘーゲル、マルクスのような歴史法則主義を本項における歴史主義(historism)と区別して「歴史主義」(historicism)と呼び、『歴史主義の貧困』"The Poverty of Historicism"(1957年)のなかで論理的に成り立たないことを論証し、徹底的批判を試みた。この題名は、フランスの[[無政府主義者]][[プルードン]]の『貧困の哲学』(1846年)に対抗して書かれた『哲学の貧困』(1847年)の著者である[[カール・マルクス]]のヘーゲル歴史哲学の批判的継承である唯物史観に対する批判を意図していることに由来する</ref>。
そこでは、人間生活のあらゆる現象は、客観的な精神である歴史的な流れのうちにおいて、その生成と発展とを捉えなければならないと主張されるようになったが、このような様々に変動する生を基礎に置く哲学は、客観的精神といえども生の流れの中で様々に変動をせざるを得ないのではないとの疑問と結びつき歴史相対主義を招来したのであった。
 
そのような時代において、[[ヴィルヘルム・ディルタイ]]は、自然科学と、これに対置される歴史学、法学、経済学などの[[精神科学]]を区別し、歴史的認識を範型とする精神科学の認識論的特質は体験・表現・理解の連関に基づいているとした。この連関は「生」の自己解釈であり、歴史はこの個々の自己解釈のあらゆる客観化の総体であるとされ、歴史主義に哲学的な基礎が与えられたのである。そこでは、人間生活のあらゆる現象は、客観的な精神である歴史的な流れのうちにおいて、その生成と発展とを捉えなければならないと主張されるようになったが、このような様々に変動する生を基礎に置く哲学は、客観的精神といえども生の流れの中で様々に変動をせざるを得ないのではないか、との疑問と結びつき歴史相対主義を招来したのであった
=== 歴史主義の克服 ===
[[フリードリヒ・ニーチェ]]は、先駆的な論文「生に対する歴史の功罪」(1874年) において、歴史主義<ref>もっとも、歴史主義という言葉は当時まだなかった。ニーチェは当時の歴史を尊重する時代風潮を「命取りの歴史熱病」と称した。</ref>の克服を初めて説いた人物である。彼にとって歴史学は純粋科学たる数学とはその本質が異なり、歴史学が科学としての客観性を偽証するときに、すべての価値はその無限の歴史の流れの中に投げ出されて破壊され、永遠の絶望と懐疑をもたらすが故に歴史学は学問であることを止め、[[生の哲学|生]]に従属されなければならないとした。そこでは自然主義に立つ科学と生がそれぞれ自律した領域であるべきであるという問題意識が当時目覚ましい発展を遂げつつあった歴史学を通じて示されたのである。
 
=== 歴史主義の危機と克服 ===
[[エルンスト・トレルチ]]は、自著『歴史主義とその諸問題』(1922年)、『歴史主義とその克服』(1924年)において、
[[フリードリヒ・ニーチェ]]は、先駆的な論文「生に対する歴史の功罪」(1874年) において、歴史主義<ref group="注釈">もっとも、歴史主義という言葉は当時まだなかった。ニーチェは当時の歴史を尊重する時代風潮を「命取りの歴史熱病」と称した。</ref>の克服を初めて説いた人物である。彼にとって歴史学は純粋科学たる[[数学]]とはその本質が異なり、歴史学が科学としての客観性を偽証するときに、すべての価値はその無限の歴史の流れの中に投げ出されて破壊され、永遠の絶望と懐疑をもたらすが故に歴史学は学問であることを止め、[[生の哲学|生]]に従属されなければならないとした。そこでは自然主義に立つ科学と生がそれぞれ自律した領域であるべきであるという問題意識が当時目覚ましい発展を遂げつつあった歴史学を通じて批判する形で示されたのである。
歴史主義は、自然主義と並び立つ近代の偉大な学問的二方法であるとしつつも、他方で、歴史相対主義をキリスト教と西洋文化の一体性を踏まえての文化総合によって克服しようとした。
 
[[エルンスト・トレルチ]]は、自著『歴史主義とその諸問題』(1922年)、『歴史主義とその克服』(1924年)において、歴史主義は、自然主義と並び立つ近代の偉大な学問的二方法であるとしつつも、他方で、歴史相対主義をキリスト教と西洋文化の一体性を踏まえての文化総合によって克服しようとした。
[[パウル・ティリッヒ]]は、『カイロスとロゴス』(1926年)において、歴史的プロセスにおいて形成される認識行為が常に未来に開かれており、同時に認識がその歴史性によって規定されているという意味で、歴史主義を評価し、時代時代に規定された真理の認識が相対的であることを認める。他方で、ティリッヒは、真理の概念を従来考えられてきた絶対的で客観的なものととらえず、真理自体が動的なものであり、その現実化の歴史的運命に縛られていること、認識主観の歴史的構成(運命における原決断)と理念の歴史的運命とが一致するときに、動的真理は認識され得るとして、歴史プロセスをあたかも超越して絶対的真理を完全に自己化したかのように主張する絶対主義と、そのような絶対主義と真理の認識一般を断念する歴史相対主義との両方を批判して発展させ、これをプロテスタント信仰と矛盾することのない「信仰的相対主義」(dergläubige Relativismus)と呼んだ。
 
[[パウル・ティリッヒ]]は、『カイロスとロゴス』(1926年)において、歴史的プロセスにおいて形成される認識行為が常に未来に開かれており、同時に認識がその歴史性によって規定されているという意味で、歴史主義を評価し、時代時代に規定された真理の認識が相対的であることを認める。他方で、ティリッヒは、真理の概念を従来考えられてきた絶対的で客観的なものととらえず、真理自体が動的なものであり、その現実化の歴史的運命に縛られていること、認識主観の歴史的構成(運命における原決断)と理念の歴史的運命とが一致するときに、動的真理は認識され得るとして、歴史プロセスをあたかも超越して絶対的真理を完全に自己化したかのように主張する絶対主義と、そのような絶対主義と真理の認識一般を断念する歴史相対主義との両方を批判して発展させ、これをプロテスタント信仰と矛盾することのない「信仰的相対主義」(dergläubige Relativismus)と呼んだ。
[[新カント主義]]の[[ヴィンデルバント]]は、ディルタイがその領域によって自然科学と精神科学を区別したことを批判した上で、自然科学は「法則定立的」(nomothetisch)であるのに対し、精神科学は「個性記述的」(idiographisch)であると特徴づけ、自然科学と精神科学は「領域による違い」ではなく、「方法による違い」によって区別されるとして、精神化学に自然科学と異なる学問としての独自性を主張したのであったが、これは新カント主義に立たない多くの歴史学の理論家にも取り上げられるほどの影響力を持った。新カント主義の[[ハインリヒ・リッカート]]は、ヴィンデルバントを承継しつつも、精神科学に代わる概念として「文化科学」という概念を立て、これを体系化しただけでなく、相対主義を克服した価値哲学の構想を立てた。新カント主義は、このように、科学的な実験方法が哲学にも導入され徐々に[[心理学]]が独自の学問として成立し、「哲学のアイデンティティの危機」が叫ばれた時代に、自然主義との調和を求め、精神と文化の価値を復権する試みとして主張されたのである。歴史学と同様の[[史料批判]]に基づく哲学の研究は、研究成果がわかりやすいという特徴を有していたこともあり、その後の講壇哲学の方向性を基礎付けた。
 
[[新カント主義]]の[[ヴィンデルバント]]は、ディルタイがその領域によって自然科学と精神科学を区別したことを批判した上で、自然科学は「法則定立的」(nomothetisch)であるのに対し、精神科学は「個性記述的」(idiographisch)であると特徴づけ、自然科学と精神科学は「領域による違い」ではなく、「方法による違い」によって区別されるとして、精神学に自然科学と異なる学問としての独自性を主張したのであったが、これは新カント主義に立たない多くの歴史学の理論家にも取り上げられるほどの影響力を持った。新カント主義の[[ハインリヒ・リッカート]]はさらに、ヴィンデルバントを承継しつつも、精神科学に代わる概念として「文化科学」という概念を立て、これを体系化しただけでなく、相対主義を克服した価値哲学の構想を立てた。新カント主義は、このように、科学的な実験方法が哲学にも導入され徐々に[[心理学]]が独自の学問として成立した時代、「哲学のアイデンティティの危機」が叫ばれた時代に、自然科学主義との調和を求め、対抗で精神と文化の価値を復権する試みとして主張されたのである。歴史学と同様の[[史料批判]]に基づく哲学の研究は、研究成果がわかりやすいという特徴を有していたこともあり、その後の講壇哲学の方向性を基礎付けた。
==== カール・ポパー ====
[[カール・ポパー]]は、ヘーゲル、マルクスのような歴史法則主義と反自然主義的主張である社会科学における歴史主義(historism)を含めて「歴史主義」(historicism)と呼び、『歴史主義の貧困』"The Poverty of Historicism"(1957年)<ref>この題名は、フランスの[[無政府主義者]][[プルードン]]の『貧困の哲学』(1846年)に対抗して書かれた『哲学の貧困』(1847年)の著者である[[カール・マルクス]]のヘーゲル歴史哲学の批判的継承である唯物史観に対する批判を意図していることに由来する。</ref>のなかでこの両者がいずれも論理的に成り立たないことを論証し、徹底的批判を試みた。
 
==== 新歴史主義 ====
1950年代以降、従来の歴史主義を批判するかたちで『表象(''[[:en:Representations''|Representations]])』誌を根城とした批評家集団が立ち現われた。この流れを[[新歴史主義]]と一般に呼び、その理論的骨組みは[[ミシェル・フーコー]]の[[言説]]論と[[権力]]論にある。すなわち、新歴史主義において歴史は客観的で確固とした事実としてではなく、語り手によって再編されていく物語の言説として扱われる。代表的論客として、[[スティーン・グリーンブラット]]を挙げることができる。
 
== 法学 ==
[[{{see|歴史法学]]を参照のこと。}}
 
== 経済学 ==
[[{{see|歴史学派]]を参照のこと。}}
 
== ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
 
== 参考文献 ==
*[[ヘルベルト・シュネーデルバッハ]]著・古東哲明訳『ーゲル以後の歴史哲学』(法政大学出版局、1994)
*ヘルベルト・シュネーデルバッハ著朴順南、舟山俊明、内藤貴訳『ドイツ哲学史1831‐1933』(法政大学出版局)
*[[ {{Cite journal|和書|author=佐々木博光]]『 |date=1998-03 |url=https://doi.org/10.14989/48522 |title=歴史主義の徴候のなかの文化諸科学』( |journal=人文學報85号、1998年) |ISSN=0449-0274 |publisher=京都大学人文科学研究所 |volume=81 |pages=119-166 |doi=10.14989/48522 |hdl=2433/48522 |CRID=1390290699820461696 |ref=harv}}
 
== 注釈 ==
<references />
 
== 関連項目 ==
71 ⟶ 70行目:
 
== 外部リンク ==
*[[神山四郎]][https://archive.ph/20110101000000/http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E4%B8%BB%E7%BE%A9/ 「歴史主義」(Yahoo!百科事典)]
* {{Cite journal|和書|author=村山敏勝 |date=2003-11 |url=http://www.dickens.jp/archive/general/g-criticism-murayama.pdf |format=PDF |title=ディケンズと新歴史主義批評 |journal=ディケンズ・フェロウシップ日本支部年報 |ISSN=13460676 |publisher=ディケンズ・フェロウシップ日本支部 |issue=26 |pages=102-110 |CRID=1521699230194332672 |ref=harv}}
*[http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48522/1/81_119.pdf 佐々木博光『歴史主義の徴候のなかの文化諸科学』(人文學報85号、1998年)]
*[[村山敏勝]][http://wwwsoc.nii.ac.jp/dickens/archive/general/g-criticism-murayama.pdf 『ディケンズと新歴史主義批評』(ディケンズ・フェロウシップ日本支部年報第26号、2003年)]
 
{{Philos-stub}}
 
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:れきししゆき}}
[[Category:哲学の概念]]
[[Category:美学]]
[[Category:歴史学]]
[[Category:歴史哲学]]
 
[[Category:歴史理論]]
[[be-x-old:Гістарыцызм]]
[[Category:ヘーゲル哲学]]
[[ca:Historicisme]]
[[de:Historizismus]]
[[en:Historicism]]
[[eo:Historiismo (filozofio)]]
[[es:Historicismo]]
[[et:Historitsism (filosoofia)]]
[[fa:تاریخ‌گرایی]]
[[fr:Historicisme]]
[[he:היסטוריציזם]]
[[hr:Historicizam]]
[[it:Storicismo]]
[[lt:Istorizmas]]
[[nl:Historicisme]]
[[no:Historisisme]]
[[pl:Historycyzm]]
[[pt:Historicismo]]
[[sv:Historicism (filosofi och historia)]]
[[tr:Tarihselcilik]]
[[zh:歷史主義]]
[[zh-yue:歷史主義]]