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{{年譜のみの経歴|date=2024年1月}}
{{Infobox 哲学者
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| era = [[19世紀の哲学]]
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| image_caption = 1900年のエトムント・フッサール
| name = エトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサール<br />Edmund Gustav Albrecht Husserl
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| death_date = {{死亡年月日と没年齢|1859|04|08|1938|04|27}}
| death_place = {{DEU1935}}・[[フライブルク・イム・ブライスガウ]]
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| notable_ideas = [[現象学]]、[[エポケー]]、ノエマ/ノエシス、現象学的還元、過去把持(Retention)と未来予持(Protention)、生世界Lebenswelt、前反省的自己意識、超越論的主観論、[[物理主義]]([[物理学]])的[[客観主義]]への批判、後からの覚認、原信憑(ウアドクサ)Urdoxa、現象学的記述など
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'''エトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサール'''('''Edmund Gustav Albrecht Husserl''' {{IPA-de|ˈʔɛtmʊnt
== 概要 ==
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;1928年:1905年冬学期の講義『内的時間意識の現象学』がハイデッガーによって手稿から編集され、『年報』第9巻に発表される(フッサールとハイデッガーはすでに決裂していたが、関係修復の望みがまだフッサールの側に残っていた前年に依頼したものである)。
:この年をもってフライブルク大学を定年で退官。後任には、決裂してもなおフッサールの強く推薦したハイデッガーが就任する。
:この年、ドイツに留学してきた[[田辺元]]を通して、[[西田幾多郎]]が『自覚に於ける直観と反省』で展開した思想の概略を聞くことができた。フッサールは数学者の[[エルンスト・ツェルメロ]]と一緒に田辺の解説に耳を傾け、熱心に議論したのだという<ref>[[西谷啓治]]「田辺先生のこと」282頁,[[武内義範]]ら編『田辺元 思想と回想』(筑摩書房、1991)に収録</ref>。
=== 退官後、ナチスの台頭 ===
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== 思想 ==
=== 概要 ===
フッサールの目標は、「'''事象そのものへ'''」({{Lang|de|Zu den Sachen selbst!}}) という研究格率に端的に表明されている。つまり、いかなる前提や[[先入観]]、[[形而上学]]的独断にも囚われずに、現象そのものを把握して記述する方法を
=== 現象学 ===
==== 前期(記述的心理学としての現象学) ====
前期を代表する著書は、『論理学研究』である
そのような時代背景の下で、特に数学・[[論理学]]の領域で、[[心理主義|心理学主義]]・[[生物学主義]]的な、心理的現象から諸学を基礎付けようとする「発達心理学」が席巻していた。心理学主義とは、あらゆる対象の基礎を心理的な過程に基づけようとする試みである。
数学の研究者から出発したフッサールの関心も、当初は心理学から数学を基礎付けようとするものであ
そこで、フッサールは、[[フランツ・ブレンターノ]]の「[[志向性]]」([[:de:Intentionalitat|de:Intentionalität]]) の概念を継承し、現象によって与えられる心的体験を直感的明証的に把握し、あらゆる前提を取り払った諸学の学問的な基礎付けを求めた。
ブレンターノは、物理的原因から心理現象が発生することを理論的に説明する「発達的心理学」を批判して、心理現象が対象への「志向性」を持つ点で、物理現象と区別されるとして「記述心理学」の立場を明らかにした。そして、その上で
ブレンターノの記述的心理学においては、志向対象とその「内容」が区別されていなかった
==== 中期(超越論的現象学) ====
フッサールの中期を代表する著書は、『イデーン』である。フッサールは、『論理学』において現象学を記述心理学と位置づけて、あらゆる前提を取り払った純粋記述として、自我の心理作用を記述しようとした
=====現象学的還元(超越論的還元及び形相的還元)=====
日常的に、私たちは、自分の存在
#認識の対象の意味と存在を自明的としていること
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#世界関心への没入による、意識の本来的機能の自己忘却
このような態度の下では、人間は自らを「世界の中のひとつの存在者」として認識するにとどまり、世界と存在者自体の意味や起源を問題とすることができない。このような問題を扱うために、フッサールは、世界関心を抑制し、対象に関するすべての判断や理論を禁止する(このような態度を[[エポケー]]という)ことで、意識を純粋な理性機能として取り出す方法を提唱した。
=====ノエシス/ノエマ=====
このように現象学的還元によって得られた、自然的態度を一般定立されている世界内の心ではない意識を「純粋意識」という。
既に述べた
=====本質直
現象学的還元によって得られる純粋現象は、あらゆる学問的解釈のみならず、一般的な人間の日常的な自然的態度さえも遮断して得られるものである
真の学は、普遍的な本質認識を求めるものである。したがって、そのためには、純粋現象の本質構造を明らかにする方法が必要とされる。
フッサールは、既に『論理学研究』において、感覚的直感を超える直感があることを論じている
現象学的還元によって得られた志向的諸体験のノエシス/ノエマ的類型的構造の本質を直感するところにより記述すると、現象学的還元によっていったんは遮断された自然的世界及び
====後期(発生的現象学)====
後期思想の集大成とよぶべき著作が『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』であり、『デカルト的省察』にその思想的転換が認められるとされる。そこでは、超越論的現象学によって明らかにされた個々の純粋意識の志向的体験を超えて、それに先立って存在する「先所与性」が存在し、それが発生する起源まで遡らなければ、世界構成を徹底的に明らかにすることはできないとされ、超越論的現象学の「
=====生活世界=====
『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』において、フッサールは、普遍的な本質認識を求める真の学は、古代ギリシアにおいて、理性によって世界の全体を体系的に把握する普遍学として原創設されたとする。そこでは、学問以前に日常的に直感される「生活世界」(Lebenswelt)の基盤において、真の学が成立していた。ところが、[[ガリレオ・ガリレイ]]によって[[物理学]]の基礎付けに数学が導入されて以降、自然は数式によって理念化されて「数学的・記号学的理念の衣」によって被われてしまった。その結果、生活世界は隠蔽されてしまったのであ
=== 形而上学 ===
フッサールは、近代科学と古い形而上学を厳しく批判して、生活世界を取り戻すことを主張した
==== 時間論 ====
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== 著作 ==
*『算術の哲学―論理学的かつ心理学的研究―』
*『論理学研究』 ''Logische Untersuchungen''、1900年
*『厳密な学としての哲学』''Philosophie als strenge Wissenschaft''、1911年
*『現象学の理念』 ''Die Idee der Phänomenologie''
*『純粋現象学、及び現象学的哲学のための考案(イデーン)』
: ''Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie''、1913年
*『内的時間意識の現象学』''Vorlesungen zur Phänomenologie des inneren Zeitbewusstseins''、1928年
*『デカルト的省察』 ''Cartesianische Meditationen''▼
*『形式論理学と超越論的論理学』''Formale und transzendentale Logik''、1929年
▲*『デカルト的省察』 ''Cartesianische Meditationen''、1931年
*『{{仮リンク|間主観性|de|Intersubjektivität}}の現象学』 ''Zur Phänomenologie des Intersubjektivität''
*『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』
: ''Die Krisis der europäischen Wissenschaften und die transzendentale Phänomenologie''、1936年
*『経験と判断』 ''Erfahrung und Urteil''
=== 主な日本語訳 ===
*『現象学の理念』
*『デカルト的省察』
*『
*『
*『
*『間主観性の現象学I その方法』 ちくま学芸文庫、2012年。各・浜渦辰二・山口一郎監訳
*『フッサール・セレクション』 立松弘孝編訳、[[平凡社ライブラリー]]、2009年 ▼
**『間主観性の現象学II その展開』 ちくま学芸文庫、2013年
**『間主観性の現象学III その行方』 ちくま学芸文庫、2015年
*『フッサール書簡集 1915‐1938』 桑野耕三・佐藤真理人、[[せりか書房]]、1982年<br> 弟子でポーランドの芸術哲学者[[ローマン・インガルデン]](1893-1970)あての書簡集。▼
*『内的時間意識の現象学』 谷徹訳、ちくま学芸文庫、2016年
*『現象学の理念』 立松弘孝訳、[[みすず書房]]、新装版2000年
*『内的時間意識の現象学』 立松弘孝訳、みすず書房、新装版2000年
*『形式論理学と超越論的論理学』 立松弘孝訳、みすず書房、新装版2017年
*『論理学研究』 立松弘孝・松井良和ほか訳、みすず書房(全4冊)、新装版2015年
*『イデーン I・II・III』 [[渡邊二郎]]・立松弘孝ほか訳、みすず書房(全5冊)。I・IIは各2分冊
*:1979年「イデーン I-1」を刊行開始、2009年に「イデーン II-2」、2010年に「イデーン III」を刊行完結。
*『能動的綜合 講義・超越論的論理学 1920-21年』 山口一郎・中山純一訳、[[知泉書館]]、2020年
*『フッサール書簡集 1915‐1938』 桑野耕三・佐藤真理人訳、[[せりか書房]]、1982年
▲*
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
* [[立松弘孝]]
* [
*
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{{IEP|husserl|Edmund Husserl}}
{{SEP|husserl|Edmund Husserl}}
{{大陸哲学}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ふつさる えとむんと}}
[[Category:19世紀オーストリアの
[[Category:20世紀オーストリアの哲学者]]
[[Category:現象学]]▼
[[Category:19世紀の数学者|590408]]
[[Category:20世紀の数学者|-590408]]
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[[Category:
[[Category:存在論の哲学者]]
[[Category:認識論の哲学者]]
▲[[Category:現象学者]]
[[Category:形而上学者]]
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[[Category:ハイデルベルク科学アカデミー会員]]
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[[Category:数学に関する記事]]
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[[Category:プロスチェヨフ出身の人物]]
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▲[[Category:数学に関する記事]]
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