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| 各国語表記 = Isabella of France
| 正配称号 = イングランド王妃
| 画像 = Isabella of France by Froissart.jpgpng
| 画像サイズ = 180px
| 画像説明 =
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| 死亡日 = [[1358年]][[8月22日]]
| 没地 = {{ENG927}}、ハートフォード城
| 埋葬日 =  
| 埋葬地 = {{ENG927}}、グレイ・フライアーズ僧院
| 結婚 = [[1308年]][[1月28日]]
| 配偶者1 = [[イングランド王国|イングランド]]王[[エドワード2世 (イングランド王)|エドワード2世]]
| 子女 = [[#子女|一覧参照]]
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| サイン =
}}
'''イザベラ・オブ・フランス'''(Isabella({{lang-en|Isabella of France}}, [[1295年]]頃 - [[1358年]][[8月22日]])は、[[イングラン王国|イングラン]]王[[エドワード2フィリップ4世 (イングラン王)|エドワード2フィリップ4世]]の王妃。その美しさから、広くヨーロッパの各宮廷に「佳人女で[[ザベング」として知られたが、その行動から"She-Wolf of France"「フンド王国|イングランスの牝オオカミ」とも呼ばれた。エワード2世を廃位し、]]王[[エドワード32世 (イングランド王)|エドワード32世]]の摂政として愛人[[ロジャー・モーティマー (初代マーチ伯)|ロジャー・モーティマー]]と共に実権を握った{{sfn|青山吉信(編)|1991| p=292}}王妃
 
その美貌は「ヨーロッパ随一」と謳われ、広くヨーロッパの各宮廷で「[[美人|佳人]]イザベラ」と称されていた。
 
[[1308年]]、13歳程の頃にエドワード2世と結婚したが、[[1324年]]に{{仮リンク|サン=サルド戦争|en|War of Saint-Sardos}}で英仏が開戦したために所領を没収され、エドワード2世やその近臣[[ヒュー・ル・ディスペンサー (初代ウィンチェスター伯)|ディスペンサー]]父子と対立を深めた。[[1326年]]に愛人の貴族[[ロジャー・モーティマー (初代マーチ伯)|ロジャー・モーティマー]]と共にクーデタを起こしてエドワード2世やディスペンサー父子を排除した。15歳の息子[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]を即位させて[[摂政]]としてイングランドの国政の実権を握ったが、[[1330年]]に成長したエドワード3世が[[親政]]の開始を狙って起こしたクーデタにより失脚した{{sfn|青山吉信(編)|1991|pp=292-293}}。
 
その所業から"She-Wolf of France"「'''フランスの雌狼'''」と呼ばれ恐れられた。
 
== 生涯 ==
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イザベラは4歳で[[プリンス・オブ・ウェールズ|皇太子]]エドワード(後のエドワード2世)と婚約し、[[1308年]]1月28日、[[ブローニュ=シュル=メール]]で成婚した。フランス王フィリップ4世(新婦の父)、ナバラ王ルイス1世(新婦の兄ルイ皇太子、後のルイ10世)、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]王[[フェルナンド4世 (カスティーリャ王)|フェルナンド4世]]の3組の国王夫妻が列席し、祝典と行事は2週間にも及んだという。
 
新婚早々、イザベラは夫の寵臣で[[ガスコーニュ]]南部出身の[[コーンウォール]]伯[[ピアーズ・ギャヴィストン (初代コーンウォール伯)|ピアーズ・ギャヴィストン]]と対立した。王は寵臣と共に彼女に数々の嫌がらせを行うようになったため、王妃は反ギャヴストンの旗印になっていった。反ギャヴストン派の貴族達は宮廷からの追放や左遷を画策した。彼らの圧力によりギャヴストンは2度追放されたが、国王と諸侯の間で交わされた政治的な取引や国王の許しによって帰国し追放を取り消された。しかし、反ギャヴェストンの諸侯によって誘拐され殺害された{{sfn|青山吉信(編)|1991| p=285-288}}。
 
ギャヴィストンが死んだ後、エドワード2世は[[ウィンチェスター伯]][[ヒュー・ル・ディスペンサー (初代ウィンチェスター伯)|ヒュー・ル・ディスペンサー]]父子を重用したが、彼らは王を後ろ盾に勢力を拡大したため、王権からの自立と自力救済を慣習とするウェールズ辺境諸侯は、宮廷派、実務派を問わずの反感を強めていった{{sfn|青山吉信(編)|1991| p=289}}。
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イザベラもエドワード2世のディスペンサー父子重用のために自分がないがしろにされていると感じるようになり、ディスペンサー追放を求める人々に対して好意を示すようになった{{sfn|キング|2006|p=231}}。
 
イングランドにおいてイザベラは年間1万ポンド以上の収入を持ち、どの[[伯爵]]とも肩を並べられる存在であり、独自の豪勢な家政組織を有していた{{sfn|キング|2006|p=230-231}}。ところが[[ガスコーニュ]]で[[百年戦争]]の前振れの{{仮リンク|サン=サルド戦争|en|War of Saint-Sardos}}が発生したことで、[[1324年]]9月にはフランス人の王妃の所領がフランス軍の橋頭にされる恐れがあるとしてイザベラの所領が没収されるに至った{{sfn|青山吉信(編)|1991| p=291}}。これは彼女の家政組織の存続を危うくするものであり、これによってイザベラは真っ向からエドワード2世とディスペンサー父子と敵対する立場に身を置くことになった{{sfn|キング|2006|p=231}}。
 
=== イザベラのクーデタ ===
[[ファイル:Retour d Isabelle de France en Angleterre.jpg|thumb|right|200px|息子[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]とイングランドへ戻るイザベラ(ジャン・フケ作)]]
[[File:Minature-of-Queen-Isabella -and Roger Mortimer-her-army-from-royal-ms-15-e-iv-vol-2-f316v.jpg|thumb|イザベラとロジャー・モーティマーを描いた絵画]]
[[1325年]]、兄のフランス王シャルル4世にエドワード2世に代わって臣従の礼をとるため、皇太子エドワード(後の[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]])とともに渡仏した{{sfn|青山吉信(編)|1991| p=291}}。イザベラはフランスに亡命していた第3代{{仮リンク|モーティマー男爵|en|Baron Mortimer}}[[ロジャー・モーティマー (初代マーチ伯)|ロジャー・モーティマー]]と愛人関係になり、ディスペンサー親子に追放されてフランスに逃れていた諸侯達と王権の転覆策を練った{{sfn|森護|1986|p=132}}。エドワード2世に帰国を拒否する手紙を書くと、[[フランドル]]の[[エノー伯]][[ギヨーム1世 (エノー伯)|ギヨーム1世]]の元を訪れ、ギヨーム1世の娘[[フィリッパ・オブ・エノー|フィリッパ]]を皇太子妃とすること認める代わりにイングランド遠征の援助を獲得した{{sfn|青山吉信(編)|1991| p=291}}。
 
[[1326年]][[9月24日]]、約700人から成る反乱軍は東部[[サフォーク]]へ上陸した。彼らはイングランド各地で歓迎され、反乱軍は約1か月で国内を制圧した。国王と宮廷派の主要人物は逮捕され、エドワード2世はランカスター伯[[ヘンリー (第3代ランカスター伯)|ヘンリー]]へ身柄を預けられたが、他は[[ヒュー・ル・ディスペンサー (小ディスペンサー)|ディスペンサーの息子]]を除きその場で斬殺された{{sfn|青山吉信(編)|1991| p=292}}(ディスペンサーの息子も裁判の末に処刑)。
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=== 失脚後の晩年 ===
[[File:Castle-rising-castle.JPG|thumb|1327年にイザベラが購入した{{仮リンク|ライジング城|en|Castle Rising (castle)}}]]
失脚直後の頃は{{仮リンク|バーカムステッド城|en|Berkhamsted Castle}}や[[ウィンザー城]]で幽閉されていたが{{sfn|Doherty|2003|p=173}}、[[1332年]]に解放されてイザベラ所有の[[ノーフォーク]]・{{仮リンク|ライジング城|en|Castle Rising (castle)}}を生活の本拠とするようになった。[[ヴィクトリア朝]]の歴史家{{仮リンク|アグネス・ストリックランド|en|Agnes Strickland}}によるとこの頃の彼女は時々狂気になったといい、恋人モーティマーの死で[[神経衰弱 (精神疾患)|神経衰弱]]ていたのではと推測している{{sfn|Doherty|2003|p=173}}。
 
イザベラの所領の多くは没収されたものの、3000ポンドの年金を支給されたため、失脚後も裕福な生活を送った{{sfn|松村赳|富田虎男|2000|p=366}}{{sfn|Castor|2011|p=313}}。さらに[[1337年]]には年金が4000ポンドに増加された{{sfn|Doherty|2003|p=173}}。[[吟遊詩人]]や[[狩猟]]家、[[馬丁]]などを召し抱え、様々な高級品を収集していた{{sfn|Doherty|2003|p=176}}。エドワード3世やその息子たちもしばしば彼女のもとを訪れている<ref name="mortimer332">{{cite book | title=The Perfect King The Life of Edward III, Father of the English Nation | last=Mortimer | first=Ian | authorlink=Ian Mortimer (historian) | page=332 | year=2008 | publisher=Vintage }}</ref>。またイングランド各地を旅行した。[[1342年]]にはフランスとの和平交渉のために[[パリ]]を旅行する計画があったが、これは実現しなかった{{sfn|Doherty|2003|p=174}}
 
彼女は[[アーサー王]]の伝説と宝石に関心を持ち続け、 1358年の[[聖ジョージの日]]のウィンザーでの祝賀会に300のルビーと1800のパールを使ったシルクのドレスと金のサークレットを付けて出席している{{sfn|Doherty|2003|p=173}}。また晩年には[[占星術]]や[[幾何学]]に関心を寄せていたようである<ref>Weir 2006, p.371.</ref>
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エドワード2世との間に4人の子女をもうけた。
*[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]](1312年 - 1377年) - イングランド王
*[[{{仮リンク|ジョン・オブ・エルタム (コーンウォール伯)|label=ジョン]]|en|John of Eltham, Earl of Cornwall}}(1316年 - 1336年) - {{仮リンク|コーンウォール伯|en|Earl of Cornwall}}
*[[エリナー・オブ・ウッドストック|エリナー]](1318年 - 1355年) - 1332年、[[ゲルデルン(ヘルレ)[[レ]]{{仮リンク|ライナルト2世 (ゲルデルン公)|label=ライナルト2世]]|de|Rainald II. (Geldern)}}と結婚
*[[ジョーン・オブ・ザ・タワー|ジョーン]](1321年 - 1362年) - 1328年、スコットランド王[[デイヴィッド2世 (スコットランド王)|デイヴィッド2世]]と結婚
 
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== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|editor=[[青山吉信]](編)|editor-link=青山吉信|date=1991年(平成3年)|title=イギリス史〈1〉先史~中世|series=世界歴史大系|publisher=[[山川出版社]]|isbn=978-4634460102|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author1last=[[松村赳]] キング|author2first=[[富田虎男]]エドマンド|dateyear=2000年(平成12年)2006|title=英米史辞典中世のイギリス|publisher=[[研究社慶應義塾大学出版会]]|isbnid=ISBN 978-47674304784766413236|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author1=松村赳|authorlink1=松村赳 |author2=富田虎男|authorlink2=富田虎男|date=2000年(平成12年)|title=英米史辞典|publisher=[[研究社]]|isbn=978-4767430478|ref=harv}}
*柴田三千雄他編『フランス史1』山川出版社、1995年。
*{{Cite book|和書|author=森護|authorlink=森護|date=1986年(昭和61年)|title=英国王室史話|publisher=[[大修館書店]]|isbn=978-4469240900|ref=harv}}
*ノーマン・デイヴィス 著『アイルズー西の島々の歴史』別宮貞徳訳、[[共同通信社]]、2006年。
* {{cite book |first=Helen |last=Castor |year=2011 |title=She-Wolves: The Women Who Ruled England Before Elizabeth |publisher=Faber and Faber |isbn=0571237061 |ref=harv}}
* {{cite book |first=P. C.|last=Doherty|year=2003 |title=Isabella and the Strange Death of Edward II |publisher=London: Robinson|isbn=1-84119-843-9 |ref=harv}}
* Weir, Alison. (2006) ''Queen Isabella: She-Wolf of France, Queen of England.'' London: Pimlico Books. {{ISBNISBN2|978-0-7126-4194-4}}.
 
== イザベラが登場する作品 ==
*[[エドワードII]] (1991年・映画) - 演:[[ティルダ・スウィントン]]
*[[ブレイブハート]] (1995年・映画) - 演:[[ソフィー・マルソー]]
*[[ナイトフォール -悲運の騎士団]] (2017-2019年・TVシリーズ) - 演:[[サブリナ・バートレット]]
 
== 外部リンク ==
{{commonscat|Isabella of France, Queen of England}}
* Heidi Murphy [https://web.archive.org/web/20080209175140/http://www.britannia.com/history/biographies/isabella_france.html Isabella of France (1295–1358), Britannia biographical series]
 
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:いさへら ふらんす}}
[[Category:13世紀イングランドの女性]]
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[[Category:14世紀フランスの女性]]
[[Category:イングランドの王妃]]
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