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|コマルカ='''クアドリージャ・デ・ビトリア''' |司法管轄区=ビトリア=ガステイス
|面積=276.81 |標高=525
|人口=242223252571 |年=20122019<ref name=INE.pob.super.dens>{{cite web|url=http://www.ine.es/jaxi/menu.do?type=pcaxis&file=pcaxis&path=%2Ft43%2Fa011%2Fa1998%2Fdensidad%2F%2Fa2012|title=Población, superficie y densidad por municipios|publisher=INE([[スペイン国立統計局]])|language=スペイン語|accessdate=2013-08-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130921053340/http://www.ine.es/jaxi/menu.do?type=pcaxis&file=pcaxis&path=%2Ft43%2Fa011%2Fa1998%2Fdensidad%2F%2Fa2012|archivedate=2013年9月21日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>
|住民の呼称= |自治体首長= |守護聖人=Virgen Blanca
|latd=42 |latm=50 | lats=49 |lond=2 |lonm=40 |lons=22 |EW=W
}}
 
'''ビトリア'''([[スペイン語|カスティーリャ語]]:{{Lang|es|Vitoria}}, {{IPA-es|biˈtoɾja|}})または'''ガステイス'''({{Lang-eu|Gasteiz}}, {{IPA-eu|ɡas̺teis̻|}})は、[[スペイン]]・[[バスク州]]の州都であり、[[アラバ県]]の[[ムニシピオ]](基礎自治体)県都でもある。2言語の名称をハイフンでつなげた{{lang||Vitoria-Gasteiz}}('''ビトリア=ガステイス''')が正式名称である。アラバ県の県都・バスク州の州都であり、[[バスク自治州議会]]やバスク自治州政府はビトリア=ガステイスに置かれている。2012年の人口は242,223人であり、バスク州内では[[ビスカヤ県]][[ビルバオ]]に次いで人口が多い。住民の呼称はビトリアーノス(vitorianos)もしくはガステイスタラク(gasteiztarrak)であるが、伝統的にはババソロス(babazorros、バスク語で「豆を食べる奴」)と呼ばれた。2012年の[[欧州グリーン首都]]であるに選出された
 
== 歴史 ==
=== 中世 ===
[[File:Montesvitoria.jpg|thumb|left|250px|アラバ盆地の鳥瞰図(右辺が北)]]
今日のビトリア=ガステイスに相当する場所に、古代の集落としてガステイスがあった。581年、[[西ゴート族]]の{{仮リンク|レオィギルドゥス|en|Liuvigild|es|Leovigildo}}王は[[ヴァスコン人]]に対する勝利を祝し、ヴィクトリアクム (Victoriacum) という町を建設した。ヴィクトリアクムの場所はガステイスの集落があった丘だとされているが定かではなく、イルーニャ=ベレイアがあった場所やゴルベア山麓であるとする歴史家や専門家もいる。中世のビトリアガステイスの市街地[[アーモンド]]の種子<!--アーモンドや種子は、単なる比喩表現であって、内部リンクに値しない。-->のような形状をしており、アラバ盆地唯一の丘であることからために特権的な地位を与えられた。1050年から1100年の間に防壁が建設され、11世紀と12世紀にはナバーラ王とカスティーリャ王による戦いの際に守備拠点となった。
 
1181年、[[ナバーラ王国]]の[[サンチョ6世 (ナバラ王)|サンチョ6世]](賢王)はガステイスの集落があった丘の上に防御基地としてヌエバ・ビクトリア(Nueva Victoria)という町を建設し、この年が今日のビトリアの建設年とされている。1199年、ヌエバ・ビクトリアはカスティーリャの[[アルフォンソ8世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ8世]]の部隊に奪われ、[[カスティーリャ王国]]に併合された。ヌエバ・ビクトリアは次第に拡大し、1431年には[[フアン2世 (カスティーリャ王)|フアン2世]]から「市」の称号を得た。サハサラ、[[ミランダ・デ・エブロ]]、パンコルボ、[[サルバティエーラ/アグライン|サルバティエーラ]]とともに、1463年にはアラバ組合の5つの町のひと1つとなった。
 
=== 近世 ===
[[File:GasteizXVII.jpg|thumb|right||250px|17世紀のビトリア=ガステイス]]
[[スペイン独立戦争]]中の1813年6月21日、町に近い[[サドーラ川]]沿いで[[ビトリアの戦い]]が起こった。イギリス・ポルトガル・スペインが連合を組み、初代[[ウェリントン公爵|ウェリントン侯爵]][[アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)|アーサー・ウェルズリー]]が率いる連合軍は、[[ジョセフ・ボナパルト]]と[[ジャン=バティスト・ジュールダン]]が率いるフランス軍を破った。連合軍の勝利によってフランスのスペイン支配は終焉し、ビトリアの中心部にある[[ビルヘン・ブランカ広場]]には、ビトリアの戦いの記念碑「独立への記念碑」が建てられている。1813年中には勝利を祝って{{仮リンク|[[ヨハン・ネポムク・メルツェル|en|Johann Nepomuk Maelzel}}]]が[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン]]に交響曲の作曲を委嘱し、10月に交響曲が完成。『[[ウェリントンの勝利|ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い]]』や『戦争交響曲』という名で知られ、12月8日にウィーンで初演された。1854年から1856年には[[コレラ]]が流行し、運送屋通り(ナンクラレス家の拠点)や靴屋通り(ソト家の拠点)や鍛冶屋通り(アベンダーニョ家の拠点)などの入口にあり町内会の保護に役立っていた門が取り除かれるきっかけとなった。
 
1843年にはビトリアに中等教育機関が設立され、1853年-54年度に授業を開始した。この機関はかつてサンタ・クララ修道院だった場所を利用しており、現在のこの場所にはバスク自治州議会がある。1868年の{{仮リンク|スペイン名誉革命|en|Glorious Revolution (Spain)}}をきっかけとして、1869年には学生が自主的に運営する自由大学が開校したものの第二次[[第2次カルリスタ戦争]]の勃発が理由で1873年-74年の年度開始前に活動を停止した。学部長はリカルド・ベセーロ・デ・ベンゴア、フリアン・アプライス、{{仮リンク|フェデリコ・バライバル|es|Federico Baraibar}}などだった。バライバルは偉大なギリシア文学者として知られており、ビトリアにおける初の[[バスク語]]教師として課外授業を行った。中世から18世紀まで、ビトリアの人口や通りのレイアウトにはほとんど変化がなく、現在でもアーモンド型の旧市街にはベンダーニャ宮殿、フルニエ・トランプ博物館、エスコリアサ=エスキベル宮殿、サンタ・マリア大聖堂(旧カテドラル)など多くの歴史的建造物が残されているが、19世紀には市街地が狭く感じられるようになり、[[新古典主義]]での都市の拡張が行われた。
 
=== 現代 ===
[[File:Bulevar de Salburua, Vitoria-Gastiez.jpg|thumb|right||250px|現在のビトリア=ガステイスの並木道]]
 
{{仮リンク|スペインの民主化|en|Spanish transition to democracy|label=民政移管期}}の1976年3月3日にはストライキ運動中の労働者と警官隊が衝突し、サン・フランシスコ・デ・アシス教会でいわゆるビトリア事件([[:es:Sucesos de Vitoria|Sucesos de Vitoria]])が起こった。内務大臣の[[マヌエル・フラガ・イリバルネ|マヌエル・フラガ]]の命により、デモ行為として労働者が立てこもっていた教会内に向けて警官隊が銃を乱射し、5人が死亡して100人以上が負傷した。1980年5月20日にはバスク自治州議会がビトリア=ガステイスに州政府機関を置くことを決定し、ビトリア=ガステイスは事実上の州都となった。
 
1990年代のビトリア=ガステイスには[[スプロール現象]]が見られ、砂利採取場やごみ処理場などの荒廃した場所が無秩序に広がるようになった<ref name=kokuren/>。このため、1995年にはヨーロッパの他都市に先駆けてオールボルグ憲章に署名し、[[持続可能な開発]]に率先して取り組んできた<ref name=kokuren/>。2009年には二酸化炭素の削減を奨励するために設立された欧州市長誓約に署名し、持続可能なエネルギー社会を目指すENNEREGプロジェクトのパイオニアとなる12都市のひとつに選出された<ref name=kokuren/>。ソフト面での政策遂行に加え、ハード面では公園、[[ラムサール条約]]に登録された湿地、河川などの緑地をつなげた[[グリーンベルト]]の拡大に取り組んだ<ref name=kokuren/>。公共空間における高い緑地比率、生物多様性や生態系への貢献、自治体の緑化政策などが評価され、2012年には[[欧州グリーン首都]]に選ばれた<ref name=eumag/>。ビトリア=ガステイスでは全市民が公園や緑地などの緑化地帯から300m300&nbsp;m以内に住んでおり、自転車道総延長90kmは90&nbsp;kmに達している<ref name=eumag>[http://eumag.jp/issues/c0613/ 欧州グリーン首都賞] 駐日EU代表部</ref>。2014年にはスペインホテル連盟とスペイン観光ジャーナリスト連盟によってスペイン・ガストロノミー首都(美食文化首都)に選出された。
 
== 人口 ==
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== 経済 ==
ビトリア=ガステイスには自動車の[[ダイムラー (自動車メーカー)|ダイムラー]](自動車)、[[ミシュラン]](タイヤ)、[[シーメンスガメサ・リニューアブル・エナジー]](エネルギー)など多くのメーカーが工場を構えており、トランプ製造企業のエラクリオ・フルニエは本社を置いている。
 
== 気候 ==
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== 政治 ==
2011年5月22日の自治体選挙の結果、自治体首長に{{仮リンク|バスク国民党|es|Partido Popular del País Vasco}}のハビエル・イグナシオ・マロート・アランサバルが就任した<ref>{{cite web|url=http://www.mpt.gob.es/gl/areas/politica_local/alcaldes_2011.html|title=Alcaldes Elecciones 2011|publisher=Gobierno de España, Ministerio de Política Territorial y Administración Pública|language=スペイン語|accessdate=2011-11-17}}</ref>。自治体評議員はバスク国民党が9人、[[バスク民族主義党]](EAJ-PNV)が6人、[[バスク社会党]](PSE-EE)が6人、[[ビルドゥ]]<ref>[[ビルドゥ]]の前身は非合法化された[[バタスナ]]であり、民族主義政党連合である。</ref>が6人となった<ref name=GEMI.Elec.local.2011>{{citeCite web|url=http://elecciones.mir.es/resultados2011/99MU/DMU1401905999_L1.htm?d=342&e=218|title=スペイン内務省 2011年地方選挙結果|publisher=スペイン政府 内務省|language=スペイン語|accessdate=2011-11-17}}</ref>。バスク州の他地域ではバスク民族主義党などの民族主義政党の勢力が大きいが、ビトリア=ガステイスはスペイン国会と同じく二大政党制であると言われ<ref name=kokuren>{{citeCite web|和書|url=http://ourworld.unu.edu/jp/basque-city-capitalizing-on-green|title=緑化を活かすバスク自治州|publisher=国連大学ウェブマガジン|language=日本語|date=2011-07-12| accessdate=2014-10-12}}</ref>、バスク国民党([[国民党 (スペイン)|国民党]]のバスク支部)とバスク社会党([[スペイン社会労働党]]のバスク支部)の影響力が大きい。
 
<table height=5000 width=700 style="background:White">
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{|
|-
| colspan="6" bgcolor="#C0C0C0" |'''1999年6月13日自治体選挙'''<ref name=GEMI.Elec.local.anterior>{{citeCite web|url=http://www.infoelectoral.mir.es/min/busquedaAvanzadaAction.html|title=スペイン内務省 地方選挙結果(過去)|publisher=スペイン政府 内務省|language=スペイン語|accessdate=2011-11-17}}</ref>
|- bgcolor="#D8D8D8"
| '''政党'''
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; 旧市街とその周辺
* [[フロリダ公園]] - 新カテドラルは、ここに立地する。
{{seealso|カスコ・ビエホ (ビトリア=ガステイス)}}
 
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== 交通 ==
[[File:Vitoria 05 2012 EuskoTran 1845.JPG|thumb|right|250px|[[ビトリア=ガステイス・トラム]]]]
;=== 道路 ===
 
; 道路
ビトリア=ガステイスはビスカヤ県の県都[[ビルバオ]]と[[マドリード]]、ギプスコア県の県都[[サン・セバスティアン]]とマドリードの中継地点であり、高速道路の{{仮リンク|A-1号線|en|Autovía A-1}}とN-1号線が通っている。A-1号線はマドリードからカスティーリャ・イ・レオン州[[ブルゴス]]やビトリア=ガステイスを通ってサン・セバスティアンに至っており、N-1号線はマドリードとギプスコア県[[イルン]]を結んでおり、N-620号線はビトリアとアルトゥベを結んでおり、AP-68号線はカスティーリャ・イ・レオン州[[ログローニョ]]とビルバオを結んでいる。2009年にはビトリアとギプスコア県[[エイバル]]を結ぶAP-1号線が開通した。
 
;=== 鉄道 ===
首都マドリードとギプスコア県[[イルン]]を結ぶ路線がビトリア=ガステイスを経由しており、ビトリア駅は路線の最重要駅のひとつである。[[アルビア]]は約4時間40分でマドリードとビトリア=ガステイスを結んでおり、1日6往復が運行される。[[マドリード-バリャドリッド高速線]]で[[バリャドリッド]]を経由した場合は約3時間50分である。[[カスティーリャ・イ・レオン州]]、[[ガリシア州]]、[[カタルーニャ州]]、[[バレンシア州]]、[[アストゥリアス州]]、ポルトガルの[[リスボン]]、フランスの[[パリ]]などを相互に結ぶ列車の重要な経由地でもある。[[アンダルシア州]]に直通する列車がないこと、[[ビルバオ]]へのアクセスが不便なことが課題である。
 
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2008年には[[ビトリア=ガステイス・トラム]]が運行を開始した。[[ビルバオ]]に次いでバスク州で2番目に開通した[[路面電車|トラム]]であり、「Y」字状に建設された2路線は、郊外では専用軌道を、市街地中心部では併用軌道を走行している。トラムの開通に加えてバス路線の見直し、自転車道の整備、自動車使用抑制のための駐車料金の増額などの取り組みが評価され、ビトリア=ガステイスの交通政策は[[国際連合]]の「住環境整備のための最優良事例」に選ばれている<ref name=kokuren/>。
 
;=== 航空 ===
市街地中心部から8km8&nbsp;kmの距離に[[ビトリア空港]]があるが、旅客便の運航本数は少なく貨物便が中心であり、スペインで4番目に貨物取扱量が多い空港である。2014年10月には[[イベリア航空]]が[[バスク地方]]から初めて[[大西洋]]を横断するニューヨーク便を設定した。
 
== 教育 ==
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=== 観光 ===
1984年には{{仮リンク|フルニエ・トランプ博物館|es|Museo FounierFournier de Naipes}}がスペインの文化遺産(Bien de Interes Cultural)に登録され、トランプの保存・展示・研究を行う博物館として開館した。歴史博物館に隣接しており、年間入場者数は約40,000人。開館時には3,000枚以上のコレクションがあったが、2012年には20,000人以上からの寄付などを受けてコレクションを拡張した。インドや中国のトランプ、日本の[[百人一首]]なども所蔵しており、世界のカードゲーム全般に関するコレクションを有している。
 
[[アルティウム|バスク現代美術館]](アルティウム)は2002年4月26日に開館した[[現代美術]]の[[美術館]]である。設計は建築家のホセ・ルイス・カトンで、ディレクターはダニエル・カスティジェホ。アラバ県議会が主導して建設し、所蔵作品の多くやその建物の所有者はアラバ県議会である。バスク人を中心としたスペイン人芸術家の作品約3,000点を所蔵しており、絵画、彫刻、オブジェなどを鑑賞できる<ref>『地球の歩き方 スペイン 14-15』ダイヤモンド社、2014年、p.399</ref>。
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== 出身人物 ==
{{seealso|[[:Category:アラバの人物]]}}
 
* [[ミゲル・リカルド・デ・アラバ・イ・エスキベル]] – 軍人。19世紀前半の将軍・指導者。
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* [[イグナシオ・イダルゴ・デ・シスネロス]] – 軍人。スペイン空軍司令官。
* [[ペロ・ロペス・デ・アジャラ]] – 14世紀の指導者・歴史家・詩人・編年史家。
* [[ラミロ・デ・マエストゥ]] – 政治理論家・ジャーナリスト・批評家。{{仮リンク|[[98年世代|en|Generation of '98}}]]のひとり。
* [[エルネスティーナ・デ・チャンポウルシン]] – 詩人。{{仮リンク|[[27年世代|en|Generation of '27}}]]のひとり。
* [[アントニオ・イバニェス]] – 政治家。スペイン内務大臣(1979年-1980年)。
* [[マリア・デ・マエストゥ・ウィットネイ]] – 教育者・フェミニスト。
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|- valign="top"
|
*{{flagicon|Georgia}} [[クタイシ]]、[[グルジョージア (国)|ジョージア]]
*{{flagicon|USA}} [[アナハイム]]、[[アメリカ合衆国]]
*{{flagicon|FRA}} [[アングレーム]]、[[フランス]]
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{{reflist|2}}
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Vitoria-Gasteiz}}
* {{Official|http://www.vitoria-gasteiz.org/}} {{Es icon}} {{Eu icon}}
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* [http://www.spain.info/ja/ven/otros-destinos/reportaje/vitoria-gasteiz.html スペイン政府観光局]{{Ja icon}}
 
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ひとりあかすていす}}
[[Category:ビトリア=ガステイス|*]]
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[[Category:バスク州の自治体]]
[[Category:スペインの県都]]
[[Category:スペインのラムサール条約登録地]]