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{{Infobox 艦艇
<div class="thumb tright">
|名称=クリーブランド
{| class="wikitable" style="margin: 0em; width: 300px; background:#ffffff"
|colspan画像="2"|[[Image:USS Cleveland (CL-55.jpg|300px|USS) Clevelandunderway CL-55]]at sea in late 1942 (NH 55173) (cropped).jpg
|画像幅=300
|-
|画像説明=
!colspan="2" style="background: #f0f0f0"|艦歴
|建造所=[[ニュージャージー州]][[カムデン (ニュージャージー州)|カムデン]]、[[ニューヨーク造船所]]
|-
|運用者={{USNAVY}}
|発注
|艦種=[[軽巡洋艦]]
|[[1938年]][[5月17日]]
|級名=[[クリーブランド級軽巡洋艦|クリーブランド級]]
|-
|愛称=''Charlie Love Five Five''
|起工
|モットー=
|[[1940年]][[7月1日]]
|計画=
|-
|発注=1938年5月17日
|進水
|[[1941起工=1940]][[117月1日]]
|進水=1941年11月1日
|-
|竣工=
|就役
|[[就役=1942年]][[6月15日]]
|退役=1947年2月7日
|-
|除籍=1959年3月1日
|退役
|その後=1960年2月18日、スクラップとして売却
|[[1947年]][[2月7日]]
|要目注記=
|-
|基準排水量=11,744 [[トン数|トン]]
|除籍
|常備排水量=
|[[1959年]][[3月1日]]
|公試排水量=
|-
|満載排水量=14,131 トン
|その後
|全長={{convert|610|ft|1|in|2|lk=on}}
|[[1960年]][[2月18日]]に[[スクラップ]]として売却
|水線長=
|-
|垂線間長=
!colspan="2" style="background: #f0f0f0"|性能諸元
|全幅={{convert|66|ft|4|in|2}}
|-
|[[排量]]線幅=
|深さ=
|10,000 [[トン]]
|吃水={{convert|24|ft|6|in|2}}
|-
|高さ=
|全長
|機関=
|185.95 m (610 [[フィート|ft]] 1 [[インチ|in]])
|主缶=[[バブコック・アンド・ウィルコックス|バブコック & ウィルコックス]]製[[ボイラー#水管ボイラー|水管ボイラー]]×4基
|-
|主機=[[ゼネラル・エレクトリック|GE]]式ギヤード[[蒸気タービン]]×4基
|全幅
|出力={{convert|100,000|hp|lk=on}}
|20.27 m (66 ft 6 in)
|推進器=[[スクリュープロペラ]]×4軸
|-
|最大速力={{convert|32.5|kn|km/h|lk=on}}
|吃水
|燃料=<!-- トン -->
|6.1 m (20 ft)
|航続距離={{convert|11,000|nmi|km|lk=on}} / 15ノット
|-
|乗員=1,285名
|機関
|搭載能力=
|[[ボイラー]] 4基、[[蒸気タービン]]4基、100,000[[馬力|shp]](74,570 kW)、4軸推進
|兵装={{ubl|{{ill|Mk 16 6インチ砲|en|6-inch/47-caliber gun|label=Mk.16 6インチ三連装砲}}×4基|[[Mk 12 5インチ砲|Mk.12 5インチ連装砲]]×6基|[[ボフォース 60口径40mm機関砲|40ミリ四連装対空機関砲]]×2基|[[エリコンFF 20 mm 機関砲|20ミリ対空機関砲]]×13基}}
|-
|装甲={{ubl|舷側:3.5–5インチ (89–127 mm)|甲板:2インチ (51 mm)|[[バーベット]]:6インチ (152 mm)|砲塔:6インチ (152 mm)|司令塔:5インチ (127 mm)}}
|最大速力
|搭載艇=
|32.5 [[ノット]]
|搭載機=[[SOC (航空機)|SOC-3]]水上機×4機<br/>([[カタパルト]]×2基)
|-
|C4I=
|航続距離
|レーダー=
|11,000 [[海里]](15ノット時)
|ソナー=
|-
|探索装置=
|乗員
|電子戦=
|士官、兵員1,215名
|その他=
|-
|備考=
|兵装
}}
|47口径Mk 16 3連装6インチ砲 4基<br />[[Mk 12 5インチ砲|38口径 連装5インチ砲]] 6基<br />[[ボフォース 40mm機関砲|ボフォース 4連装40mm機関砲]] 8基
'''クリーブランド''' (USS ''Cleveland'', CL-55) は、[[アメリカ海軍]]の[[軽巡洋艦]]。[[クリーブランド級軽巡洋艦]]の1番艦。艦名は[[オハイオ州]][[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]に因む。その名を持つ艦としては2隻目。
|-
|艦載機
|[[カーチス・ライト|カーティス]] [[SOC (航空機)|SOC-3]] 4機<br />[[カタパルト]]2基
|-
|愛称:
|''Charlie Love Five Five''
|}
 
</div>
'''クリーブランド'''('''USS Cleveland, CL-55''')は、[[アメリカ海軍]]の[[軽巡洋艦]]。[[クリーブランド級軽巡洋艦]]の1番艦。艦名は[[オハイオ州]][[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]に因む。その名を持つ艦としては2隻目。
 
== 艦歴 ==
クリーブランドは1940年7月1日に[[ニュージャージー州]][[カムデン (ニュージャージー州)|カムデン]]の[[ニューヨーク造船所]]で起工し、1941年11月1日にH・バートン夫人によって進水、1942年6月15日に艦長エドムンド・W・バーロウ[[大佐]]の指揮下就役する。
 
1942年10月10日に[[チェサピーク湾]]を出航し、クリーブランドは10月29日に[[バミューダ諸島]]沖で[[トーチ作戦|北アフリカ侵攻]]のための任務部隊に合流する。クリーブランドは[[第二次世界大戦]]に投入された初の新型艦艇となった。クリーブランドは11月8日に仏領モロッコの{{仮リンク|フェドハラ(モハメディア)|en|Mohammedia}}への上陸支援の艦砲射撃を行う。その後も11月12日まで偵察巡航を行い、11月24日に[[ノーフォーク (バージニア州)|ノーフォーク]]に帰投する。
 
1942年12月5日に太平洋に向けて出航し、1943年1月16日に[[エファテ島]]に到着する。[[ソロモン諸島]]への圧力強化のためのクリーブランドの最初の任務は、[[ロバート・C・ギッフェン]]少将率いる第18任務部隊とともに[[ガダルカナル島]]に向かう船団を1月27日から31日まで護衛することであった。予定では、第18任務部隊は[[サボ島]]沖に待機して日本側の反撃に備え、遅れて出撃する[[航空母艦|空母]][[エンタープライズ (CV-6)|エンタープライズ]] (''USS Enterprise, CV-6'') 基幹の第16任務部隊が上空を援護することとなっていた<ref>秦, 140ページ</ref>。クリーブランドは1月29日と30日の[[レンネル島沖海戦]]で日本軍による激しい攻撃に対して対空砲撃を行った。
 
クリーブランドは[[アーロン・S・メリル]]少将の第68任務部隊、通称「メリルの襲撃隊」に加わる。3月4日、第68任務部隊は[[エスピリトゥサント]]を出撃して「ザ・スロット」と呼ばれる[[ニュージョージア海峡]]へ向かい、[[クラ湾]]へ踏み込んで[[コロンバンガラ島]]の日本軍を攻撃する。同日未明に行われた[[ビラ・スタンモーア夜戦]]では2隻の[[大日本帝国海軍|日本海軍]][[駆逐艦]][[峯雲 (駆逐艦)|峯雲]][[村雨 (白露型駆逐艦)|村雨]]を撃沈し、往復1,400マイルの航海を終えて3月9日夕刻にエスピリトゥサントに帰投した<ref>フェーイー, 38ページ</ref>。その後も、コロンバンガラ島をめぐる8回の戦闘に加わる。
 
クリーブランド」の艦長は6月にアンドリュー・G・シェパード大佐に交代する。引き続き第68任務部隊に所属するクリーブランドはして6月30日に[[ショートランド諸島]]を砲撃し、7月12日には[[ニュージョージア島]]の[[ムンダ (ソロモン諸島)|ムンダ]]に対する上陸の支援を行う。僚艦[[コロンビア (軽巡洋艦)|コロンビア]] (''USS Columbia, CL-56'') と入れ替わる形で<ref name="a">フェーイー, 58ページ</ref>[[オーストラリア]]の[[シドニー]]での10日間に及ぶ短期の補修を受けた後<ref name="a" />、10月26日と27日には[[トレジャリー諸島]]への上陸前艦砲射撃を行う。第39任務部隊は11月1日に[[ブーゲンビル島の戦い|ブーゲンビル島侵攻]]部隊の支援のため[[ブカ島]]とボニス島へ砲撃を行い、同日のうちに南に向かってショートランド諸島への攻撃を行う。その晩に起こった[[ブーゲンビル島沖海戦]]に参加し、クリーブランドはその功績で海軍殊勲部隊章を受章した。クリーブランドは僚艦とともにレーダーを使用して4隻の日本海軍巡洋艦[[妙高 (重巡洋艦)|妙高]]」「[[羽黒 (重巡洋艦)|羽黒]]」「[[川内 (軽巡洋艦)|川内]]」「[[阿賀野 (軽巡洋艦)|阿賀野]]を目標に一時間以上の砲撃を行い、川内の撃沈に貢献した。続いて夜明けまで残りの艦を追撃するが、明け方になって70機の航空攻撃を受け<ref>フェーイー, 75ページ</ref>、一発の至近弾が艦を大きく動揺させた。クリーブランドは応戦し敵機数機を撃墜する。ブーゲンビル島沖海戦においてクリーブランドは840発の6インチ砲弾を発射したが、僚艦の中では最も発射弾数が少なかった<ref>木俣『日本水雷戦史』383ページ</ref>。12月24日未明には再びブーゲンビル島北端部への砲撃を僚艦とともに行った<ref>フェーイー, 95ページ</ref>。
 
年変わって1944年2月13日から18日までは、[[チューク諸島|トラック島]]と[[グリーン諸島]]の間を偵察した。トラック島からの反撃を警戒したが、その様子が全くなかったので駆逐艦部隊に後事を託して引き上げた<ref>フェーイー, 113ページ</ref>。3月17日から3月23日までは{{仮リンク[[エミラウ島の無血占領|エミラウ島攻略|en|Landing on Emirau}}]]支援を行い、その後補給と修理のためシドニーに向かう。4月21日にソロモン諸島に戻り[[マリアナ諸島]]侵攻作戦の準備に入る。5月20日、ブーゲンビル島に残存する日本軍陣地を目標に砲撃訓練中、予想外の反撃を受ける<ref>フェーイー, 139ページ</ref>。大口径砲と思われる砲台から撃たれ、至近弾による大きな水柱が立ったものの艦に損害はなく<ref name="b">フェーイー, 140ページ</ref>、砲撃により間もなく敵砲台は沈黙した<ref name="b" />。
 
クリーブランドは1944年6月8日から8月12日まで[[マリアナ諸島]]侵攻作戦に参加する。[[サイパン島]]砲撃では、クリーブランド軽巡「[[モントピリア (軽巡洋艦)|モントピリア]] (''USS Montpelier, CL-57'') が最も多く砲弾を発射したと噂された<ref>フェーイー, 152ページ</ref>。6月19日、20日の[[マリアナ沖海戦]]では[[第38任務部隊|第58任務部隊]]([[マーク・ミッチャー]]中将)に合流し、第58.3任務群に属する<ref>木俣『日本空母戦史』618ページ</ref>。空母艦載機部隊を突破した日本軍機はほとんどなかったが、クリーブランドは少なくとも一機を自ら撃墜し、数機の破壊を支援した。[[テニアンの戦い|テニアン島侵攻]]中の7月24日にクリーブランドは[[駆逐艦]][[:en:USS Norman Scottノーマン・スコット (DD-690駆逐艦)|ノーマン・スコット]](''USS Norman Scott, DD-690'') を支援する。ノーマン・スコットは敵砲台から数秒の内に6発の直撃弾を受ける。クリーブランドノーマン・スコットと敵砲台の間に割って入り、それ以上の直撃弾を妨げた。9月12日から9月29日までクリーブランドは[[パラオ]]侵攻に参加し、10月5日に[[オーバーホール]]のため[[マヌス島]]を経由し本国に向かう。
 
オーバーホール後の1945年2月9日に[[スービック湾]]に到着し、2月13日、14日には[[コレヒドール島]]へ上陸前の艦砲射撃を行う。その後も[[パラワン島]][[プエルト・プリンセサ]]への上陸支援、[[ヴィサヤ諸島]]、[[パナイ島]]、[[ミンダナオ島]]の{{仮リンク|マラバン|en|Malabang, Lanao del Sur}}、{{仮リンク|パラン|en|Parang, Maguindanao}}への攻撃を行った。4月14日には[[ダバオ]]攻略支援のため出動した<ref>フェーイー, 244ページ</ref>。6月7日にスービック湾を出航し、6月10日に[[ボルネオ]]の{{仮リンク|[[ブルネイ湾|en|Brunei Bay}}]]上陸部隊を支援する。6月15日にスービック湾に帰還し、その後6月30日に[[マニラ]]で[[ダグラス・マッカーサー]][[元帥 (アメリカ合衆国)|元帥]]が乗艦、マッカーサー元帥と彼のスタッフは[[バリクパパン]]攻撃を艦上から観察した。「フォックス・デー」と称された<ref>フェーイー, 264ページ</ref>7月1日には上陸前の艦砲射撃を行う。マッカーサー将軍が部隊とともに上陸地点を視察した後帰艦してマニラへ向かい<ref>フェーイー, 265、266ページ</ref>、7月3日に到着した。
 
クリーブランドは新たな巡洋艦任務部隊、第95.2任務群を編成して<ref>フェーイー, 270ページ</ref>7月13日に[[沖縄県|沖縄]]に向かい、7月16日に[[中城湾]]に到着する。部隊は沖縄を拠点として[[東シナ海]]と[[黄海]]における日本艦艇に対する掃海攻撃を8月7日まで行う。この方面には、敵の2隻の戦艦と数隻の空母、駆逐艦、100以上の[[震洋|体当たりボート]]と航空機が潜んでいると信じられており、実際にそのような情報が届いていた<ref>フェーイー, 273ページ</ref>。しかし、作戦では漁船程度しか見つからず<ref>フェーイー, 278ページ</ref>、東シナ海での[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]の制海権を確立した。
 
クリーブランドは9月9日に沖縄を出航し、占領支援任務および[[和歌山]]からの連合軍捕虜輸送支援を行う。その後{{仮リンク|アメリカ第6軍|en|Sixth United States Army}}が[[本州]]に上陸するまで海軍占領部隊の一部として任務に従事。10月28日から11月1日まで東京湾で停泊した後、[[真珠湾]]、[[サンディエゴ]]、[[パナマ運河]]経由で12月5日にボストンに到着、オーバーホールに入る。オーバーホール後はニューポート沖で様々な訓練を行い、その中には1946年6月に海軍予備役兵の[[ノバスコシア州]][[ハリファックス]]、[[ケベック]]への巡航も含まれた。その後[[フィラデルフィア]]で不活性化工事を受け1947年2月7日に退役。1959年3月1日に除籍後、1960年2月18日に売却された。
 
クリーブランドは[[第二次世界大戦]]の戦功で海軍殊勲部隊章に加えて13個の従軍星章を受章した。
 
==歴代艦長==
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==外部リンク==
{{commons|Category:USS_Cleveland_(CL-55)}}
* [http://www.cl55.org/ ''USS Cleveland CL-55'' Reunion Association]
* [{{Wayback|url=http://www.historycl55.navy.milorg/photos/sh|date=2020-usn/usnsh08-c/cl55.htm ''12|title=USS Cleveland'' at The NavalCL-55 HistoricalReunion Center]Association}}
* {{Wayback|url=http://www.history.navy.mil/photos/sh-usn/usnsh-c/cl55.htm |title=''USS Cleveland'' at The Naval Historical Center |date=20021023155144}}
{{DANFS}}
 
 
{{クリーブランド級軽巡洋艦}}
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[[Category:クリーブランド級軽巡洋艦]]
[[Category:1942年竣工船]]
[[Category:1941年進水船]]
[[Category:ニューヨーク造船所が建造した船舶]]
[[Category:第二次世界大戦のアメリカ合衆国の巡洋艦]]