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{{ウィキポータルリンク|文学|[[画像:Open book 01.svg|none|34px]]}}
『'''水滸伝'''』(水滸傳、すいこでん)は、[[明|明代]]の[[中国]]で書かれた[[長編小説|長編]][[白話小説]]。『[[西遊記]]』『[[三国志演義]]』『[[金瓶梅]]』とともに「[[四大奇書]]」に数えられる<ref name="kotobank">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E6%B0%B4%E6%BB%B8%E4%BC%9D-82884|title=コトバンク - 水滸伝|accessdate=2018-11-22}}</ref>。
 
[[施耐庵]](あるいは[[羅貫中]])が、それまでの「[[講談]]<ref group="注釈">[[北宋]]の[[徽宗]]期に起こった反乱を題材とする物語。[[1121年]]([[宣和]]3年)に力を持った[[宋江]]率いる[[盗賊]]団が描かれている。</ref>」を集大成して創作したとされる<ref name="kotobank"/>。なお、「滸」は「ほとり」の意味であり、『水滸伝』とは「水のほとりの物語」という意味であり、「水のほとり」とは、本拠地である[[梁山泊]]を指す。反権力的な傾向であるため、しばしば[[禁書]]とされたが広く愛読され、現在も中国で「農民革命の文学」として高く評価されている<ref name="kotobank"/>。
 
== ストーリーの概略 ==
時代は北宋末期、汚職官吏や不正がはびこる世の中。様々な事情で世間からはじき出された108人の好漢(英雄)百八人{{Efn|「好漢」の元々の概念は「男らしい男」であったが、その中で「強い男」「武芸の心得のある男」だけが取り出され、さらにそれが「盗賊団の頭領」という概念に集約され、そこから政治権力に屈しない「反体制に属する者」という概念が付加されたとされる{{Sfnp|林雅清|2006|pp=103-104}}。}}、大小の戦いを経て'''梁山泊りょうざんぱく'''と呼ばれる自然の要塞に集結。彼らはやがて、悪徳官吏を打倒し、国を救うことを目指すようになる。
 
ストーリーの詳細については[[#内容]]を参照。人物については[[#登場人物]]、「[[水滸伝百八星一覧表]]」、または「[[:Category:水滸伝の登場人物]]」を参照。
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水滸伝の物語は実話ではない。しかし[[14世紀]]の[[元 (王朝)|元代]]に編纂された歴史書『[[宋史]]』には、徽宗期の[[12世紀]]初めに[[宋江]]を首領とする36人が実在の梁山泊の近辺で反乱を起こしたことが記録されている。講談師たちは[[12世紀]]中頃に始まる[[南宋]]の頃には早くも宋江反乱の史実をもとに物語を膨らませていったと推定され、[[13世紀]]頃に書かれた説話集『[[大宋宣和遺事]]』には、宋江以下36人の名前と彼らを主人公とする物語が掲載されている。
 
[[15世紀]]頃にまとめられた水滸伝では、36人の豪傑は3倍の108人に増やされた{{Efn|数は明確でないが、頭目の下に「小頭目」というのがおり、その下にさらに兵士的な手下が相当数いる。この手下の正確な数は不明だが、第六十八回にて総勢が2万2千人であることが確認できることから、おそらく数万人はいたとされる{{Sfnp|長尾光之|1976|p=133}}。}}。また、荒唐無稽で暴力的な描写や登場人物の人物像を改め、梁山泊は朝廷への忠誠心にあふれる宋江を首領とし、反乱軍でありながらも宋の朝廷に帰順し忠義をつくすことを[[理想]]とする集団と設定され、[[儒教]]道徳を兼ね備え[[知識人]]の[[読書]]にも耐えうる文学作品となった。とはいえ、反乱軍を主人公とする水滸伝は、儒教道徳を重んじる知識人にはあまり高く評価されず、もっぱら「民衆の読む[[大衆小説|通俗小説]]」として扱われた。その風潮の中で、明末の[[陽明学|陽明学者]]で儒者の[[偽善]]を批判した[[李卓吾]]が、水滸伝のような通俗小説を高く評価したことはよく知られている。同じ時期に「農民反乱を扇動する作品である」として禁止令が出されており、また[[清代]]には[[京劇]]の題材にとられ、108人が'''皇帝に従う'''という展開が[[西太后]]などに好まれた。
 
[[中国共産党]]では、「投降主義」的であると見なされ、降伏経験のある幹部や原則主義的な立場から見て妥協的であるとされる幹部への間接的な批判として水滸伝批判が行われた。<!-- 新中国成立後の[[文化大革命]]初期時には禁書処分を受ける事となったようだが、-->1975年の[[毛沢東]]の名による水滸伝批判では、「宋江が前首領の[[晁蓋]]を棚上げして実権を握り、自ら首領となった挙句に朝廷に帰順したことが[[革命]]への裏切りである」として非難され、批判的に読むための[[連環画]]形式のものも出版された。これは後に「[[四人組 (中国史)|四人組]]による[[周恩来]]批判であった」と[[解釈]]された。
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== 日本における受容 ==
[[Image:Happinata_Koju_on_a_rearing_horse.jpg|right|thumb|200px|日本で描かれた水滸伝の豪傑。[[歌川国芳]]「{{Zh-tw|通俗水滸伝豪傑百八人之一個・八臂那吒項充}}」]]
日本へは[[江戸時代]]に輸入され、[[岡島冠山]]により『通俗忠義水滸伝』として和訳され{{Efn|ただし'''出版されたのは冠山の没後'''であることから、訳者に関しては真偽が問われている<ref>{{Sfnp|白木直也「通俗忠義水滸伝の編訳者は誰か」『広島大学文学部紀要』13、|1958年3月。</ref>}}{{SfnSfnp|中村綾|2011|pp=41-86|ps=(初出は「岡嶋冠山の白話語彙をめぐって:『通俗皇明英烈伝』『太平記演義』『通俗忠義水滸伝』を{{Harvnb|心に」『和漢語文研究』創刊号、村綾|2003年11月}})}}<ref>{{Sfnp|中村綾「[http://doi.org/10.24619/00002723 『通俗忠義水滸伝』をめぐる諸問題]」『国際日本文学研究集会会議録』22、2007年3月。</ref>|2007a|p=28}}{{SfnSfnp|中村綾|2011|pp=89-111|ps=(初出は「和刻本『忠義水滸伝』と『通俗忠義水滸伝』」『近世文藝』86、2007年7月{{Harvnb|中村綾|2007b}})}}{{SfnSfnp|中村綾|2011|pp=113-137|ps=(初出は「『通俗忠義水滸伝』翻訳者の問題:正編・拾遺編の相違点を通じて」『国語国文』77-1、{{Harvnb|中村綾|2008年1月}})}}。}}、広く普及した。[[翻案]]が数多く作られ、たとえば[[1773年]](安永2年)に成立した[[建部綾足]]『[[本朝水滸伝]]』は、{{要出典|範囲=現在日本の[[伝奇小説]]の先駆けともなる作品である|date=2023年4月}}。
 
[[19世紀]]には、[[浮世絵師]]の[[歌川国芳]]や[[葛飾北斎]]が、[[読本]]の[[挿絵]]や[[錦絵]]に描いた<ref>{{Cite web|和書|date=2003-03-20|url=https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/rekihaku/117/witness.html|title=歴博 第117号 歴史の証人 『水滸伝』の幕末維新|publisher=国立歴史民俗博物館|accessdate=2009-09-24}}</ref>。[[曲亭馬琴]]が『新編水滸画伝』として[[翻訳]]を開始した際にも{{SfnSfnp|孫琳淨|2021|pp=81-101|ps=(初出は「『新編水滸畫傳』「校定原本」諸本の研究:『水滸傳』諸版本との關係を中心に」『和漢語文研究』15、{{Harvnb|孫琳淨|2017年11月}})}}{{SfnSfnp|孫琳淨|2021|pp=121-159|ps=(初出は「馬琴手澤本『忠義水滸傳』の語釈書入について」『和漢語文研究』16、{{Harvnb|孫琳淨|2018年11月}})}}{{SfnSfnp|孫琳淨|2021|pp=103-119|ps=(初出は「『新編水滸畫傳』における『通俗忠義水滸傳』の利用」『和漢語文研究』18、2020年11月{{Harvnb|孫琳淨|2020a}})}}、挿絵は北斎によるものであった<ref group="注釈">馬琴による内容翻訳は後に版元とのいざこざで中絶してしまい、高井蘭山が後を続けたが、{{要出典|範囲=蘭山による内容は冠山訳をなぞったものだった|date<ref group=2023年4月"注釈">後出久保天隋譯補本の序文にも剽窃と指摘されている。詳細は{{Harvp|高島俊男|1991}}を参照。</ref>。この馬琴・蘭山訳は、明治期まで何度も再刻された<ref group="注釈">{{要出典Harvp|date=2023年4月高島俊男|1991}}に著者が確認できた限りの訳本を挙げているが、大半は馬琴・蘭山訳かそのダイジエストである</ref>。馬琴は『[[椿説弓張月]]』や『[[南総里見八犬伝]]』にも水滸伝の構想を取り入れており、とりわけ『八犬伝』は影響が最も色濃く出ているとされる{{SfnSfnp|孫琳淨|2021|pp=163-197|ps=(初出は「『南總里見八犬傳』における『水滸傳』の受容:犬田小文吾を中心に」『和漢語文研究』14、{{Harvnb|孫琳淨|2016年11月}})}}{{SfnSfnp|孫琳淨|2021|pp=199-230|ps=(初出は「『南總里見八犬傳』における『水滸傳』の受容:犬坂毛野を中心に」『和漢語文研究』17、{{Harvnb|孫琳淨|2019年11月}})}}{{SfnSfnp|孫琳淨|2021|pp=231-257|ps=(初出は「『八犬伝』犬士列伝の構想に関する考察:『水滸伝』の受容を通して」『京都府立大学学術報告・人文』72、2020年12月{{Harvnb|孫琳淨|2020b}})}}{{SfnSfnp|孫琳淨|2021|pp=259-270|ps=(本書の書き下ろし)}}。この他にも馬琴は、[[パロディ]]である『[[傾城水滸伝]]』も書いている<ref>[[{{Sfnp|葛綿正一]]「[http://hdl.handle.net/2308/914 傾城水滸伝を読む:馬琴の小説手法]」『沖縄国際大学日本語日本文学研究』18-2、|2014年3月。</ref>|p=56}}
 
江戸時代後期の[[侠客]]である[[国定忠治]]の武勇伝は、のちに水滸伝の影響を受けて脚色された。[[浪曲]]や[[講談]]で知られる『天保水滸伝』は、侠客[[笹川繁蔵]]と[[飯岡助五郎]]の物語に水滸伝の名を冠したものである。
 
===日本語訳書===
[[明治|明治・大正期]]以降も百二十回本や百回本を元とする『水滸伝』の翻訳や翻案が生み出された<ref group="注釈">経緯は[[{{Harvp|高島俊男]]『水滸伝と日本人』|1991}}に詳しい。</ref>。
 
; 以下は主な日本語訳の一覧。
45行目:
*平岡龍城<ref group="注釈">ヒラオカリュウジョウ、生没年経歴等不明。国訳漢文大成の『紅楼夢』を幸田露伴と担当しているが、殆どが実質は平岡氏のみの担当らしい。</ref>『標註訓訳水滸伝』七十回本 1-15冊 1914-16年 近世漢文学会。国立国会図書館デジタルコレクション [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926906 1冊] [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926907 2冊] [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926908 3冊] [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926909 4冊] [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926910 5冊] [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926911 6冊] [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926912 7冊] [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926913 8冊] [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926914 9冊] [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926915 10冊] [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926916 11冊] [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926917 12冊] [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926918 13冊] [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926919 14冊] [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926920 15冊]。訓読訳、和装本。
*[[幸田露伴]]『国訳忠義水滸全書』百二十回本 上・中・下、1923-24年 国民文庫刊行会。国立国会図書館デジタルコレクション [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913102 18巻] [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913118 19巻] [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913134 20巻]。訓読体に近い文語体訳。岩波書店刊行の『露伴全集』に翻訳および註釈の部分のみ収録。
*『水滸伝』[[吉川幸次郎]]・[[清水茂 (中国文学者)|清水茂]]「百回本全訳」、[[岩波文庫]](全13冊)1948-91年。第1-6冊は吉川訳、第7-8冊吉川・清水共訳、第9冊以降は清水訳。内閣文庫所蔵の明刻容輿堂の写真版を底本とする
**『水滸伝 完訳』各・全10冊、[[岩波書店]]、1995-96年/岩波文庫、1998-99年。吉川訳は清水が改訳、表記は「吉川幸次郎・清水茂 訳」
::ISBN 4000046608、ISBN 4000046616、ISBN 4000046624、ISBN 4000046632、ISBN 4000046640、ISBN 4000046659、ISBN 4000046667、ISBN 4000046675、ISBN 4000046683、ISBN 4000046691。
54行目:
::ISBN 4390110810、ISBN 4390110829、ISBN 4390110837、ISBN 4390110845、ISBN 4390110853
:全1冊 1987年 [[第三書館]] ISBN 4807487019
*[[駒田信二]]訳『水滸伝』「百二十回本全訳」
:[[平凡社]] 中国古典文学全集 10-12 上・中・下、1960-61年
:同 [[中国古典文学大系]] 28-30 上・中・下、1967-1968年、復刊1994年。改訳版(挿絵は内閣文庫の百回本と都立図書館の百二十回本のものを各回に収録)
62行目:
:[[講談社文庫]] 全8巻 1984-85年(挿絵がない。わずかに註の部分にあるのみ)
::ISBN 4061833804、ISBN 4061833812、ISBN 4061834053、ISBN 4061834061、ISBN 4061834274、ISBN 4061834282、ISBN 406183455X、ISBN 4061834568。
:[[ちくま文庫]] 全8巻 2005-06年。上記講談社文庫版の新版(訳者没後に刊行)
::ISBN 4480421114、ISBN 4480421122、ISBN 4480421130、ISBN 4480421149、ISBN 4480421157、ISBN 4480421165、ISBN 4480421173、ISBN 4480421181
*[[佐藤一郎 (中国文学者)|佐藤一郎]]訳「七十回本全訳」[[集英社]](綜合社<ref group="注釈">当時集英社の子会社。現:[[集英社クリエイティブ]]</ref>編)[[デュエット版世界文学全集]] 第3巻、1969年
68行目:
*[[井波律子]]訳「百回本全訳」[[講談社学術文庫]](全5巻)、2017-2018年
:ISBN 978-4062924511、ISBN 978-4062924528、ISBN 978-4062924535、ISBN 978-4062924542、ISBN 978-4062924559。
*[[小松謙]]訳「詳注全訳水滸伝」[[汲古書院]](全13巻)、2021年-(刊行中.2023年11月現在第四巻まで刊行)
 
== 登場人物 ==
109行目:
=== 梁山泊の敵・市井の人々等 ===
*[[耶律輝]](やりつき) [[遼]]国王。宋国内の混乱に乗じて大軍を起こし、宋の併呑を目論む。
*[[田虎]](でんこ) [[河北]]を荒らしまわる盗賊の首領。
*[[王慶 (水滸伝)|王慶]](おうけい) [[淮南]]の反乱軍の総帥。軽薄な色男。
*[[方臘 (水滸伝)|方臘]](ほうろう) 花石綱に不満を持つ民衆と[[マニ教|喫菜事魔]]を利用し、[[江南]]で反乱を起こした。
250行目:
以下は「百二十回本」による。
 
=== 百八の魔星、再び世に放たれる {{fontsize|small|(第1-2回)}}===
北宋は第四代皇帝[[仁宗 (宋)|仁宗]]の時代、国の全土に疫病が蔓延し、打てる手を尽くした朝廷は最後の手段として、竜虎山に住む[[仙人]][[正一教|張天師]]に祈祷を依頼するため、[[太尉]]の洪信(こうしん)を使者として派遣する。竜虎山に着いた洪信は様々な霊威に遭うが、童子に化身した張天師と会い、図らずも都へと向かわせることが出来た。翌日、[[道観]]内を見学する洪信は「'''伏魔殿'''」と額のかかった、厳重に封印された扉を目にする。聞けば、[[唐]]の時代に、天界を追放された百八の魔星を代々封印している場所で、絶対に開けてはならないという。しかし、これに興味を持った洪信は[[道士]]らの制止も聞かず、権力を振りかざして無理矢理扉を開けさせる。中には「'''遇洪而開'''(こうにあいてひらく)」という四文字を記した石碑があり、これを退けると、突如目も眩まんばかりの閃光が走り、三十六の{{読み仮名|天罡星|てんこうせい}}と七十二の{{読み仮名|地煞星|ちさつせい}}が天空へと飛び去った。恐れをなした洪信は、皆にこの事を固く口止めして山を降り、都へ戻った。
 
=== 高俅の栄達 {{fontsize|small|(第2-7回)}}===
その後、祈祷の霊験があって疫病は収まり、数十年の時が過ぎて、洪大尉を始め、龍虎山での事件を知るものの多くは既に世を去った。天下は[[徽宗|第八代皇帝(徽宗)]]が治める時代となっていたが、その寵臣に高俅という男がいた。この男は、その天才的な[[蹴鞠]]の腕だけで異例の出世を遂げた心の拗けた悪漢で、帝の寵愛を笠に好き勝手に振舞っていた。禁軍の[[棒術]]師範である王進は、父がゴロツキ時代の高俅を逮捕した事があり、報復を恐れて都から逃げ出す。途中、華州の豪農の一人息子史進に会い、彼に武芸を教授した。史進はその後、しばらくして少華山の山賊と交流を持つようになるが、これが役人に漏れ、故郷を出奔、諸国遍歴の旅に出た。史進は渭水で情に厚く豪放磊落な下級武官魯達と遭う。魯達は悪い高利貸に騙された旅芸人の親子を救おうとするが、誤って高利貸の肉屋を殺してしまい逃走、[[五台山 (中国)|五台山]]に逃げ込んで出家し智深と法号を得る。だが、大の酒好きで天衣無縫の魯智深には寺務めは肌に合わず破門、何かと目をかけてくれる禅師の紹介で都の大寺院大相国寺の菜園番となる。
 
=== 梁山泊 {{fontsize|small|(第7-16回)}}===
魯智深は都で、禁軍槍棒術師範の林冲と意気投合し義兄弟となる。だが林冲は妻が高俅の息子に横恋慕されたために、無実の罪に陥れられて流罪となり、親友にも裏切られるという悲劇に見舞われる。何度も命を狙われた林冲だが、魯智深や流刑先の大富豪柴進らの助けでなんとか生き延び、柴進の紹介で[[済州 (山東省)|済州]]にある山賊の根城、水郷'''[[梁山泊]]'''へと向かう。梁山泊の首領の王倫は柴進の旧知だが、狭量な男で、林冲の武芸の腕を怖れて入山を渋るものの、周りの取り成しで三日以内に追剥ぎを成功させるという入山試験を課す。三日目に林冲は、任務に失敗して出奔中の武官の楊志と交戦、楊志の腕を見た王倫は林冲への対抗勢力として入山を勧めるが、大赦を機に復職を目指す楊志は拒絶、王倫は渋々林冲の入山を認めざるを得なくなる。一方、都へ向かった楊志は復職に失敗、自暴自棄になっていた所をゴロツキに絡まれこれを殺害、[[北京大名府]]での労役という刑罰を与えられるが、そこの御前試合で活躍したことにより留守の梁世傑に気に入られ、図らずも復官を果たす。数カ月後、楊志は梁世傑の舅で宰相の蔡京への莫大な誕生祝(実質は賄賂)・生辰綱の運搬の責任者となった。
 
=== 晁蓋と宋江 {{fontsize|small|(第14-32回)}} ===
済州[[鄆城県]]の名主の晁蓋は民から搾取した不義の財、生辰綱の存在を知り、これを強奪することを計画。呉用・公孫勝ら七人の仲間とともに、計画を実行成功させる。任務に失敗し帰る場所の無くなった楊志は再び放浪の旅に出ていた魯智深らと邂逅、共に青州二竜山に巣食う山賊を退治し、ここを根城とする。一方、晁蓋らは生辰綱強奪の犯人であることが官憲に知れるが、県の役人である宋江らの手助けにより、梁山泊へと逃げ込む。王倫はまたもや彼らを追い出そうとするが、激怒した林冲に斬殺され、晁蓋を首領とする新たな体制が作られる。晁蓋は宋江にお礼の手紙を贈るが、それが宋江の馴染みの[[芸妓]]の閻婆惜に奪われてしまう。彼女に恐喝された宋江は思わずこれを殺害、親交のあった柴進の元へ逃れる。そこで彼は体術の達人である武松と親しくなるが、武松はこの後、虎退治や兄の敵討など波乱万丈の末、魯智深たちの二竜山へと入る。
 
=== 九天玄女 {{fontsize|small|(第32-42回)}}===
宋江は柴進の屋敷を離れた後、青州清風塞の親友の花栄のもとへ向かう。そこであらぬ騒動に巻き込まれた宋江は花栄や清風山の山賊、自分たちの討伐に派遣された秦明らとともに梁山泊を目指す。途中、宋江のみが故郷の父が病死したとの知らせを受け一行から離脱するが、家に戻ると父は生きており、自分の身を案じた父の策略だったと知る。父の薦めで宋江は自首、江州に流される。ここでも宋江は塩密売の元締め李俊や牢役人の戴宗、李逵らと親しくなるが、悪徳役人に謀反の濡れ衣を着せられ、これを救出しようとした戴宗とともに処刑されかける。処刑の当日、李逵・李俊たち江州の好漢、戴宗の知らせを受け駆けつけた晁蓋ら梁山泊の一行が刑場に乱入して二人を救出、宋江たちはそのまま梁山泊へ入山する。入山後すぐに家族を迎え入れるため宋江は故郷に戻るが、そこで官憲に見つかってしまう。追手から逃れた宋江は古い廟へと逃げ込むが、そこで夢の中に[[九天玄女]]が現れ、自分たちがかつてこの世に解き放たれた百八の魔星の転生した姿であることを告げられ、天界に戻るためには今しばらく現世にいて、民を助け忠義を全うし罪を償わなければならないと説かれる。目を覚ました宋江が懐を探ると夢の中で受け取った三巻の天書が入っていた。
 
=== 激闘の梁山泊 {{fontsize|small|(第42-60回)}} ===
その後、梁山泊に戻った宋江たちだが、これを討伐しようとする者たちとの戦いが待っていた。一名主ながら名うての武芸者が集まる独竜岡の祝家荘、高唐州の知州で妖術使いの高廉、軍神と恐れられる呼延灼の率いる官軍である。梁山泊はこれらとの戦いを勝ち抜き、その度に勢力と名声を拡大していく。また打ち破った呼延灼をはじめ、高廉に捕らえられていた柴進、二竜山の魯智深一行をはじめとする青州の山賊たち、少華山で山賊となっていた史進一行らを仲間に加え一大勢力となった梁山泊だが、官軍の他にもこれを倒して名を挙げようとする者たちが現れる。芒碭山の妖術使いの樊瑞一味は梁山泊に敗れ、降伏するが、[[女真族]]の治める曾頭市との戦いは苦戦を強いられ、首領の晁蓋が毒矢に当たり、落命してしまうという悲劇に見舞われる。皆は宋江を次期首領に推すが、「自分の仇を討ったものを次の首領に」という晁蓋の遺言を守ろうとする宋江は固辞、仮の首領となる。
 
=== 百八星集結 {{fontsize|small|(第60-71回)}}===
晁蓋の百箇日の法要で[[北京大名府|北京]]の大商人の盧俊義の声望を耳にした宋江は彼を仲間に引き入れようと策を巡らすが、盧俊義は梁山泊へ内通したとして役人に逮捕される。盧俊義の忠僕の燕青にこの事を知らされた梁山泊は北京を襲撃してこれを救出、攻め寄せてきた関勝らの討伐軍も打ち破り、仲間に加える。再び攻め込んできた曾頭市との戦いが始まり、これを滅ぼした梁山泊だが晁蓋の仇を討ったのは盧俊義であった。宋江は彼に首領の座を譲ろうとするが盧俊義本人をはじめ皆が反対し、[[東平府]]と[[東昌府]]をどちらを先に攻め落とした方が首領となるという事に決まる。結果、宋江の率いた軍が先に東平府を陥落させ、改めて宋江が正式の首領に就いた。この戦いで梁山泊の頭領は百八人になっていた。宋江は晁蓋をはじめ、これまでの戦いで死んでいった者たちの大規模な供養式典を執り行うが、その時天から一つの火の玉が降り注ぎ山の南に落下した。火の玉の正体は石碑で、そこには古代文字で宋江ら百八人の頭領と、それに対応する魔星の名が刻まれていた。ここに竜虎山から解き放たれた百八の魔星が一堂に集結したのであった。
 
=== 招安 {{fontsize|small|(第71-110回)}} ===
百八星集結後、宋江は招安を受けて、朝廷に帰順し官職を授かって国の為に尽くしたいと望むようになるが、林冲や李逵ら頭領の中にはそれに不満を持つものも少なくなかった。招安へ向けての工作は一度目と二度目は失敗、童貫・高俅らが攻め寄せてくるが梁山泊軍はこれを打ち破り、童貫は敗走、高俅を虜とした。林冲らは高俅を殺そうとするが、宋江はあえてこれを送り返し、一方で帝のお気に入りの芸妓李師師を通じて交渉を行い、ついに招安を実現させた。これに不満を持つものも多かったが、結局はこれに従い、梁山泊は晴れて官軍となった{{fontsize|small|(第82回)}}
。だが梁山泊に何度も煮え湯を飲まされた高俅・蔡京・童貫らはこれを苦々しく思い、宋国に牙を向く異民族や叛徒に対する討伐軍を率いさせて厄介払いする。梁山泊軍は精強かつ士気高く、[[遼]]・田虎・王慶を次々と打ち破るが、奸臣たちはこの戦功を揉み消し、何の恩賞も無かった。李俊らは不満を抱き再び朝廷に反旗を翻すよう宋江に求めるが宋江の決意は硬く首を縦に振らなかった。終焉の時は近付いていた。
 
=== 百八星は天に帰す {{fontsize|small|(第110-120回)}}===
王慶戦の直後、公孫勝が一行を去り、蕭譲ら四人が朝廷に引き抜かれ、百八星が初めて欠ける。終焉の始まりであった。江南で大規模な叛乱を起こした方臘の討伐を命じられた梁山泊軍だが、連戦に次ぐ連戦でさすがに疲弊し、また方臘勢には石宝・鄧元覚といったこれまでとは比べ物にならない強敵が多く、さしもの梁山泊も苦戦を強いられた。ようやくこれを倒した時には多くの頭領が命を落とし、百八人いた仲間は三分の一にまで減っていた。凱旋の途中でも李俊・燕青らが脱盟、林冲・魯智深らが死亡し、都に戻ったときには仲間は二十七人に減っていた。二十七人は官職に就いてそれぞれの任地に向かう。朱仝のように出世するもの、呼延灼のようにさらなる敵国との戦いで戦死するもの、阮小七のように官職を剥奪され郷里に戻るもの、柴進のように宮仕えを嫌い郷里で隠遁するもの、戴宗のように出家するものなどそれぞれ違う余生を送った。一方、都の奸臣たちは宋江らの威勢を恐れついに彼らを始末する事にする。まず、都に盧俊義を呼び寄せて毒殺、さらに宋江の任地に帝の賜杯と称して毒酒を送る。宋江は、自分が死んだとなるともっとも謀反を起こす可能性の高い李逵を呼び寄せると二人でこれを仰いだ。夢枕に宋江の死を知った呉用と花栄も自害し、梁山泊はここに滅んだのであった。その後、帝は夢で宋江らの死と奸臣たちの悪巧みを知るが、巧みに言い逃れた奸臣たちは叱責を受けただけで済み、宋江らの墓の前に帝は自ら筆を振るってその忠心を称える廟を建て、百八人を象った像を安置した。この廟は度々霊験を表し、土地のものによって末永く祭られたのであった。
 
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[[:Category:水滸伝を題材とした作品]]も参照。
=== 小説 ===
* [[金瓶梅]] - [[蘭陵笑笑生]]の小説。水滸伝第23 - 27回の内容を大幅に拡張した[[スピンオフ]]作品で{{Sfnp|駒林麻理子|1981|pp=68-69}}、水滸伝とともに[[四大奇書]]の1つに数えられる。
* 新・水滸伝 - [[吉川英治]]の小説。未完だが70回本としては完了。現:[[吉川英治歴史時代文庫]] 全4巻。
* 柴錬水滸伝 われら梁山泊の好漢 - [[柴田錬三郎]]の小説。未完。
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{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|23}}
 
== 参考文献 ==
;単行本
*{{Cite book|和書|author=[[高島俊男]]|title=水滸伝の世界|publisher=[[大修館書店]]|date=1987-10|isbn=4469230448|ref =harv}}([[ちくま文庫]]、2001年12月。{{ISBN|4480036865}})
**{{Cite book|和書|author=高島俊男|title=水滸伝の世界と日本人:江戸から昭和まで|publisher=[[筑摩大修館房]]|series=[[ちくま文庫]]|date=20011991-122|isbn=44800368654469230766|ref =harv}}(ちくま文庫、2006年11月。{{ISBN|4480422749}})
*{{Cite book|和書|author=高島俊男|title=水滸伝と日本:江戸から昭和まで物事典|publisher=大修館書店[[講談社]]|date=19911999-211|isbn=4469230766406205888X|ref =harv}}
**{{Cite book|和書|author=高島俊男[[井波律子]]|title=水滸伝と日本人トリックスター群像:中国古典小説の世界|publisher=[[筑摩書房|series=ちくま文庫]]|date=20062007-111|isbn=44804227499784480839053|ref =harv}}(潮文庫、2023年9月。{{ISBN|9784267024016}})
*{{Cite book|和書|author=高島俊男中村綾|title=水滸伝人物事典日本近世白話小説受容の研究|publisher=[[講談社汲古書院]]|date=19992011-1112|isbn=406205888X9784762935862|ref =harv}}
*{{Cite book|和書|author=[[井波律子]]孫琳淨|title=トリックスター群像:中国古典日本近世における白話小説の世界受容:曲亭馬琴と『水滸傳』|publisher=筑摩汲古|date=20072021-104|isbn=97844808390539784762936579|ref =harv}}
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;雑誌論文
*{{Cite journal|和書|author=長尾光之白木直也|title=通俗忠義水滸」集団形成と性格編訳者は誰か|journal=島大学教育学部論集 人文科学|volume=28紀要|issue=213|date=19761958-1103|pages=129204-138|url=http://hdl.handle.net/10270/1287231|ref=harv}}
*{{Cite journal|和書|author=長尾光之|title=「水滸」集団の形成と性格|journal=福島大学教育学部論集:人文科学|volume=28|issue=2|date=1976-11|pages=129-138|url=https://hdl.handle.net/10270/1287|ref=harv}}
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https://doi.org/10.15083/00027137|ref=harv}}
*{{Cite journal|和書|author=笠井直美中村綾|title=李宗侗(玄伯)旧蔵岡嶋冠山の白話語彙をめぐって:通俗皇明英烈伝』『太平記演義』『通俗忠義水滸を中心に|journal=東洋和漢語研究所紀要|issue=131|publisher=東京大学東洋文化研究所創刊号|date=19962003-11|pages=2755-10483|urlref=harv}}
*{{Cite journal|和書|author=中村綾|title=『通俗忠義水滸伝』をめぐる諸問題|journal=国際日本文学研究集会会議録|issue=22|date=2007-03|pages=7-28|url=https://doi.org/10.24619/00002723|ref={{SfnRef|中村綾|2007a}}}}
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*{{Cite journal|和書|author=中村綾|title=和刻本『忠義水滸伝』と『通俗忠義水滸伝』|journal=近世文藝|issue=86|date=2007-07|pages=27-40|url= https://doi.org/10.20815/kinseibungei.86.0_27|ref={{SfnRef|中村綾|2007b}}}}
*{{Cite journal|和書|author=中村綾|title=『通俗忠義水滸伝』翻訳者の問題:正編・拾遺編の相違点を通じて|journal=国語国文|volume=77|issue=1|date=2008-01|pages=19-36|ref=harv}}
*{{Cite journal|和書|author=馬場昭佳|title=清代における『水滸伝』七十回本と征四寇故事について|journal=東京大学中国語中国文学研究室紀要|issue=7|date=2004-04|pages=74-97|url=https://doi.org/10.15083/00035311|ref=harv}}
*{{Cite journal|和書|author=林雅清|title=『水滸伝』における「好漢」の概念|journal=關西大學中國文學會紀要|issue=27|date=2006-03|pages=89-105|url=httphttps://hdl.handle.net/10112/12609|ref=harv}}
*{{Cite journal|和書|author=[[葛綿正一]]|title=傾城水滸伝を読む:馬琴の小説手法|journal=沖縄国際大学日本語日本文学研究|volume=18|issue=2|date=2014-03|pages=39-74|url=https://hdl.handle.net/2308/914|ref=harv}}
*{{Cite journal|和書|author=孫琳淨|title=『南總里見八犬傳』における『水滸傳』の受容:犬田小文吾を中心に|journal=和漢語文研究|issue=14|date=2016-11|pages=80-108|ref=harv}}
*{{Cite journal|和書|author=孫琳淨|title=『新編水滸畫傳』「校定原本」諸本の研究:『水滸傳』諸版本との關係を中心に|journal=和漢語文研究|issue=15|date=2017-11|pages=163-198|ref=harv}}
*{{Cite journal|和書|author=孫琳淨|title=馬琴手澤本『忠義水滸傳』の語釈書入について|journal=和漢語文研究|issue=16|date=2018-11|pages=95-120|ref=harv}}
*{{Cite journal|和書|author=孫琳淨|title=『南總里見八犬傳』における『水滸傳』の受容:犬坂毛野を中心に|journal=和漢語文研究|issue=17|date=2019-11|pages=89-114|ref=harv}}
*{{Cite journal|和書|author=孫琳淨|title=『新編水滸畫傳』における『通俗忠義水滸傳』の利用|journal=和漢語文研究|issue=18|date=2020-11|pages=74-87|ref={{SfnRef|孫琳淨|2020a}}}}
*{{Cite journal|和書|author=孫琳淨|title=『八犬伝』犬士列伝の構想に関する考察:『水滸伝』の受容を通して|journal=京都府立大学学術報告・人文|issue=72|date=2020-12|pages=259-275|url=https://kpu.repo.nii.ac.jp/records/6236|ref={{SfnRef|孫琳淨|2020b}}}}
 
=== 関連文献 ===
* 井坂錦江『水滸傳と支那民俗』 [[大東出版社]]、1942年
* 稲田篤信編『井波律子中国の五大小説(下) 水滸伝』の衝撃:東アジアにおける言語接触と文化受容・金瓶梅・紅楼夢』[[勉誠出版岩波書店]]〈アジア遊学131[[岩波新書]]〉、20102009年3月。{{ISBN|97845851042854004311284}}
* [[稲田篤信]]編『『水滸伝』の衝撃:東アジアにおける言語接触と文化受容』[[勉誠出版]]〈アジア遊学131〉、2010年3月。{{ISBN|9784585104285}}
* 大阪市立大学中国文学研究室編『中国の八大小説:中国近世小説の世界』平凡社、1965年6月。
* [[懐徳堂記念会]]編『中国四大奇書の世界:『西遊記』『三国志演義』『水滸伝』『金瓶梅』を語る』和泉書院、2003年1月。{{ISBN|4757601840}}
* [[小松謙]]『水滸傳と金瓶梅の研究』汲古書院、2020年11月。{{ISBN|9784762966699}}
* [[佐竹靖彦]]『梁山泊:水滸伝・108人の豪傑たち』[[中央公論新社|中央公論社]]〈[[中公新書]]〉、1992年1月。{{ISBN|4121010582}}
* 中鉢雅量『中国小説史研究:水滸伝を中心として』汲古書院〈汲古叢書8〉、1996年2月。{{ISBN|4762925071}}
* 林雅清 『國近世通俗文學原理恵『百二十回本『水滸傳』の研究』 汲古書院、20112023122月。{{ISBN|97847629297179784762967245}}
* 林雅清『中國近世通俗文學研究』汲古書院、2011年12月。{{ISBN|9784762929717}}
* 松村昂・小松謙『図解雑学:水滸伝』[[ナツメ社]]、2005年4月。{{ISBN|9784816338090}}
* [[宮崎市定]]『水滸伝:虚構のなかの史実』中央公論社〈中公新書〉、1972年8月。{{ISBN|4121002962}}([[中公文庫]]、1993年12月。{{ISBN|4122020557}}/改版2017年3月。{{ISBN|97841220638914122063892}})
* U-PARL・荒木達雄編『なぜ古い本を網羅的に調べる必要があるのか:漢籍デジタル化公開と中国古典小説研究の展開』[[文学通信]]、2023年12月。{{ISBN|9784909658647}}
 
== 関連項目 ==
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* [[洪吉童伝]]
* [[山寨]]
* [[:zh-cn:英歌|英歌]] - 広東省の一部の地域で踊られる伝統舞踊で、水滸伝をもとに発展。腐敗した政治に立ち向かう英雄たちの活躍を表現。
 
== 外部リンク ==
438 ⟶ 451行目:
[[Category:宋朝を舞台とした小説]]
[[Category:遼朝を舞台とした作品]]
[[Category:12世紀を舞台とした作品]]
[[Category:江戸時代の中国系文化]]